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2017年9月の30件の記事

2017年9月30日 (土)

魂は、あるか?/渡部昇一

Photo 私は自分が肌で実感した経験と、パスカルやウォレス、アレクシス・カレルなど、古今の偉人の生き方や言葉から、また私自身の言語学者としての見地から、数十年に及ぶ思索を積み重ね、その問いに対する答えを導き出しました。私の答えはこうです。
「魂はある」
「死後の世界は存在する」
「信仰は弱い人間の心の支えになる」

人は誰もが死ぬ。

例外はない。

そして、死後の世界があるかどうか、誰も見てきたものはいない。

著者は数十年、死について思索を続けてきたという。

死を考えることは、魂の存在についても考えることにつながる。

古来、人間は肉体と魂とによって成り立っていると考えられてきた。

そうならば、肉体の死で魂も死ぬのかどうか、死は、すべての消滅を意味するのかどうかも問わなければならない。

死と魂との問題は、人間そのもののあり方について問うこと。

著者はカトリックのクリスチャンである。

そして、「死後の世界は存在する」と明言する。

そして、死ぬことは怖くないと述べている。

事実、今年他界した著者をみとった息子さんの話によると、

死の床にあって著者は「自分ほど幸せな者はいない」と言い切ったという。

そして出会う人全てに感謝の気持ちを表し、死の直前まで取り乱すことはなかった。

それはある確信を持った者にしかあり得ない、見事な最期であったという。

著者は、魂の存在を信じ、霊魂は不滅だと考えれば考える程、また、死後の世界もちゃんと存在すると信じれば信じる程、自分の生きている日々に安心感が湧いてきたという。

どんな死に方をするのか?

その人の人生を集約した姿がそこに現れるのではないだろうか。

2017年9月29日 (金)

「気遣い」のキホン/三上ナナエ

Photo 「最初から器用にやれる人ほど、ある時期から急に成長が止まってしまうものよ」とCA時代の教官に言われたことがあります。
 コツコツ積み上げていく人ほど着実に年々成長していく。

気遣いとは、相手の気持ちを想像し、思いを伝えること。

相手のことを思い、ちょっとした言葉や態度でそれを伝える。

それを繰り返して習慣にしていく。

ほんのちょっと意識を変えるだけで、ほんのちょっとコツをつかむだけで、誰でも気遣いの達人になれる、と著者は言う。

そのためには「基本」を繰り返すこと。

最初はぎこちなくても、繰り返すうちにそれが習慣になり、自然にできるようになる。

気遣いは、決してもともと備わっている能力や性格ではなく、行動であり、習慣であり、意識して身につけることができるスキルなのである。

いくつかのコツを会得しながら、繰り返し、繰り返し実践することで誰でも自然とできるようになる。

中には最初からうまくできる人がいる。

しかし、不思議なことにそのような人は途中で成長がとまってしまう。

逆に不器用な人ほど成長する。

気遣いに限らず、すべてのことでそうなのである。

努力はウソをつかない、ということではないだろうか。

2017年9月28日 (木)

隠された貧困/大山典宏

Photo 生活保護は、社会におけるカナリアのような存在です。社会のなかで何か問題が発生した時、最初に矛先が向かうのは、決まって貧困に苦しむ人たちです。そして、それを支える生活保護に矛盾が集中することになるのです。

何かと批判の多い生活保護。

確かにそれを悪用する輩もいる。

しかし、生活保護を通して、社会の暗部が見えてくるのも事実である。

生活保護は、社会におけるカナリアのような存在だと著者は言う。

昔は炭坑に坑夫が入っていくときに、先頭を歩く人が必ずカナリアの入った鳥籠をぶら下げたという。

炭坑がある地中には、有毒なガスが漂っている危険性がある。

昨日は大丈夫だったからといって、今日、大丈夫とは限らない。

地震かなにかで地盤が崩れて、どこからかガスが漏れてくるかも知れない。

カナリアはそういうガスに敏感なので、人間よりもずっと早くガスの影響を受けてしまう。

さっきまで元気だったカナリアがぐったりとしてしまったら、それは危険のサイン。

その時点で手を打てば、この場合は、すぐに引き返して炭坑をでれば生命が助かるわけだ。

今、生活保護はとても具合が悪そうにみえる。

ちょうど、ガス溜まりに近づいたカナリアのように、ぐったりとして元気がない。

その時に、「なぜ、このカナリアは黙ってしまったのだ。早く元気にしろ」と言うのはおかしい。

カナリアが問題なのではなく、危機が迫っていることに気づかなければいけない。

苦しんでいるカナリアを見てその原因を突き止め、一刻も早く手当することが必要だ。

人は、見たくないものを、「見なかったことにする」という特技を持っている。

路上死、ホームレス、外国人・残留孤児、カード破産、アルコール依存、社会的ストレス、中高年リストラ、若年層の不安定生活、虐待、暴力、孤独死、自殺、そして低所得問題。

これらは、日本社会の暗部であり、見たくないものである。

しかし、これらから目をそらしてはならないということであろう。

2017年9月27日 (水)

21世紀の戦争論/半藤一利、佐藤優

21【佐藤】 反対に考えれば、生物兵器や原爆といった非人道的な兵器には抑止力があるということです。一神教の考えでは「許すが忘れない」か、「許さないし、忘れない」かのどちらかです。
【半藤】 水に流すという言葉はない。
【佐藤】 ありません。相手を滅亡させるか、完全に分解してどこか別の民族に同化させるか、徹底的な報復をしないと収まらない。彼らは互いにその怖さを知っているから、争いの前に相手をひとり残らず殺せるかどうかと考えて、殺せると思わなければやらないんですよ。

本書は、歴史について深い知識と見識をもっている佐藤氏と半藤氏の対談。

戦争の歴史について、語り合っている。

これまで戦争は遠い国の話だった日本が、今、北朝鮮の暴走によって変わってきている。

ただ、日本人の中にはいまだに戦争という言葉を語ることすらタブーという空気がある。

特に抑止に関する考え方はかなりズレている。

極端なものは憲法9条があるから日本は守られている、というもの。

ここまで行かなくとも、抑止のために核を持ったり敵基地攻撃能力を持つことについては、議論することすらできないような雰囲気がある。

そして、他国と話し合えば解決すると主張する。

日本人の感覚がいかにズレているのか、歴史を学ぶ意義も、こんなところにもあるのではないだろうか。

2017年9月26日 (火)

