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2020年2月の29件の記事

2020年2月29日 (土)

もしキリストがサラリーマンだったら/鍋谷憲一

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「右の頰を打たれたら左の頰も差し出せ」という喩えは、暴力を振るわれても耐えよ、という意味ではありません。この「右の頰を打つ」というのは、右手の甲で相手の右頰をピチャピチャ叩きながら「ほれほれ、お前には何もできまい」という、相手を「侮辱」する動作のことなのです。つまり、その喩えは、他人を侮辱するような動作をする相手には、左の頰も差し出して、相手にその人自身の下品さを教えてあげなさい、という意味なのです。

本書は、長い間商社で働き、今は牧師として生きている著者の処世訓というべきもの。

サラリーマンとして経験した生々しい問題をキリスト教の聖書を教える側から取り上げると、どうしたらうまく対処できるかを説いている。

本書で取り上げているものは、どれも実際にありそうなエピソードだが、主人公は葛藤しながらも正論を貫いている。

しかしその正論は他者と比べての「正しい意見」ではない。

主人公の信仰に裏打ちされた、聖書を土台にした正論だ。

その正論は、腐敗や汚職にまみれた業界にただ罰を与えるだけではない。

その業界が利益追求ではなく、真に消費者の側にたった視点で会社運営をしていこうとする、変革に導く力を持っている。

日本のビジネスマンの弱点は聖書を知らないことだ。

聖書を知ることによって世界で起こっていることの本質が見えてくる。

そして人間関係の問題も、聖書を通してみると新たな解決策が見えてくるもの。

牧師の書いた本だが、経済小説としても面白く読むことができる。

2020年2月28日 (金)

詐欺の帝王/溝口敦

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「ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンが唱えたプロスペクト理論というのがある。これは、人は損を諦めて、損キリすれば、新たな損をかぶらずに済むのに、損を回復してプラマイゼロにしたい欲求が強いという理論と考えればいい。

一般的に詐欺は、人の欲望を足がかりに、ターゲットとなる人物に虚偽の事柄を信じさせ、ターゲットの財物やサービスなど、犯人にとって価値あるものを詐取する行為といえる。

詐欺の原則は「かぶせ」だという。

名簿屋からさまざまなリストを購入し、騙されるような人間に片っ端から電話を掛けるのではなく、一度何かの詐欺に引っかかった人間を何度も狙う。

騙される人は何度でも騙される。

またカネがある。

300万円振り込むということは、3000万円は貯金があると詐欺師たちはみる。

そして、この残りを根こそぎ搾り取った方が効率的だと彼らは考える。

問題は詐欺という行為が商売になることだ。

騙される人がいる限り、これらの特殊詐欺グループを社会の中から根絶することはできないのではないだろうか。

2020年2月27日 (木)

よくわかる日本経済入門/塚崎公義

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 戦後の高度成長期は、全体として経済が好循環していました。たとえば、人々が物を買う → 企業は売れるから作る → 生産を増やすために企業は人を雇う → 多くの企業が雇うので人手不足になる → 企業は給料を上げて人を雇おうとする → サラリーマンは給料が増えるので、以前より多く物を買う、といった具合です。

本書は日本の戦後経済史について書かれている。

戦後の復興を終え、1960年から1973年までの高度成長期、経済成長率は平均して10%近くだった。

多くの新しい工場が建ち、需要と供給がバランスよく伸びて、人々の暮らしは急激に豊かになった。

ちょうど、今の中国経済と似たような活気があった時代だ。

今、政府もこの経済の好循環を何とかやろうとしている。

高度成長期のように企業が儲かる、すると社員の賃金が上がる、するとモノが売れるようになる、すると好景気になる、すると企業が儲かる・・・と、このサイクルがぐるぐる回ることを目指している。

ところが、実際は企業が儲かっても、社員の賃金はあまり上がっておらず、大企業は内部留保ばかりが膨らんでいった。

これを問題視した政府は、その部分に介入してくる。

一つは官製春闘。

春闘といえば、連合等が中心となってやるのが従来の形だったが、ここ数年、官邸主導で行われている。

次に行ったのが最低賃金の引上げ。

今、最低賃金は毎年3%上がっている。

政府は平均1000円になるまでこれを続けるといっている。

そして「同一労働同一賃金」。

大企業は今年の4月から、中小企業が1年遅れで実施される。

これによって正規と非正規の不合理な賃金格差は違法とされるようになる。

非正規の賃金を上げることが狙いである。

これがうまくいくかどうか、しっかりと見守っていく必要がある。

ただ、今の新型コロナウィルス騒動、あまりにもタイミングが悪い。

2020年2月26日 (水)

7つの習慣/スティーブン・R・コヴィー

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 突き詰めれば、あるがままの自分、人格が、どんな言動よりもはるかに雄弁なのである。誰にでも、人格をよく知っているからという理由で100%信頼している人がいるだろう。雄弁であろうがなかろうが、人間関係のテクニックを知っていようがいまいが、信頼して一緒に仕事ができる人がいるはずだ。

本書は20年以上前に一度読んだことがある。

今回、再読してみてあたらめて習慣の重要性を考えさせられた。

習慣がどうして大切か。

それは習慣によって人格が磨かれるからである。

人格は繰り返し行うことの集大成である。

それ故、秀でるためには、一度の行動ではなく習慣が必要である。

人間関係を築くときにもっとも大切なのは、その人が何を言うか、どう行動するかではない。

その人がどういう人間かということだ。

言葉や行動が、その人の内面の中心からではなく、表面だけの人間関係のテクニックから生まれていたら、相手はすぐにその二面性を感じとる。

安易なテクニックでは、よい人間関係を築くことはできない。

「7つの習慣」は、断片的な行動規範を寄せ集めたものではない。

成長という自然の法則に従い、連続する段階を踏んで、個人の効果性、人間関係の効果性を高めていく統合的なアプローチである。

依存から自立へ、そして相互依存へと至る「成長の連続体」を導くプロセスである。

相互依存の段階に達した人は、他者と深く有意義な関係を築き、他の人々が持つ莫大な能力と可能性を生かすことができる。

相互依存は、自立した人間になって初めて選択できる段階である。

依存状態からいきなり相互依存の段階に達しようとしても無理である。

相互依存できる人格ができていないからだ。

自己を十分に確立していないのだ。

真に自立した人間になれば、効果的な相互依存の土台ができる。

この人格の土台の上に、個々人の個性を生かしたチームワーク、協力、コミュニケーションの公的成功を築いていくことができるのである。

本書は単に知識を得るためではなく、実践して初めて価値の出る本だと思う。

2020年2月25日 (火)

思考は現実化する/ナポレオン・ヒル

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 不動の信念に支えられて、願望(目標)を最後まで追求する、という強い意欲(モティベーション)が、あなたの人生を大きく左右することを心にとめておくこと。そしてまた、このような脳力は誰もが持っている、ということも。

