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2018年12月の31件の記事

2018年12月31日 (月)

やっかいな隣人 韓国の正体/井沢元彦、呉善花

Photo ついでに言いますと、韓国人は「日本人は韓国人を差別している」と口では言っていますが、実際にはそうは思っていません。それよりも、自分たちの日本人に対する差別意識のほうがずっと強いんですからね。対日優越意識のほうが断然強いんです。

最近、徴用工や駆逐艦のレーダー照射問題で日韓はもめている。

どうしてこんなことが繰り返されるのか。

その根底には韓国人の優越意識があると呉氏は言う。

呉氏によると、その意識は教科書によって植え付けられるという。

韓国の教科書は、日本に関する記述では、ことさらに対日優越意識に満ちあふれた記述になっている。

古代史で言うと、三国時代の朝鮮半島諸国が日本にどれだけ文化を「教えてあげた」か「伝えてあげた」かが、執拗に繰り返し記されている。

百済は日本に「漢文・論語・千字文を伝えてあげた」

「漢学と儒教を教えてあげた」

「政治思想と忠孝思想を普及させてあげた」

「仏教を伝えてあげた」

「天文・地理・暦法などの科学技術を伝えてあげた」。

「高句麗もたくさんの文化を日本に伝えてあげた」

「新羅は船をつくる技術、堤防と城郭を築く技術を日本に伝えてあげた」

「伽耶は土器を作る技術を日本に伝えてあげた」。

とにかく「教えてあげた」「伝えてあげた」のオンパレード。

日本はもともとは野蛮国で、何から何まで我々の祖先によって訓育・感化を受け、はじめて文化というものを身につけることができたんだな、という印象を強く持つことになる。

だから、若い人ほど、日本に対する優越意識は強いのだと。

いわゆる洗脳教育というものなのだが、そう考えると、この教育から変えていかない限り、日韓の問題は繰り返されるのではないだろうか。

根は深いと言わざるを得ない。

2018年12月30日 (日)

戦後 日本の首相/中野明

Photo そのためマッカーサーは、日本のずさんな統計について吉田を責めた。対する吉田はこう言ったものだ。
「戦前にわが国の統計が完備していたならば、あんな無謀な戦争はやらなかったろうし、またやれば戦争に勝っていたかも知れない」
 マッカーサーもこれには苦笑せざるを得なかっただろう。傲岸不遜な吉田の一面を物語るエピソードである。

戦後、食糧を要求するデモが各地で頻発し、吉田は政府の手持ち食糧の放出のほか、農林省の統計に基づいて450万トンの食糧輸入の必要性をGHQに説く。

これにより初年度70万トンの食糧輸入が実現するのだが、この量だけでも特に多数の餓死者が出ることはなかった。

この時、マッカーサーは日本の統計のいい加減さを責めたわけだが、吉田首相の返す言葉がこれである。

国家のCEOは首相である。

首相の使命は、国を治め人民を救うこと、つまり「経世済民」の四文字に集約できる。

国にとって経済と安全保障は、車の両輪に言い換えられる。

経済がなければ人々の暮らしは成り立たない。

同様に安全保障がなければ人々は安心して暮らせない。

いずれが欠けても国家という車は前に進まない。

両輪が適切に回ってこそ車は前に進む。

いずれにせよ、50年代からの日本は、吉田が敷いた「軍事的為無為」の道、いわば「吉田ドクトリン」を基礎にして、目覚ましい発展を遂げることになる。

そして現代の日本も、吉田が敷いた道をいまだ歩み続けている。

吉田は「戦争は、勝ちっぷりもよくなくてはいけないが、負けっぷりもよくないといけない」と言っている。

吉田は傲慢不遜で批判も多い首相なのだが、戦後日本の基礎を作ったということでは評価されるべき首相ではないだろうか。

2018年12月29日 (土)

知性とは何か/佐藤優

Photo 反知性主義は、ナチス・ドイツの特徴であった。独裁者のそばには、かならずイデオローグがいる。イデオロギーとは、現実に影響を与える思想のことを言う。イデオローグはそのような主張を展開する思想家だ。独裁者の思いつきを理論的に裏付けるのが、イデオローグの仕事だ。

反知性主義を大雑把に定義するならば、「実証性や客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度」である。

つまり「人は見たいものしか見ない」ということ。

新しい知識や見識、論理性、他者との関係性などを等身大に見つめる努力をしながら世界を理解していくという作業を拒み、自分に都合が良い物語の殻に籠もるところに反知性主義者の特徴がある。

合理的、客観的、実証的な討論を反知性主義者は拒否する。

では反知性主義に陥らないためにはどうすればよいのか。

まず、物事を判断するときには、「事実関係」「認識」「評価」の3要素を区別して考えること。

最近の新聞を読むと、この3つがごっちゃになっていることが多い。

朝日、毎日は左寄り、読売、産経は右寄りである。

一つの事実に複数の見方があるということを理解するようになると、思考の幅が広がる。

そして、自分と異なるものの見方、考え方をする人がいても、そのことに対して感情的に反発することが少なくなる。

反知性主義の罠にとらわれないようにするための処方箋は難しくない。

知性を体得し、正しい事柄に対しては「然り」、間違えた事柄に対しては「否」という判断をきちんとすることである。

そのために、著者は3つの実践的な技法を紹介している。

第一は、自らが置かれた社会的状況を、できる限り客観的にとらえ、それを言語化すること。

第二は、他人の気持ちになって考える訓練をすること。

第三は、LINEなどのSNSを用いた「話し言葉」的な思考ではなく、頭の中で自分の考えた事柄を吟味してから発信する「書き言葉」的思考を身につけることである。

このような知性を強化する作業を継続することによって、信頼、希望、愛など「目には見えないが、確実に存在する事柄」をつかむことができるようになれば、もはや反知性主義を恐れる必要はなくなる。

知性は、記憶力や再現力だけでなく、人間の生全体を貫く営みである。

本当の意味での知性を身に付けてゆきたいものだ。

2018年12月28日 (金)

