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2019年10月の31件の記事

2019年10月31日 (木)

業界メガ再編で変わる10年後の日本/渡部恒郎

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 これからの10年間で価値ある企業となるためには、会社を生まれ変わらせる「第二創業」が必要だと考える。日本全体の最大の課題である、経営者の事業承継や産業の業界再編を良い機会として「第二創業」し、「ビジネスを進化させる」ことが求められているのだ。

現在の日本企業は、「過去の延長線上」のモノや組織であふれている。

日本の組織風土では、「過去からの延長」が好まれる。

「派閥」が自然発生し、顧客が求めている本当に重要なものを社外に目を向けて探すよりも、社内に目を向けた人材が高く評価される。

だから、「創造性」と「独自性」を持った優秀なビジネスパーソンや、壮大な「志」を持った起業家が育たない。

この土壌を入れ替えなければ、日本経済はじり貧となっていくだろう。

1980年代に日本が経済的に成功した大きな要因は、「真似る」のが得意だったからではないだろうか。

当時の日本は人口ボーナス期で、ひたすら人口が増える一方であり、大量生産、大量消費が日本の経済水準を底上げした。

こうした右肩上がりの時代においては、同じような客層に、似たような商品を提供し、改善を重ねることで成長するという、モノカルチャー的な経済行動が、成長の源泉となった。

しかし、時代は変わった。

日本は明らかに成熟期を迎えている。

このままでは、日本は本当に世界の潮流から取り残されてしまう。

会社を発展させ続けるために必要なのが、二回目の創業、すなわち「第二創業」である。

もう一度起業するような、ダイナミックな変革を企業にもたらすということだ。

「第二創業」するには、自社だけでなく、「業界全体」や「国家」を考える「強い意志」が必要だ。

もう一度、原点に立ち返って企業の目的や職業倫理を考えることによって、ビジネスを進化させることができる。

これまでの常識を疑い、顧客が本当に必要とするものは何かを考えることで、企業は変わることができる。

多くの日本企業は「過去からの延長」に囚われ、イノベーションが起きなくなり、失速していった。

競争ではなく、協調して次のステップに進むべき時代が来たのではないだろうか。

そのために必要なのがM&A。

以上が、M&Aコンサルタントである著者の主張である。

業界再編に主張が偏りすぎている観はあるが、「過去の延長線上」に未来はないというのはその通りだと思う。

2019年10月30日 (水)

政治のキホンが2時間で全部頭に入る/馬屋原吉博

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 特定の分野に関して法律を作り、それを運用していく。その分野で発生した問題を法律に則って解決していく。それが「政治」です。


著者は予備校の先生。

本書は著者の「どう話したら子どもたちに政治のことを理解してもらえるだろうか」という問題意識から生まれた。

「間接民主制」「基本的人権」「議員内閣制」といった1つひとつのキーワードの意味も実は大人でも分かったつもりになっているだけで、わかっていない人は多い。

少なくとも自分の言葉で説明できなければわかっているとは言えない。

「憲法が最高法規なのはなぜ?」「国会が国権の最高機関なのはなぜ?」「国と地方が対等とされるのはなぜ?」といった疑問に答えることも意外と難しい。

本書にはそのことが分かりやすく書かれている。

政治のイロハを押さえることのできる本といえるのではないだろうか。

2019年10月29日 (火)

おとなの教養2/池上彰

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 ときには立ち止まって考えてみることも必要です。「私たちはいま、どこにいるのか?」と。

私たちは日々、膨大なニュースに触れている。

しかし、そのときどきのニュースに振り回されていては自由にはなれない。

振り回されないためには教養が必要になる。

教養とは何か?

古くはリベラルアーツを極めることを言った。

リベラルアーツとは、ヨーロッパの大学で学問の基本とされた七科目のことを指す。

①文法、②修辞学、③論理学、④算術、⑤幾何学、⑥天文学、⑦音楽、の計七科。

リベラルアーツには「人を自由にする学問」という意味がある。

つまり、この自由七科をしっかり学べば、人間はさまざまな偏見や束縛から逃れ、自由な発想や思考をすることができるというだ。 

これをふまえて著者が考えた現代人必須の「自由七科」とは、①宗教、②宇宙、③人類の旅路、④人間と病気、⑤経済学、⑥歴史、⑦日本と日本人。

教養を学ぶことには、二つの側面がある。

ひとつは、時代が動いても古びない、普遍的な考え方を身につけること。

もうひとつは、ニュースの洪水を前にいったん立ち止まり、歴史や政治学、宗教や経済学などの知識を駆使して、日々のニュースや出来事を捉え直す力を養うこと。

私たちはいま、どこにいるのか?」をたえず意識する力と言ってもいいだろう。

情報であふれる現代だからこそ、教養を身に付け、時代の表面で起こっている出来事を掘り下げることが重要ということではないだろうか。

2019年10月28日 (月)

成功に奇策はいらない/平山真也

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 不況の中で快進撃を続けるディッキーズに多くの業界関係者が驚き、その理由を知りたがりました。僕が最初にする答えはこうでした。
「成長をあきらめていないからです」
 単純ですが、本心です。

著者が経営するディッキーズはアパレル不況といわれる今の時代で成長し続けている。

成長の秘訣はどこにあるのか?

著者は本書で、やるべきことを考え抜いて、執念をもって実行したことで、成功がもたらされたと述べている。

考え抜くことと徹底すること。

著者がディッキーズの経営者として行ったことは、いわば「当たり前」のことばかり。

たとえば、戦略を十分に納得できるまで考え抜くこと。

ディッキーズがどんなブランドであるべきなのかを明確にし、それを守ること。

社員の貢献にしっかりと報いること。

お客様の目線に立って魅力的な店舗をつくること。

要は、成長をあきらめなかったということであろう。

成長をあきらめ、「できない理由」を語り合って過ごすなど、誰にとっても幸せなことではない。

だが、現代の日本には、そのような状態に陥っている会社がとても多い。

成長をあきらめないこと。

当たり前のことを徹底してやること。

会社経営に限らず、あらゆることに通ずる成功の条件なのではないだろうか。

2019年10月27日 (日)

フランス人は「老い」を愛する/賀来弓月

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 フランス人が「La vie est belle(ラ・ヴィ・エ・ベル)」と叫ぶときに込める思いは、「人生を思い切り楽しもう」「生きる喜びを精一杯享受しよう」「人生を楽しく有意義なものとするために、自分自身で考え、自分独自の道を切り拓こう」というものでしょう。フランスの高齢者は老いを賛美するためにこの言葉を発するのです。

日本は今、高齢化の問題に直面している。

日本は老いることを否定的にとらえる人が多い。

しかし、フランスには老いを「人生の実りと収穫の秋」と考える文化がある。

事実、フランスでは年を重ねても生き生きと毎日を過ごしている多くの高齢者たちに著者は出会ったという。

老いを肯定的に捉えるフランス人の姿勢は、若い頃の生き方からも垣間見ることができる。

多くのフランス人は定年退職後の生活を非常に楽しみにしている。

そして、自由を満喫できる定年後のために、あらかじめ多様な人生設計を立てる。

早い段階(30代、40代)から周到な準備をはじめる。

人生の秋の実りと収穫は、定年後の高齢期に最終的に達成できる人間としての成熟度だ。

現役時代にはあったかもしれない権力欲、名誉欲、虚栄心などから自分を完全に解放する。

そして、『人を愛し、人に愛される』淡白で、謙虚で、善意に満ちた、心穏やかな人間になるようにつとめる。

職場での競争や上下関係から解放される定年後には、それができるようになる。

生の実りと収穫の秋を生き抜くには、日常生活のごくあたりまえのことに生きる喜びを感じるようにすること。

日常生活の「当たり前のことがら」「小さなこと」の中に生きる喜びを見いだせる感受性を養うこと。

例えば、周囲の小さな自然の中に美しさとさわやかさを感じる能力、

人間同士のちょっとしたふれ合いに喜びを感じる能力、

日常の仕事、家事、庭仕事、家庭菜園の維持管理、買い物、などに喜びを見いだす能力などがそれに当たる。

老いはそういう感受性を高めるもの。

フランスの高齢者たち、特に中産階層以上の人は、定年後も意欲的に何かを学びたいと考え、実際に新しいことに挑戦している人が多い。

高齢になっても、「人間は精神的に成長できるし、また成長しなければならない」と考えている。

国民の平等意識の強いフランスには「教育における年齢平等」という考え方があり、これが高齢者の学ぶ姿勢と意欲を支えている。

そして、感謝の気持ちと忍耐と威厳をもって、心穏やかに『最後の時』を迎える。

フランスの国民的文豪ビクトル・ユーゴは、こんな言葉を遺している。

「あなたの老いの日々に愛情を持ちなさい。そして、あなたの暗い冬のために早くから明かりを灯しましょう」

日本人も、老いることをもっと前向きにとらえてよいのではないだろうか。

一度しかない人生なのだから。

2019年10月26日 (土)

ほめ言葉の魔法/原邦雄

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 わたしが大事にしているのが「自尊心の3大欲求」です。これはアメリカの心理学者ウィル・シュッツ博士が提唱したもので、「自己重要感」「自己有能感」「自己好感」という3つの欲求のことです。

ほめ言葉は、家庭や地域、会社での人間関係をよくする。

ほめることがどうして重要か?

