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2019年6月20日 (木)

家族という病/下重暁子

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 欧米と決定的に違うのは、個人主義と家族主義の違いであり、どちらがいいとは単純にいえないが、家族という甘い意識の空間にはいくらでも犯罪が入り込んでくるのだ。

著者は日本では家族という病が存在するという。

私達は家族を選んで生まれてくることは出来ない。

産声をあげた時には、枠は決まっている。

その枠の中で家族を演じてみせる。

父・母・子供という役割を。

家族団欒の名の下に、お互いが、よく知ったふりをし、愛し合っていると思い込む。

何でも許せる美しい空間。

そこでは個は埋没し、家族という巨大な生き物と化す。

家族団欒という幻想ではなく、一人ひとりの個人をとり戻すことが、ほんとうの家族を知る近道ではないのかというのである。

確かに、私たちは家族というものにある種の幻想をいだいているように感じる。

家族を固定観念でとらえる必要はない。

家とはこういうものという決まりもない。

そこに生きる、自分達が快く生きられる方法をつくり上げていくしかない。

問題を抱え、ストレスのもとになる家族よりは、心から通い合える人がそばにいるかどうかが大切なのだ。

家族も独りの集団なのだ。

自分の家族と思うから余計な期待をしてしまう。

それがストレスになり甘えになる。

べったりで相手が見えなくなり、排他的になるなら、家族ぐらいしんどいものはない。

孤独に耐えられなければ、家族を理解することは出来ない。

独りを楽しむことが出来なければ、家族がいても、孤独を楽しむことは出来ないだろう。

自分以外の個に期待してはならない。

他の個への期待は落胆や愚痴と裏腹なのだ。

期待は自分にこそすべきものなのだ。

自分にならいくら期待してもかまわない。

うまくいかなくとも、自分のせいであり、自分に戻ってくる。

自分のことですら正確に把握することも出来ないでいるのに、他人のことが理解出来るか。

配偶者は他人なのだ。

一番近い家族ではあるが他人である。

家族は暮らしを共にする他人と考えた方が気が楽である。

問題は個として自立しているかどうかということ。

そして余計な幻想を抱くことなく、現実をリアルに見続けること。

家族という病について考えさせられた。

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