知られざる「吉田松陰伝」/よしだみどり
江戸末期、松陰の夢は、日本が外国からの 辱めを受けない立派な国になることだった。世界からみて恥ずかしくない日本人であること、それが彼の理想であった。
上記はスティーヴンスン著『ヨシダ・トラジロウ』の一節。
当時、日本国内には吉田松陰の伝説は存在しなかった。
にもかかわらず、イギリス人のスティーヴンスンが「松陰伝」を書いているのである。
世界初の「松陰伝」ということになる。
スティーヴンスンと言えば『宝島』『ジギルとハイド』の著者として有名である。
その彼がどうして吉田松陰のことを知っているのか。
その謎を解くために著者は謎解きの旅を続ける。
そこで分かったことは松陰から教育を受けた正木退蔵とスティーヴンスンとはあることがきっかけで交流があったということ。
そして退蔵から吉田松陰の話を聞かされたスティーヴンスンは感動し『ヨシダ・トラジロウ』を著したというのである。
正木退蔵が、松陰に初めて会ったのは安政五年(1858年)のことで、退蔵が13歳の時のことであった。
それは松陰が、松下村塾での最後の教育をしている時期であり、まもなく彼の再入獄によって、松陰による松下村塾は終わりを告げる。
もっとも感じやすい年ごろに、ほんの数カ月というわずかな期間、彼が松陰から受けた教育は机上の学習だけではなく、実際にすぐに社会の役に立つ人間となるために自己を教育するという実学の思想であった。
正木退蔵は、その教えを深く胸に刻みつけてその後の人生で実践した。
そして退蔵を通してスティーヴンスンは松陰という人物を知る。
文豪スティーヴンスンと松陰が、偶然とはいえ、このようにして結び付いたということは、まさに運命的な出会いであった。
松陰の生き方はスティーヴンスンの生き方にも影響を与える。
松陰の魂・スピリットは、彼が生前のぞんでいたように、日本という小さな国を越えて、地球の反対側に飛んでいってしまったのである。
不思議な出会いを感じる。
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