それは「自己重要感」「自己有能感」「自己好感」という3つの欲求を満たすことにつながるから。

まず、自己重要感。

これは「自分を大事な存在として認めてほしい」という欲求。

「ありがとう」と言われたときに満たされる。

次に、自己有能感。「的確な意思決定と行動ができるようになりたい」という欲求。

「すごいね」「成長したね」と言われたときに満たされる。

最後に、自己好感。

こちらは「人に好かれたい」という欲求。

「好きだよ」「好感が持てる」などと言われたときに満たされる。

ほめるというのは、相手の人間性を肯定すること。

一見なんでもない、たったひとつのほめ言葉をきっかけに、人生がプラスへと動き出すものです。

効果的なほめ言葉には4つのポイントがある。

第1に、存在を認めてあげる。

ほめて、相手を育てるには、その人のかけがえのない長所を見つけ、伸ばしてあげることが大事。

その大前提となるのが「生まれてきただけで、そこに存在しているだけでまずはOK」という考え方。

それをほめ言葉として相手に届ける。

第2に、自分の翼で飛べるように育ててあげる。

人間は似たような姿形をしていたとしても、中身はそれぞれ違う。

ほかの誰かに大きな翼があるからといって、自分の部下も同じ翼を持っているとは限らない。

大切なのは、自分の部下が持っている翼を見つけ、羽ばたいていけるように育ててあげること。

第3に、根っこに水をあげる。

花を育てるとき、何も考えずにただ水をあげたときと、ちゃんと根っこに届くように水をあげたときでは、同じ花でも育ち具合は変わってくる。

それは人も同じ。

人には、その人しか持っていない長所がある。

それを育てるために、「ほめ言葉」という水を与えることが重要。

「こんなふうに育ってほしい」という愛情を込めながら水をあげ、見守ること。

第4に、ほめっ放しにしない。

ほめすぎると天狗になってしまうことがある。

なので、ときには方向修正をする。

その人が、よくない方向へ進んでしまいそうだと思ったら、そのときは叱ることも必要。

そして、大切なのは、「結果」をほめるのではなく、「行動や努力」、そして「人間性」をほめる、という点。

ほめ言葉の魔法は、実は科学的にも証明されている。

生理学研究所の定藤規弘教授が「ほめられた人は、学んだことを忘れにくくなる」という研究成果を発表している。

ほめることの大切さを再確認させられた。

2019年10月25日 (金)

会計士は見た!/前川修満

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 キーエンスの有価証券報告書(2014年度)を取り寄せて、これらの情報を閲覧してみました。平均年齢35.6歳平均勤続年数11.8年、平均年間給与1647万円(うーん、驚異的だ)と筆者は嘆息せざるをえませんでした。


企業の有価証券報告書は誰でも見ることができる。

そしてそれを見ると、様々なことが見えてくる。

キーエンスという会社がある。

驚きなのは社員の平均年間給与が1647万円ということ。

どうしてこんなに利益を上げることができるのか。

カギはファブレス経営にある。

ファブレスというのは、Fabrication(製造)Less(ない)の略で、工場を持たないということ。

同社は、製品の開発、企画、設計を行うものの、自社では製品製造のための生産設備を持たず、製品は協力会社からの提供を受けて調達するという形態をとっている。

日本の企業では、キーエンス以外では、任天堂、セガ、伊藤園、ダイドードリンコなどがファブレスの会社として知られている。

キーエンスは、「自社工場の稼働率を意識せざるを得ない開発では、発想が限られる」と考えるがゆえに、ファブレスにして、自由で主体性のある商品開発をしている。

キーエンスは創業以来、直販制度のもとで従業員の半分以上が営業に従事している。

その営業職たちが売っているのは、モノではなく、「問題解決のアイデア」。

モノではなく、問題解決を売ることにすれば、経営者も工場設備の稼働率の悩みから解放される。

これは超常識の発想だ。

キーエンスの戦略は、オーダーメイドの紳士服の注文をうけて、その顧客に既製品の紳士服を提供するようなものだと言える。

これまでの製造業は、モノを作って売るという発想が根底にあった。

しかしながら、モノを作るということ自体には、実はさほどの価値はないのかもしれない。

それよりも、顧客の企業経営に資する、または人々の生活に資する、ということに大きな価値がある。

その発想や問題解決のための思考こそが、価値の根源であるように思える。

もしかしたら、日本が「モノづくり」にこだわりすぎることが成長の足を引っ張っているのかもしれない。

2019年10月24日 (木)

人はなぜ物語を求めるのか/千野帽子

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 人間は、時間的前後関係のなかで世界を把握するという点で、「ストーリーの動物」です。

「ストーリー」は人間の認知に組みこまれたひとつのフォーマットである。

人は「世界」や「私」をストーリー形式で認識している。

ニュースを読むアナウンサーの言葉、落語を話す落語家の言葉、新聞記事や小説の字面は、いずれもストーリーを伝えているという意味で、物語である。

世界にたいする「なぜ」という問と、それへの回答とが、ストーリーのストーリーらしい滑らかさを生む。

因果関係が明示されると、なぜ物語として滑らかな感じがするのか。

それは、できごとが「わかる」気がするから。

できごとの因果関係を「わかりたい」のが人間である。

人間とは、世のなかのできごとの原因や他人の言動の理由がわからないと、落ち着かない生きもののようだ。

「説明が正しいかどうか」よりも、また「その問が妥当かどうか」よりも、私たちはともすると、「説明があるかどうか」のほうを重視してしまう。

ストーリーでそこを強引に説明してしまうことがある。

人間は生きていると、ストーリーを合成してしまう。

生きていて、なにかを喜んだり楽しんだり、悲しんだり怒ったり、恨んだり羨んだりするのは、その「物語」による意味づけのなせるわざ。

人間は物語を聞く・読む以上に、ストーリーを自分で不可避的に合成してしまう。

これが本書の主張。

確かにその通りだと思う。

2019年10月23日 (水)

「儲かる会社」の財務諸表/山根節

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 数字は切れるナイフである。企業の内部に入り込んで数字を調べれば、ほとんどの実態がわかる。しかしだからこそ企業は、外部者に数字を見せたくない。むしろ隠したがる。したがって会計は全体像を映しとるツールだが、情報開示(ディスクロージャー)の壁にぶつかる。しかしそんなときに欠かせないのが、われわれの想像力である。


会計の本質は「経営の全体像を写像化する情報ツール」ということである。

会計は、経営を総合的、包括的かつ統一的にとらえる唯一のツールである。

企業会計の構造は、

事業スタート時点(期首)に、手元にあるストック資源のリスト=貸借対照表(BS)があり、

儲けを計算する書類=損益計算書(PL)があり、

そして儲ける活動の結果、残ったストックのリスト=期末のバランスシートを作る。

この繰り返しが経営活動である。

基本二表のBSとPLから何が読み取れるのだろうか?

