« 2019年10月 | トップページ | 2019年12月 »

2019年11月の30件の記事

2019年11月30日 (土)

『ブランディング』/山口義宏

Photo_20191128074501

 ブランド戦略の本質を一言で表現するならば、「ターゲット顧客にこう思われたら選ばれるであろうという価値を決めたら、そのような印象が残るようにすべての顧客体験や施策に一貫性を持たせるよう整える」ということ。

ブランドというと、ルイヴィトンやプラダといった高級ブランドを想起する人が多い。

しかし、ブランドはもっと身近なものだ。

例えば、ロゴが一切描かれていない、まったくデザインがされていない商品だけを置いているコンビニを想像してみるとどうだろう。

もしそんなコンビニがあれば、お茶1つ買うのも一苦労だ。

同じ色をした液体が並んでいるだけで、それぞれどんな味がするのか、ほかの商品とどんな違いがあるのかわからない。

そんな状態では、「これを飲もう」と決めるのはとても困難なはず。

「十六茶」とか「爽健美茶」といったロゴがあるので、安心して選ぶことができる。

ブランドは私たちの情報処理を簡略化する、という社会的な機能があるのだ。

たとえばスターバックスコーヒーは、マス広告を行っていない。

それでも強固なブランドを築き、世間に広く認知され、高い評価を得ている。

なぜそれが可能なのか。

その理由の1つは、ほかのチェーンが比較にならないほど「体験の一貫性」を追求しているからだ。

企業にとってブランドとは、その規模やポジションに応じて、競争を有利に進め、効率的に利益を生むための競争戦略ツールだ。

そして、マーケティングの4P施策(Product<製品・商品>、Price<価格>、Promotion<プロモーション>、Place<流通>)の判断の土台・軸としても、ブランド戦略は必要になる。

品質がよければ必ずしも消費者に選んでもらえるわけではない。

なぜ、品質で選んでもらえないのか。

それは消費者の多くが「客観的な比較・検証」をできるほど商材に関心が高い業種は少ないためだ。

また、商品・サービスの細かなスペック情報を知ったとしても、自分にとっての意味や価値として解釈するには相応の知識や経験が必要になるためでもある。

ブランドとは「識別記号と知覚価値が結びついたもの」。

たとえ圧倒的に優れた性能の商品をつくったとしても、消費者が存在を知らなかったり、「性能が優れている」と認識してもらえない限り選ばれない。

消費者の頭の中で、優れた価値が想起される「知覚価値」があって、はじめて購買検討の候補になる。

そして、消費者が「知覚価値」を頭の中に記憶し、記憶を仕分けして、思い出すためには「識別記号」も併せて記憶してもらうことが重要だ。

強いブランドは、識別記号が多くの人に知られ、豊かな知覚価値を想起させ、消費者の選択購買に大きな影響を与える。

「体験の一貫性」は、とても重要なのに企業が見落としやすい要素。

ブランドにおいては、ブランドターゲット、つまり象徴的顧客がブランドに心理的な共感があって、長期的な関係性のファンになってくれるかどうかがポイントとなってくる。

ブランドに思想・情緒レベルでの共感があれば、一度購入したあとも、そうそう浮気はしないもの。

関係の維持も難しくない。

モノが溢れている現代では、ブランド戦略は避けて通れない重要なものとなってくるのではないだろうか。

2019年11月29日 (金)

その『1分』を変えなさい!/後藤勇人

Photo_20191127064301

 まず何かをやると決めたら、朝1分間のワークで、時間を最初に作り出す作業をし、やりたいことを実行しましょう。この発想を持つとどんなことでも本気のものなら、ほとんどのことが実行可能になります。

夢が叶わなかったり、目標が達成できなかったりする最大の理由は何か?

それは、目標を忘れてしまうこと。

だったら目標を書き出し、毎朝読み上げればよい。

仮に「赤い洋服の女性を探す」という目標を紙に書き出して、毎朝読み上げ脳にインプットしたとする。

これを毎日読み上げると、この目標は潜在意識レベルまで落とし込まれる。

すると、この行為は無意識レベルでも作動し、情報収集を始める。

すると「赤い洋服の女性」を探そうと思わなくても、自然に目に留まるようになる。

結果、目標を達成できる。

本書で言っていることはこのことである。

具体的には、理想の自分を書き込んだ紙を壁に貼り、朝1分のワークで読み上げるということ。

目的は、脳をナビゲーションに見立てて、目的地、つまり、理想の自分を脳に目的地として設定してあげること。

自分で決めてしまえば、現実はそのようになる。

自分でできないと心の中で思えば、できない現実が目の前に現れる。

できると決めれば、できる現実が目の前に現れる。

未来は決まっていないのだから、未来を決めるのは、頭の中にある思考だ。

この思考が未来の設計図となる。

簡単なことなので、実行してみる価値はあると思う。

2019年11月28日 (木)

なぜ崎陽軒のシウマイは冷たいのに売れるのか?/中山マコト

Photo_20191126065401

 重要なのは「今をどう捉えるか?」です。現状を逆境だと感じたときに「これが当たり前だから、仕方ない」とあきらめてしまえば、思考が停止してジ・エンドです。

シウマイは、いわゆる点心だ。

点心は温かい、蒸し立て、でき立てをフーフーしながら食べるのが醍醐味とされている。

冷たい状態で出てきたら、普通は怒られる。

しかし崎陽軒は、そこに真っ向から勝負球を投げ込んだ。

当時の店主は「弁当が冷たいのは仕方ない、それならば、冷たいからこそおいしいと感じるシウマイを作ろう」とレシピ開発に情熱を注いだ。

ホタテ貝柱から出たスープを混ぜ込むなど工夫を凝らした独自のシウマイづくりに成功した。

すさまじい試行錯誤を重ねた結果、「かつてなかった新たな価値を持った商品」が登場した。

結果、崎陽軒のシウマイは売れ続け、誰もが知る横浜名物になった。

アイディアや発想のヒントは、実はそこら中に落ちている。

大事なのはそれに気づくか気づかないか。

そして気づいたら行動すること。

「気づいてしまったら、形にしないと気が済まない!」

そんな人たちが世の中にはたくさんいる。

そしてそういった人たちが、世界をアッと言わせる商品・サービスを生み出している。

だからこそ必要になるのがThink differentな発想。

その土俵さえ創ってしまえば、ライバルはいない。

ライバルがいないのだから、独占市場だ。

土俵は上がるものではなく、自ら創るものということであろう。

2019年11月27日 (水)

僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう/永田和宏、他

Photo_20191125090001 思いついたのが、目標、ビジョンを示すということでした。研究室のビジョンを示すことができたら、それに惹かれて学生さんがやってきてくれるかもしれない。そしてそのときに一生懸命考えたビジョンが、今もずっとやっているiPS細胞の研究につながっているのです。

