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2018年11月の30件の記事

2018年11月30日 (金)

イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北/内藤正典

Photo 中東に暮らす人々にとって、今日も続くほとんどの民族問題、宗教・宗派問題の原点は、このサイクス=ピコ協定による線引きとシオニストにパレスチナを与えてしまうことになるバルフォア宣言(一九一七年) にあるのです。

中東で起こっている問題は、私たち日本人にとって理解できないことが多い。

また、どこか遠い国で起こっていることとして、いまいち関心が薄い。

しかし、「世界の火薬庫」と呼ばれるこの地域の紛争にはもっと関心を向ける必要があるのだろう。

特に今も世界中でテロをひき起こしているISの存在はしっかりと知っておく必要がある。

ISはISISもしくはISILと呼ばれていた。

前者は「Islamic State of Iraq and Syria」(イラクとシリアのイスラム国)、後者は「Islamic State in Iraq and the Levant」(イラクとレバントのイスラム国)の略。

レバントはレバノン、シリア、ヨルダンなど、地中海東部沿岸の一帯を表す地名。

第一次世界大戦後、レバント一帯の国境はがらりと変化する。

今のシリアは、フランスの委任統治領、イラクはイギリスの委任統治領だった。

これらの国境は、1916年、サイクス=ピコ協定によって引かれたもの。

第一次世界大戦中、大戦後の中東分割案として、イギリスのマーク・サイクスと、フランスのフランソワ・ジョルジュ・ピコとの間で、シリア・イラク・ヨルダン・パレスチナを通るほぼ現状の国境線を、両国の利害をもとに線引きした。

ヨルダンとイラクの間の国境は、直線で分断されている。

こういう乱暴な線はだいたいが当事者ではなく第三者が勝手に引いたものだから。

このようにイギリスとフランスが利害関係をもとにして作った国境線のため、民族や宗派の分布は関係ない。

クルド人は、トルコ、シリア、イラク、イランにまたがって分断され、独自の国を持つことができなかった。

中東問題の原点は、このサイクス=ピコ協定にある。

そしてもう一つはバルフォア宣言。

バルフォアというのは当時のイギリス外相。

短いこの宣言はシオニストに宛てられたもので、イギリスは、ユダヤ人がパレスチナに「民族的郷土」を造るなら惜しみなく援助を与えると約束した文書。

さらにイギリスは、アラビア半島メッカの太守だったフセインとの間にも、フセイン・マクマホン往復書簡を交わしていて、アラブ人の国を造ることに協力するかのような姿勢を見せていた。

これらがイギリスの三枚舌外交と呼ばれるもの。

第一次世界大戦のころ、英仏によって仕組まれた構造が、今日に至る中東の紛争の原因となっていることは否定できない。

そして、ISもまた、この構造そのものに異を唱えて現れた。

つまり、今の中東で起こっている紛争の原因はイギリスとフランスが作ったということはしっかりと押さえておく必要がある。

イギリスもフランスも、中東を分割支配したこと、植民地支配をしたこと、その結果としてどれだけの血が流されたかについて、今もって謝罪したことはない。

これは重大な歴史の否認といわざるを得ないのではないだろうか。

2018年11月29日 (木)

ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学/入山章栄

Photo 世界の経営学では、「性別・国籍などを多様化することは、組織のパフォーマンス向上によい影響を及ぼさないばかりか、マイナスの影響を与えることもある」という研究結果が得られているのです。

最近、「ダイバーシティー経営」という言葉がよく聞かれる。

ダイバーシティーとは「人の多様性」のこと。

ダイバーシティー経営とは「女性・外国人などを積極的に登用することで、組織の活性化・企業価値の向上を図る」という意味で使われるようだ。

実際、女性・外国人を積極的に登用する企業はいま注目されているし、日本政府もこの風潮を後押ししているようだ。

また、ダイバーシティー経営を取り入れている企業は先進的で、そうでない企業は遅れているという風潮がある。

ところが、ダイバーシティーは経営にマイナスだという研究結果があるという。

実はダイバーシティーには2つの種類がある。

その2つとは「タスク型の人材多様性」と「デモグラフィー型の人材多様性」。

「タスク型の人材多様性」とは、実際の業務に必要な「能力・経験」の多様性のこと。

例えば「その組織のメンバーがいかに多様な教育バックグラウンド、多様な職歴、多様な経験を持っているか」などがそれに当たる。

他方、「デモグラフィー型の人材多様性」とは、性別、国籍、年齢など、その人の「目に見える属性」についての多様性のこと。

私たちが一般的に使っているダイバーシティーは後者のことを指すことが多い。

そして近年の経営学では、この2つの多様性が、組織パフォーマンスに異なる影響を与えることが分かっているのというのである。

第1に、「タスク型の人材多様性は、組織パフォーマンスにプラスの効果をもたらす」という結果。

第2に、「デモグラフィー型の人材多様性」については、「組織パフォーマンスには影響を及ぼさない」という結果。

さらに「むしろ組織にマイナスの効果をもたらす」という結果になった。

つまり、組織に重要なダイバーシティーとはあくまで「タスク型の人材多様性」のことであり、性別・国籍・年齢などの多様性は組織に何の影響も及ぼさないどころか、場合によってはマイナスの影響を及ぼすこともあり得る、ということである。

ダイバーシティーを、世の中の流れだということで無批判に受け入れるのではなく、その内容をしっかりと考えた上で、経営に生かすことが必要ということではないだろうか。

2018年11月28日 (水)

決断の本質/マイケル・A・ロベルト

Photo リーダーにとって極めて重要な課題は、戦略的意思決定をする際に強権を発動して指示を与えるべきかどうかではなく、その意思決定プロセスにおいて どのように 影響力と支配力を行使するかである。  

本書の著者は、リーダーにとって重要なことは、どんな決断を下すかではなく、どうやって 決断を下すか、その意思決定のプロセスを決め、自制心をもって運営することであると説く。

つまり、偉大なリーダーの「決断の本質」とは、その決断の「内容」ではない。

はじめから自分の答えを押しとおすのではなく、同僚や専門家から多様な意見を引き出すための「プロセス」を準備する。

そして、さまざまな技術・手法を用いながら、最後の決断に至るまでの過程を正しく運営することというのである。

つまり、リーダーは自分の意思決定の有効性を判断するのに結果を待つ必要はないということである。

結果を待つのではなく、重大な選択をするために用いているプロセスを綿密に検討すべきというのである。

確かに「あの時の決断は間違っていた」と結果が出てから、決断したことを批判することは誰にでもできる。

しかし、それはあくまでも結果論。

未来は誰にも分らない。

とするならば、決断をするまでのプロセスをきちんと準備し、コントロールすること。

これがリーダーの務めだというのは納得できる。

そして、プロセスの質が高ければ、実行後の成果がプラスになる可能性も高いということであろう。

2018年11月27日 (火)