誇るべき日本人/樋口清之

Photo 第二次大戦中、捕虜収容所のアメリカ人にゴボウを食べさせたために、「捕虜虐待」の罪に問われて処刑された日本人がいた。

日本人にとってはまさに狐につままれたような話だ。

アメリカ人には、ゴボウなど食べる習慣はない。

絶対に食べられない木の根っこを無理やり食べさせられ虐待されたというのだから誤解もいいところである。

恐らく当の日本人には虐待しているという意識は全くないのだろう。

むしろ、当時の日本人の食糧事情から考えるとゴボウすらも食べられなかったのだから、親切心だった可能性すらある。

しかし、この類の話はよくある。

日本が被害者になることもあれば、日本が加害者になることもある。

これらは食習慣や文化、価値観の違いから摩擦が生まれる。

だからこそ、それぞれの国の歴史や価値観を勉強する必要があるのだろう。

2018年12月27日 (木)

ニュースの“なぜ?”は世界史に学べ 2/茂木誠

2 人、モノ、カネの流れを自由にするグローバリズムを推進してきたのは、リベラルのほうです。国境をなくしたほうが、自由にビジネスができるからです。その代表格が「国際金融資本」と呼ばれる勢力です。

今、世界で何が起こっているのか。

大きな流れとして顕著になったのはグローバリズムとナショナリズムの対立である。

アメリカでもヨーロッパでも、この対立が際立つ。

そしてトランプは「アメリカ第一主義」を主張しているのでナショナリストである。

ところが、マスコミはグローバリズムを支持する。

どうして大手メディアはグローバリズムを支持するのか。

それは大手メディアは国際金融資本と結びついているから。

金融資本は、基本的に「国境線はいらない」というスタンス。

グローバル規模で自由に商売をしたいから、グローバリズムを志向することになる。

ということは、「国境をなくせ」と主張するリベラルと意見が合う。

だから国際金融資本は、民主党を支持するようになった。

国際金融資本は豊富な資金を広告費に投じて、テレビ局や新聞社などの大手メディアを牛耳っている。

だから、大手メディアは民主党寄りの報道になる。

特にトランプを目の敵にする。

例えば、ロシアゲート疑惑。

トランプ大統領本人が法律違反をしたという明確な証拠はないが、「なんとなく怪しい」という印象報道を連日のように繰り返す。

それによってトランプ大統領の支持率は一時30%台にまで下落した。

森友・加計学園問題で大手メディアに一部の官僚が情報をリークし、「なんとなく怪しい」というネガティブ報道が繰り返された結果、支持率が急落した安倍政権とそっくりだ。

だから、トランプが多用するのはフェイクニュースという言葉。

「トランプが『大手メディアは嘘つきだ』と攻撃するのは暴言、妄言だ」という人もいるが、そうともいい切れない側面がある。

大手マスコミの報道が信じられないとすると、ネットが重要になる。

ネット上には嘘も多いが、真実に光を当てる力もある。

様々な情報を鵜呑みにせず、自分の頭で考えることが益々重要になってきたといえるのではないだろうか。

2018年12月26日 (水)

なぜ妻は突然、離婚を切り出すのか/打越さく良

Photo 絵に描いたように幸せな夫婦。そう思っていたのに、配偶者から突然「離婚したい」と言われるケースが、実際にあります。

「突然離婚」を切り出される夫と、妻との間には、認識に大きなギャップがあるという。

円満で、幸せな夫婦、愛情あふれた家族。

でも、それは夫の思い込みだとしたら?

実は妻は結婚してからずーっと不満を募らせていた。

中にはDVをしていながら、まったく無自覚な夫もいる。

こんな話が本書には書かれている。

いずれも実際に起こったことをもとに書かれており、まったくのフィクションではない。

怖いのは夫のあまりの無自覚さ。

この夫と妻の認識のギャップが「突然離婚」につながる。

「もしかしたら私も・・・」と、考えさせられた。

2018年12月25日 (火)

決算書の9割は嘘である/大村大次郎

9 あまり知られていませんが、朝日新聞は、実は申告漏れの常連なのです。朝日新聞は、過去何度も申告漏れで国税局からの指摘を受けています。その申告漏れが、不正とみなされたケースも多いのです。

元国税調査官の著者によると、国税調査官たちは、決算書のことをまったく信用していない。

むしろ、国税調査官にとって、決算書とは企業が恣意的に自分に都合よく作るもの、という認識なのだという。

国税庁では1年間にだいたい15万件程度の法人の税務調査を行っているが、そのうち、10万件以上で申告漏れが見つかっている。

つまり6割以上の決算書が間違っているということ。

決算書の誤りには、大まかに言って「利益の過少計上」か「粉飾決算」の2種類がある。

国税庁発表の決算書の誤りというのは、そのうちの「過少計上」だけ。

国税局や税務署の税務調査というのは、申告漏れがあった場合は指摘する、粉飾決算があった場合は黙殺するのが通例。

ということは、粉飾決算を合わせると決算書の8割以上が間違っているということになる。

国税調査官の本質的な仕事は、実は追徴税をいかに多く取るかということ。

国税調査官には、事実上のノルマがあり、年間に一定の件数の調査をこなし、一定の額の追徴税を稼がなければならない。

さらに、国税庁の中には追徴税をたくさん取ってきたものが偉い、という価値観がある。

そして、追徴税をたくさん取ってこないと出世できない、という明確な現実がある。

だから、税務調査があったら、ほとんど間違いを指摘されてしまうと考えてよいのかもしれない。

それにしても、朝日新聞は自らが申告漏れの常連であるにも関わらずそのことは全く報じず、大手企業の申告漏れや脱税があると大々的に報じる。

ダブルスタンダードだと言われても仕方ないのではないだろうか。

2018年12月24日 (月)

グルジェフ総論:エニアグラム/郷尚文

Photo 自分は自分のなかに囚われていることを自覚した者だけが、自由になりうる。そのためには、抜け出すことを本気で望み、賢明なやりかたで準備する必要がある。人は注意深く考えをめぐらせ、牢獄に囚われているのは何者なのか、この牢獄は何でできているのかを探らなければならない。