「学習する組織」入門/小田理一郎

Photo 「学習する組織」とは、目的に向けて効果的に行動するために、集団としての意識と能力を継続的に高め、伸ばし続ける組織です。

「学習する組織」の「学習」の語源をたどると、

「学」は、教えを学ぶ者(子)からできた文字であり、また、日本語の「まなぶ」は「まねる」と同じ起源を持つと言われている。

一方、「習」という字は、まだ飛べないヒナ(白)が繰り返し翼(羽)をはばたかせてやがて飛べるようになることを意味する。

したがって、学習とは本来、単にわかるだけではなく、繰り返しの練習を通じてできるようになることを指している。

学習する組織は、目的を達成するために、能力と意識を高めることで結果を出す。

またさらに高い目的を設定して能力と意識を高め続け、社会が求めることに対して組織や個人の潜在能力を最大限高めて応え続けようとする。

終わりなきプロセス、「道」を歩み続ける人たちの集団であり、社会の公器として企業価値を創り続けるとともに、その存在そのものを社員や地域コミュニティにとって価値あるものにしようと努力し続ける組織である。

そのためには、まずは目的とビジョンが重要。

組織の目的は、メンバーのやる気や主体性を引き出す源泉。

献身に値する目的があるか、メンバー間でその意味が共有されているかが学習の質に大いに影響を与える。

ビジョンは、できるだけ具体的に描くのがポイント。

その情景がリアルであればあるほど、自らを動かす原動力は強くなる。

端的に言えば、目的はおおまかな方向であり、ビジョンは(ある時点での)到達目標。

別の観点では、目的は「Why(なぜ)」の問いへの答えであり、ビジョンは「What(何、どんな)」の問いへの答えだと言える。

この2つは両輪となることでより強力に機能する。

ビジョンとは社会を変えるなどと大それたものである必要はない。

自分を奮い立たせ、現実に向き合い、行動する勇気を与えてくれるものであれば、それがビジョンである。

学習する組織では、トップだけではなく現場や中間管理職などにも多くのリーダーが生まれてくる。

学習する組織では、インセンティブなど外部からの刺激に頼るのではなく、内発的動機によって、たゆまぬ学習と共有ビジョン実現へのコミットメントを生み出す。

それが組織に不断の進化をもたらす。

そのためには、まず目的とビジョンを明確にする必要。

そして、これが出来ていない組織があまりにも多いというのが現実ではないだろうか。

2017年9月25日 (月)

うまくいっている人の考え方/ジェリー・ミンチントン

Photo よほど深刻な問題でないかぎり、自分の身の回りで 発生する問題は、自分の態度を変えるだけで解決する。

過去と他者は変えられない。

変えられるのは自分と未来だけである。

当たり前の話だが、多くの人は過去と他者のことに囚われ悩む。

悩んで問題が解決すればよいのだが、決して解決しない。

私たちは、「周囲の人たちが私の思うようにふるまい、私の希望どおりになってくれさえすれば、人生はさぞ快適になるのだが」と思う。

しかし、私たちがどれだけ頼んでも、文句を言っても、おどしても、ほとんどの人にとってそんな願いを聞き入れるのは耐えられないこと。

たとえもし聞き入れてくれたとしても、それに見合うだけのものを提供しなければ、まもなく元の状態に戻ってしまうだろう。

自分が他人を問題視することをやめないかぎり、人間関係の問題はなくならない。

たいていの場合、他人を自分の思いどおりに変えようとして時間を浪費するよりも、自分の態度を変えたほうが、てっとり早くて現実的、しかも長続きする。

このことに気づけば、生きることは楽になるのではないだろうか。

2017年9月24日 (日)

パッとしない子/辻村深月

Photo 人の言葉をいちいち覚えていて、勝手に傷つくのはやめてほしい。こっちはそんなに深く考えていないのに、繊細すぎる。

かつての教え子、高輪佑が人気アイドルグループのメンバーになる。

その彼がテレビ番組収録のため、母校を訪ねてくることになった。

小学校の図工の教師、松尾美穂は佑が小学生の時、「パッとしない子」だったことを周囲に漏らしていた。

ところが、その言葉が人から人へと伝わり、本人を傷つけていた。

佑からそのことを問い詰められる松尾美穂。

何気なく言った言葉が独り歩きし、人を追いつめ傷つける。

よくあることだが、非常に考えさせられる。

2017年9月23日 (土)

脳を最適化する/アルバロ・フェルナンデス、他

Photo いくつもの研究によってわかったことだが、脳が完全に形作られる成人期以降も、語彙にかかわる言語能力、パターン認識力、感情の自己制御力など、体験の蓄積によって洗練されていく機能は、年をとるに伴って良くなる傾向にある。

年を取ると、脳機能が衰えると思われている。

しかし、研究によると、年を取るとともに衰える分野とむしろ良くなっていく分野があるということが分かってきたという。

たとえば素早く学んだり、新しい環境へ適応したりする能力は年とともに衰える。

しかし、体験の蓄積によって洗練されていく機能は、年を取るに伴ってよくなる傾向にあるという。

つまり、年を取るとともに多様な視点から高度な推理を行ったり、対立する状況の中で和解案を提示するといった能力はむしろ伸びてゆくというのである。

脳機能が衰えることを防ぐ特効薬はない。

ただ、身体を動かす事と脳に刺激を与える事の両方を行なうことが大切。

更に自分自身や他者との間に感情的なつながりを保つこと。

自分を信じ、尊重することで自己とつながり、同じ方法で、家族や友人たちとつながっていることで、認知的に健康かつ生産的でいることができる。

要は、年を取るということを肯定的に受け止め、その時その時で脳を最適化する努力を続けることが大事ということではないだろうか。

2017年9月22日 (金)

シンギュラリティ・ビジネス/齋藤和紀

Photo 2045年と予測されるシンギュラリティが起こるかどうかはともかく、二〇二〇年代にコンピュータの集積度が人間の脳を超えることはほぼ間違いないであろうと予見されています。

