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2017年10月の31件の記事

2017年10月31日 (火)

戦争の社会学/橋爪大三郎

Photo 北朝鮮は、原爆と、ノドン、テポドンを保有している。ノドンは中距離ミサイル。改良テポドンは、アメリカ全土をそろそろ射程に収めようとしている。北朝鮮がアメリカ大陸を核攻撃する能力をもったとたんに、ヨーロッパで80年代に起こったと同じ問題が起こる。だが、このことに気づいている人びとは少ない。

80年代と言えば、冷戦時代である。

この時代、アメリカとソ連、それぞれが核を持ち、けん制し合っていた。

ここでヨーロッパではソ連が西ヨーロッパを核攻撃した場合、果たしてアメリカは、核兵器で報復するだろうかという疑念が論じられた。

核で報復すれば、今度はソ連がアメリカ大陸を核攻撃して、ワシントンもニューヨークも地図から消えてしまう。

それはしのびないと、核のボタンを押さないのではないか。

同盟国が核攻撃されたとしても、アメリカ本土が核攻撃されない限り、アメリカは核のボタンを押さないかもしれない。

これは、核の傘につきまとう不安である。

80年代、こうした核戦略の脅威を背景に、ヨーロッパでは反核運動が盛り上がった。

よく考えてみると、日本も同じである。

日本には多くの米軍基地がある。

核攻撃される可能性が高い。

日本にも大きな被害が及ぶだろう。

そうしたとき、アメリカは核兵器で反撃するだろうか。

日米安保条約は機能するだろうか。

どういうことか。

北朝鮮が、日本を核攻撃するかもと脅せば、それが日米安保条約に対する疑念をうみ、政治的効果をもってしまうということだ。

日本人のあいだに、80年代のヨーロッパと同じような強い反核感情が広がるかもしれない。

歴史は繰り返すと言われる。

戦争を通じて、平和を考える。

戦争を理解して、平和を実現する能力を高める。

戦争も軍も、社会現象である。

社会現象であるからには、法則性がある。

戦争の法則性を理解して、リアリズムにもとづいて平和を構想する。

これが今、求められているのではないだろうか。

2017年10月30日 (月)

『永遠の0』と日本人/小川榮太郎

Photo 要するに、アメリカ抜きに「戦後日本」は成立し得なかった。それにもかかわらず、我々日本人は、その、自らの生存に関する最も本質的な事実から目を逸らし、「平和憲法」のおかげで平和が続いたというフィクションを信じ込んでいる。なぜ自分たちが生存できているのかという基本的事実を頑なに見ようとしない意識──それを私は閉鎖的だと言うのである。

世界史を見てみると、それは戦争の歴史である。

長い間、平和を維持するのは困難なことだ。

歴史を振り返ると、主として宗教と食料と資源をめぐる戦争が古来繰り返されている。

領土拡大や、他民族の征服という野望、また自分たちと異なった皮膚の色や言語・習俗から対立が生まれ、戦争に至る。

世界史は不条理な血に染まっている。

それと比較すると、日本は平和である。

大した努力もなしにこれだけ平和が基調となっている歴史は世界に類を見ない。

日本の戦国時代を見ても、世界のいたるところで繰り返されている残忍な殺戮とはレベルが違う。

日本人には、平和は、歴史的に、水や空気と同じように馴染み深く、自然なものである。

だが、「戦後日本の平和」は特殊な状態で作られている。

それはアメリカの軍事力、とりわけ核武装によって守られた平和だ。

決して憲法9条があるからではない。

ところが、この平和も今後は困難になってくることだろう。

ミサイルや核によって挑発を繰り返す北朝鮮。

尖閣諸島、さらに沖縄への領土的野心を剥き出しにしてい中国。

「永遠の0」があれだけ売れたのも、そのような背景があるからではないだろうか。

2017年10月29日 (日)

老いてこそ人生/石原慎太郎

Photo だからその迷いや悩みを断ち切り乗り越えるために何が必要かといえば、何よりもまず変化ということを受け入れることなのです。今在るものを今在るままに保とう、この姿のままでいたいと願うことがしょせん無理なのだという、決してあきらめではなしに、覚悟の上の開きなおりがあれば焦りも苦しみも薄らいでくるに違いない。

人は誰もが年をとる。

肉体の老いを経験する。

どんなに抗ってもやがては死を迎える。

これは人間の定めである。

そして限りある肉体の中での生であるからこそ、人生を意味のあるものにしようと努めるのである。

もし人間が永遠に年をとらず肉体の老いも経験せず、死なないのであればどうだろう。

おそらく優れた文学も音楽も芸術も生まれないだろう。

限りある人生であり、命であるからこそ、人生は有意義になり得るとも言える。

だからアンチエイジングなど意味がない。

むしろ、年をとることを受け入れ、その中で懸命に生きることが大切なことではないだろうか。

2017年10月28日 (土)

なぜあの会社の社員は、「生産性」が高いのか?/望月禎彦、高橋恭介

Photo これからは良い人材が採れなくなってくる。「新たに人材を採用する」という考え方ではなく、「今いる人をどう育てるか」、あるいは「どう組み合わせるか」が人事戦略上の大きな課題になってきます。

ここ数年、顧問先の企業から「人が採れなくなった」という話しをよく聞く。

ハローワークに求人を出しても、なかなか応募がないというのである。

ましてや「良い人材」を採用したいという事になると、その難易度は年々高くなってくるであろう。

「良い人材」が採れないとなると、どうなるか?