本書に載っている山中氏のiPS細胞の研究のエピソードは興味深い。

どんな優れた人であっても研究は一人ではできない。

助け手が必要になる。

でも大学でそのような人を集めようとしても中々集まらない。

そこで思いついたのが、ビジョンと目標を示すことだという。

山中氏は、ES細胞の持っている課題を克服しようというビジョンを示した。

倫理的な問題のある受精卵を使わずに、ES細胞と同じような万能細胞を、患者さんご自身の皮膚の細胞や体の細胞からつくる。

こういう大胆な目標を示した。

これを達成するには、20年、30年、それ以上かかるかもしれない、いや、永遠にできないかもしれないということは当然よくわかっていた。

でも、そういうことは、学生さんには一切言わずに、これが実現したらどんなに素晴らしいかということだけを、30分間、とうとうと訴えた。

そうしたら、大学院生3名がやってきてくれた。

そして彼らのおかげで、20年、30年かかるだろうと思っていたことが、6年でやれた。

2006年にネズミのiPS細胞の樹立に成功した。

4つの遺伝子をネズミの皮膚の細胞に入れると万能細胞になることがわかり、これをiPS細胞と名付けた。

当時流行っていたiPodを真似て「i」を小文字にした。

これで、受精卵を使わなければいけないというES細胞の持っていた倫理的な問題をクリアすることができた。

そして、翌2007年には、人間のiPS細胞の樹立に成功した。

実際にiPS細胞をつくってくれたのは、こうした若い研究室のメンバーだった。

彼らがいなかったら、iPS細胞はできなかったと山中氏は言っている。

ビジョンを示すことがいかに重要であるかということであろう。

2019年11月26日 (火)

「また話したい」と思ってもらえる会話術/滝井いずみ

Photo_20191124084201


「自分が関わる人生のあらゆる事柄について、自分で受け止め、自分で判断し、自分で行動するという自己決定性が貫かれていれば、人はたとえその結果がうまくいかなかった場合でも分で納得し、それを受け入れることができる」

人は他人に指示されて動くのは、あまり好きではない。

「こうやりなさい」と指示を出し続けると、自分で考えなくなります。

しかし、自分で考えて思いついたことは行動したくなる。

コーチングがやる気を生み出すといわれる理由は、「人は自分で気づいたことはやってみたくなる」からだ。

悩みを話して整理していくうちに、自分のやれそうな解決策が見えてくると、すぐにでも行動したくなる。

打つ手なしと考えていたことに、少しでも打開ポイントが見えれば早く解決したくなるもの。

「過去と他人は変えられない。未来と自分は変えられる」という言葉がある。

相手と会話をするにあたり、相手はどうなると行動するのかなど、人の行動のメカニズムを知っておくことは役立つはずだ。

ウィリアム・グラッサー博士が提唱する「選択理論心理学」では、車でたとえられている。

車の前輪は人間の行為と思考、後輪は感情と生理反応とされ、車のように前輪の動く方向に後輪も動く。

つまり、コントロールしやすい前輪(行為と思考)を動かすことで、コントロールし難い後輪(感情と生理反応)を動かすことができるとしている。

まず行動と思考を動かすこと。

しかも、自ら考え行動するように促すこと。

そのために、コーチングのスキルは必須といえるのではないだろうか。

2019年11月25日 (月)

幸せは白いTシャツ/片岡義男

T

 私は、どうなるのでしょう。ふりかえるほどの過去もありませんし、あてにする将来も、いまのところないのです。私の手もとには、現在だけがあるのです。そして、その現在は、とても素敵です。

20歳の女性が、オートバイに乗って日本全国を一人旅するというストーリー。

何か特別なことが起こるわけではない。

でも、いろんな出会いがある。

著者の小説はオートバイが出てくることが多い。

オートバイは風を感じる。

雨が降ればびしょ濡れになる。

つまり、より「今、この瞬間」を感じるということ。

でも、「今、この瞬間」を生きるってなかなかできることではない。

多くに人はいつも過去をひきずって生活していたり、先のことを心配しながら生活している。

今この瞬間を生きることを忘れてしまっている。

今、この瞬間を生きること。

幸せの原点は、こんなところにあるのではないだろうか。

2019年11月24日 (日)

がんばらない成長論/心屋仁之助

Photo_20191122073101

 成長しようとするのをやめたとき――つまり「成長に対する執着」を手放したときに、思いもよらぬ成長が手に入るのです。

成長には二種類ある。

一つは、外側の成長。

一生懸命にがんばって業績を上げることは、いわば「外側の成長」。

もう一つは、内側の成長。

「自分という人間は15点でも大丈夫」と思えるようになることは、じつは「内側の成長」。

本書で言っている成長とは、「内側の成長」のこと。

「内側の成長」のための絶対的なキーワードがある。

それは、成長しようとがんばることを、やめてしまう、ということ。

思いもよらぬ成長が、ここから始まる。

放っておいても「してしまう」のが、成長というもの。

成長しようとなんてしないで、自分が楽しいと思えること、したいことをしているうちに、知らないうちに成長してしまう。

そして、「自分は、すでに十分足りている」と気づくこと。

ここから、びっくりするような成長が始まる。

そのためには、やってしまったこと、できなかったこと、やったこと、できたことなど、過去の自分も現在の自分も、すべて丸ごと肯定すること。

すべての出発点は、全面的な自己肯定。

これがあって初めて成長が実感できるようになるという。

自分の経験から言ってもその通りだと思う。

2019年11月23日 (土)

アマゾンと物流大戦争/角井亮一

Photo_20191121054701

 ロジスティクスに力を入れる企業は、ずっと勝ち残っています。本書に登場したアマゾン、ウォルマート、ヨドバシカメラ、アスクル、カクヤスを筆頭に、トヨタ自動車、セブンイレブン・ジャパン、花王、三菱食品、トラスコ中山、サンコーインダストリーなど挙げればきりがありません。すべてロジスティクスでビジネスを制している企業です。

急成長するアマゾン。

その本質はアマゾンが「ロジスティクス・カンパニー」であるからと著者は述べる。

ジェフ・ベゾスが公言する通り、ロジスティクスこそが彼らの最大の強みなのだ。

「ロジスティクス(logistics)」とは何か。

語源は軍事装備の調達や補給、人員や物資の輸送など軍事業務における後方支援活動を意味する「兵站」にある。

ビジネスの世界では、企業の物流合理化手段を意味する。

例えば、需要を予測して物の流れや在庫を管理し、円滑かつ低コストに輸送するなど、物流における最適化を図ることを指す。

なぜアマゾンのロジスティクスが多くのビジネスにとって見過ごせないものになり得るのか。

第一に、ロジスティクスは非常に参入障壁が高いものだから。

洗練されたロジスティクスは、一朝一夕に築き上げられるものではない。

ゆえに、一度強固なロジスティクス網を張り巡らされてしまったら、外から見て真似ることもできず、それに太刀打ちできるロジスティクスを作るのには相当な時間がかかる。

第二の理由は、ロジスティクスがそもそも合理化、低コスト化の手段であるがゆえに、それがアマゾンにとっての磨き上げ続けられる武器になっているから。

アマゾンは徹底して「顧客中心主義」を貫き通すため、商品を供給する側ではなく買う側を優先してきた。

彼らは真正面から声をあげるわけではありませんが、顧客のために透明性の高い価格で、しかも従来よりも低価格でサービスを提供するのが顧客のためだ、というスタンスを絶対に崩すことはない。

アマゾンは高度なロジスティクスを用いて低コスト化を実現し、その利益のほとんどを自社の物流ネットワークを築くための投資に回し、また顧客の代弁者としてさらなる低価格での商品提供のための原資として使う。

ロジスティクスをアマゾンは長期で構築する投資だと考える。

価格を引き下げることで来客数が増え、売上が増える。

すると固定費である物流システムの稼働率も上がり有効活用することができ、さらに低価格にできる。

増えた利益で物流センターを作り、さらに品揃えを充実させることで来客数を伸ばし、売上をアップさせる。

この繰り返しでアマゾンは規模を拡大していった。

私自身がアマゾンのヘビーユーザーなのだが、この利便性は他社にない。

「どうして無料でこんなに早く商品が届くのだろう」と思っていたのだが、本書を読んで、これがアマゾンの長期的な戦略なのだと知った。

今後アマゾンがさらに成長していくのか、強力なライバル企業が現れるのか、非常に興味深い。

2019年11月22日 (金)