シンギュラリティは、もともと「特異点」を意味する言葉。

この世の中の多くのものがシンキュラリティを迎えようとしている。

たとえば自動運転の進化。

今は運送会社やバス、タクシーの会社は運転士不足に悩まされている。

しかし、自動運転が普及すれば、バスもタクシーも「運転士不足」に悩むことはなくなるはず。

逆に言えば、せっかく採用された彼らは、職を失う。

運転士不足に悩むバス会社は、若者の育成に投資するより、自動運転を開発しているベンチャー企業に投資したほうが有効かもしれない。

経理部、人事部、法務部といったバックオフィス機能の境界線は急速になくなっていくと予測される。

それらの業務はデジタル化されてクラウドに移行し、AIが担うようになるだろう。

したがって、それぞれの領域で専門家としてキャリアを重ねるのはきわめて困難になるだろう。

資格の境界線もなくなるかもしれない。

弁護士、会計士、税理士、司法書士、行政書士といった知的労働は、これまでまったく異なるものだった。

業務内容も法制度も違うし、それぞれの資格を得るための試験も別々。

しかし、それぞれが扱う仕事をデジタル化した途端、そこに区別はなくなる。

AIにとっては、弁護士が見る判例も会計士が見る帳簿の数字も単なるデジタルデータにすぎないのだから。

一事が万事、こんなことが起こるだろう。

まさに今、私たちはシンギュラリティの時代に生きているといえるのではないだろうか。

2017年9月21日 (木)

すべての疲労は脳が原因/梶本修身

Photo「過労死するのは人間だけ」という事実をご存じでしょうか。

考えてみたら確かにそうである。

過労死した犬や猫は見たことがない。

競走馬であっても、過労死することは考えられない。

ではなぜ、人間だけ過労死するのか?

実は、人は実際には疲労を起こしていても、それを感じるのは脳であるため、脳の複雑な働きによって疲労感を覚えないことがある。

物理的な疲労の程度と、主観的な疲労感は一致しないことが多々ある。

そこで問題になるのは、疲労感が生体アラームとして効かなくなり、疲れが積み重なっているにもかかわらずそれを感じなくなること。

これは、人体にとってもっとも危険な状況。

では、なぜ人は疲労感という生体アラームが効かなくなるのか。

それは、ほかの動物にはみられないほどに発達した前頭葉が原因。

前頭葉は、「意欲や達成感の中枢」と呼ばれ、人間の進化にも大きく貢献してきた。

ただ、ヒトではあまりにも前頭葉が大きくなったために、眼窩前頭野で発した疲労感というアラームを意欲や達成感で簡単に隠してしまうことがある。

専門化はこの現象を「疲労感のマスキング」と呼んでいる。

一方、前頭葉が小さいほかの動物、たとえばライオンは獲物を追いかけるとき、どれだけ空腹であっても疲労感を眼窩前頭野で自覚したらアラームに従って追いかけるのをやめる。

前頭葉が発達していないヒト以外の動物では、意欲や達成感より疲労感というアラームを優先して行動する。

それゆえ、ヒト以外の動物では過労死することはないというわけだ。

日ごろから仕事にやりがいや達成感がある、あるいは上司や同僚からの賞賛、昇進といった報酬が期待できて楽しく仕事しているときほど過労死のリスクが高いという。

楽しく仕事しているときほど「疲労感なき疲労」が蓄積されやすく、休まずに仕事を続けることで疲労は脳と体を確実に蝕み、果てには過労死にいたらしめる、ということは自覚しておくべきだろう。

2017年9月20日 (水)

ザ・マネージャー/マイク・カーソン

Photo アンチェロッティは全く違う道を選んだ。彼はチームの中へ積極的に入り込んだ。そして時間を割いて選手一人ひとりの人間性を把握していった。単にプロ選手としてでなく、一人の人間として理解しようとした。

サッカーの監督ができるなら、ビジネスは簡単だ。

現代スポーツにおいて、予算が大きいほど有利なのは誰にでもわかる。

しかし、サッカーの場合は予算が多いからといって先発を15人にするわけにはいかない。

どんなにすごい選手が揃っていても、先発11人の枠は絶対であり、揺らぐことはない。

そして、先発から外された選手は不満分子となり、チームが空中分解する火種になるかもしれない。

少年時代から天才ともてはやされ、プロに上り詰めた選手たちの「我」が弱いはずはない。

いってみれば、サッカー監督とは「じゃじゃ馬ならし」にほかならない。

サッカーの監督は空理空論をこね回す時間はない。

就任して、2・3カ月で成果が出なければすぐに解任である。

2カ月で成果を出そうとするのであれば、1カ月以内にクラブをいい方向にもっていかねばならない。

これほど即効性を求められ、不安定な職業はほかにない。

そんな過酷な職業で結果を出してきた監督の一人がカルロ・アンチェロッティである。

アンチェロッティの哲学はシンプルだ。

一人ひとりの選手を理解しよう、ということである。

選手には二種類ある。

自分が持っているものをチームに提供し、チームが強くなるように努めるタイプと、チームを利用して、自分が目立つことだけを考えるタイプだ。

二番目のタイプに出会ったときに死活的に重要なのがコミュニケーション技術で、相手に間違った道に進んでいることを納得させることが必要になる。

アンチェロッティは各選手を一人の個人として扱う。

彼らのやり方を尊重する。

選手の感情や価値観、野心、ニーズ、恐怖などに感情移入する。

選手の立場が理解できれば、さらに生産的に選手と付き合うことができる。

こうして監督は個人およびチーム全体の改革に乗り出すことができるようになる。

ほとんどの場合リーダーシップとは個人を相手として始まる。

リーダーはついてくる人がいてこそリーダーなのであり、ついてくる人はほとんどの場合個人的な関係から感化されてリーダーについていくようになる。

ビジネス・政界・スポーツを問わず、一番の難題が人間関係だということではないだろうか。

2017年9月19日 (火)

戦略人事のビジョン/八木洋介、金井壽宏

Photo 人事部門がオープンでないのは、社員情報をたくさん握っているからでも、何かをたくらんでいるからでもありません。一言で言えば、人事施策に戦略性が欠けているからなのです。

