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2017年8月10日 (木)

論語の活学/安岡正篤

Photo 牢曰く、子云う、吾れ試られず、故に芸ありと。

要するに人間は、あれもこれもと何でもできるなどというのは、決して自慢にはならぬということ。

それよりも何か一つのことに打ち込んだ方がよい。

現代でもこの孔子の言葉は当てはまる。

ある分野の達人と言われる人の話を聞くと、若い頃は不器用だったという人が多い。

不器用であるがゆえに、一つのことに打ち込まざるを得なかったのだと。

世の中には器用な人がいるものだ。

何でもすぐにコツをつかみ、人並みなことはすぐにできるようになる。

しかし、それはあくまで人並みなことができるというレベルである。

そこから更に、「この道のプロ」と言われるようになるためには、気の遠くなるような時間が必要になる。

その場合、器用さは邪魔になる。

何でもできるので、そこで満足してしまうからである。

不器用な人はそうではない。

「自分にはこれしかできない」という自覚があるので、それに打ち込むようになる。

1万時間の法則というのがある。

何ごとでも、一流になるためには1万時間が必要だとする法則である。

1日3時間、そのことに費やしたとしても年間千時間。

それを10年間続けて1万時間となる。

気の遠くなるような長い時間である。

人間の能力の奥深さもこんなところにあるのではないだろうか。

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