人はなぜ物語を求めるのか/千野帽子
人間は、時間的前後関係のなかで世界を把握するという点で、「ストーリーの動物」です。
「ストーリー」は人間の認知に組みこまれたひとつのフォーマットである。
人は「世界」や「私」をストーリー形式で認識している。
ニュースを読むアナウンサーの言葉、落語を話す落語家の言葉、新聞記事や小説の字面は、いずれもストーリーを伝えているという意味で、物語である。
世界にたいする「なぜ」という問と、それへの回答とが、ストーリーのストーリーらしい滑らかさを生む。
因果関係が明示されると、なぜ物語として滑らかな感じがするのか。
それは、できごとが「わかる」気がするから。
できごとの因果関係を「わかりたい」のが人間である。
人間とは、世のなかのできごとの原因や他人の言動の理由がわからないと、落ち着かない生きもののようだ。
「説明が正しいかどうか」よりも、また「その問が妥当かどうか」よりも、私たちはともすると、「説明があるかどうか」のほうを重視してしまう。
ストーリーでそこを強引に説明してしまうことがある。
人間は生きていると、ストーリーを合成してしまう。
生きていて、なにかを喜んだり楽しんだり、悲しんだり怒ったり、恨んだり羨んだりするのは、その「物語」による意味づけのなせるわざ。
人間は物語を聞く・読む以上に、ストーリーを自分で不可避的に合成してしまう。
これが本書の主張。
確かにその通りだと思う。
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