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2020年7月28日 (火)

疫病2020/門田隆将

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 この星を支配し続ける人類を脅かす最大の敵はウイルスである
 2020年は、33歳の若さでノーベル生理学・医学賞を受賞し、2008年に82歳で世を去ったアメリカのウイルス研究の第一人者、ジョシュア・レダーバーグが残したこの言葉を世界中が噛みしめる年となった。 

世界は中国湖北省の省都・武漢市で発生した新型コロナウイルス感染症に地獄に叩き落とされた。

新型肺炎の発生源となった人口1100万人の武漢市は、1月23日に完全封鎖された。

しかし、それまでにおよそ500万人が脱出したとされる。

1月25日に始まった春節では、世界中で中国人や華僑が30億人も大移動した。

こうして新型コロナウイルスは世界中に拡散した。

新型コロナウイルスは、同時進行で世界各国のリーダーの資質と能力、国民をどう守るかという信念、安全保障への問題意識……等々、さまざまなことを炙り出す機会ともなった。

各国はウイルス対策、医療体制維持への方策、中国とのつき合い方など、根本問題を次から次へと突きつけられた。

日本政府の対応で一番悔やまれるのは、初動の遅さである。

この点で、台湾と大きな違いがみられた。

台湾政府は、のちに新型肺炎に罹って亡くなる中国・武漢市の李文亮医師が初めてウイルスのことを告発した翌日の2019年12月31日には、台湾政府は武漢で原因不明の肺炎により「複数の患者が隔離治療されている」という情報をキャッチし、WHOにもそのことを伝え、同時に最初の「注意喚起」を発出した。

さらにその夜からは、武漢直行便に検疫官が乗り込み、検疫を始めた。

驚くべき早さだった。

年が明けると、さらに動きは急になる。

2020年1月1日、台湾は入国してくる中国人全員の検温を開始した。

翌1月2日には台湾衛生福利部で「伝染病予防治療諮問会」が開かれ、さらなる対策への具体的討議に入った。

同日、陳時中・衛生福利部長は桃園国際空港を視察し、入念な防疫体制のチェックをおこなっている。

これらが1月1日と2日の間に一挙に講じられている。

5日には感染症の専門家会議が招集され、総統選直前の1月8日には、早くもすべての国際線と中国の厦門、泉州、福州などの船舶の往来の警戒レベルを引き上げた。

台湾の新型コロナウイルスとの全面的な闘いは、正式には法定感染症に指定されたこの「1月15日から」始まったと言える。

一方、日本政府はどうだったのか。

2月1日、日本政府はやっと「武漢を含む湖北省からの入国を当分の間、拒否する」と発表。

武漢市長自身が「500万人が封鎖前に武漢から脱出した」と認めているのにである。

すでに感染は中国全土に広がっていた。

各国が雪崩を打つように中国全土からの入国禁止を採っていった時、日本は極めて限られた制限に入った。

その中途半端な制限に対して「なぜ中国全土じゃないんだ」という声が逆に一層、党内に満ちていく。

この方針は、習近平・中国国家主席が国賓として来日することが正式に延期になる3月5日まで堅持された。

この初動の遅さと、対策の中途半端さがウイルスが日本中に拡散した一番の原因であろう。

一方、今回のコロナ禍は、日本の違った面も明らかになった。

それは、日本人の「現場力」の強さである。

日本人が「現場力」で戦ってきたことは歴史が証明している。

先の大戦でも、米軍を苦しめ抜いた南方戦線をはじめ、大本営の作戦失敗を現場力で補い、膨大な戦死者を出しながら奮戦したことは多くの歴史学者によって指摘されている。

最近の例でいえば、東日本大震災の時もそうだった。

福島第一原発事故で暴走する原子炉に立ち向かうために原子力発電所の所員が数多く現場に踏みとどまった。

危険で汚染されたリアクタービル(原子炉建屋)に突入をくり返したプラントエンジニアたちは、原子炉のベントを成功させ、日本を破滅の危機から救っている。

海外メディアは、彼らを「Fukushima50」と名づけて讃えたことは記録に新しい。

また、大震災でも、暴動と略奪が起こらない日本人の規律に世界は驚愕した。

災害イコール略奪が世界の常識なのに、日本ではそれが「起こらなかった」。

コロナ禍でも、日本人の特性は大いに発揮された。

そして代々受け継がれてきた日本人のその規範が「笑顔」で踏ん張る医療従事者たちを支え、ついに医療崩壊を回避した。

コロナ禍は、これからも続く。

日本を見つめなおすいい機会なのかもしれない。

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