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2019年5月の31件の記事

2019年5月31日 (金)

「話す力」を「お金」に変える習慣/西澤史子

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 年収300万円で終わる人と、年収1500万円以上を稼ぐエグゼクティブになる人には、決定的に違う点があることに気づきました。それは「話す力」です。


話すのは相手に何かを伝えるため。

伝えるために、私たちは言語を使う。

そして言語には非言語と言語の二種類がある。


日本人はとくに「黙して語らず」「背中で語る」「暗黙の了解」など、言語より、しぐさや目線、振る舞いなど非言語を美しいと感じる文化の国だ。

ゆえに、話すこと、聞くことに関する専門的なスキル教育を積極的に推進しなかった。

そのため、言語プラス非言語を融合させたコミュニケーション力である「話す力」は国際的に見てもかなりお粗末な状況だという。

しかし、「話す力」はもって生まれた天性の才能はない。

性格でもなく、後天的に学ぶことができるスキルである。

例えば、名経営者の名言として知られるものは、いずれも「シンプル」でありながら強い「インパクト」をもっている。

だからこそ、時代を超えて人の心を動かすことができる。

恐らくインパクトのある言葉を語れるよう研究し訓練したからだろう。

優れたリーダーに共通しているのは、自分の思いを伝え、多くの人を巻き込み、そして実現していくために必要な話し方を身につけているということ。

ビジネスでは大きなプロジェクトや長期のプロジェクトになればなるほど、1人で成し遂げることはできない。

実現するためには、志に共感する仲間や参同者をできるかぎり多く巻き込み、場合によっては資金的な援助を得ることが必要になる。

しかし、

話すことが苦手

部下が言うことを聞かない

頼みたいことやお願いごとが上手にできない伝えたいことが伝わらない

自分に興味や関心をもってもらえない

なぜか人を不機嫌にさせたり、怒らせてしまう

TPOに合った話し方を組み立てることができない・・・等々

これでは話にならない。

今は「話さなくてもわかるだろう」では通用しない時代。

言語、および非言語で伝える技術は、リーダーにとって必須スキルと言ってよいのではないだろうか。

 

2019年5月30日 (木)

論点思考/内田和成

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 いくら問題解決力が優れていても、間違った問題を解いていたらなんにもならない。解くべき問題を間違えると、いくら優れた答えを出したところでビジネスにはなんの役にも立たないし、不利益を被ることさえある。


論点とは「解くべき問題」のことだが、その解くべき問題を定義するプロセスを論点思考と呼ぶ。

問題解決はビジネスで成果をあげる際にとても重要なものだが、暗黙の前提として「正しい問題」を解いていることを想定している。

考えるべきことは、いま解いている問題、あるいは、これから解こうとしている問題は正しいのか、他に解くべき問題があるのではないかということ。

ドラッカーも「経営における最も重大なあやまちは、間違った答えを出すことではなく、間違った問いに答えることだ」と言っている。

ビジネスの世界では誰も「あなたが解くべき問題はこれである」と教えてくれない。

上司がいても、本当に正しい問題を与えてくれるかどうかもたしかではない。

そこで自分で問題を発見したり、定義しなければならない。

これを論点思考という。

論点思考とは、「自分が解くべき問題」を定義するプロセスである。

論点の中でも最上位の概念として大論点と呼ぶ。

「大論点」とは、自分の仕事で成し遂げるべき最終的なゴールである。

問題解決が速い人は、本当に解決すべき問題すなわち「真の論点はなにか」とつねに考えている。

もう少し具体的にいえば、「なにが問題なのか」「それは解けるのか」「解けるとどんないいことがあるのか」を考える。

論点を見つけるには、「本当にそれが論点か」とつねに疑問をもつ。

「これが問題だ」という人の話を聞いて「なるほど」と思ってもそこで思考を止めてはいけない。

「なるほど……でも、なぜなのか」と、「なぜ」を繰り返す。

論点らしきものが目の前に現れたとき、次の三つのポイントで問題を検討するとよい。

第1に、解決できるか、できないか。

第2に、解決できるとして実行可能か。

第3に、解決したらどれだけの効果があるか。

である。

論点思考は、問題解決のスタートの部分であり、これを間違ってしまうと「ボタンの掛け違え」が起こる。


でも、意外とこれをやってしまっている人が多いのではないだろうか。

私も含めて。

 

2019年5月29日 (水)

仮説思考/内田和成

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 免疫学の世界で国際的に有名な石坂公成先生(ラホイヤ・アレルギー免疫研究所名誉所長)が、アメリカのカリフォルニア工科大学化学部研究員だったころ、恩師であるダン・キャンベル先生から「実験する前に論文を書け」といわれ驚いたそうだ。


本書に載っているエピソードの一つ。

上記の石坂氏が、次にこういう実験がしたいといったら、実験を始める前に論文を書けと言われた。

御冗談でしょうといったら、ランドシュタイナー(ノーベル賞受賞者)はいつもそうしていた、今のお前にはそれができるはずだというのである。

ランドシュタイナーや石坂公成は、頭の中に、「きっとAという答えが出るはずだ」という仮説をはじめにもち、全体のストーリーを描いていた。

その上で、その仮説が正しいかどうかを実験で検証するという方法で研究論文を書いていたということである。

仮説とは、情報収集の途中や分析作業以前にもつ「仮の答え」のことである。

そして、仮説思考とは情報が少ない段階から、常に問題の全体像や結論を考える思考スタイル、あるいは習慣ともいうべきものである。

実は仕事ができる人は、人より答えを出すのが早い。

まだ十分な材料が集まっていない段階、あるいは分析が進んでいない段階で、自分なりの答えをもつ。

こうした仮の答えを、仮説と呼ぶ。

その仮説をもつ段階が早ければ早いほど、仕事はスムーズに進む。

仕事の進め方で大事なことは答えから発想することだ。

課題を分析して答えを出すのではなく、まず答えを出し、それを分析して証明するのである。

何も実行しないことが大きなリスクになる今日、いつまでも選択肢を拡げる情報収集を続けて意思決定のタイミングを遅らせるわけにはいかない。

網羅的に情報を収集するのではなく、限られた情報をもとに、仮説思考によって最適な意思決定をすべきなのだ。

仮説思考、身に付けたいスキルの一つである。

2019年5月28日 (火)

スパークする思考/内田和成

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 問題意識があれば、何となく引っかかる。一度目は、やや首を傾げただけで終わるかもしれないが、二度、三度とそういう場面に遭遇すると、もうそのままやり過ごすことはできなくなる。そうやって情報が強調されて認識されるようになる。そこから何らかのアイデアが生まれる可能性も高まる。


今、多くのビジネスパーソンは、ロジカルシンキングやデータ分析力が重要だと思い込み勉強する。

MBA卒業生、あるいは経営コンサルタントの好む各種の分析手法を珍重する。

必死にさまざまな情報をため込み、整理してデータベースを構築しようとする。

それで、分析力は身につくかもしれないが、斬新な発想力を失ってしまう。

そんなことは 辛いし、無駄だからやめようと著者はいう。

それより大切なことは勘を磨くこと。

勘というものは、多くの場合、過去の経験に裏付けされて自然と取捨選択をした結果であり、それほど非科学的なものではない。

当たる確率は決して低くない仮説なのだ。

勘を磨くために必要なのは、問題意識だ。

問題意識さえあれば、脳の中で特定の情報に印(レ点)をつける行為はスムーズにできるはずだ。

脳に印をつけることによって後々の情報活用がぐんと楽になる。

スパークとは、火花が飛び散るように、いいアイデア、発想が生まれる、ひらめくことをいう。

スパークとは、ある事柄に問題意識や興味を持っているときに、ある現象に遭遇すると、その現象が触媒となって、自分がこれまで持っていた頭の中の情報と化学反応を起こして生じるひらめきであると言うことができる。

今、発明家やアーティスト、あるいはプランナーだけでなく、誰であれビジネスパーソンにはいいアイデア、いい発想、いい企画というものが求められている。

そのためには問題意識をもって、人に会って、会話をしたり、議論を戦わせること。

情報収集の過程は、決してつまらない地道なものであってはいけない。

それ自体が想像力を刺激する、楽しい、そして創造的な作業でなければいけない。

情報収集において重要な点は、常に問題意識を持つということ。

これらのこと、多くの人が日常の中でやっていることではないだろうか。

2019年5月27日 (月)