QUEST/池田貴将

Quest 私たちの行動は「意思のモード」「反応のモード」「惰性のモード」に分かれています。

決めたことが続けられないのは意思が弱いからだと考える人が多い。

しかし、実際には私たちの行動は、私たちの行動は、3つのモードに分かれているという。

行動を起こすたびに、「自分で選んだことをやっている」(意思のモード)、「まわりの出来事に対応している」(反応のモード)、「思考を止めて習慣に流れている」(惰性のモード)、いずれかのモードを選んでいるというのである。

「意思のモード」は、自分がやろうと思ったことをやっている状態。

予定に書かれたことを実行したり、自分で考えたとおりに動いたり、方針に基づいて行動したりしている状態。

「反応のモード」は、まわりからの刺激に影響を受け、反応している状態。

頼まれたことをすぐにやったり、相談や質問に答えたり、メールの返信をしたりしている状態。

「惰性のモード」は、刺激に流され、時間を潰している状態。

雑談、スマートフォンいじり、ネットサーフィン、買い物などを「無意思」に続けている状態。

一日のうち、自分はどのモードでいる時間が長いか。

その差によって、仕事の進捗度、クオリティ、こなせる数はもちろん、一日が終わったときの充実感や疲労感、自己肯定感も変わってくるという。

「意思のモード」にいるのは、自分一人の世界でのこと。

自分の心の世界と、現実の行動をいったりきたりしている。

かといって、自分だけの世界に閉じこもりっぱなしではいけない。

他の人とどうやって気持ちの良い仕事のやり取りができるか、「反応のモード」との切り替えがうまくできるのも、意思の強さ。

考えることに疲れたり、次の選択肢を見失えば「惰性のモード」に入りやすくなる。

ゼロにすることは難しいので、むしろどうすればうまく「意思のモード」に戻せるのかがポイントになる。

注意したいのは、指令を出す自分と、実行する自分は「違う思考」だということ。

やろうと決めるのは自分、実際に動くのは、もう一人の自分。

まずは「もう一人の自分」と向き合うこと。

そこから少しずつ「意思」を磨いていくことが必要ということ。

意思を強くしたいと考えている人が、一番注意しなければならないのは、「自分の意思を信用」してしまうこと。

意思を強くしたいのなら、まず、自分の意思を疑うことから始める必要があるということではないだろうか。

2018年11月26日 (月)

スモール・リーダーシップ/和智右桂

Photo 本書を貫く最大のテーマは、「言葉にして共有すること」です。

今求められているリーダーは「俺についてこい」という支配型リーダーではない。

ゴールについて共有しつつ、メンバーの多様性を尊重し、コミュニケーションを通じて全員の意思を統一しながら進んでいくようなリーダーシップが求められている。

こうした、チームと共に歩むリーダー像は、「サーバントリーダー」という呼び名で、ロバート・K・グリーンリーフによって提唱された。

リーダーの最大の務めは、実は自分がいなくてもチームが機能するようになること。

ではチームから自分がいなくなっても大丈夫なようにするために何が必要なのか。

それは、自分がやっていることを言葉にすること。

これは自分の中にある暗黙知を形式知に変えていくことだといえる。

これは無意識にできることではない。

自分が無意識に行っていることを意識化し、さらに言葉にしていく努力を継続していかなければならない。

では何を共有するのか。

共有するのは、目的、目標、課題、解決策である。

①目的の共有

「そもそも、やりたかったことはこうです」

②方向性の共有

「これについてはこういう方針でこう進めています」

③課題の共有

「今この問題に行き当たり、それについてはこう解決しようとしています」

④解決策の共有

「しかし、その問題解決の方法にはこういう問題もあり、その問題についてはこう考えようと思います」

これらが共有できたとき、チームは自律的に動き出す。

リーダーとは、目標を示し、それを達成するための作戦を立て、そこに向かってメンバーを動かしていく人である。

そのためにリーダーは自分の言葉を持たねばならないということではないだろうか。

2018年11月25日 (日)

日韓 悲劇の深層/西尾幹二、呉善花

Photo西尾
 小中学校では、日本統治時代について、具体的にはどのようなことを教えられたんですか?


 強く印象に残っているのは、「収奪」「残虐」「過酷」といった言葉です。今でもはっきり覚えているのは、日本人は独立運動をした韓国人を多数虐殺した、韓国人の土地を日本人のものにし、韓国人が作ったお米のほとんどを収奪した、ということです。
 とにかく日本人は韓国のすべてを奪ったと教えます。土地を奪った、富を奪った、言語を奪った、姓を奪った、文化を奪った、伝統を奪った、人間の尊厳を奪った……。そして民族を蹂躙した、奴隷のように扱った、日本語を押しつけた、日本の神を尊重させた、天皇を尊敬するよう強制した、などですね。ようするに日本は、わが民族を抹殺しようとしたのだと、そういう教えでした。

今、日本と韓国が徴用工問題で揉めている。

1965年の日韓国交正常化で解決した問題を蒸し返した形なので、日本としては到底受け入れられない判決なのだが、韓国の世論は違うようだ。

どうしてこんなことが繰り返させられるのか。

その原因の一つに韓国の学校教育にあるようだ。

呉氏が述べているように、日本のしたことはすべて悪いと教える。

戦後日本が韓国に対して行なってきた経済援助には、1965年日韓国交正常化による経済協力金、

1990年まで続けられたODA援助、

1983年の特別協力金、

1997年通貨危機の際の資金拠出、

2002二年日韓ワールドカップスタジアムの建設費、

2006年のウォン高救済基金、

2008年リーマンショック時の通貨スワップ基金、

などがある。

これらの日本の援助に対して、韓国が日本に公式に感謝を表明したことは一度もない。

韓国のマスコミもこのことは報じないし、学校でも教えられない。

その結果が世論に反映させられる。

だから国と国との約束はことごとく反故にされる。

個人的にはこの国とは少し距離を置いたほうが良いような気がするのだがどうだろう。

2018年11月24日 (土)

