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2020年8月 7日 (金)

近代中国史/岡本隆司

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 われわれはかように異形の経済世界と隣り合わせにいる。自らの常識では理解不能な相手と、否応なくつきあっていかねばならない。

本書は経済史の視座から16世紀以降の中国を俯瞰し、その見取り図を描いている。

かつて世界に先んじた中華帝国は、なぜ近代化に遅れたのか。

現代中国の矛盾はどこに由来するのか。

グローバル経済の奔流が渦巻きはじめた時代から、激動の歴史を構造的にとらえなおす。

日本で経済成長といえば、「ものづくり」であり、技術開発である。

「世界の工場」となった中国でも、もちろん製造業が盛んではある。

しかし、創意工夫を旨とし、先端技術を競う「ものづくり」を中国で想像することはおよそできない。

自前の技術だと言い張って運行をはじめた中国版新幹線・高速鉄道は、その好例である。

そこからすぐ連想するのは、技術やパテント、あるいは著作権を尊重しない態度であり、いわゆる「パクリ」や海賊版が横行する現状も、その根源は同じだろう。

それでどうして高度成長が可能だったのか。日本人の感覚では、どうにもわかりにくい。

例えば「国民国家」という言葉のとらえ方。

日本や欧米では、国家と国民が曲がりなりにも一つの共同体をなしているというイメージだ。

しかし、少なくとも史上の中国は、両者一体とならない二元的・重層的な社会構成だった。

私たちは普通に「国民」という。

それは「国」と「民」が一体化したnationのことであり、その翻訳語である。

欧米や日本の近代国家はそれが基本構造をなしている。

しかし、中国は歴史的に「国」と「民」が一体にならなかった。

「国」はあくまで王朝、統治機構にすぎない。

漢・唐・明・清などの王朝名は、普通に「天下を有する称号」といわれる。

王朝政府が「天下」、すなわち民間社会を領有している、という世界像なのであり、「国」と「民」とは、互いに領有の主体・対象となるべき外者、よそ者であった。 

それは現在の税制にもあらわれている。

現在の日本では、所得税・法人税・消費税の割合に大きな差はない。

額でいえば、個人が負担する所得税が最大、企業が負担する法人税が最少である。

それと比べれば、中国の所得税収入は、微々たるものである。

税収全体の一割にも満たない。歳入の多くを占めるのは、法人税と日本の消費税にあたる種々の間接税である。

中国はこのように、権力が相手にする社会とそうでない社会とに分かれている。

前者は納税に応じるごく一握りの富裕層の人々が構成している。

直接に政府権力を支えているのは、そんな納税階層だったわけで、かれらの支持を失えば、権力は存立しえない。

政府権力にとっては、その存立を依存する納税階層から見離されないようにすることが問題だった。

そうしたしくみと思考法が、収支黒字の時に減税免税を実施させ、赤字の時でも増税を躊躇させて、財政の縮小と歳出の欠乏をもたらし、いよいよ文武官僚の俸給は薄くなって、不正汚職を再生産する。

それが清代、いな中国の王朝時代にくりかえされた政治過程だ、といっても過言ではない。

「士」「庶」・「官」「民」の二元構造に、公的な教育・政治の不在。

一方通行的な収奪。

これが少なくとも明清時代・数百年間にわたる、中国社会の基本的な特徴である。

政府権力はいわば、乗っかっているだけで、とても社会を掌握していたとはいえない。 

そして、その矛盾が今に至るまで続いているということではないだろいうか。

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