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2019年7月の31件の記事

2019年7月31日 (水)

ザ・マネジメント/アラン・マーレイ

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 マネジメントは勘と経験の世界ではありません。すでに研究が進み、すぐれた理論が確立されています。足りないのは、短時間で手軽にその知識を身につけられるツールです。


マネジャーになったばかりの人は、地位や肩書きさえあれば部下が動いてくれると思いがちだ。

上司として指示すれば、きちんと従ってくれるはずだと期待する。

ところが部下たちは、言われたことなんかまるで聞いていない。

とくに優秀な部下ほど、指示に従う気がまったくない。

頭にきて「とにかく言われたことだけやっていろ」と押しつけようものなら、結果は悲惨なことになる。


マネジメント論の大御所であるピーター・ドラッカーは、マネジメント研究について、「20世紀最大のイノベーションである」と述べている。

マネジャーとは、何か?

シンプルに説明するなら、マネジャーとは「目標を達成するために、人びとをまとめていく人」のこと。

厳密に言えば、マネジャーとリーダーは求められるものが違う。

マネジャーは管理し、リーダーは革新する

マネジャーはシステムや体制に注目し、リーダーは人に注目する

マネジャーは統制し、リーダーは信頼をつくる

マネジャーは短期的に考え、リーダーは長期的に考える

マネジャーは「いつまでに・どうやって」やるかを考え、リーダーは「何を・なぜ」やるかを考える

マネジャーは目の前の収支に気を配り、リーダーはどこまでいけるかを思い描く

マネジャーは再現し、リーダーは創造する

マネジャーは現状を受け入れ、リーダーは現状を打破する

マネジャーは忠実な兵隊であり、リーダーは誰にも従属しない

マネジャーはものごとを正しくおこない、リーダーは正しいことをおこなう

そして、現代の上司はマネジャーとリーダーと、両方の役割を求められる。

大変だがやりがいのある役割なのではないだろうか。

2019年7月30日 (火)

ロジカル・ライティング/照屋華子

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 結論は何で、それに対して相手から「なぜ?」と問われたら、いくつの、どのような根拠を説明するのか?その根拠に対して再び「なぜ?」と問われたら、今度はいくつの、どのような根拠を説明するのか?──これをはっきりさせればよい。


ビジネス文書を書く場合、まず重要なのはテーマを具体的にすること。

それには、テーマを、読み手に答えるべき「問い」に置き換えてみることだ。

さらに、ビジネス文書では、「答え」を読み手に示すだけで終わっては、仕事は前に進まない。

答えを示したうえで、その文書を読んだ相手にこうなってほしいという、しかるべき反応を読み手から引き出すことで仕事が進む。

この、相手から引き出したい反応が「期待する反応」だ。

テーマ、期待する反応に、読み手、書き手、を加えた4つの要素は、「何について、何のために、誰が、誰に向けて書くのか」という、文書作成の根っこのようなものだ。

最終的に何らかのアクションを説明する場合、テーマは、「現状はどうなっているのか?」「課題は何か?」「アクションは何か?」という3種類の「問い」に大きく切り分けることができる。

例えば、顧客からクレームを受け、その報告メールを上司に書くとする。

この場合、こんな組み立てになる。

問い「そもそも何が起きたのか?」→【答え】「実際に起きたのは、……である」

問い「顧客の要望は何か?」→【答え】「顧客の要望は、……であった」

問い「クレームが起きた問題点は何か?」→【答え】「この背景には、……の問題がある」

問い「実行すべき対応策は何か?」→【答え】「とるべき対応は、……である」

このような文章の組み立てになっていると読み手である上司はわかりやすい。

出発点はテーマを「問い」に置き換えることだ。

この点を明確にするだけでも読みやすい文章になるのではないだろうか。

2019年7月29日 (月)

GIVE&TAKE/アダム・グラント

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 テイカーが自分を中心に考えるのに対し、ギバーは他人を中心に考え、相手が何を求めているかに注意を払う。テイカーなら、得られる利益が損失を上回る場合にかぎり、相手の有利になるように協力する。一方ギバーなら、いつ何時も、損失より「相手」の利益のほうが上回るように手を差し伸べるのだ。


本書は、ギブ&テイクという関係における人の特徴について述べている。

ギバー(giver)、人に惜しみなく与える人。

テイカー(taker)、真っ先に自分の利益を優先させる人。

マッチャー(macher)、損得のバランスを考える人。

人はこの3種類に分けられるというのである。

そして、テイカーが自分を中心に考えるのに対し、ギバーは他人を中心に考え、相手が何を求めているかに注意を払う。

テイカーなら、得られる利益が損失を上回る場合にかぎり、相手の有利になるように協力する。

一方ギバーなら、いつ何時も、損失より「相手」の利益のほうが上回るように手を差し伸べる。


研究では、ギバーは普通、人目につく・つかないにまったく関係なく役に立とうとする。

しかし、テイカーは人目につく場合において実行する傾向があることがわかっている。

ある調査でも、ほかの人に結果を見られる会議では、テイカーは多くのアイデアを出すことが明らかになっている。

しかし結果が非公開の場合には、あまり協力しない。

テイカーが成功を、人を出し抜いて優れた成果を達成することだと考えるのに対し、マッチャーは成功を、個人の業績と他人の業績を公正に釣り合わせることだと考える。

一方、ギバーは成功を、他人にプラスの影響をもたらす個人的なものだと考える。

そして、短期的に見るとテイカーの方が利益を得る。

しかし、長期的に見た場合、テイカーの成功には限界がありギバーが成功を収める。

マッチャーは可もなく不可もなくといったところ。

つまり、自己中にならずに他人の利益のために動けば自分にも利益が来る。

でも与え過ぎたら利用されるから人を選んで貢献すべしということである。

そしてキバーの代表例としてリンカーンを挙げている。

奴隷の解放にしても、大義のために自分の政治的機会を犠牲にしたことにしても、また、有罪と思われる依頼人の弁護を断ったことにしても、リンカーンは首尾一貫してより大きな利益のために行動していた。

歴史、政治学、心理学の専門家が歴代大統領を調べたところ、リンカーンは紛れもないギバーであることがわかった。

「たとえ自分にとって都合が悪かろうと、リンカーンはあえて人を助け、市民一人ひとりの幸福を常に気づかっていた」と二人の専門家は書いている。

リンカーンほど、利己的でなく、自己中心的でなく、うぬぼれ屋でもない大統領はほとんどいないという。

成功を長期的に見るか短期的に見るかで、ギバーとして生きるか、テイカーとして生きるかが決まるということではないだろうか。

2019年7月28日 (日)

世阿弥 風姿花伝/土屋惠一郎

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 『風姿花伝』は、能役者にとってのみ役立つ演技論や、視野の狭い芸術論にとどまってはいません。世阿弥は、能を語る時に世界を一つのマーケットとしてとらえ、その中でどう振る舞い、どう勝って生き残るかを語っています。つまり、『風姿花伝』は、芸術という市場をどう勝ち抜いていくかを記した戦略論でもあるのです。

世阿弥は能の世界にさまざまなイノベーションを巻き起こし、演技、物語の形式、内容などあらゆる面において、今日私たちが「能」とするものの形を確立した。

また、世阿弥はその生涯のうちで多くの能の作品を書き、さらには、理想の能とは何か、その実践方法を含めて語った能楽論を遺した。

世阿弥は、それまで芸能に関する理論というものが存在しなかった中、約二十もの能楽論を書き遺した。

そのうちもっとも初期に書かれたのが、本書で取り上げている『風姿花伝』だ。

能は、観阿弥がその礎を築き、世阿弥が大成したと言われている。

しかし、彼らはまったくオリジナルなものをつくり出したわけではない。

同時代にあり、人々に好まれていたさまざまな芸能の領域を磁場のように引き寄せ、それらをコーディネーションして、能という一つの枠の中に、今日に続く芸術をつくり上げたのである。

世阿弥は37歳の時、自分たちの芸を子孫に伝えるための秘伝書『風姿花伝』の執筆を開始する。

『風姿花伝』は、今では広く読まれる古典の一つとなっているが、世阿弥が書いた時には多くの人に読んでもらおうという意図はなく、あくまで自分の子供や身内に、能楽師として生き抜いていくための戦略を伝えようというものだった。