人事部門は伏魔殿にたとえられることがある。

何を考えているか外から分からず、人事ににらまれると、まず出世できない。

どうして闇に包まれてしまうのか。

それは人事施策に戦略性が欠けているからである。

多くの場合、人事は戦略ともっとも遠いところにある。

戦略とは全くかけ離れたところで人事施策が決められる。

だから「なぜこうなったのか」の説明ができない。

結果、闇に包まれる。

このような流れになってしまうのである。

「戦略性のマネジメント」は、「現在」を見て、勝つための戦略を立て、それを企業内の各機能に一貫性をもって反映させるマネジメントである。

戦略は外部環境の変化によってしばしば変わる

だから、その都度、各部門は変化に対応し、臨機応変に仕掛けを打ち出して、ダイナミックに動く。

そして、人事部門は、前例や制度やマニュアルに固執することなく、見識をもって変革をリードする役割を果たすのである。

戦略は、「こうやって勝つ」というふうに話の筋が通っていて、ふつうの人が聞いて納得できるストーリーになっていなくてはならない。

そういった戦略をベースに、ふつうの人である社員とのコミュニケーションを図り、そのやる気を最大化し、企業の生産性を向上させることが戦略人事のあり方であり、人事部門が担うべき役割である。

変化の激しい時代、最も変化を求められているのは、実は人事部門なのではないだろうか。

2017年9月18日 (月)

球形の荒野(下)/松本清張

Photo 「野上さんにとっては、パリも砂漠も同じことさ。地球上のどこへ行っても、彼には荒野しかない。結局、国籍を失った男だからね。いや、国籍だけじゃない。自分の生命を十七年前に喪失した男だ。彼にとっては、地球そのものが荒野さ」

本書はあくまでも小説なのだが、いろんな意味で考えさせられる本でもある。

特に戦中、戦後にかけての日本を考えさせられる。

大戦末期、日本の敗戦が濃厚になっていた時、日本の外交は、あくまでも最後まで戦うべきという考え方の者たちと、早く戦争を終結すべきという考え方の者たちとに分かれていた。

そんな中、野上氏は戦争を終結させるために動いた。

当時スイスに駐在していたアメリカの戦略情報局や、イギリスの諜報部門と連絡をとって、戦争を早く終結させるよう企てる。

それは戦争継続派にとっては許し難き利敵行為。

彼らにとっては野上氏は日本の敗戦の片棒を担いだ売国奴。

そこで、当時の日本は、出先外交官の野上氏に〝死亡〟してもらう必要があった。

野上氏は、生きていながら死んだとされた。

当然、家族とも会えない。

しかし、どうしても家族、特に娘に会いたい。

そのために彼は身を隠して帰国し、様々な策を講じて娘に会おうとする。

それを知って、野上氏を殺そうと暗躍する元戦争継続派。

野上氏を守ろうとする者たち。

真実を知ろうと動き回る新聞記者。

そして何としても死んだとされる父に会おうとする娘。

様々な思いが交錯して物語は展開する。

戦後の日本の雰囲気も伝わってきて非常に読み応えのある小説だ。

2017年9月17日 (日)

球形の荒野(上)/松本清張

Photo 「世の中には、いろいろむずかしいことがある。人に言えないまま死ななければならないことだってある……ぼくにもそれが無いとは言わない。しかし、今は何も話せないのだ」
 「すると、いつかは……」
 「いつかは、か」
 思いなしか、滝氏の声に太い息が混じった。
 「そうだな、ぼくが死ぬ時になったら話せるかも分からない」
 「滝さんが亡くなられる時に?」
 添田は思わず滝氏の表情を見つめた。それには複雑な微笑が水のように滲んで出た。

奈良を訪れた主人公、野上久美子の親戚、芦村節子はそこの寺の芳名帳をみて愕然とする。

それは亡き叔父・野上顕一郎の独特な筆跡であった。

大戦末期に死んだとされた外交官、野上顕一郎は生きているのではないか?

この謎を軸にストーリーは展開される。

久美子の恋人である新聞記者・添田彰一は、筆跡の話を聞いて、ある疑問を持ち、死んだとされた外交官の関係者を当たっていく。

その中の一人が語ったのが、上記抜き書きの内容である。

「真実を語りたいのだが、今は言えない」

「この秘密は墓場まで持っていく」

といった発言である。

この裏には、当時の複雑な国内事情が隠されている。

この作品自体はフィクションだが、世の中には公にされた表の歴史と、決して公表されることのない裏の歴史というものがあるのだ、ということを考えさせられる。

2017年9月16日 (土)

現実を動かす会話力/齋藤孝

Photo 会話の価値というのは、話の面白さではなく、「そのあとに何が起こったか」で決まります。

会話とは、ごくごく簡単に言えば、「意味」のやり取りと「感情」のやり取りを行うということ。

意味のやり取りか、感情のやり取りかという割合は、状況や相手に大きく左右される。

生活を共にしている家族との会話であれば、意味のやり取りよりも感情のやり取りが中心。

毎日似たような会話が繰り広げられ、そこに新しい意味はあまり発生ない。

それよりも、共感したり、相手が今どんな感情なのか、どんな調子なのかを感じ取るということが重要。

友人との会話の場合は、もう少し意味のやり取りが増える。

一方、職場になると、意味のやり取り重視の会話になる。

しかし、意味のやり取りを100%にすると、何かと問題を引き起こす。

やはり、人間は感情で動くからである。

これらのことを踏まえ、どんな内容の会話をすることによって、どんなゴールを目指すのか、

目的によって、「意味」のやり取りと「感情」のやり取りとをどのくらいの割合でブレンドするのか?

