退屈すれば脳はひらめく/マヌーシュ・ゾモロディ
人は何もしないでぼーっとしているとき、ユニークなアイディアや問題を解決する方法を思いつきます。創造性の定義にはいろいろあるけど、脳内でまったく新しい結びつきが生まれることだとすれば、それにはちょっとした助けが必要で、あなたが退屈することこそが絶好のきっかけになるんです。未来学者のリタ・キングはこれを「創造のための退屈」と名づけています。
多くの学者や哲学者が「退屈」の効果について述べている。
ニューヨーク大学の認知神経科学教授ジョナサン・スモールウッド博士はこう言っている。
「独創性や創造力と、ぼーっとしているときにふと浮かぶ発想は、ひじょうに深いところで密接につながっている」。
つまり、ひらめくためには意識的に退屈する必要があるということである。
ドイツの哲学者ショーペンハウアーは、こうした「退屈」を「特定の対象をもたない無気力な憧れ」と表現した。
デンマークの哲学者キェルケゴールは、「退屈」より「何もしない状態」という表現を好んだが、彼はそれを存在の中心的状態と位置づけ、「それが欠けている者は人間のレベルに到達していない」と考えていた。
退屈して想像力の火花が散るとき、脳内ではどんなことが起こっているのか?
私たちは退屈すると、身近なところにはない刺激を探しはじめる。
つまり、心をさまよわせることで、そういう刺激を見つけようとしているのかもしれない。
それが独創性を刺激することがある。
人はぼんやりしはじめて心が解放されると、意識的な思考を超え、潜在意識にもぐりこんで考えはじめるもの。
退屈はマインドワンダリングへの入口。
そのおかげで、脳のシナプスとシナプスがつながりだし、夕食の献立や地球温暖化への革新的な対策、その他あらゆる難問を解決できるようになる。
マインドワンダリングというのは、私たちが退屈なことをしているときや何もしていないときに脳が行う活動のこと。
研究が始まったのはごく最近。
ぼんやりすることについての神経科学の研究は、ほとんどがここ10年くらいのもの。
脳画像技術の進歩によって、人が何らかの活動に積極的に関わっているときだけでなく、ぼんやりしているときの脳の状態についても、日々新たなことがわかっている。
創造のためには「退屈」が必要なのである。
ところが、スマホは「退屈」を奪ってしまう。
著者が指摘するスマホの問題点というのはどんなものか、
第1に、人と人のつながりが希薄になる
スマホが見えるとろにあるだけで、目の前にいる相手に共感しにくくなる。
第2に、注意力の低下
人の注意力には限りがあるので、ネット上のくだらない情報をむさぼっていたらそれを使い果たしてしまう。
第3に、記憶力の低下
スマホで写真ばかり撮っていると、脳は記憶することを怠けてしまう。
第4に、文章の読み方そのものが変わる
リンクやスクロールに慣れると、長い文章や難しい文章をじっくり考えながら読み通す力が衰える。
第5に、テクノロジー産業の食いものにされる
よほど気をつけていないと、ユーザーの時間をできる限り奪おうとする優秀な頭脳集団の思うつぼになる。
そして一日のすきま時間をすべて奪われ、退屈する時間がなくなり、独創性もなくなる。
と、このようなもの。
私たちは、スマホを使うことによって無意識のうちに、本来持っている創造性を失っているのかもしれない。
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