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2019年1月の28件の記事

2019年1月31日 (木)

「世界をよくする仕事」で稼ぐ/大澤亮

Photo 起業の成功と失敗を分けるものはなんだろう。資金、十分な規模の市場、先を見通す力、経営力など、起業を成功させるのに必要な条件はいくつもあり、しかもそれらはケースによって変わってくる。ただし、どんな場合も、これがないと成功はおぼつかないと僕が感じる要素が一つある。
 それは、起業家(経営者)の運のよさだ。

起業家に限らず、世の成功者と言われる人たちが共通して言うのは「運がよかった」ということ。

謙遜していうこともあるのかもしれないが、本気でそう言う人が多い。

運がいい人は、ピンチに見舞われても、そこで普段以上の力を発揮して切り抜けることができる。

またどこからともなく、助けてが現れる。

ところが運をもっていないと、どんなに頑張ってもその人の実力以上の力は出せないので、予想を超える困難に直面すると、そこでつぶれてしまう。

「運」と言うと、身も蓋もないように感じるかもしれない。

たしかに、生まれながら強い運に恵まれているような人はいる。

けれども、人の運というのは生まれたときの星回りで決まってしまうのかといったら、そんなことはない。

むしろ、考え方や行動の仕方で運を引き寄せることができる。

例えば、ひたむきに頑張っている人の周りには、自然と応援団やサポーターができてくる。

いつも人を助けている人には、その人が困ったときには助けてくれる人が現れる。

また何事にも絶対にあきらめない人に対しては、何となく助けたくなる。

運が良い人とは、運を引き寄せることのできる人ということができるのではないだろうか。

2019年1月30日 (水)

ギャンブル依存症/田中紀子

Photo あのときこうだったら当たっていた、次にこうしたら当たるだろう、と考えることでドーパミンが大量に分泌されます。それが快感であるため、ギャンブルに関わる思考を止められなくなってしまいます。  

世界保健機関がギャンブル依存症にかかっていると考えられる人たちが日本では成人全体の4.8%、つまり約20人に1人いると推定されるという。

ギャンブル依存症と聞くと、多くの人は意思が弱い人と考えてしまう。

しかし、人の意思のせいにしている限り、この問題は決して解決しない。

また、依存症に陥っている人には、自分が依存症である事を認める事ができず、問題を過小評価する事がしばしばある。

ギャンブル障害の症状を知っても「自分は違う」、「自分は最後には勝つから大丈夫」、「自分はあの人に比べたらましだから大丈夫」などと感じる傾向があり、このように感じてしまうことが、やめられない原因になる事もある。

依存症者が追い込まれていくと、普通の人にはわからないほど切羽詰まった感覚が強くなる。

脳が機能不全に陥り、とくに前頭葉の動きが悪くなって思考回路がうまく働かないようになると言われている。

特に快楽物質と言われるドーパミンの影響は大きい。

依存症はドーパミンの制御障害だともいえる。

ドーパミンは本来、やる気になったときや誰かに褒められたとき、誰かの役に立ったときなどにも出るもの。

仕事や勉強、スポーツで成果をあげるなどといったプラス効果につなげられる。

ところが、ギャンブル依存症になると、ギャンブルをしているときだけ大量にドーパミンが分泌されすぎてしまい、その暴走を抑える機能に障害が現われていると考えられている。

ギャンブル依存症は結果として犯罪につながることが多い。

その意味でまずは正しい知識を身に付け、社会で対策を立てる必要があるということであろう。

2019年1月29日 (火)

グローバル・リーダーの流儀/森本作也

Photo 日本で「リーダー」というとグループや組織の長を指し、「リーダーシップ」というと「リーダー」の立場にある人が発揮すべき管理能力のように思われがちです。それも確かにリーダーですが、海外ではより広い意味を持ちます。海外、特にアメリカでは「リーダーシップ」とは、あらゆる組織のあらゆるポジションの人が発揮しうる「姿勢」のことで、「リーダーシップ」を発揮しさえすれば、誰もが「リーダー」になれるのです。

日本と欧米のリーダーシップについての考え方の違いは興味深い。

いわば日本のリーダーシップについての考え方は、縦のリーダーシップ。

欧米のリーダーシップは横のリーダーシップをイメージしているということ。

どちらが難しいのか。

もちろん横のリーダーシップである。

縦のリーダーシップとは上下関係におけるリーダーシップである。

上司部下の力関係を基礎にしているため、命令で部下を動かすことができる。

極端に言えばリーダーシップはなくても動かすことができる。

しかし、横のリーダーシップはそうはいかない。

ポジションパワーで動かすことができないので、リーダーの人間性が問われる。

「あの人が言うのであれば」というものがなければ人は動かない。

そのためには仕事に対する姿勢や教養、人格等、すべてを集約した人間力が必要。

それによって影響力を持てなければ人は動かない。

日本で本当のリーダーが生まれにくいのも、一つはリーダーシップについての考え方に原因があるのかもしれない。

2019年1月28日 (月)

[実践]ビジネス・コーチング/田近秀敏

Photo 言葉は予言的なパワーを持っています。使っている言葉によって現実に変化が起きてくるのです。効果的な言葉は自分を動かし、他の人が動くための影響を与えます。そして、どんな言葉を使っているかが、その人の人生の質を決めていると言っても過言ではないと思います。

現在通っている研修の講師の書いた本なので読んでみた。

コーチングで重視することは、相手の自主性をである。

コーチングでは人を動かすのではなく、相手が自分で動くように援助する。

相手に答えを教えるのではなく、質問によって気づきを促し、答えを一緒に考える。

コーチングは、質問によって相手から真実を引き出すコミュニケーション。

だから、相手にとって安全で安心できる、そして信頼できるコーチであるということが必要。

つまり単なるスキルを身に付ければよいのでなく、人間性も問われる。

今、世の中ではパワハラが問題になっている。

私が社会人になったころの教育は全部パワハラと言ってよい。

当時は当たり前と思っていたのだが、おそらく今のパワハラ基準に照らしてみると、ほとんどがアウトであろう。

それだから力で相手を動かすのではなく、相手に質問することによって気づきを促し、相手が自ら動くように導くコミュニケーションスキルが求められているのではないだろうか。