元気スタッフの育て方/清水とみか

Photo ゴールデンルールとプラチナルールについて、ご存知ですか?
 ゴールデンルールは、「自分がされて嬉しいことをしましょう」というものです。相手のことをよく知らないうちは、何をしたら相手が喜んでくれるのかは経験値がないのでわかりません。だからまず、自分がされて嬉しいことをして差し上げる。さらに言えば、少なくとも「自分がされて不愉快だと思う態度は絶対にしない」ということです。
 ゴールデンルールから一歩進んで、相手のことを少しでも知っていれば「こうしたらいいだろう」「こんなふうにしたら相手がニコッと笑ってくれたから、次もこうしよう」など、過去の経験と将来に向かって想像力を働かせ、「相手がされて嬉しいと思うことをやって差し上げましょう」というのがプラチナルールです。  

私たちはよく、「自分がしてもらいたいことを人にもしてあげましょう」とか、「自分がしてもらいたくないことは人にしないようにしましょう」という。

恐らくこれはここでいう「ゴールデンルール」と呼ばれるものであろう。

この考え方、基本的に間違ってはいないのだが、時々それがうまくいかないことがある。

「自分がしてもらいたいことを相手にしてあげたのに、相手は全然喜んでくれなかった」ということが往々にして起こる。

場合によっては「自分がしてもらいたいことを相手にしてあげたら相手は怒りだした」ということもある。

どうしてこんなことが起こるのか。

それはこのゴールデンルールは「相手と自分とは同じ価値観や考え方、感受性を持っている」という前提の上に成り立っているからである。

そうすると、プラチナルールの上に立った言動が必要になる。

つまり個別対応が必要になるということ。

まずはゴールデンルールを身に着け、次にプラチナルールの上に立った対人対応力を身につけることが必要になってくるということではないだろうか。

2018年11月23日 (金)

情報立国・日本の戦争/山崎文明

Photo 彼は、「詳細は話せない」といいながら意外なヒントを話してくれた。「あなたは映画のダイ・ハード4・0を見たことがありますか。それを観れば、私たちが想定するサイバー攻撃が理解できるはずですよ」

上記は、著者がアメリカ軍隊で実際にサイバー戦争が起こった時、実際に指揮にあたる将校に問いかけたときに返ってきた言葉。

2007年に公開された『ダイ・ハード4・0』は、ハリウッドの人気俳優ブルース・ウィリス主演の人気アクション映画のシリーズ四作目に当たる。

四作目は、アメリカのジャーナリスト、インタビュアーのジョン・カーリンが1997年に発表した記事、「フェアウェル・トゥ・アームズ(武器よさらば)」が元ネタだ。

映画ダイ・ハード4・0には、アメリカ合衆国の乗っ取りを企む不敵なテロリストたちが登場する。

彼らは、交通、放送、電気・ガスなど重要インフラを標的に大規模なサイバー攻撃を仕掛ける。

テログループのリーダーは元ペンタゴンのチーフ・プログラマーであり、米国のインフラの仕組みを知り尽くしている、という設定だ。

映画としては面白く見れるのだが、それが実際に起こるとしたらゾッとする。

戦争とは、何も血を流し合ったり、殺し合ったりするだけではない。

水面下でじわじわ進行し、気づいたときには国が傾いている、という「見えない戦争」もある。

国家レベルでサイバー攻撃が激しく応酬される「サイバー戦争」がそれだ。

それは、人類が初めて直面する新しい形態の戦争である。

「見えない戦争」だけに、実感を持ちにくいのだろうが、日本はこれに対する対策が決定的に遅れているという。

一刻も早い、国レベルでの対策が求められているということであろう。

2018年11月22日 (木)

成功する男はみな、非情である。/いつか

Photo 「速く動く。間違えるとしても、動きが遅すぎたためのものより、速すぎたためのものがいい」

成功する人の特徴として、スピード感がある。

十分な分析と準備をして一歩を踏み出すと、どうしても遅くなる。

それよりも、不十分な状態であってもスタートする。

もちろんそれによって失敗することもある。

しかし、早く失敗すれば、早く修正することができる。

経験値は高くなる。

また、失敗を生かすことができる。

そもそもやることなす事全て成功する人などいない。

10回の試みをして1回成功すれば上出来だ。

そして、この1回の成功によって、他と差別化することができる。

特に今のような変化の激しい時代においては、なおさらスピード感が重要であろう。

2018年11月21日 (水)

手ぶらで生きる。/ミニマリストしぶ

Photo 僕には「 いらないものリスト」がある。
 見栄、我慢、恩、がんばること、他人をコントロールすること、他人の常識、ストック、貯金、高過ぎる固定費、惰性の付き合い、収納のための収納、柄物、無益な情報、大きい家、マイカー、タバコ、バスタオル、プリンター……。

著者は家具や家電がほぼない4畳半の部屋に、家賃2万円で暮らしている。

月の生活費は7万円。

財布は持たない。

服と靴は毎日同じ。

食べるのは1日に1食。

これで何不自由なく生活できるという。

確かに、生活に最低限必要なものだけを残せば、そのようになるだろう。

スマホ一つあれば、情報は手に入る。

確かにテレビなどは必要ないだろう。

コンビニは冷蔵庫の代わりになる。

見栄とか体裁とか世間体とか、このようなものを捨ててしまえば、もっと自由に生きられるのかもしれない。

今は様々な生き方が可能な時代である。

会社で働くことだけが生活の糧を得る手段ではない。

著者のようなブロガーという生き方もあるのだろう。

生きるための選択肢が増えたという点では、今はいい時代なのではないだろうか。

2018年11月20日 (火)

知っておきたい日本人のアイデンティティ/瓜生中

Photo 日本人は古くから外来の文化を取り入れ、それを巧みにアレンジして独自の文化として活用してきた。このような、いわばアレンジ文化の典型の一つにカレーうどんを挙げることができるだろう。そして、こういったアレンジ文化はわれわれの日常生活の中にいくらでも見ることができる。

日本は古くから極東と呼ばれてきた。

東の極み、つまり、「汐溜まり」である。

われわれの祖先は「汐溜まり」という地理的条件を最大限に利用して独自の文化を築いてきた。

日本の食文化にはそれがよく表れている。

例えば、カレーうどん。

カレーうどんという食べ物は明治のはじめに考案され、その後、瞬く間に普及し、今ではすっかり日本の国民的な定番メニューになっている。

それにしても、このカレーうどんという食べ物、かなり奇妙奇天烈な食べ物である。

言うまでもなく、カレーはインドが発祥の地で、明治の初年に日本に伝えられた。

いっぽう、うどんは中国に起源を持つ食べ物で、おそらく鎌倉時代ぐらいに禅宗の僧侶の間で普及し、一般にも食されるようになったものと考えられる。

このように出身国も異なり、およそマッチしない食べ物が日本で出会ってカレーうどんという、それまで誰も想像しなかった新たな料理になった。

カレーうどんは明治の初年に東京の蕎麦屋が考案したというが、瞬く間に全国に普及したという。

日本人は外来のものがアレンジされたとは意識することなく、あたかもカレーうどんならカレーうどんが日本固有の食べ物として存在していたかのように、違和感なく扱っている。

