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2020年1月の28件の記事

2020年1月31日 (金)

脳からみた心/山鳥重

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 絵画的表現の能力と言語的表現の能力は解離して冒されうるものである。一方が壊れたからといって、かならずしももう一方が同じだけ壊れるというものではない。

本書が書かれたのは1985年、今から35年前である。

しかし、その時代であっても脳の機能はかなり解明が進んでいたということがわかる。

例えば、私たちが見るイメージはイメージそのものとして先験的にあるのではなくて、神経系が分割して運んでくる視覚の諸要素をもう一度外界対象と同じ「かたち」に結ぶことで、イメージを作り出しているのである。

私たちは対象そのものを見ているのではなく、われわれの大脳の神経活動の過程を「見て」いるのである。

あるいは、もっと正確には神経活動の過程が表現する「なにものか」を経験しているのである。

対象はそのまま視覚イメージに変換されるのではない。

いったんさまざまな要素に分解され、神経過程を末梢から中枢へ上昇するにつれ、ふたたびまとまりあるイメージへと再構成されてゆく。

私たちが「見て」いるのは、そのような過程のある部分にすぎない。

と、「見る」という行為が説明されているが、35年前にもうここまで解明が進んでいたのだということであろう。

私は脳の専門家ではないので、最新の脳科学がどこまで進んでいるかは知らない。

今はどこまで解明が進んでいるのであろう。

興味がわいてきた。

2020年1月30日 (木)

今さら聞けないあの企業のビジネス戦略35/久恒啓一

35

社員のやる気を引き出し、生産性を高め、安定利益と永続を目指する経営
伊那食品工業株式会社

本書では35の企業のビジネス戦略が40文字で紹介されている。

中でも印象に残ったものの一つは伊那食品工業のビジネス戦略。

長野県の伊那市に本社を置く伊那食品工業は寒天のトップメーカーだ。

創業から2008年までの48期の間、連続して増収増益を達成し、現在の売り上げは165億円、

従業員は約400名。

同社が国内マーケットに占めるシェアは8割、世界でも15%となっている。

社是は「いい会社をつくりましょう」。

そして、経営理念は「社員の幸せを通して社会に貢献すること」。

重視しているのは社員の幸せと会社の永続。

これを実現するために、持続的な低成長をあえて志向している。

急成長をすれば、その反動がくるかもしれない。

場合によっては社員のリストラも招きかねない。

それは社員の幸せにはつながらない、と考えるのだ。

同社の利益率は食品業界としては高い10%。

寒天における圧倒的なシェア、付加価値の高い製品の存在などが理由に挙げられるが、極論すれば、従業員の生産性の高さによるもの。

社員は、一人何役もの仕事をこなしている。

従業員同士がお互いにカバーしあうため、余計な人員を抱える必要がなく、管理のための人員やコストも少なくてすんでいる。

そして本業で稼ぎだした利益は地域社会にも積極的に貢献している。

文化会館、山野草園、水汲み場、美術館、こうした事業にも余裕がない時代から取り組んできた。

こうした姿勢が信用と評判を生み、競争力を高めてきた。

社員の幸せを願う気持ちが従業員のやる気を引き出し、取引先や社会を思う気持ちがファンを生み出す。

この循環が同社の強さの本質だ。

時代が変わっても、これこそ経営の本質ではないだろうか。

2020年1月29日 (水)

「家族の幸せ」の経済学/山口慎太郎

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 女性にとって子どもを持つ暗黙の費用が大きく上がったこと、結婚から得られる「分業の利益」が下がっていることが、未婚率が上昇している大きな理由だと、筆者は考えています。

少子化が問題になっている。

出生率の低下、未婚率の上昇、晩婚化等、原因はいろいろある。

例えば、戦後間もない1950年の50歳時未婚率はわずか1.5パーセントだった。

当時はほとんどすべての人が結婚していだのだ。

男性の50歳時未婚率は、2010年には20パーセントあまりに達した。

女性の50歳時未婚率は2010年には10パーセントほどに達している。

未婚率の上昇と並んで話題になるのは、初めて結婚する年齢の上昇、つまりは「晩婚化」についてだ。

1950年には、女性の平均初婚年齢が23.0歳で、男性は、25.9歳だった。

そこから次第に上昇し、2009年には、女性28.6歳、男性30.4歳へと、男女とも4歳以上、大幅に晩婚化が進んでいる。

子どもを持つことは大きな喜びである一方、経済的な費用を伴う。

そして、この費用、特に暗黙の費用は人によって大きく変わる。

高学歴でキャリアのある女性ほど、子育てによって暗黙のうちに失われる収入は大きくなる。

そうした女性が、子どもを持ちたいと思わない、ひいては、結婚したいと思わなくなるのも無理のないこと。

結婚し、子どもを持ちたいと思う女性にとっても、その子どもによって、自分のキャリアが犠牲になってしまうことは無視できる問題ではない。

仕事を始めてから十分な経験を積み一人前になる前に子どもを持つことは、自分の仕事を失うことにつながりかねない。

せめて、キャリアに対するダメージは小さなものに抑えたいと考えるのは当然のこと。

自身の仕事と家庭生活を両立させるために、出産とそれにつながる結婚を遅らせようと考える女性が増えてきたことが、初婚年齢の上昇に表れているのだろう。 

家族の幸せと経済の問題、いかにして両立させるのか?

大きな課題だといえるのではないだろうか。

2020年1月28日 (火)

人生を変える80対20の法則/リチャード・コッチ

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 80対20の法則は人間を自由にしてくれる。真実とはそういうものだ。楽をしながら、もっと稼いで、もっと楽しめるようになる。そのためには何をすればいいのか。別に特別なことは必要ない。80対20という現実を真剣に考えるだけでいい。そうすれば貴重なヒントが得られる。それを行動に移せば人生は変わる。 

80対20の法則とは何か。

80対20の法則とは、原因、投入、努力のわずかな部分が結果、産出、報酬のかなりの部分をもたらす、

つまりアウトプットのほとんどはインプットのごく一部から生まれる、というものだ。

80対20の法則の基本原理が発見されたのは、100年以上前の1897年。

発見したのはイタリアの経済学者ヴィルフレード・パレートだ。

「パレートの法則」とも呼ばれるが、本書では「80対20の法則」と呼んでいる。

80対20の法則は、何の母集団をとっても、圧倒的に重要なものと、そうでないものが存在することを教えてくれる。

だいたい結果の80%は原因の20%から生まれると考えられる。

ときにはもっと少ない要因がもっと大きな成果を生むこともある。 

圧倒的な成果を出している人や組織は、その数少ない重要なことを徹底的に利用して、有利な状況をつくりだしている。 

80対20の法則とは、原因、投入、努力のごく一部が、結果、産出、報酬のかなりの部分をもたらすという法則である。

ビジネスの世界で、この80対20の法則があてはまる例は枚挙にいとまがない。

通常、売り上げの80%をもたらすのは、20%の製品、20%の顧客である。

利益の80%をもたらすのも、やはり20%の製品、20%の顧客である。

社会をみると、犯罪の80%は20%の犯罪者によるものであり、交通事故の80%は20%のドライバーが起こしている。

離婚件数の80%を20%の人たちが占める。

教育上の資格の80%を取得するのは20%の子どもたちだ。 

ここで大切なのは、「代替」という発想だ。

目的の達成にあまり役立たない資源は、投入しないか投入を控える。

逆に、目的の達成に効果的な資源は、できるだけたくさん投入する。

どの資源も、それがもっとも価値がある場所で使うのが理想的だ。

本を読むときもこの法則が当てはまる。

本の価値の80%は、ページ数にして20%以下の中に見つけることができる。

だから、通読する時間の20%で、本の価値の80%を吸収できる。

時間には限りがある。

そして資源にも限りがある。

だからこそ、「80対20の法則」を有効に使うべきだろう。

2020年1月27日 (月)

1940年体制/野口悠紀雄

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 日本は終戦時に生まれ変わったといわれている。しかし、経済の基幹的な部分には、戦時期に導入された制度や仕組みがいまだに根強く残っている。「日本型経済システム」は、戦時期に生まれたと考えることができるのである。

