天空の星たちへ/青山透子
突然何やら〝速報〟の文字が出た。
気にもとめずにおしゃべりをしていた私の耳に「ギヤー」という声がする。
何事?
誰が騒いでいるのよ?
うるさいわねえ……。
そんな気持ちで声のする方向を見る。
ふと壁掛け時計に目をやると、十九時二十六分だった。
テレビのアナウンサーのこわばった顔と同時に流れた速報ニュースが目に飛び込む。
「臨時ニュースを申し上げます。日航123便、十八時羽田発大阪行きのB747機がレーダーから消えたもようです……」
え? うちの飛行機なの?
123便?
私の初フライトの便名じゃないの……。
消えた? ジャンボジェットが?
まさかそんな……。
背筋が凍るとはこのことなのか、一瞬で全身に鳥肌が立つ。
1985年8月12日、日航ジャンボ機墜落事故が発生した。
日航123便、羽田発大阪行き、乗客509名、運航乗務員3名、客室乗務員12名、乗員、乗客合わせて524名だった。
この123便は著者が客室乗務員として初めて乗った便名だという。
そして、その事故機に乗っていた客室乗務員たちは、新人だった著者に仕事を手取り足取り教えてくれた同じグループの先輩たちだったのだという。
その後、著者は日航を辞め、調査に乗り出す。
なぜ墜落事故が起きたのか?
なぜ墜落現場の特定が遅れたのか?
あれから35年経った今も消えない疑問が残る。
当時の新聞から見えてくる新たな疑問。
矛盾する事故原因。
当時を知る関係者への取材を含めたノンフィクションである。
操縦不能になった機内。
「墜落」という逃れられない現実、突然目の前に「死」という恐怖が迫る。
そんな中、最後の最後まで冷静に働いたCAたちがいた。
乗客に不安を与えず、冷静に対応を行った。
「死」を覚悟して遺書を残した乗客がいたことも知られているが、最後まで望みを捨てず、「不時着」に備えてメモを残したCAがいた。
飛行機を立て直すコックピットの懸命な努力。
極限状態の中で懸命にプロの仕事をまっとうした乗務員の姿がそこにあった。
決して風化させてはならない事故である。
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