30年以上前に一度読んだことのある本だが、再度読んでみた。

はっきりとした願望や目標を持つこと、そしてこの価値ある願望や目標を達成するために、燃えるような意欲を育むこと。

これこそが、ヒル博士の確立した成功哲学の第一原則である。

ヒル博士は、これこそがあらゆる成功への出発点だと述べている。

成功は成功を確信する人のもとに訪れる。

少しでも失敗を意識すれば失敗する。

燃えるような目標や願望があれば、自分の人生を切り開くことができる。

目標や願望に向かって正しく努力すれば、その分だけ成功は近づいてくるのに、あと一歩のところであきらめてしまう人が多い。

目標や願望を持つことがすべての達成の第一歩である。

たとえ子どもでも、目標や願望を持っていれば大男を打ち負かすことができる。

自分の目標を前向きに考える習慣を身につければ、不可能と思われたことも実現することができる。

心で考え、できると信じたことは実現できる。

「明確な目標」を持つこと。

シンプルだがこれこそ最も重要なこと。

改めて目標を持つことの重要性について考えさせられた。

2020年2月24日 (月)

パーソナル・インパクト/マーティン・ニューマン

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「最初の2秒」という時間の制約について、興味深い話を日本のある技術者の方から聞きました。デパートや新幹線の車両にある電光掲示板は、日本語では7~8文字、アルファベットならその倍の量が「2秒」で処理されるように設計されているそうです。なぜなら、それが人間の平均的な視覚探索能力であるからだというのです。

著者は東京オリンピック招致活動でプレゼンテーション指導を務めた超一流プレゼンテーショントレーナー。

プレゼンでまず大事なのが第一印象だ。

ビジネス関係でプレゼンテーションをする場合などは、聴衆はスピーカーが目の前に登場した時点、つまり話を始める前の段階で、どういう人かをある程度、判断しているという。

プレゼンテーションは、一対一や少人数でお互いの意思の疎通を図れる通常のコミュニケーションと違い、スピーカーからの一方的なコミュニケーション。

いわば不自然なコミュニケーションゆえ、聴衆はスピーカーをぱっと見た目で判断せざるを得ない。

マルコム・グラッドウェルの『「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』という本に、「まばたきひとつするタイミングで、人の印象は決まっている」と書かれている。

人は文字情報を2秒で認識するが、1962年のバーツ博士の研究では、顔の表情などのビジュアル情報は、20万分の1秒で認識されると報告されている。

私たちはまばたきより速く、視覚から得た情報で、印象=雰囲気を判断しているということになる。

だから、相手の目の前に立ったとき、最初の出会いでどんな印象を与えているか、を意識することが、最優先事項だ。

要は、人は見た目で相手を判断する、ということであろう。

2020年2月23日 (日)

脳内麻薬/中野信子

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 「頑張っている自分へのご褒美」であるドーパミンがうまく働いている限り、私たちの脳は頑張って何かを達成することに快楽を感じ、結果として、程度の差はありますが、努力を続けることができるのです。

本書は脳内麻薬と呼ばれるドーパミンについて書かれたものだ。

何かを成し遂げ、社会的に評価されて喜びを感じるときや友人や家族や恋人から感謝やお祝いの言葉を聞いて幸福感に包まれるとき、私たちの脳の中では、快楽をもたらす物質「ドーパミン」が大量に分泌されている。

この物質は食事やセックス、そのほかの生物的な快楽を脳が感じるときに分泌されている物質、またギャンブルやゲームに我を忘れているときに分泌されている物質とまったく同じ。

ヒトという生き物は大脳新皮質、つまり「ものを考える脳」を発達させることで繁殖に成功してきた。

狩りをしたり、植物の実を食べたり、繁殖期に異性を見つけて交尾したり、今を生きるために必要なことならほかの動物にもできる。

ところがヒトという種は、遠い将来のことを見据えて作物を育てたり、家を建てたり、さらには村や国を作り、ついには何の役に立つのかわからない、科学や芸術といったことに懸命に力を注ぐような生物だ。

そういった、一見役に立つかどうかわからなそうな物事に大脳新皮質を駆使することで結果的に自然の脅威を克服し、進化してきた動物がヒトであるともいえる。

こうした知能的行動は「目の前の餌を食べたい」という欲求と、時にはぶつかり合う。

やるべきことはわかっていても、生理的欲求には逆らいにくいもの。

その葛藤を克服するために、ヒトの脳は快楽物質という「ご褒美」を用意し、遠い目標に向けて頑張っているときにそれが分泌されるしくみを築き上げたともいえる。

つまり快楽とは、ヒトが目的を達成するための妨げになるものではなく、給料や昇進という報酬がなかった原始時代から、ヒトの脳が用意した「頑張っている自分へのご褒美」なのだ。

このご褒美は時には生理的欲求を打ち負かすほどのものなので、非常に強力だ。

次のようなとき、ヒトの脳の中にはドーパミンが分泌されていることがわかっている。

*楽しいことをしているとき

*目的を達成したとき

*他人に褒められたとき

*新しい行動を始めようとするとき

*意欲的な、やる気が出た状態になっているとき

*好奇心が働いているとき

*恋愛感情やときめきを感じているとき

*セックスで興奮しているとき

*美味しいものを食べているとき

薬物である麻薬を摂取することは犯罪だが、脳内麻薬をいくら活用しても犯罪にはならない。

大事なことはそのメカニズムを知り、上手に活用することだろう。

2020年2月22日 (土)

はじめての確定拠出年金投資/大江英樹

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 話題の〝NISA〟も生保の〝個人年金保険〟も、派手にテレビコマーシャルが放映される〝国民年金基金〟だって、どう逆立ちしてもこの「確定拠出年金」にはかなわない。それぐらいの パワーと破壊力 を持った老後資産づくりの手段なのです。

最近、顧問先の社長から確定拠出年金について質問されたので読んでみた。

理由は離職防止なんだとか。

ただ、理由はどうであれ、老後の資産形成については昨年の2000万円問題以来、高まっているのは事実だと思う。

企業の側からいえば、メリットは拠出金は非課税であり、受け取るときも退職所得として受け取れるということであろう。

あとはハイリスク・ハイリターンの商品を選ぶか、ローリスク・ローリターンを選ぶか、その真ん中かということだが、本書ではハイリスク・ハイリターンを勧めている。

なぜなら運用する期間が長いから。

だとすれば、普通の資産運用よりは少し成長性に重点を置いた運用にしたほうがいいという。

つまりややリスクを高めにしても、長期に成長が見込めるような運用方法を考えるべきだというのである。

そして、その方法は実に簡単でシンプル。

世界の市場の時価総額の割合で、日本株式、先進国株式、そして新興国株式の比率で配分すればいい。

DCで提供されている運用商品の中から先進国株式、新興国株式、そして日本株式の入っているものを探して、その商品を選べばいいという。

DC口座での運用はできるだけ期待リターンの高いもので運用するのが正解ということになると結論付けている。

私自身は加入していないのだが、本書を読んで少し興味がわいてきた。

2020年2月21日 (金)