「読まなくてもいい本」の読書案内/橘玲

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 ここでは「読まなくてもいい本」をいちいち挙げたりはしていない。新しい〝知のパラダイム〟がわかれば、「読まなきゃいけないリスト」をどんどん削除してすっきりできるはずだから。


世の中にどの位の本が出版されているのだろう。

1年間で8万点の書籍が出版されているという。

とても読み切れるものではない。

ということは「読まなくてもいい本」を知ることはとても大事なことと言える。

大事なのは何を判断軸に読まなくてもよい本を選別するか。

問題は本の数が多すぎることにあるのだから、まずは選択肢をばっさり削ってしまえばいい。

人生は有限なのだから、難しくて分厚い〝名著〟で時間を浪費していては、その分だけ他の有益な本と出合う機会を失ってしまう。

著者によると20世紀半ばからの半世紀で、〝知のビッグバン〟と形容するほかない、とてつもなく大きな変化が起きたのだという。

これは従来の「学問」の秩序を組み替えてしまうほどの巨大な潮流で、これからすくなくとも100年以上、主に「人文科学」「社会科学」と呼ばれてきた分野に甚大な影響を及ぼすことになるだろうと言われている。

この〝ビッグバン〟の原動力になっているのが、複雑系、進化論、ゲーム理論、脳科学などのそれこそ爆発的な進歩だ。

これさえわかれば、知の最先端に効率的に到達する戦略はかんたん。

書物を「ビッグバン以前」と「ビッグバン以後」に分類し、ビッグバン以前の本は読書リストから除外する。

これを「知のパラダイム転換」と呼ぶならば、古いパラダイムで書かれた本をがんばって読んでも費用対効果に見合わないということになる。

というのが著者の述べていることの要約である。

必ずしもすべての人に当てはまることではないとは思うのだが、少なくとも自分の判断軸を持つ必要があるということは確かなようだ。

 

2019年5月26日 (日)

人を動かす方法/デール・カーネギー

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 人を動かす秘訣は、この大空のもと、たったひとつしかない。そんなふうに思ったことはおありだろうか。そう、方法はたったひとつ。それは、相手に「自らそれをしたい」と思わせること。
 もう一度言う。方法はそれしかない。

本書には人を動かす原理原則が書かれている。

その秘訣とは何か?

それは相手に「自己重要感」を与えること。

そしてそれによって「自らそれをしたい」と思わせること。

この自己重要感への欲求こそが、ディケンズに不滅の傑作群を書かせ、名建築家のクリストファー・レンに壮大な石の交響楽を設計させ、ロックフェラーに使い切れないくらいの巨富を築かせた原動力である。

金持ちが、必要以上に大きな邸宅を建てるのもこの欲求のためであり、人びとが最新流行のファッションを身につけたがるのも、ぴかぴかの新車を乗り回すのも、わが子自慢をするのも、すべてこの欲求のせいである。

たとえば、ジョン・ロックフェラーが自己重要感を満たす方法は、会ったことも会うこともない中国の貧しい人たちのために、近代的な病院を北京に建てる資金を提供することだった。

一方、デリンジャーは悪党になり、銀行強盗や殺人を犯すことによって自己重要感を満たした。

捜査官に追われてミネソタの農家に逃げこんだとき、彼は「おれはデリンジャーだ!」と言った。

自分が社会の敵ナンバーワンであることに誇りを持っていたのだ。

「おれはお前たちを傷つけたりしない。だが、おれはデリンジャーだ!」そう彼は言った。

そのとおり、デリンジャーとロックフェラーとの大きな違いは、自己重要感を満たすために取った方法の違いだけである。

専門家によれば、厳しい現実世界において自己重要感を見つけることができず、非現実的な夢の世界でそれを見つけようとして、実際に精神を病んでしまう人さえいるそうだ。

自己重要性を渇望するあまり狂気の世界に入りこんでまで手に入れる者がいるのなら、正気の世界で心から認めてあげれば、どれだけの奇跡を起こすことができるか想像してみるといい。

私たちは子どもや従業員に対して身体に必要な栄養は与えるが、彼らの自己評価に必要な栄養を与えることはめったにしない。

他の人を動かす方法はこの世にひとつしかない。

相手が欲しいものを話題にし、それを手に入れる方法を教えてやることだ。

そしてその欲しいものとは自己重要感である。

人を説得する力をつけたいのなら、それが仕事場でも家庭でも学校でも政治の世界でも、最良のアドバイスはひとつ。

相手にそうしたいと思う強い欲求を起こさせることだ。

それができる者は世界を味方につけ、そうでないものはひとり寂しく道を歩むことになる。

この1点を守るだけでも自分のまわりの人間関係は劇的に変わるのではないだろうか。

2019年5月25日 (土)

「読ませる」ための文章センスが身につく本/奥野宣之

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 読み始めてもらわなければ、「わかる」も「わからない」もない。
 読み終えてもらわなければ、「伝わる」も「伝わらない」もありません。
 では、「読んでもらう」ためには、文章に何が必要なのでしょうか。
 ひとことで言うと「ツヤ」です。


文章には「つかみ」が大事だと言われる。

著者はそれを「ツヤ」と言っている。

文章の冒頭に、「これは読む価値がありそうだ」 と思わせるような「ツヤ」を出すこと。

そのために、誰でも簡単にできるコツがある。

それは「とにかく断言して書いてみる」という方法。

とりあえず、機械的に断定してみる。

その上で、この「強引な断定」から、続く文章を考えていく。

思い切って言い切ってみると、おのずと文章が短くなり、テンポもよくなる。

逆に「ボカシ言葉」を使ってしまうと、文章は、少しずつ、何が言いたいのかつかみにくいボンヤリしたものになっていく。

いうなれば「味」が薄くなる。

人の気持ちをつかむためには、心配や不安を乗り越えて、半ば強引にでも自信を持って書かねばならない。

潔く、断言して文章をまとめていけば、不思議と説得力が生まれる。

文章において、必然性のない婉曲はわかりにくいだけ。

小細工はせず、言いたいことをストレートに書いたほうが、伝わる。

「読んでもらう」「伝える」ということを考えた場合、嘘はダメだけれど、「そのまんま」もまたダメ。

書き手があえて大風呂敷を広げることで、読み手は「え、そうなの? 知らなかった!」と引き込まれてしまう。

この一点を守るだけでも「読ませる」文章に変身させることができるのではないだろうか。

2019年5月24日 (金)

カスタマーサクセス/ニック・メータ、他

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 今日、消費者行動は、「所有」から「利用」へと移行している。一般の消費者だけでなく、企業の事業活動においても、この流れは加速度的に広がっている。

カスタマーサクセスとは、つまるところロイヤルティである。

どの企業もロイヤルカスタマーが欲しいもの。

特に定期収益ビジネスにとっては、ロイヤルカスタマーは必須である。

今は、売ることよりも長期的な関係をつくることが求められる。

新規顧客の獲得よりも既存顧客の保持が求められる。

このような時代、カギとなるのが「カスタマーサクセス」だ。

受け身で顧客に対応するのではなく、データを駆使して顧客を積極的に支援する。

そのために事業と組織のあり方を最適化する。

要するにカスタマーサクセスとは、顧客の成功につながるような組織または理念である。

顧客を大成功に導くために、理解しなければならないことは3つある。

第1に、顧客はどうやって成功を測っているのかを知ること。

言い換えると、測定単位は何なのか(時間の節約なのか、収益増加なのか、コストカットなのか、質の向上がもたらす財務上の具体的な成果なのか)。

そして、顧客が勝利宣言するために求められる成果は何かを知ること。

第2に、顧客はその価値を達成しているか(または、少なくとも現実的に達成が可能な道を進んでいるか)。

第3に、その過程で、顧客はどんなカスタマーエクスペリエンスを得ているか。

ちなみに、「カスタマー・エクスペリエンス」とは、商品やサービスの購入前後のプロセスや利用時に顧客が体験する、「心地よさ」「驚き」「感動」「誇らし」さなどの、感覚的だったり感情的だったりする付加価値のこと。

顧客が大成功するのを支援するには、まず何が顧客にとっての成功なのかを理解しなければならない。

実は、カスタマーサクセスとは、心理ロイヤルティを生み出すための手段なのである。

例えば、アップル製品を購入する人たちは、その品質が優れているからではない。

アップル製品やパッケージ、広告、そしてプレゼンテーションの質。

これらは購入行動を生み出すだけでなく、何らかの形で心の琴線に触れるような体験をも生み出してくれる。

スティーブ・ジョブズほど心理ロイヤルティの生み出し方に優れた人物は、後にも先にもいないかもしれない。

カスタマーサクセスは今後のビジネスの成否を決めるキーワードになるかもしれない。

2019年5月23日 (木)