次のようなことが読み取れる。

①儲けの構造がわかる

②戦略が読める

③時系列で並べれば、戦略の動きが読める

会計とリアリティを結ぶクセをつけると、無味乾燥に見える財務諸表が立体化し、企業経営の豊かな実像が現れてくる。

要は経営と数字を不可分にし、経営を数字と絡めて語ることが大事である。

大事な点は、アバウトにとらえるということ。

経営は総合的、大局的にとらえることが大事。

いきなりディテールから入って、すべてをわかろうとせず、大ぐくりでとらえることが大切である。

経営は言うまでもないが、奥が深くて幅が広い。

わからないものがたくさん出てきて当然である。

だからこそ、経営のすべてを事細かくわかろうとしても無理だ。

いい加減なトライが、勉強を長続きさせるということではないだろうか。

2019年10月22日 (火)

神トーーク「伝え方しだい」で人生は思い通り/星渉

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 人の心を動かしたいのであれば「感情と欲求の関係性」を正しく理解する必要があります。人間の感情には、嬉しい、悲しい、怖い、寂しい、楽しい……といった、さまざまなものがあって、それと同時に、私たちには「こういう感情を感じたい、満たしたい」という欲求が存在します。 


悩みの9割は人間関係によるものとされる現代の社会。

職場、仕事関係、恋人、家族、友人、地域コミュニティ、SNS……。

「それらのどこにも悩みなどない」という人はいないだろう。

そうした人間関係が難しいのは、相手がいるから。

基本的に、過去と相手は変えることはできない。

変えることのできるのは、未来と自分。

自分をどのように変えるのか?

これが非常に重要だということ。

ではどうするか?

例えば、アドバイスしたいのならば「褒める→アドバイス→褒める」で伝える。

自分自身が「話を聞くに値する振る舞いをしている」こと。

これが、すべての「人の心を動かすメカニズム」の土台となる。 

私たち人間は、どんなに論理的に正しいことを言われたとしても、「感情」が同意していなければ、真に受け入れることはできない。

多くの人が「満たしたいと思っている感情」を満たすことができる人に私たちがなれば、自然と私たちの元に人が集まり人望と影響力を得ることにつながっていく。 

日々、関わる人に「安心感」を与えて、相手の「自己重要感」を満たすことができれば、私たちは人の心を動かすことができる。

日常の生活の中で思い通りに人の心を動かしたいのであれば、心のメカニズムを知ることだ。

「絶対に否定をしない」+「最後まで話を聞く」

これを実行するだけで、自分に関わる人に絶大な安心感を与えることができる。

そして、その絶大な安心感は、そのまま「人望」となる。

重要なことは人は論理で動くのではなく感情によって動くのだという点。

これを忘れないことだ。

2019年10月21日 (月)

私たちは子どもに何ができるのか/ポール・タフ

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 レジリエンス、好奇心、学業への粘りといった高次の非認知能力は、まず土台となる実行機能、つまり自己認識能力や人間関係をつくる能力などが発達していないと身につけるのがむずかしい。こうした能力も、人生の最初期に築かれるはずの安定したアタッチメントや、ストレスを管理する能力、自制心といった基幹の上に成り立つ。

非認知能力とは、ひとつのことに粘り強く取り組む力や、内発的に物事に取り組もうとする意欲などを指す。

心のOSと言っても良いかもしれない。 

非認知能力については、ノーベル経済学賞受賞のヘックマンが研究した「ペリープロジェクト」が有名だ。

それによると、就学前に良質な保育・教育を受けた子どもは、成人後に高校卒業率が高く、犯罪率が低く、生活保護率が低く、年収が高かった。

つまり、子どもの期間、特に就学前に適切な環境と関わりを持つことは、子どもたちの非認知能力の育成、ひいてはその後の人生にも決定的に重要な意味を持つということだ。 

非認知能力は子供をとりまく環境の産物である。

子供たちのやり抜く力やレジリエンスや自制心を高めたいと思うなら、最初に働きかけるべき場所は、子供自身ではない。

環境なのである。

研究者らの結論によれば、環境による影響のなかで子供の発達を最も左右するのは、ストレスなのだという。

子供たちは、いくつかの環境要因によって、長期にわたり不健全な圧迫を受けつづけることがある。

こうしたストレス要因が子供の心と体の健全な発達を阻害する度合いは、従来の一般的な認識よりもはるかに大きい。

いちばんの問題となる環境要因は、居住する建物ではなく、子供たちが経験する人間関係なのだ。

つまり、周りの大人が、とくに子供たちがストレスを受けているときにどう対応するかである。

子供が感情面、精神面、認知面で発達するための最初にしてきわめて重要な環境は、家である。

もっとはっきりいえば、家族だ。

ごく幼いころから、子供は親の反応によって世界を理解しようとする。

研究によれば、とくに子供が動揺しているときに、親が厳しい反応を示したり予測のつかない行動を取ったりすると、のちのち子供は強い感情をうまく処理することや、緊張度の高い状況に効果的に対応することができなくなる。

反対に、子供が瞬間的なストレスに対処するのを助け、怯えたり癇癪を起こしたりしたあとにおちつきを取り戻すのを手伝うことのできる親は、その後の子供のストレス対処能力に大いにプラスの影響を与える。

非認知能力が低いのは、就学前の家庭環境にあるということが、この問題を深刻化している。

基本的に家庭の問題には行政側も中々立ち入れないからだ。

逆境にある子供たちを手助けして困難な環境を乗りこえさせるのはむずかしい。

たいていはひどく骨の折れる仕事を伴う。

しかしそれが個々の子供や家族の暮らしのなかだけでなく、私たちのコミュニティ、ひいては国全体に莫大な変化を生むことは、研究結果から明らかだ。

研究者たちがしてきたように、もっとうまくできるはずだと、まずはしっかり認識すること。

それが最初のステップだといえるのではないだろうか。

2019年10月20日 (日)

劣化するオッサン社会の処方箋/山口周

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 劣化したオッサンは、なにも一朝一夕にできあがるわけではありません。ワクワクする仕事を追求することもなく、システムから与えられる理不尽さに対して何年、何十年ものあいだ妥協に妥協を重ねてきた結果として、生み出されているのが劣化したオッサンなのです。


本書で用いる「オッサン」という用語は、単に年代と性別という人口動態的な要素で規定される人々の一群ではなく、ある種の行動様式・思考様式を持った「特定の人物像」として定義される。

その思考様式・行動様式とは

1:古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する

2:過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない

3:階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽く見る

4:よそ者や異質なものに不寛容で、排他的

というもの。

本来、社会常識やマナーの模範となるべき中高年が、些細なことで激昂して暴れているわけで、まったくこの世代の人たちの人間的成熟はどうなっているのだろうかと考えさせられる。

「劣化したオッサン」が生まれるのには時代的な背景がある。

昭和の高度経済成長を支えた一流のリーダーたちは、二十代・三十代を戦後の復興と高度経済成長のなかで過ごした。

だから、社会の模範となり得る人材を多く輩出した。

対して、現在の「劣化したオッサン」たちは、同じ年代をバブル景気の社会システム幻想の中で過ごした。

つまり「会社や社会が示すシステムに乗っかってさえいれば、豊かで幸福な人生が送れる」という幻想のなかで過ごしてきた。

これは人格形成に決定的な影響を与えたと思われる。

現在の五十代・六十代の「オッサン」たちは、「大きなモノガタリ」の喪失以前に社会適応してしまった「最後の世代」だというのである。

そう考えると「劣化したオッサン」もまた「時代の子」なのかもしれない。

2019年10月19日 (土)

幸福について/ショーペンハウアー

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 その人がどんなものを所有しようとも、他人の目にどう映ろうとも、そうしたすべてよりも、あきらかに彼にとってはるかに重要なのは、「彼自身にとって彼は何者なのか」ということだ。それこそ、孤独のなかで彼に寄り添い、何人たりとも、与えることも奪うこともできないものである。