小林陽太郎「性善説」の経営者/樺島弘文

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「富士ゼロックスがなくなっても、『モーレツからビューティフルへ』は残りますよ」
 この小林の言葉を、藤岡は今でも鮮明に覚えている。企業だから栄枯盛衰はあるかも知れない、けれども「ビューティフルキャンペーン」のことは人々の記憶から消えないということだ

本書は富士ゼロックスを急成長させた小林陽太郎という名経営者について書かれている。

富士ゼロックスで思い出すのは、1970年に取締役だった小林氏が主導して行った「モーレツからビューティフルへ」というビューティフルキャンペーンだ。

長身長髪でヒッピー風の若者が、銀座の目抜き通りを「BEAUTIFUL」と手書きした紙のプラカードを胸の前に掲げて、ただ歩いていく。

最後に「モーレツからビューティフルへ」という14文字が、画面に映し出される。

この一風変わったテレビCMが流れたのは、1970年4月のこと。

若者は、ザ・フォーク・クルセダーズで人気のあった加藤和彦。

30秒間の映像は、歩いていく加藤をワイドレンズで長回ししながら撮ったもので、見ている者に不思議な臨場感を感じさせた。

提供したのは、富士ゼロックス。

これが大きな社会的反響を呼ぶことになった「ビューティフルキャンペーン」の第一陣である。

このCMは社会に大きなインパクトを与えた。

なかでも、若者からの反響は想像を超え、富士ゼロックスを一躍人気企業へと押し上げた。

「ビューティフルキャンペーン」は、経済至上主義で突っ走る日本人に対して、もっと自分の生き方、働き方を見直しましょうと訴えたものだ。

ただ仕事に没頭するだけでいいんでしょうか、ゆとりとか余裕を持って人生のあり方を考えてはどうですか、というメッセージである。

それまで世の中を覆っていた「モーレツ」という価値観ではなく、人間らしい生き方をするために「ビューティフル」という新たな価値観を提案したものだった。

《富士ゼロックスは、社内外の信頼を基盤とし、たゆまざる努力と革新によって、卓越した価値を提供し、人間社会の理解と調和の増進に寄与する。》

このあまりに有名なCMは、小林氏が主導して作ったこの企業理念に基づくものだ。

企業は社会にどんな価値を提供するのか?

それを考え抜き実践したのが小林氏である。

名経営者といわれる所以であろう。

2020年2月20日 (木)

バカ売れキーワード1000/堀田博和

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 モノを売るすべての状況において、人の心の中で常に繰り返され、一瞬で勝敗が決まるこの過酷な戦いに生き残れるかどうかのカギを握るのが「売れるキーワード(言葉、メッセージ)」なのだ。

私が本書で紹介する1000のキーワード、

流行には左右されず、時代が変わっても、常に人の心を揺さぶり、惹きつけるような言葉だけを集めたと著者はいう。

人にモノやコトをより売りたいと思うのなら、これらの言葉の力を最大限に使いこなす必要がある。

言葉の重要性に気づき、実際に試行錯誤を重ねること。

その中で、言葉をうまく使いこなせるかどうかが、モノの売れ方につながる。

いかに、人は、一瞬で判断、選別をし、不要なものを削除するのか。

そして、その判断や選別は、たった一言のキーワードや言葉に大きく左右されている。

人は、ほんの一瞬、目に入る言葉や写真、イメージだけで、自分にとって価値があるのかどうかを、まずは判断する。

次に目に飛び込んできた数行のメッセージを読み、さらに自分に有益なものだけに情報を絞り込んでいく。

本書に載っている1000のキーワード、是非活用してゆきたい。

2020年2月19日 (水)

考えるヒント/小林秀雄

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 考えるとは、合理的に考える事だ。どうしてそんな馬鹿気た事が言いたいかというと、現代の合理主義的風潮に乗じて、物を考える人々の考え方を観察していると、どうやら、能率的に考える事が、合理的に考える事だと思い違いしているように思われるからだ。当人は考えている積りだが、実は考える手間を省いている。そんな光景が到る処に見える。物を考えるとは、物を摑んだら離さぬという事だ。画家が、モデルを摑んだら得心の行くまで離さぬというのと同じ事だ。だから、考えれば考えるほどわからなくなるというのも、物を合理的に究めようとする人には、極めて正常な事である。だが、これは、能率的に考えている人には異常な事だろう。


特にビジネスの世界ではスピードが重視される。

そのため、能率的に考えることが良しとされる傾向がある。

しかし、能率的に考えることの中に、かけるべき手間を省いていることが多い。

この事は、道徳の問題の上にもはっきり現れている。

みんな考える手間を省きたがるから、道徳の命が脱落してしまう。

良心というような、個人的なもの、主観的なもの、曖昧なもの、敢えて言えば何か全く得体の知れぬもの、そんなものにかかずらっていてはどんどん能率が下がってしまう。

だったら、そんなものは除外すればよい、となる。

多くの現代人はこうなってしまっている。

危険な傾向だと思う。

時には、答えの出ない問題を考え続けることが必要なのではないだろうか。

 

2020年2月18日 (火)

問題解決ファシリテーター/堀公俊

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 ファシリテーターは組織のパワーを最大限に引き出し、高度な問題解決に導く。意見ではなくプロセスをコントロールすることによって、組織の意思決定の質を上げる。そして、メンバーに学習を促し、組織の成長を促していく。あらゆる問題解決に欠かせないコミュニケーションの技術、それがファシリテーションなのである。