感謝する力/澁谷耕一

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 どんな状況でも、まず人に喜んでもらうことをする。相手のために何ができるのかを第一に考える。そして感謝をする。そうすれば必ず社会のなかで私たちは求められ、生かされ、幸せに生きることができます。輝く自分を見つけることができます。


これからの時代、日本人が幸せな生き方を見つけるにはどうしたらいいのだろうか。

それは人に頼らず、自分の責任と自分の力で「自立する道」を選ぶということ。

昭和、平成の時代は国や企業が個人を守ってくれた。

しかしながら、これからの時代は自立した個人の実力が試される。

大企業であっても、組織に頼って生きるような人は不要だろう。

中小企業ならなおさらだ。

では自立するためには何が必要か。

第一に大切なのは、「志」である。

そして「どうしたら人の役に立つのか、社会の役に立つのか」ということを考え生きること。

ただし「志」があっても、実際に人の役に立つにはハードルがある。

相手がお金を払ってくれなければ経済成長はできない。

そのためにも「コミュニケーション」をよくして、それぞれの強みをもった人と「協力」し、「工夫」し、「行動」することが重要。

そして「行動」のときにはしっかりと実績に直結する「訓練」を行い、戦える人材となること。

志にはそれ自体、大きな力がある。

志があれば、どんな逆境にあっても人は生きていける。

そのためには「この人生で、自分は何を達成したいのか」という、自分発の発想を捨てること。

そして「この人生は、私自身に何をしてほしいのか」という、まったく逆の観点から自分を見直してみることである。

更に、自分のなかに据えるべき基準は「ない」のが当たり前とすること。

そうすれば、すぐにでも身辺のあらゆることに感謝することができて、自分が成長する。

人が自分の仕事に誇りをもち、日々、充実して働いていたらどうだろうか。

「自分は金持ちではないかもしれない。しかし、この仕事では絶対に他人には負けない能力がある」

「自分しかできないこの仕事を通じて、皆さんのお役に立っている」

このような「自尊心」があれば、自分が「勝ち組」であるか「負け組」であるかなどは、あまり気にならない。

人の役に立つ仕事をしているのだから、ある程度は経済的にも報われる、

何より精神的なプレッシャーに負けることがない。

自分のあり方にごく自然な自信をもてるので、人にへつらうことなく、人目を気にすることもなく、いつも堂々とした態度でいられる。

こんな自立した生き方が令和の時代は求められてくるということではないだろうか。

2019年5月22日 (水)

ゲーム理論の思考法/川西諭

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 ゲーム理論はあらゆる場面に応用できます。いま、あなたが直面している問題も、まず間違いなくゲーム理論の対象となるはずです。

ゲーム理論とは、「2人以上のプレイヤーの意思決定・行動を分析する理論」だ。

ここでいう「プレイヤー」とは、人間だけではない。

企業、国家などさまざまな「意思決定を行なう主体」を指し、幅広い応用が可能。

ゲーム理論には、大きく分けて次の3つの目的がある。

第1に、ゲームの構造(問題の全体像)を把握する

第2に、起こりうる未来を予測する

第3に、適切な解決策を見つける

である。

たとえば、会社の待遇が気に入らず、上司と交渉しようか、それとも現状のまま我慢するかを迷っているとする。

ゲーム理論では、この状況そのものを「ゲーム」ととらえる。

このゲームにおいて、自分は「自分の利益を高めるために交渉する」のか「現状のまま我慢する」のかを判断しなければならない。

交渉して待遇が改善されれば、当然自分の利益となる。

しかし、その交渉がきっかけで上司との関係が悪化し、仕事がしにくくなれば不利益を被る。

使いにくい人材としてさらに待遇の悪い部署へ回されるかもしれない。

これでは完全に逆効果。

逆に、上司の選択肢について考えてみるとどうなるのか。

部下から待遇の改善要求を受けた上司は、それを「受け入れる」ことも「拒否する」こともできる。

受け入れることであなたのモチベーションはあがるだろうが、それだけ余分なコストが発生する。

一方、拒否することでコストアップは回避できるが、部下のモチベーションを下げ、場合によっては辞めてしまうかもしれない。

お互いの選択肢を整理すると。

部下の選択肢は、待遇改善を申し出る」「我慢する」の2つ。

上司の選択肢は、「受け入れる」「拒否する」の2つ。

そして、お互いどのような選択肢を持ち、各選択肢においてどんな結果が予想されるのかを合理的に検証していく。

検証した結果、上司にとって「受け入れる」という選択肢が妥当だとわかれば、部下は迷うことなく待遇改善を申し出ればいいということになる。

反対に、上司が「拒否する」ことがわかっているなら、部下のとるべき選択肢は「我慢する」である。

つまり、「相手がとるだろう選択肢」がわかると、自ずと自分にとってベストな行動が見えてくるという仕組みである。

直面する様々な問題について、ゲーム理論で考えてみるのも面白いかもしれない。

2019年5月21日 (火)

ルポ中年童貞/中村淳彦

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「この街は童貞だらけですよ。中年童貞って何歳からですか? 30歳以上の童貞となるとたぶん渋谷とか新宿の100倍はいる。ここはアイドル以外のリアルがない電脳の異界ですから」

国立社会保障人口問題研究所「第14回出生動向基本調査」(2010年)によると、20~24歳の未婚男性で性交経験がない人は、40.5%と前回(2005年)に比べ6.9ポイント上昇。

さらには、30~34歳の未婚男性のうち、性交経験がない人の割合は26.1%となっている。

おおよそ、4人に1人以上が童貞という計算だ。

この数値を元に計算すると、30歳以上の未婚男性はおおよそ800万人、全国に209万人の中年童貞がいることになる。

これは長野県の総人口と、ほぼ同数だ。

「出生動向基本調査」は5年ごとの調査で、性交経験のない男性はここ20年の間、上昇し続けている。

少子高齢化が社会問題となっている今、中年童貞の問題は深刻だ。

これほど大量の中年童貞は、100%近い人が結婚していた時代には現れえなかった人々だ。

1950年(昭和25年)の生涯未婚率は、わずか1.5%。

それが2010年には20.1%に跳ね上がっている。

彼らは、なぜ日本社会に生まれたのか。

例えば、秋葉原に集まってくるオタクに中年童貞が多いのは容易に想像がつく。

多くのオタクは、処女以外は人間じゃない、といった思想を持っている。

40代、50代以上のオタクは、リアルな幼女と二次元に処女を見ている。

80年代は普通に書店で幼女ヌードが売られていた。

思春期に成長途上の幼女が好きになり、児童ポルノ法で禁止されたあとは、二次元に移行する。

若い世代は最初から美少女キャラクターに処女を見ているし、求めている。

基本的にオタクの人は真面目で、一つのことに集中できる職人気質な性格。

40代、50代の人の時代は、高卒とか大卒で就職できる会社に職人気質な人が高給をとれる仕事がたくさんあった。

公務員になった人なども高給。

現在の50代が該当する80年代初期のオタクは難関大学の学生が多く、難関になるほど大学生のロリコン率も高くなる。

真面目だからちゃんと就職するし、一度入社した会社を辞めない。

転職もしない。

だから、基本的にお金はある。妻も子供も恋人もいない彼らがそのお金を使ってくれたから、秋葉原系コンテンツは急拡大していった。

このような環境が中年童貞を多く排出していった。

また、介護現場で働いている人の中にも中年童貞が多いという。

彼らは能力は低いが真面目でプライドが高い。

コミュニケーションが苦手なことを自覚して悩む高学歴系の中年童貞とは異なり、自分自身から逃げ続けていて精神年齢が低いという傾向がある。

女性に対する純粋さ、幼児性を秘めている。

そして社会からズレたまま精神的に成長することはなく、すでに完全に取り返しのつかない40代に突入すると、いつかすべてを受け入れてくれる天使のような素敵な女性が現れるという妄想が強くなる。

更に驚くことにネトウヨにも中年童貞が多いという。

今のネトウヨと中年童貞は、完全に繋がっている。

ネットにはコミュニケーション能力が低くて不満を抱えている人が多い。

自分のことはおいておいて、中年童貞のネトウヨは「こんな正義感があって立派な人間である僕が、社会に受け入れられないのはおかしい。受け入れない女はおかしい。そんなおかしい社会を変えよう」くらいに思っている。