今から百年前、グルジェフはロシアで各種の象徴図形について講義するなか、のちに「エニアグラム」として知られるようになる図形を示した。

確認された事実としてエニアグラムが歴史にあらわれたのはそれがはじめてである。

エニアグラムに関する本は何冊も読んだが、その起源から解き明かした本書は難解であるが、本質をついている。

グルジェフによると、生存の論理が成長の論理を圧倒することで、人は囚われのなかに入り、内的な生命を失っていくという。

ところがグルジェフが「九つの囚われ」といったものが「九つの性格」と言い換えられていく。

個々のタイプを「鑑定」し、それに見合った適職やライフスタイルを提案したりということが行われるようになる。

これはこれで間違っているとは言い切れないものの、グルジェフが当初説明した本質論からはすこし外れてきているような気がする。

例えば、タイプ9をグルジェフは「なまけ」と呼んでいるが、多くのエニアグラム関連本は「平和主義者」と呼ぶ。

「なまけ」を「平和主義者」とするように、その本質をごまかすような言い換えをしてしまう。

そのことで、エニアグラムは、実質的な成長へと人を導くものというより、幼稚な自己改善のゲームの道具と化してしまったようにも見える。

グルジェフはこう言っている。

「エニアグラムは普遍的な象徴図形である。」

「どんな知識でもエニアグラムをもってあらわすことができる。」

「どんな知識でもエニアグラムをもって読み解くことができる。」

「人は自分がエニアグラムにあてはめられるものだけを確実に知っている。」

「エニアグラムを使える人には、本や図書館は不要だ。」

「エニアグラムをもってすべてをあらわし、すべてを読み取れる。」

「砂漠の真ん中に一人でいても、砂上にエニアグラムを描き、そこから宇宙の永遠の法則を読み取ることができる。しかも毎回、なにか新しいことに気づくのだ。」・・・と、

一つひとつ、深く考えさせられる言葉である。

エニアグラムを通して人間の本質を知ることが可能であるならば、一生かけて取り組んだとしても無駄にはならないのでは、と、考えさせられた。

2018年12月23日 (日)

エニアグラムセールスと9つの売上の鍵/小川善太郎

Photo エニアグラムセールスは相手の価値観に合わせたアプローチを可能にしてくれますので、押し売り感や売り込み感ゼロで、必要とする人だけにアプローチするスマートなセールスができるようになります。

セールの世界には「商品を売る前に自分を売れ」という言葉がある。

ところが、世の中にあふれているセールスは、相手を思考停止にさせて思わず買ってしまうような心理操作のテクニックを教えていたりしていて、相手に嫌な思いをさせるものが非常に多い。

これだと相手も不快感を感じるし、売っている本人もストレスがたまる。

セールスという仕事に真剣に取り組んでいる人ほど、違和感を感じることが多いのでないだろうか。

どうにも自分の中の違和感が拭えないのなら今までと違うセールスプロセスを構築する必要がある。

エニアグラムを学ぶと「人はみんな違って当たり前なんだ」と思えるようになる。

そして自分の価値観が明確になり、自分に合ったセールスが可能になる。

それはセールスとは「自分を売る」ことなので、一人ひとりが違ったセールスをして当然なのだ。

さらに相手に合ったセールスをすることができるようになる。

人はそれぞれ違った価値観を持っている。

エニアグラムの9のタイプで分けると、

タイプ1 改善、理想、完璧、努力

タイプ2 心配り おせっかい、人を助けてしまう、愛情、やさしさ

タイプ3 目標 成功 達成 競争心

タイプ4 独自性 創造性 ドラマチック 感動

タイプ5 知識 洞察 本質 情報

タイプ6 任務遂行 疑心暗鬼 安定 仲間意識

タイプ7 ポジティブ 可能性 人生を楽しむ 熱しやすく冷めやすい

タイプ8 チャレンジ 決断力 喧嘩上等 勇気

タイプ9 平和 やすらぎ マイペース

と、このようになる。

これらの価値観を表す言葉をキーワードにして接するならば、自分と相手にあったセールスが可能になるのではないだろうか。

2018年12月22日 (土)

道をひらく言葉/本田季伸

Photo 人間は働きすぎてだめになるより、
 休みすぎてサビつき、だめになることの方がずっと多い。
 他の人に一生懸命サービスする人が、
 最も利益を得る人間である。
 ケンタッキーフライドチキン創業者/カーネル・サンダース

カーネルは、40歳で起業した。

65歳のときに経営難により、店は閉店し、ほとんどの資産を失ってしまう。

そんな状態に陥っても決して諦めることなく、 世界初の「フランチャイズビジネス」を生み出した。

フライドチキンの調理法を教えるかわりに、売上の一部をもらうという、 新しいビジネスモデルを考案した。

その過程では、1009社もの会社に断られ、1010社目でようやく 契約を獲得したという。

ここから「ケンタッキー・フライドチキン」の偉大な歴史が始まった。

どんな状況でも「不屈の精神」があれば、年齢は関係なく、 ゼロから這い上がることが可能だということだ。

今、世間では働きすぎが問題になっている。

確かに過労死は問題だ。

しかし、その一方で、休みすぎてダメになってゆく人たちがその何倍もいることにも目を向ける必要があるのではないだろうか。

2018年12月21日 (金)

できる人の要約力/本間正人、浮島由美子

Photo 重要度はすべて同じではない、という前提に立って「書いた人が何を一番言いたいのか?」、つまり「要旨」を読み取ることが大事。

要約力はいろんな場面で必要になる。

例えば本を読んで、それを他者に説明するときなど、要約力が必要だ。

その場合、重要なのは「著者は何を言いたいのか?」ということ。

これをポイントにまとめれば大きく外れることはない。

要約力は会話をしているときにも重要だ。

例えば、私は中小企業の社長と話すことが多い。

中には長々と脈略なく話す社長がいる。

話している本人も途中で何を話しているのかわからなくなることもある。

そんなとき、「要するに社長のおっしゃりたいことは〇〇ですよね」と要約してあげると、「そうそう、そうなんだよ」と会話が弾む。

また相手は本当に自分の話を聞いてくれるんだという信頼感が生まれる。

私にとって要約力とは「相手の意図を汲み取る能力」と同義語である。

それをズバリと言えることこそ、最大のコミュニケーションの武器になるのではないだろうか。

2018年12月20日 (木)

ロマンとソロバン/宮本喜一

Photo 金井は彼らにこう語りかけた。
「君たちにロマンはあるか?」
 ロマンとは何か、彼らが共通に抱くべきロマンとは何か。金井は言った。
「世界一のクルマをつくろう」

本書は危機感の中から、マツダがどのように会社をもり立てて行くかという話しが、とてもわかりやすく紹介をされている。

キーワードは「ロマン」と「ソロバン」

「ソロバン」、つまり儲かっているかどうかはどの会社も大事にする。

大事なのは、もう一つのキーワードである「ロマン」

ロマンは、開発がどれほど困難であってもそれを乗り越えていくための原動力を与えてくれる。

ロマンが共有できれば、チーム全員の士気も上がる。

マツダの世界シェアは2パーセント。

そうした業界でマツダが生き残っていくためのカギは、わずか2パーセントという小さなシェアのスモールプレーヤーの特徴を存分に活かした独自性の追求だ。

そのためには勝てる分野を特定する。

マツダの得意分野とは何か?

