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2019年6月19日 (水)

雑草はなぜそこに生えているのか/稲垣栄洋

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「雑草は踏まれても踏まれても、必ず花を咲かせて種子を残す」。
 大切なことは見失わない生き方。これこそが本当の雑草魂なのである。


雑草と呼ばれる植物には、さまざまな共通した特徴がある。

その中でも、もっとも基本的な特徴は、「弱い植物である」ということだ。

「雑草が弱い」というのは、「競争に弱い」ということである。

自然界は、激しい生存競争が行われている。

弱肉強食、適者生存が、自然界の厳しい掟なのだ。

それは植物の世界も同じである。

光を奪い合って、植物は競い合って上へ上へと伸びていく。

もし、この競争に敗れ去れば、他の植物の陰で光を受けられずに枯れてしまうことだろう。

植物は、太陽の光と水と土さえあれば生きられると言われるが、その光と水と土を奪い合って、激しい争いが繰り広げられているのである。

雑草と呼ばれる植物は、この競争に弱いのである。

弱い植物である雑草の基本戦略は「戦わないこと」にある。

強い植物がある場所には生えずに、強い植物が生えない場所に生えるのである。

言ってしまえば、競争社会から逃げてきた脱落者だ。

例えば、タンポポが「夏眠」をするのには理由がある。

夏になれば、他の植物が生い茂る。

こうなれば、小さなタンポポには光が当たらない。

そこで、タンポポは、他の植物との戦いを避けて、地面の下でやり過ごすのである。

つまり、日本タンポポは、他の植物が生い茂る日本の自然環境では戦略的なのである。

雑草魂とは踏まれても踏まれても立ち上がることをイメージすることが多い。

しかし、雑草を観察していると、雑草は踏まれても立ち上がるというのは、正しくないことがわかる。

雑草は、踏まれたら立ち上がらない。

よく踏まれるところに生えている雑草を見ると、踏まれてもダメージが小さいように、みんな地面に横たわるようにして生えている。

「踏まれたら、立ち上がらない」というのが、本当の雑草魂なのだ。

雑草にとって、もっとも重要なことは何だろうか。

それは、花を咲かせて種子を残すことにある。

そうであるとすれば、踏まれても踏まれても立ち上がるというのは、かなり無駄なことである。

そんな余分なことにエネルギーを使うよりも、踏まれながらどうやって花を咲かせるかということの方が大切である。

踏まれながら種子を残すことにエネルギーを注ぐ方が、ずっと合理的である。

だから、雑草は踏まれながらも、最大限のエネルギーを使って、花を咲かせ、確実に種子を残すのである。

踏まれても踏まれても立ち上がるやみくもな根性論よりも、ずっとしたたかで、たくましいのである。

雑草は踏まれたら立ち上がらない。

生物の世界の法則では、ナンバー1しか生きられない。

これが、厳しい鉄則である。

同じような環境に暮らす生物どうしは、激しく競争し、ナンバー1しか生きられない。

しかし暮らす環境が異なれば、共存することができるのである。

ナンバー1しか生きられない。これが自然界の鉄則である。

それでも、こんなにもたくさんの生き物がいる。

つまり、すべての生き物が、どこかの部分でそれぞれナンバー1なのである。

そして、ナンバー1になれる場所を持っている。

この場所はオンリー1である。

つまり、すべての生物はナンバー1であると同時に、オンリー1なのである。

かつて、ダーウィンは、「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」と言った。

条件が悪いときは悪いなりに、条件が良いときには良いなりにベストを尽くして最大限の種子を残す。

これこそが、雑草の強さなのである。

人の生き方にも共通する考え方ではないだろうか。

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