ショーペンハウアーは本書で、幸福について述べている。

彼は、私たちの目に映るこの世界は、私たち各人の主観の世界なのだから、各人の脳裏に描かれたその世界はそれぞれ異なるものであると説く。

現実世界のいかなる出来事も、すなわち、人間の心を占めるいかなる現在も、主観と客観という二つの側面から成り立っている。

主観と客観は緊密に結びついているとはいえ、客観的半面がまったく同じでも、主観的半面が異なっていれば、世界はまったく別様なものになる。

客観的半面がどんなに美しく良いものであっても、主観的半面が鈍くて不出来なら、劣悪な現実と現在しか存在しない。

ひとりひとりが生きる世界は、何よりもまず、その人が世界をどう把握しているかに左右される。

世界は、いまこの世界を前にした自分の表象なのだから、自分自身の意識が変われば、見えてくる世界も変わってくる。

彼は、人生の財宝を三つに分けている。

第一の財宝、「その人は何者であるか」ということ。

すなわち、最も広義における人品、人柄、個性、人間性こそが幸福の鍵を握ると明言する。

この第一の財宝には健康、力、美、気質、徳性、知性、そして、それらを磨くことがふくまれる。

第二の財宝は「その人は何を持っているか」ということ。

あらゆる意味における所有物や財産がここにふくまれる。

第三の財宝は「その人はいかなるイメージ、表象・印象を与えるか」ということ。

しかし「その人は他者の表象・印象において何者なのか、すなわち、そもそも他人の目にどのように映るか」というのは、実質的にはその人に対する他者の評価にすぎない。

ショーペンハウアーは、いかに世間の人がこの第三の財宝を重視しすぎているかを指摘し、名誉も地位も名声も、所詮、幻想にすぎないと強調する。

第一の財宝にくらべて、第二・第三の財宝など人生の幸福にとっていかほどのものでもない。

「何者であるか」ということのほうが、「何を持っているか」よりも、はるかに私たちの幸福に確実に寄与する。

その人自身に常にそなわっているもの、つまり「何者であるか」こそ、人生の幸福にとって最も本質的なものだと。

「自分は何者なのか」改めて考えさせられた。

2019年10月18日 (金)

心屋流 ちょっと変わった夢の叶え方/心屋仁之助

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 「幸せ」は、時と場所と条件を選ばない。自分さえ幸せと感じていれば、どんな環境でも、関係ない。大事なのは「いつ」でもない「どこ」でもない、いつでも、どこでも、「幸せ」と感じられる自分であるか、なのです。

夢を叶えるにはどうすればよいのか?

夢を叶えるには、あきらめないで努力しつづけること、というのが世間の相場だ。

しかし著者は、努力することよりも「好きなことをする」「損得考えずに、好き嫌いで選んでいく」ことだという。

夢は叶えるものではなく、叶えて「もらう」もの。

「自力」ではなく「他力」の力が動いたとき、夢は叶うのだ、と。

自力でがんばって生きている人は、顔が怖い。

周りにも自分にも厳しくて、怒っている。

周りをバカにしていたりする。

でも、他力に乗って幸せに生きている人は、いつも笑顔で穏やか。

いつも周りに助けられ、感謝して、感謝されながら生きている。

大事なことは、「夢なんて叶えなくても、私はすでに多くを手にしているし、すでに愛されているし、すでに認められているし、すでに尊敬されている。」

つまり、「すでに私は幸せで、安心なんだ」

という感覚を持つこと。

「幸せ」とはきわめて主観的な感覚。

自分が幸せだと思っていれば、何もモノがなくても幸せだと感じる。

まだ見ぬ未来に幸せを追い求めず、「今、このとき」を「この条件・状態のまま」幸せと言えると、不思議なことが起こる。

その瞬間に、過去も未来も幸せになる。

幸せとは在り方の問題。

そしてそのような感覚を持っていると夢の方から近づいてくる。

これが「引き寄せの法則」といわれるもの。

同様なことを著者も言っている。

「私は夢が叶うような人間だ」と思っていれば、夢は勝手に叶っていく。

本当にその通りだと思う。

2019年10月17日 (木)

目標達成の神業/馬場啓介

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 コーチングとは100%、相手のためにする会話〟であり、〝答えはすべて相手の中にあることを大前提とした専門技術〟だ。

本書は、ひとりの青年と女性が世界一のコーチに出会い、プロコーチを目指す物語。

シンプルなストーリーの中に、コーチングの真髄に触れる数々の要素が盛り込まれている。

特に、物語に登場する世界一のコーチと呼ばれる人物の語る言葉、一つひとつは、「コーチングとは何か?」という問いに対する答えとなっている。

「詰めの甘さはビジネスでは命とりとなる!自分の常識という偏見で物事を考えて判断していたらコーチングなどできんぞ」

「人の脳は、受けとる準備ができている情報しか思いだせないようになっている。脳には、不要な情報は記憶しないようなフィルター機能があるんだ」

「コーチという仕事はな、クライアントの可能性をクライアント以上に信じ続けることができるかが何より大切だ。ただ、これは、とても難しい。なぜなら、まずコーチ自身が、自分の無限の可能性を信じることができていないと、できないことだからな」

「安易な優しさでクライアントに関わり、下手に共感したり、褒めてばかりいると、クライアントの能力も可能性も引きだすことはできない」

「コーチングとは、クライアントの目標達成を、アドバイスすることなく、より早く、より確実に、双方向の会話をすることでサポートするコミュニケーションの技術だ」

「ルールはひとつだけ!〝アドバイスをしない〟。だから、言い方によっては、アドバイスさえしなければ何をしてもいいわけだ」

「結局、結果が出せるコーチとそうでないコーチの差は、その状態の差だ」

「実はコーチは目標を達成することには責任は持てないんだ」

「それはね、クライアントが目標を達成するために決めた行動を、本人がやりきるまで、クライアントをクライアント以上に信じぬき、やれるまでサポートし続けることだ。無論、やめてしまったらそれまでだがな」

「わしが思うコーチがセッションで一番大切にすべきことは、〝クライアントが自分の力で目標を達成した!という達成感を味わえるようにすること〟だ」

「コーチという職業はだね、ある意味、『あなたのおかげで……』と感謝されているようでは、二流と言える」

「これだけはしっかり肝に銘じておきなさい。コーチはクライアントの信頼を得ることが何より重要だが、〝依存されたらおしまい〟だ」

「コーチに問われる会話力は、質問力やフィードバック力よりも、〝引きだす語り力〟」

「コーチが知りたいクライアントの〝コア・ドライブ〟とは、目標に向かい〝クライアントを、もっとも強く突き動かす信念〟だ」

「君たちはコーチといえば質問力であり、最強の武器は質問だと思っていたろうがそれは違う。コーチが持つ最強の武器は〝フィードバック〟なんだよ」

「フィードバックの知られざる秘訣は、〝もうひとりの自分に言われた感覚で伝える〟だ」

「コンサルタントは問題にフォーカスするが、コーチは常に〝人〟にフォーカスすることが大切だ。その者の〝コア・ドライブ〟と、その者の〝大切な人との人間関係〟を軸にコーチングすればいい。」

これらはすべてコーチングの神髄に触れた言葉だ。

これらの言葉を通して、コーチングについて考えを深めていくとよいのではないだろうか。

2019年10月16日 (水)

貞観政要/守屋洋

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「言語は君子の枢機なり。談、なんぞ容易ならん。およそ衆庶に在りても、一言、善からざれば、すなわち人これを記し、その恥累を成す。況やこれ万乗の主をや。言を出だすに乖失するところあるべからず。その虧損するところ、至大なり。あに匹夫に同じからんや。われ常にこれをもって戒めとなす。」

「言語は君子にとってこの上なく重要なものである。人と語るということは、はなはだむずかしい。一般の庶民のあいだでも、人と話すとき、一言でも相手の気にさわるようなことを口にすれば、相手はそれをおぼえていて、いつか必ずその仕返しをするものだ。いわんや、万乗の君主たる者、臣下に語るとき、わずかな失言もあってはならない。たとい些細な失言でも、影響するところは大であって、庶民の失言とは同列に論じられない。わたしは、このことを常に肝に銘じている。」