今やコーチングは管理職の必須スキルといってよい。

2019年1月27日 (日)

生産性向上だけを考えれば日本経済は大復活する/三橋貴明

Photo_2 日本の生産性が伸びないのは、別に日本国民が努力をしなくなったからではない。単に、デフレでGDPが伸びないためなのである。

最近、日本人の生産性が低いことが話題になる。

そしてそれは日本人の働き方が悪いからだ、だから「働き方改革」だと話が進んでいく。

この話の進め方、ものすごく違和感がある。

確かに日本人の働き方が悪いという面もあるだろう。

しかし、それはせいぜい原因の1割程度ではないだろうか。

大部分の原因は他にある。

著者は日本の生産性が低いのはデフレでGDPが伸びないためと断言する。

私もまったく同感である。

京都大学大学院の藤井聡教授によると、労働生産性とGDPの「相関係数」は0.96とのこと。

0.96という相関関数は、両者がほぼイコールであると断定しても構わないほどに高い値である。

バブル崩壊後、 97年の橋本政権による緊縮財政で、日本経済はデフレ化した。

デフレの国では、物価以上のペースで所得が落ちていく。

すなわち、実質賃金が縮小し、一人の労働者では一家を養うことが不可能な国に落ちぶれた。

結果的に、共働きが増加し、少子化も進行した。

デフレの問題は物価の下落というよりは、所得の縮小。

厳密には、物価の下落を上回る所得の縮小。

すなわち、実質賃金の下落である。

生産性向上とは、あくまで労働者数を「増やさずに」生産量を拡大すること。

そのためには投資が必要。

設備投資、公共投資、人材投資、そして技術投資。

四つの投資のみが資本、労働、技術という「経済の三要素」を強化し、生産性向上を実現する。

投資なしで生産者一人当たりの生産を継続的に高めていくことは、不可能である。

中でも最もリスクが低く、生産性向上までの期間が短いのが人材投資である。

人を雇い、教育し、様々な経験を積んでもらう。

働いた経験を持たない新人、最初は何の役にもたたず、足を引っ張るだけの新人も、仕事の経験を積むことで戦力になっていく。

また、人材投資は金額が相対的に安い。

設備投資で大規模工場を建設する場合、最低でも十億円規模の投資が必要になる。

それに対し、人材投資は生涯収入で考えても数億円レベルで済む。

経営者はもっと人材に投資するべきではないだろうか。

2019年1月26日 (土)

はじめて読む人のローマ史1200年/本村凌二

1200 ローマが、負けても失敗しても最後には勝利をつかんだのは、一度の失敗でその人を評価せず、人の可能性を信じ、再起のチャンスを与え続けたところにあったのだと思います。

ローマはなぜ1200年も存続したのか。

様々な理由があるのだろうが、その中の一つに人材の用い方があるのだと思う。

例えば敗戦将軍の扱い方。

これはギリシア人とローマ人の大きな違いがあった。

ギリシア人は敗戦将軍をけっして認めなかった。

たとえば、ギリシアの歴史家トゥキディデス。

彼は、ペロポネソス戦争を実証的に綴った『戦史』の著者として有名だが、元はペロポネソス戦争に参加した将軍の一人。

それが紀元前422年、トラキアのアンフィポリス近郊で敗北すると、そのままギリシアへは帰らず、亡命してしまった。

彼が逃亡したのは、アテナイに戻っても受け入れてもらえないことがわかっていたから。

ギリシアでは、敗戦将軍は良くて追放、悪ければ処刑だった。

なので、ギリシアの敗戦将軍はみんな祖国に帰らず、戦場から逃亡するのが当たり前になっていた。

これに対し、ローマ人はたとえ敗戦将軍であってもそれが勇気ある戦いをした結果であれば迎え入れた。

例えば、紀元前216年、第二次ポエニ戦争における会戦のひとつカンナエの戦いで、ローマはカルタゴに大敗北を喫する。

ローマ軍の死者数は7万とも言われており、壊滅状態だった。

ローマ軍を壊滅させてしまった敗戦将軍はガイウス・テレンティウス・ウァッロ。

ギリシアならば、当然のごとく処刑されていた。

しかし、ローマは彼ですら受け入れた。

なぜ、ローマ人は敗戦将軍を受け入れたのか。

それは、敗北したことによる屈辱感で、敗戦将軍はすでに十分な社会的制裁を受けていると考えたから。

ローマ人は敗戦将軍を許し、ただ迎え入れただけでなく、機会があれば再び将軍に任命し、雪辱のチャンスを与えた。

なぜなら、屈辱を経験した人間はそれをバネに努力し、失敗した人間はそこから学ぶので、次の機会には必ずやそれまで以上の力を発揮し、結果を出すと考えたか。

事実、ウァッロもその後、再び兵を率いて戦地に赴いている。

そして、ここがローマの強さにつながっているのではないだろうか。

1200年も国家として存続するのは、それなりの理由があるということであろう。

2019年1月25日 (金)

チャイナ・ルール/小林純子

Photo 何か事が起きたとき、どう見ても相手が悪かったにしろ、中国人は絶対に謝りません。
 いえ、〝絶対に〟というわけではありませんが、ほとんどの中国人は謝るということをしません。万が一にも、日本人のように進んで頭を下げるなどということは、まずありません。
 それはなぜでしょう?
 ひとつは「謝る」文化が中国はないから。そして、もうひとつの理由は〝面子(メンツ)〟でしょう。

日本人と中国人は外見はよく似ている。

しかし、その価値観や考え方は全く違う。

本書には日本人と中国人の違いがいくつも挙げられているが、一つひとつにびっくりさせられる。

例えば、中国では〝嘘をつく〟という感覚がそもそも違うという。

子供の頃から「嘘つきは泥棒の始まり」と教えられてきた私たち日本人は、〝嘘をつく行為は悪〟だと身に染みついている。

しかし、中国では、そもそもマナー教育がない。

だから、日本人ほどは〝嘘をつくことが悪い〟と思っていない。

むしろ、〝嘘をつかれるほうが悪い〟というのが一般的な考え方。

嘘をつかれたと怒る前に、「嘘を見抜く」能力を身につけるように意識したほうが、中国で生きていくのには必要、というのである。

そして中国人は嘘がばれても決してそれを認めないし謝らない。

その行為は日本人には不可解なのだが、中国人にとってそれは当たり前だというのである。

コミュニケーションを取るうえのポイントは〝自分と相手が違う〟ことをしっかり認識すること。

日本人は、アメリカ人や欧米人に対しては〝違い〟をしっかり認識している。

ところが同じような容姿や見た目の共通点が多いアジア人・中国人に対しては、どこか同じような感覚があり、〝違う〟部分に大きく違和感を持ってしまう。

しかし、もともと違うのだという認識があれば、それを前提に付き合えばよい。

まずここから始める必要があるということではないだろうか。

2019年1月24日 (木)