タテ社会と現代日本/中根千枝

Photo_20191120063901

 『タテ社会の人間関係』で伝えたかったことは、第一に、日本の社会構造は小集団が数珠つなぎになっているということ、第二に、しかもその小集団が封鎖的になっているということです。タテのシステムは小集団でないと効果的にならないからでもあるのですが、まさにこの二つが、日本社会の特性をあらわしているのです。


本書は「タテ社会の人間関係」から50年後の著書である。

日本には独特の人間関係がある。

それを著者はタテ社会の人間関係と称した。

人間関係を分析するカギとなるのが、「資格」と「場」だ。

一定の個人からなる社会集団が構成される要因を、抽象的にとらえると、資格と場という二つの原理を設定できる。

集団を構成する第一条件が、個人の「資格」の共通性によるものか、「場」の共有によるものかということである。

資格とは、社会的個人の属性、つまり、その人が持っている特性と考えてもらうといい。

氏、素性など、生まれながらに個人にそなわっている属性もあれば、学歴・地位・職業などのように、生後個人が獲得したものもある。

資本家と労働者、あるいは地主と小作人などというのも資格。

特定の職業集団、一定の父系血縁集団、カースト集団など、そういった属性によって集団が構成されている場合、資格による社会集団といえる。

資格の違いなどを問わず、一定の枠によって、一定の個人が集団を構成している場合、「場」による設定ということになる。

こうした場においては、場に来た順番というのが重要になる。

イギリスやインドにおいては、階級やカーストが組織結合をするうえで重要な役割を果たす。

いわば、ヨコの層に組織結合の論理を見出している。

それに対し、日本は、親分・子分、先輩・後輩のように、タテの関係に組織結合の論理を見出している。

「タテ」というのは、上から下への権力関係を表したものではなく、上と下が組み合っている関係を表現したもの。

うまく組み合っていれば、下位の者が上位の者に遠慮なく発言できるし、上位の者も、下位の者から自分の弱点を指摘されても甘受できる。

上下ともに強い依存が見られる関係があり、それを可能にしているのが、「場」なのだ。

そもそも日本人の順番認識にはつぎの三つがあると考えられる。

第一が、同じ場を共有する、小集団の人びと。

会社でいえば、日常的に顔をつきあわせる、同じ職場のメンバーになる。

彼らは長期にわたって、恒久的な関係を結ぶ。

逆にいえば、関係が強い分だけ、仲間割れなどが起きやすく、感情が憎しみに変わると、もっともいがみあう関係ともなる。

第二は、この第一の人びとを取り囲む人びと。

大企業であれば、小集団以外の会社内の人びとになるし、小さな集落であれば、隣接の村になる。

直接は顔を知らなくても、近づける人たちだ。

第三は、自分と関係のない人びと、つまり他人。

日本人は外国人に対して仲良くなろうとしないと言われる。

日本に来た外国人が疎外感を味わうとも言われる。

たしかに、まったく面識のない外国人などには、冷たい対応を取ることがつづいて、問題にもなっている。

だから日本人が外に向って自分を社会的に位置づける場合、好んでするのは、資格よりも場を優先することである。

記者であるとか、エンジニアであるということよりも、まず、A社、S会社のものということである。

また他人がより知りたいことも、A社、S会社ということがまず第一であり、それから記者であるか、印刷工であるか、またエンジニアであるか、事務員であるか、ということである。

日本の社会全体にみられる「タテ」の運動は個々の集団内部にまで貫かれている。

同一集団内におけるいわゆるセクショナリズムを生み、さらに個々人の段階にまで及んでいる。

個人の真の敵は常に同僚にある。

一方、上司・部下は常に味方でなければならない。

この「タテ」の関係こそ、個人の目的達成への全生命がかけられている。

この「タテ」の関係の機能が強くなればなるほど、反比例して、「ヨコ」の関係が弱くなる。

ついにはネガティブな機能しかもたないというような事態さえ出てくる。

「足をひっぱる」とか「出る杭は打たれる」というのは、すべてこのネガティブな作用を表現している。

確かにこのような人間関係は日本独自のものであり、著者が50年前に「タテ社会の人間関係」を出した頃と全く変わっていないことを改めて確認させられた。

2019年11月21日 (木)

自分をコントロールする力/森口佑介

Photo_20191119081701

 IQが重要であることは確かなのですが、最近のいくつかの研究から、実行機能は、IQよりも子どもの将来に影響を与える可能性があることが示されています。さらに、より重要なこととして、実行機能は、IQよりも、良くも悪くも家庭環境や教育の影響を受けやすいのです。

本書で実行機能と呼んでいる機能は、近年注目されるようになった「非認知スキル」といわれているものの中の一つ。

頭の良さとは、どれだけ知識を持っているのか、どれだけ速く問題を解けるのか、与えられた情報からどれだけ推測することができるのか、などを指す。

このような頭の良さは、専門的には「認知的スキル」と呼ばれる。

IQは、認知的スキルの典型的な例だ。

一方、目標のために自分をコントロールする力は、頭の良さとは直接的に関係しない。

認知的スキルとは異なる能力という意味で、「非認知スキル」と呼ばれている。

「社会情緒的スキル」とも言う。

非認知スキルには、自分をコントロールする力の他に、忍耐力、自信、真面目さ、社交性など、さまざまなスキルを含む。

非認知スキルの中の一つに実行機能がある。

更に、実行機能には、感情面を担う実行機能と、思考面を担う実行機能がある。

感情の実行機能は、目標のために欲求や衝動を制御する能力。

そして、思考の実行機能は、目標のために習慣やくせを制御する能力である。

両者ともに、幼児期に著しく発達し、児童期には緩やかに発達する。

実行機能の発達には、遺伝的要因と環境的要因の両方が関係するが、子どものときは環境的要因がより重要だ。

支援的な子育ては良い影響があり、極端な管理は悪い影響がある。

親の振る舞い、夫婦仲などの家庭の雰囲気も重要。

更に、睡眠やメディア視聴の方法、生活習慣も影響があるという。

そして、子どもの実行機能は鍛えることができる。

個別のプログラムとしては、ゲーム、運動、音楽、マインドフルネスなどがある。

また、幼児教育施設や保育施設に行くこと自体が実行機能を向上させる。

中でも、最も注目されているのは「心の道具」プログラムというものがあるという。

子供の時の環境がその後の人生を決定づける様々な能力が成長するというのはその通りなのだが、これが極端な方向に走ると、それはそれで問題になるのではないだろうか。

2019年11月20日 (水)

反日種族主義/李栄薫

Photo_20191118064901

 韓国の噓つき文化は国際的に広く知れ渡っています。2014年だけで偽証罪で起訴された人は1400人です。日本に比べ172倍だといいます。人口を考慮すれば、一人当たりの偽証罪は日本の430倍になります。

韓国でベストセラーになり、日本でもベストセラーになっているということで読んでみた。

本書は、韓国人の学者が第1級資料を丹念に調べて記したもので、非常に客観的な記述となっている。

冒頭で著者が自国民を「嘘つき」と述べているが、読んでみるとまさに嘘のオンパレード。

よくここまで歴史を都合よく捻じ曲げられるものだと思ってしまう。

韓国の反日の根底には、反日種族主義があるという。

日本軍慰安婦問題に対して韓国人たちは、限りなく憤怒する。

反日種族主義という集団情緒が作用するからだ。

しかし、米軍慰安婦問題に対しては、そのように反応する集団情緒はない。

深刻なことは、歪曲された歴史が教科書に掲載され、生徒たちに体系的、持続的に注入されているということ。

そのことによって反日種族主義が代を継ぎ、時間が経つほどにその深刻さが増しているという事実だ。

政治、行政、司法、教育、全てが反日で塗り固められている。

ある種の集団催眠状態なのかもしれない。

ある意味、かわいそうな民族といえるのかもしれない。

2019年11月19日 (火)