問題解決はメンバーが自律的に行ってこそ最大の成果が達成でき、メンバーの満足度も高くなる。

その手助けを行い、組織による問題解決を促進させるのがファシリテーションである。

動機づけで大切なのが、メンバーの自律性を引き出すことである。

自分の能力がチームの中で如何なく発揮できており、我事として組織の成果が実感できるからこそ、組織活動へのエネルギーがわいてくる。

単に成果が得られるだけではなく、やりがいや手ごたえがあってこそ、達成感が生まれてくる。

ファシリテーションの技術は、プロセス・デザイン、プロセス・マネジメント、コンフリクト・マネジメントの三つのスキルから構成される。

まず、問題探索から発見に至る活動の初期で大切なのが、プロセス・デザインの技術である。

問題解決は、活動に必要なチームを編成し、どのような手順で問題解決を進めていくのか、活動プロセスの設計から始まる。

その時には、組織の生産性を最大化し、創造的な解決策やイノベーションを導くために、システム的な物事のとらえ方や多面的かつ構造的な視点が重要となる。

チーム活動が円滑に動き出せば、ミーティングをはじめとするチーム内でのさまざまなコミュニケーションが、活動の主体となってくる。

ミーティングの中で、お互いの意見を正しく理解し合い、しっかりとかみ合わせていくことが何より大切だ。

その上で、議論を分かり易く整理して示し、より創造的な議論となるようチーム全体の発想を広げる手助けをしていく。

つまり、プロセス・マネジメントの技術が鍵を握るようになる。

ところが、活動の終盤である意思決定のステップに近づくと、意見の違いがあらわになり、さまざまなコンフリクト(葛藤)が生じてくる。

ファシリテーターは、メンバー同士の協調的な関係を保ちながら、全員が満足できる創造的な解決策を目指して、合意づくりを支援していく。

これが三つ目のコンフリクト・マネジメントの技術である。

どちらかが勝つまで論戦を続けるか、お互いに妥協して我慢し合うか、あるいは問題を棚上げにしてコンフリクトをなくしてしまうか、さまざまな解決パターンが考えられる。

最も望ましいのは、自分も相手も最大の利益が得られるよう、お互いに協力して問題解決にあたるウィン・ウィン・アプローチである。

協調的なコミュニケーションを通じて互いの信頼感を高め、その中で創造的な解決アイデアを一緒に築き上げていく。

これが問題解決ファシリテーションといえるのではないだろうか。

 

2020年2月17日 (月)

ファシリテーション/山崎将志

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 会議は多くの人の時間を使う、最もぜいたくなコミュニケーション手法である。費用対効果を最大化するためにも、段取りを綿密に行わなくてはならない。

会議はムダだと断言する人がいる。

確かにただ集まるだけで、何も決まらなかったり、あるいは一人の人だけがしゃべり続ける会議であればムダだといって良い。

多くの人の貴重な時間を奪う会議だからこそ、綿密な準備をし、効果を上げるべきだ。

その技術としてファシリテーションがある。

ファシリテーションとは、「会議のプロセスをマネジメントすることで、スピーディな合意形成を図り、質の高いアウトプットを出すこと」と定義される。

いわば「仕切りの技術」である。

仕切りの技術とは、会議の目的を確実かつ効率的に達成するための、会議の運営技術である。

ここでいう「仕切り」とは、「出席したメンバーが主体となり、目的を達成できるように運営する」ことである。

リーダーは、それら異なる価値観に基づく意見を、共通の目的に向かってまとめあげ、高いモチベーションを保ちながらチームをゴールに向かわせねばならない。

そのために、会議前には、「全体の中でも今回の会議の位置づけと進捗状況」「前回の決定事項の実施状況」「各議題の目的」を必ず押さえなければならない。

これらを整理し、会議を円滑に進行させるための必須アイテムとして、「アジェンダ」「作業計画表」「課題管理表」の3点セットがある。

そして、会議のオープニング時において目的を明確化すること、すなわちテーマとゴールをメンバーに意識させ、共有させることである。

会議におけるゴールとは、その会議で何を「獲得するか」ということである。

多くの人の時間を奪う会議だからこそ、その時間を有効にする技術を身につけるべきだろう。

2020年2月16日 (日)

悪者見参/木村元彦

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 そのプレーヤー人生を常に政治に蹂躙されてきたストイコビッチの意志が弾けたのは、後半44分だった。右からのロングボールを左ペナルティーエリア前で受けた妖精は、トラップ一発で相手DFを躱すとFW福田への絶妙のラストパスを通した。
 福田のゴールを見届けた次の瞬間、彼はユニフォームをたくし上げて咆哮した。Tシャツには試合前にひとりシャワールームで記した文字。
「NATO STOPS TRIKES(NATOは空爆を止めよ)」が浮かんでいた。
 この時の私の驚きは尋常ではなかった。何度、水を向けても「スポーツと政治は別だから」と頑なにポリティカルな発言を避けてきたあの男が……。
 否、とすぐに思い直した。もはやこれは政治ですらない。「人を殺すな」というきわめて人道的な叫びではないか。

本書がカバーする1998年から2001年におよぶ3年間はどのような時代だったか。

ストイコビッチの祖国ユーゴスラビアはコソボ紛争、NATO空爆、政変、前大統領の逮捕とつづく史上まれに見る国難、惨劇の時代だった。

それと並行してバルカンを主舞台に繰り広げられるスポーツと政治の不条理劇を、著者は伝えてくれる。

ユーゴスラビア連邦崩壊が始まって以来、この民族に対して国際社会が与えた仕打ちの不公平さはまさに筆舌につくしがたい。

国際法廷で、メディアの世界で。

検証すればするほど覆い隠されて来た意図的なセルビア叩きの歪んだ事実がいくつも見えてくる。

世論はセルビア人だけを鬼か悪魔のように言い募り、もろもろの国際機関は言うに及ばず、日本の平和運動の中ですら、紛争に疲弊したこの民族に対する差別発言はよく見受けられた。

絶対的な悪者は生まれない。

絶対的な悪者は作られるのだ。

本書のタイトル「悪者見参」は、それを表しているのではないだろうか。

2020年2月15日 (土)

科学的に元気になる方法集めました/堀田秀吾

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 人間は「やり始めれば集中する」ようになっている、というより、やり始めなければ、集中ができないようになっているのです。

本書は科学的に実証されている元気になる方法を集めたもの。

科学的にというのがミソで、よくある精神論的なものではない。

例えば、人間はこれまで、「何かをするとき、まずは頭で考えてから、脳で命令を出して行動を起こしている」と考えてきた。

ところが、心理学や脳科学の世界では、人は「行動してから考える」というのが常識になりつつある。

脳の動きを測定してみると、その順番がはっきりわかる。

リベットというアメリカの生理学者が行った実験では、動作を行う準備のために送られる信号が、動作を行う意識の信号よりも350ミリ秒も早かったことがわかっている。

つまり、考える・心で念じることより、実際の動作のほうが脳に与える力は強いというのである。

さらに、脳には、一度その行動を始めると、のめり込んでしまうという性質がある。

脳にある側坐核という部分がやる気の「スイッチ」。

一度作業をやり始めると、この「やる気スイッチ」が入り、やめられなくなってしまう。

更に、姿勢の影響も研究されている。

ハーバード大学の社会心理学者・カディらの研究チームが、「堂々とした姿勢をとらせた被験者」「縮こまった姿勢をとらせた被験者」という2つのグループにそれぞれギャンブルをしてもらった。

すると、前者のグループのほうがよりリスクの高い賭けに好んで出る結果が出たという。

さらに被験者の唾液を調べたところ、堂々とした姿勢──つまり背筋を伸ばした姿勢の被験者には、「テストステロン」という決断力・積極性・攻撃性・負けず嫌いなどに関係するホルモンの増加が見られた。

つまり、姿勢をシャンとするだけで、チャレンジ精神に満ちて、戦う勇気が出てくるということだ。

これらのこと、科学的に実証されたものなので、実践してみたらよいのではないだろうか。

2020年2月14日 (金)