そうなると、良い人材が採れるまで、粘り強く採用活動を続けるか、あるいは「そこそこ人材」で我慢するか、のどちらかになる。

知名度のない中小企業の場合、どうしても後者を選ぶことになるのであろう。

そうなってくると、課題は「そこそこ人材をどう育てるか」ということになる。

今後、採用が益々厳しくなるにつれ、中小企業に問われてくるのは「育成力」ではないだろうか。

2017年10月27日 (金)

成長企業のためのワークスタイル変革教本Vol.1

Vol1 マネジメントの仕事とは、極論すればマネジメントをしなくても自分の担当部署の通常業務が回るようにすることでしょう。

この言葉、マネジメントの本質をついている。

「その人がいなくちゃ困る」という状況をなるべく作り出さないようにするのがマネジメントである。

もちろん「その人しかできない付加価値の高い仕事」もあるが、ルーチン業務は上司が休んでも問題なく回るようにしなければダメだ。

現場のルーチンが回らなくなるのは、マネジャーの職務怠慢である。

そして、現場の仕事の大部分はルーチンの仕事である。

そのために、普段からマネジャーは部下を育成し、仕事が回る仕組を作る。

部下が育てば、マネジャーがいなくても現場が回るようになる。

現場がマネジャーがいなくても回るようになって初めて、マネジャーは新たな付加価値の高い仕事に取り組むことができるようになる。

ところが多くの場合、マネジャーが一番多忙だ。

マネジャーは現場から離れられない。

その意味では多くのマネジャーは仕事をしていないと言われても仕方ないのではないだろうか。

2017年10月26日 (木)

世界基準の上司/赤羽 雄二

Photo 部下に信頼される最も簡単で確実な方法がある。部下の話をしっかり聞くことだ。ほとんどの上司が部下の話の腰を折ったり、早わかりしたり、そもそも話をいっさい聞かなかったりする。

上司は、部下に信頼されなければ、組織ミッションを達成することができない。

上司がどれほど仕事ができても、一人では大きな仕事ができない。

上司の指示で部下が一糸乱れずそれぞれのミッションを果たせば、組織ミッションの成功も手に届く範囲にくる。

では部下に信頼されるためにはどうすればよいのか。

最も簡単で確実な方法は部下の話をしっかり聞くことだ。

部下の話を聞こうとする姿勢をきちんと持つだけで、部下の上司を見る目が大きく変わる。

簡単なことであり、自分がそう決めれば、今すぐ確実にできる。

部下の話を聞く時間がないとこぼす上司がいるが、大した時間ではないし、かえって時間の無駄遣いをしている。

部下の話を聞かず、信頼を得られていないと、コミュニケーションがきちんとできない。

仕事は当然うまく進まない。

そうすると、悪循環で部下をくどくどと叱責したり、途中から挽回のための方向修正をしたりで、膨大な時間を浪費することになる。

逆に、最初から部下の話を聞き、状況をよく把握して、チームとしての生産性を上げれば、部下の話を聞く時間が取れない、という状況に陥らない。

組織がうまく回り始めると、時間に余裕が生まれ、三歩先、五歩先のことを考える余裕が生まれる。

上司は、目先の数字を達成するとか、納期を守るということに必死で、部下のお尻をたたいて何とか間に合わせようということばかり一生懸命やるが、部下の信頼を得ることはほとんどなおざりだ。

部下に信頼される人は自然体で信頼される。

ほうっておいても信頼されるので何の問題もない。

ところが、信頼されない人は、自分のどういう行動が信頼の邪魔をしているか理解していないし、多くの場合、意識もしていないので、改善されない。

世界基準で活躍する上司は、全社方針を理解したうえで、常に自部門の必達目標、目標達成のための施策、取り組み方針、投入資源の考え方等を明確に打ち出し、部門の成果を最大化する。

世界基準で活躍する上司は、部下の持つ力を最大限引き出すことに全力を挙げる。

世界基準で活躍する上司は、成果を出しつつ、部下を最速、最大限育成する。

世界基準で活躍する上司は、部下が成長すると心から信じ、ポジティブに接する。

世界基準で活躍する上司は、部下一人ひとりが皆違う人間であり、それぞれの個性を尊重すべきことをよく理解している。

世界基準で活躍する上司は、結果が出なくても、また忙しすぎてイライラしていても、決して部下を罵倒したり感情をぶつけたりしない。

結局、部下は上司であるリーダーが示すビジョンと実現の方向性に対して、納得し、自分の役割を果たして貢献するのである。

そのためには、部下に信頼されることが基本にあるということをしっかり理解する必要があるのではないだろうか。

2017年10月25日 (水)

1分間ドラッカー/西村克己

1 コミュニケーションは、受け手の言葉を使わなければ成立しない

この言葉、コミュニケーションの本質をついている。

話し手は懸命に話すのに内容が伝わらず、相手の理解を得ることもなければ、行動を変えることもない場面は、しばしばある。

事実上「誰も聞いていない」のと同じことが起きている。

これでは伝えていないのと同じである。

誰が悪いのか?

少なくとも受け手ではない。

話し手が悪いのである。

つまり話しては「この言葉を使って、受け手は内容を理解できるか」を常に考える必要がある。

もしダメなら、理解してくれるまで、手を変え品を変えて伝え続ける根気と工夫が必要だ。

受け手の理解力、性格、好き嫌い、価値観…等々、これらから「受け手の言葉」を見つけ、これをもって伝える努力をしなければならない。

その意味では、「伝えているつもり」の人があまりにも多いのではないだろうか。

2017年10月24日 (火)

聞く力の教科書/魚住りえ

Photo 相手と自分の話す割合が「7:3」あるいは「6:4」ぐらいを目指すといいと思います。

聞くことは、話すこと以上に大事だ。

良い会話と悪い会話は、話した後の相手の満足感で分かる。

満足感が高いのが良い会話。

ではどんな時、相手は満足感を得られるのか。

それは「この人は自分の話しをよく聞いてくれた」と感じたとき。

そのためには、出来るだけ自分の話す時間は短くし、相手の話す時間を長くすること。

では相手に気持ちよく話してもらうためにはどうすればよいのか。

それは相手の話すスイッチを押すこと。

どんな無口な人であっても、話したくなるスイッチがある。

それを探り当て、押してあげると、話したくなるものである。

そうすると結果として、相手と自分の話す割合が「7:3」位になる。

そう考えると、「7:3」と言うのは、良い会話かどうかのバロメーターとなるのではないだろうか。

2017年10月23日 (月)

日本人が知っておくべき「戦争」の話/KAZUYA

Photo 「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。」

上記抜き書きはタイのククリット・プラモード元首相の言葉。

アジアの国々で日本のことを好意的に見ている国はたくさんある。

ところが、マスコミでは「日本はアジア諸国に対して悪いことをした」という考え方が主流である。

日本人の多くは戦後のGHQの洗脳の影響を強く受けている。

東京裁判史観と言っても良い。

しかし、その東京裁判についても、国際法の専門家であるパール氏は「平和に対する罪や人道に対する罪は戦勝国によってつくられた事後法であって、事後法で裁くことは国際法に反する」ということで、被告人全員の無罪を主張している。