これができるかどうかが会話力といえるのではないだろうか。

2017年9月15日 (金)

すぐやる!/菅原洋平

Photo 「しゃべること」と「体を動かすこと」を同じ脳の部位が司っているのですから、そこをうまく活用することで、「言葉」を「行動」に変えることができるはずです。

言葉を話すことと体を動かすことは、脳の中で密接な関係がある。

脳の中で「言葉を話す」役割をしているのは、「ブローカ野」という部位。

右利きの人のほとんどが、左側の脳の横、ちょうど左耳の先端の少し前あたりに位置している。

「ブローカ野」は「運動性言語野」と呼ばれ、これまで、言葉の中でも主に「しゃべる」ことを担当していると考えられてきた。

しかし、最近になって、「しゃべる」に限らず、「体を動かすこと」全般にも関わっていることが明らかになってきた、というのである。

言葉は、主観的な言葉、客観的な言葉、経験的な言葉、に分けられる。

主観的な言葉とは、目の前の仕事に対して、「面倒くさいなぁ」とか「だるい」「やりたくないなぁ」という、感情をそのまま表す言葉。

客観的な言葉は、状況を描写する言葉。

「書類が積まれている」「今、自分は座っている」など。

そして経験的な言葉とは、今の状況をどのように感じているかを表す言葉。

主観的な言葉と客観的な言葉の間に位置づけられ、「すぐやる」ためのカギとなる。

「山積みの書類を読むのが億劫で、手にとる気にならない」

「見えているけど、手を伸ばせない」

といった感じで、自分が抱えている問題を「体の様子」にして表現するのである。

この手法はリハビリの分野で脳が損傷して体が動かなくなった方の治療に活用されているのだが、私たちの日常でも十分に活用できる。

私たちは、「経験的な言葉」を無意識のうちによく利用している。

たとえば、野球で、ピッチャーのコントロールがうまくいかないとき、「硬くなってるぞ」とか、「力まずにいこう」なんて言ったりする。

自分のプレーや相手のプレーに「どう感じたのか」の言葉を交わし合うことで、次の動作のシミュレーションができるのである。

チームが好調なときほど、選手同士が盛んに声を掛け合っているのは、このしくみが関係していると考えられる。

私たちが、「やらなきゃ」と思いながら手をつけられずにいることも、脳を動かす言葉で表現し直してあげることで、スムーズに動き出せるようになる。

自分が体験したことを、言葉にして話す。

これほど簡単で確実に、脳を動かす方法はない。

行動を変えたいのであれば、言葉を変えれば良いということであろう。

2017年9月14日 (木)

ポジティブ・ワード/メンタリストDaiGo

Photo やる気を出すための一番確実で簡単な方法は、手を動かすことです。簡単な作業でもいいので手を動かし始めると、5分もしないうちに脳から「期待のホルモン」と呼ばれるドーパミンが分泌し、やる気が湧いてきます。

やる気が出ないので何もしたくない、という人がいる。

しかし、やる気は自然に発生するものではない。

やる気を問題にするならば、そのメカニズムを知ることであろう。

著者は、やる気を出すためには手を動かすこと、と言っている。

これはその通りだと思う。

現に、私自身、朝一にこのブログを書くために、パソコンのキーボードを打つことによって、やる気にスイッチが入ることを経験している。

つまり、やる気が出てから何かをするのではなく、まずは手を動かすこと。

これがやる気を出すメカニズムなのだろう。

自分なりにやる気のスイッチを押す手法を決めることは非常に有効なのではないだろうか。

2017年9月13日 (水)

日本人が海外で最高の仕事をする方法/糸木公廣

Photo 強烈な「違い」を前にしたとき、嫌悪して顔をそむけてしまうか、それとも違いを楽しみ、おもしろがることができるか──。それが大切なのです。

日本企業の海外進出が進むとともに海外で働く日本人が増えてきた。

日本人と外国人は全ての面で違う。

問題はこの違いに対する姿勢である。

著者は、違いを楽しむというマインドが大事だという。

そして共通点を見つけることである。

異質に思える相手もまた、自分や自分の親しい人たちと同じ「人」である。

私たちと同様に家族を大切に思い、子どもが喜ぶと自分もうれしく思う。

そうした気持ちを共有できる相手のことを、人として尊重し信頼する。

そんなごく普通の「人」として相手をとらえて接すれば、相手との関係性は大きく違ってくるはず。

人は、自分に関心を持ってくれる人に対して好意を持つものだ。

自分の意見、自分の興味、自分の人となり、自分のバックグラウンド。

そうしたものに関心を向けてもらえるかどうかは、その人との関係を大きく左右するポイントとなる。

そもそも文化とは、人々がその感性や価値観や信条を長い時間をかけて積み上げ、洗練させ、凝縮したものである。

だから、「文化を知る」ことは「人を知る」ことと言える。

異質なものが交ざる中で働く海外赴任においては特に、「人志向」が日本国内よりもずっと有効に機能するということではないだろうか。

2017年9月12日 (火)

「運の良くなる生き方」/西中務

Photo 運を決めているのは人間性。
 これが、一万を超える依頼者の不幸や幸福になる様を見てきた、私の結論です。

成功者にその理由を聞くと、ほとんどの人が「運がよかったから」という。

謙遜してそう言っているのではなく、本気でそう思っている。

確かに世の中、「私は運がいい」という人と、「私は運が悪い」という人とがいる。

そして「私は運がいい」という人には、いい事ばかりが起こり、「私は運が悪い」という人には悪い事ばかりが起こる。

その人のもっている「何か」が運や不運を引き寄せているようだ。

ではその「何か」とは何か?

著者は、それは「人間性」だという。

優しい、頼れる、信用できる、正直、真面目、など。これらは人間性を褒める言葉。

人間性は直接お金儲けにつながるわけではないし、皆に注目されたり、ちやほやと優遇されたりするわけでもない。

しかし、事実、例えば、上場企業では、次期社長を決める際に最も重視されるのは、その人の実績でも能力の高さでもなく人間性だと言われている。

もちろん、生きていくにはお金が必要だし、それには能力も地位も要る。

見た目の良さだって、人との付き合いでは無視できない要素である。

でも、お金も能力も容姿も、所詮は生きていくための道具にすぎない。

幸運を引き寄せるのは人間性次第なのである。

良い人格になると、良い出会いが増えて、運が良くなる、ということではないだろうか。

2017年9月11日 (月)

相手をイラつかせない怒らせない話し方と聞き方のルール/竹内幸子

Photo なぜか相手をイラつかせたり、怒らせたりする人には 共通点があります。 それは、「怒り」という感情を理解していない点です。

怒りという感情はどんな意味をもっているのか。

怒りは、自分をキズつけられたとか、目的を達成できない、侮辱された、など、自分に不利益なことが生じた場合に起こりる。

つまり、怒りは、自分を守るための感情。

更に言えば、怒りは、自分に不利益なこと、不都合なことが起こったかどうかを感知する感情、である。

だから、怒りはそれ自体、悪い感情ではない。

人にとって、必要な感情であることを理解しなければならない。

不当なこと、不利益なこと、侮辱される、傷つけられる、正当な要求を無視される、拒絶される……など、怒りは「自分にとって被害が起こりそうなことを教えてくれるサイン」でもあるからだ。