そのようにして世界一のクルマを作るための議論が進められていく。

それはエンジンの燃焼技術、車体設計技術、あるいは製造技術といった、従来マツダが長年にわたり磨きをかけ続けてきた分野だということになる。

とりわけエンジンの開発にかけては、マツダはそれなりの誇りと自信を持っている。

なぜなら、1960年代、世界中の自動車会社がこぞって開発に取り組みながら、一社も製品化に成功しなかったロータリーエンジンを、マツダだけが〝もの〟にしたからだ。

世界一のクルマづくりの議論がこうして進展していく。

その過程で、世界一のクルマをつくるために最も重要なキーとなるのは駆動装置であり、さらにその中でもエンジンが中核的存在であって、開発目標となるべきことにチームの考えが当然のことのように収束していった。

その中で開発チームのリーダー人見は「ボウリングの一番ピンを狙え」という。

狙いを定めるべき〝一番ピン〟は、圧縮比ということになる。

なぜなら、圧縮比は制御因子の中で、排気損失と冷却損失の両方に対して最も大きな影響力を持っているから。

この「ボウリングの一番ピンを狙え」は、自分だけではなく周囲のエンジニアに向かって折に触れて口にしている人見流の叱咤激励のセリフでもあった。

狙うべきポイントがわかれば、開発の姿勢に迷いがなくなる。迷いがなくなれば、一気呵成に最適解に突き進める。

このようにしてマツダの新車開発は進められていく。

このプロセスをみて感じるのは、折に触れてリーダーは「皆が共有できる言葉」を発しているということ。

その言葉に皆の想いが集約され共有されエネルギーとなっていく。

リーダーが発する言葉がいかに重要かを本書は教えてくれる。

2018年12月19日 (水)

わがセブン秘録/鈴木敏文

Photo きちっと計画的に人生を歩む生き方と、真剣にそして懸命に「行き当たりばったり」に生きる生き方があるとすれば、わたしは明らかに後者のほうに入ります。
 振り返ってみると、わたしは本当に行き当たりばったりの生き方をしてきました。

鈴木氏は自らの生き方を行き当たりばったりの生き方と述べている。

確かにその歩みは波乱万丈、

しかし、流されているようで流されていない。

それぞれの場で主体的に課題に向き合い、結果を出してきている。

そのときどきに出くわしたことから逃げずに、真正面から取り組んでいる。

結果としてキャリアがが一段一段積み上がってきている。

一見、行き当たりばったりのように見えても、大切なのは、それが積み上がっていくかどうかだ。

失敗はそのまま何もしなければ失敗に終わる。

しかし、一度失敗しても視点をまったく切り替え、新たに挑戦を始めれば、チャンスへと導き、新しいものを生み出すことができる。

最大の失敗は最大のチャンスをつかむきっかけにもなる。

重要なのは、そのときどきの状況において、どれだけ挑戦し、どれだけ踏み込んだ判断と行動ができるかどうかだ。

未来に向かって敷かれたレールはない。

道は自分でつくるものである。

仕事においても、人生においても、同様だ。

レールとは、ふと振り返ったときに、自分が歩んできた結果として敷かれているもの。

そして、忘れてならないのは、過去のレールの延長線上に自分でレールを敷いてはならないということ。

鈴木氏の歩みは、キャリアをどのように形成していくかという視点から見ても非常に興味深い。

2018年12月18日 (火)

編集者という病い/見城徹

Photo 生きることは暗闇のなかでのジャンプの連続だ。そう思って僕も編集者としての長い旅を生きてきたような気がします。その延長線で、情動と救済の表現に関わり続けていく。その表現のみが苦しみを和らげ溶かしてくれると信じてきたからです。

本書は著者である見城氏の編集者としての半生を綴ったもの。

その生き方は強烈であり、まさに「病い」というに相応しい。

本書には、尾崎豊、石原慎太郎、村上龍等、そうそうたる作家が登場する。

見城氏は彼らと真剣に向き合う。

そしてその化学反応から作品が生み出される。

普通の人には出来ない生き方だ。

見城氏はそれは自らが臆病だからと言っている。

臆病だからこそ、激烈に生きていないとたまらない。

もしも失敗したら会社が潰れるってくらいのことをやってないと、空しさや怯えを埋められない。

臆病だからこそ、細かいところまで考え詰める。

臆病だからこそ逆に無謀に行ける。

いつもクヨクヨ考えているから、いろんなことを用意周到に埋めることもできる。

それがあるからこそターニングポイントで舵を逆に切ることができる。

面白い自己分析である。

2018年12月17日 (月)

勇気ある人々/ジョン・F・ケネディ

Photo_3 「われわれが望み大切にしている勇気というのは、心安らかに死ぬ勇気ではない。それは決然と生きる勇気なのだ」

上記は本書で引用されているトーマス・カーライルの言葉。

本書でジョン・F・ケネディは「勇気」について語っている。

本書では多くのアメリカの政治家が登場するが、ほとんどが日本人には馴染みの薄い人物である。

彼らの生き方の違いはどうであれ、本書で紹介されているアメリカの政治家は、ある一つの英雄的資質を共通に持っている。

それは勇気だ。

ケネディは歴史を勉強し、勇気の複雑さを理解していたからこそ、同時に、勇気の単純明快な力も理解していたのだろう。

犠牲をいとわず信念に忠実に行動する人たちの物語を伝えることで、これからの世代の人たちを触発し、先例に倣おうという意欲を燃やすよう促せると信じていたように感じる。

同時に、ジョン・F・ケネディの人生と仕事は「勇気」という一文字に集約されるのかもしれない

そして世界中の何百万という人々を触発してきた。

先の見えない混迷の時代であるからこそ、勇気をもって人々を導くリーダーの存在が必要だということを考えさせられた。

2018年12月16日 (日)