とにもかくにも、大東亜戦争に至る道のりや流れは再確認する必要があるのではないだろうか。

日本はこれまであまりに一方的なものの見方をされてきた。

「日本が侵略した」と宣伝されてきたわけだが、中国にしろ、アメリカにしろ、ソ連にしろ、日本に対して散々挑発行為を繰り返してきた。

アメリカによる対日禁輸は戦争を誘発すると彼らもわかっていた。

石油は血の一滴。

日本は止むに止まれず戦争へと誘われていった。

こんな考え方もある。

大東亜戦争については、侵略戦争だったという人もいるし、植民地支配されていたアジア諸国の解放のための戦争だったという人もいる。

どちらの考え方に立つかは別にして、多様な視点で歴史を見る必要があるのではないだろうか。

2017年10月22日 (日)

未来の働き方を考えよう/ちきりん

Photo 長生きの可能性が高まると、いくら貯金=ストックをもっていても不安は尽きないけれど、稼ぐ力=フローを得る力がある人は、ストック型の人より安楽に構えていることができます。いわば、「過去に貯めた資産をもつ人から、稼げる人へのパワーシフト」が起こるのです。

2016年の日本人の平均寿命は女性87.14歳、男性80.98歳で、いずれも過去最高を更新した。

平均寿命は今後も伸びていくであろう。

やがては90歳台になり、やがては100歳に限りなく近づいてくるであろう。

そうなってくると、働き方も大きく変わってくるであろう。

60歳の定年など不可能で、みんな80歳くらいまでは働かないと、個人の生活も社会も立ち行かなくなる。

そしてそんな時代になれば、一生のうちにひとつの職業しか経験しないなどという人は、珍しくなるだろう。

20歳から80歳まで働くとすれば60年間働くことになる。

そんなに長い期間、ひとつの職業に就いていると想定するのは、ほんとうに現実的なことだろうか。

60年間経つと、仕事そのものが変わっていくことであろう。

今ある仕事がなくなったり、新しい仕事が生まれたりするであろう。

「手に職をつければ安心」といっても、その専門技術を必要とする職業や市場自体が消えてしまっては、意味がない。

たとえば、ワープロやパソコンの出現前、「きれいな字が書けること」が、事務職として就職したい女性にはとても重要だった。

企業がお客様に出す手紙や資料はすべて、手書きだったからだ。

だからみんな就職のために、習字やペン字を習って「手に職」をつけようとした。

しかし、今、「きれいな字が書けること」はそれほど価値を持たない。

一方、これから新しい仕事がどんどん生まれてくるであろう。

要は、変化を肯定的に受け止め、絶えず自らの価値を高めていく、そのような取り組みが必要になってくるということ。

真の意味の「働き方改革」が必要になってくるのではないだろうか。

2017年10月21日 (土)

朝のコーヒー、夜のビールがよい仕事をつくる/馬渕知子

Photo コーヒーとビール。どちらも日常的に飲まれている、あまりにも身近な飲料ですが、実はこの2つには、「自律神経」を整える働きがあるのです。

コーヒーとビール、どちらも大好きだ。

ただし、正しく飲むことが必要とのこと。

コーヒーに温まれるカフェインには交感神経を優位に働かせる力がある。

交感神経が働けば、やる気ホルモンでもあるアドレナリンが全身をまわり興奮状態へ導くので、仕事は全開モードになる。

頭の回転も速くなり、仕事への集中力も高まる。

短時間で効率のよい勉強をしたいならば、カフェイン濃度が高めのコーヒーを飲めばよい。

ただし、その効果を最大化するためには、タイミングに気をつける必要がある。

「眠いから飲む」「くせになっているから飲む」というなんとなくの飲み方ではなく、計画的にカフェインを摂取することが必要。

そして、大前提として押さえておきたいのが、飲むなら「午前9時半~11時半」と、「午後2時~5時まで」の間に、ということ。

これはコルチゾールという覚醒ホルモンの分泌量が変わるタイミング「午前8~9時」「正午~午後1時」「午後5時半~6時半」を除いた時間帯。

ここが被ってしまうと、本来体に備わっている自己覚醒能力が弱まり、いくらコーヒーを飲んでも目が覚めない、だるい、といった症状を招くことになる。

なんとなく飲む前に、まずはこの基本ルールを念頭に置く必要がある。

次に、適度な量のビールは副交感神経を優位にし、リラックス作用を全身にもたらしてくれる。

1日中働き詰めで、すっかり高ぶっている神経をなだめ癒す力もあれば、会食時の緊張感を和らげ、よい流れをつくることにも役立つ。

コーヒーやビールには、交感神経と副交感神経をコントロールする力があるが、正しく飲むことが必要ということであろう。

2017年10月20日 (金)

心を動かす話し方/堀紘一

Photo 話し方の本質は「どう話すか」ではなく「何を伝えるか」にある。

たとえ、話術が巧みで流暢に話したとしても、肝心の話に中身がなくては、すぐに化けの皮が剥がれる。

中身のない話を流暢に話されると、相手に何となく怪しい印象を抱かれかねないし、信頼感さえ損ないかねない。

立て板に水のごとく話すセールスマンにかえって不信感を持ってしまい、結局そのような人からは買わないのと同じである。

逆に、多少話術が劣っていたとしても、その人の話の中身が興味深ければ、相手は一生懸命に聞き取ろうとする。

話術をせっせと磨いても、相手が興味を持って話を聞いてくれるのはせいぜい5分が限度。

小手先の話術で交渉を有利に進めようとしたり、薄っぺらい内容を盛って話したりしても、すぐに化けの皮が剥がれてしまう。

コミュニケーションの根幹は「相互尊敬」であり「相互信頼」にある。

そして、その能力を最終的に決めるのは、話し手のなかに詰まっているコンテンツの広さと深さ。

もっと言うなら「教養」である。

結局、王道は「教養」を身に付けることである。

その人の話しが人格化したとき、「人を動かす話」ができるようになるのではないだろうか。

2017年10月19日 (木)

