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2020年7月12日 (日)

アメリカ大統領制の現在/待鳥聡史

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 アメリカの現代大統領制は、有権者をはじめとする国内外からの大統領に対する役割期待が変化したにもかかわらず、合衆国憲法の明文改正は行われず、憲法に定める権力分立のあり方を根本から変えることなく対応しようとしたところに特徴がある。

今年の11月、4年に一度の大統領選挙が行われる。

トランプとバイデン、どちらが大統領になるのか?

興味が尽きない。

アメリアか大統領というと強大な権力が付与されているという印象があるか、実際にはそうでもないという。

極めて限定的だというのである。

理由はその成り立ちを振り返ってみるとよくわかる。

1788年に今日まで続く合衆国憲法が発効したときから、アメリカの政治制度は二つの柱によって成り立ってきた。

一つは、首都ワシントンにある連邦政府と、カリフォルニアやテキサスなど各地の州政府が分業する「連邦制」である。

もう一つは、連邦政府内部で行政部門の長である大統領、立法を担う議会の上院と下院、そして司法部門である裁判所が、分業しながら抑制と均衡の関係を形成する「権力分立制」である。

大統領制は、権力分立制の別の呼び方だといってよい。

そして現在では、州政府よりも連邦政府の存在感が、そして連邦政府の内部では大統領の影響力が、それぞれ大きくなっている。

間違いなく、大統領は現代アメリカ政治の主役である。

合衆国憲法の制定に当たっては、具体的に二つの課題が存在した。

一つは、君主がいない政治体制でありながら、いかにして議会の権限行使を行き過ぎたものにしないか、ということである。

もう一つは、各邦がめいめい勝手な行動をしないようにすると同時に、長い歴史と立憲政治体制を既に持つ各邦を解体しないようにするにはどうしたらよいか、という課題である。

アメリカ合衆国憲法が想定していたのは、イギリスと同様に議会が政策決定の中心であり、それを君主ではなく大統領や裁判所が抑制するという連邦政府運営のあり方であった。

そこでの大統領は、自ら積極的に政策を展開していく存在というよりも、議会が立法を通して形成する政策に対して、事前あるいは事後に注文をつける存在だということが分かる。

しかし、20世紀以降におけるアメリカの国内政治や国際的地位の変化を反映して、大統領の存在感と役割は拡大する。

また、第二次世界大戦後にはマスメディアとしてテレビが急成長を遂げたが、その仕事を一人の人物が体現する大統領は、テレビの政治報道にとって格好の素材であった。

ケネディにおいて典型的にそうであったように、大統領個人の人柄や政治スタイルと政策が容易に結びつけられるため、人物とその画像によってインパクトを生み出すテレビとの相性が良かったのである。

ロナルド・レーガンが提唱したレーガノミックスのように、経済政策に大統領の個人名が冠されるようになったのは、その表れであったといえよう。

メディアに報道されることで、有権者の大統領への期待はますます強まった。

大統領側でも、メディアへの対応をいっそう拡充させるようになった。 

世界的に見ても、議会ではなく大統領が政策決定を主導するのは、20世紀の大統領制諸国においてごく一般的になっていた。

現代大統領制の出現は、このような世界的潮流のアメリカにおける表れと見ることも可能である。 

しかし、他の新しい大統領制諸国には見られないアメリカの決定的な特徴は、大統領の影響力拡大が憲法典の改正によって行われたわけではなかったことである。

アメリカにおける現代大統領制の出現は、合衆国憲法の明文規定を変化させずに、あくまで既存の権限の拡大解釈と、それを連邦議会や裁判所が追認することによって行われてきたことが、大きな特徴であった。

アメリカにおける現代大統領制が、大統領が担う役割の実質を変化させながら、憲法典の明文規定は修正しなかったことは、アメリカの大統領に潜在的制約を課すことになった。

多数派の行き過ぎを抑止することが想定されていた制度構造のままで、多数派の期待を担うという矛盾した役割が与えられ、そこで大きなディレンマに直面することになった。

現代のアメリカ大統領はこのようなディレンマの上に成り立っているということは覚えておいてよいのではないだろうか。

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