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2020年9月の30件の記事

2020年9月30日 (水)

顧客獲得セミナー成功法/遠藤晃

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 心理学の本によると、ひとりの講師の影響力がもっとも高いのは、参加者が8人までのセミナーだといいます。次に高いのが15人。その後は、参加者がひとり増えるごとに、講師ひとりが参加者に与える影響力はだんだん小さくなっていくそうです。

来月セミナーを開催する予定なので本書を読んでみた。

セミナーを開催するにあたって一番苦労するのが集客である。

よく千に三つといわれるが、そんなの甘い。

データによると、ポスティングのレスポンス率は0・02%くらい。

1万件送って、2件集客につながればいいという確率。

ダイレクトメールのレスポンス率も、だいたい同じような数字だ。

さらにどんな人を集めるかも重要だ。

そのためには、顧客にしたい理想のお客さんを決める。

そのお客さんが抱える問題点と解決策を用意する。

商談中に考えられる疑問や不安と、契約を決心するための要素を考える。

それをセミナーの内容にする。

理想のお客さんが望む、個別相談へのフックを考える。

理想のお客さんを集客するための媒体を選ぶ。

こんな段取りで計画を進めていく。

少なくともセミナー参加者から「勉強になりました」「いいお話をありがとう」と納得するだけで帰ってしまうセミナーは意味がない。

「えっ、このままでは大変だ!」とインパクトを与えられ、個別相談を希望するという具体的な行動に促されるセミナーにするにはどんな話をするか。

この辺りをポイントに準備を進めていきたい。

2020年9月29日 (火)

リーダーのための経営心理学/藤田耕司

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 数字と心はつながっています。
 売上という数字を伸ばそうとするのであれば、お客様の心や感情を理解することが必要となり、組織のパフォーマンスを上げようとするのであれば従業員、上司、部下の心や感情を理解することが必要となる。であるならば、数字を良くするためには、人の心や感情について専門的な知識や深い洞察・経験を有していることが必要となる。

リンカーンはこんな言葉を残している。

「もし木を切り倒すのに6時間与えられたら、私は最初の4時間を斧を研ぐのに費やすだろう」

斧を研がないまま6時間木を切り続けるよりも、十分に斧を研いでから木を切る方が早く木を切り倒せる。

準備のための時間を惜しみ、準備をしないままに物事に取り組むよりも、時間を費やしてでも十分な準備をしてから物事に取り組んだ方が、早く確実に成果を出すことができるというのである。

経営やビジネスが人を動かし導くものである以上、「人はどうやったら動いてくれるのか」ということについて人の心の理解を深めることは必要な準備の一つと言える。

「会社を経営するうえでも成功しようと思ったら、人間とはこんなもんやという本質を知る、そこから出発しないといかん。諸君は大学で人間について研究したか」

これは経営の神様と呼ばれた松下幸之助氏の言葉。 

会社は売上や利益といった数字を追い求める。

しかし、その数字の背景には様々な人間ドラマが存在する。

従業員、お客様、仕入先、外注先といった人々の間でコミュニケーションが行われ、やりがいを感じたり、不安や焦りを覚えたり、苦しかったり、嬉しかったり、興味や関心を覚えたり、納得できたりできなかったりといった心や感情の動きとともに、お金のやり取りという経済活動が起こる。

つまり、経済活動の背景には人の心や感情の動きが存在するということ。

例えば、人がついてくるリーダーとはどんな存在なのだろう。

まず、自分のことを認めてくれる人、自分のことを理解してくれる人など、自分を肯定的に評価してくれて深く関わってくれる人。

次に、自分に気付きを与えてくれる人、自分のことを思って叱ってくれる人など、自分を成長させてくれる人。

また、裏表がない人、約束を守る人、有言実行の人など、発言や行動が一貫している人であることも重要だ。

更に、Giveの精神がある人、面倒見がいい人、思いやりがある人など、他の人のために動こうとする人でないと部下はついてきてくれない。

その根底に心理学の知識があれば鬼に金棒となる。

本書には心の性質として50のポイントがあげられている。

これは押さえておくべきだろう。

2020年9月28日 (月)

マネジメント ドラッカー/上田惇生

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 人のマネジメントにかかわる能力、たとえば議長役や面接の能力を学ぶことはできる。管理体制、昇進制度、報奨制度を通じて人材開発に有効な方策を講ずることもできる。だがそれだけでは十分ではない。スキルの向上や仕事の理解では補うことのできない根本的な資質が必要である。真摯さである。