超「個」の教科書/風間八宏

Photo 個人と組織は別々にあるものではなく、イコールです。個人がつながっていくことによって、組織になっていく。それが最も自然な考え方だと思っています。

著者の考え方は「個を生かすことで組織にする」というもの。

通常は「組織をつくることで個を生かす」である。

場合によっては「組織を最優先し、個を殺す」というものもある。

特に日本の組織はその傾向が強い。

会社という組織のために滅私奉公し尽くすのがかつての良いサラリーマン像だった。

しかし、時代は変わった。

会社は永続するものではなくなった。

場合によっては会社の都合によってポイ捨てということにもなりかねない。

組織のために自分を殺して頑張っていたサラリーマンほど、そのようになる可能性がある。

そう考えると、著者の言う「個を生かすことで組織にする」という考え方は、これからの組織のあり方として一つの方向性を示しているのではないだろうか。

2017年10月18日 (水)

ゆずらない力/高見綾

Photo 私たちにとって大事なのは、まず自分の幸せを満たすこと、そして次に周りの人、というのがのびのび楽に生きられて、人間関係もうまくいく順番なのです。

まずは自分、それから他者という順番は重要だ。

ところがこれが逆になってしまうことがある。

またこうなってしまう傾向の人がいる。

では、そうならないためにはどうすればよいのか?

著者は、次のことを言っている。

「健全な領域意識をもつ」

「自分への信頼感を養う」

「無意識の罪悪感をなくす」

「自分の力を自分のために使う」

この4つである。

「健全な領域意識をもつ」とは、自分と他人との間にしっかり線を引いて、自分の自由を守り、相手の自由も尊重すること。

「自分への信頼感を養う」とは、他人にあれこれ言われても、動揺して自分を見失わない余裕を培うこと。

「無意識の罪悪感をなくす」とは、他人が何らかの期待や不満をもっているときに、「自分のせい」とか「申し訳ない」とか思ってしまう癖をなくすこと。

「自分のために自分の力を使う」とは、自分の望むことと望まないことをハッキリ分けて、望むことや好きなことにより多くの力を注ぐこと。

要は「自分をしっかり持つ」ということ。

良い意味での個人主義が必要ということではないだろうか。

2017年10月17日 (火)

他人を引きずりおろすのに必死な人/榎本博明

Photo 他人を引きずりおろすのに必死な人の手にかかると、人間関係が壊され、最悪の場合、人生を台無しにされる。恐ろしいのは、自分と仲が良くて、信頼を置いていた人が、ある日を境に突如として、豹変するケースだ。だから、人が信用できなくなる。

そもそも、なぜこれほど、他人を引きずりおろすのに必死な人が現れるのか。

ひと言で言うならば、それだけ現状に不満をもつ人が多いからだ。

頑張れば給料が上がり、生活が向上していくのを実感できる時代ではなくなった。

絶え間ない技術革新により、産業構造も人々のライフスタイルも目まぐるしく変わる。

先の読めない時代になった。

その上、国家財政も危うくなり、年金や社会福祉にも暗雲が立ちこめている。

だれもが将来への不安を抱えている。

それなのに、「一億総活躍」とか「みんなが輝く社会」などと言われるようになった。

多くの人は生活のために働いているのであって、自分が活躍するために働いているのではない。

だが「活躍」とか「輝く」とか自己愛を刺激する言葉が世の中に氾濫することにより、人々の心の中に不満が渦巻き、自分は「活躍」や「輝き」とは無縁で価値がないように思えてくる。

そこに込み上げてくるのが、他人を引きずりおろしたいという衝動だ。

他人を引きずりおろすのに必死な人たちの精神構造はいったいどうなっているのか。

認知的バランス理論からすれば、共通の敵がいると集団はまとまる。

国家が仮想敵を設定して国民の気持ちをひとつにまとめようとするのも、そうした原理に基づいている。

ママ友集団でも、悪者をつくることで一体感が醸し出されるということがある。

いわば、敵の敵は味方という心理だ。

テレビのワイドショーでもタレントや政治家のスキャンダルばかり取り上げられる。

タレントや政治家はある意味、社会で成功した人たちである。

そのような人たちを批判し引きずり降ろすことによって快感を覚える人たちが確かに存在する。

だから視聴率が取れる。

そうするとますますそのような話題ばかりを取り上げることになる。

日本の社会の特徴として、「みんな一緒」といった意識が強すぎることがあげられる。

いわば「日本的平等主義」である。

でもこんなことで一緒になってどうなるのだろう。

2017年10月16日 (月)

自助論/サミュエル・スマイルズ

Photo 歩みののろい亀でも正しい道を行けば、間違った道を走る競争相手に勝つことができる。勤勉でさえあれば、若いときの頭の良し悪しは重要ではない。

著者は、正しい目的に向かって力いっぱい努力することの大切さを訴えている。

苦労や苦しみ、屈辱から逃れることも、他者からの支援や保護に頼りきることもなく、自分自身で活路を切り開くことの重要性を訴えている。

自分自身を助けることは、突き詰めて考えれば、周囲の人を助けることにつながる。

他者からの手助けでは、結果的に成果を見出さないことが多い。

だが、自分自身による内なる助けは、例外なくその人に活力を与える。

人生における大きな成果は、たいていごく単純な手段や、何ということはないあたりまえの行いによって達成される。

ありふれた毎日でも、何事にも気を配り、義務を全うしようとする気持ちさえあれば、このうえない体験ができる機会に満ちあふれている。

すでに踏み固められたかに見える道も、誠実に働く者にとっては、まだまだ努力のしがいがあり、自己改善する余地もある。

どんな高い目標に向かって進むときでも、あたりまえの才覚こそがものを言う。

あたりまえの感覚、あたりまえの注意深さ、あたりまえの根気、あたりまえの忍耐力であり、必ずしも天賦の才能は必要としない。

偉大な人物ほど、天性の才能をあまり信じていない。

彼らは普通の成功者と同じように、あたりまえの感覚を持ち、粘り強さも持ち合わせている。

つまり、努力に勝るものはない、ということ。

そして、そのような不断の努力によって人格が磨き上げられる。

本書で言っていることはある意味で古くて新しい価値観だと思う。

2017年10月15日 (日)

