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2019年8月27日 (火)

迷走する帝国――ローマ人の物語Ⅻ/塩野七生

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 カラカラによって、ローマ市民権は長く維持してきたその魅力を失ったのである。魅力を感じなくなれば、市民権に附随する義務感も責任感も感じなくなる。そしてそれは、多民族多文化多宗教の帝国ローマが立っていた、基盤に亀裂を生じさせることにつながった。誰でも持っているということは、誰も持っていないと同じことなのだ。この現象を現代風に言い換えれば、ブランドは死んだ、ということでもあった。


第12巻で扱う211〜284年はローマ帝国の「三世紀の危機」にあたる。

73年間で実に22人の皇帝が乱立することになる。

中でもカラカラ帝により「ローマ市民権」が帝国内の全自由民に付与されたことをかなりの紙面を割いて批判している。

それによってローマ市民権の価値は変質して単なる既得権益のひとつとなる。


建国から間もない頃のローマは周辺の部族と戦争ばかりしていたのだが、勝っても敗者を奴隷化していない。

スパルタのように、半分奴隷の身分の農奴にしてこき使うのでもなかった。

ローマの勝利を認めた講和が締結された後は、敗者側の有力者も一般市民もローマに移住させ、ローマ市民権を与え、有力者にはローマ元老院の議席まで与えた。

「市民権」に対するローマ人の開放的な考え方は、ヒューマンな感情から生れた思いつきではまったくない。

敗者同化は、ローマ人にとっては、帝国運営上の「政略」であった。

だからこそ、帝国創設時にカエサルとアウグストゥスの二人が考え実施したこの開放路線が、その後の皇帝たちにも引き継がれていったのである。

ギリシア人にとっての市民権は、生れたときから持っている「既得権」であった。

反対にローマ人の考えていた市民権は、意志とその成果に対して与えられる「取得権」であったのだ。

後者のほうが、他者に対して門戸が開かれていたのも当然だろう。

それを、皇帝カラカラは一変させてしまったのである。

属州民でも業績の如何にかかわらず、誰にでもローマ市民権を与えたことによって、「取得権」であったローマ市民権を、アテネの場合と同じ「既得権」に変えてしまった。

人間は、タダで得た権利だと大切に思わなくなる。

まさにローマは内側から崩壊していったといって良いのではないだろうか。

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