自分自身が閉じ籠もってなにもよいことがない中で、不正とか不正義がどうしても許せない。

数年前までは左翼だったけど、今は右翼の方が正義になっている。

中年童貞はナショナリズムにすがっている。

自分が主張できることの数少ない一つとなっている。

と、このように中年童貞が生み出される背景は様々である。

戦後すぐは婚姻カップルの7割が見合い結婚だった。

半世紀で逆転現象が起き、恋愛結婚が88%、見合い結婚が8.1%というのが現在である。

結婚=セックスと考えると、半世紀前までは親や地域が介入するのが一般的だったが、その風習はなくなってしまった。

性は自由主義、個人主義となって、時代の変化によって取り残されてしまったのが中年童貞という存在なのではないだろうか。

2019年5月20日 (月)

織田信長435年目の真実/明智憲三郎

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 歴史捜査の結果、信長の「知識・論理」には現代人が保有していない膨大な「あるもの」が存在していたことが明らかになりました。「信長脳」の中身が解明できたのです。その「信長脳」を駆使して信長は天下統一戦を勝ち抜き、さらにその先へと進もうとしていたこともわかりました。


若い頃の信長は奇行が目立ち、「大うつけ」と呼ばれていたのは有名な話だ。

うつけとは馬鹿者という意味で、「たわけ」とも言う。

服装はとても奇抜だったようだ。

「帷子の袖をはずして半袴をはき、火打石の入った袋や様々なものをぶら下げ、髪は紅や萌黄の糸で巻き立てて茶筅髷に結い、朱色の鞘の太刀を差していた」と書かれている。

行儀は現代人が見ても眉をひそめるようなものだ。

「町中を人目も憚らずに栗、柿や瓜にかぶりついて食べながら歩き、立ちながら餅をほおばり、歩くときはいつも人に寄りかかって肩にぶら下がりながら歩いた」とある。

当時の戦国武将は「孫氏」等、中国の古典を精読していた。

「孫氏」で注目されるのは「兵は詭道なり(戦とは騙し合い)」という考え方を基本に据えていることである。

『信長公記』にもしばしば「調略(謀略)」が用いられたことが書かれているが、戦国武将にとって騙すこと、つまり謀略は基本中の基本だったわけだ。

つまり信長の奇行は、父の信秀が中国の故事に倣って信長に大うつけを演じさせ、国内外の敵から信長を守ろうとしたと考えられる。

さらに有名な桶狭間の戦い。

桶狭間の戦いは信長軍が気付かれないように迂回路を通って今川義元の本陣を奇襲したとする「迂回奇襲説」が定説となっていた。

ところが、この戦いに参戦していたとみられる太田牛一の書いた『信長公記』の記述をもとにすると、迂回奇襲戦ではなく正面攻撃なのである。

「信秀脳」を継承した信長であれば、今川義元の侵攻に対抗する作戦を孫呉の兵法を駆使して立てたであろうと容易に推測できる。

そして、これで勝てるという目算の立つ作戦ができあがった。

だから確信をもって桶狭間での決戦に臨んだ。

信長の決断においては桶狭間の戦いの勝利は「必然・必勝」であって、「偶然・幸運」ではないということだ。

強い追い風が吹いている。いよいよ全力で突撃するときが来た。

空が晴れたのを見て信長は槍を取って、大音声を上げて「さあ、かかれ、かかれ」と叫んで突撃した。

追い風に乗って全員が大声を上げて突っ込んでいった。

「追い風のときには大声を出して進め」という呉子の兵法だ。

正に呉子の兵法の通りだ。

「千の力で万の敵を撃つ最善の策は狭い谷間で戦うことである。かりに少人数だったとしても、狭い地形を選び不意打ちをかければ、いかに相手が多人数でも驚きあわてざるを得ない」。

これで桶狭間の戦いの勝負は決した。

信長の勝因は「孫呉の兵法」を駆使した正面奇襲攻撃だったと言える。

桶狭間の戦いは「迂回奇襲」ではなく正面奇襲攻撃だったということは、私にとって新しい発見だ。

これだから、歴史は面白い。

2019年5月19日 (日)

優れたリーダーは、なぜ「立ち止まる」のか/ケヴィン・キャッシュマン

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「立ち止まると、自分にも周りにも余裕が生まれます。物事に対する考えや感情を 咀嚼 できるようになります。立ち止まることで、私たちの内外で起こっている事態の全体像を包括的に捉えられるようになり、理解が進みます」

今はスピードの時代だ。

ところが著者はリーダーは「立ち止まる」ことが必要だという。

エグゼクティブのコーチをしている著者は、クライアントがあえて立ち止まるという瞬間を、長年にわたり何度となく目にしてきて、わかったことがひとつあるという。

それは立ち止まることはパフォーマンスを強化するということ。

心と体に睡眠が必要であるように、リーダーシップとイノベーションには立ち止まることが必要でである。

そもそもリーダーとマネジャーとは求められるものが違う。

マネジャーは、物事の達成に向けやる気と自制心で突き進む。

リーダーは、新しい生き方と達成の方法を見つけるべく立ち止まる。

効率を重視するマネジャーは最も正確な回答を導き出すよう訓練されているが、

リーダーは最も深い問いを提起する力を育む。

マネジメントの効率性は、より効率的により速く成果を求めることであり、

リーダーシップの卓越性は、立ち止まることで複雑さを明確さに変え、違った方法をとることである。

効率を求めるマネジャーは結果を目指す。

一方で、リーダーは自身や組織の新たな戦略を得るためにたえず意識して内省し、それから価値創造を目指す。

マネジャーは、よく練られた慣習的なアプローチに固執するが、

リーダーは、刻一刻と変わる状況に飛び込むための新しい方法を探し出す。

ファスト思考はマネジメントの仕事であり、

スロー思考がリーダーの戦略的でイノベーティブな仕事である。

リーダーとマネジャーはこんなにも違うのである。

だからリーダーは「立ち止まる」ことが必要。

「立ち止まる」とは、自分に対しても他者に対しても意識的に一歩引くプロセスのことである。

それは、真正さや、目的意識や、献身性を伴って先へ進むことを可能にする。

ペースを落とすことを忘れてはいけない。

人とつながりを持ち、やりがいのあることをする。

ペースを上げすぎて、愛や奉仕こそが生きがいを与えてくれることを忘れてはいけない。

リーダーは立ち止まって内省し、自らを成長させなければならない。

成長とは、内側から外側へ、外側から内側への変革のプロセスである。

まずは自己の成長から始まり、やがて他者の成長へ、そしてイノベーション文化の成長へとつながる。

ほとんどの変革は自己変革から始まり、ほとんどの成長は自己成長から始まる。

スピードが求められる今こそ、リーダーは「立ち止まる」勇気を持つべきであるということであろう。

2019年5月18日 (土)

人生はワンモアチャンス!/水野敬也、長沼直樹

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 私は小さい頃貧しかったので、最初は腹一杯食べたい夢でした。 丁稚奉公 にいってからは、貯金して早く店を持ちたいと思いました。 商売をはじめても、大きな会社など望みませんでした。 一段上の夢を着実にこなしていっただけです。 [松下幸之助]


創業時から大きな夢を描く人がいる。

例えば日本電産の永守重信氏の創業時の目標は世界一だったという。

一方、松下幸之助氏のように、創業時はただ腹いっぱい食べたいという夢しか描かなかったにもかかわらず、その小さな夢を一つひとつ実現させることによって、世界的な企業に成長させた起業家もいる。

どちらが良い悪いではなく、これこそ創業者の個性ともいえるものだろう。

ただ言えることは、大きな夢を実現させるにしても、そのプロセスにおいては一つひとつの小さな夢や目標を達成することが必要となる。

それを続けることが大きな夢の実現につながる。

大事なことは一つの小さな夢を実現させてもそれで満足しないこと。

身の丈に合った夢を描き、その実現に向けて切磋琢磨努力を続けること。

これが大きな夢の実現につながる道。

多くの人は小さな夢を実現すると「もうこれでいいや」と夢を追うことをやめてしまう。

すると成長もしなくなる。

場合によってはそれによって逆に衰退してしまう。

夢を追い続けることこそ大事ということ。

松下幸之助氏の人生はそのことを教えてくれる。

2019年5月17日 (金)

リーダーのための! コーチングスキル/谷益美

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 言いたいことがあるのなら、本人に言わせるのではなくスパッと伝えてしまいましょう。 その上で、反論も含め、相手の言い分を語らせるコーチングに移行するのがお勧めです。