VRビジネスの衝撃/新清士

Photo_20191117080801

 米国の著名な金融機関ゴールドマン・サックスは、VR・AR関連機器の市場規模が2025年に最大で1100億ドル(約12兆4000億円)にも達すると予測しています。この数字はテレビやノートパソコンの市場規模1000億ドル前後とまったくひけを取らない規模です。

VRとはバーチャルリアリティの略。

「現実世界とは異なるが、ほとんど実質的には現実世界である」ことを意味している。


VRという言葉が最初に使われたのは、1989年に米国のコンピュータ科学者ジャロン・ラニアーがベンチャー企業VPLリサーチ社を設立して、自社の製品を紹介したときのこと。

翌年の1990年にマサチューセッツ工科大学(MIT)が中心になり、世界中で分野を問わず同じ目的を持つ研究者を集めて、サンタバーバラ会議を開催した。

それまで別々の名称で呼ばれていた研究領域を「VR」という言葉をもって統一した。

これをもって、その後のVR研究は加速していった。

ただ、欧米のVRビジネスが「現実世界と実質的には同じ空間を人間のまわりに作り出す」ことを目指しているのに対し、日本は「キャラクターなどがいきいきと存在する仮想世界を作り出す」ことに注意が向けられていることが多いという。

「ミクミク握手」や『サマーレッスン』など、仮想のキャラクターとのコミュニケーションを楽しみ、本来は実在するはずのない世界を、あたかも現実だと認識するような実在感を持って体験させるところに、日本のVRコンテンツの特性がある。

VRの世界では、ユーザーはVR空間のなかで、空中に絵を描くことができる。

棒状のコントローラーを使って、空中に線を引くと、その線が、そのままVR空間で立体物として空中に浮いた状態で表示さる。

いくつかの線を描いていくと、その描かれたもののなかに歩いて入り込むことができる。

それは、とてつもなく不思議な体験で、今描き上げた絵が、あたかもだまし絵であるかのようにまるで違ったものに変わってしまう。

こんなことが可能になるのがVRである。

今後、VRこそ、パソコン、スマートフォンに続くIT・インターネット革命の新たなる旗手になるのかもしれない。

日本はこの分野で後れをとらないことである。

2019年11月18日 (月)

壮絶メンタルトレーニング/ずんずん

Photo_20191116082301

 「心技体」のうち、心の強さをも兼ね備えたメンタルもエリートな人たちこそが真のエリートであり、これらの属性を持つ人間を、メンタルエリートと言うことができるのではないでしょうか。

高いパフォーマンスを維持する人は総じてメンタルが強い。

著者はそのような人をメンタルエリートと呼んでいる。

メンタルエリートは、自分が止まると世界の動きが止まると信じている。

自分が怒られる、傷つけられるといったことで、自分が行動しないことは、世界的損失だと考えている。

メンタルエリートたちは、リスクに対する恐れというものを知らない。

彼らはリスクを取ったほうが、人生が楽しくなるということを知っているからだ。

メンタルはトレーニングすることによって鍛えることができる。

そのために大事なのは感情をマネジメントすること。

一歩上の高みから自分自身の感情のマネージャーになり、物事を俯瞰することができるのが「感情のマネジメント」

著者は5つの「感情のマネジメント」を紹介している。

第1に、怒りのマネジメント。

相手に自分の期待値を伝える。

自分がが相手に期待することは何か?

これが明確になったら、もう一度、相手に伝えてみよう。

第2に、怯えのマネジメント。

恐れず全力でぶつかる。

相手に話しかける前に準備しておくべきことは何か?

これが準備ができたら、全力でぶつかってみよう。

第3に、悲しみのマネジメント。

かわいそうな私にならない。

自分は相手を喜ばせていないだろうか?

リアクションを変えて、被害者の立場から脱しよう。

第4に、恐れのマネジメント。

決断は人生を良くする。

リスクを取ると悪いことが起こると思っていないだろうか?

自分が心からやりたいことは何か?

やりたいことを実行に移してみよう。

第5に、諦めのマネジメント。

自分を出して集団になじむ。

相手が受け入れてくれないと諦めていないだろうか?

受け入れてくれるまでしつこくアクションを起こしてみよう。

これらを実践することがメンタルトレーニング。

この中の一つでも実行してみるとよいのではないだろうか。

2019年11月17日 (日)

生きるチカラ/植島啓司

Photo_20191115062001

 そういう意味では、すべてわれわれは「計画された偶然」を生きるわけである。できるだけ必然と思われることを最小限にとどめなければならない。それが楽しく生きるための最大の秘訣であって、人は偶然に身をまかせることによって初めて自由になれるのだ。

「計画された偶然」とは、一九九九年にスタンフォード大学のクランボルツ教授らが提唱した考え方。

成功した人々のキャリアを分析したところ、彼らのうちの8割は「いまある自分のキャリアは予期せぬ偶然に因るものだ」と答えたという。

つまり、合理的な要素をいくら積み上げていっても、望むべき結果が得られるとは限らない。

逆に、予期せぬ偶然によって思わぬ成功が得られることがあったという意外な回答。

それなら、むしろ、それを積極的に自分のキャリアに引き入れるように行動するべきではないかというのである。

それとよく似た概念に「セレンディピティ」という言葉がある。セレンディピティとは、偶然思わぬ発見をする能力を指している。

いずれにしても、クランボルツらの意見は、つねに選択の幅を広げておいて、予期せぬ偶然の出来事が起こったら、それを活用して新しい可能性に賭けよということになる。

あくまでも「偶然は味方」と理解すべきだというのである。

あまりに選択の余地がありすぎると人は幸せになれない。

自分にふりかかることのすべてをおもしろがれるかどうかが、人生という旅を楽しめるかどうかの分岐点だということではないだろうか。

 

2019年11月16日 (土)

総合商社/田中隆之

Photo_20191114063101

 総合商社が日本に独自であるという事実は、ますます強まっている。前述のように、戦後成立した総合商社の「原型」に、韓国をはじめアジア諸国が追随し、類似の企業を育成しようとしたこともある。しかし、そこから転換した「総合事業運営・事業投資会社」はもはや他国の追随を許さず、特殊なビジネスモデルであると言えよう。そのいっぽうで、それは国際的にも認知されつつある。

総合商社は日本独自の業態として知られている。

戦後復興期や高度成長期の日本経済を牽引した企業群として、注目されてきた。

単なる貿易の担い手であるだけでなく、外務省顔負けの情報収集機能を持ち、プロジェクトのオーガナイザー機能や、資金調達力を生かした投資機能を駆使して高収益を上げる企業群として、世界の関心を集めた。

均質な構造を持つ総合商社が複数登場し、総合商社業界が形成されたのは戦後のことである。

1960年前後には総合商社の「原型」が確立したが、その後各社はオイルショック、円高不況、バブル崩壊などの困難を乗り越えながら、新しい事業分野への進出とビジネスモデルの変革を進めてきた。

同時に、リスク管理やガバナンスの体制を向上させ、その構造を大きく変化させた。

総合商社に起きている構造変化は「連結子会社を通した、多様な製造業・サービス業への進出」と「事業投資会社化」の二つである。

現在の総合商社は「総合事業運営・事業投資会社」ととらえられるべきである。

総合商社は日本経済の成長と深くかかわってきた。

総合商社の過去を学び、「次」を知ることは、今後の日本経済を占ううえで不可欠である。

また、総合商社が今世紀はじめに復活を遂げるにあたって行なった経営改革とビジネスモデルの変革は、多くの日本企業に〝気づき〟を与えるのではないだろうか。

2019年11月15日 (金)

