« 勝者の混迷──ローマ人の物語Ⅲ/塩野七生 | トップページ | ユリウス・カエサル ルビコン以後――ローマ人の物語Ⅴ/塩野七生 »

2019年8月19日 (月)

ユリウス・カエサル ルビコン以前――ローマ人の物語Ⅳ/塩野七生

Photo_20190817075901

 ルビコン川の岸に立ったカエサルは、それをすぐには渡ろうとはしなかった。しばらくの間、無言で川岸に立ちつくしていた。従う第十三軍団の兵士たちも、無言で彼らの最高司令官の背を見つめる。ようやく振り返ったカエサルは、近くに控える幕僚たちに言った。「ここを越えれば、人間世界の悲惨。越えなければ、わが破滅」そしてすぐ、自分を見つめる兵士たちに向い、迷いを振り切るかのように大声で叫んだ。「進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!」

第4巻では、カエサルの登場からルビコン川を渡るまが書かれている。

前人未到の偉業と破天荒な人間的魅力、類い稀な文章力によって英雄となったユリウス・カエサル。

指導者に求められる資質は、知性、説得力、肉体上の耐久力、自己制御の能力、持続する意志。

カエサルだけが、このすべてを持っていた。

カエサルはアレクサンダー大王やスキピオ・アフリカヌスやポンペイウスのような早熟の天才タイプではない。

カエサルが「起つ」のは40歳になってから。

彼は、部下を選ぶリーダーではなかった。

部下を使いこなす、リーダーであった。

使いこなすには、部下の必要としているものは適時に与えねばならなかった。

カエサル個人の辞書には、復讐という言葉はない。

復讐とは、彼にすれば、復讐に燃える側もその対象にされる側も、同じ水準にいなければ成立不可能な感情なのである。

しかし、兵士たちならば、同輩九千の死に復讐心を燃やすのこそ当然なのだ。

ただし、それを活用する者は、燃えるよりも醒めていなければならなかった。

なぜなら、感情とはしばしば、理性で必要とされる限界を越えてまで、暴走する性質をもっているからである。

総司令官に求められるのは、戦略的思考だけではない。

待つのは死であるかもしれない戦場に、兵士たちを従えて行くことのできる人間的魅力であり人望である。

カエサルにはこれがあった。

カエサルには、容易にしかも洗練された文章を書ける作家の才能ばかりでなく、自らの意図するところをたぐいまれな明晰さで人に伝える才能も充分だった。

スッラとカエサルは多くの共通点をもっている。

まず、二人とも、コルネリウスとユリウスというローマきっての名門貴族に属していながら、スッラ、カエサルという、それまでのローマ史にはほとんど登場しない傍系の出身であったこと。

第二に、経済上の理由から、ギリシア人家庭教師に囲まれて育つという環境には恵まれなかったにかかわらず、当代きっての知性の持主であり、第一級の教養人でもあったという点。

第三は、背が高く痩せ型の体型で、品位ある立居振舞いでも、いつでもどこでも目立つ存在であったこと。

第四に、二人とも早熟の天才タイプではなく、活動の全開期は四十代に入ってからである点。

第五、金の重要さは知っていたが、私財を貯えるとなるとほとんど無関心であったこと。

第六、二人とも目的をはっきりさせる性質で、それゆえに部下の兵士たちからは、したわれると同時に敬意を払われていたこと。

第七、元老院にはもはや統治能力がないと見透した点でも、二人は共通していた。

第八、二人とも、従来の考え方に捕われることなく行動はすこぶる大胆であった点では似ていたが、スッラには不安も迷いも見られないのに、カエサルはそうではない。

カエサルは生涯、自分の考えに忠実に生きることを自らに課した男でもある。

それは、ローマの国体の改造であり、ローマ世界の新秩序の樹立であった。

ルビコンを越えなければ、「元老院最終勧告」に屈して軍団を手離せば、内戦は回避されるだろうが新秩序の樹立は夢に終わる。

それでは、これまでの五十年を生きてきた甲斐がない。

甲斐のない人生を生きたと認めさせられるのでは、彼の誇りが許さなかった。

しかも、名誉はすでに汚されていた。

まるでガリア戦役などなかったとでもいうふうに、「元老院最終勧告」に服さなければ共同体の敵、国家の敵、国賊と見なすと宣告されたことで、すでに充分に汚されていた。

それがルビコン川を渡ることにつながる。

「賽は投げられた!」とカエサルは語る。

この言葉はあまりにも有名だ。

« 勝者の混迷──ローマ人の物語Ⅲ/塩野七生 | トップページ | ユリウス・カエサル ルビコン以後――ローマ人の物語Ⅴ/塩野七生 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事