超軽っ!日本史/浮世博史

Photo信長 鳴かぬなら 殺してしまえ   ホトトギス
秀吉 鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス
家康 鳴かぬなら 鳴くまで待とう  ホトトギス
 これも小学生の教科書に取り上げられていた、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康3人の性格を表したものです。もうこれ、いい加減、小学生に教えるのやめてほしいんですよね。完全なステレオタイプの人間理解ではないですか。

これは確かにその通りだ。

例えば、「殺してしまえ、ホトトギス」

これなんかは徳川家康にピッタリ。

彼は「わたしは家来の背中を見ながら戦ったことはない」と豪語したことがあるくらい野戦が好きな武将だった。

「鳴かせてみせよう、ホトトギス」

これは織田信長にふさわしい。

信長の戦闘は基本的に「敵が味方の倍あればこれと戦わず」「味方が敵の倍あればこれと戦う」という合理的なもの。

彼が生涯で少数による奇襲攻撃をかけたというのは桶狭間の戦いくらいのもの。

そのほかは、綿密に計画を立て、勝つための準備をしっかりとして対応した。

「鳴くまで待とう、ホトトギス」

これは豊臣秀吉に合う言葉。

基本的に彼の軍事作戦は待つことが多いものだった。

鳥取城、三木城の兵糧攻め、高松城の水攻めなど、何ヵ月も時間がかかる城攻めを何度もやってのけている。

つまりリーダーは様々な要素を内在させているもの。

遭遇する場面によって、力で突破することもあれば、忍耐強くチャンスを待つこともあるだろうし、工夫することによって事態の打開を図ることもあるだろう。

むしろ、場面場面によって様々な手法を使い分けるのが優れたリーダーといえるのではないだろうか。

2019年1月23日 (水)

台湾とは何か/野嶋剛

Photo 台湾にいると、しばしば、こんな話を聞く。「中国兵がやってきたら、鍋をかついで歩いていたので、えらく失望した」。あの時代、本当に鍋をかついだ兵士をみんなが目撃したのかどうか、怪しい部分もある。しかし、あまりにも多くの日本語世代からその話を聞かされるにつけ、私はこの問題が「記憶の共有」の結果であると思うようになった。つまり、「前近代的な中国」への嫌悪が「鍋をかついた中国兵」によって象徴されているのである。そうなると祖国愛よりも、「前近代」への軽蔑が先にやってくる。その結果、「近代」を経験した日本時代への郷愁が高まったという構図である。

台湾は親日国として知られている。

同じように日本に統治された韓国は言わずと知れた反日国である。

どうしてこんな違いが生まれたのか。

その理由の一つは、日本の後からやってきた中国があまりにもひどかったからというもの。

日本の統治も中には酷いものもあったのだろう。

だが比較の問題として「中国よりはましだった」ということで親日国になった。

明治維新を経験した日本は、欧米からの制度や技術の輸入による近代化を成し遂げ、清朝を戦争で打ち破り、台湾経営に乗り出した。

日本の統治は苛烈なものだったが、日本が台湾に移植したものは、日本自身が学んだ近代だった。

そこでは、限界はありながらも、言論の自由や法の支配、教育の普及、行政の平等主義などが実現され、統治50年を経験した台湾には、そのエッセンスがすでに根づいていた。

ところが、敗戦によって日本が去り、中華民国がやってきた。

大陸の中国人は、前近代の世界に生きていた人々だった。

つまり中国と共に前近代がやってきた。

だから「あの頃の方がよかった」と親日国になったというのである。

親日国家、台湾の背景には、中国に象徴される「前近代」への軽蔑と、「近代」を経験した日本時代への郷愁があるという。

このあたりのことは台湾で生きている人にしかわからない複雑な心情が内在しているのだろう。

2019年1月22日 (火)

朝鮮雑記/本間九介

Photo かの国の娼妓は、すべて人の妻妾(妻と愛人)である。人の妻妾でなければ、娼妓になることはできない。というわけで、その夫の生活の資金は、娼妓である妻がかせぐ。
 夫は、みずから妻の客を引き、また、みずから馬となって、揚げ代の請求に来る。これは、かの国の社会の通常である。夫は、まさに娼妓の夫であり、いわば、妓夫(客引き)の観がある。破廉恥、ここに極まれりというべきだろう。

1894年当時の朝鮮について記した本である。

日韓併合で日本側の言い分として「日本は良いこともしたんだ」というものがある。

これは本書を読むと納得がいく部分が多い。

併合前の韓国は本当に貧しい国である。

経済的に貧しいということだけではなく道徳観や倫理観も希薄である。

中国人を優遇して日本人を見下し、日本人を集団で脅して米を買い叩こうとしたり、魚を売りに来た日本人に対して共謀して安く買いたたいたりと、事大主義は今と変わっていない。

また、著者が書いている朝鮮人が恩をほどこしてもすぐ慣れきってしまうというところが、あまりにも今と一緒なのが興味深い。

当時はそれでも約束とか契約の意味がわからなかったと言い訳もできるが日本が併合してから100年余、契約とか約束とか法律の意味が分かっているはずなのに、すぐになかったことにする。

ゴールポストがどんどん動いていく。

これはもはやこの国のDNAに深く刻まれたものかもしれないと絶望的な気持ちにさせられる。

2019年1月21日 (月)

今こそ、韓国に謝ろう/百田尚樹

Photo 併合前の朝鮮半島を三年間(1894~97年)に四度も訪れたイギリスの女性旅行家、イザベラ・バードは『朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期』(講談社学術文庫) の中でこう書いています。
「城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどい臭いだと考えていたのであるから!」

