できる社員は「やり過ごす」/高橋伸夫
B社では、的はずれな指示は部下のやり過ごしによって濾過され、上司に恥をかかせることなく正当な指示だけがラインに流れることになる。頭のよい上司であれば、その様子をみて、自分の誤りに気がつくというのである。
「やり過ごし」は何も企業や組織のなかでだけ見られるものではなく、家庭のなかや一対一の人間関係のなかでもしばしば遭遇する。
たとえば、組織のなかにあって「課題がむずかしすぎて、どう考えればよいのか糸口さえ思いつかない」「仕事が多すぎてどこから手をつけていいのかわからない」というような状況下で「やり過ごし」が発生する。
アンケートによると、どの会社でも、50%を超える人が「やり過ごし」の存在を認めていたという。
例えば、アンケートを実施したB社においては、部下の意見に耳を貸そうとしない上司が出現すると、それに対処する部下の手段として、「やり過ごし」が発生するという。
指示内容をいったんフィルターにかけて、おかしな指示はその段階でとりのぞいているというのだ。
もし、やり過ごしがきびしくとがめられることになったら、仕事の量がやたらにふえる。
上司の指示・命令が現場の実情にあわなかったときには、組織は完全にロックしてしまう。
つまり、まったく動かなくなってしまう。
現場で処理できないようなとてつもなく大きな課題や、実情を無視した無理難題がひとつ詰まっただけでも、組織の流れと動きは完全に止まってしまうはずだ。
それでは、なぜわれわれの組織は動いているのだろうか。
われわれの組織が巨大な課題や無理難題にさらされていないわけではない。
それでも組織がロックしないですんでいるのは、部下の「やり過ごし」によって、このロック状態が回避され、最低レベルの日常業務が保障されているからにほかならない。
自動車のABSと同じ原理である。
組織には建前と本音の部分があり、それによって組織が動いているということであろう。
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