ここにカレーうどんに代表される日本人の特性を見て取ることができるのではないだろうか。

われわれの祖先は「汐溜まり」という地理的条件を最大限に利用して独自の文化を築いてきたのである。

もし、そのような地理的条件がなければ、われわれは取り残され、ほとんど原始にちかい状態で近代を迎えたのかもしれない。

日本人の特性は外来の文化を器用に使いこなし、それをあたかも独自の文化としてしまったところにあるといって良いだろう。

2018年11月19日 (月)

形容詞を使わない 大人の文章表現力/石黒圭

Photo ものごとを深く考えるうえで、形容詞で思考を止めないことはとても大切です。

形容詞とは便利な品詞である。

特に日常会話では形容詞が頻繁に使われる。

例えば「すごい」という言葉、

「人間の身体ってすごい」「今日は風がすごい」「藤井聡太はすごい」・・・、と、あらゆる場面で使われる。

でも「すごい」という言葉、含まれている内容は様々。

例えば「人間の身体はすごい」といった場合、

これは、平たく言えば、「よくできている」ということだろう。

人間の身体は精巧に作られている。

「人体」は、そのメカニズムは不思議で神秘的だ。

しかし、「すごい」だけでは、驚きの強さは伝わっても、何がすごいのかは伝わらない。

「何がすごいか」を詳しく説明する表現を加えることが必要になる。

「今日は風がすごい」と言った場合、

「風が強い」「風が激しい」ということであろう。

今日は風が強い、激しい、あるいは「風がすごくて吹き飛ばされそうだ」「風がすごくて目も開けていられない」などと具体的に描写するとより伝わりやすくなる。

「藤井聡太はすごい」と言った場合、

「読みの力が群を抜いて高い」「読みの力がコンピュータのように正確だ」のように表現したほうがより具体的になる。

なんでも「すごい」の一言で片付いてしまうからこそ、こうした意味の広い形容詞の過剰使用には警戒する必要がある。

形容詞は、会話で共感を示すときには便利でも、文章で目に浮かぶように説明をするのには不向きな品詞。

特に、文章においては「形容詞を避けることが表現力向上の基本」であるということではないだろうか。

2018年11月18日 (日)

人生の王道/稲盛和夫

Photo 「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也」というくだりは、西郷のまさに本領という感じがします。彼自身が無私の人であり、自分を無にすることができました。無私の人とは、命もいらず、名もいらず、官位も金もいらない人、つまり欲を離れた人です。

西郷は、鹿児島の下級士族の子弟で、小さい頃は「ウドの大木」の「ウド」というあだ名がついていた。

体が大きく、目がぎょろっとして、無口であまりしゃべらなかったからだ。

どちらかというと、敏捷でもないし、利発でもないので、疎んじられた存在だった。

ところが、多くの艱難辛苦を乗り越えるにつれ、人格を磨き上げてゆき、幕末から維新にかけて、多くの人々の精神的支柱になっていった。

その西郷の生き方をもっともよく表す言葉が「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也」というくだりである。

西郷は、この「無私」という思想を一貫して主張し続けた。

私心を排することが、リーダーにとって最も必要な条件だということを、西郷は「遺訓集」の全編にわたって述べている。

西郷の思想はすべて、この「無私」という考え方に帰結するといっても過言ではない。

本来、トップに立つ人間には、いささかの私心も許されないもの。

基本的に個人という立場はあり得ない。

トップの「私心」が露わになったとき、組織はダメになってしまう。

かつて日本の社会のいたるところに、「無私」な人間がいた。

たとえ経済的に豊かではなくても高邁に振る舞い、上に媚びず下には謙虚に接する。

そんな美徳を持った日本人がたくさんいた。

組織とは、本来無生物だが、経営者の意志や意識が吹き込まれることによって、あたかも生物のように、ダイナミックに活動をし始める。

そのように組織に命を吹き込むことこそが、トップである社長のつとめなのではないだろうかと稲盛氏は言う。

ところが、今の日本、政治、経済、行政、あらゆる世界で不祥事続きである。

責任は組織のトップであるリーダーにある。

今こそ、リーダーの「在り方」が問われているのではないだろうか。

2018年11月17日 (土)

リーダーを目指す人の心得/コリン・パウエル

Photo 部下に尊敬されようとするな、まず部下を尊敬せよ

軍隊において上官の命令は絶対である。

上官は指揮命令をし、部下は服従する。

だが、それだけではやる気を引きだすのは難しいという。

服従から仕事に対する誇りやいい仕事をしようという気概が生まれるとは考えにくい。

このような感情が生まれるには、優れたチームの一員だと部下が感じる必要がある。

そしてそのためには、チームメンバーがリーダーを尊敬していなければならないし、また、自分たちがリーダーに尊敬されているとも感じていなければならない。

チームメンバーがリーダーを信頼し、また、自分たちがリーダーに信頼されていると感じてもいなければならない。

自分たちが高く評価され、必要とされていると感じる必要がある。

部下の尊敬は、獲得する以外に方法がない。

尊敬は部下からリーダーに与えられるものであって、尊敬しろと命じて得られるものではないからだ。

だから、部下を尊敬しようと思えば、まず、部下を知らなければならない。

少尉として任官したとき著者は、指揮下にいる何十人かの兵士について学べるかぎりのことを学べと教えられたという。

そのため、小さなノートを用意し、兵士一人ひとりについて、その名前、誕生日、認識番号、小銃の製造番号、家族、出身地、教育、専門、任官日などをメモすることにした。

実績、素行、身なり、意欲、強み、弱みなどについても、最初にどう感じたか、また、それがどう変わっていったかをメモしたという。

つまり、部下の人となりを深く理解することによって、はじめて部下を尊敬できるようになるというのである。

そしてその自然な尊敬の思いが部下に伝わった時、部下は上官を尊敬するようになる。

軍隊であっても、会社という組織であっても、部下を尊敬し、尊敬されることが重要ということは同じではないだろうか。

2018年11月16日 (金)

藪の中/芥川龍之介

Photo わたしは思わず夫の側へ、転ぶように走り寄りました。いえ、走り寄ろうとしたのです。しかし男は咄嗟の間に、わたしをそこへ蹴倒しました。ちょうどその途端です。わたしは夫の眼の中に、何ともいいようのない輝きが、宿っているのを覚りました。何ともいいようのない、――わたしはあの眼を思い出すと、今でも身震いが出ずにはいられません。