併合前の朝鮮は未開の国だった。

それを日本は、1910年からの日韓併合によって、教育を施し、様々な施設を建てた。

しかし、著者はそれは余計なおせっかいだったと皮肉を込めて言っている。

例えば、教育の問題。

1910年、日本が大韓帝国を併合した時、まっさきに行なったのが、朝鮮全土に小学校を建てたこと。

日韓併合当時、朝鮮人の文盲率は90パーセントを超えていたと言われている。

戦前の「東亜日報」には、1920年代まで、朝鮮人の文盲率は80~99パーセントであったという推計記事が載っている。  

就学する子供たちは、年を追うごとに増え、1936年には約110万人にもなった。

そのせいで、長年、90パーセント以上であった文盲率は40パーセントに下がった。

わずか30年足らずで一つの国の文化を変えてしまった。

日本が作ったのは小学校だけではない。

24の専門学校、75の中学校、75の高等女学校、133の実業高校、145の実業補習学校、一つの大学予科を作った。

36年間で建てたすべての公立学校の総数は5千校近くになる。

日本はさらに22の師範学校まで作った。

つまり教師も養成して、この教育制度を永続させようとした。

更に、日本はハングルを普及させ、川に橋をかけ、鉄道を走らせ、ダムを造った。

しかし、それらは全部、日本人が頼まれもせずに勝手にやったこと。

こういうのを「余計なお節介」「要らぬお世話」と言う。

だから、今こそ韓国に謝ろう、と述べている。

著者独特の皮肉の利いた言い方で面白い。

2019年1月20日 (日)

世界史88の裏側をのぞく/裏世界史研究会

88 パリのルーブル美術館にあるミロのヴィーナスは、世界的に有名な古代ギリシア彫刻。1820年にエーゲ海のギリシア領メロス(ミロ)島の畑で、農民によって発見された。この像の特徴は2本の腕が欠けていることで、発見当時にすでに欠けていた。それだけにほんとうはいったいどんなポーズをとっていたのか、大いに人びとの関心を集めている。

歴史は過去に起こったことの記録だ。

しかし、その見方、解釈は様々。

だから「裏世界史」なるものが出てくる。

例えば、万有引力を発見したといわれるアイザック・ニュートンは、意外にもオカルト的なものにたいへん興味を持ち、錬金術などの研究に没頭していた、とか、

あの有名なリンカーンの「人民の、人民による、人民のための政治」で締めくくられている演説は、リンカーンのオリジナルではなく、ずっと昔の記録に残っていた、とか、

ドーピングなどの不正疑惑がたびたびもち上がる現在のオリンピック。ところが、そのルーツになった古代オリンピックも不正に満ちあふれていた。

といったことが本書で紹介されている。

例えば、ミロのヴィーナス、

両腕が欠けている像である。

ではなぜ両腕が欠けたのか。

様々な説がある。

最もよく知られているのがドイツの美術史家アドルフ・フルトヴエングラーの説。

彼はミロのヴィーナスの欠けた右手は左腰にあてがい、石柱に支えられた左手には丸い果物を持っていたと考えた。

ヴイーナスとともに発見された腕の断片は、リンゴを持った彼女の手にちがいないと推理。

また、台座は画家ドベエのデッサンに描かれたような銘文入りの台座だったとしている。

一方、ハッセは、ヴィーナスは左手で髪をとこうとしていて、手にはリンゴではなくてヘアバンドを持っていたと推理。

また、ファレンティンは、水浴中にのぞき見られて驚いたヴィーナスが左手をあげたところだと考えた。

さらに、ミリンジェン、クララック、ミュラーなどの19世紀前半の学者たちは、ヴィーナスは両手に金属製の丸い盾を持っていて、そこに映る自分の姿にうっとりしていたと推理。

これに対して、ヴィーナス像は単体ではなく、カップル、あるいはグループ像だったという説もある。

ただ、何れも仮説である。

でも、このような仮説がいくつも出てくるところに歴史の面白さがあるのではないだろうか。

2019年1月19日 (土)

絶滅の人類史/更科功

Photo つい私たちは、進化において「優れたものが勝ち残る」と思ってしまう。でも、実際はそうではなくて、進化では「子供を多く残した方が生き残る」のである。「優れたものが勝ち残る」ケースはただ1つだけだ。「優れていた」せいで「子供を多く残せた」ケースだけなのだ。

本書のテーマは、なぜ「私たち」が生き延びたのかというもの。

本書を読むと、現代人にいたる道程は偶然と危険に満ちていて、人類進化の途上で生まれては消えていった数々の近縁な「人間たち」がかつていたことを知る。

本書は近年急速に蓄積されてきた祖先人類の化石資料の知見や化石DNAの新しいデータをふまえて、われわれ現代人がどのような進化史をたどってきたのかを解説している。

約5万年前に、ホモ・フロレシエンシスが絶滅した。

約4万年前に、ネアンデルタール人が絶滅した。

その前後に、デニソワ人が絶滅した。

そして現在、生き残っている人類は、私たちホモ・サピエンスだけになってしまった。

もし、私たちが他の人類を虐殺したのでないとすれば、どうしてみんな絶滅してしまったのだろうか。

本書はあくまで仮説なのだが、そのヒントを示している。

でも、謎は謎のままでもいいような気がする。

2019年1月18日 (金)

いま君に伝えたいお金の話/村上世彰

Photo 僕に、お金についていろいろと教えてくれたのは父です。
 父の一番の口癖は「お金は寂しがりやなんだ」ということ。

日本人はお金を儲けるということについて否定的に考えている面がある。

カルロス・ゴーン氏の逮捕の背景にもそのようなものがあるような気がする。

著者は「もの言う株主」として一時話題をさらった。

そしてインサイダー取引で逮捕され有罪となった。

その著者がお金について語っている。

一番大切なのは、「自立して生きていくためには、お金は絶対に必要である」ということ。
次に、「やりたいことをやるには、余分なお金があったほうがいい」ということ。

そして「困ったときに、お金は助けてくれる」ということ。

最後に、「お金を持っていれば、人を助けることができる」ということである。

要は、人が生きていくためにはお金が必要であり、余分なお金がなければ人を助けることもできないということ。

お金の問題で失敗もしてきた著者であるからこそ、うなづける面がある。

2019年1月17日 (木)

