日本国史/田中英道
日本では国に「家」の意味がついて「国家」という言葉を使います。家族が中心であるというのが日本の国柄なのです。家族が住む場所が大きくなると、その場所全体が「共同体という家族連合」として認識されます。そのような集落がいくつもつながっていくと、そこに国に似た形が成立することになります。
本書は日本という国家の成り立ちについて書かれている。
その中ではっきりと言っていることは、日本の国は、国家として、もともと「近代」の国家イデオロギーでつくられたものではないということ。
したがってそのことを重視する「マルクス主義」「近代主義」のイデオロギーは、日本の歴史には合わない。
そして、その階級闘争史観では、日本社会そのものもつかむことはできないということ。
自国の歴史を語ることは、自らのアイデンティティと関わる物語を描くこと。
それは、構築的であるからこそ、そのメンテナンスを必要とし、それを怠ればその姿は曖昧になってしまう。
つまり自らの存在理由を明らかにする上では、当然ナショナリステイックな物語を必要とする。
大陸では、広大な土地を狩猟民族や遊牧民族が占拠し、戦いを繰り返しながら国をつくっていった。
しかし、日本では五百人前後の人たちが一つの場所に集まって、栗を主食としながら、狩猟、漁労、採集をする村落として定着していった。
日本という国はこういう村落が一つの単位となり、それが集まることによってつくられていった。
村を形成する各地の氏族たちが交流し合い、だんだんと広がっていった。
それが日本という国家の成り立ちである。
令和に変わろうとしている今、改めて日本という国家の成り立ちについて考えてもよいのではないだろうか。