この芥川龍之介の小説、黒澤明映画の「羅生門」の原作でもある。

ストーリーは次のようなもの。

藪の中で、男の刺殺体が見つかる。

発見者の木樵り、男とすれちがった旅法師、盗人の多襄丸を逮捕したことのある下役人、男の姑の証言から物語が始まる。

その後、現場にいた三人、犯人として逮捕された盗人の多襄丸、殺された男の妻・真砂、そして殺された男・武弘の死霊の詳細な証言が繰り広げられるが、なんとしたことか、同じ現場にいて、同じ状況に遭遇したはずなのに、三人のストーリーがまるで異なる。

しかも、三人とも自分が加害者であると主張する。

多襄丸によると、行為の後、生き残ったほうに連れ添いたいという妻の言葉を聞き、かつ妻の燃えるような瞳を見て、男を殺そうと思ったという。

妻・真砂によると、多襄丸が去った後に、木に縛られていた夫の〝冷たい蔑みの底に、憎しみの色を見せている〟眼を見て夫を刺したという。

巫女の口を借りて殺された夫の死霊が言うには、妻が多襄丸に「どこへでも連れて行ってください」「あの人を殺してください」と叫んび、一人になった隙に、落ちていた小刀で自分の胸を刺した、と言う。

まさに、真相は藪の中。

同じ場所にいて同じ事件に遭遇したはずの三人のストーリーがあまりに食い違っている。

三人とも自分が加害者であると主張する。

真相はどうなのか。

真相とは何なのか?

真実は知り得るものなのか?

人が語るすべてのことは、個人の主観的フィルターを通してインプットされ、アウトプットされたものだということを理解することが必要だということではないだろうか。

2018年11月15日 (木)

自分を最高値で売る方法/小林正弥

Photo あなたという商品の現在の値段、そして経済状況は、あなたの思考がつくっている。
 最安値の思考をインストールすると、頑張れば、頑張るほど、報酬が下がる。
 最高値の思考をインストールすると、頑張れば、頑張るほど、報酬が上がる。

会社勤めを辞め、例えば〇〇コンサルタントとして独立して仕事を始めた場合、まず迷うのが「価格設定」である。

つまり、「自分をいくらで売るのか」ということ。

コンサルの場合、決まった価格はない。

モノを売るのでなく、付加価値を売る仕事だからだ。

その場合、単価を高く設定する人と、低く設定する人とに分かれる。

どちらが成功するかは明らか。

自分を最高値で売り込むことのできる人である。

単純なことなのだが、これをできる人は実は少数派。

結局、成功するかどうかはマインドの問題といってもよいのかもしれない。

2018年11月14日 (水)

人の気持ちがわかるリーダーになるための教室/大岸良恵

Photo 日本刀は、性質の異なる鉄を組み合わせて鍛えるそうです。たとえば「本三枚」の場合、硬い「刃鉄」「皮鉄」そしてその間に入れる「芯鉄」のそれぞれを鍛え、重ね、また鍛える。芯鉄は柔らかい鉄ですが、この芯鉄があるからこそ日本刀は、折れず曲がらずよく切れる刀となるのだそうです。硬い金属だけだと折れやすいんですね。人間も、頭がよいだけではなく、「知・情・意」を高いレベルで併せ持ってこそ、強いリーダーシップを発揮できるということでしょう。

リーダーの条件は人がついてくることである。

リーダーがどんなに優れていても、人がついてこなければ影響力は限定的である。

そのためには「知・情・意」を高いレベルで備えていることが重要。

「知」は知識や知恵。

「意」強い意志と意欲、そして自律と自立。

では、「情」とは何か? 

「情」とはただやさしい思いやりではない。

他人の気持ちをわかろうとすることである。

他人の気持ちがわかるための一番の近道は読書である。

読書とは「疑似体験」

それによって、様々なモノの見方ができるようになる。

本書では13冊の本が紹介され、それを通して何を学べるのかが記されている。

このまま、研修のプログラムとして使えそうである。

2018年11月13日 (火)

教養としてのテクノロジー/伊藤穰一

Photo AIが人間の仕事を奪ったとしても、人間が〈働く〉ことがなくなるというわけではありません。僕もよく人に「AIに人間の仕事が奪われたら、どうすれば良いでしょうか」と聞かれますが、それは大きな誤りです。人間はお金のためだけに〈働く〉わけではないからです。

AIが人間の仕事を奪うという話は、今は頻繁に語られるようになった。

しかし、この手の関連本を複数読んでわかってきたことは、そんなことは起こらないということ。

AIによって多くの仕事が代替されるのは事実なのだが、それと並行して新しい仕事が生まれるだろうということ。

問題は、新しく生まれる仕事に適応できるような人材が育っているかどうか?

この方が問題だということである。

AIといっても結局はプログラミングされたソフトである。

ソフトは0と1の組み合わせでプログラミングされている。

ということは数字に置き換えることのできない分野はAIは対応できないということ。

例えば、プロの棋士がAIに負けたことが話題になっているが、将棋はAIにとって、最も得意分野である。

そこでAIが勝ったとしても、それは当たり前の話し。

人間の活動を多角的に見た場合、まだまだAIの勝てる分野はそれらの一部にしか過ぎないし、それは将来も変わらないであろう。

これからむしろAIに任せる仕事と、人間の仕事がはっきりと棲み分けされるであろう。

果たしてそれはどんな世界なのか?

非常に興味深い。

2018年11月12日 (月)

IOTとは何か 技術革新から社会革新へ/坂村健

Photo コンピューターの組込まれたモノ同士がオープンに連携できるネットワークであり、その連携により社会や生活を支援する──それがIoTなのである。  

IoT(Internet of Things)、言葉どおりにとれば「モノのインターネット」。

「インターネット」という言葉が入っているが、これは単にモノをインターネットで繫ぐという意味ではない。

IoTはむしろ「インターネットのように」会社や組織やビルや住宅や所有者の枠を超えてモノが繫がれる、まさにオープンなインフラを目指す言葉と捉えるべきだ。

IoT化した世界の理想像とは、あらゆるモノに超小型チップが付き、センサーネットワークにより状況を高精度に把握できる世界になると、さまざまなプロセスについて最適制御が行えるようになる。

エネルギーの問題を例にとると、小さなセンサーチップをシャツに付けると、体の表面温度やそのときまでの熱履歴がわかり、その情報を直接空調機に送ることで個人個人に最適の温度調節を行う。