そのサインの代表が、イライラ。

精神的に余裕がないときなど、電車のなかで足を踏まれた、会社の隣の席の人間が貧乏ゆすりをしている……。

この程度のことでもイライラし、しだいにそれがマックスに達して、ついには怒りとなって爆発する。

ただ、そのマイナスの影響は大きい。

イライラを感じたら、そのことで腹を立てるべきかどうかをすばやく査定し、取るに足らない怒りなら、深呼吸など心の浄化作用を働かせて、削除してしまうことだ。

「怒り」とは、自分を守るための感情。

「怒り」は悪いものではないということを理解した上で、自分なりの対処法を身に付けるべきだろう。

2017年9月10日 (日)

働く人改革/沢渡あまね

Photo 働きたいのに思いきり働けない!
 これは働きたい人にとっては大きなストレスですし、成長を妨げます。モチベーションの高い人たちの腰を折るような改革は、ほんとうの改革と言えるのでしょうか?

「働き方改革」が叫ばれている。

しかし、何か窮屈な感じがする。

ただ単に労働時間を減らせればよいのか。

それによってかえって職場が窮屈なものになってしまわないのか。

そんなことが懸念される。

トップが音頭を取って残業を減らすことも必要かもしれない。

しかし、それだけではおそらく現場は疲弊することだろう。

むしろ、働く者の意識を変える必要があるのではないか。

だから著者は「働き方改革」ではなく「働く人改革」だと主張する。

働く者同士が真剣に自分たちの働き方について本音の意見を交わし、まず意識を変え、次に働き方を変えていく。

このボトムアップのプロセスがあって初めて現場は変わるのではないだろうか。

ただ、「働き方改革」という号令のもと、様々な問題意識が投げかけられていることは良いことだと思う。

あとは、各企業がどのようにしてそれを実質化していくかということが問われているのであろう。

2017年9月 9日 (土)

南京事件」を調査せよ/清水潔

Photo 利益や利害を主張するイデオロギーと、真実を伝えるべきジャーナリズム。
 この二つは決して交わることはない平行線だ。

いわゆる南京大虐殺には様々な説がある。

南京大虐殺は事実だという説。

そんなものはねつ造で、なかったという説。

虐殺はあったが30万人と言うほどの大虐殺ではなかったという説。

それぞれの主張の本を読んだことがある。

本書は「南京大虐殺は事実だ」という立場で書かれている。

読んでみると、著者の政治的な立場というものが著書の内容に色濃く反映している。

様々なインタビューや過去の日記の類が掲載されているが、そのほとんどは反対派が真偽の程に疑問を呈しているものばかり。

本書中の日本兵の証言は貴重だとは思うが、もともと「殺し合い」である戦争状態において、その「殺し合い」が「国際法違反の虐殺」であったかどうはかは別の話。

その部隊が何月何日の何処で、上官がどの様な状況で判断し命令を下したのか、等をも含めて状況が分らないと、判断できない。

それを検証もなしに載せている。

著者は「一次資料にあたれ」といいながらその証言内容の状況の把握を更に多面的に掘り下げずに、自説に都合の良い「捕虜を殺したというだけの程度の」ものだけを追加して取り上げて推論を組み立てていく強引さが見受けられる。

新たな証拠による「戦闘における国際法違反」の存在の証明を期待したのだが、残念ながら本書のこの程度の論理の展開では証明したことにはなっていない。

著者は事実と言っているが、実際にはイデオロギー色が強い。

本書の中で、政府が集団的自衛権の法案を強行採決したと批判しているが、これが著者の政治的立場であろう。

南京大虐殺や従軍慰安婦と言った様々な議論のある問題は、1冊だけ読んで分かったつもりになることは危険だ。

面倒でも両方の立場の本を読み、後は自分の頭で考えることが必要ということではないだろうか。

2017年9月 8日 (金)

「怒り」のマネジメント術/安藤俊介

Photo 「いつも」「絶対」「必ず」。これらの言葉を使いそうになったら、一度、グッとのみ込み、もっと別の言い方はないかを探る習慣を身につけましょう。

「怒り」のマネジメント術とは、「絶対に怒ってはいけません」という話ではない。

怒ってもいい。

ただ、その怒りにふりまわされて損することがないようコントロールしていこう、ということ。

それには二つある。

一つは、怒らなくてもいいことには、怒らない、または、「怒り」という感情を減らす。

第二に、怒るとしても、表現方法や場所を選ぶ、つまり、「怒り」にまかせた行動をやめる、である。

「怒り」の感情を感じるとき、私たちは次の三つの段階を踏む。

第1段階は、出来事との遭遇 。

第2段階は、出来事の意味づけ。

第3段階は、「怒り」の感情の発生、である。

何に怒りを感じるのかは十人十色。

私たちを怒らせているのは、第1段階の出来事そのものではない。

第2段階の「出来事の意味づけ」にかかっている。

だから「怒り」は外からやってくるものではない。

私たちを怒らせているのは、本当は「私自身」。

「私自身」が、それをどうとらえるか、である。

つまり、自分の周りに起こっている事象に対して、どのような意味付けをするかによって、怒るかどうかが決まる、ということ。

そして、人間だけが、自分の考え方・価値観をもとに「意味づけ」をして「怒り」を抱くのである。

その意味では、「いつも」「絶対」「必ず」、これらの自分の価値観に裏付けされた言葉を使いそうになったら、一度、グッとのみ込み、もっと別の言い方はないかを探る習慣を身につけることは効果的なのではないだろうか。

2017年9月 7日 (木)

部下を育てる「ものの言い方」/井上健一郎

Photo 「イイ上司」は、とにかく部下を「やる気」にさせる上司です。やる気を削ぐ発言はしない上に、決して安易に褒めるのではなく、部下ひとりひとりの存在価値を伝えてあげられる。まず、それができる人です。

