戦争の社会学/橋爪大三郎
北朝鮮は、原爆と、ノドン、テポドンを保有している。ノドンは中距離ミサイル。改良テポドンは、アメリカ全土をそろそろ射程に収めようとしている。北朝鮮がアメリカ大陸を核攻撃する能力をもったとたんに、ヨーロッパで80年代に起こったと同じ問題が起こる。だが、このことに気づいている人びとは少ない。
80年代と言えば、冷戦時代である。
この時代、アメリカとソ連、それぞれが核を持ち、けん制し合っていた。
ここでヨーロッパではソ連が西ヨーロッパを核攻撃した場合、果たしてアメリカは、核兵器で報復するだろうかという疑念が論じられた。
核で報復すれば、今度はソ連がアメリカ大陸を核攻撃して、ワシントンもニューヨークも地図から消えてしまう。
それはしのびないと、核のボタンを押さないのではないか。
同盟国が核攻撃されたとしても、アメリカ本土が核攻撃されない限り、アメリカは核のボタンを押さないかもしれない。
これは、核の傘につきまとう不安である。
80年代、こうした核戦略の脅威を背景に、ヨーロッパでは反核運動が盛り上がった。
よく考えてみると、日本も同じである。
日本には多くの米軍基地がある。
核攻撃される可能性が高い。
日本にも大きな被害が及ぶだろう。
そうしたとき、アメリカは核兵器で反撃するだろうか。
日米安保条約は機能するだろうか。
どういうことか。
北朝鮮が、日本を核攻撃するかもと脅せば、それが日米安保条約に対する疑念をうみ、政治的効果をもってしまうということだ。
日本人のあいだに、80年代のヨーロッパと同じような強い反核感情が広がるかもしれない。
歴史は繰り返すと言われる。
戦争を通じて、平和を考える。
戦争を理解して、平和を実現する能力を高める。
戦争も軍も、社会現象である。
社会現象であるからには、法則性がある。
戦争の法則性を理解して、リアリズムにもとづいて平和を構想する。
これが今、求められているのではないだろうか。