その内容は、能役者の、子供から老人に至るまでの人生の各ステージの生き方や、芸能という不安定な世界に生きる者にとって何が必要かを説いた〝戦術〟の数々だ。

世阿弥は、能役者の人生について、7歳から語り始めています。

次の段階は12、3歳。

少年期になり、稚児としての美しさがはっきりと表れてくる時期だ。

次にやってくるのが青年期。

世阿弥はこの17、8歳のころ、人生で最初の関門がやってくると言う。

能役者にとって、それは声変わりだ。

そして迎えるのが、24、5歳。

声変わりも乗り越えて体も一人前になり、芸も上手になるころ。

名人に勝ったりもするが、その勢いに慢心してはいけない、ここが初心だと世阿弥は言う。

次にやってくるのが、34、5歳。

世阿弥は、このころが能の絶頂であるとしている。

裏を返せば、この年ごろまでに天下の評判を取らなければ「まことの花」とは言えないと、世阿弥は言い切りる。

そして迎えるのが、44、5歳。

このころには、観客から見ても自分の感覚としても、花が失せてくるのははっきりしてくる。

そして、7段階に分けた最後の段階、「五十有余」がやってくる。

世阿弥の人生論は、このように極めて具体的に、年齢ごとにやるべきこととやってはいけないことを書き表したものだった。

世阿弥の人生論は、若年の若さの力から、中年の意志によって選択する世界に入り、老年の自由の境地へと進む。

世阿弥が『風姿花伝』に記した7段階の人生論は、衰えの7つの段階を語っているとも言える。

少年の愛らしさが消え、青年の若さが消え、壮年の体力が消える。

何かを喪失しながら、人間は人生の段階をたどっていく。

しかし同時に、この喪失のプロセスは、喪失と引き換えに何か新しいものを獲得するための試練の時、つまり「初心の時」でもある。

老いたのちに初心がある。

そしてそれは、乗り越えるためのものだ。

そう考えると、老いてからの人生に希望が湧いてくるのではないだろうか。

2019年7月27日 (土)

重大事件に学ぶ「危機管理」/佐々淳行

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 日本の政治家の大半は平時の能吏タイプであり、官僚にいたっては乱世の雄タイプなど10パーセントもいない。これは、官僚生活と政府内部で長いこと生きてきた私の経験上、自信を持って断言できる。

著者である佐々氏は危機管理のスペシャリストである。

危機管理で重要なのはリーダーの存在だ。

いかに迅速に正確な指示命令を出すかが、危機管理の成否を決定する。

ところが日本のリーダーは平時の能吏タイプが非常に多い。

いわゆる調整型である。

異なる意見をまとめて合意形成をする。

これは早さを要求される危機管理には足かせになる。

対して欧米は乱世の雄タイプのリーダーが多い。

これは民族の違いも影響していると佐々氏は言う。

きわめてシンプルに分けると、日本人は農耕民族、欧米人は狩猟民族ということになる。

農耕民族は食料を貯蔵するが、狩猟民族にそういう生活習慣はない。

その日その日の食料を得るために狩りをし、もし獲物が獲れなかったら、その集団全員がとたんに飢餓の危機に直面することになる。

こういう宿命の狩猟民族は、必ず乱世の雄タイプをリーダーに選ぶ。

しかもそのリーダーは知力だけでなく、体力・気力ともに優れていなければならない。

農耕民族が調整力に秀でた長老タイプをリーダーに選ぶのとは、大きく違う。

厳しい現実に直面すると考え込んでしまうタイプは、乱世では役に立たない。

短い時間のうちにもそれなりの見通しと行動計画を立て、さっさと動き出すのがいい。

でも、今はどうなのだろう。

世界全体が乱世ではないだろうか。

日本にも乱世の雄タイプのリーダーが必要な時代だといえるのではないだろうか。

2019年7月26日 (金)

イーロン・マスクの野望/竹内一正

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 アップル社のスティーブ・ジョブズは、普通の人が使えるコンピュータを目指しマッキントッシュを生み出し、世界を変えた。イーロンは普通の人が乗るロケットを目指し、地球以外の惑星移住を可能にしようとしている。


「人類を火星に移住させる」。

これこそイーロンの究極のゴールだ。

地球の人口はすでに70億人を突破し、今世紀半ばには100億人にも届くだろう。

しかし、二酸化炭素は増加し温暖化は進み、異常気象は頻発し、水不足や食糧危機が叫ばれている地球に本当にそれだけの人間が住めるのだろうか。

イーロン・マスクは、「いずれ人類は地球以外の惑星で住まなくてはいけなくなる」との考えに至った。

地球以外の惑星、つまり火星に人類は移住すべきだと確信し、火星への飛行可能なロケット開発という遥かな、しかし現実的であると疑わないゴールに向かって挑んでいく。

大学生時代のイーロンはたびたび、「人類の将来にとって最も大きな影響を与える問題は一体何か」と考えていた。

そして、辿り着いた結論が、「インターネット、持続可能なエネルギー、宇宙開発の三つ」だった。

イーロンが普通の人と違うのは、この三つを実行に移していったことだ。

イーロンの卓越した能力の一つは、成功を単なる〝点〟ではなく、〝線〟で捉えることにある。

どれだけ高性能なEVカーを作ったとしても、必要な時に充電できなければ〝点〟で終わる。

〝線〟にするには充電ステーションの拡充がカギとなる。

今のペースで人間が増え続け、地球温暖化が進んで自然環境が破壊されれば、人類は地球上だけには住めなくなる。

だから、火星に移住する。

しかし、いま火星に行けるロケットはないから、それを作るまでの時間を稼ぐため、電気自動車と太陽光発電を普及させ、二酸化炭素や排気ガスがこれ以上増えないように歯止めをする。

そこでテスラ社を作り、地味だった電気自動車をカッコよく作り上げ世間の注目を集め、全米に高速充電ステーションを設置して長距離ドライブを当たり前にする。

充電ステーションの電気は、ソーラーシティー社が設置した太陽光発電パネルでセルフ供給を可能にする。

スペースX社は宇宙ロケットをコモディティ化して量産し、その上、ロケットの再利用を実現してコストを100分の1に下げ、火星に人類を送り込む。

どれもが、一つの国家でも手を焼くぐらい超ド級なスケールの事業であり、壮大過ぎて、一般人には理解しがたい。

イーロンの経営者としての秀逸さの一つは、目先の問題に全力を傾けつつも、将来に向かってのエネルギー配分もできることだ。

経済学者のピーター・ドラッカーは、リーダーの果たすべき役割は「直ちに必要とされているものと、遠い将来に必要とされるものを調和させていくこと」だと説いたが、その通りである。

この男、世界を変える本物の救世主なのか、それとも、21世紀最悪のほら吹きドン・キホーテか?

目が離せない。

2019年7月25日 (木)

右脳思考/内田和成

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 大きな経営改革を成し遂げた経営者、誰も思いつかなかったユニークな戦略で自社を飛躍させた経営者に、「どうしてそのような意思決定をしたのか」と尋ねると、「勘です」とか、「答えは誰もわからないのだから、やってみるしかない」というような回答を多くもらう。