部下をやる気にさせるのがイイ上司だという。

だったら、そのためにはどうすれば良いのか。

面白い仕事ばかりやらせればよいのだろうが、そうそう面白い仕事があるものではない。

むしろ、単調な面白くない仕事が多いのが現実である。

ではどうすればよいのか。

面白くない仕事を面白くすることである。

どんな仕事でも工夫次第では面白くなる。

また、仕事の目的をはっきり認識することも大事だ。

同じ仕事をするにしても、「何のために」この仕事をするのか、

この仕事は会社の中でどんな役割を果たしているのか、

会社は社会の中でどんな役割を果たしているのか、

ということを認識しているかどうかで仕事のレベルが変わる。

また、そのことに気づかせるのが上司の役目である。

よいリードというのは、表面的な「やり方」だけを指示するのではない。

その仕事が「何のために」大切なのかということや、そのためには「どのくらい」までやらなければいけないかということを示すことである。

さらに問題が起きている時などは、「何で」その問題が起きたのかを考えさせる。

そして単なる問題処理ではなく「根っこ」から解決するためには「どうしたら」いいのかということを導き出すためにサポートする。

そうすると、部下は考えるようになる。

そこから仕事の本当の面白さが分かってくる。

知恵や工夫が生まれる。

そうするとレベルの高い仕事のできる人材が育っていく。

上司は、部下が何を考え、どんな強みと弱みを持っているか、業務のレベルはどの程度なのか、
それらのことをしっかり把握する必要がある。

その上で、「どこに向かえばいいのか」、いわゆる成長の方向性を感じさせる必要がある。

さらに、そこから今どのくらい離れたところにいるのか、はたして近いのか遠いのか?

そして、そこに行くためには具体的にどうすればいいのかがわかると、「やる気」は高まる。

部下のやる気は上司のリード次第といってもよいのではないだろうか。

2017年9月 6日 (水)

世界最高のリーダー育成機関で幹部候補だけに教えられている仕事の基本/田口力

Photo メディアからの「ウェルチさん、あなたはなぜ二十世紀最高の経営者と言われるようになれたのですか」という質問に対して、ウェルチ氏はたった一言、
「Self‐awareness」(自己に対する気付き)
 と答えたのです。  

研修の中で参加者に「この中で自分のことが分かっている人は?」と質問を投げかけると、誰も手を上げない。

多くの人は自分のことが分かっていない。

分かっているという人であっても、それは思い込みである場合が多い。

現GE会長のジェフリー・イメルト氏も「リーダーシップとは、終わりのない自分探しの旅である」と言っている。

「自分探しの旅」と言った場合、ひと頃若者の間ではやった「自分探し」とオーバーラップしそうだが、それとは視点が少し違う。

ここで言う「自分探しの旅」とは言い換えるならば「自己理解を極める」ということであろう。

リーダーは他者に影響を与え、動かす必要がある。

ところが、人間は10人いれば10人とも違う。

同じ人間であっても、性格や価値観が違う。

だから他者を理解することがどうしても必要である。

では他者を理解するためにはどうすればよいのか。

自己を理解することである。

自己理解を深めることによって、はじめて他者を理解することができる。

人間の多様性を理解できるようになる。

これは基本中の基本なのだが、これが分かっていないリーダーがあまりにも多い。

ビジネスで起こっている問題の根本的な原因の七割から八割は、「コミュニケーション」に関連することだと言われる。

では、コミュニケーションが成立している状態とはどんな状態なのか。

それは表層的に言葉のやり取りをして「何かの物事に対して共通理解を得ることができた」などというレベルではなく、互いに共通の価値観を共有したレベルに達している状態を意味する。

そのためには深い自己理解と他者理解が不可欠である。

リーダーは他者に影響を与える存在である。

それだけにリーダーはもっと謙虚であるべきだと思う。

2017年9月 5日 (火)

金持ちになる男、貧乏になる男/スティーブ・シーボルド

Photo 自己啓発に興味を示すのは総人口の5パーセント程度だが、彼らは社会でもっとも成功している人たちだ。彼らの多くが「自己啓発の大家と呼ばれる人たちから成功の秘訣を学んで金持ちになった」と証言している。

私自身、金持ちになることにはあまり興味はないのだが、金持ちを成功者と置き換えて考えれば、本書には成功者になるための考え方がいくつも記されており、参考になる。

成功する人とそうでない人との大きな違いは、お金の使い方である。

端的に言えば、成功者はお金を投資に使い、成功しない人はお金を消費に使う。

投資と消費の違うは何か。

投資は未来につながり、消費はその時その時の自己満足に終わる。

自己啓発も投資の一つである。

自己啓発の分野には、成功の秘訣を伝授してくれる著述家や講演家、実業家が勢ぞろいしている。

彼らの話が、大勢の人の成功を力強く後押ししていることは間違いない。

成功者となる最短の道は成功者に学ぶことである。

2017年9月 4日 (月)

UXの時代/松島聡

Ux 所有より共有活用のほうが、なぜクールなのか?
 そこには人類が直面している大きな問題が隠れている。

UXとは、ユーザーエクスペリエンス(User Experience)の略で、ユーザーが製品・サービスを通じて得られる体験を意味する。

今起きつつある変化で注目すべき点は、消費者・ユーザー自らが主権者として、製造・消費という経済活動の様式を変えようとしているということだ。

たとえばシェアリングという消費スタイルが広がってきている。

しかも、この消費スタイルはただ広がっているだけでなく、それが賢くお洒落な経済行動であるという認識も生まれてきている。

そこには重要な価値観の転換がある。

シェアリングは単なる流行ではなく、これからの経済社会に大きな影響を与える可能性がある。

今起きているユーザーの反乱は、彼らが企業の提供するものに価値をあまり認めなくなったことから生まれている。

これまでの企業はユーザーのニーズを把握して、そのニーズを満たす商品やサービスを提供してきたつもりでいるが、それはあくまで設備や組織といった企業のリソースの都合で生みだしてきた商品・サービスにすぎない。

これからの企業はそうした既存の枠組みから脱却し、ユーザーが何に感動するか、価値を得るか、つまりUXをいかに最大化するかを基準に、ビジネスモデルを再構築しなければならない。