ダンス・ダンス・ダンス/村上春樹

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 僕はたまらなく孤独だった。僕は何かにつかまりたいと思った。しかしまわりを見回しても、つかまるべきものは何もなかった。つるりとして捉えどころのない氷の迷宮の中に僕はいた。闇は白く、音はうつろに響いた。僕は泣きたかった。でも泣くことさえできなかった。

村上春樹の文章を読んだのは、実はレイモンド・チャンドラーの訳だった。

チャンドラーといえば、ハードボイルドでスタイリッシュな文章という印象がある。

村上春樹の文章も共通する点がある。

というより、チャンドラーのスタイルを真似ている部分がかなりあるのではないだろうか。

村上春樹のスタイリッシュな文章は、慣れると読んでいてとても心地良い。

文章に味わいがある。

本作では「僕」にかかわりのある人物が何人も死ぬ。

そして登場人物はみんな孤独をまとっている。

人間の孤独と死について考えさせられる小説だ。

2020年2月13日 (木)

なぜか人に好かれる心理テクニック/平準司

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 意外なようですが、逆に喜怒哀楽の感情をはっきり示す人のほうが好感をもたれるのです。感情がはっきりしているため、わかりやすく、接しやすいのです。相手はその人の前では余計な気をつかわなくてすむからです。

人に好かれるためには喜怒哀楽をはっきりと示すこと。

確かにその通りだと思う。

喜怒哀楽をそのまま素直に表すのは子供である。

子供は喜怒哀楽をそのまま素直に表す。

だから、子供は好かれる。

ところが大人になるにつれ喜怒哀楽をそのまま表すことに葛藤が生まれる。

「怒っていることをそのまま表現すると、周りの人はなんて思うだろう」と。

すると感情表現と心の中で思っていることに相反が生まれる。

それが相手にもわかってしまうと、「あの人は信用できない」とか「あの人は何を考えてるかわからない」ということになる。

それが不信につながる。

では、もう一度子供のように喜怒哀楽をそのまま表す人間になれるのか?

中にはそれができる人もいるだろう。

もって生まれた性格にもよるだろう。

でも、そうなれるように努力することはできるだろう。

また、「喜怒哀楽をそのまま素直に表しても問題ないんだ」と自覚することは大事なのではないだろうか。

2020年2月12日 (水)

目標達成する技術/マイケル・ボルダック

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 ゴールを達成するための秘訣、ゴールを具体的に思い浮かべるための秘訣は、成功したときの感じを、今味わうことなのです。自分に質問してください。「成功した今、どんな風に感じるか?」

目標を立てても達成できない人は多い。

理由は何なのか?

やり方が間違っているのか?

多くの場合、そうではない。

行動しないからである。

当たり前のことなのだが、行動しなければ目標を達成することはできない。

ではなぜ行動できないのか?

強い意志を持てばよいのか?

でも意志だけでは折れてしまうことがある。

問題は感情だ。

達成した時に沸き起こってくる感情を今感じること。

そのために自分に正しい質問をすること。

フォーカスをコントロールする一番の近道は「質問」だ。

質問をコントロールすることで、思考のフォーカスをコントロールできる。

そして、好きな感情を得ることができる。

「この目標を達成した時、自分の中にどんな感情が沸き起こってくるのだろう?」と自分自身に質問してみること。

そしてその感情を今味わうこと。

これが重要ということではないだろうか。

是非とも実行してみたい。

2020年2月11日 (火)

米軍が恐れた「卑怯な日本軍」/一ノ瀬俊也

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 対日戦末期の米軍における日本軍イメージは「卑怯」の一語に尽きていた。ニューギニア、マリアナ、フィリピン、硫黄島、沖縄の戦場で圧倒的な火力に追い詰められた日本軍将兵が各種のなりすましや地雷、仕掛け爆弾により一人でも多くの米兵の命を奪って戦意をくじこうとした工夫──何と飛行機まで撃墜してしまった──は、皮肉にもそのようなイメージを増幅させる結果となったのである。 

米軍の対日戦用に『卑怯な日本軍』というマニュアルがある。

沖縄戦の教訓も踏まえて個々の兵士にもわかりやすく作られたものだ。

米兵たちに手っ取り早く日本軍の「戦術」を教え、かつ憎悪、侮蔑も植えつけることが『卑怯な日本軍』の目的だった。 

米軍将兵はどのような日本軍観を抱いて戦っていたのたのかということがよくわかる。

『卑怯な日本軍』には次のようなことが書かれている。

日本軍は卑怯な手を好む。

戦争の歴史上、背信とずる賢さにおいて日本軍にかなう軍隊は存在しない。

真珠湾のだまし討ち以来、アジアや太平洋の島での作戦を通じて、日本軍はあらゆるトリック、優勢を獲得するためのまやかしを使った。

今や奴らはどんどん追い詰められて劣勢を強いられ、自殺的な戦いをしていることを自覚している。

彼らは正統な戦術からどんどん逸脱し、より策略に頼っていくだろう。

日本兵と戦う将兵がまず学ぶべきことは、どんな状況でも奴らを信用してはならないということだ。

日本軍兵士の傑出した軍事的長所として、絶対に命令に従うこと、

病気や怪我をしていても殺されるまで戦い続けること、

忍耐力とスタミナは最も厳しい状況に耐えうること、

最小限の補給で野外を生きていけること、

非常に遮蔽、偽装、隠蔽が巧みであること、

幼いころから厳しく支配されてきたせいで、自分自身のために考える方法を一度も学んだことがないこと、

いったん作られた計画にどこまでも固執して、状況が変化しても自発性や想像力を発揮できないこと、

その結果奇襲を受けると大変な不利におちいることが挙げられる。

以上、『卑怯な日本軍』という米軍マニュアルを読むと、戦争末期の日本軍が繰り広げた「対米戦法」のあらましがみえてくる。

それは成りすまし、待ち伏せ、狙撃、仕掛け爆弾など「卑怯」と総称されるものであった。

そのすべてが事実とは思えないが、追い詰められた日本兵の必死の工夫の跡も含むのであろう。

読んだ米兵は日本軍の卑怯さに怒りと恐れを抱いたと思われる。 

当時のアメリカ人にとっての日本人観が「卑怯」の一言に尽きていたという苦い歴史の記憶。

戦後75年経った現在も、アメリカ人の日本人観の根底にあるのかもしれない。

そんなことを考えさせられた。

2020年2月10日 (月)

神話で読みとく古代日本/松本直樹

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 神話とは本来、人の生死までをも決定づけ、また社会に対する規制力を持って信仰・伝承され、村落共同体を形成・維持していたのである。だから、神話という型を借りることで、その「神話力」を頼りにして、王権国家の由来と正当性を説く。これこそが、古事記や日本書紀が〈歴史〉の冒頭に神代を置いた理由ではないだろうか。