 


コーチングとは、ひと言で言うと「引き出す」コミュニケーション。

「引き出す」とは、働きかけて、隠れているものを表に出すこと。

相手から、気づきや行動を引き出し、変化と成長を促すために、しっかりと「聞く」姿勢が、コーチングの基本だ。

ところが、「引き出す」ということにこだわりすぎると、うまくいかないことがある。

それは「引き出す」のつもりが「誘導尋問」になってしまうことがあるから。

例えば「訪問件数が少ないから売上が伸びない」ことに気づいてもらいたい場合、

「問題は何だと思う?」

「これからどうなっていきたいの?」

こんなふうに、相手に言わせたい答えを持って問いかける質問は「誘導尋問」。

これは大抵うまくいかない。

それよりは「私は訪問件数が少ないことが問題だと思うんだ。その件についてどう思う?」

と、こちらの言いたいことをスパッといってしまうことだ。

質問は相手のためのもの。

これさえ押さえておけば、自分が知りたい情報を引き出す「情報収集」や、言わせたい答えを引き出す「誘導尋問」にはならない。

どうもうまくいかない、とコーチング実践の壁にぶつかったら、誘導尋問になっていないか、基本に立ち返ってチェックしてみることだと思う。

2019年5月16日 (木)

企画のメモ技/高橋晋平

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 あなたが書きとめるべきメモは、「欲しいと思うものごと」これだけです企画を考える時に、多くの人が一番間違えてしまうこと。それは、「面白そう」「今までになく、新しい」という理由だけで企画をつくってしまうことです。


企画とは、人の欲求を満たすための作戦。

「何かが欲しい人」のためにそれを実現してあげること。

そのためには、まず自分が「この企画は絶対に欲しい、使いたい」と感じていなければ、結果的にいいものをつくることはできない。

企画を考える時に、多くの人が一番間違えてしまうこと。

それは、「面白そう」「今までになく、新しい」という理由だけで企画をつくってしまうこと。

欲しいと思わないものをもとに企画を作っても当たらないのは当たり前の話。

逆に言えば、興味がない人にも「欲求」を持たせられる要素を発見できれば、そのネタはどんな人にも喜ばれる企画に大化けする可能性がある。

そしてそのためにはネタが必要。

それも良いネタが必要。

ただ、そのネタは質より量。

ネタの段階で当たるか当たらないかを考えすぎると、量が満たされない。

まずは量を求めること。

そして、いろいろなネタを材料にして、化学反応を起こしたとき、いい企画がつくれる。

よい企画をつくるためには、欲しいと思うネタをできるだけ多く集めること、それが良い企画作りのはじめの一歩ということだろう。

2019年5月15日 (水)

世界中の億万長者がたどりつく「心」の授業/河合克仁

 

「美Photo_48しい心の状態」=「無行動」ではなく、むしろ目の前で起きている問題に対して、すべきことが直感的に浮かび、迷わず判断できます。 そしてすぐさま行動に移ることができるのです。


世界でもっとも優秀な大学の1つであるスタンフォード大学。

ここでマインドフルネスを教えているスティーヴン・マーフィ重松先生は、スタンフォード大学の学生たちを「水面に浮かぶカモ」にたとえて「ダックスシンドローム」であると言う。

水に浮かんでいるカモは水面を優雅に泳いでいるように見えるが、水面下では必死に水をかき続けている。

同じように、頭脳明晰で人生がうまくいっているように見える学生たちも、心の内では大きな葛藤が渦巻いており、もがいている状態だと言うのだ。

恐らく私たちも「ダックスシンドローム」に陥っているのだろう。

表面上は平静を装っていても、内面は乱されている。

喜び、興奮、嫉妬、怒り、自信喪失、悲しみ、孤独……と、人にはさまざまな心の状態がある。

シンプルに追求していくと、心の状態はたった2つに分けられる。

それは、「美しい心の状態」と「苦悩の心の状態」。

大部分は「苦悩の心の状態」にある。

「美しい心」とは、心の底から生まれる「美しい意識状態」のことを言う。

美しい意識状態をより具体的に表現すると、「心に何の曇りもないスッキリとクリアな感覚」。

この状態では、

・感覚が研ぎ澄まされ、人の心の機微や変化に気づくことができる

・思考がクリアになり、物事の判断が早くなる

・問題を解決するための画期的なアイデアが自然と出てくる

・人を批判することなく、受け入れることができる

・心の底から幸福感や満足感が湧き上がってくる

・虚勢を張ることなく素直な自分でいられる

・自然と感謝の心が生まれてくる

といった特徴がある。  

美しい心の状態のときには五感がフルで働き、いつもより感覚が研ぎ澄まされる。

いつもと同じ景色でも色が鮮やかに見えたり、香りを強く感じたり、それまで気にも留めなかった風の心地よさを感じたりする。

なぜ、このようなことが起きるのか?

それは、人が美しい意識状態にあるとき、その人は「将来」のことを考えるのでもなく、「過去」のことを考えるのでもなく、ただ「今この瞬間」に集中しているから。

では「美しい心の状態」になるためにはどうすればよいのか?

本書で紹介されているのは

①自分が苦悩の状態であると気づき、

②深層意識にある心の声にしっかりと耳を傾け、

③悩みの本当の正体を特定し、

④美しい心の状態で、正しい行動を選択していく

という4つのステップ。

取り組んでみる価値があるのではないだろうか。

2019年5月14日 (火)

コンサルティング業界大研究/ジョブウェブ コンサルティングファーム研究会

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 あるコンサルティングファームの経営者は「クライアントは自社のあるべき姿はもうわかっている。わかっているけど実現できないところが問題なので、だから場合によっては我われと一緒にジョイントベンチャーをつくって運営するという形も含めて提案する。これはもうクライアントというより運命共同体であり、ビジネスパートナーだ。自分たちと一緒にリスクを取らない相手には、クライアントはお金を払ってくれない時代になってきている。コンサルティング業界は変わらなければならない」と話す。


コンサルタントは元来、英語の「consult(相談する)」から派生してきた言葉だ。

だから、もともとの語義では「相談する人」がコンサルタントであり「相談活動」がコンサルティングである。

そして相談活動を業とする会社(事務所)がコンサルティングファームということになる。

コンサルタントとは「問題解決が自分の使命であると認識し、それを生業としている人」である。

経営コンサルタントとは何を意味するのだろうか。

米国の経営コンサルタント協会では「専門の訓練を受け、経験を積んだコンサルタントが行うプロフェッショナルサービスであり、経営者が会社のさまざまな組織の経営上、業務上の諸問題を認識、解決するのを助け、実践的な解決策を提示し、必要に応じてその解決策を実施するのを助ける」ことと定義している。

多くは日々の地道なコミュニケーションと小さな改善の積み重ねであり、粘り強い努力が不可欠である。

一般に広く流布している、華やかなコンサルタントのイメージとは異なる像がそこにはある。

ところが、今、コンサルティング業界が変わりつつあるという。

「解決策の助言」から「解決策の実行」へと進んだコンサルティング業界の流れは、一部のファームではさらにその先へと進みつつある。

それは、コンサルティングファームが解決策を実施した結果について、顧客とともにリスクを分かち合う「リスクテイキング」の発想が広がってきていること。

自分たちと一緒にリスクを取らない相手には、クライアントはお金を払ってくれない時代になってきているというのである。

ところが、コンサルタントの料金の計算方法は「問題解決の価値」から割り出されるのではなく、単に「コンサルタントの単価×労働時間」である。

これは論理的に言えば矛盾しており、厳密に言えば売っているのは「問題解決」ではなく、「コンサルタントの拘束時間」であることになってしまう。

通常、顧客との契約は1〜数カ月ごとのプロジェクト単位であり、そのコンサルタントの市場価値に応じて「1時間いくら」という形で料金がチャージされる。

そして、コンサルタントはその顧客によって「買われた」時間内、全身全霊を注ぎ込んで顧客のために考え抜き、最善のプランを練り上げて提案し、説得し、実行する。

そしてプロジェクトが終了すれば、所属するコンサルティングファームに戻り、別のクライアントの仕事のアサイン(割り振り)を受け、出向いていく。

今後の戦略系ファームについては、若手の人材を中心にした〝超アタマのいい人の人材レンタル〟的な業務と、あるひとつの業界や、人事、ファイナンスといった特定の業務で長い経験をもち、他人が追随できない独自の力量をもつ〝職人芸〟的なコンサルティング業務の2つが中心になっていくものと予想される、とのこと。

多くの業界が今、変革を求められているが、コンサルティング業界も例外ではないということであろう。

2019年5月13日 (月)

3分間コーチ/伊藤守

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 従来のマネジメントの方法、つまり、上司が部下に対し、 権威や力で一方的に強制する方法が通用しなくなってきている ことがあげられます。権威に依存しないで部下を動かし育成していく、より高度な能力が、一人ひとりのマネジャーに求められるようになってきているのです。


マネジャーが日々、遭遇しているのは、次のような課題だ。

指示待ち・受け身の部下の自発性をどう高めるか?