本書はロジカルシンキングを否定しているのではない。

ロジックだけでなく感情や勘、すなわち右脳を働かせることで仕事をより効率的に進めることができる。

あるいは、成果をあげることができるということである。

本書では、感覚・感情、直感、勘など、ロジックでは説明できないひらめき・思いつき・考えを総称して右脳としている。

人間はそれが正しいか、間違っているか、あるいはやるべきかどうかという理屈、すなわちロジックでは動かない。

やりたいとか、面白そうとか、やらないとまずいなといった気持ち、すなわち感情で動く。

一言で言えば、人間はロジックで動かず、感情で動くのである。

これを、理屈が通らないのは仕事ができない人だと判断して、否定したり、避けたりして仕事を進めていくのはきわめて危険であり、わざわざ物事を難しくしてしまう。

しかし、物事を決めるに当たって、勘は重要であるが、一方で勘だけに頼ってよいのかという疑問もある。

そこで、実際の意思決定に当たっては、自分の勘で考えた答えを別の切り口から検証するプロセスがあるとよい。

つまり、直感や経験から気づいたこと、感じたこと、つまり右脳的なことを、後からきちんと左脳で考えること。

そして、前に一歩を踏み出すときは、再び右脳を使うことである。

簡単に言ってしまえば、最初に右脳を働かせ、次に左脳で考え、最後に再び右脳を活用するというプロセスを踏むことで、物事が前に進む。

いわば真ん中の2番目のステージで中心的役割を担う左脳の思考法を、1番目と3番目のステージで使う右脳がサンドイッチする構造である。

著者の持論は、人間がビジネスで使うものの考え方は、右脳と左脳がキャッチボールをしている状態、すなわち思考が右脳と左脳の間を行き来しながら仕事が進むというものだ。

右脳をうまく働かせることが仕事をうまく進めるコツをいえるのではないだろうか。

2019年7月24日 (水)

もしアドラーが上司だったら/小倉広

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「ボクは上司ではなくキミたちの支援者だ。だから、命令はしたくない。その代わりにキミたちをできるだけ勇気づけたい」


本書はアドラー心理学を職場で活用する方法を物語形式で語っている。

営業マンのリョウを上司であるドラさんがアドラー心理学を活用して育てていく。

リョウのミスによって顧客を失ったときは、それによって経験という何物にも代えがたいものを得たことに気付かせる。

それによってリョウは勇気を得る。

アドラー心理学が「勇気の心理学」と呼ばれる所以である。

そして、上司のドラさんが出す12の宿題を実行していくと、どんどん仕事が楽しくなってゆき、結果も出るようになる。

職場でアドラー心理学を当てはめるには「コツ」がある。

その方法を小説仕立てで教えるのが本書である。

アドラー心理学の全体像を知る入門書として、非常に分かりやすい。

2019年7月23日 (火)

置かれた場所で咲きなさい/渡辺和子

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 私は変わりました。そうだ。置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。

置かれた場所で咲くということは、現実に妥協し仕方がないと諦めることではない。

環境のせいにすることなく、その場で自分ができる最大のことをすること。

原因自分論ということをユニ・チャームの創業者、高原氏が唱えた。

環境を変えようとするのではなく、まず自分を変えること。

自分が変わったら、もしかしたら自分の接する家族、友人、同僚、部下、上司が変わるかもしれない。

周囲が変われば、もしかしたら環境が変わるかもしれない。

あくまで、原因を自分に求めるという考え方である。

どうしても咲けない時もある。

雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。

その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張る。

次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。


環境や境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。

『「今」というかけがえのない時間を精一杯生きよう』というのが著者が本書に込めたメッセージではないだろうか。

2019年7月22日 (月)

続 聞き出す力/吉田豪

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 いいインタビューとは、緊張感のある攻撃を仕掛けたり、相手のキツい技を受けきったりしつつも、最終的にはどちらにもプラスになるようないい着地点に持っていく、そういうものだとボクは思っている。


著者は「会話=プロレス論」を提唱する。

自分から話すのが「攻撃」

相手の話を聞くのが「受け身」

これをバランスよく組み立てていくとよいインタビューになる。

ところが、世の中には自分のことしか考えず一方的に話したがる人が多い。

これは他団体との対抗戦で「おたくの選手は自分を良く見せようとするばかりで、ちゃんと相手の技を受けない」と批判されがちなのと同じようなこと。

ちゃんと話を聞き、相手を光らせることが重要というのである。

インタビューはプロレスと同じ。

相手との信頼関係がなければ成立しないけれど、信頼しすぎて慣れ合いになるのも良くないし、潰し合いになってもいけない。

これは普段の会話にも通じることではないだろうか。

2019年7月21日 (日)

稼ぐ男に育てる、たった6つの習慣/山村裕志

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 成果の出る行動習慣が身についている子どもこそが、社会に出てからもバリバリ活躍できて、稼げる男に育つ。


社会人でも子どもでも、よい結果を出す人には、いくつかの共通する「行動習慣」があるという。

それは、

・段取り力――目の前にある、やるべきこと、しなければならないことに対して、事前にしっかりした準備ができる力。

・整理整頓力――自分の身の周りの整頓だけでなく、情報や自分の行動も管理し、整理できる力。やるべきことに優先順位をつける力。

・時間管理力――「いつまでにこれを終わらせる。そのためにはこれをいつまでにやって、そして次にはこれをいつまでにやる」という、タイムマネジメント力。

・忍耐力・継続力――苦手なことや、イヤなことにもきちんと取り組み、粘り強く最後までやり遂げる力。

・コミュニケーション力――相手のいうことをきちんと聞き、伝えるべきことを、迅速に的確に、しかるべき人に伝える力

以上の6つ。

そして、これらの行動習慣は子供の頃に身に付けるとよい。

その上で「か」「き」「く」「け」「こ」でやるとよい。

つまり

・「か」 必ずやる

・「き」 きちんとやる

・「く」 繰り返しやる

・「け」 謙虚にやる

・「こ」 こだわってやる

例えば、面倒くさがる人には、「きちんとやる」という習慣が希薄。

手順通りに順序立てて進めていけば、ケアレスミスは防げるのに、算数の計算で途中式を書かない生徒がいる。

このような人は社会に出てもつまらないミスを犯しがち。

技術系の人でよい結果を出す人に共通しているのは、「こだわってやる」という姿勢。

自分がイメージした通りのものになるまで妥協しない。

他人に負けない成果が欲しければ「まぁ、これでいいや」ではいけない。

これらの習慣は子供の頃に身に付けるべきというのである。

確かに大人になって習慣を変えるのは大変苦労する。

本書は、子供を持つ親には良い指針になるのではないだろうか。

2019年7月20日 (土)

自動車革命/NHK取材班

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 オールジャパンの電池開発のチーム発足会で、NEDOの責任者が語った挨拶の言葉。
「この蓄電池開発競争に遅れをとれば、A社もB社もC社もない。わが国の産業競争力の根幹に関わることである」
 海外勢を圧倒する技術力をもう一度手にしなければと訴えるその緊迫感に、日本の置かれた位置を見る思いがした。

半導体や液晶など、一度は世界一の座をつかみながら、国を挙げた競争に敗れ、国内メーカーが苦戦を強いられるという「ニッポンの負けパターン」が近年定着しつつある。

そして今、電気自動車の開発競争が激しさを増している。

なぜ電気自動車なのか。

それは新規参入が比較的容易だからだ。

既存の自動車会社はすでに取引先を固定し、過去50年、同じやり方でクルマをつくり続けてきた。

それを変えるのは大変なこと。

一方、新しい会社は何のしがらみもない。

最初から自分たちで方向性を決めてスタートすればいい。

それは「電気」だから可能なこと。

ガソリン車に必要とされる3万点といわれる部品は必要ない。

ひしめくように狭いスペースに収める「すりあわせ」と呼ばれる繊細な調整も必要ない。

だから製品の根幹をなすキモの部分だけを開発すれば、あとは必要なものを必要なところから集め、つくってもらえばいい。

iPhoneなどの主力商品でデザインと機能は自社で開発するが製造は台湾などがほとんどというアップルの製品のつくり方に似ている。

その中で、リチウムイオン電池はカギとなる技術だ。

電池を制する者が世界を制するといっても過言ではない。

ではなぜ「オールジャパン」なのか。

そこには多くの日本の企業人が共有する「苦い思い出」がある。

半導体や液晶などの世界競争で、トップの技術を誇りながら、国内のライバルが足を引っ張り合い、海外勢に追いつかれてシェアを落とした。

何度も繰り返した「負けパターン」は「日本病」とも呼ばれる。

そろそろ改めなければとみなが思っている。

「勝ちパターン」を身につけないとニッポンのものづくりは終わってしまうかもしれないという危機感が、経営者、現場の技術者を問わず、関係者の胸に満ちている。

今後、この開発競争はどうなっていくのか?

