« 保守と大東亜戦争/中島岳志 | トップページ | 人生を変える80対20の法則/リチャード・コッチ »

2020年1月27日 (月)

1940年体制/野口悠紀雄

1940

 日本は終戦時に生まれ変わったといわれている。しかし、経済の基幹的な部分には、戦時期に導入された制度や仕組みがいまだに根強く残っている。「日本型経済システム」は、戦時期に生まれたと考えることができるのである。

戦後体制という言葉がある。

日本の今の体制の基礎は戦後構築されたという意味でつかわれる。

しかし、著者は現在の日本経済を構成する主要な要素は、戦時期に作られたと主張し、それを1940年体制と名付けている。

これは、二つの意味を持っている。

第一は、それまでの日本の制度と異質のものが、この時期に作られたことである。

日本型企業、間接金融中心の金融システム、直接税中心の税体系、中央集権的財政制度など、日本経済の特質と考えられているものは、もともと日本にはなかったもの。

戦時経済の要請に応えるために人為的に導入されたものである。

第二の意味は、それらが戦後に連続したことである。

これは、終戦時に大きな不連続があったとする戦後史の正統的な見方には反するものだ。

戦時経済体制に向けての諸改革は、1940年前後に集中してなされた。

この時期は日本が太平洋戦争に突入する直前であり、総力戦を戦うためにさまざまな準備が必要だった。

そこで、この時期に形成された経済体制を、「1940体制」と著者は呼ぶ。

著者は「1940体制」として四つの点を指摘する。

第一は、「日本型」の企業構造である。

日本の企業は、経済学の教科書にあるような株主のための利潤追求の組織というよりは、むしろ、従業員の共同利益のための組織になっている。

これは、日本の文化的・社会的な特殊性に根差すものだと説明されることが多い。

しかし、戦前期においては、日本でも経営者は会社の大株主であり、企業は株主の利益追求のための組織だったのである。

それが大きく変わったのは、戦時体制下である。

1938年に「国家総動員法」が作られ、それに基づいて、配当が制限され、また株主の権利が制約されて、従業員中心の組織に作り替えられた。

これによって、従業員の共同体としての企業が形成されていった。

また、日本の製造業の大きな特徴である下請制度も、軍需産業の増産のための緊急措置として導入された。

第二は、金融システムである。

1930年代ごろまでの日本の金融システムは、直接金融、とりわけ株式による資金調達がかなりの比重を占めていた。

このようなシステムが、戦時期に間接金融へと改革された。

これは、資源を軍需産業に傾斜配分させることを目的としたものである。

第三は、官僚体制である。

官僚制度自体は明治以来の伝統をもつが、その性格は、戦時期に大きく変貌した。

それまでは官僚が民間の経済活動に直接介入することは少なかった。

しかし、1930年代の中頃から、多くの業界に関して「事業法」が作られ、事業活動に対する介入が強まった。

さらに、第二次近衛内閣の「新経済体制」の下で、より強い統制が求められるに至り、「重要産業団体令」をもとに「統制会」と呼ばれる業界団体が作られた。

これらが、官僚による経済統制の道具となった。

また、営団、金庫など、今日の公社、公庫の前身も、この時代に作られた。

第四は、財政制度である。

戦前期の日本の税体系は、地租や営業税など、伝統的な産業分野に対する外形標準的な課税を中心とするものだった。

また、地方財政はかなりの自主権をもっていた。

1940年の税制改革で、世界ではじめて給与所得の源泉徴収制度が導入された。

所得税そのものは以前からあったが、これによって給与所得の完全な捕捉が可能になった。

また、法人税が導入され、直接税中心の税制が確立された。

さらに、税財源が中央集中化され、それを特定補助金として地方に配るという仕組みが確立された。

以上の四つである。

日本がいまだに戦時体制だとの見方は、従来の定説と著しく異なるものである。

しかし、本書を読んで見ると納得できる部分がある。

80年間続いてきたこの体制、とっくに制度疲労を起こしている。

そろそろ変える時期にきているのではないだろうか。

« 保守と大東亜戦争/中島岳志 | トップページ | 人生を変える80対20の法則/リチャード・コッチ »

書籍・雑誌」カテゴリの記事