共感の技術/杉原保史

Photo_20191113065501

 考えるな Don't think!
 感じろ Feel!
 ──ブルース・リー 

映画『燃えよドラゴン』の中で、ブルース・リーは、弟子の少年に「考えるな、感じろ」と教えている。

このブルース・リーの教えは、カンフーの極意であると同時に、共感の極意でもあると著者はいう。

つまり、共感の最初のレッスンは「考えるな、感じろ」。 

私たちは、一瞬、一瞬のこの今の現実を生き、感じている。

にもかかわらず、「感じていること」にまったく注意を払わず、「考えること」に没頭し、アタマの中に作り出された観念の世界の中で生きていることが実に多い。

共感するという作業にとって、自分の意見は関係ない。

それが、「相手のための時間」ということであり、「相手中心」ということ。 

自分の「意見」が相手にとって重要なものになるのは、共感が成立した、その後から。

そのとき、自分の「意見」は相手にとって考慮すべき重要なものとなる。 

差しあたり、自分のの意見は脇に置いておいて、「どういうこと? 詳しく話してみて」と促してみる。

自分自身の評価や判断から離れ、それを放っておく。

そうして、ひたすら相手に注意を置き続ける。

そのように相手に注意を置いているときに感じられるもの、それが共感。

誰かに共感するためには、先入観に縛られずに相手をよく見る〝観察力〟、

相手の立場だったらどう感じるだろうかと想像する〝想像力〟、

自分が感じていることに注意を向けて感じ続ける〝注意のコントロール力〟、

感じたことを表現する〝表現力〟が必要。

「共感」は、常に「受容」とセットで実践される。

「受容」とは、ありのままを認めること。

相手のありようをありのままに受け容れること。

どんなに不合理だと思えても、間違っていると思えても、相手の思いや気持ちを、そのままに、ありのままに、受け容れること。

カウンセリングでは、聴き手は、穏やかに、ただ聴いているだけだ。

決して話し手の生活場面に出かけていって何らかの問題を解決してあげるわけではない。

薬を出すわけでもない。

マッサージやお灸などの施術をするわけでもない。

その意味では、ただ聴いているだけ。

しかし、それと同時に、ただ聴いているだけではない。

ただ観客席から観察しているだけではない。

話し手の人生における一人の登場人物として関わっている。

自分の心を、つまり感受性を、十分に活かすようなやり方で関わっている。 

「考えるな、感じろ」(Don't think! Feel!)

この域に達するにはかなり訓練を要するのではないだろうか。

2019年11月14日 (木)

OKR/クリスティーナ・ウォドキー

Photo_20191112063401

「伝えるべきは、〝どうやるか〟ではない。〝何を求めているか〟だ。そうすれば、思いがけない成果を得られるだろう」 

簡単に紹介すると、OKRはインテルで始まったシステム。

これまでにグーグル、ジンガ[ソーシャルゲーム]、リンクトイン[SNS]、ジェネラル・アッセンブリー[プログラミングスクール]などが導入して、迅速かつ継続的な成長を実現している。

Oは Objective(目標)、KRは Key Results(主な結果)の略だ。

数字にこだわらない人を鼓舞して動かすのがO。

数字にこだわる人に対してOの現実味を示してくれるのがKRだ。

朝ベッドから飛び起きてやる気が湧いてくれば、いいOを設定できているということだ。

もしかしたら達成できないのではないか、と少し心配になれば、適切なKRだと言える。

毎週、週の初めに優先事項を設定して公表するのも効果的だ。

O(目標)を実現できるよう、チームとほかの社員に対してコミットする。

毎週金曜日に、その週に達成したことを讃えて1週間を締めくくるのが、パフォーマンスの高いチームだ。

この〝コミット〟と〝お祝い〟のペースによって、〝実行〟の習慣がつくられる。


OKRは、3つのシンプルな部分でできている。

第一に、人を鼓舞し、効果を測定できるようなゴールを設定すること。

第二に、やることがほかにどれだけあっても、自分とチームが常に望ましい最終形態に向けて進むようにすること。

第三に、チームのメンバーが目標を忘れず、かつ各メンバーが責任を自覚できるような習慣をつくりだすこと……である。

O(目標、Objective)をひとつだけ、その目標を測定するKR(主な結果、Key Results)を3つだけ設定することで、小さな脱線がどれだけ発生しても、大きな目標を実現するために必要なフォーカスを維持できる。


OKRはただの管理ツールではなく、目標を軸に人を鼓舞し、全員が一丸となって目標に向かって進むためのツールである。

中でもいかに社員がワクワクするOを設定するかがポイントなのではないだろうか。

2019年11月13日 (水)

罪悪感がすーっと消えてなくなる本/根本裕幸

Photo_20191111064401

 心理学の格言に「もしあなたが今、しあわせを感じられないのであれば、あなたは自分をゆるしていない」というものがあります。つまり、あなたが今、しあわせでないのは、理由はともかくとして罪悪感を覚え、自分がしあわせを感じることをゆるせていない、ということを表しているのです。

罪悪感があると、自分を罰し、自分がしあわせになれないような道を〝無意識に〟選択してしまう。

罪悪感という感情は「自分が悪い」「自分のせいだ」という明らかなものから、潜在意識の深くに潜んで自分を罰するように動くものまで、さまざまな形態をとる。

私たちは罪悪感から、自分に過酷な刑を与えてしまっている。

でもそれは、人生をよりおもしろくするための、「ルール」なのかもしれない。

罪悪感は、人生をよりおもしろくするためのルールだととらえ、それをなくそうとするよりも、上手につきあっていく方法を学ぶほうが、より簡単にしあわせを感じられるようになる。

罪悪感は「認識しやすいレベルのもの」から、「自分にはあると思えないもの」まで様々なタイプがある。

多くの問題をつくりだすのは、潜在意識の中に根づいた「認識しづらい罪悪感」。

罪悪感は、しあわせに直結するような「愛」「豊かさ」「成功」「喜び」などを受けとることをゆるさない。

自分の性格や能力を否定する必要はない。

物事が順調にいっているのに、その成果を素直に喜べないのは、自分の存在を否定する罪悪感があるからかもしれない。

罪悪感は私たちにしあわせや喜びを素直に受けとらせずに、なぜか申し訳ないような気がしたり、その場にふさしくない存在かのように思わせたりする。

ではどうすればよいのだろう?

