自分の半径5Mから日本の未来と働き方を考えてみよう会議/出口治明、島澤諭
世の中の物事は「数字・ファクト・ロジック」でていねいに見ていかないと、根元にある問題や原因にたどり着きません。
「数字・ファクト・ロジック」でとらえることは日本人は苦手だ。
マスコミがそうだ。
新聞やテレビの報道番組でも、まずはファクトを示すべきだが、それをおろそかにして情緒的な報道が目立つ。
「何となく感じが悪い」とか、「嘘をついているように見える」といった風に、情緒や感情に訴える内容が多い。
今は、国会も報道番組も、すべてがワイドショー化している。
どうしてそうなってしまうのか。
日本人が「数字・ファクト・ロジック」で物事を考えない状況を結果的につくりだしたのが、「1940年体制」と呼ばれる戦後の枠組みである。
戦後、日本人は物事を「数字・ファクト・ロジック」でとらえなくても何とか生きていける歴史をたどってきた。
日本の防衛を真剣に考えなくても、日米安保によって、日本は守られてきた。
高度成長期、日本の産業政策の舵取りは、キャッチアップというグランドデザインに沿って長らく通産省が担ってきた。
民間企業がわざわざ「経済をどうしよう」などと考える必要もなく、言われたことをその通りにやっていればそれでよかった。
高度成長期には年を重ねていくごとに給料が上がり、転職もせず、定年まで勤め上げるのが当たり前になっていた。
いわゆる「年功序列」「終身雇用」である。
工夫を施さなくても生活水準が向上していくのだから、人々は何も考えず、言われた通りに働くだけでよかった。
しかも、命令する側も真似すべきモデルが外に存在していたから、やはり自分の頭で考える必要がなかった。
こんな歴史が長く続いたので、自分の頭で考えない国民を大量生産してしまった。
今こそ日本は変わるときではないだろうか。
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