評価の基準/國武大紀

Photo_2 一体感、承認、貢献、成長という4つの要素を実感できる場が存在していれば、私たちは「正しく評価されている」という実感を得ることができるのです。

報酬には金銭による報酬、地位・ポストによる報酬がある。

多くはこの2つを報酬というのだが、評価がこの2つだけを目的にしてしまうと、必ず不満が出る。

それは、そもそも評価とは「認められたい」という人間の根源的な欲求を満たすための行為であるからだ。

実は人間には上記2つとは別の報酬がある。

それは、

人とのつながりが感じられる(一体感)

組織の一員としてちゃんと認識されていることを感じる(承認)

人や組織の役に立っていると実感できる(貢献)

自分が伸びているという感覚をもてる(成長)

である。

著者はこれらを「第3の報酬」と呼んでいる。

人間には「他者から認められたい」「評価されたい」という、「承認欲求」 がある。

評価者は「一体感」「承認」「貢献」「成長」という4つの要素を意識する必要があるということではないだろうか。

2018年12月15日 (土)

労役でムショに行ってきた!/森史之助

Photo 子どものころからそうだった。他人と違うことをしてみたかった。普通の人間なら避けて通りそうな道を、あえて選んで、周囲から感嘆の声を浴びせられることに快感を覚えた。妙な性格だ。
 今回、罰金刑を命じられながら労役を選んだのも、結局こうした性格の表れなのかもしれない。

著者は道路交通法違反で検挙され、略式裁判で 25 万円の罰金判決を受けたが、それから1年以上にわたって支払いを固辞し検察庁職員を手こずらせ、結局払えずに、日労役場留置された。

埼玉県にある川越少年刑務所で50日間、囚人として生活した。

著者は元新聞記者、そして今はフリーのライターをしているということ。

このような場合、大部分の人は25万円の罰金を払ってすまそうとするのだろう。

ところが著者は25万円の罰金を払うのを固辞し、労役に服した。

「払うお金がない」という経済的な事情とともに、恐らくその中には「本のネタになるかも」というライターとしての好奇心もあったのだろう。

身体を張って本を書いたということである。

そうはいっても50日間の留置はつらいもの。

その間、非人間的な扱いを受ける。

刑務官の前で裸にさせられ尻の穴まで調べられる。

いわゆる臭い飯も食わされる。

全ての行動を監視され制限される。

でも、それらはすべて本のネタになる。

本書でどのくらいの印税が入ったのだろう?

2018年12月14日 (金)

作家の収支/森博嗣

Photo 「好きだから」という理由で書いている人は、好きでなくなったときにスランプになる。「自慢できる」仕事だと思っている人は、批判を受けるとやる気がなくなる。つまり、そういった感情的な動機だけに支えられていると、感情によって書けなくなることがある、ということのようだ。
 それに比べれば、仕事で書いているかぎり、スランプはない。

作家という仕事、実際どのくらいの収入があるのか?

この点に絞って著者は作家である自身の収入をありのまま公開している。

作家は原稿を書くのが仕事。

原稿を書くとどの位もらえるのか。

この原稿料は、それぞれの掲載媒体によって一定の額が決まっているので、作品の出来不出来で高くなったり安くなったりしない。

原稿料は、一般に文章の長さに比例していて、しかもその「長さ」は原稿用紙で何枚か、という非常に古式ゆかしい尺度によって規定されている。

小説雑誌などでは、原稿用紙1枚に対して、4000円~6000円の原稿料がもらえる。

1冊の本に収録されている長編小説は、原稿用紙で400枚~600枚程度の場合が多い。

つまり、その長編1作を雑誌に連載すると、だいたい200万円~300万円の原稿料になる。

新聞の連載小説などは、1回分が5万円ほどで、これが毎日だから、1年間連載をすれば、この連載だけで1800万円の年収になる。

更に本が売れると印税が入る。

普通の書籍の場合は、印税率は、本の価格の8%~14%の範囲。

著書の『すべてがFになる』では、ノベルス版が第24刷まで出て、累計13万9600部、文庫版が第60刷まで出ていて、累計63万9300部。

ノベルスで約1400万円、文庫で約4700万円の印税。

つまり、この1作で、合計6000万円以上を稼いだということになる。

こう数字を並べると、作家はおいしい仕事と言えそうだが、それはある程度名の売れた作家の話。

恐らく大部分の作家は食うや食わずの生活をしているのだろう。

できればそのような売れっ子でない作家の収入を知りたいものだ。

ただ、作家として必要なことは仕事として書き続けること、ということには同感できる。

2018年12月13日 (木)

99%の日本人がわかっていない国債の真実/高橋洋一

99 政府が国債を発行するのは、企業が金を借りるのと基本的には同じだ。
 企業は融資を受けて経営をする。
 政府は国債を発行して国家運営をする。

99%の日本人が国債のことを理解していないというが、私もその一人である。

著者によると、国債を理解するには、「政府」を「企業」に置き換えて考えてみるとわかりやすいという。

たいていの企業は銀行から金を借りている。

そのお金で設備投資などをして、商売を広げるためだ。

新しい機械を入れたり、自社ビルを建てたりするわけである。

そして、いろんな企業が銀行からお金を借りて商売を広げるほど、取引が多くなる。

要はお金が多くやりとりされ、経済が活性化する。

こで「借金はダメだから、銀行から融資を受けない企業のほうがいい企業だ」と考える人がいたら、その人は企業活動の何たるかをまったく理解していないことになる。

逆にお金を借りて、設備投資が増えたのなら、それだけ企業活動の規模が拡大しており、経済が活性化しているということだ。

言い換えれば、多くの企業が銀行からたくさん融資を受けて、活発に設備投資をしているわけである。

もし、すべての企業がいっさい借金をしなくなったら、ただただ経済が縮小していくだけだ。

と、このように考えると、理解しやすい。

要は、国が成長するためには、企業が銀行から借金するように、政府は国債を通して国民から借金をするということ。

この著者の説明は非常に分かりやすい。

2018年12月12日 (水)

誰も教えてくれない 計画するスキル/芝本秀徳

Photo どんな仕事でも、真っ先にやるべきは「ゴールイメージの共有」です。「そもそも何がしたいのか」が共有されていなければ計画も何もあったものではない。

計画を立てることができると、「本当にできるの?」という実現可能性がわかる。

次のアクションがわかる。

今何をすべきなのか、次に何をすべきなのかがわかる。

共通認識を得るためのコミュニケーションツールにもなる。

そして、ズレれば変更ができる、修正ができる。

計画は7つのステップで立てる。

ステップ1:要求理解「何が求められているのか?」

ステップ2:プロジェクト定義「何をするのか?」

ステップ3:成果物定義「何を作るのか?」

ステップ4:マイルストーン定義「いつまでに、どこまで終わらせるのか?」

ステップ5:プロセス設計「どのように進めるのか?」

ステップ6:スケジュール化「何を、いつするのか?」

ステップ7:タスク分解「どんな作業があるのか?」

中でもステップ1と2は重要だ。

つまり、「ゴールイメージを明確にし共有する」こと。

ところがこれができていない計画は意外と多い。

例えば何等かのプロジェクトを立ち上げたとする。

普通、プロジェクトはうまくいかない。

いくつもの壁が立ちふさがる。

その時、大事なのは「ゴールイメージ」である。

このプロジェクトを通して何を達成したいのか?