今の自分をゆるすことである。

例えば、罪悪感を覚え、自分を責めそうになったときに、ただ「それが今の私だから」とつぶやく。

心の中で思うだけでいい。

それが「今の自分をゆるす」ということにつながる。

「それが今の私だから」というセリフを自分に言う癖をつけたり、友だちや後輩に接するように自分自身に接したりすることで、罪悪感から自分を責める習慣を変えることができる。

罪悪感は「感謝」によって癒すことができる。

その効果は絶大。

例えば、自分とかかわってくれた人たち一人ひとりに感謝の手紙を書くことで、罪悪感から解放され、人間関係や、人生そのものも大きく変えることができる。

「愛」とつながることで、罪悪感を癒すことができる。

自分を愛してくれた人たちのことを思い出すだけで私たちの心には愛があふれ、その瞬間に、罪悪感から解放される。

つまり、罪悪感の裏側にある「愛」に意識を向けることで、私たちは自分を肯定し、ゆるし、そして、ずいぶんと生きやすくなるということではないだろうか。

2019年11月12日 (火)

人生が変わる!問題解決の質問術/加藤史子

Photo_20191110064301

 パペットとの対話は、本当のあなた自身との対話です。パペットの言葉を借りることで、あなたの潜在意識、サムシンググレートにつながることができるのです。

パペットとは、手にはめて口をパクパク動かすことができる人形のこと。

このパペットを手にはめ、「質問をすること」で、自分が抱えているどんな悩みでも、解決する方法が導き出される。

実は、悩みの答えや、解決するための方法は、すべて自分自身が知っている。

気づいていないだけで自分のなかに答えはある。

やり方は、左手にパペットをつけて質問をするだけ。

子どもから大人まで誰でもどこでも簡単にできる。

基本的にパペットへの質問は3つ。

第1に、「本当はどうしたいの?」

気づいているようで見えなくなっている「本当はどうしたいのか?」という、自分の本心に気づかせてくれる質問だ。

自分が本当に望んでいる本心と向き合うことで、はじめて本心に基づいた対応ができるようになる。

第2に、「本当に欲しい結果をえるために、今とは違う別のやり方は何がある?」

方法は一つだけでない。

いろんな方法を考えることによって、選択肢が広がる。

できるだけ、3つ以上の方法を見つけてみる。

第3に、「その方法を使うと、状況がどんなふうに変わりそう?」

うまくいく未来をイメージすることによって、新しい方法を行動に移す勇気が与えられる。

パペットは自分自身。

パペットを使えば、自分のことなのに、客観的に見て考えることができるようになる。

自分自身を客観的に見ることによって、自動的な負の思考パターンを断ち切ることができる。

要はセルフコーチングのことなのだが、それをパペットを使うことによって、効果的にそれを行うことができるということなのであろう。

2019年11月11日 (月)

本気でゴールを達成したい人とチームのためのOKR/奥田和広

Photo_20191109064101

 私は、カリスマや天才にしかできない手法ではなく、一般人であるリーダーが再現できる仕組みはないものかと模索するようになりました。理想を持ち続けながら現実に成果をあげるリーダーのためのマネジメントの仕組みとしてたどり着いたもの、それがOKRです。


OKRという呼び名は、「Objectives and Key Results」の頭文字からきている。

その構成は非常にシンプルで、1つの「目的(O:Objectives)」と、2~5個の「重要な結果指標(KR:Key Results)」でできている。

OKRは、定量的な「重要な結果指標」に加え、定性的な「目的」を掲げることで、目的を常に意識させるような仕組みとなっている。

OKRには、どのような状態になれば「目的」を達成できたと言えるかを、数値で計測する「重要な結果指標」が含まれている。

「目的」は、「何を達成したいのか?」「どこに向かおうとしているのか?」を指し示すもの。

これに対して「重要な結果指標」は、「どのように『目的』を達成するのか?」「目標に近づいていることをどう把握するか?」に答えるもの。

「目的」達成につながる「重要な結果指標」をいかに選ぶかが戦略である。

「重要な結果指標」は「目的」達成につながるものでなければならない。

OKRは、その運用において、3か月ごとに「目的」を設定し直し、週1回の1on1など、高頻度でのフィードバックの実行が求めらる。

OKRには、1つの「目的」と3~5個の「重要な結果指標」に絞り込むことで、集中すべきことを明確にする効果がある。

従来の「目標管理」と違うのはObjectivesを目標ではなく目的と訳しているところ。

目標だけでは、社員の「何のために」に答えることができない。

目的を持つことこそが「わくわく」の源泉であり、普段以上の力を発揮させ、自分を成長させる重要な要素となる。

ワクワクすることを選ぶ。

これは、3か月間、1つのテーマに取り組むときの鉄則だ。

とはいえ、興味がわかない課題を与えられたり、素直に楽しめない仕事が降ってきたりすることも実際にはよくあるはずだ。

でも、そういうときこそ発想を変える必要がある。

その課題自体にとくに面白みはないように感じても、課題を解決したもっと先にある何かに目を向け、その先にどんな意味や意義があるのかを考えてみる。

結局のところ、「共通の目的」を、個人で達成するのではなく、他の人と「協力して達成を目指す」ことで「組織」となる。

個人では達成できないような大きな「共通の目的」を複数の人で協力して目指すことにこそ、複数の人が集まる「組織」をつくる意味がある。

組織を活性化する一つの手法として、考えてもよいのではないだろうか。

2019年11月10日 (日)

「仕事が速い」から早く帰れるのではない。「早く帰る」から仕事が速くなるのだ。/千田琢哉

Photo_20191108061401

 エリートたちは、あらかじめ、「早く帰る」と決めているから仕事が速かったのだ。

つまりは、逆転の発想をせよ、ということ。

多くの人は、どうしたら早く帰れるのか、そのための方法は?と考える。

しかし、これではなかなか効果が表れない。

では、どうするか。

あらかじめ、「早く帰る」と決めてしまうこと。

そうすると、意識がそこに集中するようになる。

午前中から集中力が研ぎ澄まされるようになる。

すると、桁違いのスピードで仕事を終えられるようになる。

仕事が速い人は、例外なくスタートダッシュが速い。

反対に、仕事が遅い人は、いつもモタついて、スタートダッシュが遅い。

「早く帰る」と決めてしまうと、否が応でも仕事に早く仕事に取り掛かるようになる。

「早く帰る」と決めてしまうことは、メンタルブロックを外す効果がある。

私たちは、無意識にメンタルブロックを作ってしまっている。

つまり、自分で限界を決めてしまっているのである。

これがあると、自分で決めた限界を超えることはできない。

だから限界を超えるためには、自分で無意識で作ってしまっているメンタルブロックを外すことから始める必要がある。

あらかじめ、「早く帰る」と決めてしまうことは、メンタルブロックを外す効果がある。

つまり、根拠のあるやり方だということである。

あとは実行することだろう。

2019年11月 9日 (土)

あなたのチームは、機能してますか?/パトリック・レンシオーニ

Photo_20191107083601

「ばらばらなチームは折れた手や足のようなものだ、と夫が話すのをお聞きになったことがあるかしら?治すには必ず痛みがともなう。きちんと治療するには、もう一度折らなくちゃいけないこともある。そして、二度めはわざと折るので、一度めよりもずっと痛い」
 長い沈黙の後、会長は言った。
「わかった、キャスリン。きみの言うとおりだ。やるべきことをやってくれ。じゃまはしない」

モデルとなっている会社はもともと資金が潤沢で、経験豊富な経営陣がいて、技術で優っていて、人脈もある会社。

ただ、チームとして機能していなかった。

そのため、ライバル社に後れを取っていた。

業績不振のため、CEOは解任される。

150名の社員の頂点には古くさいブルーカラー企業出身の女性キャスリンがやってきた。

彼女はチーム作りの天才だった。

チームは次の五つのことから機能不全に陥る。

第一に、チームのメンバー間の「信頼の欠如」である。

これは本質的に、グループ内で弱みを見せようとしないことから来ている。

チームのメンバーが、互いに自分のまちがいや弱みを隠そうとすると、信頼の基盤をつくることはできない。

信頼を築けないことが問題になるのは、それが第二の機能不全、「衝突への恐怖」を生み出すからである。

信頼の欠如したチームは、腹を割って激しく意見をたたかわせることができない。

あいまいな議論や慎重な発言が多くなる。

健全な衝突がないと、チームの第三の機能不全、「責任感の不足」をまねく。

チームのメンバーは、オープンな激しい議論のなかで意見を出さなければ、会議中に表面的には同意しても、本当にその決定を支持し責任感をもつことはできない。

本当に責任をもって支持する姿勢がなければ、チームのメンバーは、第四の機能不全、「説明責任の回避」に走るようになる。

明確な行動計画に責任をもって取り組んでいなければ、いくら集中力と意欲をもった人でも、チームのためにならない行動や態度をとった仲間をとがめるのに躊躇することがある。