本書によると、古事記・日本書紀の〈神話〉は、天皇を中心とした大和王権の由来と正当性を説くために作られたものだという。

だからその結論は、「アマテラスの子孫である皇祖が国を支配する」ということなのであって、それを受けて、神武以下の歴代天皇が天下を統治してゆくわけである。

新しい〈神話〉は決して自由に作ることができない。

作ってもそれは神話としての説得力を持つことはないのだから。

だから既存の神話に拘束され、その代償として「神話力」を維持し、そこに自らの主張をそおっと乗せて作られてゆく。

大和王権は、地方の神や神話を取り込み、利用しながら、王権国家の由来を説く〈建国神話〉を作り上げ、偽の共同体としての国家の上に君臨させた。

「日本」が出来るずっと以前に、この列島の上に、それぞれの神話を頂いた数多くの村落共同体があった。

神話は昔話とは違って、人の生死や、共同体の掟などを規定する「神話力」を持って、共同体の中で口承されていた。

まずは、近隣の共同体同士が集まって小さな国が作られていった。

たとえば、稲作の開始によって多量の水が必要になった時、川の水利権をめぐって、流域の共同体同士が交渉し、あるいは競争し、それが小さな国が出来る一つの契機になった。

小さな国には、共通の掟が必要であったに違いなく、そのために以前の神話は取捨選択、あるいは改変されていったに違いない。

その後、いくつもの段階を経て、大和王権が「日本」という名の国家を形成することになるが、その際にも神話は重要な役割を果たしていたらしい。

このような歴史的背景を持って古事記・日本書紀は作られた。

新しい権力が新しい国家の実現を目指す時、まずは過去の〈歴史〉の上に、自らの存在を正当化することが必要なのだ。

古事記と日本書紀は、新しい天武王権による、新しい国家作りの正当性を国内外に示すために作られた〈歴史〉であると考えてよいだろう。

その〈歴史〉を〈神話〉時代から説き起こしたところに日本国史の特徴がある。

本書を読んで〈神話〉の持つ意味について改めて考えさせられた。

2020年2月 9日 (日)

50歳すぎたら、「まあ、いいか」「それがどうした」「人それぞれ」でいこう/弘兼憲史

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 僕は三つの魔法の言葉を大事にしています。ひとつは、すでにお話しした「まあ、いいか」、二つめは「それがどうした」、そして「人それぞれ」です。この三つの言葉でたいていのことは乗り越えていくことができます。

私自身はもう60歳を過ぎているのだが、この年齢になると人生に対して開き直りのような気持ちになる。

別に人生をあきらめているわけではなく、むしろ前向きなのだが、若いころのように「何が何でも」という気持ちがなくなる。

その意味では著者のいう「まあ、いいか」「それがどうした」「人それぞれ」の三つの言葉は共感できる。

「まあ、いいか」は諦観、諦めだ。

人が思い悩むのは、多くは自分がしたことが、思い通りの結果に結びつかなかったとき。

たとえば、仕事だったら、労多くして功少なし、に終わった。

人間関係なら、信頼していた人に裏切られた。

といったケースがそうだろう。

しかし、もう結果は出ているのだ。

いったん結果が出てしまったことは、覆せない。

だったら、クヨクヨするのも、落ち込むのも、時間の無駄。

「まあ、いいか」と諦めて、次なる一歩を踏み出したほうがいい。

「それがどうした」もある種の開き直りだ。

裏切られようと、だまされようと、命までとられるわけではない。

「人それぞれ」は他人と比較しそうになる自分を戒める言葉だ。

比較することの愚かい。

それは、嫉妬や羨望、怨念や邪念で自分を縛ることにも繫がる。

だから、「人それぞれ」といい聞かせる。

比べなかったら、人生はどんどんシンプルになって、心地よいものになる。

自分らしく、生きられる。

ゴーイング・マイウェイだ。

「まあ、いいか」「それがどうした」「人それぞれ」の三点セットは、人生楽しく、面白く生きるうえでの知恵ではないだろうか。

2020年2月 8日 (土)

日本人がつくる世界史/日下公人、宮脇淳子

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 世界に対して大きな影響力を持つようになった日本が世界史を書くべき時期は近づいているといえます。千年以上続いた宗教戦争の果てにウェストファリア体制ができたにもかかわらず、その後に世界大戦が起きてしまい、いま世界はどのようになっているのか──。その経緯と理由を公平に説明できるのは日本だけです。

本書は日下公人氏と宮脇淳子氏のお二人の対談を中心に書かれている。

歴史というものは、先に書いた人間が自由につくれるところがある。

そして、その枠組みにはめられたままになっている部分が多い。

ある種のマインドコントロールを解かなければいけない、と彼らはいう。

多くの場合、歴史は勝者が作る。

だから、私たちが学んでいるのは欧米の史観である。

大航海時代に入ってから三百年間、欧米の列強は軍国主義を通してきた。

日本がそうなったのは最後の五十年ほどだけだった。

しかし、軍国主義の時代に欧米の列強が世界各地でどれだけひどいことをしてきたかについては、世界史の中ではほとんど書かれていない。

白人がどれだけ悪いことをしてきたかについては西洋史の中ではあまり出てこないというのである。

そう考えると、日本人の目から見た世界史が書かれてもよいのではないだろうか。

2020年2月 7日 (金)

汝、ふたつの故国に殉ず/門田隆将

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 銃殺の前、兵士は布で彼の両目を塞ごうとしたが彼はそれを拒んだ。兵士はまた、彼を木に縛りつけようとしたが、彼はこれも拒否した。彼を跪かせようとしたところ、これまた彼は跪かなかった。兵士は力まかせに彼を蹴りつけて跪かせ、更に踏みつけ、銃の台座で彼を殴った。湯弁護士は、
「私を縛りつける必要はない。目隠しをする必要もない。なぜなら、私には大和魂の血が流れているからだ。もし、誰かに罪があるとしたら、それは私一人で十分だ!」
 と言い、続けて日本語で、
「台湾人、万歳!」
 と高らかに叫んだ。
 この後、兵士は銃を撃った……最初の一撃、そして二発目を撃っても、彼は倒れなかった。そして三発目の銃弾で彼はようやく倒れた。
 何と勇ましいことだろう!