戦後体制という言葉がある。

日本の今の体制の基礎は戦後構築されたという意味でつかわれる。

しかし、著者は現在の日本経済を構成する主要な要素は、戦時期に作られたと主張し、それを1940年体制と名付けている。

これは、二つの意味を持っている。

第一は、それまでの日本の制度と異質のものが、この時期に作られたことである。

日本型企業、間接金融中心の金融システム、直接税中心の税体系、中央集権的財政制度など、日本経済の特質と考えられているものは、もともと日本にはなかったもの。

戦時経済の要請に応えるために人為的に導入されたものである。

第二の意味は、それらが戦後に連続したことである。

これは、終戦時に大きな不連続があったとする戦後史の正統的な見方には反するものだ。

戦時経済体制に向けての諸改革は、1940年前後に集中してなされた。

この時期は日本が太平洋戦争に突入する直前であり、総力戦を戦うためにさまざまな準備が必要だった。

そこで、この時期に形成された経済体制を、「1940体制」と著者は呼ぶ。

著者は「1940体制」として四つの点を指摘する。

第一は、「日本型」の企業構造である。

日本の企業は、経済学の教科書にあるような株主のための利潤追求の組織というよりは、むしろ、従業員の共同利益のための組織になっている。

これは、日本の文化的・社会的な特殊性に根差すものだと説明されることが多い。

しかし、戦前期においては、日本でも経営者は会社の大株主であり、企業は株主の利益追求のための組織だったのである。

それが大きく変わったのは、戦時体制下である。

1938年に「国家総動員法」が作られ、それに基づいて、配当が制限され、また株主の権利が制約されて、従業員中心の組織に作り替えられた。

これによって、従業員の共同体としての企業が形成されていった。

また、日本の製造業の大きな特徴である下請制度も、軍需産業の増産のための緊急措置として導入された。

第二は、金融システムである。

1930年代ごろまでの日本の金融システムは、直接金融、とりわけ株式による資金調達がかなりの比重を占めていた。

このようなシステムが、戦時期に間接金融へと改革された。

これは、資源を軍需産業に傾斜配分させることを目的としたものである。

第三は、官僚体制である。

官僚制度自体は明治以来の伝統をもつが、その性格は、戦時期に大きく変貌した。

それまでは官僚が民間の経済活動に直接介入することは少なかった。

しかし、1930年代の中頃から、多くの業界に関して「事業法」が作られ、事業活動に対する介入が強まった。

さらに、第二次近衛内閣の「新経済体制」の下で、より強い統制が求められるに至り、「重要産業団体令」をもとに「統制会」と呼ばれる業界団体が作られた。

これらが、官僚による経済統制の道具となった。

また、営団、金庫など、今日の公社、公庫の前身も、この時代に作られた。

第四は、財政制度である。

戦前期の日本の税体系は、地租や営業税など、伝統的な産業分野に対する外形標準的な課税を中心とするものだった。

また、地方財政はかなりの自主権をもっていた。

1940年の税制改革で、世界ではじめて給与所得の源泉徴収制度が導入された。

所得税そのものは以前からあったが、これによって給与所得の完全な捕捉が可能になった。

また、法人税が導入され、直接税中心の税制が確立された。

さらに、税財源が中央集中化され、それを特定補助金として地方に配るという仕組みが確立された。

以上の四つである。

日本がいまだに戦時体制だとの見方は、従来の定説と著しく異なるものである。

しかし、本書を読んで見ると納得できる部分がある。

80年間続いてきたこの体制、とっくに制度疲労を起こしている。

そろそろ変える時期にきているのではないだろうか。

2020年1月26日 (日)

保守と大東亜戦争/中島岳志

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 保守派は理性による設計主義的な秩序よりも、理性を超えた存在に依拠した秩序形成を重視します。保守派が大切にするのは、長年にわたって多くの庶民が培ってきた集合的経験知であり、そこで合意されてきた良識や慣習、伝統です。保守の合理主義批判や伝統の重視の背景には、「人間の完成可能性」に対する懐疑の念が存在します。

保守=大東亜戦争肯定論という等式は、疑ってみる必要があるのではないか?

これが本書の大きなテーマだ。

保守は人間に対する懐疑的な見方を共有し、理性の万能性や無謬性を疑う。

そして、その懐疑的な人間観は自己にも向けられる。

自分の理性や知性もパーフェクトなものではなく、自分の主張の中にも間違いや誤認が含まれていると考える。

そのような自己認識は、異なる他者の意見を聞こうとする姿勢につながり、対話や議論を促進する。

そして、他者の見解の中に理があると判断した場合には、協議による合意形成を進めていく。

これが保守のリベラルな態度に他ならない。

人間は「罪」や「悪」から完全に解放されることはなく、完全な社会をつくり上げることもできない。

人間は有限な存在である限り、神のような完全性をまとうことはできない。

人間にとって普遍的なのは「理性の無謬」ではなく、「理性の誤謬」だ。

人間社会が完成されることはなく、常に不完全なまま推移していくことを余儀なくされる。

それが人間であり、人間によって構成される社会のあり方だ。

保守は個別的な理性を超えた存在の中に英知を見出す。

それは伝統、慣習、良識などであり、歴史の風雪に耐えてきた社会的経験知だ。

この集合的な存在に依拠しながら、時代の変化に対応する形で漸進的に改革を進めるのが保守の態度だ。

保守は革命のような急進的変化を嫌う。

なぜならば、ラディカルで極端なものの中には、必ず理性への過信が含まれているからだ。

保守が目指すのは、戦争による絶対的世界の実現などではなく、秩序を維持するための「永遠の微調整」だ。

そう考えると保守=大東亜戦争肯定論という等式は、明らかに間違っているということがわかる。

中には保守と右翼を同じものだと考えている人がいる。

まず、保守の意味を正しくとらえることから始める必要があるのではないだろうか。

本書を読んで、そんなことを考えさせられた。

2020年1月25日 (土)

エクストリーム・チームズ/ロバート・ブルース・ショー

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 一般的な企業とチームは、「末期的な『良い人』病」にかかっている。みんなで仲良く固まるだけの「小さな白ウサギ文化」を生み出してしまっている。


本書が注目する先鋭的な企業はチーム制の持つポテンシャルを理解し、新たなアプローチを実験していこうという意欲がある。

こうした企業で活躍しているチームのことを、著者は「エクストリーム・チーム」と呼んでいる。

一般的な企業の先を行く大胆かつ新しいアプローチを果敢に取り入れているからだ。 

一般的な企業とチームが、「末期的な『良い人』病」にかかっているのとは反対に、エクストリーム・チームは、目標を達成するためには衝突や緊張関係が必要だと心得ている。

エクストリーム・チームは、気まずさを恐れない環境を作る力がある。

そうすることによって、生産的に衝突を表面化させ解決している。

先鋭的企業は、革新的な方法でチーム制を活用し、ライバルを打ち負かしている。

こうした企業のエクストリーム・チームには、5つの成功のための方法がある。

第1に、執着心を共有する

エクストリーム・チームのメンバーは、自分が手がけている仕事と、自分が加わっている企業に対し、強いこだわりを抱いている。

カルト的と言えるほどの熱の入れようで、自分たちの力で世界を変革するのだと考えている。

逆境も克服できると心の底から信じている。 

第2に、採用は能力よりも適性

エクストリーム・チームは、メンバー個々人の資質を重視している。

チームの目標達成に寄与する意欲、価値観、気質を兼ね備えたメンバーが適切にミックスされるよう、独自の手法を導入している。

企業やチームの文化にフィットする人材を採用し昇進させる。

そうした人材にチームへの参加を求め、そうでなければ去ってもらうことも辞さない。 

第3に、ビジネスの焦点を絞ると同時に広げる

エクストリーム・チームは、目標達成につながる限られた領域を猛烈に追求していく。

優先事項に最大限の時間を注ぎ、余計な気を散らせることは徹底的に排除する。

その一方で、現状の製品やサービスの先を行く成長をつかむべく、新たな機会を発掘するための時間、リソース、自由裁量権を広く確保している。 

第4に、ハードかつソフトな企業文化の追求

エクストリーム・チームは、一般的なチームよりハードでもあり、ソフトでもある。

はっきり定められた目標に向かって目に見える結果を何が何でも出していくという点では、こうしたチームの文化はきわめて厳しい。

自分たちの弱点にはオープンに対峙するし、パフォーマンスを発揮していない者を見逃さない。

一方で、協力、信頼、忠誠心が自然と育つような環境作りへの協力も惜しまない。 

第5に、気まずさを恐れない

エクストリーム・チームは衝突を恐れない。

むしろメンバー間の衝突を推奨することもある。

たとえ気まずい事態になるとしても、話し合うべき問題に対してぶつかり合うことで、より良い結果につながると信じている。

イノベーションのために大きなチャレンジやリスクに挑む力も重視する。 

以上の5つである。

本当の意味で、強いチームとは何か?ということを考えさせられた。

2020年1月24日 (金)