『貞観政要』は、名君の誉れ高い唐の太宗とそれを補佐した名臣たちとの政治問答集である。

太宗の没後四、五十年たったころ、呉兢という中国の史家によって編纂された。

以来、本家の中国はむろんのこと、この日本においても、帝王学の教科書として長く愛読され続けてきた。

当然、原語を読んでもわからないので、著者の訳に頼らねばならないのだが、それを読んでみても、今の指導者にも当てはまる。

上記抜き書きでは指導者は言葉を大切にすべきだと言っているが、これなど失言を繰り返す今の政治家に読ませてあげたい。

『貞観政要』に則して、著者はその内容を次のようにまとめている。

第1に、安きに居りて危うきを思う今が平穏だからといって、明日どうなるかわからないのが世の常のこと。

だから、平穏なときほど、いっそう緊張感を高めて仕事に取り組み、来たるべき危機の時代に備えなければならない。

第2に、率先垂範、わが身を正す『論語』に、「その身正しければ、令せずして行なわる」という有名なことばがある。

上に立つ者が十分な説得力を発揮するためには、まずみずからの身を正して手本を示さなければならない。

そうあってこそ組織をまとめていくことができる。

第3に、部下の諫言に耳を傾ける人間は誰でも過ちを犯す。

君主といえども例外ではない。

それを指摘してくれる者がいれば、過ちを最小限度に食い止めることができる。

みずからの暴走に歯止めをかけるためにも、諫言の道を広く開けておかなければならない。

第4に、自己コントロールに徹する権力の座にあるからといって、わがまま勝手な振る舞いは許されない。

自分の感情や欲望をどう抑えていくか。趣味や道楽などの楽しみごとも、おのずから限度をわきまえてかかりたい。

第5に、態度は謙虚、発言は慎重に上に立つ者が謙虚であってこそ周りの支持を集めることができる。

発言については、「綸言、汗の如し」ということばもある。

地位に伴う責任の重さを自覚できれば、軽率な発言は許されないのである。

指導者としての在り方が明確に述べられていると思う。

2019年10月15日 (火)

職場の「苦手な人」を最強の味方に変える方法/片桐あい

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 相手の性格のタイプを知り、それに適した問題解決の手法を順を追って実施することで、上司・部下といった相手との関係性や、そのときどきの感情に振りまわされることなく、自分がやるべき仕事に集中できるようになっていきます。

組織のなかで仕事をしていて悩ませるのが、職場の人間関係の問題だ。

「機嫌の悪い上司」にビクビクする。

「理屈っぽい同僚」にヒヤヒヤする。

「指示に従わない部下」にイライラする。

こうした困った人たちが混在するのが職場である。

こうした「困った人」に振りまわされて、仕事が思うように進まないことが多くあるのではないだろうか。

これらは仕事の生産性やモチベーションを下げ、成果にもマイナスの影響をもたらす。

さらに、このことは、組織全体の業績に多大なる損害を与える。

つまり職場の問題の大半はこれら人間関係に類する問題なのだ。

そして、こうした職場の人間関係を改善するための書籍は書店にあふれている。

ただ、そうした本のほとんどは、「心の問題」に焦点が当てられている。

その問題から「逃げる」「離れる」「自信をつける」といった心理学的な対処法になっている。

もちろん、そのような方法で関係が改善する人もいるかもしれない。

仕事をするうえで、自分の心が軽くなったり、苦手な人が気にならなくなったりすることはとても大切なこと。

しかし、それでは問題の根本的な解決にはならない。

なぜなら、そこに上司や部下という相手がいるからだ。

彼らとの人間関係が改善されないかぎり、根本問題は解決しない。

本書は、職場の人間関係の悩みが消えて、さらに苦手だった相手と一緒に仕事で成果を出すところまでを目的にしている。

そのための方法論として、人間の性格のタイプ分けにより相手を分析する「エニアグラム」という性格類型の理論を紹介している。

エニアグラムは私自身活用しているのだが、タイプ別に対応方法を変えることにより、多くの人間関係の問題が解決することを実感している。

この取り組み、さらに深化させたいと思っている。

2019年10月14日 (月)

山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた/山中伸弥

Photo_20191012061501 iPS細胞から作った心筋細胞がドクッ、ドクッと波打つ様子をはじめて見たときの衝撃がぼくの脳裏に焼き付いています。もとは皮膚の細胞だったのに、心臓のように拍動していたのです。iPS細胞から作られたさまざまな種類の細胞を見ると、いまでも不思議な気持ちになります。

本書はiPS細胞でノーベル賞を受賞した山中氏の自伝とインタビューが掲載されたもの。

医学部生は卒業時、基礎医学に進むのか、臨床医になるのか、臨床医ならどの診療科に進むのか決めなければならない。

山中氏は結局、整形外科の臨床医になる道を選んだ。

そのときは、まさか自分が基礎医学の研究をすることになるとは夢にも思わなかったという。

ところが、その時の指導医の先生は、それまでの人生で出会ったどんな人ともくらべられないほど恐ろしかった。

まさに鬼軍曹。

その指導医に、研修期間の二年間ずっと「ジャマナカ」と呼ばれていたのだという。

整形外科の主な仕事は、手術をすること。

山中氏も研修で手術を任せられたことがある。

うまい人なら20分で終わるところ、2時間かかった。

整形外科の臨床医を目指す者にとって手術を満足にこなせないというのは、大きな弱点。

無力感にさいなまれる。

次第に自分は整形外科医に向いていないんじゃないか、一人前の臨床医になれないんじゃないかと悩むようになる。

しかし、ここで壁にぶつかったことが、研究者という新しい道につながった。

振り返ってみれば、この時の挫折がiPS細胞発見につながったのだから、面白い。

山中氏の好きな言葉の一つに「人間万事塞翁が馬」があるという。

まさにその通りの人生。

あきらめなければ道は開けるということではないだろうか。

2019年10月13日 (日)

ロウソクの科学/ファラデー

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 この宇宙をまんべんなく支配するもろもろの法則のうちで、ロウソクが見せてくれる現象にかかわりをもたないものは一つもないといってよいくらいです。自然科学の勉強の入口として、一本のロウソクの物質的現象を考えることほど、打ってつけな、そしてはいりやすいものは、皆さんにとってありようがないと思います。

ノーベル化学賞が決まった吉野彰氏が化学への興味を持つ原点として紹介した本である。

さっそく読んでみた。

ファラデーは、1本のロウソクを用いて科学と自然、人間との深い交わりを伝えようとする。

講演の中で行われる実験の数々は、科学の面白さを余すところなく伝える。

科学に対するあこがれ、探求するあこがれをかき立ててくれる本である。

著者は本書の中で

『何か一つの結果を見たとき、ことにそれがこれまでとちがうものであったとき、皆さんは、「何が原因だろうか。何でそんなことがおこるのだろうか」と、疑問をもつことを、いつでもお忘れないことを希望いたします。』

と述べている。

多くの人が見逃してしまう現象に対して「なぜ」「なぜ」と問い続けること。

科学者の原点がこんなところにあると言っているようだ。

そして、科学者でなくても「なぜ」と問い続けることは必要なことなのではないだろうか。

2019年10月12日 (土)

暴走するネット広告/NHK取材班

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 取材班が目の当たりにしたのは、ネット広告の急速な拡大を支える「アドテクノロジー」と呼ばれる技術の進化の裏で行われていた「儲かるならば何をやってもいい」とも言えるようなモラルを踏み外した不正、「利益が上がっているから」と不正を見て見ぬ振りをする関係者たちの無責任な態度の広がり、そして制御不可能なほど複雑に絡み合ったネット広告の流通システムだった。


本書を読んでみて、まさにネット広告の暴走が始まっているという印象を持った。

現在、主流となっている「運用型」広告を支えているのが「アドネットワーク」と呼ばれる仕組みだ。

ネット上に数多存在する広告枠を持つウェブサイトを束ねたネットワークを指す。

このネットワークを使うことで、配信事業者は、広告主から依頼された広告を多くのメディアに一括して配信・掲載することができる。

多くの配信事業者のアドネットワーク同士がつながることで、それぞれの配信事業者の間で配信先を融通し合うことができ、広告主にとってもより多くのサイトに広告が掲載されるチャンスが増えることになる。

そして、このアドネットワーク内の取引では、「広告主が出したい広告」と「掲載可能な広告の枠」がコンピューター上で自動的にマッチングされる仕組みになっている。

言ってみれば、究極の「自動入札システム」が成り立っているのだ。

ネット広告は、このアドネットワークのシステムを活用した「運用型」が圧倒的に多く、国内ではネット広告全体のおよそ8割を占めているという。

そして、ここにネット広告の暴走が起こる余地が生まれている。

広告主や配信事業者が、広告の配信・掲載先のウェブサイトの質を管理しきれないという事態が発生してしまう。

広告主のチェックの目が行き届かないことが、ネット広告の暴走を許す一因となっているのだ。

ネットメディアの多くは、ページ内に掲載されているネット広告から収益を上げる構造になっている。

アクセス数が多くなるほど、入ってくる広告料も増えるので、運営者はアクセスを集めるため、より多くの人の関心を集めるテーマ・内容の記事を書く。

ところが、粗悪なネットメディアやまとめサイトは、十分なチェック機能を備えておらず、真偽不明、もしくは誤った情報が掲載されることもある。

そして、悪意のあるフェイクニュースが掲載されることもある。

その結果、個人が誹謗中傷される人権侵害やネットリンチのような状況も起きている。

「見られたら儲かる」というネット広告の、いわば当たり前の仕組み自体を問い直す時期に来ているのかもしれない。

2019年10月11日 (金)