本書はドラッカーの膨大な著書を「マネジメント」を軸に短くまとめたもの。

「マネジメント」という言葉をそのまま訳せば「管理」「経営」などの意味だが、ドラッカーのマネジメント論をひと言でいえば「人と人とが成果をあげるために工夫すること」

ということは、そもそも人を感動させるもの。

人と人が一緒に働いていれば、必ずそこには感動の種が存在する。

ドラッカーの思想の根底には「人間の本当の幸せとは何か?」という大きな命題が横たわっている。

それをふまえた上で、よりよい社会をつくっていくための組織、企業のあり方について書かれたのが『マネジメント』なのだ。


ドラッカーは「本気で取り組む仕事は、ワクワクしていてしかるべきであって、そうでないものには取り組むべきではない」と考えていた。

さらにドラッカーは、「ワクワクしながら、意気込みを持ってやるような仕事でなければ、お客に対して失礼だ。

そうでないものは思いきって止めてしまうか、その仕事を熱意を持ってやるところとコラボレーションしたほうがいい」とアドバイスしたという。

ドラッカーは企業の目的の定義はただひとつ「顧客を創造すること」にあると主張する。

顧客の創造とは、お客に求められているものを創造すること。

すなわち、お客の潜在意識のなかには需要があるのにまだ商品やサービスとして形になっていないものを提供することを意味する。

そして、顧客が必要としているもの、顧客が求めているものは何なのかを第一に考えるということがマーケティング。

それさえきちんと理解して経営を続けていれば、販売活動などやらずともモノは自然に売れていくとさえ言える。

少なくともそれが理想だ。

もっと分かりやすく言うならば、企業側が「何を売りたいか」ではなく、顧客が「何を欲しているか」、それを考えるのがマーケティングだ。

ドラッカーのこれらの考え方と言葉、時代を超えて感動を与えるのは、物事の本質をとらえているからだと思う。

2020年9月27日 (日)

聖なる国、日本/エハン・デラヴィ

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 日本人は「アテンション・マスター」といっても過言ではありません。日本人のきめ細やかな配慮やその行為にはまったくストレスは感じません。これは日本人特有のスキルだといえます。
 日本人の注意力がもっとも反映されるのは、世界最高といわれる技術力においてです。ユーザーの要望に対して全身全霊で注意力を発揮して取り組み、顧客のニーズに答えるために技術を開発し、その技術力を向上し続けたのです。つまり、日本人が相手に対して最初に考えるのは、古来から日本人が自然と持っていたサービス精神です。経済活動は二の次です。それが本来の日本人の姿です。

著者は高校卒業後、17歳の時に家を出てから、インドやアフガニスタン、アフリカなど、いろいろな国々や地域を旅して過ごす。

時代はちょうどヒッピー全盛期で「フリーダム」と「ピース」が叫ばれていた。

その彼が最後にたどり着いたのが日本だった。

鈴木大拙の禅に憧れてほぼ無一文で来日し、ヒッチハイクで京都を訪れた彼はそこで日本文化に触れ、日本文化に惹かれ、そのまま日本で生活することになる。

世界中でもっとも古い国といえば、それは日本だと著者はいう。

日本は世界でもっとも歴史のある国。

日本の国の始まりについては、今から1300年前に書かれた『古事記』や『日本書紀』を読めば、その成り立ちがあきらか。

日本という国は天皇を中心として、2千年以上の歴史を持つ国。

二番目に古い国はスウェーデン。

1523年にカルマル同盟から離脱して王政となったので、約500年の歴史がある。

日本は2千年を超える歴史があることを考えると、その歴史の差は歴然としている。

日本人はそのような歴史を持っている国に住み、昔から変わることなく同じ言葉を使い、文化を継承してきた。

古代日本のDNAを引き継いでいるといってもいい。

しかも、日本は太平洋戦争に負けて敗戦国になり、1945年から約6年にわたって連合国に占領されたが、それ以外は、一度も他国から侵略されず、滅びたことがない国。

このような国は世界でも珍しい国といってよい。

とこのように日本のことを言っている。

確かに、世界を放浪し日本で生活したことのある外国人だからわかる日本の姿があるのだろう。

日本人はもっと自国の歴史に自信をもってよいのかもしれない。

2020年9月26日 (土)

在日特権と犯罪/坂東忠信

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 いわゆる「在日特権」には、
1 在日朝鮮民族固有の「特権」
2 一般外国人にはない「特別永住者」としての「優遇」
3 日本人にはありえない外国人としての「メリット」と「裏ワザ」 に加え、
4 民族団体の組織力で勝ち取った生活保護手当受給者資格と、その「扶助」
 という4つの要素があり、またこれらが複合して、脱法あるいは発見されにくい違法行為を実行可能にする隙間が生まれていること