欧州ポピュリズム/庄司克宏

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 EUの最大の失敗は何か、という調査で、大衆は、難民危機、官僚主義と過剰な規制、大量移民をトップ3として挙げている。これに対し、エリートが挙げるトップ3は、官僚主義と過剰な規制、難民危機、緊縮政策である。両者の意識には明らかな相違があることがわかる。

ポピュリズムとは「大衆迎合主義」とも称されるが、一般に、次のように定義される。

「特権的エリートに対抗して一般大衆の利益、文化的特性および自然な感情を強調する政治運動。正当化のために、ポピュリストはしばしば、チェック・アンド・バランスや少数派の権利にあまり配慮することなく、直接に、すなわち大衆集会、国民(住民)投票や、大衆民主主義の他の形を通じて、多数派の意思に訴える。」

この定義に見られるとおり、ポピュリズムにおいては、多数派の一般大衆と特権的エリートとの対抗関係が前提とされている。

いま、欧州で行われている選挙で各国のポピュリスト政党が台頭し、浸透している様子がうかがえる。

いまや、欧州ポピュリズムは一過性の問題ではなく、持続的な脅威なのである。

EU加盟国において、急進右派ポピュリスト政党への支持率がとくに高いのは、旧共産圏のハンガリー、ポーランド、また、難民・移民の流入が多かったオーストリア、デンマークなどである。

これに対し、急進左派ポピュリスト政党への支持率がとくに高いのは、欧州債務危機で打撃を受けたギリシャ、イタリア、キプロス、スペインなどとなっている。

ポピュリズム政党は、移民排斥を主張する排外主義・ポピュリズムと、司法権の独立などを否定しようとする反リベラル・ポピュリズムに大別できる。

反リベラル・ポピュリズムは、民主主義には従うが、個人の自由な活動領域をできる限り確保しようとするリベラリズムに反対する。

そして、EUは、リベラル・デモクラシーを体現している。

これが目に見える形ではっきり現れたのが、イギリスのブレグジットであろう。

2016年に行われた国民投票では、EU残留を望むキャメロン首相の訴えもむなしく、ブレグジットが支持され、EU離脱の「民意」が示された。

今後、このような流れは欧州各国で加速するものと思われる。

しかし、それと同時にEUの限界や矛盾も見えてきたということではないだろうか。

2020年1月23日 (木)

海の歴史/ジャック・アタリ

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 世界は今でも海そして海底で起きることに大きく依存する。国家のサバイバルに必要なものは、今後も海を通じて運ばれてくる。紛争が起きてから最初の戦いの場になるのは、これまでと同じく海だ。それは敵の天然資源の供給路を断つためであり、敵の来襲を阻止するためである。テロ組織は、経済的、地政学的な権力が実際にはどこに宿るのかを察知し、その脆弱性に気づくかもしれない。用心しないと、彼らは海を攻撃対象にする。したがって、領土防衛の争点は、遠くの海と深海までを含む、海上および海底なのだ。

地球の71%は海である。

海には多くの生物種が生息している。

海は私たちの暮らしに必要不可欠なのだ。

海は太古より、収穫、冒険、発見、貿易、富、権力だけの場だったのではない。

第一に海は、文化の主要な源泉だった。

海は、自由という重要なイデオロギーの源泉なのだ。

私たちは海から、広大さ、陶酔、悲劇を学ぶ。

海は歴史的に女性よりも男性の王国だった。

だからこそ、女性よりも先に男性が自由を追い求めた。

過去では、女性はほとんど航海しなかった。

女性が乗客以外の立場として船上にいることは稀だった。

だが今日、洋上での女性の存在感は増している。

これは男女全員の自由の発展度を計測する優れた物差しといえる。

人類がノマドだったころ、海はノマディズムの究極の場だった。

海上におけるリスクは、不毛の砂漠よりもはるかに高かった。

海ではちょっとした事故や些細なミスであっても死につながるからだ。

また、海は砂漠よりも、冒険、大胆さ、選択、自由の場だ。

海は砂漠とは異なり、権力が跋扈する場でもある。

だからこそ、海を理解する素養があれば、サバイバルや成功が保証され、倫理や生命に対する理解が深まり、大局観を築き上げることができる。

航海する人はもちろん、海と接する人、あるいは海とともに生きる人は、こうした素養を培うことができる。

そのような人々が世界を支配する。

そして勝者のイデオロギーが形成されるのも海上なのである。

今日、近代的な倫理観が明確に築き上げられるのも海上だ。

海によって育まれるそうした価値観は、人類史においてすべての価値観のなかで最も重要である。

この価値観は現存するすべての文明を形づくっている。

すなわち、それは自由になりたいという欲望である。

海は、嵐、海難事故、海賊、海戦など、数多くの不幸が生じた場だ。

さらには、港は、伝染病がもち込まれ、悪い知らせが届き、敵の来襲があった場だ。

海は、人類にとっての多くの重要な発見とイノベーションがあった場でもある。

文明は熱意をもって海と向き合うほど活力を増す。

海から見た歴史を語ることが海の歴史である。

海が死ねば歴史も終わる。

海が死んでも生命が消え去ることはないが、人類は消滅するだろう。

本書を読んで、海は生きとし生けるすべてのものの源だと知らされた。

2020年1月22日 (水)

哲学的探究における自己変容の八段階/諸富祥彦

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〈哲学する〉ことは、ものごとを「自分自身で」「できるだけ最初から」考えていくことである。これは、きわめて骨の折れる、しんどい作業である。しかし、哲学的な知識の断片をペダンティックに振り回すための〈思想〉ではなく、自己の生き方を根っこから組み立て直すに足るだけの力を持つ〈哲学〉を求める時、この「考えぬく力」は欠くことのできないものとなるのである。


本書で言う〈哲学〉とは、自分の「生き方」について自分自身で考えぬく方法のことである。

そうすることを通して、それまでの自分を破壊し、新しい自分へと自分を根本からつくり変えていく技術のことである。

〈哲学〉することにおいて人は、一般通念に捕らわれた自分の生き方・考え方を、あえて徹底的に疑い、その根拠にまで遡って問うていく。

なぜ人は自分の〈幸福〉を求めるものだし、また当然そうしてよいと言えるのか、と。

その理由をどこまでも突き詰めて問うていく。

真に納得のいく答えが得られるまで。

すると多くの場合、通常は「当たり前」と思われているそのような考えに、実は明白な根拠などないことに気づいていく。

だから〈哲学する〉人は、自ずとそうした一般通念から解放されてゆく。

と同時に、それまでとはまったく異なる新たな生き方を問い求め始めるのである。

〈哲学〉とは、「ものごとを、できるだけ最初から、自分の頭で考えぬく」思考の過程そのものに他ならない。

答えのない時代であるからこそ、時には〈哲学的に〉自分の生き方を考えてみるのもよいのかもしれない。

2020年1月21日 (火)

哲学/小川仁志

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 そもそも哲学とは物事の本質を探究する営みである。ということは、そのためのプロセスを修得してもらう必要があるわけである。それは、疑う、関連させる、整理する、創造するというプロセスにほかならない。さらに付け加えるなら、最後にその思考の結果を言葉にすることである。