退屈すれば脳はひらめく/マヌーシュ・ゾモロディ

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 人は何もしないでぼーっとしているとき、ユニークなアイディアや問題を解決する方法を思いつきます。創造性の定義にはいろいろあるけど、脳内でまったく新しい結びつきが生まれることだとすれば、それにはちょっとした助けが必要で、あなたが退屈することこそが絶好のきっかけになるんです。未来学者のリタ・キングはこれを「創造のための退屈」と名づけています。

多くの学者や哲学者が「退屈」の効果について述べている。

ニューヨーク大学の認知神経科学教授ジョナサン・スモールウッド博士はこう言っている。

「独創性や創造力と、ぼーっとしているときにふと浮かぶ発想は、ひじょうに深いところで密接につながっている」。

つまり、ひらめくためには意識的に退屈する必要があるということである。

ドイツの哲学者ショーペンハウアーは、こうした「退屈」を「特定の対象をもたない無気力な憧れ」と表現した。

デンマークの哲学者キェルケゴールは、「退屈」より「何もしない状態」という表現を好んだが、彼はそれを存在の中心的状態と位置づけ、「それが欠けている者は人間のレベルに到達していない」と考えていた。

退屈して想像力の火花が散るとき、脳内ではどんなことが起こっているのか?

私たちは退屈すると、身近なところにはない刺激を探しはじめる。

つまり、心をさまよわせることで、そういう刺激を見つけようとしているのかもしれない。

それが独創性を刺激することがある。

人はぼんやりしはじめて心が解放されると、意識的な思考を超え、潜在意識にもぐりこんで考えはじめるもの。

退屈はマインドワンダリングへの入口。

そのおかげで、脳のシナプスとシナプスがつながりだし、夕食の献立や地球温暖化への革新的な対策、その他あらゆる難問を解決できるようになる。

マインドワンダリングというのは、私たちが退屈なことをしているときや何もしていないときに脳が行う活動のこと。

研究が始まったのはごく最近。

ぼんやりすることについての神経科学の研究は、ほとんどがここ10年くらいのもの。

脳画像技術の進歩によって、人が何らかの活動に積極的に関わっているときだけでなく、ぼんやりしているときの脳の状態についても、日々新たなことがわかっている。

創造のためには「退屈」が必要なのである。

ところが、スマホは「退屈」を奪ってしまう。

著者が指摘するスマホの問題点というのはどんなものか、

第1に、人と人のつながりが希薄になる

スマホが見えるとろにあるだけで、目の前にいる相手に共感しにくくなる。

第2に、注意力の低下

人の注意力には限りがあるので、ネット上のくだらない情報をむさぼっていたらそれを使い果たしてしまう。

第3に、記憶力の低下

スマホで写真ばかり撮っていると、脳は記憶することを怠けてしまう。

第4に、文章の読み方そのものが変わる

リンクやスクロールに慣れると、長い文章や難しい文章をじっくり考えながら読み通す力が衰える。

第5に、テクノロジー産業の食いものにされる

よほど気をつけていないと、ユーザーの時間をできる限り奪おうとする優秀な頭脳集団の思うつぼになる。

そして一日のすきま時間をすべて奪われ、退屈する時間がなくなり、独創性もなくなる。

と、このようなもの。

私たちは、スマホを使うことによって無意識のうちに、本来持っている創造性を失っているのかもしれない。

2019年10月10日 (木)

デイヴィドソン 「言語」なんて存在するのだろうか/森本浩一

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 日常的に母語で話したり書いたりしているとき、われわれは語や文の意味が当然わかっています。しかしその「意味」とは何かと聞かれても、なかなかうまく答えられません。言語哲学は、まさにこの意味とは何かという問いの探求を自らの課題としています。

私たちは言語を使うことで、何かを考えたり、考えを他者に伝達したりする。

この出来事をどう説明するかが言語を扱う哲学のテーマであり、その中心には「意味」がある。

言語を通じてなぜ人間は世界を理解したり、他者とある事柄で合意することができるのか。

これは真面目に考えると、単純なようで難解だ。

多くの哲学者や言語学者がこの問題を議論してきた。

そして、彼らは言語にはコミュニケーションを成り立たせる普遍的な共通の構造があるはずだと考えた。

しかし、デイヴィドソンは

「学習されたり、あるいは生まれつき持っていたりするものは何もない。言語使用者が習得し、現場で適用している明示的に定義された『共有の構造』という観念は諦めなければならない」

と言う。

衝撃的な言葉ある。

相互理解の共通の基盤がなければいったいどうすればコミュニケーションが成り立つというのだろうか。

独りごとがコミュニケーションではないように、コミュニケーションとは、自分とは異なる他者への意思伝達が成功したときにはじめて成立するもの。

言語の意味とは、輪郭のはっきりしたイメージや性質のリストのようなものではなく、心的には漠然としたもの。

心に描かれるものは、それが心的な現実である限りにおいて、人によって異なる。

ある個人が見ている一個のリンゴの「赤さ」の色感と「同じもの」を、他者が感覚することはできない。

要は、言語による伝達には限界があるということ。

ただ、哲学者の言葉はなんとも理解しづらいというのが実感である。

2019年10月 9日 (水)

職場の「パワハラ」「モラハラ」の悩みを解決しあなたらしい人生を取り戻す方法/原田彗資

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 パワハラの被害は、当事者の判断力を失わせ、当たり前のことができなくなったり、心身ともに疲弊してしまうような恐ろしいものです。しかし、正しい知識と対策、そしてほんの少しの勇気さえあれば、恐れるものではありません。

来年4月からいわゆる「パワハラ法」が施行される。

だが、法律ができてもパワハラがなくなるわけではない。

パワハラ問題の多くは上司の側にある。

パワハラ上司の攻撃の仕方には、2つの段階がある。

「相手を支配下に置く段階」と「精神的な暴力を振るう段階」だ。

「相手を支配下に置く段階」というのは、攻撃をしないということではない。

支配下に置くために、中傷や悪口、悪意のあるほのめかしを行っていく。

そして、いったん相手が支配下に入ると今度は、「精神的な暴力を振るう段階」に入る。

罵声、人格否定などの言葉の暴力に移行していくのは、この段階だ。

では、パワハラ上司はどのような特徴があるのだろうか。

第1に、「自分が正しい、正義である」という感覚。

パワハラ上司はどんなことに対しても自分が正しい、正義であるという確信を持っている。

第2に「自分は特別な存在だ」という感覚。

パワハラ上司は、自分のことを特別な存在だと思っている。

そのため相手に対して興味が持てず、「他人がなぜそのように考えるのか」といった感情を理解することができない。

第3に、「他人から褒めてもらうことに執着」する。

パワハラ上司は他人から褒めてもらうことに執着している。

ゆえに、他人に褒めてもらうには、いつでも自分を褒めさせるように他人との関係性をつなぎとめておく必要がある。

それがパワハラになってゆく。

パワハラ上司が部下を否定する方法は様々だ。

大げさにため息をつくという間接的なことから、冗談交じりの悪意のこもった直接的なものまである。

最初のうちは、間接的な攻撃だが、だんだんと直接的になる。

パワハラ行為は最初、些細なことから始まり、相手が抵抗すると激しさを増していく。

なぜ、パワハラ上司はこのようなことをするのか。

部下を教育するためなのか。

会社の売上を伸ばすためなのか。

答えは、自分が偉いと感じるため。

パワハラ上司は自分のことにしか興味がない人間だ。

では、パワハラ上司の下で働く部下はどうすればいいのか?

大企業であれば最近は相談窓口があるので、まずはそこで相談すること。

では、そのようなものもない中小企業ではどうするのか。

労働局の労働相談コーナーに行くのか?