戦後の台湾で、「日本人として」死んだ一人の英雄がいる。

その人は、父親が日本人で、母親は台湾人だった。

文字通り、「日本と台湾」の切っても切れない絆を体現するような生涯をおくった人だ。

2014年、その人が命を落とした日は、台南市の「正義と勇気の日」に制定された。

死後七十年を経てもなお、命日を正義と勇気の象徴と讃えられるほど、台湾で敬われているこの人の存在は、私たち日本人に、ほとんど知られていない。

その人の名は、坂井徳章と言う。

台湾名は、湯徳章だ。

彼は、内地に渡って中央大学予科に法律を学び、最終学歴小学校卒業でありながら文官高等試験司法科はおろか行政科にまで合格し、台南に戻って弁護士事務所を開設した。

第二次世界大戦終結後、中国国民党統治下で発生した二・二八事件において、台南市の人民自由保証委員として台南学生をなだめ、国民革命軍の報復によって台南学生が虐殺される事態を防いだ。

しかし、国民党軍に逮捕され、市中引き回しの上、大正公園にて処刑された。

彼は処刑されるとき「私には大和魂の血が流れている!」

木に縛りつける必要もなければ、目隠しをする必要もない。

なぜなら、自分には、〝大和魂〟の血が流れているからだ。

と叫んだ。

それは、鬼気迫る魂の叫びだった。

死ぬ間際の人間が、台湾語で民衆の魂に投げかけたのだ。

そして、徳章は、こうつづけた。

「もし、誰かに罪があるとしたら、それは私一人で十分だ!」

驚きと感動で人々は言葉を失っていた。

罪を負うべきは日本人一人に任せればよい、台湾人から犠牲者を出す必要はない。

私はそれを承知で死んでいくのだから。

皆もそう理解して、無駄死はしないでほしい。

私に日本人の血が流れていることで、犠牲者を私一人で済ますことができるのであれば、むしろ幸いなことではないか。

これこそが大和魂の死にざまなのだ、と。

徳章は、一転、今度は「日本語」で、こう叫んだのである。

「台湾人、バンザーイ!」

それは、とどめの言葉となった。

もはや疑いようがなかった。

この処刑されようとしている男は、自分たちに、

「こんなやつらに絶対に負けるな。誇りある台湾人よ、万歳!」

そう言っているのである。

多くの人に、強烈な記憶と感動を残して、湯徳章、日本名・坂井徳章は、逝った。

徳章の死は、台南市民の心に哀しみと、同時にはかり知れない財産を残した。

徳章の残した「言葉」と、最期に示した「態度」は、台南市民の記憶の奥に深く刻み込まれ、長くつづく蔣介石による〝白色テロ〟の時代も秘かに語り継がれる。

そして、半世紀のちに、徳章は、まさに忽然と〝復活〟を遂げる。

2014年3月13日、台南市の頼清徳市長は、湯徳章の「命日」にあたるこの日を台南市の「正義と勇気の紀念日」に制定することを発表した。

「正義と勇気」

湯徳章を表わすのに、これ以上、ふさわしい言葉はないのではないだろうか。

2020年2月 6日 (木)

乗り遅れるな!ソーシャルおじさん増殖中!/徳本昌大、高木芳紀

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 徳本氏は、〝するしない〟〝できるできない〟〝続ける続けない〟という選択を迫られたとき、必ず〝る〟を選択するよう心がけている。そして、この中で一番大事なのが〝続ける続けない〟で〝る〟を選択すること。続けると決めたら絶対にやめない。そうすれば結果はおのずとついてくるのだ。


ツイッターやフェイスブックなどのSNSをはじめ、ブログなど、インターネットを利用して個人間のコミュニケーションを促進するサービスをソーシャルメディアと呼ぶ。

いわゆる〝おじさん〟とは縁遠く感じるこれらサービスを活用し、仕事とプライベートの充実をはかり、成功を収めている人たちがいる。

彼らの特徴は〝一人で成功しない〟こと。

まわりの人に尽くすことで、最終的に自分もうまくいく。

そんな好循環を生み出し続けているのが「ソーシャルおじさん」だ。

パソコンが苦手なおじさんは多い。

しかし、一歩踏み出してウェブの世界に入ることで、活かされる人付き合いのノウハウがある。

もともと持っている人脈も広い。

若い世代が多いウェブ世界で最も必要とされているものを、実はおじさんはすでに持っているのだ。

「ソーシャルおじさん」になるためには、一応規定がある。

まずは、ソーシャルメディアに精通していて、人付き合いにオープンであること。

そして、人の役に立つことが大好きなおじさんであることだ。

そんな「ソーシャルおじさん」が増えてきているという。

確かにソーシャルメディアは若者の専売特許ではないはずだ。

要は「苦手意識を持たない」ことであり、「続ける」ことである。

ソーシャルおじさんの使命は、世代、業種を超えて、人と人をつなげると同時に、それぞれの人が足りないと感じていることを補うこと。

こんな「ソーシャルおじさん」、もっと増えてくるのではないだろうか。

2020年2月 5日 (水)

交渉術/佐藤優

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 人間は欲望をもつ存在だ。その欲望にどのように付け込んでいくかが交渉術の要諦なのである。人間には、さまざまな欲望がある。性欲、金銭欲、出世欲、名誉欲などさまざまな欲望がある。交渉術の研究を裏側から見るならば、欲望の研究でもある。相手の欲望にどのように付け込んで、こちら側に有利な状況をつくるかということだ。

交渉術は、善でも悪でもない、価値中立的な技法なのである。

ナイフが、リンゴの皮をむくことにも使えるし、人を刺す凶器にもなるのと同様に、交渉術を善、悪、双方の目的のために活用することができる。

従って、交渉術においては、物事の本質を見極める洞察力よりも、道具的知性の方が必要とされる。

中でもインテリジェンスと交渉術は、不即不離の関係にあると著者はいう。

インテリジェンスとは、通常、入ってくる情報(インフォメーション)の信憑性を評価し、政策決定に役に立つ形で加工を加えた特殊情報である。

インテリジェンス機関は、欲望研究の専門家集団でもある。

従って、人間のどの欲望を、どういう形で満たすと、相手を協力者に取り込むことができるか、いつもそのことばかり考えている。

ホテルの部屋に入るとベッドに全裸の金髪娘が寝ていて、その姿を写真に撮られて脅されるなどというハニートラップは、三流スパイ小説の中だけの話だ。

人間は脅して来る者に対して、心の底から協力することはない。

従って、標的とする対象が窮地に陥るのを待って、「助けてあげる」というのが、プロの工作員のやり方なのだ。

また、カネで情報を買うことができるというのも、インテリジェンス業界の実態と異なる。

カネはいくらもらってももっと欲しくなるという特殊な性質をもった商品だから、カネが好きな者を相手にインテリジェンス活動をしてはならないのだという。

インテリジェンスの専門家は、対象国や民族の神話、宗教経典、義務教育で使用される歴史、国語の教科書には必ず目を通す。

交渉術においても、相手の内在的論理を捉える研究は不可欠である。

交渉は人間が行うものである。

従って、交渉当事者の力量によって成果が大きく変わってくる。

相手側の交渉担当者を罠に陥れ、堕落させ、こちら側に有利な状況を作り出すことも、交渉術では当然使われる。

実際の工作においては、人間は保守的に行動することを前提にする。

つまり、動物でありながら、愛や名誉を重んじ、体面を気にかけ、社会的慣習に縛られるという人間の矛盾が、付け込む隙となる。

そこから工作を仕掛け、交渉を自分たちに有利に展開する。

と、実際にロシアとの交渉の現場に立ち会った著者ならではのエピソードで本書は綴られている。

実際の交渉はきれいごとでは済まされないものだということではないだろうか。

2020年2月 4日 (火)