リモートコントロール端末を使うものよりも、きめ細かな温度制御が自動でできるようになる。

例えば、暑い外から帰ってきたばかりの人には、その瞬間だけすばやく冷やして熱履歴をリセットさせ、その後はあまり冷やさなくても快適と感じるようにする。

また、同じチップがその日の着用状況から汗などの汚れの量を推定してくれれば、洗濯機がそれを読み取って、汚れが少なければ簡単な水洗いで済ませるなどの判断も可能になる。

このように細かい個人向けの制御を行うことで快適性を維持したまま不必要なエネルギー消費を避けられれば、社会全体としての実効的な省エネルギーにも繫がる。

ビル全体がIoT化してビルというひとつの建物全体でひとつの組込みシステムとして働くようになっていれば、例えばエレベータホールの動体センサーでホールで待っている人間の数、さらにはビッグデータ解析による、その時間帯とフロアの人口分布による、移動予測といったものまで最適制御に利用できる。

このように、IoTには大きな可能性がある。

だが気になるのは、日本の規制の多さである。

日本は技術の高さでは国際的にもトップクラスである。

ところがその優位性が十分に生かされないのは、日本の閉鎖性であり、規制の多さである。

オープンであることが求められるIoTの世界で、これらが足かせにならなければよいのだが。

そのことが一番の懸念材料である。

2018年11月11日 (日)

家族それはヘンテコなもの/原田宗典

Photo 考えてみればぼくは少年の頃から夢見がちなところがあった。
いや、夢見がちというか、妄想癖と言った方が適切かもしれない。一人でぼんやりしている時だけならまだしも、友達と缶蹴りをしている最中などに、何かの拍子でふっと自分の世界に入ってしまうと、周囲の状況をまったく忘れて妄想に浸っていたりした。

本書は原田氏のエッセイ集である。

家族、恋愛、青春について綴っている。

それなりに面白く読める。

では、どうして面白いのか。

普通の人とは違った見方で、自分の身の回りに起こったことを感じ、それを書いているからである。

つまり、日常の何気ない出来事を通して様々な妄想が広がっていくのである。

友人の娘の結婚式に出席して、自分の4歳の娘と重ね合わせ、新郎を「この盗ッ人!」と叫びたくなるとか。

とにかく妄想がすぐに広がっていく。

この妄想癖、子供の頃からだったという。

でも、だから物書きになったのだろう。

他のの仕事に就いていたらうまくいかなかったかもしれない。

人にはそれぞれ天職といえるものがあるということではないだろうか。

2018年11月10日 (土)

最高の体調/鈴木祐

Photo ブルックス博士は言います。
「私たちは自分の感情をコントロールし、意図的に影響を与えることができる。自分のストレスをいかに言葉や思考に変換するかで、どんな感情も再構築できるのだ」

「リアプレイザル」という手法がある。

名前は難しそうだが、やることは簡単。

スピーチの直前にストレス反応が起き始めたら、「楽しくなってきたぞ!」や「興奮してきたぞ!」と自分に言い聞かせるだけ。

ハーバード大学のアリソン・ブルックス氏は、300人を集めた実験で「リアプレイザル」の効果を証明した。

すべての被験者に「スピーチ」「カラオケ」「数学のテスト」などを指示したところ、自分のストレス反応を「楽しくなってきた」とポジティブに解釈したグループは、それぞれ17~22%も成績が良くなったというのである。

これは日常の様々な場面で使える。

たとえば、いきなり道端で知らない人に怒鳴られたとする。

普通なら「なんだこいつ!」と頭に血がのぼる場面だが、一歩引いて「何か悪いことがあったのかもしれない」などと考え直してみるのも「リアプレイザル」の一種。

それだけで、ある程度は感情の波がおさまっていく。

「リアプレイザル」が効くのは、そもそも「緊張」と「興奮」の感覚は、どちらも人体の反応という点では変わらないから。

人前でスピーチをするときでも、会社で昇進が決まったときでも、人間の体は同じように心臓が激しく脈打ち、同じようにコルチゾールが分泌される。

このとき私たちの体は外部の刺激に態勢を整えただけで、その反応を「緊張」と「興奮」のどちらに解釈するかは脳の判断にゆだねらる。

これは、古代の環境を考えてみれば、当たり前の話。

サバンナで猛獣に襲われたときだろうが、美味そうな獲物を見つけたときだろうが、すぐに行動を起こさねばならない点で両者に変わりない。

ここで対処のシステムを2つに分けていたら、反応のスピードが遅くなる。

さらに、リアプレイザルは、使えば使うほどストレスに強くする性質も持っている。

被験者の脳をfMRIで調べたある実験では、嫌な体験をポジティブに解釈しなおした直後から扁桃体の活動が低下し、「リアプレイザル」が上手くなった被験者ほどネガティブな体験に脳がパニックを起こさなくなったという。

つまり「リアプレイザル」は感情の筋トレとしても使えるわけだ。

ストレスに強くなるためにも、日常的に使ってみたいと思う。

2018年11月 9日 (金)

AND I LOVE HER/片岡義男

And_i_love_her 目が覚めている自分に、ふと、気づいた。
 もうひとりの自分がさきに目を覚まして待ち、ついさっきまで眠っていた自分が、目を覚ましている自分の なかにもどっていくような感じがあった。
 なぜ目が覚めたのか、その理由は、すぐにわかった。
 寒かったのだ。

不思議な小説だ。

主人公である彼女以外、ほとんど登場しない。

会話のシーンもほとんどない。

彼女の日常を、しかも半分以上は自分の部屋での彼女の日常を観察メモのような文体で綴っている。

それでいて、読み続けていくにつれ、ますます彼女を魅力的に感じてしまう。

著者によると、モデルとなった女性は20代後半の独身の女性。

アメリカへ留学し、猛勉強をし、ある分野での非常に優秀なエキスパートになり、今はある企業の要職についている。

給料は彼女と同程度の女性の約9倍だという。

1982年に出版された小説なので、36年前の小説なのだが、まったく古さを感じさせない。

むしろ、斬新である。

今でいう「自立した女性」。

あの時代、このような女性がいたのだということは驚きだ。

2018年11月 8日 (木)

リーダーの教養書/出口治明、楠木建、他

Photo なぜ日本のエリートは、米国のエリートに勝てないのか。なぜ日本のリーダーは、米国のリーダーに勝てないのか。過去 10 年ほど、私はその問いに向き合ってきた。
 それに対する暫定的な答えは「教養の差」だ。両者には教養の量と質に圧倒的な差があるがゆえに、知や行動のスケール、実行における成功率に彼我の差が生まれているのである。

そもそも、教養とは何か?