一言でいうと、哲学とは物事の本質を探究する営みである。

つまり、自分を取り囲むこの世界を、言葉によって理解し、意味づけるための道具だといってよい。

本質というのはその物事のすべてだということができる。

フランスの哲学者ジル・ドゥルーズが、まさにこういっている。

哲学とは概念の創造であると。

だから思考の探検は、すでにあるものを探すのではなく、自分自身が新しいものを作り出す営みである。

哲学を身につければ、物事を批判的に見ることができるようになるだけでなく、論理的に考えらえるようにもなる。

対象を頭の中でさっと整理して、まとめる力がつく。

また、物事の本質をとらえることができるようになる。

物事の本質を探究するためには、そのためのプロセスを修得する必要がある。

それは、疑う、関連させる、整理する、創造するというプロセスだ。

まず疑うとは、常識や感覚でとらえたものや、思い込みを否定することである。

あえて違うと否定するのだ。

たとえば、「パソコンとは何か?」。

おそらく多くの人は便利なツールと考えていることだろう。

しかし、あえてそれを疑うのである。

そうやって疑ったら、今度は新しい情報を関連させる。

なぜなら、これまで抱いていたパソコンの像が破壊され、答えがわからなくなってしまったからだ。

ここではじめて、一からパソコンとは何かを考えるのである。

そして次にこれらの情報を整理する必要がある。

この場合、同じような情報はグループにまとめて、最終的に一文にしていく。

そうすると、「パソコンは便利である一方で、人間から思考力や時間を奪うネガティブな側面もあるインフラだ」といっていいだろう。

これをもっとブラッシュアップする。

その際、最後の創造を意識する必要がある。

「哲学する」とは、物事の意味を自分の知識と論理と言葉を使って再構成する営みである。

とりもなおさず、それは意味の創造にほかならない。

ここではパソコンの新しい意味を創造しているわけだ。

すると、「パソコンとは便利さと厄介さが同居するインフラ」、もっというと、「矛盾を抱えたインフラ」なのだ。

これがパソコンの本質である。

そしてこれが哲学するということなのだ。

自分の周りのものを、疑う、関連させる、整理する、創造するというプロセスで再構築することによって、これまでと違った全く新しい見方ができるようになるのではないだろうか。

2020年1月20日 (月)

はじめての哲学的思考/苫野一徳

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 哲学とは何かという問いにひと言で答えるなら、それはさまざまな物事の〝本質〟をとらえる営みだということができる。

哲学者と呼ばれる人たちは、さまざまなことがらの「そもそも」を、どこまでも考えずにはいられない人間だ。

だからまともに相手をしたら、はっきりいって面倒くさくて仕方ない。

人はどうすれば幸せになれるのか?

どうすれば平和な社会を築けるのか?

どうすれば人と人は分かり合えるのか?

恋とは何か?

愛とは何か?

宗教とは何か?

言葉とは何か?

生きる意味とは何か?

こうしたさまざまな問題に、哲学はこれまでにちゃんと〝答え〟を見出してきた。

もちろん、それは絶対の正解というわけじゃない。

でも、「なるほど、それはたしかに本質的だ!」とうなってしまうような考え方を、哲学者たちは長い思考のリレーを通して築いてきたのだ。

哲学、それは、さまざまな物事の〝本質〟を明らかにするものだ。

恋の本質、人間の本質、言葉の本質、教育の本質、よい社会の本質……。

〝哲学的思考〟とは、こうした物事の〝本質〟を明らかにする思考の方法なのだ。

今のような変化が激しく価値観が多様化している時代であるからこそ、哲学が必要なのかもしれない。

2020年1月19日 (日)

吉田松陰と幕末志士たち/橘龍介

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 日本史上最大の改革を成し遂げたのは、驚くほどの奇人変人たちだった。誰もが呆れかえるような大言壮語を吐き、それを実行に移そうとした人物が、松陰を筆頭に多くいたのだ。そして、江戸末期の社会では浮いた存在だった〝変わり者〟たちが、本当に一国を作りかえてしまった。歴史というのは、本当に面白いものだ。

本書は吉田松陰と幕末志士たちを〝変わり者〟と称している。

そして〝変わり者〟だからこそ世の中を大きく変えられたのではないかという切り口で述べられている。

吉田松陰には〝天才と狂気は紙一重〟とでも表現するべき、奇人変人としての要素が備わっていた可能性が高い。

当然、そんな人物が主催する私塾に集まる若者たちも、相当の変わり者だったことは想像に難くない。

松下村塾の場合は、社会不適合者を集めた挙げ句、社会に順応させるどころか〝幕府を倒す〟という目標を掲げて、より反社会的に育成していくのだから、まさに常識外の教育施設と言えよう。

要するに〝社会不適合者の集まりだからこそ新時代を拓くことができた〟という側面もあり、当時の尺度から見て奇人変人だったとしても、吉田松陰の歴史的意義が揺らぐものではない。

松陰は〝開国か攘夷か〟で揺れる多くの若者を前に「いずれは開国だが、今は攘夷だ」と語っている。

実のところ、彼は鎖国したいわけでも、排外主義を採っていたわけでもなかった。

欧米列強の脅しに屈する形で開国するのではなく、早急に近代化を進めて対等の立場で国交を結ぶべきだと考えていたのである。

実際、歴史を変える人物には〝変わり者〟が多い。

考えてみれば、戦国の騒乱を勝ち抜き、天下統一への足がかりを作った織田信長も、若い頃には〝尾張の大うつけ〟と疎まれていた。

時代が大きく動く時に活躍するのが、奇人変人の類いであることは歴史的にも証明されていると言えよう。

そう考えると、今の日本のリーダー、常識人があまりにも多いような気がする。

2020年1月18日 (土)

「期待」の科学/クリス・バーディック

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 人間には自己欺瞞の能力、つまり自分の心を欺く能力がある。しかし、私たちが心に抱える「期待」、「予測」の力はそれを上回る。私たちの見ている世界像は、多くの部分が実はこうした期待や予測から成っている。もちろん視覚や聴覚、味覚、触覚などの感覚情報を基に「ボトムアップ」で組み立てられる部分もあるが、頭の中にある期待や予測を基に「トップダウン」で作られる部分もある。

本書では人間の期待や予測が過去、どういうふうに扱われてきたか、その歴史や科学的な研究の成果を紹介している。

人間の脳には、常に未来を見る癖がある。

それは生来の癖で、どうすることもできない。

私たちは今、この時を生きているつもりだが、脳の関心はほとんど今には向けられていない。

いつでもどこでも脳は「この先はどうなるのか」という予測ばかりをする。

あまりに当たり前になっているので私たちは日頃それを意識しない。

特殊な状況に置かれない限り、自分が自分の脳の未来予測に支配されているなどとは思わないのである。

人間は常に心の中に自らの限界を設けようとする。

これ以上は無理と考え、自分の能力を抑制しようとする。

しかし、この「限界」は変化していく。

例えば、オリンピックの100メートル走。

東京オリンピックまでは10秒の壁があった。

ところが、それを一人の選手が破ると、今や9秒台は当たり前となった。

サッカーのPK戦の結果には一定のパターンがあるという。

まず総じて言えるのは、大事な試合であればあるほどシュートの成功率が下がるということである。

また、最初のシュートと二本目のシュートは、その後のものより成功率が高い。

フォワードの選手はミッドフィルダーよりも、またミッドフィルダーはディフェンダーよりも成功しやすい。

だが、もっと結果に大きく影響する要素がある。

それは選手の抱える不安の大きさだ。

シュートに失敗する選手は多くの場合、不安に覆われた表情をしている。

「認知の具現化」という考え方がある。

この理論は、「感情は脳が身体の自動的な反応の意味を解釈することによって生じる」というものである。

つまり、何か不安があるから心臓の鼓動が早まり、掌に汗をかくのではない、ということだ。

「不安」という感情は心臓の鼓動が早くなったり、掌に汗をかいたりといった身体の反応を脳が解釈した結果として生まれる、という。

この理論が正しければ、様々な推測が成り立つ。

そして実験によってその多くが正しいことも確かめられている。

人は楽しいから笑うというよりも笑うから楽しい。

自信があるから顔を上げるのではなく、顔を上げるから自信が湧いてくる。

憂鬱だからうつむくのではなく、うつむくから憂鬱になる。

だとすれば、未来を変えようと思うならば、まず姿勢や表情や言葉を変えることが大事だといえるのかもしれない。

2020年1月17日 (金)

マネジャーの実像/ヘンリー・ミンツバーグ

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 マネジメントは、アート、クラフト、サイエンスの三要素がそれぞれの頂点をなす三角形の中でおこなわれるとみなせる。アートは、マネジメントに理念と一貫性を与える。クラフトは、目に見える経験にもとづいて、マネジメントを地に足のついたものにする。そしてサイエンスは、知識の体系的な分析を通じてマネジメントに秩序を生み出す

マネジメントは日本語では「管理」と訳すがそんな単純なものではない。

マネジメントとは、管理することであり、ものごとを実行することであり、考えることであり、リーダーシップを振るうことであり、意思決定をくだすことであり、それ以外のもろもろのすべての活動のことである。

