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2019年8月26日 (月)

終わりの始まり――ローマ人の物語Ⅺ/塩野七生

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 ギボンの『ローマ帝国衰亡史』も、マルクス・アウレリウスまでのローマ帝国の総括に冒頭の三章をさいた後ではじまる本文を、コモドゥスから筆を起している。ローマ帝国の衰亡は、皇帝コモドゥスの治世からはじまった、というわけだ。そして、この考え方は、ギボンから二百年以上も過ぎた現代でも、まったく変わっていない。

五賢帝の最後を飾る人であり、哲人皇帝の呼び名でも有名なマルクス・アウレリウスほど、評判の良いローマ皇帝は存在しない。

同時代人から敬愛されただけでなく、現代に至るまでの二千年近くもの長い歳月、この人ほどに高い評価を享受しつづけたローマ皇帝はいなかった。

しかし、その彼の時代に、ローマ帝国衰亡への序曲が始まっていたのだとしたら、それをどう考えればよいのだろうか。

五賢帝の最後、マルクス・アウレリウス帝の治世から蛮族の侵入など「終わりの始まり」が起こり、平和ボケしていたローマ帝国は衰退してゆく。

こうした時期に最も指導者に要求されたのは軍事的才能であった。

哲学に傾倒しているマルクス・アウレリウスは、人間の良き原理を、良き魂を、正直さを、公正さを探求するのには熱心だが、国家とは何であり、どうやればそれを良く機能させられるかという問題には熱心でない。

残念ながら国家には、先祖たちが示してくれたように、剣と法が必要なのだ。

だが、実直ではあっても軍事経験の乏しい哲人皇帝には荷が重すぎて戦役は長期化する。

帝国の制度の疲労によって矛盾や問題点が次々と顕在化する不運が重なる。

そして実子コモドゥスを後継としたことにより、帝国の瓦解はさらに進み国力は疲弊する。

よく軍の暴走を防ぐために、シビリアンコントロールという言葉が使われる。

しかし、歴史を見てみると、意外にも「シビリアン」のほうが、戦争のプロでないだけに、世論に押されて戦争をはじめてしまったり、世論の批判に抗しきれずに中途半端で終戦にしてしまう、というようなことをやりがちだ。

つまり、後を引くという戦争のもつ最大の悪への理解が、シビリアンの多くには充分でないのだ。

コモドゥスも、この意味では「シビリアン」だった。

そして、この「シビリアン」は、結果はどうなれ、戦争状態を終えることしか頭になかった。

能力の無い皇帝に排除の論理が働くとしたら、それは悲劇的な暗殺しか選択肢が無い。

そしてさらに権力抗争の内乱により混迷は進んでいく悪循環を辿る。

マルクスが傾倒していた哲学は、いかに良く正しく生きるか、への問題には答えてくれるかもしれない。

しかし、人間とは、崇高な動機によって行動することもあれば、下劣な動機によって行動に駆られる生き物でもある。

それが、人間社会の現実だ。

そして、それを教えてくれるのは、歴史である。

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