「普遍的な知恵」のことだと本書の著者の中の一人は言っている。

歴史の風雪や、科学の洗礼をくぐり抜けてきた「時代や国を超えた知」こそが教養と言える。

では、なぜそうした知を有することが大切なのかというと、クオリティの高いアイディアが次々と生まれやすくなるからだ。

業界にかぎらず、勝負に勝ち続けて、世の中をリードし、何か偉大なものを残せる人間は、「普遍的なもの」を自分の中に持っている。

そのような人は、自分自身でつくりあげていく独自の「価値基準」を持っている。

そうすると、目先の現象に右往左往しなくなる。

自分の言葉で対象をつかみ、自分の頭で考えることができない人ほど、目先の現象だけですぐに大騒ぎをする。

現象や対象に自分が隷属してしまっている。

なぜリーダーに歴史の教養が必要なのか?

リーダーには、あらゆる行動の前提になる「人間観」が必要だからだ。

いかにテクノロジーが発展しようとも、ビジネスや生活を営んでいるのはあくまで人間だ。

人間の本質は今も昔も変わらない。

むしろ、貧乏、戦争、病気などの労苦があふれていた過去の方が、人間の本質がむき出しになることが多かっただろう。

過去の知恵から学べることは今も無数にある。

本書を通して、教養を身に着けることの大切さを改めて教えられた。

2018年11月 7日 (水)

辞令/高杉良

Photo「皆んなあきらめてるさ。しょせん小林商店じゃないの」
「次期社長ってこともあり得るんでしょうか」
「血は水より濃いっていうから、次はともかく、次の次ぐらいに考えてるかもしれないぞ。オーナー社長っていうのは、どんなぼんくら息子でも、後を継がせたくなるものらしいからね。神ならぬ人間の弱さとでも言ったらいいのかなあ。きみにしたって、俺にしたって、そんなことは百も承知で、エコーに入社してきたんだから、いまさら顔をしかめたってしょうがないよ」

サラリーマンならだれしも経験する人事異動。

主人公の広岡修平は大手音響機器メーカー、エコー・エレクトロニクス工業の宣伝部副部長。

突然の左遷の内示を受け、衝撃を受ける。

正義感と情熱にあふれ、第一選抜で進んできた広岡に失策はなく、左遷される理由は思い当たらない。

自ら調査に乗り出すとオーナーである小林一族の思惑に行き当たる。

二万人の社員を擁する大企業でありながら、世間からは「小林商店」と見なされている。

会長の小林明の強力なリーダーシップとファミリーの存在。

人事は公平であるべきだが、小林の妻信子、次男の秀彦らのわがままと、その意向を忖度する幹部たちが公平性を歪めていく。

しかし、こうした同族企業は国内外にあまたある。

中小企業などはほとんどが同族企業といってよいのではないだろうか。

同族企業にも良い点はある。

多くの同族企業は、企業価値を大きくするということよりも、企業の永続を求めることが多く、そのため、長期的な視野からよい経営を考えることが多いという点である。

しかし、どうしてもオーナーの顔色を見る人事がまかり通るという面もまた事実であろう。

特にこの小説の主人公の広岡のような正義感に溢れ仕事のできる人材にとっては生きづらい会社なのではないだろうか。

広岡は持ち前の正義感で異動先の人事畑でも奮闘するが、最後には関連会社へ出向の辞令が出る。

妻の言う「寄らば大樹の陰」でエコーに踏みとどまるのか。ここで思い切って転職するのか。

「人間到るところ青山ありだ」。

そう思い至る広岡。

アンフェアな人事でパズルのピースのように動かされ、あおりを食う名もなきミドル。

現実にも無数の広岡が同様に思い悩んでいるのではないだろうか。

2018年11月 6日 (火)

日本型組織の病を考える/村木厚子

Photo 様々な仕事を経験する過程で私が重要だと感じたのは、組織の一人ひとりがあるべき方向性を主体的に考えることのできる組織を作ることです。

官僚による公文書の改竄や隠蔽、セクハラ、受託収賄容疑での逮捕など、不祥事が相次いでいる。

政治家はともかく、官僚は「最後のところでは信頼できそうだ」という印象があったのにそれが崩れた。

不祥事を起こしているのは、官僚組織ばかりではない。

企業しかり、大学しかり。

不祥事発覚後の事後対応のまずさもあって、「あり得ない」「信じられない」ような出来事が相次いでいる。

なぜそのようなことが起きるのか。

なぜ防げなかったのか。

なぜ同じようなことが繰り返されるのか。

本書の著者、村木氏の場合、ねつ造された証拠をもとに起訴された。

あってはならないことが起こったのである。

近年の不祥事の背景には、共通点として、同じような人間ばかりが集まった極めて同質性の高い組織の中で起こっているということ。

組織の圧力から生み出された「常識」と、社会の「常識」とが、いつの間にか、かけ離れてしまったことがあるように感じる。

日本人の特徴として、組織の中で明確な自分の役割を与えられることに安心を求めるところがある。

だから、上の命令には善悪を別にして従う。

場合によっては命令されなくても忖度してしまう。

日本人特有の組織と個人の関係性の問題がその根底にあるような気がする。

2018年11月 5日 (月)

「いい質問」が人を動かす/谷原誠

Photo 相手に質問をするときは心の底から相手のことに興味を持ち、「あなたのことが知りたい」という気持ちで質問をすることです。そうすれば、必ずや相手はあなたに好意を抱き、快く質問に答えてくれることでしょう。

質問は、相手を強制的に特定の方向で考えさせる力を持っている。

質問をされると、相手は、思考し、答えてしまう。

まるで強制されるように思考し、答えてしまう。

私たちは質問をするだけで相手を強制的に考えさせているのである。

したがって、相手から情報を得ようとして質問をするときは、 相手への礼儀として、なるべく相手に負担をかけないように質問しなければらない。

更に、興味本位でなく本当に相手のことを知りたいと好意をもって質問をする必要がある。

それによって相手に好意を持ってもらったら、質問は半分は成功したようなもの。

人に好意を持ってもらう最強の方法とは、相手に好意を持つ、という方法。

心理学では、これを「好意の返報性」 と言う。

著者は犬に学ぶとよいと言っている。

犬は可愛い動物だ。

私たちが家に帰るとしっぽをふって大喜びする。

なでてあげたり、餌を与えたりすると、素直に大喜びする。

口答えもせずよく従う。

家庭の中で犬が一番好きだという人は、多いのではないだろうか。

では、なぜ犬はそんなにも好意を持たれるのか。

それは、常にこちらに好意を持ってくれているから。

犬は気分によって私たちを嫌ったりしない。

愚痴も嫌みも言わない。

私たちを批判することもない。

それを私たちも真似ればよいというのである。

犬に学ぶ。

大事な視点だと思う。

2018年11月 4日 (日)