著者は外国人犯罪の専門部署で通訳捜査官を務めていた。

本書ではその経験から得た知見と著者の努力によって明らかにされた統計データを基にして外国人犯罪の動向を分析し解説している。

特に外国籍のまま長期間、或いは一生に渡って日本で居住し暮らす外国人カテゴリーに焦点を当て、私たちの日常生活における安全保障を論じている。

一昔前までは「在日」と言えば、それは「在日朝鮮民族」を指していた。

つまり戦前「創氏改名」を「強制され」戦時中に日本に「強制連行」されてきた人たちが朝鮮動乱など「同情すべき止むに止まれぬ事情」から「帰国できず」日本に定着した人たちとその末裔を指していた。

終戦直後から在日朝鮮民族の一部が「戦勝国民」を名乗り、駅前の土地を占領するなどの暴力的組織活動を展開した。

この時に中心的役割を果たした組織が、「在日本朝鮮人連盟」だった。

在日朝鮮人の一部は「朝鮮進駐軍」などと名乗って暴力活動を展開し、彼らが奪った土地は今に至るまで在日朝鮮民族の子孫に引き継がれパチンコ屋になったりしている。

これらの土地の強奪や殺人を始めとする暴力行為があまりにひどく、敗戦で心が折れ、男も少ない日本の、ろくな装備も許されなかった警察だけでは抑え込むことができないほどだった。

そこでGHQがこれを鎮圧し「彼らは戦勝国民ではない。

敗戦国民でもない第三国民である」とした。

そのことから、当時の日本人はこれら横暴を極めた彼らを「三国人」と呼んだ。

この戦後のドサクサまぎれに組織化した在日朝鮮人たちが殺害した日本人は2000人を超えると言われている。

当然のことながらこの「三国人」という言葉は憎悪と警戒心を持って使われることになった。

これは教科書の載っていない、日本史に残すべき史実である。

特別永住者のほぼ100%を占める朝鮮民族の血を受け継ぐ者だけが、どんな国籍を取得しようと、どんな罪を犯そうと日本に住み続けることができる。

大臣さえその更新を拒否することができない。

となると、これは滞在許可だけでなく、立派な特権となる。

今や外国人参政権まで主張する特別永住者は、その多くが戦後の日本生まれ日本育ち。

彼らを「特」別な永住者として、資格世襲と無審査更新滞在の「権」利を認め優遇すべき理由や、この制度の存在意義はあるのか?

そもそも彼らは本当に「強制連行」されてやむなく日本に定着し帰国を許されなかった「被害民族」なのか?

本来、外国人には認められない生活保護を、「差別」を前面に「力づく」で引き寄せた過去。

それによる税金・医療費の免除。

マスコミやそのスポンサー、加えて芸能界に入り込み、自らに都合の悪い事の隠ぺい報道。

そもそも、「特定外国人」のみに与えられた「特別永住資格」。

その他諸々の「特権」。

日本生まれ日本育ち、ハングルが話せないのに未だに帰化しない「在日」。

一人ひとりはみんないい人かもしれない。

問題は、集団となって、特定の共通利害が生まれ、その集団だけの利益を考えて動き出した時。

反日本社会的日常生活の秘密を抱えながら、その間を往復して生活していれば、人として心を病むのはしかたのないことなのかもしれない。

2020年9月25日 (金)

台湾物語/新井一二三

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 終戦からわずか1年半後の1947年2月28日、外省人警官の地元女性に対する暴力をきっかけとして、国民党の暴政に怒った台湾本省人たちが全島的に立ち上がり、国民党側は中国から援軍を呼んで鎮圧した。その結果、地元の若手リーダーを中心とする犠牲者は2万8000人に上ったとされる。二二八事件だ。

サブタイトルにある「麗しの島(美麗島)」は、16世紀に東アジアへと進出したポルトガル船の乗組員が、海上から遠望した台湾を「麗しい島」と呼んだことに溯り、今日まで世界的にも、また地元でも通用する台湾のニックネームだ。

