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2019年8月23日 (金)

危機と克服――ローマ人の物語Ⅷ/塩野七生

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 歴史家ギボンは、ローマがなぜ滅亡したのかと問うよりも、ローマがなぜあれほども長く存続できたのかを問うべきである、と言った。多民族、多宗教、多文化という、国家としてはまとまりにくい帝国であったにかかわらず、なぜあれほども長命を保てたのか、ということのほうを問題にすべきだ、という意味である。だが、それに対する答えならば簡単だ。ローマ人が他民族を支配するのではなく、他民族までローマ人にしてしまったからである。大英帝国の衰退は各植民地の独立によるが、ローマ帝国では、各属州の独立ないし離反は、最後の最後まで起こっていない。


初代アウグストゥスの血統がネロで途絶え、以降は属州に駐屯する総督が、周囲の軍団から推挙される形で皇帝に就任する。

紀元69年はガルバ、オトー、ヴィテリウスと、1年間で3人もの皇帝が現れては消えた混乱の年となった。

その後登場したヴェスパシアヌスは帝国を立て直し、ヴェスパシアヌスの子であるティトゥス、ドミティアヌスと、フラヴィウス朝の治世が3代続く。

ドミティアヌスの死後は、五賢帝最初の1人として数えられるネルヴァがショートリリーフとして登場し、トライアヌスへと続く。

ガリア属州兵の反乱、ゲルマン民族の侵攻、ユダヤ戦役などの、帝国の辺境で起こる数々の反乱と、それに対する対処などが本書では書かれている。

共和政・帝政を通じてのローマ全史は、蛮族の侵入の歴史と完全に重なり合うと言ってよい。

独裁政体の国家では、その国のもつ軍事力の真の存在理由の第一は、国内の反対派を押さえることにあって、国外の敵から国民を守ることにはない。

ローマ帝国は、この一点においても独裁国家ではなかった。

ローマ帝国は、本国のイタリアに一個軍団すらも常駐させていない。

ローマ軍の主戦力である軍団はすべて、帝国の国境、というよりも防衛線に配置されていた。

ローマ帝国では、共和政時代からすでに、その首都であるローマの内部には武装した軍隊は入れないという決まりがあった。

決まりも、8百年も守られつづければ伝統になる。

この伝統を破ったのはマリウスとスッラだが、それも一時的なことで、国法破りと同じことであった「ルビコン」を渡ったカエサルでさえも、ローマに武装した兵を入れないという伝統は尊重した。

首都ローマにまで侵入された紀元前390年から、ローマが再び蛮族に蹂躙される紀元後410年までの8百年をローマが持ちこたえることができたのは、一にも二にも、防衛力が健在であったからだった。

ローマ皇帝の二大責務は、安全と食の保証であった。

そして「食」の保証とは、「安全」を保証できてはじめて成就可能な目標でもある。

英語のエンペラーの語源は、軍事の最高責任者を意味する「インペラトール」である。

そのため、皇帝に対する評価が、軍事上の業績によって左右されること大であったのは、避けようのない宿命なのだと思う。

この時代、皇帝がコロコロと変わるのだが、蛮族の侵入を許さなかったという意味では最低限の仕事はしたのだと言ってよいのかもしれない。

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