10歳でもわかる問題解決の授業/苅野進

10 問題解決のためには、仮説をいくつか立てて素早く実行することが大切です。
「一発で解決できる」という夢は捨てなくてはいけません。ですから、論点として「解決可能かどうか」という視点での取捨選択が非常に大事です。

学校の勉強とビジネスにおける問題解決の一番の違いは、学校の勉強では正解があるが、ビジネスでは正解がない、ということ。

だから、ビジネスで重要になってくるのは、正解を出すことではなく、できるだけ早く仮説を出すこと。

問題解決のための 意思決定のコツは、「与えられた情報の中で、素早く意思決定をする技術」である。  

頭がいい人は「仮説」で決定し、「結果」から学ぶ。

大切なことは、「失敗」や「不正解」をひとつの重要なデータとして、自分の中で、そして、組織の中で共有していき、次の行動の精度を高めるという〝最優先の行動基準〟。

これは商品においても同様で、中途半端な商品を出すのは、会社の恥という考え方の対極だが、 仮説検証によって実際に収集後にブラッシュアップされる情報のほうが、のちの成功に大きく寄与している、と考える企業が増えている。

準備をして、根拠を持って決断し、失敗したら、そこから次のさらに洗練された案を生み出して、決断する。

このサイクルで組織も個人も成長していく。

失敗は言い換えれば「経験」であり、「うまくいかない選択肢の消去」という前向きなもの。

「失敗しない」ことは「前進しない」ことと同義。

野球の野村元監督も「失敗」と書いて「せいちょう」と読む、と言っている。

仮説、検証のサイクルを素早く回す。

これを習慣化するだけでも、人は成長することができるのではないだろうか。

2018年11月 3日 (土)

消したくても消せない嫉妬・劣等感を一瞬で消す方法/大嶋信頼

Photo 誰かに対して「批判的、否定的、そして怒りが止まらない」という状態になっていたら、「これが嫉妬の発作なのかもしれない!」と思うようにすることが、発作を止める大切なステップ になります。

嫉妬は誰もが持っている負の感情である。

人はいつも、「あの人よりもあの部分は私のほうが上」「どっちが上で、どっちが下?」というふうに「優劣」を考えている。

そして、嫉妬は「自分よりも下のくせに、自分よりも優れたものを持っている」となった時に起こる。

飛び抜けて優れている相手に対しては嫉妬は起きない。

たとえば、大リーガーのイチロー選手に嫉妬する人はほとんどいない。

「あの人すごいな~。私にはそんなことできない!」と相手が「上」になっていたら、嫉妬はおきない。

嫉妬とは自分よりも下と思っている相手が、自分よりも優れたものをもっていると感じたときにおこる感情だからだ。

では、どうすれば嫉妬をおさえることができるのか?

それは、「嫉妬は発作」と考えること。

「嫉妬するなんてみっともない!」と思っているのに、殺意に近いような「アイツをめちゃくちゃにしてやりたい!」という衝動が抑えられない。

これが「嫉妬の発作」 というもの。

「発作」ということは一時的なものということ。

これをしっかりと認識すること。

そして、発作を起こさないようにすれば発作はだんだんおさまってくるというのである。

要は、自分の心の中で起こっていることを、一歩引いて見ることが大事ということではないだろうか。

2018年11月 2日 (金)

楽天で学んだ「絶対目標達成」7つの鉄則/小林史生

Photo 目標を達成しようとしたときに、このままだとちょっと足りない、と思う局面が時にあります。そんなときに、「さぁ、ここからが勝負。必ず挽回できるはず」と自然と思い込めることが目標を達成し続けるにはとても重要 です。

目標を立てて、必ず達成する人と、達成できない人とに分かれる。

どこが違うのか?

様々な要因があるとは思うのだが、一つは、目標達成をすることが習慣となっているかどうかの違いである。

目標を立てて、それを達成しようとしたとき、最後の最後になって「達成できるかどうかわからない」という局面に直面することが多い。

この時、「もうダメだ」と思うか、「あともう少し、ここからが勝負だ」と思えるかである。

前者の場合は目標達成できなく、後者は達成できるだろう。

たとえ1回であっても、この「目標達成した」という成功体験は重要だ。

これがあると目標達成がクセになる。

目標達成を習慣化するのである。

そうすると、目標達成できるかどうかの局面に直面した時、「ここからが勝負だ」とスイッチが入るようになる。

そう考えると、目標達成も一つの習慣だ、といえるのではないだろうか。

2018年11月 1日 (木)

困った部下が最高の戦力に化けるすごい共感マネジメント/中田仁之

Photo 同じ組織に属しているからといって、必ずしも「チーム」になっているとは限りません。ただのグループとチームには圧倒的な差があるのです。上司と部下、あるいは御社とお客様が「真のチーム=強い組織」になるために、リーダーがとるべき姿勢とその手順が、こちらの5つのメソッドです。
① 感謝を伝える
② 可能性を信じる
③ 誤った行為を叱る
④ 感情を共有する
⑤ チーム心を養う」

良い組織になるかどうかはリーダー次第といってよい。

リーダーは、部下を評価したり評論するために存在しているのではない。

部下と共に戦い、導き、エネルギーを与える存在であり、最も身近で尊敬される存在でなければならない。

そのために、本書では5つのメソッドを勧めている。

① 感謝を伝える=大切な人に、きちんと言葉で感謝を伝えること。

② 可能性を信じる=大切な人の可能性を最後まで信じ、相手の自信をあなたが育ててあげること。

③ 誤った行為を叱る=叱る時は人格を否定せず、誤った行いを短い言葉で叱ること。

④ 感情を共有する=恥ずかしがらず、喜怒哀楽を一緒に表現すること。

⑤ チーム心を養う=チームのために自分には何ができるのか? を全員が自問自答できる雰囲気を作ること

中でも①の「感謝を伝える」ことは簡単であるにもかかわらず、意外とやっていないのではないだろうか。

感謝はするものではなく伝えるものである。

自分では感謝していても、それが相手に伝わらなければ感謝していることにはならない。

感謝を伝えると、感謝された人はもちろん伝える人も暖かい気持ちになる。

感謝の気持ちを言葉で、態度で、行動で、しっかりと相手に伝えることは重要だ。

リーダーが、部下に感謝を伝えることは、チームがまるで家族であるかのように団結するきっかけになる。

またリーダーが心から部下に感謝を伝える姿勢になると、部下もリーダーに感謝するようになっていく。

感情は連鎖するからである。

部下に感謝することは難しいことではない。

リーダーとして立たされた者は、まずここから始めてはどうだろうか。

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