このことが明確で共有されていると、メンバーは幾重にも立ちふさがる壁を乗り越えることができる。

メンバーから不満が噴出し、大抵プロジェクトは空中分解する。

「計画するスキル」というと、つい細部に入り込みがちになるのだが、まず幹の部分をしっかりとさせることが重要ということではないだろうか。

2018年12月11日 (火)

「やりたいこと」を先送りしてしまう自分が変わる本/望月俊孝

Photo 実は、「すぐやる」人は野球選手のように人生に「守備範囲」を持っています。その範囲にひっかかったものだけを「すぐに」やっているのです。

「すぐやる」ことは重要だ。

でもそれができない人がほとんど。

ではどうして「すぐやる」ことができないのか。

それはすべてのことをすぐやろうとしているから。

それを著者は野球選手に守備範囲に例えて説明している。

どんな優秀な野球選手であっても球場全部を守ることはできない。

ライトはライトの、サードはサードの守備範囲がある。

優れた野球選手はその守備範囲を完璧に近く守る。

それと同様にすべてのことを「すぐやる」ことはできない。

まずは「すぐやる」守備範囲を決めることが大事だ。

ではその守備範囲をどうやってきめるのか。

まず考えるべきなのは、すぐやらないことによって多大な影響を及ぼす分野。

それを明確にし、それだけは「すぐやる」ようにする。

さらに価値観に合っているかどうかも重要だ。

価値観に合ったことははじめの1歩を踏み出しやすい。

はじめの1歩を踏み出せば、次の1歩は踏み出しやすくなる。

つまり、「やるべき」ことと「やりたい」ことを明確にし、それだけは「すぐやる」。

逆に言えば、それ以外は「すぐやらない」。

先延ばし傾向の強い人はそこからはじめるべきだろう。

2018年12月10日 (月)

エンジニアの成長戦略/匠習作

Photo 知りたい、調べたい、どうしてなんだろうという、激しい知的好奇心がなければエンジニアの仕事は苦痛でしかない。

本書では人材を3つのタイプに分けている。

「自燃型」「可燃型」「不燃型」である。

「自燃型」とは、自分で目標を立て、自分で計画し自ら学びそれを業務で活かそうとするタイプ。

ある意味理想的に見えるが、組織や上司にそれに見合うだけのものがないと、いずれ会社・組織を離れていく。

そのため、必ずしも会社や組織にとって使いやすいタイプとは限らない。

「可燃型」とは、何かのきっかけでモチベーションがアップし仕事に燃えるタイプ。

実はほとんどのビジネスパーソンは、このタイプ。

特に、新入社員や、入社間もない若手社員は圧倒的に「可燃型」が多い。

通常の会社や組織であればそこにいる社員は、基本的に「可燃型」である。

そのため、上司や仕事上の先輩にあたる人は、燃え始めるための火種を用意しなければならない。

「不燃型」とは、基本的に、いわれたことだけをこなすタイプ。

余計なことはしない。

そうかといって、仕事を確実にやり遂げるというタイプでもない。

怒られない、注意されない程度にやり遂げる。

基本的に、不燃型を仕事で燃やすことはできない。

大きな組織で安定的なら害はない。

そしてエンジニアとして成長し続けるのは「自燃型」である。

エンジニアで大事なのは「動機」だということであろう。

2018年12月 9日 (日)

ポスト新産業革命/加谷珪一

Photo AI化という流れは、その業務の本質が何なのかということをはっきりさせているに過ぎない。

仕事には本質的な業務とそれに付帯する業務がある。

AIに代替されるのは多くは付帯業務である。

本質的な業務は依然として人間がやることになる。

AI時代以前は、デザインの業務を行うにも、医療業務を行うにも、情報システムを構築するにも、多くの人員を必要とした。

本業以外の付帯業務の割合が高かったからである。

だがAI時代には、医師は医師としての本質的な業務に特化すればよく、デザイナーもデザインという本質に特化すればよい。

図案を描く作業は機械に任せ、デザインの核心部分を発案できればよい。

医療についても、AIがあれば問診業務や検査業務の多くを代行できるので、医師は治療というもっとも大事な部分に特化できる。

SEも同様である。

設計やプログラミングの作業そのものはかなりの部分が機械で代行できるので、SEはシステムの提案や顧客ニーズの実装という付加価値の高い部分に集中することになる。

結果として、単純作業が得意なデザイナー、医師、SEは必要なくなり、 多くの労働者が人間にしかできない高付加価値な仕事へのシフトを迫られる。

これがAI社会の本質ということになる。

そう考えると、私たちがどの方向でキャリアを形成してゆけば良いのかが明確になってくる。

AI社会は決して脅威ではないということである。

2018年12月 8日 (土)

日本のイノベーションのジレンマ/玉田俊平太

Photo 二十一世紀を生き抜くために、企業はこの創発力を一層鍛える必要がある。そして、他人のわずかな振る舞いから、その人が求めていることを感じ取る、すなわち「空気を読む」ことが得意な日本人こそ、実は創発力に富んだ民族なのかもしれない。