しかも、そうしたすべての要素の単なる総和ではなく、すべてが混ざり合ったものだ。

だから、マネジメントの方法論にマニュアル化できる部分はほとんどない。

が、暗黙知はたくさんある。

しかし暗黙知という性格上、簡単にはその全容を把握できない。

マネジャーが欲しがるタイプの情報は、おうおうにして人間の頭の中に保存されている。

デジタル化して保存するためには、その情報を文字にしなければならないが、それには時間がかかるし、マネジャーは多忙をきわめている。

結果として、組織の戦略に関するデータベースは、コンピュータの中と同等、もしくはそれ以上に、マネジャーの頭脳にたくわえられている。

要するに、マネジメントとは、永遠に、一時たりとも解放されることのない仕事なのだ。

マネジャーに仕事を忘れる自由はなく、仕事をすべて片づけたという解放感はたとえ一時的にでも味わえない。

成功するマネジャーは、誰よりも大きな自由を手にしている人物ではなく、手持ちの自由を最大限活用できる人物のようだ。

著者の観察によれば、マネジャーの行動に及ぼす影響が飛び抜けて強かったのは、組織のタイプだったという。

著者は6つのタイプの組織とマネジメントのスタイルを挙げている。

第1に、起業家型組織

一人のリーダーを中心とする中央集権型の組織。

リーダーは戦略ビジョンを打ち出すほか、自分自身で実行と取引を活発におこなう。

第2に、機械型組織

正式な構造をもっていて、単純な反復的業務をおこなう。

マネジャーは、明確に示された指揮・命令関係にもとづいて行動し、コントロールの役割に割く時間がきわめて多い。

第3に、専門家型組織

専門家で構成される組織で、メンバーはおおむね自分の判断で仕事をする。

マネジャーは主に、メンバーを支援し守るために、外部と関わることと取引をおこなうことに力を注ぐ。

第4に、プロジェクト型組織

専門家で構成されるプロジェクトチームを中心に、革新的な活動に取り組む組織。

シニアマネジャーは、プロジェクトを存続させるために、外部と関わり、取引をおこなうことに努める。

一方、プロジェクトマネジャーは、人々を導くことによりチームワークを高め、現場の業務を実行して課題を処理し、外部と関わることを通じてほかのチームとの連携を図る。

第5に、ミッション型組織

強力な組織文化に支配されている組織。

リーダーは、その文化を維持・強化するために、人々を導くことを重んじる。

第6に、政治型組織

トラブル対応に追われる。

マネジャーはときに、問題の火消しのために、自分自身でものごとを実行し、外部と取引することに時間を割かれる。

以上の6つである。

何れにしても、マネジメントとは正解のない仕事であり、マネジャーとして立たされたものは、その中で自分の仕事のスタイルを模索しているということではないだろうか。

 

2020年1月16日 (木)

達成の科学/マイケル・ボルダック

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 脳を、いつも最高の快楽に向かう追跡型ミサイル誘導システムだと考えてみてください。この誘導システムは痛みを遠ざけ、短期的(過程を楽しむ)、あるいは長期的(持続可能な幸福)な快楽を与えてくれるものに近づこうとします。

本書の一貫した主張は、思考は原因であり、生み出された状況は思考からもたらされた結果であるという原理原則に基づいている。

思考とは、自分自身に対する質問だ。

質問すると自分のフォーカスはコントロールされ、フォーカスするものが何であれ、それに向かって生きていくことになる。

さらに、桁違いの生活を満喫できる人は、長期的思考を持っている。

つまり、ずっと先にある快楽を得るために、目先にある痛みを我慢できるということだ。

成功を収めた人は、快楽を遅らせることに長けており、自己規律を守れる人だ。

彼らは長期的な成功を収めるために必要な日々の行動、そして、短期的な快楽を放棄するのに必要とされる日々の行動を継続的に取ることによって自身が何よりも求めるゴールを達成できる。

すべての成功の基盤は自己規律である。

すべての規律ある努力に対しては何倍もの報酬がある。

そして、自己規律を守る痛みか後悔の痛みのどちらかが必ず存在する。

ただし、例えるなら、自己規律を守ることの重みは数グラムであるのに対して、後悔の痛みは数トンである。

成長とは自分の快適領域を広げることであり、その過程を楽しむことが大切だ。

一旦習慣をつくれば、自分の快適領域を広げつづける限り継続的に成長できる。

したがって、特定の結果をすぐに得ようとするよりも、規律を守る習慣を確立させるほうがより重要なのだ。

正しい習慣を確立することに焦点を合わせれば、必ず結果はついてくる。

成功習慣をつくるうえで、人が犯してしまう最大の間違いは、苦痛を克服することによってしか成功習慣をつくることができないと考えることだ。

快楽と習慣をつくる過程を結びつけられず、その瞬間瞬間の幸福を奪われてしまっていると考えてしまうのだ。

大事なことは、行動を変えるほどのモチベーションを与えてくれるワクワクするような長期的ゴールを持つこと。

これがよい習慣をつくり、成功をもたらす。

ワクワクするような長期的ゴールをもつこと。

是非とも実行したいと思う。

2020年1月15日 (水)

苦しまなくて、いいんだよ。/プラユキ・ナラテボー

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 最も大切なのは「今ここ」です。たとえ悩み苦しみにより、暗い深淵に落ち込み、萎れていようとも、今ここから気づきを持って生きれば、明るい光に照らされ、みずみずしい生命力がよみがえってきます。悩み苦しみから解放され、深いやすらぎに包まれ、イキイキと、滋味豊かな人生を送ることができます。

本書は「苦しみ」への向き合い方をブッダの教えを通して説いている。

苦しみの解決に至るための最初のポイントを、ブッダは「苦諦」、すなわち苦の認知であるとした。

これは「苦しみとしっかり向き合う」ということ。

ブッダは「苦しみ」はただ見きわめ、知り尽くす対象であり、苦しむ義務はないとしている。

すなわち、苦しみに苛まれたり、翻弄されたり、ハマり込んだりすることは正しいことではない。

また、そのような必要もまったくないと言っている。

更に、生じてきた苦しみという現象それ自体に対しては、認知するだけでよく、具体的な働きかけはしなくてもよいとしている。

なぜなら、苦という現象は何らかの「原因」によって生じた「結果」であり、単なる「症状」にすぎないから。

大切なのは「今この瞬間」という意識を持つこと。

今この瞬間、目に入ってきている色彩や形、聞こえてくる音、香り、皮膚に感じる感覚など、十分に味わってみる。

たとえ誰に会おうと、どんな出来事に遭遇しようとも、どんな感覚に触れようと、どんな思いが生じてこようとも。

今ここ、今ここ、気づきを持って、心込めて触れ合っていく。

そしてそのために瞑想を勧めている。

少し瞑想への興味がわいてきた。

2020年1月14日 (火)

世界は宗教で動いてる/橋爪大三郎

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 キリスト教文化圏では、宗教が第一で、次が哲学。政治はそのまた次ぐらいに位置します。日本は、おそらくビジネス(生産活動)が一番でしょう。宗教も哲学も、あまり地位を認められていない。中国では、なんと言っても、政治が重要です。経済と比べても、政治がはるかに大事。政府の活動を重視する。政治は経済に介入できるし、介入するのは当然と考えられています。逆に、経済が政治に影響を与えることは嫌われています。

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、それぞれの文化圏では宗教が第一、

この考えが分からないと今、世界で何が起こっているのかがわからないというのは著者が本書で述べていることである。

Godは人間を、絶対的に支配している。

なぜそう言えるか。それは、Godが天と地とすべてを創造し、人間も創造したから。

このGodの、「絶対的主権」の考え方がわからないと、一神教は理解できない。

キリスト教はもちろん、ユダヤ教も、イスラム教もわからない。

日本にも宗教がある。

しかし、一神教の世界でのGodと日本のカミとは、まったく違う。

キリスト教徒は、その時どきに力のある統治者に、政治を任せる。

その統治者はキリスト教徒であることが望ましいが、絶対というわけではない。

その統治者に協力する条件は、信仰が守られること。

だからアメリカ大統領は就任時、聖書に手を置いて宣誓する。

地上にある権威は、すべて神が立てたものである、悪を正すために彼らは剣を帯びている、正義のために政治権力はあると聖書に書かれている。

聖書では、最後の審判までの「つなぎの期間」に、人間が人間を統治してよいという政治の仕組みを定めている。

ルターはその政治を、隣人愛の精神で行なうべきだとした。

統治者は合法的に選ばれた人物であるべきで、それは神が人間のために与えたもの。

クリスチャンはそれに従う義務がある。

アメリカはこのように考える。

イスラム教からみると、旧約の預言者に従うのが、ユダヤ教徒。

新約の預言者イエスを神の子キリストだとして従うのが、キリスト教徒。

どちらも、信じ方が間違っているけれども、アッラーの啓示に従っている点はよろしい。

ゆえに彼らは、「啓典の民」であるとして、彼らの信仰を承認する。

まったくの異教徒であるとはみなさない。

この考え方が一神教の文化圏の根底にある。

今、世界で起こっていることを理解したいならば、この一神教を理解する必要があるということであろう。

2020年1月13日 (月)