互いの説明責任を追求しないと、第五の機能不全がはびこる環境が生じる。

「結果への無関心」が起きるのは、メンバーがチーム全体の目標より個人のニーズや自分の部門のニーズを優先させたときである。

だからチームを機能させるには、この逆を行えばよい。

第一に、互いを信頼する。

第二に、アイデアをめぐって遠慮なく衝突する。

第三に、決定や行動計画に責任感をもって取り組む。

第四に、計画を守らなかった場合、互いの責任を追求する。

第五に、チーム全体の結果を達成することを重視する。

本書ではそのことが物語形式で語られている。

組織のすべての人間におなじ方向を向かせることができれば、どの業界でも、どの市場でも、どんな競争相手に対しても、どんなときでも、圧倒的な優位に立てる。

チームを機能させることは組織として永遠のテーマではないだろうか。

2019年11月 8日 (金)

一生働きたい職場のつくり方/前川孝雄、田岡英明

Photo_20191106064301

 中小企業は「働き方改革」に関して遅れている!〟といった風潮に流されて、残業や休日出勤を一律に禁止するようなルールを社員に強いることは、むしろ時代の本質に逆行するものであることを経営者のみなさんには認識してほしいのです。 

今、働き方改革が叫ばれている。

その事例として取り上げられるのは、ほとんど大企業の例。

しかもその内容は、残業時間の削減といったもの。

これはいわば「働かせ方改革」である。

本当に必要なのは現場で働く一人ひとりの「働きがい」を創出するための改革である。

この点で、中小企業は大企業より有利だ。 

大企業は組織が大きく業務が細分化されているため、一人ひとりが「誰かの役に立っている」ことを実感し、「働きがい」を得ることが難しい構造になっている。

中小企業は、規模が小さいため、エンドユーザーとの距離が近い。

直接クレームを言われることも多いが、「ありがとう」の言葉を聞く機会も多い。

よく言われることだが、「働く」とは「〝傍〟を〝楽〟にする」こと。

この原点に立ち返り、「誰かの役に立つこと」によって感じられる「働きがい」を大切にする人たちを増やす。

これが本当の意味での働き方改革ではないだろうか。

このような「働きがい」溢れる組織に共通する要素は次の7つ。

1.経営者の思いが言語化されている

2.経営者の思いに共感した人を採用し、その思いが共感され続けている

3.経営者の視点が社員同士の関係性に向いている

4.社員それぞれの役割が明確である

5.ワンマン型組織ではなく、サークル型組織が実現されている

6.モチベーション向上施策が効果を発揮している

7.人を育てる組織風土がある

規模の小さい中小企業は賃金等の処遇の面では大企業に比べて不利だ。

だから、採用面でも魅力ある賃金を提示することはできない。

しかし、「カネ」で釣った人材は、「カネ」で辞めていく。

給与・待遇で会社を選んでいる人材は、もっと条件の良い会社が見つかれば、簡単にそちらに転職してしまう。

だから、中小企業は「働きがい」で勝負すべきなのだ。

日本の企業の99%以上を占める中小企業で働く人たちが活力を取り戻さねば、日本は元気にならない。

中小企業こそ、「働きがい」を真剣に考え取り組むべきではないだろうか。

2019年11月 7日 (木)

暴走する能力主義/中村高康

Photo_20191105082101

 いま人々が渇望しているのは、「新しい能力を求めなければならない」という議論それ自体である。

教育改革が叫ばれている。

従来の暗記中心の教育から、これから必要とされる能力を習得する教育に転換する必要があるというものだ。

生きていくためには、知的な能力も重要だし、周囲の人たちと協調していけるだけのモラルも必要だし、体力も必要だ。

これまでの一元的な能力の見方から多様で多元的な能力を総合的に評価する方向に舵を切り、これらを育てていこうという方向である。

しかし、この能力という言葉ほどあいまいでつかみどころのないものはない。

社会的に広く求められる能力を議論する場合、それよりもずっと抽象度の高い能力を問題にする。

「頭の良さ」「運動神経」「学力」「コミュニケーション能力」「コンピテンシー」などである。

そしてそのような抽象度を持った能力を扱う場合には、能力そのものの正確な測定はほぼ不可能であり、能力の測定で妥協するしかない。

どれほどの統計的・科学的道具をもってしても、このような抽象的な能力を直接測ることはきわめて困難なのである。

また、「能力」に関わる議論の怪しさは、なにも「新しい能力」に限ったものではない。

なぜなら、社会的に議論される抽象的な能力は、もともと厳格には測り得ない性質を持っているからである。

だから、「能力をどのように測ったらよいのか」という問題は、近代化以降つねに社会的争点となってきたし、これからもなり続けることになるだろう。

要するに、「能力を測る」というプロジェクトには、ゴールは事実上ないようなものなのだ。

そして、この議論は、全体として能力観が転換しているとの根拠のない前提がある

そのうえで、「ではどんな新しい能力が必要か」を無理やりひねり出そうとしている。

今の議論、「いつか見た光景」といった観をまぬかれない。

2019年11月 6日 (水)

不変のマーケティング/神田昌

Photo_20191104070801

 お客から選ばれるためにはお客を選ばなくてはいけない。あくまでも高収益の会社に持っていくには、傲慢なことを持っていなくてはいけないのだ。

高収益の会社にするために、これは非常に重要なことだ。

普通会社はお客から選ばれる商品やサービスを提供しようとする。

これは決して間違いではない。

ただし、他のライバル社も同じことを考えている。

結果、似たような商品やサービスを提供する会社が乱立することによって、競争は激化する。

そうするとどうしても価格競争になってしまう。

いわゆるレッドオーシャン。

価格競争になると体力の強い会社が圧倒的に有利。

中小企業に勝ち目はない。

この無間地獄に巻き込まれている会社は多いのではないだろうか。

大事なことはお客を選ぶという発想。

逆に言えば、こんなお客には来てもらいたくないということを明確にする。

つまり、特定の人だけが欲しがる商品やサービスを提供すること。

これは特定の人以外は買ってもらいたくないというメッセージでもある。

これがあって初めて高収益になる。

特に規模で劣る中小企業には大事なことではないだろうか。

2019年11月 5日 (火)

妻語を学ぶ/黒川伊保子

Photo_20191103062701

 女の不機嫌には、それこそ星の数ほどの理由があるが、その示し方の種類は、実はそうたくさんあるわけじゃない。網羅してみたら、日常で使われる「不機嫌」表現は、18種類しかなかった。しかも、そのほとんどは「ことばひとつ」で解決できる。暗記できるくらい簡単なことなのである。

本書では妻が不機嫌になる表現18種類が記されているのだが、どれもこれもハッとさせられるものばかり。

ただ、それを実行するのは男の立場で言えば、ほとんど不可能に近いというのが実感である。

女性は、何かをしてもらうとき、相手が「察して」動いてくれることを無意識のうちに切望する。

全部言わなくてもわかってくれる、あるいは、言ったこと以上のことをしてくれる。

それが、女性にとっての「相手を大切に思ったときの自然な行為」である。

男性からしたら、「言ってくれればいいのに」なのだろうが、そこを言わずにやってもらうのが女性脳にとっての「愛」であり、暗黙の意思表示は「愛の抜き打ち試験」ということなのだが、私などは概ね落第だろう。

