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2019年6月18日 (火)

池田勇人ニッポンを創った男/鈴木文矢

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「経済をよくする」というお題目は、今でこそ政治家ならば猫も杓子も口にするようになったが、池田の時代には珍しく、戦後総理の中では池田が初めてそれを全面に押し出したといえる。

池田が日本を指揮した4年半は、高度経済成長の第2期にあたる。

前任の岸信介首相の60年安保闘争の〝疲弊〟が日本国内に充満していた時期だった。

すでに高度経済成長は興っていたが、日本人の多くはそれが〝頭打ち〟になると感じており、現に中小企業の倒産が目立ち始め、経営苦から自殺する企業家も少なくなかった。

総裁選を制した直後、池田は官房長官に内定していた大平正芳に、「わしは経済でいくぞ」と宣言した。

池田は組閣に際して、いくつかのキャッチフレーズを考えていた。

内閣の基本姿勢としては「寛容と忍耐」を掲げた。

そして、もう一つが、池田の代名詞になっている「所得倍増計画」だった。

所得倍増計画、10年で国民の所得を倍増させるという〝イケノミクス〟は、実は官僚の猛反対に遭っていた。

大蔵省や経済企画庁の幹部は眉根を曇らせ、「所得倍増を口にして失敗したら、政権の命取りになるのではないか。成長率は年に5%が現実的な線。どんなに譲歩しても7%少々。それが上限だ……」と反対した。

官僚の猛反対があっても、所得倍増計画を主張したのは池田にある信念があったからだ。

・戦後の焼け野原からモノづくりに励んで日本は復興した。

・それに伴い国民の所得も向上し、所得が増えた分は貯蓄に回された。

・貯蓄は銀行を通じて企業に貸し出され設備投資に回ることで、生産が増大した。

・企業の生産が増大したことで、国民の所得が向上した。

こうしたプロセスを繰り返すことが、経済拡大の循環である。

政府はこの循環を促進するために、

「減税と公共投資、社会構造の変化によってもたらされる弱者への社会保障を行う」

というのが、池田の信念だった。

当時、日本が生き残る道はお家芸の軽工業をさらに発展させ、観光と酪農で立国するという〝東洋のスイス〟構想が一般的だった。

これは、戦後まもなく、片山内閣が提示したビジョンだった。

日本経済の急伸を信じて疑わなかったのは、池田本人と、所得倍増計画の理論的支柱を務めた異端の経済学者、下村治を除けば、ごくわずかだっただろう。

経済なくして、国民生活の向上なし。

あらゆる分野での成長を実現するには、経済の発展こそが肝要だと考え、それを愚直に実行したのが池田政権だった。

10年で所得を倍増するとした池田の公約は、10年を待たず7年で達成される。

1967年のことだ。

その2年後には、日本は西ドイツを抜いて世界第2位のGNP大国に躍進を遂げた。

「私は嘘は申しません!」池田のダミ声が日本を創ったのだ。

池田の所得倍増計画は現在のアベノミクスと多くの共通点があるという点で、本書は非常に興味深い。

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