織田信長の外交/谷口克広
彼の行動を追って特に感じることは、彼がこの時代には珍しいほどの合理主義者だったことである。この合理主義こそが、信長をして全国統一へ向けた原動力になったと考えてよいだろう。
信長外交の特質を抽出すると次の通りである。
第1に、ずっと、遠交近攻策を貫いていること。
武田信玄とは最後、衝突する形になるとき、信長はそれに応じて上杉謙信との関係を深めようとする。
謙信との間に危機が訪れると、さらに遠方の伊達氏に働きかけている。
一方、西方では次第に毛利氏との関係がこじれて、ついに衝突に至るが、これに対しては九州の大友氏と結んで対処しようとしている。
第2に、縁組政策を多用していること。
有名なケースは、妹お市と浅井長政、娘五徳と徳川家康の長男竹千代の政略結婚を成立させたケースである。
第3に、基本的に、相手を信じず、 権謀術数を用いることが多いこと。
戦国時代、基本的に相手を信じなかったのは、信長ばかりではない。
しかし、信長ほど猜疑心の強い男は少なかったのではなかろうか。
その猜疑心は、外交の時の権謀術数となって表われている。
初期の活動から例を挙げると、弟信勝との度重なる争いの時、けっして強引な態度を取らずに味方を固めたこと、
美濃攻めの最中に武田氏・上杉氏と同時に懇意にしていることなど、
周囲の情勢をしっかりととらえた外交姿勢と言える。
第4に、利用できると判断した者を要所に用いていること。
信長と言えば、能力主義と言われる。
秀吉をはじめ、能力さえあればどんどん引き上げたのは確かである。
だから、いったん力を失った者でも、信長に利用価値を認められて復活した例がかなりある。
何れにしても、信長ほど合理的に物事を考えた武将はいなかったのではないだろうか。
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