大世界史/池上彰、佐藤優

Photo池上 「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」というゴーギャンの有名な絵がありますが、私たちが歴史を学ぶのは、一言で言えば、今の自分の立ち位置を知るためですね。

歴史を学ぶ意味はどこにあるのか。

それは私たちが自分の人生で経験できることには限りがあるからである。

しかし、歴史を学ぶことによって自分では実際には経験できないことを代理経験できる。

ここに歴史を学ぶ意味がある。

日本という国も、第二次大戦後、「もう二度と戦争はしない」ということで再スタートした。

そこから今日までどのような道を歩んできたのか。

そして今どのような位置にいるのか。

それは、個人の場合も同様。

自分はこれまでどう生きてきたのか。

今どんなところに立っているのか。

そして、これからどう生きるのか。

要するに、「歴史」を知るとは、生きていくために「自分」を知ることなのである。

歴史を学ぶことで得た代理経験は、いわば世の中の理不尽さを経験することでもある。

しかしだからこそ、社会や他人を理解し、共に生きるための感覚を養ってくれる。

何の問題も生じない円満な家庭や完璧な会社組織など、この世に存在しない。

誰もが、時にある種の理不尽さに直面する。

世の中で起こることは、合理性だけでは説明できないことばかりである。

この理不尽さに対してはロジカルな思考は役に立たない。

こういう時にこそ、代理経験がものを言う。

逆に、こうした代理経験に乏しければ、どんな成功者やエリートでも、意外に脆い。

今、世の中で起こっているエリート官僚等の不祥事、「あんな優秀な人がが何でこんなことを・・・」ということが多い。

彼らは「歴史」に学んでいないということではないだろうか。

2019年1月16日 (水)

困った隣人 韓国の急所/井沢元彦、呉善花

Photo そもそも韓国では噓をついてばれても、まず責任を追及されることがないんです。これが噓の蔓延にさらに拍車をかけています。以前に本でも紹介しましたが、韓国の新聞社説でもこう言っています。
 「韓国の政界では、日本のように噓をついた政治家が閉め出されるケースが存在しない」(『朝鮮日報』2006年4月3・ネット日本語版)

最近のレーダー照射問題を見ると「何で韓国はこんなわかりきった嘘をつき続けるのだろう」と思ってしまうのだが、本書を読んで合点がいった。

韓国は嘘をつき続けることを良しとする社会なのだろう。

嘘をついてばれても、責任と追及されることがない社会とはどのようなものだろう。

そうなってしまうと、嘘をつき続けた方が勝ち、ということになってしまう。

何が正しいのか、ということが問題ではなく、どちらが嘘をつき続けられるかが勝負の分かれ目ということになってしまう。

文化の違いと言ってしまえばそれまでなのだが、結局今回のレーダー照射問題も、韓国が自国の非を認めることはないのだろう。

本書のタイトルの通り「困った隣人」と言ってよいのではないだろうか。

2019年1月15日 (火)

韓国は、いつから卑しい国になったのか/豊田有恒

Photo 現在の韓国人は、日本統治時代を知っている人々が、物故したり現役を退いたりしたため、実際の日本人および日本統治の実情を、まったく知らない。あるいは、反日教育によって知らされていない。ここに問題の根がある。いわば観念のなかの仮想の日本に対して、敵意を剝き出しにしている状態なのだ。

今、日韓では様々な問題が横たわっている。

慰安婦問題、いわゆる徴用工問題、そしてレーダー照射問題である。

日韓関係は過去最悪といってもよい。

では昔から韓国は反日だったのかといえば、そうでもない。

私自身、70年代から80年代にかけて3度、訪韓したことがある。

まだ、夜は戒厳令がしかれていたことを記憶している。

私はある家庭にホームステイしたのだが、温かく迎えて下さった。

その当時も反日感情があるにはあったが、今ほど先鋭化したものではなかった。

その当時は、日本統治時代を肌感覚で知っている人たちが多くいた。

ところが、こうした世代の方々が、現役を退いたり、亡くなられたりするうちに、韓国は変貌していった。

今の人たち、特に若者は反日教育で育った人たちだ。

一種の洗脳といってよい。

彼らの見ている日本は観念の中での日本である。

それだけにたちが悪い

悪い意味で、教育の成果が表れているのではないだろうか。

2019年1月14日 (月)

日本と台湾/加瀬英明

Photo 台湾で「日本式」といえば、人が「律気である」「約束を守る」「騙さない」「信用できる」「マナーが正しい」という意味で使われているが、「中国式」といえば、その正反対となる。この二つの言葉は、台湾の人々の日常会話のなかで、よく用いられている。

台湾は中国の一部だと思っている人が多いが、台湾と中国は、民族からいっても、文化をとっても、まったく異なっている。

台湾人は、大漢民族、あるいは漢族の一員でない。

台湾国民の圧倒的大多数が、自分が台湾人であるとみなしている。

2012年に、台湾の政治大学選挙研究センターが実施したアンケートによる民意調査によれば、「台湾人のアイデンティティ」について、「あなたは何人か」という質問に対して、

54パーセントが「台湾人」、39パーセントが「台湾人であり中国人である」と回答し、ただ「中国人」と答えたのは、わずか4パーセントしかいなかった、という。

地理的にも、台湾は大陸の一部であるよりも、日本からインドネシアのボルネオ島まで連なる、長い列島に属している島々の一つである。

そして、台湾は親日国でもある。

台湾語で「愛日家」という言葉があって、日常、よく使われている。

台湾は2011年の東日本大震災に際して、200億円を超す義捐金を、国民の手で募って、被災地へ贈ってくれた。

これは、アメリカと並び、ほかのどの国よりも大きな額だった。

さらに、台湾は、日本の在亡がかかっている安全保障にとって、アジアにおけるもっとも重要な国である。

もし、台湾が中国によって呑み込まれてしまうことがあった場合には、日本は南方からの海上交通路を絶たれて、独立を保つことができない。

その意味で、日本は台湾にもっと関心を持つ必要があるのではないだろうか。

2019年1月13日 (日)