目が離せない。

2019年7月19日 (金)

京セラフィロソフィ/稲盛和夫

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 トップが持つ人生観・哲学・考え方、これがすべてを決めるのです。会社というのは、結局トップの器量、トップの人格に合ったものにしかならないのです。「カニは甲羅に似せて穴を掘る」と言いますが、自分の器以上、人格以上の会社になるはずがありません。会社を立派にし、自分の人生をすばらしいものにしようと思えば、自分の人間性を高め、人格を磨いていく、それ以外にはありません。


創業時、悩んだ末に稲盛氏が思いついたのが、「人間として何が正しいのか」と自らに問い、正しいことを正しいままに貫いていくこと。

誰もが子供のころに、学校の先生や両親から教えられ、よく知っている、プリミティブな倫理観がある。

例えば、「欲張るな」「騙してはいけない」「うそを言うな」「正直であれ」といった教え。

そのような普遍的な倫理観に基づいて、すべてのことを判断することにした。

そして、それらをまとめたものが京セラフィロソフィだ。

その中の一つ、『人生や仕事の結果は、「考え方×熱意×能力」という方程式で決まる』という言葉は有名だ。

例えば、「能力」という点では決して一流とは言えなくとも、誰にも負けない努力をするという「熱意」があれば、素晴らしい結果を残すことが出来る。

特に、これは、足し算ではなく掛け算で計算するので、どんな一流大学を出た人よりも、「能力」は多少劣っても、ものすごい「熱意」を持った人のほうがすばらしい結果を残すことができるはずだ。

足し算で考えると、その差はわずかでも、掛け算で計算するとその差は大きく開く。

これに、「考え方」が掛かってくる。

「考え方」だけはマイナスがある。

極端な例だが、「世の中はしょせん、矛盾だらけで不公平なんだ。だから自分は泥棒稼業で生きていこう」と考えたとすれば、これはマイナス思考をしているわけだから、たとえ能力と熱意が100あっても、考え方がマイナス10とすると、その積はマイナス10万ということになる。

つまり、「考え方」がネガティブだと、結果は必ずマイナスになる。

世間にはよく、一流大学を出て、また決してそんなに怠け者でもないのに、業績が上がらない、会社がうまくいかない、人生がうまくいかないという人がいる。

多分それは、「考え方」が少しマイナスだからだ。

考え方が少しマイナスであっても、掛け算をすると結果は全部マイナスになる。

「あの人は少し人間性に問題がある」と言われても、その評価は全体から見れば少ししか響かないというのではない。

すべてマイナスになってしまう。

一方、「あの人は学校も出ていないし、大した教養もない。だけど仕事熱心で、人柄もいい」という人が立派な会社を経営しているというケースはいくらでもある。

「考え方」というものは、それほど大きな影響を及ぼしている。

『人生や仕事の結果は、「考え方×熱意×能力」という方程式で決まる』ということば。

シンプルだが本質をついているのではないだろうか。

2019年7月18日 (木)

世界史を「移民」で読み解く/玉木俊明

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 重要なのは、「移民」が現代社会にとどまる現象ではなく、これまでの人間の歴史を通して見られた普遍的な現象だと認識することである。そうしなければ、移民問題への対策など、とれるはずもないからだ。


今、「移民」が世界的な問題になっている。

アメリカの不法移民の問題は、依然として大きな問題となっている。

こちらは「難民」だが、現在のヨーロッパには、2014年以来、ヨーロッパにきた難民のうち、180万人もの人々がまだ残っており、それが世界的な問題になっている。

その数は、2014年が20万人強、2015年が100万人強、2016年が40万人弱、2017年が20万人弱であり、かなりの難民がヨーロッパに流入していることがわかる。

ヨーロッパの受け入れ国としてはドイツが最大であり、ハンガリー、フランス、イタリア、スウェーデンがそれに次ぐ。

難民の出身国は、シリア、アフガニスタン、イラク、パキスタン、イラン、ナイジェリアと続いている。

しかし、「移民」の問題は今に始まった問題ではない。

むしろ、歴史とは「移動する人々」のまさに一歩一歩によって、築き上げられてきたものに相違ない。

忘れてはならないのは、歴史上、「移民」は必ずしも自分たちの利益や目的のためだけに移住したのではなかったことである。

戦争や迫害、さらには奴隷になったため、「移民」となることを余儀なくされる人たちは、昔から多かった。

彼らは、苦労もあっただろうが、移住した先で自らの持つ技術・文化などを伝え、社会そのものを新たに変貌させることに貢献してきた。

世界史とは、こうした「移民」が築き上げてきたものの集積だと言って過言ではあるまい。

定住民が築いた文明圏に、他地域から人々が移住してくる。

さらにそこに住んでいた人々が、今度は別の地域に移動し、その文明の価値を伝える。

この繰り返しによって、文明圏が拡大していく。

おそらくこれこそが、人類が誕生して以来、居住地を爆発的に増やしていった方法だったと考えられる。

人類は、決して定住することだけを選択したわけではなかった。

移住することを選んだ人たちもいた。

だが、この2タイプの人類は、まったく関係がないわけではなかった。

ある地域から別の地域へと移動した人々のうち、移動を続ける人もいれば、その地に定住する人もいた。

移動を続けた人々もやがて定住したし、定住を選んだ人々も、いつかはその土地を去った。

「移民」とは、人々を繫ぐ働きをしており、文明を伝播させ、新しい文化や技術、食物、生活様式などを広めた人々であった。

人類は多様な地域に居住しているが、「移民」がいたからこそ、異なる場所に住む人同士が、結びつくことができた。

さらに強制的に移住させられた黒人などの「移民」の犠牲によって、人々が豊かになったことも忘れてはならない。

このような歴史を踏まえて「移民」の問題を考える必要があるのではないだろうか。

2019年7月17日 (水)

恋愛制度、束縛の2500年史/鈴木隆美

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 恋愛とは、そもそも自立した個人同士のものであり、依存とは別ものだ、という意識がヨーロッパの学生には強いのでしょう。そうした主体の欠如=グループへの依存、「甘え」を前提とした恋愛の意識は、西洋的な恋愛の歴史を無視した、日本的ガラパゴス化を経た恋愛と言えるでしょう。


西欧には西欧の歴史があって「恋愛」というものがあるのに、日本はそんな歴史を無視して、西欧の恋愛をごちゃっと輸入してしまった、というのが本書の主張の一つだ。

日本人は外来のものが好きで、特に知識人は文化先進国の思想を輸入して、権威づけに利用する、ということをもう1000年以上続けている。

そのように輸入された思想、概念は、古来日本的なものとあまり相性が良くないのだが、日本という文化空間は不思議なもので、それらがあまり反発し合うことなく、自然に同居してしまう。

例えば「恋愛」は明治時代に作られた翻訳語。

江戸時代には「恋愛」という言葉はなかった。

あったのは「情」とか「色」、あるいは「色恋」など。

そしてこれは西欧で言う「love」や「amour」などではない。

この西欧的「愛」を指し示す新しい翻訳語を作らなければならない、というわけで最終的に「恋愛」となった。

ヨーロッパの恋愛制度は、別に文明国ならば必ず生まれる風習でもなんでもなく、歴史の偶然の中で発生し、発達してきたヨーロッパ土着の制度だ。

そこにはプラトンという天才、吟遊詩人という天才、ロマン主義作家の天才がたまたま出てきて、独創的なこと、あるいは変なことを言い出して、それが広まった、というだけの話。

その中にキリスト教的な無償の愛が混ざり合った。

ヨーロッパの恋愛は、心情と知性が微妙に絡み合い、独特の緊張関係の中でバランスを取りながら成り立っているもの。

それはイデア論のような知性主義の中で発達し、理性主義から感情主義への揺り戻しの中で、生まれてきた。

ところが、日本には知性主義の伝統はほとんどなく、あるのは情の世界、心情のみの世界。

だからこそ恋愛に関しても、知性的な部分が全て吹っ飛んでしまう、という傾向がある。

恋愛とは、そもそも自立した個人同士のものという意識がヨーロッパには強い。

ところが日本の恋愛は甘えを前提とした相互依存の関係である。

女性とは、ある可愛いキャラを演じて、愛されるべきであり、甘えを許してくれる男性を求め、男性に付き従う存在であるべきだ、という依存的な関係になる。

日本社会は主体の確立を避け、相互依存の関係を打ち立てることをよしとする社会だ。

その中での恋愛、そして恋愛の帰結としての結婚は、ヨーロッパ的な恋愛とはまるで違い、単に依存関係をお互いうまく作れるかどうか、ということがテーマになってくる。

少なくとも私たち日本人が言う恋愛と欧米でいう恋愛が全くも別物だという認識は持つべきだろう。

2019年7月16日 (火)