探偵の探偵/松岡圭祐

Photo「なら、なぜ入学する?」
「探偵のすべてを知りたくて」
「すべてとは?」
「ぜんぶ。すべて」

主人公は笑わぬ美少女・紗崎玲奈。

笑わないのには理由がある。

それは過去、妹を悪徳探偵によって失ったという暗い過去があるから。

それが彼女が探偵を志した唯一の動機。

探偵社、スマ・リサーチの社長、須磨康臣は、彼女の希望を鑑み「対探偵課」を設ける。

ただ、一般に知られているより、探偵業は泥臭く陰湿で、殺伐とし、ときに野蛮で暴力的な業種だ。

理不尽で、誰ひとりとしてまともでなく、筋がとおらない。

その仕事の一端をこの小説を通して知ることができた。

面白く読ませていただいた。

2017年10月14日 (土)

人はなぜ不倫をするのか/亀山早苗

Photo 人類学の観点からすると、愛は4年で終わると言われています。人類学者ヘレン・フィッシャー博士が書いたベストセラー『愛はなぜ終わるのか』の中でも、「愛は4年で終わる」と書かれています。自然の中にある動物界では、オスとメスの関係は一時的なものだそうです。自然界の営みを人間にあてはめると、出産・子育てが一段落するのが4年ということなのでしょう。こうした観点で考えると、生物として不倫するのは、わかるような気がします。

最近、芸能人や政治家の不倫が度々週刊誌やテレビのワイドショーで取り上げられ、話題となっている。

特に政治家にとって不倫は死活問題につながる。

「国民の税金を使って不倫するとは」と非難轟々。

結局、「辞めてしまえ」となる。

本書は、「不倫」について女性学、昆虫学、動物行動学・・・等々、様々な分野の専門家が論じている。

例えば、一夫一妻という形をとる動物は、哺乳類で3~5パーセント程度しかいないといわれている。

哺乳類では、一対一で夫婦関係があるほうが珍しい。

人間に近い類人猿でいえば、チンパンジーは乱婚的、ゴリラは一夫多妻。

テナガザルだけが一夫一妻。

だから、一夫一妻という形態そのものに無理がある。

これが哺乳類の世界。

よって、「人はなぜ不倫をしないのかのほうが不思議」という学者もいる。

また、その前段階として、「人はなぜ結婚という守れない約束をするのか、がもっと不思議」だという。

また、動物は自分の遺伝子の全滅を防ぐために、本能的に多様な遺伝子を残そうとする。

そのための浮気は動物にとって本能で、これを倫理で語ることはできないというのである。

ただ、人間と他の動物との違いも倫理があるということも言える。

いずれにしても、「不倫」は「そこにある事実」である。

良い悪いは別にして。

2017年10月13日 (金)

デキる人は「言い回し」が凄い/日本語力向上会議

Photo 「即戦力となる学生を青田買いする」
 「即戦力となる学生を青田刈りする」
 この二つの言い方では、どちらが正しいでしょうか。
 正解は前者の「青田買い」です。

優秀な人材の確保は会社経営にとって重要な課題。

そして優秀な人材ほど早々に内定を得る。

企業が卒業見込みの学生に早い段階で内定を出すことを「青田」という言葉を使って言い表す。

その場合、「青田買い」という言葉と「青田刈り」という二種類の言葉が使われている。

どちらが正しいのかということだが、それは言葉の成り立ちを考えるとわかる。

「青田買い」とは、まだ葉が青く、実がついていない田の収穫を見越して先買いすることで、それが転じて学生の早期内定を指す言葉になったといわれている。

まだ、実をつけていない学生を、内定という形でキープし、実った頃に収穫させるという意味。

対する「青田刈り」は、稲の生育が見込めないときなどに、青いままの稲を刈り取ること。

そう考えると、まだ実のついていない青田に入社の約束を取り付けるという意味とは異なるのがわかる。

熟すことを前提に内定を出すのだから、青いまま刈り取ってしまっては意味がない。

もともとの意味を知ると、「青田買い」のほうが正しい表現だとわかる。

最近、日本語が乱れているという話しをよく聞く。

確かに間違って言葉を使っている場面をよく見かける。

表現に迷った場合、語源をよく調べて使う必要があるのだろう。

2017年10月12日 (木)

人類の未来/吉成真由美

Photo トランプの最も確かな点は、彼が不確かだということです。予測不能だ。すべての事柄について、ありとあらゆる発言をしています。彼が一体何を意味して発言しているのか、まったくわからない。本人にもわからないのでしょう。だから、彼が一体何をするのか、まったくわからない状態です。

本書は人類の未来を、ノーム・チョムスキー、レイ・カーツワイル、マーティン・ウルフ、ビャルケ・インゲルス、フリーマン・ダイソンといった世界の知性に、インタビュー形式で問うたもの。

これだけの知の巨人の語っていることを聞いても、その予測は真っ二つに分かれる。

たとえば、2029年には人工知能が人類の知性を超え、2045年までにはシンギュラリティに到達して、人類はAIと融合することによって、ほぼ無機的な存在であるポスト・ヒューマンに進化していくのだとするカーツワイル氏。

それに対して、それは単なるおとぎ話だ、AIの知能は人類のそれとは本質的に異なるし、人間の脳はそう簡単にシミュレートできるものではないとするチョムスキー氏。

地球温暖化は人類存続に関わる大問題であり、人類がその行動を早急に見直す必要があるという主流派を支持するチョムスキー氏。

それに対して、気候変動問題は人々が考えているよりもはるかに複雑で、人類が化石燃料を使用するずっと以前から、太陽の影響も少なからずあって気候は常に変動してきたのであり、炭素削減に汲々とするより、直接の被災地対策に積極的にお金を使うべきだとするダイソン氏。

テクノロジーの発達は、個人に力を与え、社会が中央集権型から脱して分散型になることによって、テロ行為に対する耐性が上がって安全性が高くなり透明度も上がるとするカーツワイル氏。

それに対して、分散型社会とはアナーキーな社会のことであって、人間の本質に反するものだ、小規模な市場なら分散化が可能であっても、もっと長期の投資を行う世界経済の場合、分散化は机上の空論だとするウルフ氏。