それは最後の手段。

それよりも前にすべきことがある。

それは自分自身が自信をつけること。

人生には様々な「出来事」が起こりる。

そして、その出来事に対してどのように「捉えるか」によって、最終的な「結果」というものが変わってくる。

人生で起こる出来事を予め防ぐことはできないが、起きてしまった出来事をどう捉えるかは自分次第。

会社でパワハラにあったことをどのように自分自身が捉え、どのように対応していくかが鍵となる。

その鍵となるのが「前向きである」ということ。

仕事で自信をつけるためには「セルフイメージ」「長期的視点」「本当にやりたいことをする」という3つのことが大切。

この3つの項目に共通することは、全て自分次第ということ。

自信をつけるためには、ある方程式がある。

それは、「自信」=「セルフイメージ」×「成功した回数」。

つまり、自信をつけるためには、イメージと量が大切だということ。

自信がある人はどうして自信を持っているのか。

それは、「できる」という成功体験を数多く踏んでいるからに他ならない。

では、その成功体験はどうやって養っていくのか。

それは「行動する」以外に方法はないといって良い。

自信というものは、トレーニングをすることでつけることができる。

もちろん、失ってしまった自信も取り戻すことができる。

まず行動することによって、小さな成功体験を積み重ねていくこと。

これが自信につながる。

自分を守るためにも、このことは大切なことなのではないだろうか。

2019年10月 8日 (火)

会話は、とぎれていい/加藤綾子

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「経験が浅いころよりも、長く続けてきた今のほうが、本番前に緊張するんだよね」これは芸歴40年を超えるタモリさんがおっしゃった言葉です。

本書は人気女子アナである著者の会話論である。

ただし、著者の持論を述べるのではなく、むしろ多くの会話の達人である有名人から学んだことを述べたもの。

だから、文章の終わり方はほとんど「~だ」という断言調でなく「~だと思います」という形になっている。

『人から好かれるにはどうしたら良いでしょうか。その方法を一言で言うなら、「人を好きになる」ことだと思います。』

『言ってもらえてうれしかったことや、してもらえてうれしかったことを、他の人にする。そのことを繰り返していけば、人は魅力を重ねていけるのだと思います。』

『テレビを見て笑いながらも、「自分だったらこう言う」と考えることは、会話のセンスを身につける格好の訓練になると思います。』

と、「~だと思います」で終わっている。

華やかな女子アナには珍しく、あまり自分を前面に出さない。

持論を述べることもほとんどない。

むしろこのことが好感度を高める秘訣となっているのではないだろうか。

2019年10月 7日 (月)

会社にお金を残す経営の話/椢原浩一

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「経営者にとって最も大事なことは、売上でも利益でもない。お金だ。今、会社にいくらお金があり、それが来月の今、2カ月後の今、どうなっているかを予測することだ。そのうえで、お金がどうすれば増えるのか考えてみればいい」


本書は、本当にあった黒字化再建の実話をドラマ化したもの。

スタート時には形だけの利益。

しかも、主人公の遼は元料理人。

経営は全くの素人。

しかし、コンサルタントの指導を受けながら、4年後には余剰金が1億、

9年後には2億超にする。

どのようにして、最悪の状態からこのような状況にまでなったのか。

それは、

「限界利益だけをみる」

「売上を伸ばしても利益は増えない」

「節税をしても会社にはお金が残らない。納税をすればお金が残る」

という、たったこの三つの考え方を、主人公の遼は信じて会社の経営を行ったから。

例えば、限界利益についていえば、

会社の利益は、限界利益と固定費との関係で決まる。

売上を伸ばそうと考えるのではなく、限界利益を増やそうとすることだけに注力すれば必ず利益は増える。

余計なことは考えないことだ。

利益はお金の残高とは一致しないが、利益が増えれば手許に残るお金は増える。

この限界利益を増やすには、変動費単価、数量、受注単価のそれぞれの数値について、何度も試算してそれぞれの目標値をはじき出すこと。

同時に、実際の取り組み策も考えながら、さらにその取り組み策が実行可能かどうかも検討すること。

そうして、決定された取り組み策を社員と共有し行動に移す。

それによってお金が会社に残るようになる。

確かに、経営者にとって最も大事なことは、売上でも利益でもなくお金だ。

黒字でも倒産する会社があるのだから。

2019年10月 6日 (日)

仕事が早く終わる人、いつまでも終わらない人の習慣/吉田幸弘

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 仕事が早く終わる最強のコツをご紹介します。それは、「仕事が早く終わるようになったらやりたいこと」を明確にすることです。

「毎日、仕事に追われてばかりでキツイ」などと悩んでいる人に数多くいる。

そんな人たちには、主に次のような特徴がある。

・断ることが苦手で、どんなに忙しくても仕事を請けている

・周囲の人のことを考えてていねいに仕事をしている

・相手のために無理な納期でも対応する

・資料を案件ごとに、こと細かに作成している

・責任感が強く、他の人に仕事を振らず、自分で抱え込みすぎてしまっている

大事なことは全部の仕事を完璧にする必要はないということ。

80対20の法則というのがある。

重要は仕事はせいぜい全体の20%ぐらいのもの。

だから、本当に重要な20%に力を入れて、重要性の低い80%はできるだけ適当にするべきなのだ。

でも結局は仕事を終わらせる一番の秘訣は、「どうしても仕事を早く終わらせたい」と強く思うこと。

つまり動機の部分。

それさえあれば、方法は後から出てくるのではないだろうか。

2019年10月 5日 (土)

奇跡を呼ぶ!無敵のスポーツメンタル/加藤史子

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 現実は、二度つくられます。最初は、頭の中でつくられるのです。次に実際に現実としてつくられるのです。

今、世界ラグビーや世界陸上が行われている。

その中でメンタルの問題が取り上げられることがよくある。

メンタルがスポーツの勝敗を決めることは多い。

何を信じているのかというビリーフがすべてを決めているといって良い。

なりたい自分になるためには、何を信じることが必要なのかと考えを変えることだ。

プラスに作用するビリーフには、「やればできる」「可能性は充分ある」「人は成長するもの」「~しても大丈夫」などがある。

マイナスに作用するビリーフには「何をやってもダメ」「可能性はない」「また失敗するかも」というものがある。

ところが多くの場合、自分がどのようなビリーフを持っているか、気づいていない。

自分でさえ気づいていないビリーフがすべてを決めているのである。

メンタルブロックという言葉がある。

制限をつくっているのは自分自身の認識だということである。

そして、そのメンタルブロックが現実の限界を作る。

だから、自分が持っている制限つまりメンタルブロックを変えると現実も変わりだすのである。

「私はできる」と思えるかどうかの違いが、到達するところの違いを生み出す。

自分をどのような人間だと思い込んでいるのかというラベルを貼りかえて、最強のラベルにつけ変えるだけで、現実も大きく変わりだす。

私はどんなビリーフをもっているのだろう?

それをまず知ることだと思う。

2019年10月 4日 (金)

働き方の損益分岐点/木暮太一

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 企業が利益を増やす方法は、「売上を増やす」か「費用を減らす」かのどちらかです。それと同じように、個人が「自己内利益」を増やす方法は、「満足感(売上)を増やす」か「必要経費(費用)を減らす」かのどちらかしかありません。

現在、働き方改革が叫ばれている。

しかし、多くは単に残業時間の削減であったりである。

中には、残業時間が減ることによって、収入が減ったというサラリーマンもいる。

働き方を変えるということは、働く時間の問題だけではない。

どうやったら利益を増やすことができるか、ということである。

個人においても「利益が大事」であり、そのためには「売上を増やす」か「費用を減らす」しか手がない。

高い年収や昇進を求めて仕事をしても、最終的にこの「自己内利益」がプラスにならなければ、意味がない。

個人が目指すべきは、この「自己内利益」を増やしていく働き方だ。

「100万円が欲しいですか?」と聞かれたら、ほとんどの人が「YES」と答えるだろう。

しかし、「100万円をあげるから、その代わりに1年間、奴隷になってください」と言われたら、どうだろう?

当然、答えは「NO」だ。

では、どうすれば社会のなかでちゃんと働きながら、「自己内利益」を高めていけるのか?