アメリカの哲学者パースによれば、人間の思考は「演繹」「帰納」「創発(仮説設定)」の三種類に分類できるという。

これらのうち、演繹と帰納は、おそらくコンピュータでも代用可能だ。

演繹はコンピュータが得意とする論理演算そのものだし、帰納も多くのデータから近似式を求めればできそうだ。

しかし、最後の仮説設定、すなわち起きていることの因果関係を類推して仮説を考え出すことは、今のところ人間にしかできないようだ。

そしてこの創発力はイノベーションと密接な関係がある。

今の日本企業に必要なのはイノベーションである。

この考えに異を唱える人はいないだろう。

クリステンセン教授によると、イノベーションには持続的イノベーションと破壊的イノベーションがあるという。

今ある製品・サービスをより良くするという競争において、既存の大企業は圧倒的な強さを示す。

クリステンセン教授は、このような「今ある製品・サービスをより良くする=従来よりも優れた性能を実現して、既存顧客のさらなる満足向上を狙う」タイプのイノベーションを持続的イノベーションと定義した。

これに対し、破壊的イノベーションとは、「既存の主要顧客には性能が低すぎて魅力的に映らないが、新しい顧客やそれほど要求が厳しくない顧客にアピールするもの」だ。

メーカーは一生懸命性能を向上させ続けているのに、ユーザーにとってはちっともありがたくない性能があれば、既存企業をローエンドから破壊するチャンスとなる。

QBハウスや回転寿し、ティファールの湯沸かしポットやワンコイン健診のケアプロなどはいずれも、他社にはない技術やノウハウを結集してローエンド型破壊を起こしている。

日本人は新しいものを発想する力が劣っていると考えがちだが、見渡してみれば破壊的イノベーションで成功したビジネスモデルであふれている。

日本人はもっと自信を持って良いのかもしれない。

2018年12月 7日 (金)

熱海の奇跡/市来広一郎

Photo 古い街をただ壊すのではなく、古い街にそのまましがみつくのでもなく、街の良さを新しい価値観で発見して活かしていく。  それがリノベーションまちづくりです。

熱海が今、かつての活気を取り戻しつつある。

熱海のイメージは、企業等の団体客が宴会場として利用している温泉観光地というもの。

私も会社勤めをしていた時代、行ったことがある。

しかし、時代とともに観光客の求めるものが、かつてのような団体客による宴会歓待型から、今では個人や家族による体験・交流型に変化した。

これとともに、熱海は衰退していった。

本書はかつての繁栄を取り戻すための試みを具体的に記している。

そのキーワードは「リノベーションまちづくり」

リノベーションまちづくりとは、街の独自文化を活かし、古いものに新しい価値を与える。

そんな新しい発想を持った人による経済活動のこと。

リノベーションを行うことで、街の文化が魅力を増していく。

そのために大事なのは、新しい価値を生み出す人の存在。

魅力のある商品やサービスを生み出す企業をたくさん育て、街そのものの魅力を高めることによって経済的な実力を備えることがなければ、街は持続的に繁栄することなどできない。

そのために様々な試みをする。

例えば「あたみマルシェ」

「あたみマルシェ」への参加の条件は、主に、「手づくり」、「ローカル」、「商売としてのチャレンジ」の三つ。

ただ、このマルシェは、単に商店街に賑わいをつくることが狙いだったわけではなく、本当の目的は次の二つ。

まず一つは、熱海の街なかでこれからお店や工房を持ちたい方を発掘し、応援する場となること。

もう一つは、道路という普段活用されていない公共空間を、人の過ごす場所として活用することだった。

「熱海で商売をしたいとか、工房を持ちたいなどという意欲のある人が、自分たちの事業をテストする場」

これが真の狙いだった。

この「あたみマルシェ」は2013年の開始以来、2017年まで毎年6回ずつ開催していて、毎回40から50店舗の出店があるという状況になっている。

これによって、エリアに魅力が生まれ、人が集うようになり、空き店舗も埋まり始める。

その結果このエリアの地価も上がり始める。

リノベーションまちづくりの目的であるエリア価値の向上は、不動産価値の上昇という形で現れる。

熱海はこれらの試みによってかつての活気を取り戻しつつある。

そして熱海と同様、日本の地方都市にはそれぞれ、独自の歴史があり、自然があり、文化がある。

その個性を新しい目で見直すことで、街を再生するカギを発見することは不可能ではないはず。

街という地方社会を活性化するために、リノベーションにより街の良さを活かしたビジネスを起こすというまちづくりは、日本中のあらゆる地方都市でもできるのではないだろうか。

2018年12月 6日 (木)

明日クビになっても大丈夫!/ヨッピー

Photo 結局のところ言いたいのは「貴方も本業以外に何かやれ」 という事だ。僕にとっての「オモコロで書く事」を皆さんにも見つけて欲しい。それはたったひとつの趣味で構わない。その「趣味」が「仕事」に変わった時、「趣味が仕事」というのはそれだけで大きなアドバンテージになるからだ。

サラリーマンで「明日クビになっても大丈夫」という人はどのくらいいるのだろう。

よほど能力があるか、財産があるかでなければそんな人はいないだろう。

ほとんどの人は「明日クビになったら路頭に迷う」人たちである。

そうなってくると、嫌な上司の言うことも聞かなければならないし、理不尽な命令にも従わなければならない。

会社にしがみつく以外、生きていく術がなくなってしまう。

だったら、そんな会社は辞めて独立すればよいと考えがちだが、それでまともに食っていける人はごく少数であろう。

そこで著者が勧めているのが「副業」である。

仕事をしながら「副業」をする。

そして「副業」で食っていける目途がついたら、それで独立すればいい。

そのように勧めている。

確かにこれが一番安全なやり方だろう。

一つの選択肢として考えてもよいのではないだろうか。

2018年12月 5日 (水)

たった一人の熱狂/見城徹

Photo この世には2種類の人間しかいない。圧倒的努力を続ける人と、途中で努力を放棄する人だ。

「圧倒的努力」とは何か。

著者が石原慎太郎氏から原稿を書いてもらおうとアプローチした時、「太陽の季節」を本人の目の前で暗唱して見せたという。

著名な作家から原稿をもらうためには、過去の著書を全部読んでから会うという。

圧倒的努力とは何か。

人が寝ている時に寝ないで働く。

人が休んでいる時に休まずに動く。

どこから手をつけたらいいのか解らない膨大なものに、手をつけてやり切る。

「無理だ」「不可能だ」と人があきらめる仕事を敢えて選び、その仕事をねじ伏せる。

人があきらめたとしても、自分だけはあきらめない。

これが著者のいう「圧倒的努力」。

圧倒的努力ができるかどうかは、要は心の問題。

どんなに苦しくても仕事を途中で放り出さず、誰よりも自分に厳しく途方もない努力を重ねる。

できるかできないかではなく、やるかやらないかの差が勝負を決する。

こんな著者の生き方は「熱狂」というにふさわしい。

2018年12月 4日 (火)

