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2020年1月21日 (火)

哲学/小川仁志

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 そもそも哲学とは物事の本質を探究する営みである。ということは、そのためのプロセスを修得してもらう必要があるわけである。それは、疑う、関連させる、整理する、創造するというプロセスにほかならない。さらに付け加えるなら、最後にその思考の結果を言葉にすることである。

一言でいうと、哲学とは物事の本質を探究する営みである。

つまり、自分を取り囲むこの世界を、言葉によって理解し、意味づけるための道具だといってよい。

本質というのはその物事のすべてだということができる。

フランスの哲学者ジル・ドゥルーズが、まさにこういっている。

哲学とは概念の創造であると。

だから思考の探検は、すでにあるものを探すのではなく、自分自身が新しいものを作り出す営みである。

哲学を身につければ、物事を批判的に見ることができるようになるだけでなく、論理的に考えらえるようにもなる。

対象を頭の中でさっと整理して、まとめる力がつく。

また、物事の本質をとらえることができるようになる。

物事の本質を探究するためには、そのためのプロセスを修得する必要がある。

それは、疑う、関連させる、整理する、創造するというプロセスだ。

まず疑うとは、常識や感覚でとらえたものや、思い込みを否定することである。

あえて違うと否定するのだ。

たとえば、「パソコンとは何か?」。

おそらく多くの人は便利なツールと考えていることだろう。

しかし、あえてそれを疑うのである。

そうやって疑ったら、今度は新しい情報を関連させる。

なぜなら、これまで抱いていたパソコンの像が破壊され、答えがわからなくなってしまったからだ。

ここではじめて、一からパソコンとは何かを考えるのである。

そして次にこれらの情報を整理する必要がある。

この場合、同じような情報はグループにまとめて、最終的に一文にしていく。

そうすると、「パソコンは便利である一方で、人間から思考力や時間を奪うネガティブな側面もあるインフラだ」といっていいだろう。

これをもっとブラッシュアップする。

その際、最後の創造を意識する必要がある。

「哲学する」とは、物事の意味を自分の知識と論理と言葉を使って再構成する営みである。

とりもなおさず、それは意味の創造にほかならない。

ここではパソコンの新しい意味を創造しているわけだ。

すると、「パソコンとは便利さと厄介さが同居するインフラ」、もっというと、「矛盾を抱えたインフラ」なのだ。

これがパソコンの本質である。

そしてこれが哲学するということなのだ。

自分の周りのものを、疑う、関連させる、整理する、創造するというプロセスで再構築することによって、これまでと違った全く新しい見方ができるようになるのではないだろうか。

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