報告・連絡・相談をしない部下とのコミュニケーションをよくするには?

納期を守らない、遅刻をする部下にどうやって責任感を持たせるか?

営業が苦手で萎縮している部下を行動させるには?

現場や他部門と話をしない部下のコミュニケーションを促進するには?

目標やビジョンを持てない部下への関わり方は?

仕事に自信がない部下に自信を持たせる関わり方は?

顧客志向のない部下の顧客意識を高めるには?

会議で発言しない部下が発言できるようになる関わり方は?

自分の利益にしか関心がない部下に、会社に関心を持たせるには?

自分にしか興味がなく、後輩を育成しない部下の意識を変えるには?

自己主張が強く、人の話を聞かない部下の協調性を高めるには?

等々、まだまだあると思うのだが、

これらマネジャーが現場で直面する問題の数々に対して、従来型の指示命令型のマネジメントが通用しなくなってきているのは明らかだ。

一方、コーチングは時間がかかるという印象がある。

スピードを重視する現在のビジネスで、部下とじっくりと時間を取ってコーチングをすることは、必要だとは思っていてもなかなか難しい。

どうしても時事命令になってしまう。

そこで登場するのが「3分間コーチング」である。

3分の時間を、その人のためにとる。

ついでではなく、その人と話すという目的を持ってつくる。

もうひとつのポイントは、 仕事の動きを止めないこと。

業務の流れに沿って行うこと。

業務の流れに沿って、 今その場で、目の前に起こっていることについて話すこと。

お互いに、見てわかる、聞いてわかる、触れてわかることをテーマにすること。

これを日々繰り返すのが3分間コーチング。

後はこれを習慣化することだろう。

意外と効果的かもしれない。

実行してみる価値はあるのではないだろうか。

2019年5月12日 (日)

大物に可愛がられる最強の処世術/いつか

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 自分のためにではなく、仕事(会社、他人)のために、言うべきことは言う。いいと思うことを、相手の立場に関係なくぶつけてみる。そうした我欲の感じられない積極性も、可愛がられるための大きな要因なのだ。


成功するためには「力ある人」に気に入られることが近道だ。

そのためには、まず、自分を引き立ててもらいたい相手を探すこと。

ついていくべき、可愛がってもらうべき「力のある人」を探し、決めること。

そうしてはじめて、「大物つかみ」への道程が決まる。

そして、相手のことをよく知ること。

大物つかみの肝は、そこにある。

そして、まず基本として、「素直」「熱心」「聞く耳を持つ」「行動力がある」といった、できる人の若いころに共通した要素を満たすこと。

心から素直であれば、気遣いなどなくとも取り立てられる。

なぜなら、邪心・エゴがないから。

だから、反対しても嫌われない、むしろ「可愛い奴だ」と目をかけてもらえる。

もう一つ、非常に大切なのが、律儀であること。

会ったらすぐ御礼の手紙を出す、時候の挨拶を欠かさない、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)を徹底する、受けた恩は必ず返す……人の気づかない細々としたところまで律儀であれば、もうほとんど「可愛げ」となる。

上から見れば、特にずっと歳の離れた大物から見れば、「我欲がなく、勉強熱心で、素直な頑張り屋」は、とても好ましく、可愛らしく見られる。

必死になって自分の有能さを示そうとしたり、反発ばかりすることで自分を認めさせようとしたり、不合理なことが起こると無駄に徹底的に闘ったり。

人の気持ちがわからず、頭脳ばかり優秀な人がよくやりそうな、こうした合理主義的・個人主義的な手法は、特に日本の土壌には合わない。

「大物つかみ」はおべっかを使うことではない。

むしろ、自分のためにではなく、仕事のために、言うべきことは言う。

いいと思うことを、相手の立場に関係なくぶつけてみる。

そうした我欲の感じられない積極性も、可愛がられるための大きな要因。

豊臣秀吉は若いころ織田信長に気に入られたからこそ天かを取ることができた。

私自身に最も欠けた要素なので、この中の一つでも実行できれば良いのではないだろうかと思う。

2019年5月11日 (土)

長生きにこだわらない/矢作直樹

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 この「中今」精神、つまり「今こそすべて、今を楽しむ」精神があれば、些細なことが気にならなくなります。


今、人生100年時代と言われている。

100年生きるかもしれないということはある面リスクでもある。

務めている会社は60歳定年が大部分。

65歳まで継続雇用の義務はあるが、給料は大幅に下がる。

65歳まで勤め上げたとしても会社を辞めた後が長い。

この長い老後をどう生きるか、これが多くの人の課題となってくる。

著者自身も60歳を超え、今はフリーの身だということだが、大事なことは「今を楽しむ」ことだという。

明らかに誰かに迷惑をかけていなければ、自分が楽しいと感じることをすればいいし、その役目に夢中になればいいと。

会社の一員としては定年しても、心や体に定年はない。

心や体が定年するのは、この世をおさらばするとき。

私たちにとっての本当の定年は命日。

つまりこの世を去る日まで、定年は一生涯ない。

会社勤めの定年を迎えた日が新たなスタートの日という意識を持つ必要があるということではないだろうか。

2019年5月10日 (金)

私を離さないで/カズオ・イシグロ

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 でも、トミーはわたしの言葉を無視し、「まだあるんだ」とつづけました。
「先生の言ったことでもう一つ、よくわからんことがある。君に訊こうと思ってた。先生が言うには、おれたちはちゃんと教わってるようで、教わってないんだってさ」
「教わってるようで、教わってない?もっと一所懸命勉強しろってことかな」
「いや、そういうことじゃないと思う。先生が言ってたのは、おれたちの将来のことだ。将来、何があるかってこと。ほら、提供とか、そういうこと……」
「でも、それなら、もう全部教わったじゃない。何のことだろ。ほかに何か、まだ教えてもらってないことがあるのかな」


ノーベル文学賞を取ったカズオ・イシグロ氏の著書。

この小説はSF小説の形を取っている。

物語は主人公キャッシーが読者に語りかけるような構成になっている。

現在進行形ではなく、過去を振り返る回想物語。

本人は介護人。

介護人と言っても一般的なそれではなく、彼女が担当するのは臓器提供者、いわゆるクローン人間。

キャシーもまたクローン人間であり、将来は夢も希望もなく臓器提供が最終地点ということになる。

キャッシーが回想する中で特に印象に残ったのが上記の会話。

ヘールシャムという施設で幼少時代から思春期を集団で過ごし、15歳になり、ヘールシャムでの生活も最後の年を迎えたある日のこと。

男子生徒が将来の夢を語っていたのでルーシー先生が思わず割って入った。

「あなた方は教わっているようで実は教わっていません。」

あたな方は、映画スターになることも、近所のスーパーで働くことも、更には中年、老後を経験すること無く臓器提供が始まるのだと。

ルーシー先生はそれ以上は語らなかったが、生徒ひとりひとりの顔を見渡すルーシー先生の表情は複雑。

彼らを救うことが出来ない無力さ、悲しみと怒りが入り混じった感情をキャシー達は感じ取る。

クローン人間として将来の夢を持つことも許されず、ただ提供の時期を待つだけの人生。

残酷な物語である。

作者はこの物語を通して何を訴えたかったのだろう?

