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2020年5月 9日 (土)

「リベラル」という病/岩田温

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 日本でリベラルを自称する人たちには、顕著な特徴がある。それは、現実をみつめようとせず、愚かな観念論に固執することだ。極めて反知性主義的な態度だといってよい。

リベラルとは、多様性を擁護し、国家が個人に対する干渉をなるべく少なくすることを前提としながら、様々なマイノリティ、弱者の権利擁護を行う思想である。

こう考えると、リベラルとは決して悪いことではない。

ところが日本のリベラルは特殊だ。

リベラルというより左翼といった方がよい。

「反知性主義」があたかも「リベラル」の暗黙の前提条件であるかのごとき状況にあるのが、日本の現実だ。

現実を見つめず、自分たちにとって都合のいい虚構と妄想の世界で生きているかのようにふるまう「反知性主義者」、それが日本の「リベラル」だ。

そして、こうした「反知性主義」は、本来リベラリズムとは無関係な態度だ。

日本のリベラルは、戦後の日本の平和、繁栄が築かれたのは「平和憲法」があったからだという。

しかし、戦後の日本の平和、繁栄が築かれたのは自衛隊と日米同盟が存在したからであって、「平和憲法」があったためではない。

「平和憲法」を維持し続ければ平和だというのは、「妄想」に過ぎないことは、北朝鮮のミサイル問題が証明している。

だが、一旦現実から離れて、あくまで憲法の条文と照らし合わせてみたら、どうだろうか。

日本国憲法で「戦力」を否定しながら、自衛隊が存在するのはおかしいのではないか。

日本国憲法で「交戦権」を否定しておきながら、他国が侵略してきた際に、自衛隊が出動して戦うことが認められているのは、おかしいのではないか。

日本国憲法第9条を虚心に読めば、誰もが思い浮かぶ疑問であろう。

要するに、日本国憲法第9条第2項そのものがあまりに現実離れしており、憲法学者たちの解釈通りに解釈したら、自国の防衛すらままならないというのが現実なのだ。

そして多くの国民は憲法学者の憲法解釈ではなく、現実に適った極めて「不自然な憲法解釈」を受け入れている。

「戦力」も「交戦権」も否定した憲法を有しながら、「自衛隊」を保持できるという、極めて「不自然な憲法解釈」によって、日本はなんとか、自国を防衛してきた。

今回の新型コロナ禍における緊急事態宣言であっても、日本の場合は強制力を伴わず極めて緩い。

憲法の縛りがあるからだ。

いつまでこの矛盾を放置しておくのだろう。

いい加減、リベラルという反知性主義から脱すべきではないだろうか。

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