リモートチームでうまくいく/倉貫義人

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 ピーター・ドラッカーの提唱する知識労働者の仕事は、リモートワークと非常に相性がよいのです。高度に専門化された知識を持ち、肉体労働でなく知識や情報によって企業や社会に貢献する知識労働者は、リモートワークでもその提供する本質的な価値が失われることはありません。

リモートワークを駆使して住む場所や働く場所に関係なくチームを組んで一緒に働く。

その上で、チームワークの本質を変えることなく働けるワークスタイルを実現する。

それが著者の考える「リモートチーム」の姿だ。

リモートワークに最も向いているのは、移動すること自体が本質的な価値を生み出さないような職種だ。

これから先、特にリモートワークで注目される仕事は、誰かの難しい問題を解決するようなコンサルティングだったり、ゼロから新しいものを作り出すクリエイティブな仕事だ。

リモートチームのメンバー同士、仕事中はオフィスにいるのと同じように、いつでも相談や雑談ができて、ときには利害関係を超えて助け合えるかどうか、という点が非常に重要になる。

そのベースにあるのは、人間として尊敬し合える関係を作れるかどうか。

リモートワークを始めると、働く人の意識も変わってくる。

オフィスに行きさえすれば仕事をしているとみなされる状態ではなくなる。

成果を出さなければ、仕事をしていないのと同じ。

リモートワークでは、〝働いているフリ〟はできない。

結果、よりいっそう成果を意識した働き方をメンバーに促すことになり、チーム全体の生産性を高めることになる。

これからの日本で生き残る職業は、体力や頭数を必要としなくても価値を生み出せる知識労働が中心になっていくだろう。

さらに、知識労働とリモートワークは非常に相性がよいため、これまで以上に場所にとらわれずに働きたいという人が増えてくるのではないだろうか。

働き方改革が叫ばれている今、リモートワークは将来の働き方の一つの選択肢になるかもしれない。

2020年1月12日 (日)

フランス人の性/プラド夏樹

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 どうやらフランスでは、どんな理由であれ他人の恋愛を「モラル」によって断罪することはないようだ。たとえそれが不倫であっても、である。結婚とは制度化された「関係」にすぎず、すべての恋愛は「不倫」であった歴史が影響しているのだ。しかし、それだけではないだろう。どこか、恋愛をモラルによって断罪することへのアレルギーが感じられる。

フランスの出生率はEU諸国内で1位、先進国で唯一、40年間、出生率が安定している国でもある。

その理由に補助金や福祉の充実が挙げられることは多い。

たしかに大きな要因だろう。

しかし、それだけが原因で出産が増えるとは思えない。

政府が代われば、補助金の金額や福祉システムも変わるから、それほどあてになるものではないのだ。

しかし「性」に焦点を当てると、別の側面が見えてくる。

30年近くフランスで暮らしている著者によると、「性」にまつわる議論が盛んな国だという。

欧米各国の間では、「金の話は下品とされるが、セックスの話は堂々とする国」といわれるほどだ。

フランスでは8歳から性教育をする。

ミッテラン元大統領には夫人以外の女性との間にも家庭があった。

だが、そのことが週刊誌「パリ・マッチ」に報じられたときも、憮然として「それで?」と答えただけ。

国民の反応もごく控えめなものであった。

大統領が浮気や不倫をしても、なぜ、辞任に追い込まれないのか?

どうして事実婚に固執して結婚を嫌うのか?

ハリウッド・セクハラ事件後、欧米諸国では「#MeToo」一辺倒だというのに、フランスでは大女優カトリーヌ・ドヌーヴがそれに反対すると宣言したのか?

そこには「性」にまつわる歴史と文化が根底にあるというのである。

出生率の低下に苦しむ日本では出生率が回復したフランスをまねようという動きがある。

しかし、本書を読むと、日本が表面的な制度だけをまねても出生率は回復しないだろうということがよくわかる。

2020年1月11日 (土)

企業変革力/ジョン・P・コッター

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 変革が企業文化にしっかり根づくまで、通常企業全体に浸透するまでに三年から十年の期間が必要とされるが、それまでは新しい方法はぜい弱であり、後戻りの可能性がある。

本書で著者は、成功を収める変革のための8つの段階を示している。

1.企業内に十分な危機意識を生みだす

2.変革を推進する連帯チームを形成する

3.ビジョンと戦略を立てる

4.変革のためのビジョンを周知徹底する

5.変革に必要とされる広範な行動を喚起するために人材をエンパワーする

6.変革の勢いを維持するために短期的成果を挙げる

7.短期的成果を活かして、さらに数々の変革プロジェクトを成功させる

8.新しく形成された方法を企業文化に定着させ、より一層たしかなものにする

中でも8の企業文化を変えるのには長い時間がかかる。

企業文化は、次の三つの理由から従業員によって強力に保持されているからである。

第一に、各個人はその文化の基準にもとづいて選抜され、さらにその文化を教え込まれる。

第二に、その文化は、何千人もの人材によって実践される。

第三に、これらのことが無意識のうちに進められるので、文化に対して挑戦したり、議論することが難しい。

文化自体は、われわれが簡単に操作できるものではない。

文化を掌握し、それを新しい形に作り直すことは、まず文化を明確に掌握することが困難であることから、その実現が不可能となる。

文化は、まず人々の行動様式を変えることに成功し、新しい行動様式がグループに長期にわたり利害をもたらし、人々がこの新しい行動様式と業績向上との間に関連があることを認めてはじめて、やっと変わりはじめる。

つまり長い時間が必要とされるということである。

そして、この企業変革を実現させるのに不可欠なのがリーダーシップである。

著者によると、成功を収める変革は、70から90%はリーダーシップによってもたらされ、残りの10から30%がマネジメントによってもたらされるという。

日本の企業の変革が中々うまくいかないのは、このリーダーシップの問題が大きいのではないだろうか。

2020年1月10日 (金)

ペップトーク/浦上大輔

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 この極度のプレッシャーがかかる場面で、チームの力を最大限に引き出し、選手の緊張を力に変えた人物がいました。
 なでしこジャパンを率いる佐々木則夫監督でした。
 彼はPKの前に選手全員で円陣を組み、そしてあえて明るい雰囲気をつくり、ひと言こう言ったのです。
「思いっきり楽しんでこい!」
 世界一を決めるこの場面で選手たちにかけた言葉は、「勝ってこい!」でも「決めてこい!」でもなく、ましてや「ミスするな!」でもありませんでした。

スポーツ大国アメリカでは、「励ます技術」が確立されている。

この励ます技術は、「ペップトーク」と呼ばれている。

ペップとは英語で「元気・活気」という意味、

ペップトークとは、試合前のロッカールームで緊張し身震いする選手たちに向かい、監督やコーチが心に火をつける言葉がけのことを言う。

このペップトークには5つのルールがある。

1.ポジティブな言葉を使う

2.短い言葉を使う

3.わかりやすい言葉を使う

4.相手が一番言ってほしい言葉を使う

5.相手の心に火をつける本気の関わり

以上だ。

さらに、ペップトークには4つのステップがある。

1.受容(事実の受け入れ)

2.承認(とらえかた変換)

3.行動(してほしい変換)

4.激励(背中のひと押し)

これらを踏まえて相手に伝える。

上記抜き書きの佐々木監督の言葉は、これが集約されている。

場面は、2011年7月にドイツで行われた女子のワールドカップサッカー決勝のPK戦直前。

ワールドカップの初優勝がかかるPK。

おそらく日本中の国民が固唾を飲んで見守る死闘だった。

もし自分が選手だったらどうだろう?