日本人と中国人/陳舜臣

Photo 川端康成がかつてハワイ大学で、日本のこころとして、しきりに『以心伝心』のことを説いた。
 この言葉そのものは、中国の宋代の僧道原の編した『景徳伝灯録』から出ているが、説得を抜くところは、まちがいなく日本の性格である。

直木賞作家、陳舜臣氏が日本人と中国人を比較して論じている。

ここではその一つの例そして「以心伝心」について書いている。

陸つづきの中国には、支配地を安心して託すべき海がない。

いつも外敵に眼を光らせていなければならず、異分子の流入も避けがたい。

島なら土地は限定されているが、大陸の場合は、好むと好まざるとにかかわらず、一つの政権の支配地は、ときには拡大し、ときには縮小する。

拡大すれば、そこには新しい条件が生み出され、異分子を抱え込まざるをえない。

それをまとめようとするには、眼くばせ一つで事足りるというわけには、いかないのである。

どうしてもゆるがせにできないのは、説得の努力なのだ。

だから説得なしの「以心伝心」はあり得ない。

一方、同じ「以心伝心」という言葉を使っても日本では全く意味が違う。

文字や言葉を使わなくても、お互いの心と心で通じ合うことを言う。

本書は50年近く前に書かれた本である。

この当時と今とでは、世界における日本の立場は全く違う。

この当時は、日本も「以心伝心」でもよかった。

しかし、今日、日本の「以心伝心」の姿勢は日本に不利に働いている。

特に世界に対しては、以心伝心ではなく「主張すべきことははっきりと言葉で主張する」ことが大事になってきている。

その意味で、時代の流れを感じさせる本である。

2019年1月12日 (土)

石原莞爾の世界戦略構想/川田稔

Photo いっぽう石原は、事変当初からこう考えていた。中国領土の広大さと民族主義の昂揚から、一撃ではもちろん、全面戦争となっても、容易には中国側を屈服させることはできない。しかも、長期的に対中全面戦争を続けることは、ソ連の介入を招きかねず、その場合はなす術がなく危険だ。したがって、満州国の承認を条件に、華北の政治的権益の放棄など、かなり思い切った譲歩によって講和を実現するしかない、と。

石原莞爾といえば「最終戦争論」で知られている。

ただ単なる好戦家ではなく、戦争は「最も悲惨なる、最も悲しむべく、最も憎むべきもの」であるとの認識はもっていた。

だが、それを根絶して世界に平和をもたらすには、この世界最終戦争をへなければならないというのである。

石原は、関東軍赴任前から、二十世紀後半期に日米間で世界最終戦争がおこなわれることになるとの独自の信念をもっていた。

そして、日米世界最終戦争に備えるため、満蒙の領有と中国大陸の資源確保を企図しており、それを実行に移した。

一般に、満州事変は、世界恐慌下の困難を打開するため、石原ら関東軍によって計画・実行されたものとの見方が多い。

だが、実は石原は、すでに世界恐慌以前に満蒙領有計画を立案していた。

一方、日中戦争については否定的だった。

対中全面戦争となれば、容易に国民政府を屈服させることはできず、非常に長い「持久戦」となる。

日本の兵力で広大な中国を処理することはできない。

長期の持久戦となれば、軍だけでは対処できなくなる。

したがって、戦面の拡大を抑え、外交により「政治的処理」をはかる。

それによって、できるかぎりすみやかに兵を撤して「国防本来の姿勢」に戻すべきであると考えていた。

もし、石原の主張が通っていれば、戦争の泥沼化は避けられたのはないだろうか。

中国と早めに講和していればアメリカの反発を買うこともなく、大東亜戦争に突入することもなかったのかもしれない。

なぜなら、石原は勝てない戦争などするつもりは毛頭なかったからだ。

石原は当時の日本人には珍しい戦略家であった。

良い悪いは別にして、大きな絵を描いていた人物だったということは言えるのではないだろうか。

2019年1月11日 (金)

戦争と諜報外交/白石仁章

Photo 杉原が命懸けで得た情報とは、在ケーニヒスベルク総領事館で総領事代理を務めていた1941年の5月9日に送った電報第8号に記された、ドイツ軍がソ連侵攻の準備を極秘に進めているという情報である。この電報に記された情報こそ、内容面から考えても、独自性から考えてもまさに重要情報であった。

本書では、齊藤博、杉村陽太郎、来栖三郎、杉原千畝という4人の諜報外交について記している。

この4人のうち、一番有名なのはやはり杉原千畝だろう。

杉原は「命のビザ」で有名だが、実はスーパー級のインテリジェント・オフィサーだったという。

無謀な戦争をしないためには諜報外交が非常に重要だ。

諜報には、いかに情報提供者の信頼を勝ち得るかがポイントになる。

杉原が信頼を勝ち得た理由とは、協力者を絶対に守る、その一点に尽きた。

立場が弱い者たちが協力する相手に求めるものこそ、「この相手ならば絶対に自分たちを裏切らない」という安心感である。

杉原には、それがあったからこそ、協力者に恵まれ、成功を収めることができた。

杉原は命を賭して、ドイツが対ソ戦に備えていたことを、自分の目で見て、それを日本に伝た。

ヒトラーは対ソ戦の目くらましのために、日本を徹底的に利用したということである。

実際に、ドイツ軍がソ連に侵攻したのは6月22日であった。

杉原の情報はそれより1月以上も前に届いていた。

この情報が政府首脳の間で共有され、対策を考えるには十分な時間があったと思われる。

では、なぜ参謀本部はきっぱりと、ドイツに縁切り状を突きつけなかったか。

この辺り、当時の日本の情報に対する感度の低さを物語っている。

日本は情報戦で負けたといってよいのかもしれない。

2019年1月10日 (木)

西郷隆盛 維新150年目の真実/家近良樹

Photo 西郷は、想像の余地のない満月ではなく、どの程度かはともかく「欠けた月」だったと見なせる。そのぶん、「余白」があり、われわれの先人たちは、「余白」部分に自分の好きな色を思い思いに塗ったり、言葉を自由に書きこんだりしてきたのである。