それには2つの方法がある。

一つは、満足感を変えずに、必要経費を下げる方法。

もう一つは、必要経費を変えずに、満足感を上げる方法、である。

もし自分だけが世間相場よりも必要経費を下げることができれば、その分、「自己内利益」を増やすことができるの。

ただ、働くうえでのこの必要経費というのは、単なるお金の話とは限らない。

働く時間でもない。

重要なのは「精神的コスト」、つまり「ストレス」

そんなに短い時間であっても、ストレスの強い働き方は、高い必要経費を払っているのと同じ。

逆に長い時間働いても、それが楽しい時間であれば、必要経費は低い。

「楽しい仕事」というのは、「興味を持てる仕事」のこと。

そして、「仕事を楽しもう」というのは、「仕事に興味を持とう」ということ。

どんな仕事も、それ自体は楽しくもつまらなくもない。

ただのお金を稼ぐ手段にすぎない。

それを楽しいと感じるか、つまらないと感じるかは、意識や気持ちによる。

「楽しい仕事」の意味を勘違いしてしまうと、いつまで経っても、その「楽しい仕事」に就くことはできない。

「世間相場よりストレスを感じない仕事」を選べるかどうかは、気持ち次第といえる。

これからの時代、わたしたちはコストを下げる働き方を取り入れなければいけない。

要は精神的なコストをできるだけ抑える働き方をしなければいけないということである。

次に、「満足感を上げる方法」についてだが、

それには自分がこれまで築いてきた「土台」を活用して仕事をするということである。

「働き方を変える」とは、これまでとはまったく別の能力を身につけて別の仕事に就くということではない。

何か新しく資格を取る必要はないし、新しい業界に飛び込んで新入社員と机を並べて仕事をするということでもない。

これまで自分が経験し、蓄えた知識とノウハウを他で活用する働き方をするということ。

私たちがこれから身につけなければいけないのは、技術や知識ではない。

それはもう十分持っている。

新しく取り入れるべきは、「編集力」。

編集力とは、自分が持っているものを「相手が欲しいもの」に変える力。

わたしたちはたくさん「素材」を持っている。

それをいかにその場に応じて相手が欲しいものに変えていけるか?

それが問われる時代だということだ。

企業を見る前に、まず自分自身の働き方を見直す必要がある。

「自己内利益」を考える自分の「労働力の価値」を積み上げていく。

精神的な苦痛が小さい仕事や仕事の仕方を選ぶ。

これが、この本書で著者が主張していること。

確かに、現在の働き方改革は、企業側から見た〝働かせ方改革〟になっているかもしれない。

残業を削減しろ、でも成果は維持しろ、だからとにかく生産性を上げろ。

これでは働く人は豊かになれない。

本当の意味での働き方改革とは何なのか?

改めて考えさせられた。

2019年10月 3日 (木)

40代から人として強くなる法/田口佳史

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 40代で、仕事においても、また人間的にも成長が止まってしまう人がいます。それは、なぜか。「柔軟さ」「謙虚さ」を失ってしまうからです。

本書は40代からの生き方のヒントを東洋思想から得ようというもの。

「40にして惑わず」これは『論語』に出てくる名高い言葉。

「惑う」というのは、周囲の状況を客観的に見られない状態を意味する。

そうなると、さまざまな場面で適切な判断ができない。

結果、周囲からも「君のいうこと、なすことは何かピントがズレてるね」などと批判され、だんだん自信がなくなっていってしまう。

逆に「惑うことがない」ということはつまり、それまで自分が培ってきた知識や経験を客観的に見つめ直して分析し、「よし、40代からはこう生きていこう」と思い定めること。

『老子』にこうある。

 「天下の至柔にして、天下の至堅を馳騁す。無有にして無間に入る」
 
 人間関係に引き寄せていえば、ここは、「自分の考え方ややり方を相手に押しつけるのではなく、相手に合わせて柔軟に対応することが大切だよ」と読める。

「水のような生き方こそ最強である」ということである。

川の水は山間を、鉱物や藻などと触れ合いながら、流れている。

「あなたには近づきたくない」などといわず、相手を選ばずに交わり、その中でみんなから少しずつ栄養分を〝いいとこ取り〟している。

だから水は豊かなのだ。

老子は、その水を見習いなさい、という。

そして、「触れ合う人たちは誰もが師だと思って、一つでもいいところを教わるといい。触れ合う人が多ければ多いほど、多くのことが学べる。」

とアドバイスしている。

いうなれば、「触れ合う人はみな、師」。

手本とすべき師もいれば、反面教師とすべき師もいる。

自分の心がけしだいで、触れ合う人は誰もが師になる。

それが「水の精神」であり、また、人として成長し続け、人として強くなるための秘訣でもある。

40代で傲慢にならない。

慢心しない。柔軟かつ謙虚でいる。そのためにも、生命力の源泉としての「水」のすごさ、強さ、すばらしさを認識し、「水」のような生き方をめざす。

人と無駄に争わず、無用な敵をつくらず、出会う人すべてをふところ深く受け入れていく。

40代は、そういう力量と度量を発揮していかなければならない。

なぜなら水には「形」がないのだから。

40代でこんな生き方ができたら、その人生は豊かなものとなるのではないだろうか。

2019年10月 2日 (水)

共感SNS/ゆうこす

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 自分のことって、自分が想像している100倍くらい、実は相手に伝わっていない。このことを理解しておかないと、SNSの世界では戦っていけないと思っています。

著者はSNSの世界でにおいて実際に結果を出し、今も活躍している。

そのの言葉だからこそ、説得力と重みがある。

著者はSNSの世界で戦っていくためには、「理由」と「想い」を他人に語れるくらい明確化しておくことと言っている。

それによって、他の発信者から頭一つ飛び抜けられる。

そしてその「理由」と「想い」は、自分がワクワクすることでなければならない。

そうでなければ、発信しても意味がないし継続できない。

SNSで発信力をつけ、それを仕事にしたいと思ったら、質問に対する簡潔な答えを持つこと。

これがないと、フォロワーはどうやって支持したらいいか、どうやって応援をしたらいいのかわからない。

自分のやりたいことや方向性を語り、思い入れを持ってもらうこと。

そのためにも「理由」と「想い」は大事。

そして何よりも大事なことは継続力。

これが発信者には必要。

発信者は孤独でもある。

不安や悩みを誰に相談したらいいのかわからない。

一人で頑張り続けるのは辛い。

孤独ゆえに、継続できず発信を辞めてしまう人も、多くいる。

だからこそ「理由」と「想い」という動機の部分が大事。

丸く尖る発信をすることで、ファンをつくり、それを仕事につなげる。

そこから、SNSで培ってきた発信力を「売る力」に変える。

SNSを使ってこうしたサイクルを自ら生み出すことが、令和時代の「仕事の創り方」のスタンダードにもなっていくのかもしれない。

2019年10月 1日 (火)

社会心理学講義/小坂井敏晶

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 意志が行動を決めると我々は感じますが、実は因果関係が逆です。外界の力により行動が引き起こされ、その後に、発露した行動に合致する意志が形成される。そのため意志と行動の隔たりに我々は気づかない。つまり人間は合理的動物ではなく、合理化する動物である。

人間は意志に従って行動を選び取るのではない。

逆に、行動に応じた意識が後になって形成される。

意志や意識は行為の出発点ではない。

これは認知科学でよく知られた事実だ。

近代人が信じるような、統一された精神や自己は存在しない。

例えば異性に恋をするという行為。

相手をなぜ好きなのか自問すると、背が高いから、美人だから、優しいから、高収入だから、有名人だから、料理が上手だから……。

こんな理由を思いつくかも知れない。

しかし好きな理由が明確に意識されるようでは、恋愛感情は芽生えない。

容姿が美しいからならば、もっと美しい人が他にいる。

裕福だからならば、もっと金持ちがいる。

有名人は他にもいっぱいいる。

こうして、恋する相手は唯一の存在でなくなってしまう。

恋と呼ばれるのは、そのような打算や具体的理由を超えて、相手自身が好きだという感覚だ。

とにかく好きだという、曖昧なようで同時に揺るぎない確信だけがある。

つまり自分が恋する相手が何者であるかはわからない。

根拠が隠蔽されるおかげで、恋という心理現象が可能になる。

意志が行動を決めると私たちは感じるが、実は因果関係が逆だ。

外界の力により行動が引き起こされ、その後に、発露した行動に合致する意志が形成される。

そのため意志と行動の隔たりに我々は気づかない。

つまり人間は合理的動物ではなく、合理化する動物である。

これは多くの実験が証明する。

その通りだと思う。

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