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2019年7月17日 (水)

恋愛制度、束縛の2500年史/鈴木隆美

2500

 恋愛とは、そもそも自立した個人同士のものであり、依存とは別ものだ、という意識がヨーロッパの学生には強いのでしょう。そうした主体の欠如=グループへの依存、「甘え」を前提とした恋愛の意識は、西洋的な恋愛の歴史を無視した、日本的ガラパゴス化を経た恋愛と言えるでしょう。


西欧には西欧の歴史があって「恋愛」というものがあるのに、日本はそんな歴史を無視して、西欧の恋愛をごちゃっと輸入してしまった、というのが本書の主張の一つだ。

日本人は外来のものが好きで、特に知識人は文化先進国の思想を輸入して、権威づけに利用する、ということをもう1000年以上続けている。

そのように輸入された思想、概念は、古来日本的なものとあまり相性が良くないのだが、日本という文化空間は不思議なもので、それらがあまり反発し合うことなく、自然に同居してしまう。

例えば「恋愛」は明治時代に作られた翻訳語。

江戸時代には「恋愛」という言葉はなかった。

あったのは「情」とか「色」、あるいは「色恋」など。

そしてこれは西欧で言う「love」や「amour」などではない。

この西欧的「愛」を指し示す新しい翻訳語を作らなければならない、というわけで最終的に「恋愛」となった。

ヨーロッパの恋愛制度は、別に文明国ならば必ず生まれる風習でもなんでもなく、歴史の偶然の中で発生し、発達してきたヨーロッパ土着の制度だ。

そこにはプラトンという天才、吟遊詩人という天才、ロマン主義作家の天才がたまたま出てきて、独創的なこと、あるいは変なことを言い出して、それが広まった、というだけの話。

その中にキリスト教的な無償の愛が混ざり合った。

ヨーロッパの恋愛は、心情と知性が微妙に絡み合い、独特の緊張関係の中でバランスを取りながら成り立っているもの。

それはイデア論のような知性主義の中で発達し、理性主義から感情主義への揺り戻しの中で、生まれてきた。

ところが、日本には知性主義の伝統はほとんどなく、あるのは情の世界、心情のみの世界。

だからこそ恋愛に関しても、知性的な部分が全て吹っ飛んでしまう、という傾向がある。

恋愛とは、そもそも自立した個人同士のものという意識がヨーロッパには強い。

ところが日本の恋愛は甘えを前提とした相互依存の関係である。

女性とは、ある可愛いキャラを演じて、愛されるべきであり、甘えを許してくれる男性を求め、男性に付き従う存在であるべきだ、という依存的な関係になる。

日本社会は主体の確立を避け、相互依存の関係を打ち立てることをよしとする社会だ。

その中での恋愛、そして恋愛の帰結としての結婚は、ヨーロッパ的な恋愛とはまるで違い、単に依存関係をお互いうまく作れるかどうか、ということがテーマになってくる。

少なくとも私たち日本人が言う恋愛と欧米でいう恋愛が全くも別物だという認識は持つべきだろう。

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