これからは3Dプリントされた大きなレゴブロックのようなものを積み上げることで、手軽に最新のビルが建てられるようになるとするカーツワイル氏。

それに対して、最も新しいテクノロジーが一番早く古くなるのであって、むしろ古い家が最もハイテクになりうると言うインゲルス氏。

これだけ違うのである。

つまり予測不能の時代だということ。

それを象徴するのがトランプ氏の存在だといったら言い過ぎだろうか。

2017年10月11日 (水)

一生、同じ会社で働きますか?/山崎元

Photo 転職について一番大切なアドバイスを一言にまとめると、「転職の基本は猿の枝渡りだ」ということ。

これまで12回転職したという著者なのだが、「転職の基本は猿の枝渡り」だという。

猿が枝から枝へ渡る時には、まず片手で次の枝を掴んで、それから今掴んでいる枝を離す。

転職でもこの要領が肝心だと言うのだ。

つまり、次の会社への入社を確実にしてから、現在勤めている会社に退職の意思を伝えるということ。

何といっても、仕事の内容にもよるが、仕事のキャリアに空白ができることのマイナスが大きい。

経験年数のカウントが少なくなることもあるし、実際に仕事の勘が鈍ることも少なくない。

休職期間中に勉強をしたり、資格を取ったりという程度では、たぶん十分な埋め合わせにはならない。

次に、転職する際の年収の交渉で不利になる。

通常は、前の勤務先の年収をベースに次の収入を決めることが多いのだが、会社を離れてしまうと、転職先のペースで交渉が進む。

端的に言って足下を見られるのだ。

また、無職・無収入の状態を長く続けるわけにはいかない。

当面失業保険などがあるとしても、これが切れる時期が気になり出す。

そして何よりも、焦りや精神的なプレッシャーの悪影響が無視できない。

会社を辞める時にはもっといいところに就職しようと思っていたにもかかわらず、いいところはおろか、「滑り止め」も見当たらないという状況に立った時の焦りは相当のものだ。

意地と不安の板挟みに合うケースが少なくない。

確かに、転職に失敗する人は、この基本を守っていないことが多いように感じる。

2017年10月10日 (火)

戦略思考コンプリートブック/河瀬誠

Photo “ビジネスパーソン”とは、自分で商売を見つけ出し、自分でビジネスを生み出していける人をいう。自力で課題を見つけ出し、自力で目標を設定し、自力で解決していく人だ。

かつての日本は年功序列、終身雇用という仕組みが定着していた。

年功序列は、右肩上がりの成長を続ける社会ではとても合理的な仕組みだった。

会社に居さえすれば給料もポジションも上がる制度で、社員全員のやる気を引き出すことができた。

団塊の世代までは、大きな会社に入りサラリーマンとなれば、その後の成功と幸せは保証されたも同然。

しかし、これからの日本社会でそんな甘い話は通用しない。

企業を取り巻く環境は、すでに変わってしまった。

日本はそろそろ人口減少に転じ、国内市場は頭打ちだ。

競争する中国企業は高度成長期の日本企業のように快進撃を続けている。

会社を守っていた業界秩序もグローバル化で崩れ、今の規制産業も次第にむき出しの競争にさらされる。

年功序列が崩壊したあとは、日本の企業社会も普通の資本主義の姿に立ち戻るだろう。

そうなってくると、かつてのサラリーマンは必要なくなってくる。

生き残るには戦略思考のできるビジネスパーソンになることが必要となるということであろう。

2017年10月 9日 (月)

ナショナリズム入門/植村和秀

Photo ナショナリズムという日本語は、Nationalismをカタカナ表記しただけです。つまり、日本語としての説明になっていないのです。それでは、この英語をどのように翻訳すればいいのでしょうか。おおまかに言って、国家主義、国民主義、民族主義、国粋主義などと訳せるように思います。しかし何か一つの日本語で、これらのイメージすべてを代表させることはできません。

「ナショナリズム」という言葉を目にすることが日本でも多くなった。

竹島問題をめぐる韓国のナショナリズムと日本のナショナリズム。

尖閣諸島問題をめぐる中国のナショナリズムと日本のナショナリズム。

靖国問題をめぐる日本のナショナリズム。

テレビや新聞に取り上げられ、インターネットでも語られる東アジアの大問題である。

ではナショナリズムとは何か?

ナショナリズムとは、ネイションへの肯定的なこだわりに他ならない。

ネイションがなければ、ナショナリズムはありえない。

それではネイションとはいったい何なか。

例えば「日本」は、ネイションの一例です。

中国、アメリカ、トルコ、ドイツ、インド、インドネシアなども同様。

これらは、国家のイメージ、国民のイメージ、そしてたいていは民族のイメージとも結び付く呼び名である。

一方、旧ユーゴスラビアやアラブ諸国等、複数の民族が一つの国家をつくり上げている場合もある。

ネイションというのは透明な空っぽの袋のようなもの。

ここにさまざまなものが詰め込まれて、初めてネイションには独自の色が出てくる。

そしてその入れ物とは土地である。

そして降り積もる雪のように、歴史の中でさまざまな意味が、その土地の上に付け加えられていく。

そしてその過程で様々な争いがある。

実は、ネイションをめぐる争いには、ネイションを活性化させ、今を生きる人々のこだわりを増強させる作用がある。

それがナショナリズムへとつながっていく。

大きな歴史の流れの中で、ナショナリズムがどのような役割を担うのか、しっかりと見ていく必要がある。

2017年10月 8日 (日)

ミッドナイト・ジャーナル/本城雅人

Photo 「自分のことをジャーナリストなんて呼ぶのは、なんかこっぱずかしいじゃねえか。俺にはジャーナルで十分だって言ってたよ。親父がそう言ってから、俺もジャーナルと言うことにしたんだ」

世紀の大誤報を打ち、飛ばされた3人の記者。

その7年後、児童連続誘拐事件が発生。

7年前に世紀の誤報を打った新聞記者たちが、その当時の事件と、今発生している児童連続誘拐事件との関連性を疑い取材を始める、といったストーリー。

上記抜き書きのセリフはその中の一人、関口豪太郎の語った言葉。

彼は自分のことをジャーナリストとは呼ばない。

ジャーナリストというのは、さまざまな分野のトピックス、時事問題について個人としての見解や主張を持ち、文筆によって評論、解説などを仕事とする人を言う。

一方、ジャーナルとは、新聞・雑誌などの定期刊行物のことを指す。

つまり、ジャーナリストと呼ぶと、少し大上段に構えたえらい人というイメージだが、ジャーナルというと単なる新聞屋になる。

新聞記者は紙面をとってなんぼだ。

他紙もよその部署もひれ伏すインパクトのある記事でライバルを圧倒することを目指す。

自分は高邁な理想を掲げて論評する者ではなく、事件を追い、それを記事にする、単なる新聞屋だと言っているようだ。

2017年10月 7日 (土)

他人をバカにしたがる男たち/河合薫

Photo つまり、「ジジイ」とは「自分の保身のため」だけを考えている人。組織内で権力を持ち、その権力を組織のためではなく「自分のため」に使う人です。「会社のため」「キミのため」というウソを「自分のため」につき、自己の正当化に長けている人物です。

社内的に残念な人ほど社外で偉そうに振る舞うのは、よくあること。

なぜか?

