トップの教養/倉山満
トップの心得は「自分がすべての責任を引き受ける覚悟」であるといいました。ですから、「みんながわかってくれない」などと泣き言をいった瞬間、その人はトップではないのです。
トップの教養とは、人に使われるのではなく、人を使う知力をもつことだ。
トップたるもの、人をコントロールしなければならない。
自分についてきてくれる部下や仲間は指示を待っている。
だから、味方をコントロールできて初めて、組織は動き出す。
第三者をコントロールしてこそ、事業はうまくいく。
敵に対してコントロールができれば、戦いに負けることはない。
そして、そのすべての根源が、自分をコントロールすること。
自分をコントロールできない人間が、トップとして他人をコントロールできるわけがない。
そして、トップは自分の言葉を持っていなければならない。
戦国時代、織田信長は語る言葉をもっていた。
そして、その言葉を使い分けていた。
一つは「天下布武」。
乱れた世の中に力で秩序を取り戻す。
武士など公務員に対する言葉だ。
この言葉の続きは、「おれについてくれば、働き次第で身分に関係なく出世させてやる!」だ。
その言葉に惹かれ、素性の知れない、明智光秀、羽柴秀吉、滝川一益のような人々が集まってきた。
光秀は前半生不明の素浪人、秀吉は農民、一益は忍者の出身ともいわれている。
彼らはよく働いた。
もう一つは「楽市楽座」。
民間企業に対する言葉だ。
当時は「座」といって、政府の権力に守られた特権商人たちだけに営業の自由があった。
既得権益の保護のために、新規参入は阻害されていた。
それに対して信長は、「おれの領民になれば、自由に商売できるよ」と呼びかけた。
信長は、言葉の力によって仲間を集める人だった。
信長からトップとしての在り方を学ぶことができるのではないだろうか。
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