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2020年1月26日 (日)

保守と大東亜戦争/中島岳志

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 保守派は理性による設計主義的な秩序よりも、理性を超えた存在に依拠した秩序形成を重視します。保守派が大切にするのは、長年にわたって多くの庶民が培ってきた集合的経験知であり、そこで合意されてきた良識や慣習、伝統です。保守の合理主義批判や伝統の重視の背景には、「人間の完成可能性」に対する懐疑の念が存在します。

保守=大東亜戦争肯定論という等式は、疑ってみる必要があるのではないか?

これが本書の大きなテーマだ。

保守は人間に対する懐疑的な見方を共有し、理性の万能性や無謬性を疑う。

そして、その懐疑的な人間観は自己にも向けられる。

自分の理性や知性もパーフェクトなものではなく、自分の主張の中にも間違いや誤認が含まれていると考える。

そのような自己認識は、異なる他者の意見を聞こうとする姿勢につながり、対話や議論を促進する。

そして、他者の見解の中に理があると判断した場合には、協議による合意形成を進めていく。

これが保守のリベラルな態度に他ならない。

人間は「罪」や「悪」から完全に解放されることはなく、完全な社会をつくり上げることもできない。

人間は有限な存在である限り、神のような完全性をまとうことはできない。

人間にとって普遍的なのは「理性の無謬」ではなく、「理性の誤謬」だ。

人間社会が完成されることはなく、常に不完全なまま推移していくことを余儀なくされる。

それが人間であり、人間によって構成される社会のあり方だ。

保守は個別的な理性を超えた存在の中に英知を見出す。

それは伝統、慣習、良識などであり、歴史の風雪に耐えてきた社会的経験知だ。

この集合的な存在に依拠しながら、時代の変化に対応する形で漸進的に改革を進めるのが保守の態度だ。

保守は革命のような急進的変化を嫌う。

なぜならば、ラディカルで極端なものの中には、必ず理性への過信が含まれているからだ。

保守が目指すのは、戦争による絶対的世界の実現などではなく、秩序を維持するための「永遠の微調整」だ。

そう考えると保守=大東亜戦争肯定論という等式は、明らかに間違っているということがわかる。

中には保守と右翼を同じものだと考えている人がいる。

まず、保守の意味を正しくとらえることから始める必要があるのではないだろうか。

本書を読んで、そんなことを考えさせられた。

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