誰も教えてくれない 質問するスキル/芝本秀徳

Photo 質問するという行為には、相手の思考を方向づける力があります。質問されると考えざるを得ない。だから、よい質問をすることによって、相手の思考をいい方向に導くことができます。相手を深く考えさせたり、ポジティブに考えさせたり、本質的に考えさせたりできるのです。

人は普段考えているようで考えていない。

考えているのではなく思っているといったほうがよいのかもしれない。

考えるとはどういうことか。

結論を出すことである。

結論まで至らなくとも、何らかの考えた結果をだすことである。

では相手に考えさせるためにはどうすればよいのか。

的確な質問をすることである。

例えば何気なく仕事をしている相手に「この仕事の目的な何ですか」と質問したとする。

相手は初めて「この仕事の目的な何だろう」と考え出す。

「この仕事はどんな結果を求められているのですか」と質問すると、はじめて「この仕事はどんな結果を求められているのだろう」と考え出す。

また、質問は相手に投げかける前に、自分に向ける必要もある。

自分に問いかけ続ける。

相手に的確な質問をするためには、まず自分に的確な質問ができるようにする。

その時、自分にどんな考えがうまれるのか。

それを体感することが的確な質問ができるようになる第一歩ではないだろうか。

2018年12月 3日 (月)

問いかけ続ける/ジェイムズ・カー、恒川正志

Photo 基本的な問いを繰りかえす文化では、思いこみを〝断ち切る〟ことにより、明快な結果に到達することができる。謙虚になれば、どうしたらもっとうまくできるかという簡潔な問いが生まれる。

インスパイア型のリーダー、組織、チームはもっとも深い目標、つまり〝なぜ〟を見いだす。

そして、共有される価値、理念、信念を通して人々を惹きつける。

オールブラックスには問いかけ続ける文化があるという。

「…… だとしたら、どうなるか?」

「この状況で…… するには何をするか?」

「…… にはどうしたらいいか?」

「…… はどうか?」

と、問いかけ続ける。

オールブラックスのメンバーに加わるとき、選手は一冊の本を渡される。

革張りの小さな黒い本で、見た目にも美しい。

最初のページにはジャージが印刷されている。

この長いファカパパの初代のチームである1905年のオリジナルズのものだ。

次のページもジャージの写真で、これは1924年のインヴィンシブルズのものだ。

その後も、現在のものまで年代順にジャージが並ぶ。

これはわかりやすく目に見える形でファカパパを表したものであり、獲得すべき遺産である。

次の数ページは行動規範、英雄、価値、基準、社交儀礼、エートス、チームの品性を意識させるものとなっている。

残りのページは空白になっている。書きこまれるのを待っている。

次はあなたの番だと言っているようだ。

「この後のページにどんな物語を作るのか?」と、問いかけているようだ。

このような文化が強いチームの基盤となっているのだろう。

2018年12月 2日 (日)

社会人話し方のマナーとコツ188/なるほど倶楽部

Photo 訪問先で「コーヒーと紅茶、日本茶、何がいい?」と聞かれ、「紅茶でいいわ」は、想像以上に失礼な返事であるのを自覚したいものです。

「紅茶でいいわ」がどうして失礼な返事になるのか?

それは「不本意だけどいやいや妥協した」というイメージがあるからだ。

同じケースで「紅茶がいいわ」と言えば、自分の明確な意思のもと、紅茶を選んだというイメージになる。

つまり、たった一字だが、「が」には、自分が本当にいいと思ったというイメージが、「で」には、気にいらないけど我慢するというイメージがあり、聞いたほうはどこかスッキリしないのである。

同様に、レストランなどで、「私、Aコースがいいわ」と誰かがいうと、「私も、Aコースでいいわ」と同調する人をよく見かける。

同じ、Aコースを食べるのでも、前者は自分から積極的にAコースを食べたい気持ちが伝わってきて、頼まれたほうも気持ちがいいもの。

反対に「Aコースでいい」というと、「本当は私はもっと別のものを頼みたかったのだけど、あなたに合せるわ」という、いやいや妥協したというようなニュアンスが感じられる。

「が」と「で」の違い、たった一字だが、相手に伝わるイメージは大きく異なる。

言葉は大切にしたいものだ。

2018年12月 1日 (土)

働く女の腹の底/博報堂キャリジョ研

Photo 実際、キャリジョ研の調査では「結婚した後、どのように働いていたいか」という質問に対して、「仕事は辞めて専業主婦になりたい」はなんと全体で6・4%。年代や地域を問わず、全体の1割に満たないのです。「寿退社」という言葉も、今では死語になりつつあるようです。

働く女性のことをキャリアウーマンと呼んでいたのは昔の話、今はキャリジョと呼ぶそうだ。

本書ではキャリジョを7つに分類している。

1つ目は、生活全部に全力投球【モーキャリ】

仕事意欲も趣味も、恋愛も、人づきあいも、すべてに意欲的な女性たち。

2つ目は、家族との幸せを最優先【ちょいキャリ】

結婚こそが女性の幸せだと思っており、仕事(=キャリア)はちょいっとがんばればいいと思っている女性たち。

3つ目は、趣味重視で我が道を行く【割りキャリ】

趣味など自分の情熱をかけるものを最優先にして生きるク女性たち。

4つ目は、仕事一筋のスペシャリスト【プロキャリ】

専門性・技術を活かして仕事にストイックに打ち込み、働くことが生きがいの女性たち。

5つ目は、自分磨きで玉の輿を夢見る【乗っキャリ】

かつての〝腰掛けOL〟の現代版。

自分でガツガツ働いて稼ぐよりは、経済力とステータスのある男性と出会い、その男性の人生に〝乗っかりたい!〟という意識が特徴的な女性たち。

6つ目は、何事も現状維持志向【凡キャリ】

仕事、恋愛・結婚、趣味、人づきあい、日常生活……すべてが平均的な女性たち。

7つ目は、ミーハーな「いいね!」モンスター【キラキャリ】

楽しいことを追い求めてキラキラした生活を送りたい! と願う女性たち。

つまり、働く女性の生き方は多様化しているということ。

でも、これっていいことではないだろうか。

未来への可能性を感じる。

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