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2018年2月 4日 (日)

朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実/崔吉城

Photo この日記には慰安婦の募集の過程が書かれておらず、強制連行、軍が業者に強制して連れて行った、などということには、一切触れていない。この日記からは、それは読み取れないのである。だから、この日記をもとにした「戦時動員の一環として組織的に強制連行を行った」という主張は、早過ぎる結論である。

本書は、いわゆる嫌韓、反韓の書ではない。

慰安所の帳場人の日記という資料を読み解くことを通し、事実は何なのかという点を極めて中立的に論じている。

慰安所の帳場人、朴氏は、1922年から1957年までの三六年間にわたって、ほぼ一日も欠かさず日記をつけてきた。

帳場人日記を書いた朴氏が生きた時代には、親日と反日という、二項対立的な言説は存在しなかった。

特にこの日記は、交戦地域を含めた戦地において書かれたものであり、彼には「植民地」という意識もなかったようである。

彼は占領地の稼業地で働いただけであり、植民や被植民を意識せず、あるいはそれを超えた、人間そのもののような自然な人であった。

本当に誰かを慰安する心を持っていた。

死傷者への対応、怪我人への介護など、配慮深い人柄の人であった。

朴氏は慰安所というものを、国家のために戦う戦士たちを慰安する、国策の「慰安業」だと思っていたようだ。

それは当時の軍政の政策でもあり、単なる「遊郭」とは考えてはいなかったようである。

ただ、意識の上ではこのように、「慰安」と思われながらも、慰安所は、実際には売春宿のようなものであった。

なにより彼らは「営業」をしていたのである。

朴氏たちは「営業者」や「管理人」などと言われ、「慰安婦」は「従業婦」などと言われた。

ただし、日本の伝統的な遊郭と全く同様のものでもなかった。

ある韓国人女性は、「慰安婦は、軍人として軍服を着て、部隊の中で奴隷生活をしながら、兵士の性的相手になっていた」と言った。

本当にそうだったのだろうか。

この朴氏の日記を読む限り、慰安所が軍の内部にあったとは、とうてい思えない。

ただ、この日記に限って読んだとしても、「軍がまったく関与しなかった」と言えないのは確かだ。

軍と慰安所は密接な関係であった。

軍がコンドームを配ったりしていて、そうした衛生管理という点では、軍が関与していたと言える。

だが、基本的には軍政下である。

軍が地域全体の治安などを担当していた。

当然、そこに行くための入国許可証など、いろいろなものが必要である

そうした意味でも、一般人と軍との協力関係があったのではないかと思われる。

慰安婦問題の発端は、1991年12月9日、日本での金学順氏の告白に始まった。

さらに文玉珠氏などが元慰安婦であったと名乗り出て、こうした問題を訴えるようになった。

二人ともキーセンの経歴がある人物であり、日本の人権運動家やフェミニズム運動家の支援により、半信半疑でありながら、韓国人のナショナリズムによって、民族的に英雄化されていった。

それをさらに韓国メディアがクローズアップすることによって、問題は大きく膨らんでいった。

つまり元は日本発の問題なのである。

この問題、政治問題化している限り、真実は見えなくなってしまうのではないだろうか。

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