自尊心を守るためである。

65歳までの雇用が義務化され、働かないオジサンを疎ましく思っている若者は多い。

なんで使えない人たちの給料のために自分たちが酷使されるのかという不満もある。

若い世代の中高年に対するアレルギーは猛烈に強い。

やる気が失せて当たり前。

まじめにがんばってきた若者ほど腐る。

著者は、成長する人は「学びたい」という「成長する思考態度」をもっていて、逆に、成長できない人は「固定された思考態度」をもっていると述べている。

「成長する思考態度」の人は、「私の人生は、学んだり、変化したり、成長したりする、連続した過程である」と考え、「今」を成長への通過点と捉える。

一方、「固定された思考態度」の人は「今」の自分に固執する。

自分に都合の悪い批判は退け、自分をよく見せるために、他人を蹴落とすような言動をとる。

「ジジイ」とは、実年齢ことではない。

「固定された思考態度」をもっている人のこと。

このことを肝に銘じておきたい。

2017年10月 6日 (金)

スノーデン 日本への警告/エドワード・スノーデン、他

Photo 過去数十年で監視がこれほど爆発的に拡大したのは、技術的に簡単になり経済的に安くなったためです。政府からすればやらない理由がないわけです。学術的にも技術的にも難しさはなく、またほとんど無料で技術を入手できます。修士号を持っている優秀な学生であれば、今回の監視プログラムを数カ月で複製できるでしょう。


監視が高価な時代は監視対象に関する意思決定が必要だった。

特定の人物の二週間にわたる居場所をすべて把握するためには日夜の尾行が必要で、大変なコストを掛けて警察官のチームを発足させなければならなかった。

そのため政府は、十分な理由があると考える場合にのみ監視を行っていた。

しかし現在、監視システムはすべての情報を自動的に収集することができる。

たとえば、グーグルの検索ボックスに私たちが入力した単語の記録は永遠に残る。

グーグルの検索記録がなくなることはない。

私たちが、アドレスバーに入力したすべての事項はメタデータであり、携帯電話会社に保管されている。

携帯電話会社は、私たちがどのサーチエンジンを使っているのかわかる。

どういうニュースを読んだのかということも記録が残る。

どの政党に接触したのか、どの政党を支持しているのかということもわかる。

その意味ではすでに私たちは監視されているとも言える。

特に、2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロ事件により、世界は一変した。

テロの恐怖が世界を覆い、テロ対策と名がつけばあらゆる監視が許されるようになった。

もはやテロの恐怖は他人事ではなくなった。

テロを防ごうとするならば、ある程度「監視」が必要になる。

本書はそのことを否定的にとらえている。

しかし、どうなのだろう?

「安全」のためにはある程度の「監視」が必要になる。

そのためのテロ等準備罪であったはず。

要はそのバランスの問題なのではないだろうか。

2017年10月 5日 (木)

売上につながる「顧客ロイヤルティ戦略」入門/遠藤直紀、武井由紀子

Photo ロイヤルカスタマーは、「他社の誘いに決して乗らず、好んで繰り返し購入してくれ、第三者に推奨してくれる顧客」と定義できる。

顧客満足を掲げる企業は多い。

ところが、実際の現場では企業論理を顧客に押しつけ、売上のために顧客の感情を犠牲にする。

このように顧客志向がお題目に終わるのには理由がある。

その多くは、顧客志向は儲けと反比例するという誤解があること、

顧客が感じている価値は収益のように可視化できず管理が困難なこと、

そして組織全体で顧客に価値を提供する仕組みがないことである。

つまり、大事なのは顧客満足と売上が両立する指標を見つけ、それを可視化すること。

もし、企業の存在目的は顧客や社会の役に立つことだと信じているならば、「どれだけ顧客が喜び、顧客の役に立ったのか」がわかるような指標を経営指標にしなくては意味がない。

そのためには「満足」ではなく「愛着}を指標にすることが重要。

「満足」は顧客が言語化できる期待に応えることで作ることができるが、「愛着」を作るには顧客自身もわかっていないような潜在的なニーズに応え、より大きな満足や感動を提供する必要がある。

「満足」の調査は、顧客に「当社(の製品・サービス)に満足しましたか?」と尋ねる。

一方、「愛着」の調査は、顧客に「当社(の製品、サービス)を親しいご友人、ご家族におすすめする可能性はどのくらいありますか?」と尋ねる。

「当社をおすすめしますか?」と聞くことで、競合や代替との比較の観点が自然に入って、顧客の未来の行動と整合性が高まり、収益相関しやすくなる。

また、推奨する先を「友人・家族」として聞くことで、回答により重い責任が発生して回答の真実味が増す。

「満足」ではなく「愛着」

大事な視点だと思う。

2017年10月 4日 (水)

「司馬遼太郎」で学ぶ日本史/磯田道史

Photo 司馬さんの描く人物像を史実ではないと言う人がいますが、それは一面的には正しい。しかし先に述べたように、司馬さんは大局的な視点、世の中に与えた影響という点から、可能なかぎり単純化して人物評価していることを理解しなくてはなりません。司馬作品を読むときには、一定の約束事、言わば「司馬リテラシー」が必要なのです。