西郷隆盛は国民的な人気がある歴史上の人物である。

ところがその理由となると明確に言える人はいない。

むしろ、つかみどころのないところが人気なのかもしれない。

西郷は 真に不思議なキャラクターの持ち主で、他人の前で男は涙を見せてはいけないという不文律のおそらく存在しただろう時代にあって、平気で涙を流せた男であった。

昨年のNHK大河ドラマ「西郷どん」でもやたら涙を流すシーンがある。

西郷という人物は、手先は器用だが、生き方は真に不器用そのものであった。

西郷は、逞しい肉体を持つ大男で、時に鋭く光る巨眼も有したため、豪傑風で一本気に見えた。

しかし、実際に彼を目撃した人物の多くが伝えるところによると、威風堂々といった素振りはまったく見せず、むしろ内省的な趣の感じられる人物だったらしい。

西郷に対する国民的人気をもたらした理由の最後のものとして挙げられるのは、彼が悲劇的な最期を遂げたことであろう。

明治6年、征韓論をめぐる対立に敗れて下野し、明治10年に悲劇的な死を迎える。

大久保政権の進める酷薄な近代化政策に抵抗した解放者として、その死が惜しまれた。

そして、なにより、故郷の城山での自死という悲劇的な死に方が、多くの国民の同情心を呼び起こした。

英雄として広く民衆の間に受け入れられる条件については、昔から諸説があるが、その内に、悲劇的な最期を迎えるとの条件が含まれる。

西郷の場合は、すくなくとも、この条件がピタリと当てはまったからこそ、彼をして未曾有の人気者の座に就かせることになったのではないだろうか。

2019年1月 9日 (水)

生くる/執行草舟

Photo 人間の存在と文化が、言語と共に発展してきた以上、言語を深く習得し、言語について考察することは、人間の本質を理解する上で極めて重要となる。だから、私は言葉の持つ本質的意味、つまり言葉一つ一つの成立過程と発展過程に、ことのほか興味を持っている。言葉の研究は、流行の思想や考え方に振り回されない自己を築くことに繋がる。

人は言葉によって考える。

自分が何を考えているのか、それは言葉によって発せられたとき、はじめてわかる。

逆に言えば、言葉にできないということは、考えているようで何も考えていないということ。

また、その発せられる言葉によって、その人の人格がわかる。

言葉とは人格そのものと言える。

日本人は日本語で考える。

だから、どうしても日本的な思考になる。

それは良い面もあれば悪い面もある。

でもそれが「らしさ」というものではないだろうか。

すべてのことを合理性で片づけることはできない。

世の中、合理性で動いてはいない。

むしろ、曖昧模糊としたもので動いている。

つかみどころのないもの、それによって動かされている。

でもだからこそそれを言語化する必要がある。

言語化できた部分しか自分の人格にならない。

聖書のヨハネ伝は「はじめに言葉があった」という書き出しで始まっている。

そして「言葉は神であった」とも言っている。

言葉とは人格そのものということである。

言葉を大切にして生きていきたい。

2019年1月 8日 (火)

明治三十七年のインテリジェンス外交/前坂俊之

Photo 「ついに開戦が決まった。戦争は何年続くかわからない。私も、鉄砲かついでロシア兵と戦う覚悟だ。君は、ただちに米国に飛び、親友のルーズベルト大統領に和平調停に乗り出すよう説得してもらいたい」と、告げた。金子はこのとき、51歳であった。

本書は、日露戦争開戦決定すぐに、伊藤博文によって密使として米国に派遣され、ついにルーズベルト米大統領を説得し、米国世論を日本の味方につけた金子堅太郎の外交工作の全容に迫ったものである。

日露戦争は、近代日本国家の存亡をかけた運命の一戦だった。

ロシアとの国力差は、面積60倍、国家歳入8倍、陸軍総兵力11倍、海軍総トン数1.7倍である。

大東亜戦争開戦時の日米差よりはるかに大きい。

大東亜戦争が無謀な戦争というならば、日露戦争も無謀な戦争だと言える。

ただ、大東亜戦争との違いは、初めから「どう終わらせるか」を考え具体策を立て動いていたということである。

具体的にはアメリカの世論を味方につけるということ。

そのために金子賢太郎をアメリカに送る。

全米での日露戦争への関心は高かった。

金子は、政治家、財界人、弁護士、大学人らのパーティなどに引っ張りだこで、講演依頼が殺到する。

英語スピーチの達人であった金子は、大聴衆を前に、日本軍の強さ、武士道精神を説明して感銘を与え、日本びいきを増やしていく。

大統領との直接の会見やその晩餐会・私邸への招待などが計25回、

高官、VIPとの会談、晩餐会、午餐会などが60回、

演説スピーチが50回、

新聞への寄稿が5回に及んだという。

そして何よりもルーズベルトと金子は同じ大学の出身であり、友達であったということが最大のアドバンテージであった。

外交は、いかに日本で偉い人でも、その使命を持って行く先に友達がなかったならば、決してうまくいかない。

金子はルーズベルトに新渡戸稲造の「武士道」を贈呈する。

ルーズベルトは、この書ではじめて武士道を知り、武士道を研究するようになる。

ついには官邸で柔道まで稽古するに至る。

その後、とうとう日本から畳を取り寄せ、柔道の先生を呼んで、官邸の一部屋に畳を敷いて、そこで柔道着を着て稽古をした。

そこまで、いわば日本にかぶれた、

よく言えば日本にすっかり感化された。

それによってルーズベルトは日露戦争の講和に乗り出すことになる。

それが日露戦争の勝利に結びついたのは言うまでもない。

日露戦争は日本外交の勝利といってもよいのかもしれない。

2019年1月 7日 (月)

英国人記者が見た 世界に比類なき日本文化/ヘンリー・S・ストークス、加瀬英明

S 安倍内閣が「女性が輝く時代」をつくろうとして、閣僚や、官庁の幹部に、より多くの女性を登用しようと努めているが、日本は、とくに飛鳥から平安までの時代は、まさに女性が輝く時代だった。このような伝統から、武家社会になってからも、女性たちは母、あるいは妻として力を保ち続けた。