そもそも「身の回りの物事への無意識の観察力」については、男女脳ではゆうに3倍は違うという。

観察力の低い男性は、女性がやっていることをすべて把握できないので、当然感謝のことばもなく、見過ごす。

女性脳は、察する天才である。

右左脳の連携が男性脳に比べて圧倒的なまでにいい。

右脳は感じる領域、左脳は顕在意識と直結してことばを紡ぐ領域。

この連携がいいということは、感じたことが、顕在意識に上がりやすいということ。

つまり、察しがいいのだ。

また、感覚が言語の領域に直結しているので、ことばが次から次へと口をついて出るということでもある。

さらに、自分の感覚をつねに意識するので、自意識も強く働く。

男から見た女の不可解さの多くは、この連携頻度の高さが生み出している。 

さらに、右脳と左脳の連携頻度が高く、周囲の状況をしっかり把握している女性脳は、世の中の森羅万象がつねに自分に関わるような気がしている。

男と女の違いは、多くはこの男性脳と女性脳との違いによってもたらされる。

大事なことはこの違いをはっきりと認識することではないだろうか。

2019年11月 4日 (月)

「%」が分からない大学生/芳沢光雄

Photo_20191102063201

 数学の学びを、単に「やり方」を覚えるだけの暗記でプロセスの部分を完全に省略するのであれば、それはもはや数学の学びでも何でもなく、テレビで答えを当てるだけのクイズ番組と変わらないだろう。要するに、「やり方」を覚えるだけの暗記の学びだけで育つことは、数学的な考え方を育まないまま人生を送ることになる。

本書は日本の数学教育の警笛の書である。

数学は一歩ずつプロセスを大切にする教科であり、答えを当てる教科ではない。

そのような教科だからこそ、数学を通しての結論は世界中の人々に信頼されている。

ところが現在の数学教育は「やり方」を覚えて真似をするだけの暗記教科になり下がっている。

現実の社会においては、皆が法律やプロセスから脱線しない生き方をすることは残念ながらあり得ないだろう。

それゆえ、毎日、事件やトラブルは絶えない。

しかし数学は、ある意味で理想の世界であって、規則やプロセスを脱線しないことを大切にする世界である。

「問題を解くための手はどこかにある」という諦めない心が、数学に限らず人生全般にわたって大切である。

著者は「問題が解けなくても、せめて15分ぐらいは自分で考える癖をつけることが良い」という。

解けない場合でもしばらく考えてから答えを見たり他人に教えてもらったりすると、迷った分だけ「面」として理解することができる。

そこで、時間を置いてから同じような問題に取り組んでも、なんとか解けるようになることがしばしば生じる。

仮に自力で問題が解けなくても、「線」として理解するのではなく、「面」として問題を理解するためには、時間をかけて問題に取り組むことが大切なのである。

数学は、答えを当てる目的だけの「やり方」を覚える暗記教育ではなく、プロセスを理解させる教育でなくては意味がない。

特に、来たるAI時代に向けた学習では、コンピュータと競うかのような答えを当てる学習スタイルより、論述力のアップを目指す学習スタイルの方が大切なことは言うまでもない。

人材しか大した資源のない日本の将来を考えると、「やり方」を覚えるだけの暗記教育ではなく、プロセスを重視する教育こそ大切ということではないだろうか。

2019年11月 3日 (日)

ナオミとカナコ/奥田英朗

Photo_20191101063401

 人間一人をこの世から排除したという点に関しては、ここに至っても思ったほどの罪悪感はなく、人は案外冷酷に出来ているものだと感じ入ったりした。直美に関しても同様だ。あらたまって話はしていないが、あの夜のことをひきずっている様子はない。人間には、自己を正当化するスイッチが生来備わっているのかもしれない。

ナオミとカナコが、暴力をふるうカナコの夫を完全犯罪で殺害する物語。

夫殺しは犯罪であるにも関わらず、なぜか主人公2人に感情移入してしまうのは、著者の筆力の故であろうか。

途中、犯罪がバレそうになりハラハラドキドキさせられる。

人を殺す話なのに読んだ後、爽快感がある。

たまにはこんな小説を読むのもよいと感じた。

2019年11月 2日 (土)

図解 モチベーション大百科/池田貴将

Photo_20191031054401

 高校生に2つの質問をします。
 質問1「どうしたら世の中はもっと良くなると思うか?」
 質問2「いま学校で習っていることの中で、そのために役立ちそうなことはあるか?」
 この質問を受けた生徒は、そうじゃない生徒と比べて試験勉強の時間が2倍に増えた。

上記のことを通して言えることは、いま自分が取り組んでいる仕事が、社会にどんな風に役立つかを考えると、モチベーションが上がるということ。

モチベーションとは何なのか?

分かったようでわかっていない人が多い。

「やる気を出せ」といえばやる気が出るわけではない。

ではどうすればモチベーションが上がるのか?

本書ではそのようなテーマのもと、モチベーションに関する100通りの心理・行動実験を、ビジネスマンにも応用できるよう図解でわかりやすく解説してある。

その結果、わかってきたことは、

「いい気分」をつくってから仕事に取りかかってもらった方が結果的に作業がはかどり、ミスも減る。

ごほうびは人を幸福にする。しかしその効果があるのは「計画しているとき」だけであり、実現したあとはほとんど効果がない。

批判をすると課題のレベルが上がり敬意を払うと課題のレベルが下がる。

他人との比較よりも、自分の成長度合いによって評価された方が人は努力しやすい。

インセンティブは、「成功したらあげる」より「失敗したら取り上げる」方が効果がある。

なにかをやってもらいたい時は、相手の自主性を重んじた方が、のぞむ結果が出やすい。

「人の考え」は“理由”をたずねると強化され、“目的”をたずねると軟化する傾向がある。

等々、非常に興味深い。

このまま研修のネタとして使えそうだ。

2019年11月 1日 (金)

記者たちは海に向かった/門田隆将

Photo_20191030064201

 熊田が死んで、俺が生き残った──。
 熊田記者の「死」は、生き残った記者たちに哀しみと傷痕を残した。それは、「命」というものを深く考えさせ、その意味を問い直す重い課題をそれぞれに突きつけた。

2011年3月11日、一人の若者が死んだ。

死者・行方不明者2万人近くを出した東日本大震災の犠牲者の中の「一人」である。

だが、この若者には、ほかの犠牲者とは異なる点がひとつだけあった。

それは、彼の死が「取材中」にもたらされたということである。

彼は新聞記者として、大地震と大津波の取材の最前線にいた若者だった。

人々を吞み込んだ大津波の中で、熊田記者は自分の命と引き換えに地元の人間の命を救った。

記者とは「記録者」である。

それを考えれば、人を助けようとして自分が死んでしまえば、記録者にはなれない。

しかし、一方で一人の人間である。

新聞記者は、半分は人間であり、半分は記者である。

熊田が人間として純粋に、人を助けた。

2013年、福島民友新聞は、「熊田賞」を設けることを決めた。

最後まで仕事と向き合った熊田由貴生という人間がいたことを忘れないためである。

2011年3月11日、その時、記者たちは海に向かった。

ある者は命を落とし、そして、ある者は生き残った。

明暗分かれた男たちには、負い目とトラウマが残った。

しかし、そこには、石にかじりついても「真実」を報道しよう、そして「時代」を切り取ろうとする記者たちの執念と責任感が確かにあった。

あの未曾有の悲劇の中で、走り続けた記者たちの姿は、後世の人々の勇気に必ず繫がると思う。

« 2019年10月 | トップページ | 2019年12月 »

2019年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
フォト

井上労務管理事務所

無料ブログはココログ