「最強」営業術/府中伸一郎

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 人は日常のコミュニケーションの55%が言葉による会話からではなく、このボディーランゲージによって行われている事実を知ってください。

目は口ほどにものをいうという言葉がある。

人は嘘をつく。

しかし、ボディーランゲージはごまかせない。

ボディーランゲージとは、身体言語とか身振り言語と訳されているもので、相手の身体の微妙な動きや、ちょっとした仕草にその人の本心、本音が現れるというもの。

それは顔の表情や腕、手、指などの微妙な動きで分かる。

特に顔の表情は大切で、多くの神経と筋肉がその表情を作っている。

そのため微妙な心の変化がその表情に現れやすく、その変化を見逃さなければ、かなり正確に相手の本音が読み取れる。

中でも、一番本心が現れやすいのが目だ。

「目は心の窓」「目は口ほどにものを言う」ともいわれる程で、その微妙な動きから相手の本音を読み取れる。

眼球が左右に早く動くのは、思考をめぐらし何かしらの答えを出そうとしている証拠。

視線をまっすぐこちらの目に合わせてくるのは真剣さ、まじめさを訴えようとしているか、威嚇しようとしているかのサイン。

質問に対して相手が目を右上に向いたら嘘をつくか、作り話をしている。

反対の左上に目を向けた場合、正直に話している。

上目使いにこちらを見るのは、こちらに対して好意的でへりくだっている意識の表れ。

目に落ち着きがなくきょろきょろしたり、目線が泳いだりしているのは相手に自信が無く、こちらの質問に慌てていてパニックになっている状態。

まばたきは心理的に不安緊張の表れ。

ボディーランゲージの典型例として、腕や足を組む場合、ネガティブな意思が表現されてる。

同じ心理状態で体をそらす、横を向くなどがあり自分に対する拒否反応とみるべき。

また相手が嘘をついているときの反応は、居心地が悪いと感じているときと同じような振る舞いをする。

また上半身、特に肩の緊張と不自然なアイコンタクトを見つけたら相手がうそをついているサイン。

これらを見逃さず相手の心理変化がつかめれば、相手の本音にあわせた会話ができる。

これらのボディーランゲージは意識して見ればすぐに見抜ける。

身に付けたいスキルの一つである。

2019年7月15日 (月)

考える教室/若松英輔

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 メディアの言葉は雄弁です。「本当」らしく語らなければニュースも新聞も成り立ちません。しかし、先の言葉でソクラテスは、雄弁であることと、それが「ほんとう」の何かを照らし出すかどうかは関係がないというのです。私たちも、世の中で言われている「本当のこと」と、「ほんとうのこと」には、どのような違いがあるのかを考えてみなくてはならないのではないでしょうか。


テレビのキャスターやコメンテーターが社会の問題をズバズバと歯切れよく切りまくると、いかにも本当らしく感じる。

でも、そこには大きなごまかしがある。

「ほんとう」のことを言うとき、人は言葉につまったり、そもそも言葉にならなかったりする。

でも、言葉にならないからといって、それが噓だということにはならない。

言葉にならないのは、その人の中に何もないからではない。

その中に本当のことがある。

自分と異なる見解とどう向き合うか、という問題は、現代を生きる私たちにも大きな試練として立ちはだかる。

そして人は、自分とは違うものを、ないものとしたり、誤っているものとしたり、さらには偽りだと断じることさえしてしまうことがある。

大事なことは長く問い続けること。

そうすれば人は、無知の知の世界に居続けることができる。

容易に答えの出ない問題に対して自分なりに問いを続けてみる。

すると人は、ほんとうの知者に近づいていくことができる。

人は誰も、迷っているとき、早急に答えを得たくなるもの。

すると人は、その答えに多少の毒があっても、それを飲みこんでしまう。

哲学の力をつけるには、喉が渇いたからといって毒を飲むのではなく、その渇きに耐えることを学ばねばならない。

心の渇きを真に癒すのは、世に流布する「甘い」言葉ではない。

自分の手で掘り出した言葉だ。

なんでも早く答えを出すことを良しとする傾向が現代人にはある。

ちょっと立ち止まって問い続けることも大事だということではないだろうか。

2019年7月14日 (日)

日本人が新規事業で成功する教科書/左近祥夫

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 新規事業のきっかけは好きな領域での気づきにあります。家庭であり、職場であり、顧客であり、仕入先であり、仲間との語らいの中に「あれ?」「どうなっているの?」とか「こうなったらもっといい」という気づきがありますが、それがきっかけになるのです。


新規事業の開発は、未来を創ることである。

だから、計画から始めるマネジメントになじまない。

社会とのギャップ、人間関係、すり合わせなどによって行うことが近道になる。

ポイントは日本人が歴史の中で積み上げた集団行動、融通無碍、いたわりなどの精神構造を土台にするということ。

日本人と外国人と比較すると日本人に二つの特徴があることに気づく。

第一は几帳面さ。

几帳面さにはマネの上手さと手抜きをしない誠実さの二つが含まれる。

第二は協働。

特段のルール・マニュアルがなくても複数の人が目的に向かって体を動かすことができる。

個々の人はなんとなく周囲を見回しながら自ら持ち場を定めて体を動かすことができる。

本書のタイトルに、「日本人が・・・」とあるが、新規事業を開発するには、この日本人の特性をうまく生かすことが大切。

そして大事なことは、好きなことをすること。

あるいは課題を好きになること。

好きなことをすれば失敗などない。

ある瞬間は失敗に見えるが、何度も繰り返せば成功に至る。

新規事業を開発することは、今、多くの企業にとって大きな課題となっている。

その中で、「好きなことをする」という視点は重要なのではないだろうか。

2019年7月13日 (土)

7日間で自己肯定感をあげる方法/根本裕幸

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 自己肯定感とは、ありのままの自分を認めることです。自己肯定感をあげると、心に余裕ができます。心に余裕ができると、自分に自信がもてるようになります。この「自己肯定感」と「自分軸で考える」は、車の両輪です。

