今こそ、韓国に謝ろう/百田尚樹
併合前の朝鮮半島を三年間(1894~97年)に四度も訪れたイギリスの女性旅行家、イザベラ・バードは『朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期』(講談社学術文庫) の中でこう書いています。
「城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどい臭いだと考えていたのであるから!」
併合前の朝鮮は未開の国だった。
それを日本は、1910年からの日韓併合によって、教育を施し、様々な施設を建てた。
しかし、著者はそれは余計なおせっかいだったと皮肉を込めて言っている。
例えば、教育の問題。
1910年、日本が大韓帝国を併合した時、まっさきに行なったのが、朝鮮全土に小学校を建てたこと。
日韓併合当時、朝鮮人の文盲率は90パーセントを超えていたと言われている。
戦前の「東亜日報」には、1920年代まで、朝鮮人の文盲率は80~99パーセントであったという推計記事が載っている。
就学する子供たちは、年を追うごとに増え、1936年には約110万人にもなった。
そのせいで、長年、90パーセント以上であった文盲率は40パーセントに下がった。
わずか30年足らずで一つの国の文化を変えてしまった。
日本が作ったのは小学校だけではない。
24の専門学校、75の中学校、75の高等女学校、133の実業高校、145の実業補習学校、一つの大学予科を作った。
36年間で建てたすべての公立学校の総数は5千校近くになる。
日本はさらに22の師範学校まで作った。
つまり教師も養成して、この教育制度を永続させようとした。
更に、日本はハングルを普及させ、川に橋をかけ、鉄道を走らせ、ダムを造った。
しかし、それらは全部、日本人が頼まれもせずに勝手にやったこと。
こういうのを「余計なお節介」「要らぬお世話」と言う。
だから、今こそ韓国に謝ろう、と述べている。
著者独特の皮肉の利いた言い方で面白い。
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