ものすごいプレッシャーがかかり逃げ出したくなるのではなだろうか?

この場面で佐々木監督は「楽しんでこい!」と選手たちに言う。

「楽しんでこい!」と言った佐々木監督は本当に選手の気持ちを理解していた。

PK前の短い時間、選手たちがかけてほしい言葉は、このたったひと言だったのだ。

勝たなければならない、決めなければならないというプレッシャーから解放し、自分たちらしい楽しいサッカーをしよう!とワクワク感を持ってもらう言葉を選んだ。

相手の状況を受け入れ(受容)、気持ちを切り替え(承認)、してほしいことを明確にし(行動)、勇気づける(激励)、というペップトークの要素をたったひと言に集約している。

なでしこジャパンの選手たちは、佐々木監督の言葉通り、最高に緊張する舞台を思いっきり楽しみ、ワールドカップ初優勝を勝ち取った。

ペップトーク、是非とも使えるようになりたいと思う。

2020年1月 9日 (木)

告訴せず/松本清張

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 思ったとおり大井芳太は告訴できずにいる。派閥のボスである××大臣も心当たりがないと、大金を渡したのを否定している。だれも天に向かって唾する者はいない。選挙違反の疑いが明るみに出たら一大事である。警察で泥棒に、窃盗行為を秘密にしてくれと頼むのだから、世話はない。警察は頼まれたか、でなかったら、大臣の立場を考慮している。

選挙に出馬する義弟の不透明な資金3000万円を持ち逃げした木谷省吾。

黒いお金なので、持ち逃げしても告訴されることはない。

一度は大金を持ち歩いているということから警察に連行されるが、結局盗まれたと思われる代議士が否定したため、釈放される。

逃避行の間に温泉旅館の女中・お篠とねんごろな仲になり、彼女から、群馬県比礼神社の、農作物の出来高に関する占いがよく的中するという話を聞く。

木谷は占いに従い小豆相場へ投資、大儲けをする。

そして新しい人生を始めるため、さらに大きな利益を狙いモーテル経営を考え、投資するのだが、所詮は経営には素人のやること。

事業はうまくいかず、最後はお篠に裏切られ全てを失う。

最後、木谷は自殺する。

お金で人の幸せは買えないということではないだろうか。

2020年1月 8日 (水)

アウシュヴィッツの図書係/アントニオ・G・イトゥルベ

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 人類の歴史において、貴族の特権や神の戒律や軍隊規則をふりかざす独裁者、暴君、抑圧者たちには、アーリア人であれ、黒人や東洋人、アラブ人やスラブ人、あるいはどんな肌の色の、どんなイデオロギーの者であれ、みな共通点がある。誰もが本を徹底して迫害するのだ。本はとても危険だ。ものを考えることを促すからだ。

本書は、第二次世界大戦中、ユダヤ人であるがゆえにアウシュヴィッツ゠ビルケナウ強制収容所に送られた少女ディタ・クラウスの実話をもとに書かれた小説だ。

この物語は事実に基づいて組み立てられ、フィクションで肉付けされている。

ディタと両親が収容された家族用キャンプBⅡbは、「死の工場」とも呼ばれたアウシュヴィッツ゠ビルケナウにあって異色な存在だった。

教育も本も固く禁じられていたその場所に、青少年のリーダー、フレディ・ヒルシュは密かに学校を作っていた。

そこにはわずか八冊だけの小さな図書館もあり、先生たちに「授業」のための本を貸出し、一日の終わりに本を回収して秘密の場所に隠すという危険なミッションがディタに託された。

ディタはそれらのわずかな古本を慈しみ、修繕し、ナチスに見つからないように洋服の内側に秘密のポケットを縫い付けて、本を持ち運びした。

本が大好きなディタは、『世界地図』を開いては収容所の柵を超えて世界中を旅することを想像し、『兵士シュヴェイクの冒険』をこっそり読みながら、主人公のドタバタに笑顔になる。

ディタは、恐ろしいナチスの絶滅収容所の中でさえ、生きる意欲、読書の意欲を決して失わない。

なぜなら「本を開けることは汽車に乗ってバケーションに出かけるようなもの」だったのだ。

ホロコーストの惨状は読み進めるのが辛くなるほどだが、この本は間違いなく文学に対するオマージュ、そして文学が人間に与える影響についての讃歌だ。

命の価値が全くない絶滅収容所で、子ども達に勉強と読書の楽しみを与えるために、自らの命の危険もいとわない少女のヒロイズムに満ちた物語は、「自由」の大切さ、「命」の尊さを私たちの魂に訴えかけると同時に、「本の魔法」、「本の力」、「読書のすばらしさ」を再認識させてくれる。

本では病気は治らないし、死刑執行人たちを打ち負かす武器として使うこともできない。

空腹を満たすことも、喉の渇きを癒やすこともできない。

それは確かに事実だ。

人間が生き残るために必要なのは、文学ではなくパンと水だ。

それさえあれば人間は生きていける。

しかしただそれだけでは、人間性は失われる。

もしも美しいものを見ても感動しないなら、もしも目を閉じて想像力を働かせないなら、もしも疑問や好奇心を持たず、自分がいかに無知であるかに思いが及ばないなら、男にしろ女にしろ、それは人間ではなく、単なる動物にすぎない。

人間として生きるとはどういうことなのか?本書はこのことを教えてくれる。

2020年1月 7日 (火)

日本軍はこんなに強かった!/井上和彦

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 インドでは、インパール作戦は「インパール戦争」と呼ばれ、対英独立戦争として位置づけられている。したがってインド人は、日本が〝侵略戦争〟をしたなどという歴史観をもっていない。なるほど当時の写真にも、街道を進軍する日本軍将兵に沿道の住民が笑顔で水を差し出すシーンが写っており、日本軍が〝解放軍〟として迎えられていたことがよく分かる。

本書は筆者が、アジア・太平洋各地の戦跡を歩いて地元の人々の話を収集してきた記録である。

日本ではあの戦争は「侵略戦争」だったという考えが一般的だが、実際、現地の人々から聞く声は日本軍を称賛し感謝する声で溢れていた。

逆に日本軍を批判する声など耳にしなかった。

いったいこれはどういうことなのか?と思ったという。

こんなエピソードが本書に記されている。

2014年9月1日、来日したインドのモディ首相は、安倍首相との日印首脳会談で両国の安全保障および経済関係のさらなる関係強化と友好関係を発展させることを宣言した。

だがその翌日、モディ首相はチャンドラ・ボースと親交が深かった日印協会顧問の三角佐一郎氏(99)に会い、車椅子の三角氏の前に跪いて手を握りしめ感謝の意を表している。

三角氏は、かつて佐官待遇で参謀本部に勤務し、インパール作戦の立案等に関与した〝インド独立〟の功労者の1人だったのである。

この劇的なシーンは、インドのマスコミで大きく取り上げられ、インドの外務省スポークスマンがその感動の瞬間をツイッターでツイートするほどの大ニュースだった。

しかし、日本のマスコミがこれを取り上げることはなかったという。

つまり、日本のマスコミの報道がいかに偏ったものであるかということ。

確かに、あの戦争がすべて正しかったとはいえないだろう。

しかし、少なくとも、いろんな見方を公平・公正に報道するのがマスコミとしてのあるべき姿なのではないだろうか。

多くの人が思うことはただ一つ。

「本当のことを知りたい」ということなのだから。

2020年1月 6日 (月)

日本二千六百年史/大川周明

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 日本精神の数ある特徴のうち、その最も著しきものは、入り来る総ての思想・文明に「方向を与える」ことである。それ故に吾らは日本精神を偉大なりとする。そはまさしく一切の支流を合せてその水を大海に向わしめ、かつ之によりて己れを豊かならしむる長江大河の偉業である。吾らは先ずシナ思想及び文明と接触して之を吾有とし、次いで印度(インド)思想及び文明と接して之を吾有とした。亜細亜(アジア)精神の両極ともいうべきこれらの思想並びに文明は、実に日本精神によりて正しき方向を与えられたが故に、今日までその生命を護持し長養されて来た。シナ思想の精華、従ってシナ文明の根底は、孔孟の教えではないか。而してその教えが日本に活きてシナに死んだのだ。

