« ライフワークの思想/外山滋比古 | トップページ | 親中派の噓/櫻井よしこ »

2020年7月30日 (木)

体育会系/サンドラ・ヘフェリン

Photo_20200725081701

 日本の「やればできる」は、学校や会社などの組織がその一員(つまりは生徒や社員)に命令するものです。つまり立場が「上の人」が「下の人」に対して強制しているところが、欧米との大きな違いです。

体育会系の考え方の基本は「やればできる」というもの。

欧米にも、「やればできる」という思考は存在する。

ただ、それはどちらかというと自分自身に対して、あくまでも優しく「私はできる」と言い聞かせるような行為。

「やればできる」は欧米の文化ではいわゆる「ポジティブ・シンキング」の一環であり、人生を明るくするためのもの。

ところが、日本の「やればできる」は上司が部下に、あるいは先輩が後輩に強制することば。

そしてそれが「感動」と結びつく。

つまり、「やればできる」と信じてやり続けたら不可能と思えたことが「できた」、「感動した」という枠組みで使われる。

少し前に「感動ポルノ」という言葉があった。

「24時間テレビ」関連でよく出てきた言葉だ。

健常者が障害者に課題を強いる形で、「一生懸命になって頑張る姿を見てみんなで涙を流す」というような場面にみんなが「感動」する。

あるいは小学校の運動会で行われる人間ピラミッドにみんなが「あんな小さい子供たちが」と「感動」する。

「やればできる」の体育会系思考に見える「頑張り至上主義」。

日本ではとにかく頑張ることがもてはやされがち。

これがひいては「ブラック企業」につながる。

日本の体育会系がおかしなことになっているのは、本人がそういう気持ちになることを待たずに、周りが「それぐらいで諦めるな」だの「もっとできるはずだ」だの「甘えるな」などとゴチャゴチャ言ってくること。

そして、頑張らないと、その人の人格を否定してしまうような風土が出来上がってしまっていること。

つまり、同調圧力を背景としたもの。

今、足りないのは体罰=傷害=暴力行為=犯罪という認識。

その認識がないと、気合だ、勝つためだ、とかなんとかいって体罰は減らないのではないだろうか。

« ライフワークの思想/外山滋比古 | トップページ | 親中派の噓/櫻井よしこ »

書籍・雑誌」カテゴリの記事