周りの顔色を常にうかがってビクビクしている。

他人の評価が気になってしょうがない。

相手にどう思われるか気になって言いたいことが言えない。

嫌われないために、何でも頼まれたら引き受けてしまい、断れない。

人と会った後、どっと疲れてしまう。

自分の意見を求められると頭が真っ白になってしまう。

こんな敏感すぎる人がいる。

ここから変わるには二つのことが必要になる。

一つは、「自分軸で考える」こと。

もう一つは、「自己肯定感」を上げること。

「他人軸で生きる」とは、他人の考えや価値観を基準に自分の言動を決めること。

価値観や考えというのは、十人十色。

まったく同じ考えの人は存在しない。

他人軸で生きていると、自分の考えや行動を他人のさまざまな価値観に合わせることになるので、振り回され、疲弊してしまう。

逆に「自分軸で生きる」ことは、自分の心の声に従って生きるということ。

自分らしく生きることで、自分の心を犠牲にしない生き方だ。

「他人軸から自分軸へ」これが本書のテーマの一つだ。

敏感すぎる人は、敏感であるがゆえに、他人の気持ちに寄り添おうとする。

寄り添うこと自体は悪くないが、そこに自分の「軸」がないと、さまざまな考えや価値観をもった「他人」に振り回されて、疲弊してしまう。

敏感すぎる人に落ち込みやすい傾向があるのは、他人と比較して自分にダメ出しをするから。

「考えすぎてしまう」という行動を心理学的に分析すると、必ずそこには「怖れ」が見つかる。

嫌われる怖れ、間違いを犯す怖れ、失敗する怖れ、バカにされる怖れ、役に立たない怖れ、期待に応えられない怖れなどの怖れがもとにある。

怖れは自分を傷つけるような思考パターン、行動パターンを次々とつくり出す。

例えば、仕事では自分がやりたい職種や活躍できる分野を無意識に遠ざけ、自分が楽しめない、きつい仕事を自分に与えるようになる。

この状態から脱するには、自己肯定感を高めること。

自己肯定感とは、「自己=ありのままの自分」の「肯定感=認めている気持ちや、感情」のこと。

自己肯定感の高い人は、何かうまくいかないことがあっても「ま、そういうときもあるさ」と思って自分を責めまない。

間違ったことをしたな、と思ったら、素直に謝り、反省し、同じミスを繰り返さないように気をつける。

一方、自己肯定感の低い人は「自分を肯定できない」、つまり「自己否定の強い人」。

すなわち、生き方の軸を自分に置けない、敏感すぎる人そのものである。

自己否定が強いと、いつも自分を悪者にして「自分がいけなかった」「何か足りなかったんじゃないか」「人に迷惑をかけてしまった」などと自分を責める。

自己肯定感を高める、ありのままの自分を認めるには、今の自分を受け入れること。

それは、不完全で不器用で思い通りにならない自分の気持ちを、否定することなくただ受け入れること。

できないことをできないと認め、わからないことをわからないと認めること。

過去の自分がそうだったので、本書で言っていることはよくわかる。

2019年7月12日 (金)

この地獄を生きるのだ/小林エリコ

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 私はうつむきながら、自分に感動していた。どんな映画よりも、どんな本よりも、どんな音楽よりも、私の人生は美しく、感動的じゃないか。病気になったことも、死にかけたことも、人から見放されたことも、すべて大切なことなのだ。


著者が自殺未遂をするまで勤めていた会社はまさにブラックである。

お金がないこと、仕事が多すぎること。

働いても、働いても12万円しかもらえないこと。

国民健康保険に入れなくて、東京にいるのに故郷の父の保険証を使わなければならないこと。

いくつもの不安が重なって著者は自殺未遂を起こした。

自殺未遂を起こして実家に戻ったとき、著者は21歳だった。

東京のアパートで大量に薬を飲んで寝ているのを友人が発見し、救急車で大学病院に運ばれた。

3日間、意識不明で生死の境をさまよったのち、一命をとりとめた。

その後、入院生活が続き、退院してからは生活保護を受けることになる。

働かなくてもお金がもらえるのが生活保護。

しかし、その状況を著者は「最低」だと感じる。

どこにも所属せず、何の役割も持たず、果たすべき役目もない人生。

空っぽで虚無。

仕事というものは、どこかで誰かの役に立っている。

その対価としてはじめてお金がもらえるはずなのに、自分は何もしていないのにお金を得ている。

一体何のために私は存在しているのか。

そんな自問自答が始まる。

そしてもう一度働こうと決意する。

ある時、NPOから連絡が届く。

「漫画の単行本の制作を手伝ってほしい」と。

そこから今につながっているということだが、現在も精神科に通院しながら働いているという。

働くことはお金のためだけではない。

著者がいうように、働くことによって「自分が社会に必要とされている」ということが実感できるようになる。

これが大きいのではないだろうか。

2019年7月11日 (木)

戦後入門/加藤典洋

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 私は、もうこれまでのような、またいまも散見される、つまみぐいのような「戦後」についての語り方はやめたほうがよいと思っています。「日米同盟」を動かしえない前提と考える〝現実論〟も、現実に立つというのであれば、その基盤が失われ、耐用期限を過ぎつつあることを直視すべきだろうと思っています。

著者が提案しているのは、「国連中心主義」であり、その基本は、近隣アジア諸国との友好関係と信頼関係の構築である。

中国、韓国、東アジア圏の国々とのあいだに新しい互恵関係を作る。

そのための新しい立地条件を得、「国連中心外交」をする。

国防と安全保障の方策は、その同盟先を「米国」から「国連」に代える。

憲法9条については、その「高邁な理念」、理想主義的な側面は、たとえどんなに非現実的だといわれても、捨ない。

それはどんなに非現実的であろうと、そこに「理念」としてあることに、私たちにとってのかけがえのない意味がある。

憲法9条の「理念」としてのかけがえのなさを、戦争と切り離して語るのでなければ、それは「理念」としてもはや広範な人々に働きかけないし、普遍的ではない。

そして、誇りある国づくりを国連中心主義と国際主義と平和主義の価値観に立って進めることこそが、戦後の国際秩序のなかで、「名誉ある地位」を占め、国民のプライド欲を充足させる、もっとも健全な方法、唯一の方途なのだと。

新書版で640ページという紙面を割いて著者はこのことを主張する。

一読して、著者の主張するところは理解できるが、どう考えてもリアリズムに欠ける。

憲法9条を堅持して米国追随をやめ、国連中心主義に切り替えるというのは、やはり理想主義の域をでないのではないだろうか。

2019年7月10日 (水)

チャーチル・ファクター/ボリス・ジョンソン

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 チャーチルの今日的な重要性は、彼が私たちの文明を救ったことにある。重要な点は、チャーチルだからこそこれを達成できたということだ。


「チャーチル・ファクター」、つまりチャーチル的要素とはつまるところ、「一人の人間の存在が歴史を大きく変え得る」ことを意味する。

イギリスは戦う。

ナチと交渉はしない。

その決断から1年以内に3万人に及ぶイギリス人男性、女性、子供たちが殺害された。

ほとんど全員がドイツ人の手によって。

屈辱的な和平か罪なきイギリス国民の大量殺戮かの選択肢を前に、「交渉をしない」という選択ができるチャーチルのような気骨の政治家を現代において想像するのは難しい。

今日、世界に200カ国ほどの国があるうちの、約120カ国は何らかの形の民主主義である。

つまり主権在民を掲げている。

しかしもしヒトラーやスターリンの二人が、あるいはどちらかが最終的な勝者となっていたら、民主主義がこれほど普及しなかっただろう。

チャーチルは、青年時代、というより一生を通じて、並外れた勇敢さを見せた。

チャーチルほど実戦を経験した首相はいない。

チャーチルの原動力は何だったのか?

彼の性格で非常に面白い点であり、同時にその精神的強さの源ともいえたのは、自分の動機について非常に正直であったことだ。

マラカンドでの行動を説明する母への手紙には、目立ちたがり屋であることを自覚していると書いている。

勇敢で気高い行為のためにチャーチルは観客を必要とした。

チャーチルは他者の評価を求めていたのである。

チャーチルは演説の達人としても知られている。

しかし、実際には、チャーチルは独学で演説の達人となったのであり、生まれつき人前で話すのがうまいわけではなかった。

チャーチルは、即興で話すことができなかった。

彼の演説は、気持ちが高揚して心の底から自然に出てきた言葉ではけっしてなかった。

ヒトラーは言葉の力でいかに邪悪なことができるかを示した。

チャーチルは言葉の力が人類を救うことを示した。

ヒトラーの演説とチャーチルの演説との違いは、ヒトラーは自身を万能に見せたが、チャーチルは聴衆の万能感を引き出したことだろう。

世界史に巨大なインパクトを与えた他の幾人かの人物を思い起こすことはたやすい。

だがほとんどすべてが悪しき方向へのインパクトだった。

ヒトラー然り、レーニン然り、そのほかについてもそうだ。

決定的に善き方向を向いていた人を何人思い浮かべることができるだろうか。

一人の力で運命の秤を自由と希望の方向に傾けた人物がいただろうか?

そんな人物は多くはないだろう。

その中の一人がチャーチルであることに反対する人はいないだろう。

2019年7月 9日 (火)

稼ぐがすべて/葦原一正

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 私には絶対譲れない信念がある。
 それは、稼いでこそすべて。
 今までのスポーツ団体では、お金や収益化の話はどこかタブーの雰囲気があった。学校スポーツの影響力が強く、お金の臭いがしないことがなぜか美徳とされてきた。
 はたして、本当に稼ぐことはタブーなのか?

世界でいちばん盛んなスポーツは、サッカーと思っている人が多いが、実はバスケである。

競技者人口でいうとサッカーが2.6億人で、バスケが4.5億人。

国内においては競技者登録人口はサッカーが約90万人で、バスケが約60万人になる。

なぜこんなに多いのか?