英国人であるストークス氏によると、日本は海外では誤解されているという。

例えば、海外メディアは、日本といえばひどい男尊女卑の社会で、女性は家庭でも、社会でも、ひたすら虐げられてきたように描いている。

しかし、「日本は男尊女卑社会」という俗説は、まったく事実に反する。

日本では古代から、あの時代の世界でほかに類例がないほど女性が輝く社会をつくっていた。

『源氏物語』は、女性が人類ではじめて書いた小説だ。

その高度に洗練された点からいっても、文学史上の金字塔といえる。

平安時代の貴族生活における、男女の細やかな心の働きを描いているが、男たちが女性の心をとらえようと、努めている。

女性が男性の上に、立っているのだ。

女性たちが、男に負けることが、まったくなかった。

日本では欧米で「レディーズ・ファースト」といって女性を立てるから、女性上位であるように思い込んでいる人々が多いが、これは大きな誤解だ。

「レディーズ・ファースト」は女性が男より劣っていて、弱くて、一人立ちできない、保護を必要としている者として扱わなければならないという前提がある。

そこで、男性が「上から目線」で女性を守り、さながらペットを扱うように優しく振る舞うことが、求められてきた。

これは、男性が女性よりも優っているという「ハンデキャップ」に基づく差別によるもので、男女が対等だと認識しているわけでは、まったくない。

だから、欧米人が日本にしばらく住んでみると、女性が強い国だということを、知るようになるという。

欧米では妻が、夫から小遣いをせびるのに、日本では逆に夫が、妻に小遣いをせびる。

ところがこれが欧米には伝わっていない。

だから、日本は女性の地位が低い男尊女卑の国だと誤解されている。

日本に足りないのはむしろ発信力なのかもしれない。

2019年1月 6日 (日)

世界はこれほど日本が好き/河添恵子

Photo 「ポーランド国民は日本に対し、最も深き尊敬、最も深き感恩、最も温かき友情、愛情を持っていることを告げたい。我らはいつまでも日本の恩を忘れない」
 ポーランド救済委員会のユゼフ・ヤクブケヴィチ副会長が、後日、このように語っています。

最近、「残像」というアンジェイ・ワイダ監督の遺作を観た。

ポーランド人の前衛画家、ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキの生涯を描いた物語である。

ソ連に抵抗し信念を貫き通し非業の死を遂げた画家の物語なのだが、その人生はそのままポーランドという国を物語っていた。

ポーランドという国家は、この1世紀を振り返ってみても、周辺の超大国に事実上、消滅させられたり、意のままに操られたり、無残に殺害されたり、街を壊滅状態にされたりと、まさに悲劇の縮図だった。

そのポーランドは隠れた親日国だという。

ポーランド人が日本を知るきっかけになったのは日露戦争。

開国そして近代化に着手してわずか 40 年余りの日本が、ポーランド人の宿敵で強大なロシア帝国との戦いに挑み、しかも大勝利という結果はポーランド人に強いインパクトを与えた。

そして1904年から1905年にかけて、ポーランド社会では日本関連書物の出版ラッシュとなった。

例えば、ポーランドにおける思想的な指導者ドモフスキが記した、「光は東方から」ではこう日本のことを述べている。

「日本の勝利――それは万人の認める物質的な力に対する道徳的な力の勝利である」

世界にはポーランドのような多くの親日国があることを日本人は知るべきだろう。

2019年1月 5日 (土)

帝国議会と日本人/小島英俊

Photo 開戦の是非など国家の重要意思決定は、米英仏など民主国家では閣議や五相会議(首相、蔵相、外相、陸相、海相)で行われる。それで十分であり、逆にそれ以上の雑音は入れてはいけない。
 ところが、日本ではそれらに参謀(陸軍参謀総長、海軍軍令部総長以下)が入る大本営政府連絡会議で行う。それでも明治・大正期までは、文民と軍人が調和していたが、昭和に入ると武断主義が強くなり、同会議に参加する軍人の人数や声がどんどん大きくなっていった。

第一回帝国議会が開かれたのは1890年11月29日。

その後、帝国議会はどのような役割を担い、どのような変遷をたどっていったのか。

例えば、日清戦争開戦直前の帝国議会を見ると、政府の慎重な姿勢に対して、むしろ議員のほうから積極的攻勢論が噴出している。

ただ、日清戦争・日露戦争では、政府にも議会にも冷静な合理主義が貫かれいる。

一方、日中戦争・太平洋戦争時になると、主観的な精神主義が顕著になっていく。

議会では中国から撤退することも議論されている。

中国から撤兵していれば、太平洋戦争は起こらなかった可能性が高い。

しかし、戦争直前の帝国議会は、515事件、226事件の後ということもあり、議員は腰が引けている。

世論もマスコミも政府の弱腰を非難する。

最後は統帥権を主張する軍部に押し切られている。

つまりシビリアンコントロールが機能していなかったということである。

軍の最高統帥権はシビリアンが握らなければならないという原則は、どこの国家社会においても、軍の持つ特殊な任務と力のゆえに生まれてきたものである。

たとえ民主主義国家でなくてもあらゆる国の政府は、その職業的戦士たちを政治政策の主導者たらしめるよりはその下僕たらしめるべく、何等かの保障手段を講じている。

同じ過ちを繰り返さないためにはシビリアンコントロールが一つのキーワードとなりそうだ。

2019年1月 4日 (金)

日本国紀/百田尚樹

Photo アメリカを含む世界44ヵ国が調印している「ハーグ陸戦条約」には、「戦勝国が敗戦国の法律を変えることは許されない」と書かれている。つまり、GHQが日本の憲法草案を作ったというこの行為自体が、明確な国際条約違反なのである。

かなり分厚い歴史書であるにも関わらず、今、本書はベストセラーになっている。

日本国の誕生から現代にいたるまでの通史だが、特徴は近現代史に半分以上が割かれているということ。

日本人ほど、自国の歴史を知らない国民はいない。

特に近現代史をちゃんと勉強している日本人は少ない。

学校教育でも近現代史は3学期にちょっとやるくらいだ。

また歴史はヒストリーというように「物語」である。

また、物語として読まなければ、歴史は無味乾燥なものとなってしまう。

本書はまさに「日本人の物語」となっている。

「日本人に生まれてよかった」と思えるような本である。

多くの人に読んでもらいたい本だ。

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