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2020年8月26日 (水)

感情の正体/渡辺弥生

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 私たちは、一般に、「怖いから逃げる」「悲しいから泣く」と考えがちです。ところが、実はその反対で、「逃げるから怖い、泣くから悲しいんですよ」という説明を受けたら、どうでしょう。

本書は、「感情」というキーワードをもとに、それに操られないための知恵やスキル、支援のあり方を探っている。

感情については、身体感覚がまず敏感に異変を感じ取り、その感情を後で認識すると考えるほうが正しいという理論がある。

ふつうは、まず「怖いな」「悲しいな」と感じてから、逃げようとか泣き出すという順序に思えます。

ところが、この理論は、まず何かを察知して先に逃げるとか泣くという行動がとられてから、そのあとに「ああ怖かった」「ああ悲しい」と感じるのが本当だと主張する。

つまり、意識よりも自身の末梢神経での反応がまずあって、次に「怖い」「悲しい」という認識を持つと考えられるのだ。

ということはまず行動を変えれば、感情もそれに伴って変わるということになる。

これなどは日常の生活に取り入れることができるのではないだろうか。

また、最近よく言われる「マインドフルネス」についても書かれている。

マインドフルネスは、仏教が継承してきた教養や実践システムに組み込まれた念や気づきである「サティ(sati)」という瞑想の技術を、宗教的文脈から切り離して「パッケージ化」したスキルだ。

おもに瞑想の実践と、その際の考え方などだ。

マインドフルネスは認知療法や行動療法など広範囲に応用されるので、総合的な精神療法と言える。

仏教の「サティ」は、私たちが欲望や煩悩に翻弄され、苦悩に満ちた人生を歩んでいる現生を乗り越え、彼岸に至るための「覚り」を得ることを目的として行われる救済的な行法。

それを各個人が、現世でより幸せになるために抽出したもの。

仏教の思想を、いわば世俗的文脈に持ち込んだものと言える。

日本マインドフルネス学会では、マインドフルネスを、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」と定義している。

「観る」とは目で見ることだけに限らず、「聞く、嗅ぐ、味わう、触れる」の五感すべて、さらに五感によって生じた心の働きをも観る、という意味であるとされている。

現在の経験への気づきという定義がある。

マインドフルネスにとって大事なのは、自分自身の感覚と、今ここに注意を向けること。

また、いわゆる雑念を排除しようとせず、思い浮かぶことに対して悪いとかいいとかという判断をせずに、そのままにしておくということ。

マインドフルネスの特徴は、二つに集約できる。

一つは、判断を加えないという視点。

自分が嫉妬に苦しんでいるとか劣等感を持っている、あるいは、怒りの気持ちを抱えているということに、今ここでのその経験に注意を向けても良いとされる。

ただし、だから自分はダメなのだ、といった判断をする必要はない。

いわば、そのまま受容するというトレーニングをすることが求められる。

二つ目は、穏やかにこの瞬間を受容するというもの。

これまでの一般的な問題解決のやり方は、目標を未来に設定して、達成するための方法を分析し、それを実行することだった。

これを「することモード」(Doing Mode)と考えると、マインドフルネスが強調するのは「なることモード」(Being Mode)だ。

つまり、過去や未来をあれこれ詮索せず、今ここに注意を向けるということ。

確かに、私たちの思考は、過去や未来に向けられていることが多く、そこから生じる感情に振り回されることが多い。

「今、この瞬間」に注意を向けることは大事なことではないだろうか。

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