サッカーだと9割以上は男子だが、バスケは男女半々がやっている、まれなスポーツだからだ。

バスケをビジネスとして考える場合、この資源を活用しない手はない。

従来の考えは、バスケをする人を増やし、すそ野が広がっていけば、いつか日本代表が強くなれば、ファンが増え、事業規模が大きくなると思い込んでいた。

つまり、「普及」すれば、「強化」につながり、いつか「収益」につながる、と。

そのような気の遠くなるような進め方で本当に改革ができるのか?

まずは徹底的に「収益化」に特化すべきと著者は考えた。

なぜなら、稼ぐことは、ビジョンとリーダーシップと人材確保で達成することができるから。

いわゆる普通のビジネステクニックで変えることができる。

普及していなくても、代表が強くなくても稼げる。

そして稼いではじめて、普及や強化に投資できる。

「鶏が先か?卵が先か?」。

どちらを先に増やすかを考えるよりも、逆転の発想で、仕組み自体にイノベーションを起こすことが、この世界で必要だと考えた。

そこでキーになるのが、「プロ」のリーグであるBリーグである。

今、Bリーグはある程度の成功をおさめている。

まず「稼ぐこと」という考えが正しかった一つの証ではないだろうか。

2019年7月 8日 (月)

がんばりが評価される女性の仕事術/杉浦里多

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 仕事をする上で大切なのは、「何のための仕事なのか」、「何が達成できるのか」、「どんな良いことがあるのか」、といった目的意識を常に持つことです。

女性に限らず目的意識をもって仕事をすることは大切だ。

たとえコピー取り一つを取っても、「何のために」ということを考えてやるのと、そうでないのとは、やり方や効率に大きな違いが出てくる。

また、目的意識があると応用が利く。

ただ、言われたからやるという姿勢ではイレギュラーなことが起こった場合、いちいち上司に聞かなければならない。

しかし、「何のために」という目的意識をもっていると、自分で判断することができる。

当然、自分で考え判断できる社員は男であっても女であっても上司から評価される。

つまり、こんな小さなことの繰り返しが良い評価につながるのである。

また、できる限り数値化することは重要だ。

「がんばり」とは抽象だ。

それを数値化することによってはじめてどのようにがんばったのかがわかる。

なぜなら、数字は世界各国どこでも使われる、客観性のある言語だからだ。

数字はウソをつかない。

気持ちにより変わるものでもない。

事実でしかない。

数字を上手に使って見せることは、多くの人を納得させるスキルにつながる。

数字という〝証拠〟を使うことが、自分の「大変さ」や「努力の結果」を直接的にアピールするよりも、ずっと大きなインパクトが残る。

数字は証拠だ。

「なぜこう思うか」という証拠を事前に用意して見せれば、誰も疑うことはできない。

企画の案を通したいとき、報告書で納得してもらいたいとき、自分の能力をアピールするとき、

あいまいな形容詞や主観的な言葉を、「数」、「時間」、「距離」、「量」、「金額」、「年齢」、「割合」などの数字に置き換えられないかを意識する。

そのためには、常に〝証拠集め〟。

つまり、数字を意識していることが大切だということ。

これは女性だけに限らず、男女共通して言えることではないだろうか。

2019年7月 7日 (日)

メンタル強化メソッド45/浮世満理子

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 メンタルをどんどん強くするにはどうすればいいのかというと、方法はたった1つ。達成感を積み重ねていくことです。達成感とは、今までできなかったり、ラクにはできない負荷のかかることをやりきった時に得られます。

スポーツは、世界のトップになればなるほど、メンタルによって勝敗が決まる。

トップアスリート同士の試合になると、実力差はほとんどない。

試合の行方を決めるのは、ほんのわずかな気のゆるみだったり、集中力の欠如であったり、

つまりメンタルが勝敗のカギをにぎる。

これはスポーツだけではない。

ビジネスの世界でもここ一番で勝敗を決めるのはやはりメンタルである。

メンタルは「思考」を土台にして、「感情」と「行動」とうまく連携を取りながら、私達を目標達成へと向かわせている。

3つの要素がそろったメンタルは、目標に向かって進む「力」となる。

メンタルは目標とともに存在する。

メンタルの「思考」「感情」「行動」という3要素は、目標に向かうための力であり、困難を乗り越える心強い武器である。

メンタルと目標は2つで1つ。

強力なメンタルを手に入れるには、目標を明確化し、そこまでの道のりを具体的に思い描くことだ。

曖昧な目標は、メンタルを弱くしてしまう。

明確なストレッチ目標を立て、それを達成することによって、達成感を味わう。

これがメンタルの強化につながる。

達成感を味わうには、2つ条件がある。

「ある程度のストレスもしくは負荷のかかる環境」と「自分にはできるという自己肯定感」だ。

頑張らないとできないけれど、自分ならできるという目標設定を心がける。

常にちょっと上の目標設定をクリアし、達成感を積み重ねることでメンタルは強化される。

この地道なことの積み重ねによってメンタルは強化されるということであろう。

2019年7月 6日 (土)

心ゆさぶる成功者の名言99/吉田寿

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 私はあきらめない      カーリー・フィオリーナ

カーリー・フィオリーナは、一時期世界中でもっとも注目された女性経営者である。

1999年にヒューレット・パッカードの社長兼CEOに就任し、2000年からは会長も兼務した。

アメリカのトップ20に入る企業で初の女性CEOであり、経済誌フォーチュンでも六年連続で「ビジネス界最強の女性」に選ばれた。

ハイテク史上最大といわれるコンパック・コンピュータとの合併を成功させ、創業者一族との熾烈な委任状争奪戦を制し、法廷闘争にも勝利して、ヒューレット・パッカードを劇的に復活させたその経営手腕は高く評価されている。

何事かをなそうと決意している人間にとって、「意志」や「信念」は重要な意味をもつ。

人間を目標に向かわせるパワーとは、「自分が必ずそれを達成する」という強烈な信念にほかならない。

疑いや恐れは、信念にとって最大の敵となる。

そして、信念が具体的な行動をともなって確実な成果に結びつくとき、周囲の目はこれを無条件で受け入れなければならなくなる。

そして、その根底にあるものは、「私はあきらめない」という強靭な精神だということではないだろうか。

2019年7月 5日 (金)

史上最大のボロ儲け/グレゴリー・ザッカーマン

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 6月5日、FRB議長のベン・バーナンキはこう述べている。「収入の好調な増加、比較的安価な住宅ローン金利といった基本的要因が、最終的には住宅需要を支えてくれると思います。今後もサブプライムローン市場の成り行きを見守っていく予定です。しかし現段階では、サブプライムローン部門の問題が広範な経済や金融システムに重大な影響を及ぼす可能性は低いと思われます」


本書はジョン・ポールソンがいかにしてウォール街を出し抜き史上最大のボロ儲けをしたかが書かれている。

当時、サブプライムローンが暴落することを予想する人はほとんどいなかった。

FRB議長をはじめとして、 世界の財界の首脳は一様に、サブプライムローン市場の混乱が経済全体に影響を及ぼすことはないと述べていた。

しかし、2007年秋、ついにドミノが倒れ始めた。

住宅ローンの支払いに困る借り手が増えるにつれ、格付け会社はあらゆる種類の住宅ローンの格付けを引き下げていった。

結局サブプライムローンは危険な代物だったのだ。

10月、ムーディーズは不動産担保証券330億ドル分を格下げした。

多くの投資家や金融機関は壊滅的な打撃を被った。

ところが、ジョン・ポールソンをはじめとする一部の逆張り投資家だけは、こうした運命を免れた。

思い上がったウォール街の金融家たちの失敗を尻目に、金融崩壊の真っただ中で大成功を収めた。

ジョン・ポールソンは、史上最大の取引を行う以前から、ある程度の成功を収めていたようだ。

49歳の時にはすでに、顧客から集めた20億ドルあまりの資金と1億ドルの自己資金を運用するヘッジファンド会社を経営していた。

ポールソンは、リスクを恐れ、小銭を稼ぐだけで満足しているような人間ではなかった。

心の中では理想的な取引を望んでいた。

自分が最高の投資家であることを証明できるような取引を待っていた。

住宅市場の暴落は、大成功を収め称賛を勝ち得るチャンスだった。

住宅市場の暴落を利用して利益を上げたのは、ポールソンを含め、そのほとんどが住宅ローンや不動産によるマネーゲームとは縁のない投資家だった。

それと同じように、来るべきバブルを見極め、それを利用して利益を上げるチャンスを握っているのは、誰よりも部外者なのかもしれない。

金融のプロというものは、誰もが同じビジネス番組を見、同じ新聞記事を読んで見解をまとめるため、そこに穴があったとしても誰も気づかない。

しかし、世間一般の通念に挑もうとする部外者にはその穴がわかったということではないだろうか。

2019年7月 4日 (木)