羊と鋼の森/宮下奈都

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「才能っていうのはさ、ものすごく好きだっていう気持ちなんじゃないか。どんなことがあっても、そこから離れられない執念とか、闘志とか、そういうものと似てる何か。俺はそう思うことにしてるよ」 

この小説の主人公、外村は、高校卒業後、専門学校で学び、地元北海道の楽器店に就職した駆け出しのピアノ調律師だ。

ピアノを主に扱っている小さな楽器店には、4人の調律師がいる。

初心者マークの外村、彼を一番よく面倒見てくれる7年先輩の柳、40代の舌鋒鋭い秋野、高校生の外村を魅了して調律師の道に引き込んだ天才板鳥。

この3人の先輩たちの仕事の信条、こだわり、夢は、それぞれ大きく異なっていて、その違いが各自の人生としても描かれている。

柳は、人当たりがよく、趣味でバンドのドラマーをし、婚約中とリア充そのものだが、公衆電話の派手な黄緑の色の主張が我慢できないような神経過敏な思春期を過ごし、メトロノームの音と幼馴染の存在に救われた。

秋野は、ピアニストとしての自分の才能の限界におびえるうちに、落下する悪夢を見るようになり、4年間煩悶したのちに調律師に転身する。

天才板鳥は、巨匠のヨーロッパツアーに帯同を求められるほどの存在なのに、飛行機を嫌がって乗りたがらず、小さな町の小さな会社で働いている。

3人とも、おそろしく繊細で神経質で聡明だ。

その鋭すぎる感覚を、音を整えるという仕事に注いで、人生のバランスをとっているように思える。 

調律師をモチーフにした優れた仕事小説であると同時に、本作は、青年の成長物語である。

また、外村の自分探しの物語でもある。

仕事とは?人生とは?いろいろ考えさせられる小説だ。

2020年2月 3日 (月)

贖罪の奏鳴曲/中山七里

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「前にも言ったことがあるよな。後悔なんかするな。悔いたところで過去は修復できない。謝罪もするな。いくら謝っても失われた命が戻る訳じゃない。その代わり、犯した罪の埋め合わせをしろ。いいか。理由はどうあれ、人一人殺めたらそいつはもう外道だ。法律が赦しても世間が忘れても、それは変わらない。その外道が人に戻るには償い続けるしかないんだ。死んだ人間の分まで懸命に生きろ。決して楽な道を選ぶな。傷だらけになって汚泥の中を這いずり回り、悩んで、迷って、苦しめ。自分の中にいる獣から目を背けずに絶えず闘え」 

この小説の主人公、御子柴礼司は被告に多額の報酬を要求する悪辣弁護士。

彼は14歳の時、幼女バラバラ殺人を犯し少年院に収監されるが、名前を変え弁護士となった。

14歳の時の殺人は1997年に兵庫県神戸市須磨区で発生した当時14歳の中学生による連続殺傷事件、別名『酒鬼薔薇事件』を思い出す。

そのような過去を持つ弁護士が三億円の保険金殺人事件を担当する。

ストーリーはどんでん返しの連続で、結局依頼人が犯人だったということになるのだが、それ以上に印象に残ったのはこの弁護士のキャラだ。

彼が少年院に収監されていた時、担当する教官から言われたのが上記の言葉。

「外道が人に戻るには償い続けるしかないんだ」という言葉。

確かにそうなのだろう。

罪を贖うとはどういうことなんだろう?と考えさせられた。

2020年2月 2日 (日)

シリアル・イノベーター/アビー・グリフィン、他

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 一つだけではなく、複数のイノベーションを連続的(シリアル)に生み出す人物。それがシリアル・イノベーターだ。人や組織にとって重要な課題を解決するアイデアを思い付き、必要に応じてその実現に欠かせない新技術を開発し、企業内の煩雑な手続きを突破して、画期的な製品やサービスに発展させ、市場に送り出す。

端的にいえば、企業における新製品開発プロセスには、技術主導型と市場主導型の二つがある。

どちらが優勢とは一概にはいえない。

だが、こうした状況を打開する人物がいる。

その人物とは、スティーブ・ジョブズのようなカリスマ経営者でも、いまをときめくシリコンバレーの起業家でもない。

長い歴史を持った大企業でミドルという難しい立場にありながら「シリアル」、つまり幾度となくイノベーションを起こす人のことだ。

それが本書の題名でもある「シリアル・イノベーター」である。

企業の中堅に位置するシリアル・イノベーターに、どの製品を開発するか自ら決定する権限はない。

したがって、自らのビジョンを製品として実現するためには、ビジネスや技術面におけるスキルだけではなく、人的ネットワークや政治的能力も動員しなければならない。

シリアル・イノベーターのアプローチは、他の技術開発者たちとまったく異なる。

彼らは製品群や事業企画を変え、頻繁に組織のルールや規範を破る。

そんな彼らをうまくマネジメントすることは企業にとって非常に難しい。

彼らのプロセスは、ある特定の現象や課題の背後にある基礎科学を理解するところから始まり、顧客ニーズを理解するのに多くの時間を使う。

「シリアル・イノベーター」は、技術と市場の両方に対する視点を持ち、新技術がなかなか事業に結び付かない「死の谷」を越える方法を体得して、ビジネス・ブレークスルーを可能にする。

このような存在を見つけ、活躍の場を与えることこそ、いまの日本企業に必要なのではないだろうか。

2020年2月 1日 (土)

洗脳/Toshl

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 周囲にいた男性に加え、数人の女性が僕を取り囲み、ヒステリックな叫び声と背中への強打が始まる。
「いいかげんにしろ、このエゴ人間!」
「ぎらぎらした気持ちわりー劣等男!」
 それはまぎれもない守谷の狂気の叫び声だった。
「おまえはそのエゴ人間の中でも最低最悪のうじ虫男なんだよ!」
 罵倒、罵声、悲鳴が入りまじり、泣き叫んでいる自分も頭が真っ白になり、夢なのか現実なのかもわからなくなっていく。時間の感覚もとうになくなり気が遠くなっていった。 

本書はX JAPANのヴォーカルTOSHIの12年に及んだ「洗脳」の恐ろしさを心の奥底から訴えた、自伝的告発の書でわる。

彼の周りで次々に起こるトラブルの数々。

苦悩の日々。

心の隙間に忍び寄ったのは、「洗脳」という思いもよらぬ地獄だった。

妻を通して洗脳集団ホームオブハートが巧妙に勧誘してくる。

精神世界、スピリチュアル、宇宙の話。

だんだん精神世界やヒーリングミュージックなどに傾倒していく。

そして訪れたのは「洗脳」という、人間としての意志も、考えも、自由も、すべてを奪われてしまう恐ろしい地獄のような日々。

執拗な暴力と罵倒、搾取。

残忍な手口。

そして、そこからの脱出。

「洗脳」というものがいかに恐ろしいものであるか、本書はそのことを教えてくれる。

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