イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北/内藤正典
中東に暮らす人々にとって、今日も続くほとんどの民族問題、宗教・宗派問題の原点は、このサイクス=ピコ協定による線引きとシオニストにパレスチナを与えてしまうことになるバルフォア宣言(一九一七年) にあるのです。
中東で起こっている問題は、私たち日本人にとって理解できないことが多い。
また、どこか遠い国で起こっていることとして、いまいち関心が薄い。
しかし、「世界の火薬庫」と呼ばれるこの地域の紛争にはもっと関心を向ける必要があるのだろう。
特に今も世界中でテロをひき起こしているISの存在はしっかりと知っておく必要がある。
ISはISISもしくはISILと呼ばれていた。
前者は「Islamic State of Iraq and Syria」(イラクとシリアのイスラム国)、後者は「Islamic State in Iraq and the Levant」(イラクとレバントのイスラム国)の略。
レバントはレバノン、シリア、ヨルダンなど、地中海東部沿岸の一帯を表す地名。
第一次世界大戦後、レバント一帯の国境はがらりと変化する。
今のシリアは、フランスの委任統治領、イラクはイギリスの委任統治領だった。
これらの国境は、1916年、サイクス=ピコ協定によって引かれたもの。
第一次世界大戦中、大戦後の中東分割案として、イギリスのマーク・サイクスと、フランスのフランソワ・ジョルジュ・ピコとの間で、シリア・イラク・ヨルダン・パレスチナを通るほぼ現状の国境線を、両国の利害をもとに線引きした。
ヨルダンとイラクの間の国境は、直線で分断されている。
こういう乱暴な線はだいたいが当事者ではなく第三者が勝手に引いたものだから。
このようにイギリスとフランスが利害関係をもとにして作った国境線のため、民族や宗派の分布は関係ない。
クルド人は、トルコ、シリア、イラク、イランにまたがって分断され、独自の国を持つことができなかった。
中東問題の原点は、このサイクス=ピコ協定にある。
そしてもう一つはバルフォア宣言。
バルフォアというのは当時のイギリス外相。
短いこの宣言はシオニストに宛てられたもので、イギリスは、ユダヤ人がパレスチナに「民族的郷土」を造るなら惜しみなく援助を与えると約束した文書。
さらにイギリスは、アラビア半島メッカの太守だったフセインとの間にも、フセイン・マクマホン往復書簡を交わしていて、アラブ人の国を造ることに協力するかのような姿勢を見せていた。
これらがイギリスの三枚舌外交と呼ばれるもの。
第一次世界大戦のころ、英仏によって仕組まれた構造が、今日に至る中東の紛争の原因となっていることは否定できない。
そして、ISもまた、この構造そのものに異を唱えて現れた。
つまり、今の中東で起こっている紛争の原因はイギリスとフランスが作ったということはしっかりと押さえておく必要がある。
イギリスもフランスも、中東を分割支配したこと、植民地支配をしたこと、その結果としてどれだけの血が流されたかについて、今もって謝罪したことはない。
これは重大な歴史の否認といわざるを得ないのではないだろうか。