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2020年1月 5日 (日)

一揆の原理/呉座勇一

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 百姓一揆とは、「武士は百姓の生活がきちんと成り立つようによい政治を行う義務がある」という「御百姓意識」に基づく待遇改善要求であるから、既存の社会秩序を否定するものではない。それどころか百姓たちに〝政治参加〟の意思は、これっぽっちもないのだ。新進気鋭の日本近代史研究者である與那覇潤氏は、百姓一揆を「政治はすべて武士にお任せ、ただし増税だけは一切拒否」と評しているが、言い得て妙である。つまり百姓は〝お客様〟感覚で、幕府や藩といった「お上」のサービスの悪さにクレームをつけているだけなのだ。

本書は「一揆」について考察したもの。

まず「一揆」の語源であるが、「揆」という字はもともと「はかる」、すなわち計量・計測という意味を持っているという。

そこから派生して教え・方法・行為といった意味を含むようになった。

中国の儒教書『孟子』には「先聖・後聖、其揆一也」とある。

時代や地域が異なっていても聖人の教えは同じである、という意味である。

そして日本で「一揆」という熟語が生まれた、というわけだ。

「一揆」は色々な意味、様々な用法を持っており、また時代と共に意味内容が変わっていくので、「一揆とは○○だ!」とズバリ明快に言い切ることは難しい。

久留島典子氏は、一揆を「ある目的達成のために構成員の平等を原則に結ばれた集団と、その共同行動」とゆるやかに定義している。

そう考えると、一揆とは民衆運動だといえる。。

しかし、日本の長い歴史の中で、民衆運動が社会を変革したことはあるだろうか。

食糧メーデーはGHQに解散させられたし、安保闘争も新日米安全保障条約の批准を阻止することはできなかった。

明治維新にしても、民衆を広範に巻き込む形で展開された「革命」と評価することは困難である。

それは一概に悪いことではない。

フランス革命においては、諸外国による干渉戦争、革命政府への反乱、革命政府による粛清などが100万人以上の犠牲者を生んだ。

ソ連などで起こった共産革命もまた大きな悲劇を生んだ。

良くも悪くも日本は、民衆運動による社会変革を体験していないように見える。

一揆が歴史の表舞台に登場するのは、南北朝時代からである。

南北朝の動乱によって既存の秩序や価値観が崩れ、時代の変化に対応した新しい人間関係が模索される中で、一揆は生まれた。

新政反対一揆は、新政府に要求をつきつけるのではなく、新政府そのものを否定している。

だから一揆の側も新政府の側も妥協することはできない。

相手を倒すまで徹底的に戦うしかない。

一揆は、竹槍はもちろんのこと、時には鉄砲や刀まで持ち出して戦った。

いわば殺し合いだから、大勢の犠牲者が出るのは必然だった。

日本中世は危機の時代、変化の時代であった。

特に南北朝時代以降は、先の見えない不安な社会の中で、人々は生きなければならなかった。

その時、彼らは従来のような〝なあなあ〟の馴れ合いではなく、一揆契約による新たな絆を求めた。

しかし、「百姓一揆」以降は〝なあなあ〟の馴れ合い的な要素が強くなる。

現代の脱原発デモも百姓一揆の系譜を引くと言えるだろう。

デモがイマイチ盛り上がらない理由はの一つとして、脱原発デモは、結局は「百姓一揆」の域を出ていない、ということが挙げられるだろう。

反核団体や労組関係者のグループなど既成の革新系組織が指導的役割を担っているからか、政府を糾弾して事足れりとする「万年野党」的なメンタリティが見え隠れする。

脱原発を唱える場合、代替エネルギーをどうするかという問題は避けては通れないはずだが、脱原発デモにおいて、現実的・具体的な解決策が提示されることはない。

たぶん彼らは「それは政府が考えることだ」とでも思っているのだろう。

現代の日本で革命や大規模デモが発生する可能性は極めて低く、万が一発生したところで、それによって財政問題や貧困問題など諸々の社会問題がたちどころに解決するとも思えない。

南北朝時代に生まれた一揆が時代とともに変質し、百姓一揆以降は〝なあなあ〟の馴れ合い的な要素が強くなり、それは現代の脱原発デモにもつながっているという指摘は非常に面白いと思った。

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