いろいろと考えさせられた。

2019年5月 9日 (木)

歪んだ正義/宮本雅史

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 特捜部長経験者の分析はこうだ。
「最初から、事実に忠実な構図を描くのではなく、内偵捜査で得た情報から『この事件はこうなる』『こうなるに違いない』『こうすれば大きな事件になる』……というように、自分で事件の構図を作ってしまう。それが当たればいいが、外れるとどんどん違う方向に走ってしまう。当然、軌道修正が必要だが、これがまた証拠に沿って軌道修正するのではなく、マスコミなどを使って、当初描いた構図に近づけようとする。無理な捜査に走ってしまうのは当然だ」


「法律のプロ」を自認する特捜検事がそんなばかな……と耳を疑ってしまうが、近年の事件を再度検証すると、確かにそうした可能性を否定できない。

日本の司法制度では、裁判所が最終的な法的判断を下すが、検察庁は被疑者の処罰をこの裁判所に求める機関で、行政権に属する。

ただ、通常の行政組織は、総理大臣を頂点に指揮監督が確立されているが、検察組織は、法務省から独立して権限を行使できる特別な機関と位置づけられ、その権限の在り方や組織形態は、ほかの行政組織と大きく違っている。

検察庁法は第一条で「検察庁は、検察官の行う事務を統括するところとする」と定め、その事務とは検察庁が行う事務ではなく、検察官個人の行う事務としている。

さらに同法第四条は「検察官は、刑事について、公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求し」とし、同法第六条は「検察官は、いかなる犯罪についても捜査をすることができる」と定めている。

つまり、すべての検察官は公訴権を独占し、起訴、不起訴の裁量権を有し、必要があればいかなる犯罪についても捜査できる権限を持つなど、きわめて強大な権限を与えられていることになる。

問題はこの強大な権力を間違って使ってしまうこと。

本書を読んでみると、特捜検察の手法はまさに「何でもあり」である。

最近は積極的に事件捜査を展開するためか、意図的にリークをして世論をあおるケースが目立つという。

しかも刑事事件として立件できない場合は、世論を動かすことで社会的責任をとらせようとする傾向が強いようにさえ感じるというのである。

情報をリークしながら、片や情報源の特定にガセネタを流して犯人探しをする。

すべてが特捜部、さらには検察当局の手の中で踊らされている。

特捜部による世論操作は、いつの時代になっても当然のように引き継がれていると言っても過言ではない。

そして、その実態を知るにつれ、その強大な権力を背景に捜査に切り込む特捜部の「絶対性」と「おごり」を感じずにいられない。

まさにこれは本書のタイトルにあるように「歪んだ正義」ではないだろうか。

2019年5月 8日 (水)

小さな会社の売上を倍増させる最速PDCA日報/中司祉岐

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 学校の勉強では、予習・復習をちゃんと実行すると成績が上がります。この予習・復習は、企業で言えばPDCA(計画・実行・振り返り・改善) に当たります。立てた計画を実行し、結果を振り返りながらさらに改善して次につなげていくということですが、これを継続して回していこうとするとなかなか難しいわけです。  

PDCAを回すことは仕事の基本である。

基本であるにも関わらずこれを実行している人は極めて少ない。

著者は主に中小企業経営者の方々に日報を付けさせ、それを添削指導することによってPDCAを確実に回せるようにサポートすることを業としている。

経営で重要なのは、「どれだけ自分を見つめられるか」だ。

経営者なら誰でも、営業時間が終わった後も、その日がどうだったのかを振り返り、明日どうしないといけないのかを考える。

それをを日報を付けさせ、それを仕組み化することによって業績向上に結び付けようという試みである。

何かを求めて成功するには、毎日、小さな改善を地道に積み上げていくことが、遠回りのようで早道。

日報は計画、実行、振り返り、改善のPDCAを回していくうえで、大きな助けになる。

結局、中小零細企業が成長できるかどうかは、会社を牽引する経営者がPDCAをきちんと回せているかどうかにかかっている。

同じ経験をして、そこから大事なことに「気づかない人」と「気づく人」がいる。

また、気づいても「実行しない人」と「実行する人」がいる。

さらに、「実行しっぱなしの人」と、実行を振り返り「よりよいものに改善する人」がいる。

全てPDCAをきちんと回せるかどうかにかかっている。

基本的には、「今日の予定」を朝に書き、「実際の結果」を仕事の合間に書き、

夜に「うまくいったこと」と「うまくいかなかったこと」を振り返り、

「うまくいったこと」はルール化してこの先も続け、

「うまくいかなかったこと」に関しては改善点を考えて、翌日以降に再びトライする、

というもの。

PDCAについては、習うより慣れろ、実行あるのみ、ということではないだろうか。

2019年5月 7日 (火)

西洋の自死/ダグラス・マレー

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 大量移民のメリットが間違いなく存在し、誰もがそれを認められる一方で、別の文化から膨大な人々を招き入れることのデメリットは長い時間を経なければ確認されないのだ。

本書には、移民の受け入れによって、欧州の社会や文化が壊死しつつある姿が克明に描かれている。

一つの偉大な文化が絶滅しつつあるその様には、身の毛がよだつ思いがする。

しかも恐ろしいことに、この欧州の文化的絶滅は、欧州の指導者たちの決断が招いた事態なのである。

移民を受け入れを容認する考え方の根拠はいくつかある。

安い労働力が入ってくることによる経済効果。

大量に押し寄せてくる移民を受け入れることへの寛容の精神、ヒューマニズム。

そして多様性の精神。

一方、それを反対することにはリスクが伴う。

大量移民がもたらす結果に異議を唱える人々は、人種差別主義者、ナチス、ファシストなどと呼ばれる。

しかし、大量移民は少しずつ国を変えていった。

ドイツでは、ドイツ人へのレイプ事案が増加するのと並行して、難民シェルター内でのレイプや性的暴行の件数も増えた。

2015年中、ドイツ政府は移民を収容する施設にかなりの不足を来していたため、当初は女性専用のシェルターを提供できなかった。

多数の女権団体がヘッセン州の議会に手紙でこう訴えた

「数多くのレイプや性的暴行が発生している。また我々が売春の強要についての報告を受ける件数も増えている。この点は強調されねばならない。これらは希有な事案ではない」と。

同じようなパターンが果てしなく繰り返される。

2016年を通し、ドイツの16州のすべてでレイプと性的暴行が多発するようになった。

事件は文字通り毎日発生し、ほとんどの犯人は見つからない。

同国のレイプ事案のうち届け出が出されるのはわずか10分の1で、法廷に持ち込まれた事案のうち有罪になるのはたった8%だという。

スウェーデンでは、1975年に警察に届け出のあったレイプ事件は421件だったが、2014年には年間6620件まで増加した。 

デンマークでは、2016年に公表された研究によれば、ソマリア人男性はデンマーク人男性の約26倍もレイプを犯しがちだった。

しかしスウェーデンであれ他のどの国であれ、メディアがこの話題に触れることはなかった。

地元の人々が別の文化からやって来た何十万人もの移民たちに少しでも否定的な態度など取ろうものなら、あまりにも高い代償を払わされた。

新たな現実を指摘したり、ましてやその変革を提案したりすれば、政治家のみならずすべての職業でキャリアが破壊されかねなかった。

もはやできることといえば、住民であれ、官僚であれ、政治家であれ、問題を無視し、それについて偽ることだけだった。

欧州の政府機関やマスメディアは、移民による犯罪の事実を極力隠蔽しようとした。

それどころか、犯罪の被害者すらもが、加害者である移民を告発することをためらった。

というのも、そうすることによって、人種差別主義者の烙印を押されることを恐れたからである。

今、問題になっている英国のEU離脱問題もこのような移民問題が背景にある。

大量移民は英国をまったく違うもの変えた。

今の英国は、もはや何世紀にもわたって続いてきた英国とはまるで異なる国である。

一方、日本は、移民に対しては閉ざされた国であると考えられてきた。

しかし、OECD加盟35カ国の外国人移住者統計によれば、日本は2015年に約39万人の移民を受け入れており、すでに世界第4位の地位を得ている。

今年の4月、日本では入管法が改正された。

欧州で起こったことは日本でも起こり得ることを想定し、早目に手を打つことが必要ではないだろうか。

2019年5月 6日 (月)

笑う人には福来たる/高橋恵

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 私の原動力は、一言でいえば、「誰かの喜び」です。
「人との縁は、何よりの宝もの」だと言いますが、自分一人でできないことも、誰かと一緒ならできる。たとえ大きな問題があっても、仲間がいれば安心できて、がんばろうと思える。
 だから、一緒に人生を歩む仲間たちが喜んでくれたら、それが一番の幸福なのです。