司馬史観という言葉がある。

司馬氏は、ただの歴史小説家ではない。

歴史をつくる歴史家だった。

歴史文学というものは大きく三つに分けられる。

ひとつは歴史小説、もうひとつが時代小説、そして、史伝文学というもの。

史実に近い順番でいうと、史伝文学、歴史小説、最後に時代小説である。

司馬氏の小説は史伝文学に近い歴史小説。

司馬氏は筋骨隆々とした英雄・豪傑ふうの人物には、あまりシンパシーを抱かない。

明智光秀や黒田官兵衛、大村益次郎といった、どちらかと言えば知的な軍師・参謀ふうの人物にビューポイントを置き、その目線から見た権力体を描くのが得意だった。

そこから司馬氏の考えるリーダー論や組織論が見えてくる。

たとえば「組織は変質する」というのは、司馬氏の重要な歴史観のひとつ。

最初は理想があるけれども、だんだん老化して、おかしなことをおこない始めるという、古今東西、あらゆる組織や人物に言えること。

時代も同じように、だんだん変質してくる。

その変質を歴史の動態、ダイナミズムとして、歴史小説の中で表現した。

なぜ当時の陸軍では、あのような不合理がまかり通ったのか。

「深く考えない」という日本的習慣はなぜ成立するのか。

明治時代の日本の軍隊は常に新しい、強力な武器をもって相手を圧倒する精神があったかもしれないのに、いつから日本は、不合理がまかり通る国になってしまったのか。

これらの問いこそが、司馬氏の創作活動の原点だった。

そんな目をもって司馬氏の小説を読むと、また違った気づきが得られるのではないだろうか。

2017年10月 3日 (火)

パワー・クエスチョン/ジェロルド・パナス、アンドリュー・ソーベル

Photo 「発言したり、質問したりしたら、あとは黙っていることだ」

質問することは重要だ。

質問しなければ相手が何を考えているのか、何を欲しているのかわからない。

相手のニーズがわからないまま提案すること、これほど無駄なことはない。

例えば、相手に仕事の目的意識や誇りを取り戻させたいときはこう質問するとよい。

「あなたはなぜ今の仕事をしているのですか?」

すると相手は考える。

ここで重要なのか、質問の後、黙るということ。

質問の上手い下手はここで決まる。

質問の下手な人は、沈黙を怖がる。

それに耐えられず、矢継ぎ早、質問する。

相手は質問攻めにあい、嫌になる。

このパターンを繰り返す。

質問の上手い人は沈黙を怖れない。

相手が質問の答えを探そうと考えているとき、黙って待つ。

これができるかどうか、質問における重要なのかポイントだと思う。

2017年10月 2日 (月)

プロフェッショナル原論/波頭亮

Photo プロフェッショナルの本質とは、実はプロフェッショナルという言葉自体に隠されている。プロフェッショナル「professional」という言葉は、「profess」という「宣誓」を意味する言葉から来ている。つまりプロフェッショナルとは、その職業に就くのに際して神に誓いを立てなければならないほどの厳しい職業なのである。
 何を神に誓うのかと言うと、社会に貢献し公益に寄与することを目的として働くこと、そしてその目的を果すために定められているプロフェッショナルの掟を守ることである。

プロフェッショナルとは何か?

多くの人はアマとの対比でとらえている面がある。

つまり、スポーツの世界にあるように、お金をもらわないのがアマ、お金をもらわないのがプロだと。

しかし、本来はむしろ精神性や専門性を表す言葉である。

プロフェッショナルという概念は紀元前五世紀に古代ギリシアで成立した。

「ヒポクラテスの誓い」という医者の心得を打ち立て、「医学の父」と称されるヒポクラテスがさしずめプロフェッショナル第一号というところであろう。

プロフェッショナルとは、一言で表すならば、「高度な知識と技術によってクライアントの依頼事項を適えるインディペンデントな職業」と定義することができる。

まず、通常一般の人では全く及ばない水準の、長年の修練によってようやく身につけることができるような高度で専門的な知識や技術でなければならない。

こうした極めて高度な職能を有していることがプロフェッショナルの第一の要件である。

次に、プロフェッショナルの仕事は、特定のクライアントからの特定の依頼事項を解決してあげるという形式をとる。

通常のビジネスのように財やサービスを不特定多数の人々に無差別に提供するのではない。

特定の問題を抱えた特定の人からの依頼に基づいて仕事が成立し、その問題を解決してあげるのがプロフェッショナルの仕事である。

最後に、プロフェッショナルはインディペンデント、即ち職業人として独立した身分である。

プロフェッショナルは仕事においては、誰の命令も受けないし、誰にも管理されない。

つまり、正当なプロフェッショナルであるためには、世のため人のため、即ち公益に寄与することを唯一の動機として働かなければならないのである。

こう考えると、到底プロフェッショナルといえない人が、自らをプロフェッショナルだと言っているケースが多いのではないだろうか。

2017年10月 1日 (日)

仕掛学/松村真宏

Photo オランダのスキポール空港のトイレには「ハエ」の的がついており、飛散が80%減少したと報告されている[Thaler and Sunstein 2008]。
 この事例がトイレに的をつけることの発端になったといわれている。

多くの人は望ましい行動をすでに知っている。

運動不足や塩分の多い食べ物が体に良くないことを知らない人はいない。

しかし運動しなくても塩分を摂取してもすぐに体に悪影響が出るわけではないので、頭では理解していても楽をしたいとか食べたいといった目先の欲求にはなかなか勝てない。

このとき「したほうが良い」と直接伝えても効果がないことは明らか。

そうではなく、「ついしたくなる」ように間接的に伝えて結果的に問題を解決することを狙うのが仕掛けによるアプローチになる。

無理やり行動を変えさせようとするのではなく、つい行動を変えたくなるように仕向けるのである。

たとえば、上記抜き書きの男子小便器のハエの的は、「つい狙いたくなる」という心理をうまく利用している。

的は飛散が最小になる場所に貼られているので、的を狙うことによって知らず知らずのうちにトイレを綺麗に使うことに貢献することになる。

「トイレは綺麗に使いましょう」という張り紙はよく見かけるけれど、それを見ても綺麗に使おうという気にはならない。

そんな張り紙をしなくても、さりげなく的のシールを貼るほうがずっと効果的なのである。 

人の行動を変えるには、そうしたくなるような「仕掛け」を作ること。

直感的に注意を引くためには、人が何に対して興味を抱くか。

そんな人間の心理に根差した仕掛けによるアプローチ。

重要な視点だと思う。

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