図解コーチング術/佐藤英郎

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 コーチングの力点は一人ひとりの内側にある「可能性、能力、やる気、自信、自発性、アイデア」などを引き出すところにあります。すなわち、コーチングとは「教え込む」ものではなく「引き出す」ものです。


現在、多くのマネジャーは、プレイングマネジャーとして働いている。

自らもつくる人、売る人として個人目標をもち、しかも部下を育て、組織目標も達成させるという責任を担っている。

そのためには、部下が指示待ちから、自ら考え動く部下に変わる必要がある。

では、どうすれば部下の主体性を引き出し、自ら考え行動する部下を育てることができるのか。

その答えが「コーチング」だ。

コーチングとは、「その人の目標達成に向けて、自発的な行動を促進させるためのコミュニケーション」の総称。

上司の仕事は、組織目標を達成するために部下を育てること。

しかも自分よりも優秀な部下を育てることができたとすれば、それこそが優秀な上司ということになる。

部下に自ら継続的に動いてもらいたいと思うなら、指示命令で占められていたコミュニケーションを改善する必要がある。

コーチングでは上司の「指示命令」を「質問」に置き換え、部下に決定権を渡す。

質問されると人は答えを出そうとして考える。

考えれば考えるほど、意識の深い部分での気づきが多くなり、問題解決に近づくことができる。

そうすると、人は、より主体的になり、責任意識も向上してくる。

部下の主体性を引き出そうと思うなら、部下に質問をし、考える機会を与えることが効果的だ。

コーチングは今やマネジャーの必須スキルと言ってよいのではないだろうか。

2019年7月 3日 (水)

経済学者の栄光と敗北/東谷暁

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 ケインズの一字一句が正しくないとしても、ケインズが指摘したさまざまな事態はいまも起こっているし、ケインズが不況対策として提示したことも、意味を失っていないとクルーグマンは論じる。


本書には、14人の経済学者が登場する。

その中で、私が知っているのはケインズ、フリードマン、ドラッカー、クーグルマンぐらいである。

近代経済学はケインズに始まり、次にそれを否定する経済学者が次々と登場し、最後はまたケインズに戻ってきたという印象である。

ケインズは、不況とは、消費性向や資本の限界効率が下落し、総需要が低下して完全雇用に達しなくなった事態に他ならない。

そこで不況に陥ったとき政府自らが投資を試みれば、その投資が新たな所得を生み、その所得がまた新たな消費を生む。

このように主張する。

その後、ケインズを否定する経済学者が続々登場する。

そして本書で最後に登場するのがクルーグマンである。

クルーグマンはフリードマンのマネタリズムやルーカスの合理的期待を批判しつつ、「ケインズ主義は基本的には正しい」と主張して注目された。

さらに2008年にリーマン・ショックが起こると、今度は「ためらいなき財政出動」を主張した。

2012年刊行の『さっさと不況を終わらせろ』では、アメリカと世界を襲う不況の二番底を回避するため、思い切った財政出動が必要だと論じている。

考えてみるとアベノミクスもケインズ主義の影響を少なからず受けているといえるのではないだろうか。

2019年7月 2日 (火)

ひとつ上のアイディア。/眞木準

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 あえて極論すれば、ぼくはアイディアにはオリジナリティなど存在しないのではないかと思っています。すべてのアイディアは引用からはじまります。ときどき、アイディアというものを、天才の産物とか、ものすごく特殊なものであるかのように考える人がいますが、それは違っています。そういう人はアイディアが出せないのではないでしょうか。


本書は、トップクリエイター20人が、自分だけのオリジナルな手法や思考法、考えるべきポイントをついに明らかにしてくれたもの。

その手法は様々だが、共通していっていることはアイデアは無から有を生み出すものではないということ。

結局アイディアというものは、その人がそれまで生きてきた人生の情報からしか生まれない。

まじめな人生であろうが、いい加減な生き方であろうが、その経験値からしかその人らしいアイディアは生まれてこない。

つまり、何十年と生きてきた、そのすべての情報や経験のなかにアイディアの種が必ずあるということだ。

それを形にするために、様々な手法が存在する。

すぐれたアイディアとは何なのか。

それは誰でも考えることを見事にやってのけること。

誰もが思いついてわかっていたけれども、それでもやらなかった、あるいはできなかったことを見事にやってのける。

それが本当にすぐれたアイディアだ。

実行できるかどうかが問われるという点でも、アイディアはひらめきとは違っている。

ひらめきや思いつきは、実現とは無関係に出てくるものでしょうが、アイディアの場合はそうはいかない。

実行して、実現することが、そもそもの前提としてある。

ここに重大な違いがある。

その意味では、よく思いつきの多い人のことを「アイディアマン」と呼ぶが、これは必ずしも正しい表現とはいえない。

アイディアや企画は、肉体化してはじめて力をもつ。

そのためにクリエイターは独自の手法をもっている。

例えば、あるクリエイターはアイディアの種を拾うために心がけていることは4つあるといっている。

1つは「新しい発見」をすること。

2つめは「日常を見つめる」こと。

3つめは「時代を見つめる」こと。

そして4つめは「アイディアは無限である」という意識をもつこと。

アイディアは数学ではなく、社会科学だ。

時代によっても変われば、用いられる状況よっても意味が違ってくる。

つまり、アイディアには正解がないということ。

正解がないということは、アイディアは無限だということでもある。

考えれば考えただけ出てくる。

その気になれば、いくらでもすばらしいアイディアを見つけることができる。

本書で紹介されているクリエイターの手法で、自分でも取り入れられるものは取り入れたらよいのではないだろうか。

アイディアと無関係で生きることはできないのだから。

2019年7月 1日 (月)

図解 統計学超入門/高橋洋一

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 超基礎レベルの統計学を知っているだけでも、世の中の見方は変わる。


本書は統計学の入門書である。

ヒストグラム、平均値、分散、標準偏差、正規分布、二項分布、中心極限定理……。

これらについて解説している。

これらの言葉を聞いただけでアレルギーを起こす人もいるが、大事なことは理解すること。

世の中で出てくる多くの数字は統計学によって成り立っているということを。

たとえば、私たちが日常的に触れることのできる「統計学」の代表といえば、「テレビ視聴率」だろう。

テレビ番組の関係者はこの視聴率を見て一喜一憂する。

視聴率が悪ければ、番組は打ち切りになる。

しかし、ビデオリサーチ社の発表によれば、1800万世帯が暮らす関東地区においてサンプル数はたった900、

関西地区、名古屋地区はそれぞれ600、

その他の地域を合わせても、集めているサンプル数は6900世帯分しかないそうだ。

日本の全世帯数は約5800万世帯なのだから、サンプル数はたった8400分の1ほどにすぎない。

このサンプル数による視聴率の統計を「もっともらしい」と受け止めるのが、統計学のわかる人である。

そして、「全数調査をしなければ正しい数字がわかるはずがない」と懸念を抱くのが、統計学のわからない人なのである。

統計学を駆使することで、「これだけのサンプルを集めれば、真の値とのブレは±1%におさまる」「これだけのサンプルを集めれば、真の値は99%この範囲内におさまる」ということがわかるのだ。

つまり、全数調査をしなくても、もっと少ないサンプルのデータだけで、限りなく全数調査の結果に近い数値を、割り出すことができる。

これが統計学である。

世の中で出回っている多くの数字は統計学によって成り立っているのだということを理解することが大切ということではないだろうか。

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