成功する人には共通する要素がある。

その一つは何事もポジティブにとらえ、前に進むエネルギーにしてしまうということ。

著者はまさにそれが当てはまる。

今私が読んでいる本の一節を紹介します。

3歳で父が戦死し、3人姉妹の次女として育ち、その日食べるものに困るような貧乏生活だったというのだから、決して恵まれた幼少時代を送ってはいない。

ところがそれらをすべてエネルギーに変えてしまっている。

特に人のために何かしてあげたいと思う気持ちの強い方である。

そして、その気持ちから生まれた行動が人生に転機を与えている。

考えるよりも、「言ってみる、行ってみる、やってみる」。

やりたいことは「やりたい」と言ってみる。

行きたいところがあれば実際に足を運んで行ってみる。

やるかどうか迷っていることは、とりあえずやってみる。

この前向きなアクションが、結果的に幸運を呼ぶことにつながっていく。

どんな失敗も、「こんな経験めったにない」と思って楽しもうとすると、ちょっとやそっとのことでは落ち込まない。

どんなことも、笑い話にしてしまえばみんなで楽しむことができる。

人生には失敗などない。

予期せぬことがおもしろい。

著者の人生を見るにつけ、「運は自ら掴むもの」とつくづく感じさせられる。

2019年5月 5日 (日)

日の名残り/カズオ・イシグロ

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 私どものような人間は、何か真に価値のあるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がいたします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうであれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚えてよい十分な理由となりましょう。

ノーベル文学賞を取ったカズオ・イシグロ氏の小説。

これは、スティーブンスが仕えていたダーリントン卿の言った言葉。

真に価値のあるものに対して少しでも尽くそうと願うが、それをするだけで十分に価値があるのだということを再認識させてくれる。

ダーリントン卿、物語のなかで、ナチ政権のドイツに宥和政策をとったとして非難されている。

実際、彼は第2次世界大戦前のナチスドイツに対して宥和政策を説き、ダーリントンホールに各国の外交関係者を集めて会議を開いた場面が描かれている。

読後調べてみると、そのモデルは第2次世界大戦直前のイギリス首相であり、対ドイツ宥和政策を主導していたネヴィル・チェンバレンだと考えられているとのこと。

対ドイツ融和政策はドイツに軍事力を増大させる時間的猶予を与えると同時に「ヒトラーに対し、イギリスから近隣諸国への侵攻を容認されたと勘違いさせた」として現在では歴史研究家や軍事研究家から強く非難されている。

特に1938年に署名されたミュンヘン協定は、後年になり「第二次世界大戦勃発前の宥和政策の典型」とされ、近代における外交的判断の失敗の代表例として扱われている。 

と、このように、本作はフィクションだが、史実が元になっている部分もある。

第2次世界大戦前のイギリスの貴族の様子が描かれており、その意味でも興味深い。

 

2019年5月 4日 (土)

センスの磨き方/トミタ・ジュン

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 センスのいい人は、仕事・プライベートに変な線引きをしません。素直に相手を喜ばせ、役に立つことを実行することで、人と人とのつながりを強固にしていきます。

センスを大辞林で引くと「物事の微妙な感じや機微を感じとる能力・判断力。感覚。」とある。

センスを一言で云えば、毎日満たされて暮らせる思考法とノウハウ。

物事の本質を感じ取る能力ともいえる。

例えば、目上の人からの合コン依頼があったとする。

いわば、これは抜き打ちの「総合能力テスト」だと著者は述べている。

これには、企画マネジメント力、コミュニケーション力、情報力、時間管理力、予算管理力、共感力が必要とされるというのである。

だからこれを仕事として受け止め、緻密な計画、周到な演出をする必要がある。

メンバー選びは「人脈力」と「品質管理能力」のテスト。

普段の社交力が問われる。

とくに美人、イケメン、太鼓持ちといった、人選ニーズに応えることが必要。

また、誘い方、誘う順番にもスキルが問われる。

ボス、メンバー、店員さんとのやり取りは「コミュニケーション力」が試される。

店選びは「情報力」が問われる。

同じ普通のカラオケ屋さんでも、料理がおいしかったり、条件が良かったり、設備が新しかったり、トイレがきれいだったり、良し悪しがある。

進行は「時間管理力」が問われる。

適切なスケジュール設定、そのとおり実行する当日の仕切りで、とくにそのマネジメント能力が試される。

お金については「予算管理力」が問われる。

当日、全員が楽しんでいるか、気を配る「共感力」は、リーダーの資質に直結する。

企業では同じ釜の飯を食べて、メンバー同士で共感力を高めていくが、この能力はとくに重宝される。

つまり、日常のちょっとしたことの意味や本質をとらえ、活用することができるかどうかにセンスの有る無しが現れるということではないだろうか。

2019年5月 3日 (金)

自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと/四角大輔

2050

 モノが一つ増えると、自由を一つ失う。その因果関係を忘れてはいけない。

本書は必要なモノ以外、捨てることを勧めている。

モノを捨てることは20代に限らず大事なことだ。

モノは歳を取れば取るほど増えていく。

それと共にモノに縛られるようになる。

だからそうならないために20代の内に捨てることを覚えること。

そのために大切なことは「自分はなにが大好きか」をつねにハッキリさせておくこと。

また、それを人に伝え続けること。

つまり、必要なモノしか集まらない環境を作ること。

それによって自由になる。

勝負の時は、いつ目の前にやってくるかわからない。

そのときのために、どれだけ〝ミニマム・ライフコスト〟を下げられるかが重要だ。

「どうなっても、生きていける」ことを確信した瞬間、人はお金から自由になれる。

人間の脳は新しい挑戦を〝させない〟構造になっている。

だからもっとも勇気を要する〝最初の一歩〟には全行程の半分以上の価値がある。

そのためには必要なモノ以外、持たないこと。

長く生きれば生きるほど、つくづくそのことを感じる。

2019年5月 2日 (木)

現代の正体/牛島信

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 その彼が、「それにしても日本は人が余っているんでしょうかね」と尋ねた。
 日本は人手不足と頭から思っていた私は、「えっ、どうして?」と聞き返した。すると彼は、「だって、道路工事の現場には必ず旗振りの人がいるでしょう。いったいどうしてなのか分かりませんが、あんな人、ロンドンには皆無ですよ。だからって事故が起きたって話は聞いたことがありません。それに、お店に入ると店員の数の多いこと。なかには何もしていないようにしか見えない人もいるし」といぶかしげな表情で言うのだ。


本書は企業法務を中心に活動している弁護士、牛島氏のエッセイ。

上記はロンドンから来た友人との会話。

今、日本は人手不足で困っている。

ところが外国人から見ると、「どうして?」という場面がたくさんあるという。

そしてそこから見えてくるものは、日本はまだまだ余裕があるということ。

コンビニの24時間営業なども再考すればまだまだ人材不足を解消する対策は多くある。

現実の問題は、視点を少し変えてみれば解決法が見えてくるもの。

このエピソードはそれを示しているのではないだろうか。

2019年5月 1日 (水)

新版 ジャパンアズナンバーワン/エズラ・F.ヴォーゲル

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 まず私が思い立ったことは、勤勉、忍耐力、克己心、他を思いやる心といった日本人の美徳と考えられる特質を検討してみることだった。しかしながら、日本人の組織、財界、官僚制などへのかかわり方を調べれば調べるほど、日本人の成功はそのような伝統的国民性、昔ながらの美徳によるものではなく、むしろ、日本独特の組織力、政策、計画によって意図的にもたらされたものであると信じざるをえなくなった。

本書は戦後の日本経済の高度経済成長の要因を分析したもの。

この中で著者は日本人の高い学習意欲、日本的経営、日本特有の経済・社会制度を評価している。

しかし、その後日本はバブルを迎え、バブル崩壊、失われた20年に突入し現在に至る。

今、日本は課題先進国である。

日本的制度の多くは変えなくてはならないと考えている人々がいる。

終身雇用制度、年功序列、社員の会社への忠誠心、エリート主義の官僚制度などである。

しかしながら、日本的制度には多くの美点がある。

非効率的で腐敗した、新しい時代にそぐわないような制度の温存を助けているものが「忠誠心」というスローガンであるとも言えよう。

しかし忠誠心に富んだ社員が、会社のためにするもう一踏ん張りの努力、長期雇用の社員が持っている一味違う知識と英智などが、明暗を分ける大きな違いをもたらすことが往々にしてある。

日本社会が持っている利点、高い技術レベル、社員の会社に対する、会社の社員に対する忠誠心、高い教育水準、質の高い官僚、低い犯罪率、世界中から学ぼうという姿勢、

これらはすべて日本が強く豊かな社会でいられる基盤であった。

何を守り、何を変えていくべきか?

令和を迎え、日本が問われていることではないだろうか。

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