本書の著者、大川周明氏は戦後、民間人で唯一のA級戦犯に指定され、東京裁判に臨んでいる。

東京裁判に出た大川氏は前席の東条英機の頭を何度も叩き、精神疾患を理由に免訴されている。

その前の五・一五事件では禁錮5年の判決を受けて服役している。

出所してからは日本精神の復興やアジア主義を核とする言論活動を展開し、昭和14年にそれらの集大成として本書、『日本二千六百年史』を上梓している。

内容はタイトルどおり、皇紀二千六百年の日本通史を記し、そこに通底する日本人の美質を讃え、最終章では全アジア復興を主張している。

上記抜き書きの部分も、日本精神の特徴を端的に指摘している。

確かに、日本は他国から入ってくる思想や文明をそのまま受け入れず、日本向きに昇華させ自国のものにするところがある。

本書を読むと、大川氏が大東亜戦争の理論的指導者と目された理由がよくわかる。

だからこそ戦後、米国は本書を発禁にしたのだろう。

 

2020年1月 5日 (日)

一揆の原理/呉座勇一

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 百姓一揆とは、「武士は百姓の生活がきちんと成り立つようによい政治を行う義務がある」という「御百姓意識」に基づく待遇改善要求であるから、既存の社会秩序を否定するものではない。それどころか百姓たちに〝政治参加〟の意思は、これっぽっちもないのだ。新進気鋭の日本近代史研究者である與那覇潤氏は、百姓一揆を「政治はすべて武士にお任せ、ただし増税だけは一切拒否」と評しているが、言い得て妙である。つまり百姓は〝お客様〟感覚で、幕府や藩といった「お上」のサービスの悪さにクレームをつけているだけなのだ。

本書は「一揆」について考察したもの。

まず「一揆」の語源であるが、「揆」という字はもともと「はかる」、すなわち計量・計測という意味を持っているという。

そこから派生して教え・方法・行為といった意味を含むようになった。

中国の儒教書『孟子』には「先聖・後聖、其揆一也」とある。

時代や地域が異なっていても聖人の教えは同じである、という意味である。

そして日本で「一揆」という熟語が生まれた、というわけだ。

「一揆」は色々な意味、様々な用法を持っており、また時代と共に意味内容が変わっていくので、「一揆とは○○だ!」とズバリ明快に言い切ることは難しい。

久留島典子氏は、一揆を「ある目的達成のために構成員の平等を原則に結ばれた集団と、その共同行動」とゆるやかに定義している。

そう考えると、一揆とは民衆運動だといえる。。

しかし、日本の長い歴史の中で、民衆運動が社会を変革したことはあるだろうか。

食糧メーデーはGHQに解散させられたし、安保闘争も新日米安全保障条約の批准を阻止することはできなかった。

明治維新にしても、民衆を広範に巻き込む形で展開された「革命」と評価することは困難である。

それは一概に悪いことではない。

フランス革命においては、諸外国による干渉戦争、革命政府への反乱、革命政府による粛清などが100万人以上の犠牲者を生んだ。

ソ連などで起こった共産革命もまた大きな悲劇を生んだ。

良くも悪くも日本は、民衆運動による社会変革を体験していないように見える。

一揆が歴史の表舞台に登場するのは、南北朝時代からである。

南北朝の動乱によって既存の秩序や価値観が崩れ、時代の変化に対応した新しい人間関係が模索される中で、一揆は生まれた。

新政反対一揆は、新政府に要求をつきつけるのではなく、新政府そのものを否定している。

だから一揆の側も新政府の側も妥協することはできない。

相手を倒すまで徹底的に戦うしかない。

一揆は、竹槍はもちろんのこと、時には鉄砲や刀まで持ち出して戦った。

いわば殺し合いだから、大勢の犠牲者が出るのは必然だった。

日本中世は危機の時代、変化の時代であった。

特に南北朝時代以降は、先の見えない不安な社会の中で、人々は生きなければならなかった。

その時、彼らは従来のような〝なあなあ〟の馴れ合いではなく、一揆契約による新たな絆を求めた。

しかし、「百姓一揆」以降は〝なあなあ〟の馴れ合い的な要素が強くなる。

現代の脱原発デモも百姓一揆の系譜を引くと言えるだろう。

デモがイマイチ盛り上がらない理由はの一つとして、脱原発デモは、結局は「百姓一揆」の域を出ていない、ということが挙げられるだろう。

反核団体や労組関係者のグループなど既成の革新系組織が指導的役割を担っているからか、政府を糾弾して事足れりとする「万年野党」的なメンタリティが見え隠れする。

脱原発を唱える場合、代替エネルギーをどうするかという問題は避けては通れないはずだが、脱原発デモにおいて、現実的・具体的な解決策が提示されることはない。

たぶん彼らは「それは政府が考えることだ」とでも思っているのだろう。

現代の日本で革命や大規模デモが発生する可能性は極めて低く、万が一発生したところで、それによって財政問題や貧困問題など諸々の社会問題がたちどころに解決するとも思えない。

南北朝時代に生まれた一揆が時代とともに変質し、百姓一揆以降は〝なあなあ〟の馴れ合い的な要素が強くなり、それは現代の脱原発デモにもつながっているという指摘は非常に面白いと思った。

2020年1月 4日 (土)

世界史をつくった海賊/竹田いさみ

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 海賊たちはエリザベス女王時代の経済的基盤を支えただけでなく、いざ戦争になると特殊部隊として参加し、イギリスを戦争の勝利者へと導いた。このように、海賊が国家権力と一体化した16世紀を基点に、イギリスは歴史上希に見る大英帝国を築き上げ、18世紀から19世紀の間、世界の海を支配するようになった。海賊の存在なくして、イギリスがこの世界史に残る偉業を成し得ることはなかったといっても過言ではない。

イギリスは、海賊行為という手法で豊かさを追求し、200年以上にわたる歳月をかけて大英帝国を築いた。

たしかに産業革命によって大英帝国は確立されたが、その元手になる資金の一部は紛れもなく海賊がもたらした略奪品、つまり〝海賊マネー〟であった。

「海賊(Pirates=パイレーツ)」は、「海」を舞台に強盗を行なう犯罪者だが、イギリス人の間では広く「海の犬(Sea Dogs)」と呼ばれていた。

しかし、イギリスは「海賊」を犯罪者としてではなく、近代国家の礎を築いた「英雄」として再定義することで、海賊行為を見事に合法化、正当化してきたのである。

本書では、海賊を犯罪者としてではなく、イギリスにおける国家権力のマシーンとして捉え、「海賊国家」イギリスの神髄を炙り出そうとしている。

イギリスが貿易立国として世界経済に君臨するのは18~19世紀であり、そこに至る200年間は、〝海賊マネー〟に依存せざるをえなかった。

女王の集金マシーンとして、エリザベス一世がもっとも頼りにしていた海賊のひとりが、イギリス人として初めて世界一周の航海「世界周航」(1577~80年)を成し遂げたフランシス・ドレークである。

後世イギリスが貿易立国になる経済的基盤は、ドレークに代表される海賊によって形成された。

海賊たちの暗躍がなければ、イギリスの王室財政、ひいては国家財政さえ破綻していたことであろう。

ドレークは世界各地で略奪の限りを尽くしたが、その中身を覗いてみると〝金と銀〟のコインや延べ棒が中心で、これらに加えて大量の砂糖やワインなどが含まれていた。

略奪品の大半はスペイン船から略奪したものだが、ポルトガル船からの略奪品も一部含まれる。

〝女王陛下の海賊〟は女王の集金マシーンとして大きな役割を演じてきたが、1585年あたりからスペインとの戦争を控えて、戦争マシーンとしての新たな役割が付与されるようになる。

海賊の役割が変化しはじめる。

エリザベス女王の時代を代表する戦争として必ず想起されるのが、スペイン「無敵艦隊」との海戦である。

無敵艦隊との戦闘があった1588年7月28~29日を、イギリスは大国スペインに勝利を収めた記念日として、歴史に深く刻んでいる。

この戦争の歴史的意義は、スペインが没落していく転換期となり、一方のイギリスが18~19世紀に向けて大英帝国を建設し、パクス・ブリタニカ(Pax Britannica=イギリス繁栄の時代)を築く出発点となったことである。

歴史を振り返ると、大英帝国の建設に集金マシーン、戦争マシーンとしての海賊がいかに大きかったかがわかる。

現代の尺度、価値観、善悪観で見ると「悪」であることが、あの時代は「善」であったという点は非常に興味深い。

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