「とにかく優位に立ちたい人」を軽くかわすコツ/石原加受子
他者中心の人は、他者との優劣や強弱の競争に勝つために、他者への「支配」を目指します。
一方で、自分中心の人は、お互いを認め合う「自由」を目指します。
お互いの「自由」が保証されてこそ、私たちに本来備わっている欲求は、建設的、発展的、希望的なものへと発揮されていくのです。
自分中心というと、エゴイズムと結びつくようで、何か悪いことのように考えてしまう。
しかし、著者がここで言う「自分中心」とは、「自分の感情や、気持ち、欲求」を優先するという捉え方のこと。
人生の基盤とするべきものは、自分自身。
私たちは、本質的に「自分を大事にしたい」という欲求をもっている。
また、愛し合いたい、協力し合いたい、相手に尽くしたいという欲求も、根源的な能力として備えている。
また、その満足感や喜びや幸福感も知っている。
自分の心を無視してまで、他者のために尽くそうとしなくても、自分を大事にしていけば、自然と、他者も大事にしたいという欲求につながっていく。
ただ、そんな能力を発揮し満たすには、互いを「認め合う」ことが前提となる。
それは「お互いの〝自由〟を認め合う」ということ。
これが自分中心の基本を成すもの。
他方で、「他者中心」とは、自分ではなく、社会の規範やルールや規則、一般常識といった、外側の基準を自分の判断基準とする生き方。
本来、自分が判断して選択するはずの基準を、自分ではなく、自分以外の外側に置いている。
こうした人は、自分の行動や考えが他者の基準にそぐわなければ、自分の気持ちや感情や欲求は後回しで、必死になって他者に合わせる。
自分を認めるためには「他者と比較する」ことが必要で、常に他者との間で自分の優劣や強弱を競うようになる。
そして、こうした絶え間ない他者との競い合いの中で、他者への支配性がだんだんと強化されていく。
これが優位に立ちたい人に特有の、まさに他者中心の生き方の典型なのだという。
優位に立ちたい人は、もともと「自分は劣っている」という思いを持っているため、そこを他人から指摘されることを極度に恐れている。
その恐れから、指摘される前に攻撃を仕掛けてしまう。
そして、そこで自分の発した言葉によってさらに劣等感を刺激され、傷を深めていく。
自分を劣っていると認めたくない、それでも優位に立ちたい、という人は、相手を自分の下に引きずり落とすしかなくなる。
優位に立ちたい人は、相手の劣っているところを探しては、相手のことを心の中で貶めたり、「絶対に許せない」と憤ったりして、争う気持ちをエスカレートさせていくことが多い。
他者中心の人たちの人生を支配しているのは、「しなければならない」という意識。
そこには、人間が本来有している自分の気持ち、感情、欲求というものが、すっぽりと抜け落ちている。
このような心のメカニズムをしっかりと頭に入れ、自分自身は自分中心の生き方をすること。
これが大事だということではないだろうか。
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