そして、ユーザーはビジネスモデルの中心に位置づけられ、事業の推進者たちはUXを基準に企業や業界の垣根を超えて協力し、最適のリソースを活用しながらめざすUXを最大化させていく。

つまりこれから訪れるのは、「○○業」「△△屋」といった定義が当てはまらない企業の時代、業界・業種の垣根がない産業社会。

この変化は製造業だけでなく、あらゆる産業で起こりつつある。

いや、産業だけではなく、社会全体で生まれつつあると言ったほうがいい。

古い産業の枠組みが通用しないこれからの時代に、社会のニーズに応え、成長していくのは「何屋」でもない企業だ。

その中から社会を変えていく新しいパワーが生まれてくるだろう。

ユーザーにとってモノは手段であって目的ではない。

手段に対価を払うのは目的である価値を得るためであって、モノを買って所有するためではない。

モノの価値ではなく、UXつまり「ユーザーにとっての体験価値」を理解し、見極めることが、これからのビジネス創造では極めて重要。

このことを理解することから新しいビジネスが始まるのではないだろうか。

2017年9月 3日 (日)

仕事消滅/鈴木貴博

Photo われわれには実は時間があまりない。 「2035年ぐらいまでに先進国の30%以上の労働者がAIとロボットによる失業の危機を迎える」という意見については、かなり多くの専門家が賛同している。そして労働力人口の30%の規模の失業危機は、言うまでもなく経済政策上の大問題になる。

AIとロボットの進化は目を見張るものがある。

便利になる一方、それによって人間の仕事が奪われるのではないかという懸念が示されている。

近未来に最初にやってくる仕事消滅の危機は2025年前後、

日本国内で123万人が働くドライバーたちの大量失業危機である。

その引き金は自動運転車の実用化である。

そうなってくると、少なくとも長距離トラックの運転手と、タクシー運転手は仕事が確実になくなるだろう。

完全自動で運転できる自動車が出現すれば、会社がドライバーを雇う必要がなくなる。

人件費を払わなくても車が同じ働きをしてくれるようになるからだ。

同じ頃、デイトレーダーの仕事は絶滅する。

株式のトレードでもFXのトレードでも人間はAIに勝てなくなるからだ。

金融機関でも人間のトレーダーはAIにとってのカモに堕ちていく。

2030年頃にはパラリーガルと呼ばれる弁護士助手の仕事、銀行の融資担当者、裁判官といった、主に「頭を使う専門家の仕事」がAIにとって代わられ消失する。

2035年頃になるとAIは「汎用的」と言われる領域に到達する。

つまり人間と同じように思考しながら、人間と同じように分野を限らない会話の中でも人間より正しい判断ができるようになる。

そうなると職場のほとんどの知的作業においてAIは人間のパフォーマンスを上回るようになる。

おそらくこの流れを止めることはできないのであろう。

そうすると、今は人手不足で悩んでいる企業も、やがてはその問題は解決するということになる。

むしろ人余りの時代が訪れようとしているということ。

でも、一方、新たな仕事も生まれてくるのだろう。

その時、人間はどんな仕事をしているのだろう。

非常に興味深い。

2017年9月 2日 (土)

疲れない身体を作るコンディショニング法/山崎みゆき

Photo 私たちの身体は、37兆2,000億個の細胞から成り立っています。もちろん脳も細胞からできていますので、細胞が変われば脳が変わり、脳が変われば思考が変わります。思考が変われば行動が変わります。行動が変われば今まで自分を取り囲んでいた環境が変わります。

猛暑が続いている関係で、身体が疲れやすくなってきている。

外に出ると、特に何をしなくても、帰宅するとグッタリといった状態である。

私たちは、良い情報を取り入れることによって、質の良いアウトプットが可能になる。

同様に、バランスの良い食事をすることによって、仕事のパフォーマンスを最大化することができる。

私たちの身体に必要な栄養素は、大きく分けて6つある。

糖質、脂質、タンパク質、ビタミン、ミネラル、食物繊維である。

これらをバランスよく摂る必要がある。

多すぎても良くないし、少なすぎても良くない。

たとえば、糖質・炭水化物中心の食事をしていくと血統のコントロールが上手くいかなくなり、疲労物質の乳酸が溜まりやすい身体になり、慢性疲労、鬱などの症状を引き起こす。

しかし、少なくとも1日に最低でも100gの糖質を摂らないと思考が低下し、考える能力が低下してしまう。

要はバランスである。

良い仕事をするためには、何を食べるかということにもっと注意を払うべき、ということではないだろうか。

2017年9月 1日 (金)

最強チームにまとめる技術/池本克之

Photo チームシップとは私がつくった言葉で、「チーム内の地位や役割に関係なく、メンバー一人ひとりがお互いを理解しながらチームとしての成果のために成長すること」というような意味です。
 では、チームシップを持つチームのリーダーになるための素養はなんでしょうか。答えは「謙虚さ」です。

今は「上昇志向」だけで豊かな生活を送れるようになると誰も信じていない。

にもかかわらず、「俺についてこい型」のリーダーがリーダーシップを発揮するのを目の前で見ると、部下は「あのようにはなりたくない」と考えるようになる。

これが、部下は目の前のリーダーのように働かず、しかも後継者の指名を避けるようにもなる理由である。

勝手に働くリーダー、プラス、与えられた仕事以外こなそうとしない部下。

これは最悪なチームのパターンである。

これだと、リーダーが全力で働けば働くほど、部下との距離はどんどん離れていく。

著者は、リーダーに必要なのは謙虚さだという。

人を率いるとき、なぜ謙虚さが必要なのか。

それは、リーダーこそ一番謙虚に「学ば」ないといけないから。

以前は、限られたスタッフで決断をし、それを下に伝え、従わせる「牽引型」のリーダーシップが主流だった。

人もまた、それについてきた。

しかし、価値観が多様化した現代は、従来の上から指示を飛ばすだけの「トップダウン型」リーダーシップで人は動かなくなってきた。

必要なのは、スタッフの意見を吸い上げ、チームが自然とまとまるリーダーシップである。

目標に向けてチームをサポートする「奉仕」のリーダーシップとも言える。

ところが、化石のようなリーダーが今だに生息しているのが現実ではないだろうか。

まずはリーダーが変わらなければならないということであろう。

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