旅行先として人気の台湾。

また親日国でもある。

しかし、ガイドブックに載る情報以外のことは、実は日本ではあまり知られていない。

台湾は本省人、外省人にわかれるという。

本省人、外省人はもともと中国語の一般名詞である。

中国の省は日本の県にあたるので、本省人は本県出身者、外省人は他県出身者という意味に過ぎない。

20世紀後半の台湾で独特な意味を持つようになったのは、政治の問題であって言葉の問題ではない。

もとをたどれば清朝時代の福建省や広東省にルーツを持つ人たちを台湾本省人と呼んだのは、第二次大戦後、彼らより200年以上遅れて中国から渡って来た新移民たちである。

それで台湾本省人の側からは、彼らのことを外省人と呼ぶようになった。

戦後、中国大陸では国民党と共産党の内戦が激化し、1949年、毛沢東率いる共産党が勝った。

中華人民共和国の誕生である。

負けた国民党は、蔣介石に率いられて、幅200キロの海峡を船や飛行機で渡り、台湾にやって来た。

人口が600万だった島に150万というけた外れな人数がやって来た。

その後38年間、台湾は実質的に難民政権である国民党の独裁下に置かれた。

その体制を変えたのは先日死去した李登輝氏だ。

1988年に蔣経国が死去すると、副総統だった台湾本省人の李登輝が総統になった。

彼は国民党籍ながら、民主派の学生運動に背中を押されつつ改革を進め、96年には初の直接選挙で再度総統に選出された。

続く2000年の選挙では、「南部」の台南出身で「台湾の子」という愛称で呼ばれた民進党籍の陳水扁が勝利。

それは、ほとんど無血革命と呼んでいいほど大きな変革だった。

その後国民党の馬英九が総統になって、中国寄りの政策がとられるようになった。

しかし2014年、の学生と市民らが、立法院を占拠したひまわり運動によって馬政権は倒れる。

そして現在の蔡英文総統の登場となる。

今年になって、中国の圧力が強まっている台湾。

日本人も無関心であってはならないと思う。

2020年9月24日 (木)

ヨーロッパ近代史/君塚直隆

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「ルネサンスとは、世界の発見であり、人間の発見である。一六世紀までには、コロンブスからコペルニクスへ、コペルニクスからガリレオへ、地球の発見から天空の発見へと人類はたどりついたのである」。

古代ローマ帝国が崩壊したのちの中世ヨーロッパはまさに「神の時代」であった。

人々はキリスト教の神を畏れ、敬い、神のために生きた。

それがルネサンスの時代に入ってからは「人間」を再評価する動きが現れた。

人間の肉体も精神も決してくだらないものではない。

むしろすばらしいものなのだ。

これを表現する画家や彫刻家は、それが自身の作品なのだと署名を入れるようになった。

さらに宗教改革により、「神との関係」それ自体も個々人に限定できるようになった。

それまではローマ教皇庁を頂点に戴く教会なくしては、人は信仰にも救いにも与れなかった。

それが個々人の信仰のみによって義とされる時代へと変わっていったのだ。

この「個人」の登場こそがヨーロッパ近代のはじまりだった。

それはやがて近代科学の発展や、個々人の権利や信仰を尊重するという考えが拡がり、人々の生活に浸透していく.

それによって、最初はほんのひと握りの知識人階級や芸術家にのみ通用していた「個人」が、より多くの人々にも適用されるようになっていく。

それを促進したのが、啓蒙主義であり、市民革命であった。

18世紀前半までは、こうした知識や芸術は王侯貴族にのみ独占されてきた。

それが、フランス革命後の19世紀以降には、専門職階級や商工業階級、さらに世紀終わり頃までには労働者階級も、「個人」としての尊厳を保てるようになっていた。

それを大きく変えてしまったのが第一次世界大戦であった。

総力戦により、人々は身分や階級はもちろん、氏素性に関係なく、戦場に送り出されていった。

彼らの多くが自身のこれまでの人生とは縁もゆかりもない場所で命を落とした。

現代の戦争はもはや「英雄」など必要としなくなった。

必要なのは銃や大砲を撃ち、戦艦や戦闘機を操縦し、魚雷や爆弾を相手に撃ち込む兵士だけで事足りるようになったのだ。

人々が「神」から解放され、「個人」の尊厳が重要視されるようになったヨーロッパの近代において、それは王侯貴族から専門職・商工業階級という「市民」へと徐々に拡がりを見せていった。

それを「民主化の過程」と呼ぶことも可能であろう。

しかし、ここで忘れてはならないことは、「高貴なる者の責務」を信じこれを実践してきた王侯貴族はもちろんとして、種々の人権を享受されて「市民」として扱われるようになった人々には、必ず「個人」としての「責任ある態度」が要求されたことである。

たしかに選挙権がより下の階級や年齢層、さらに女性たちにまで拡大されたことは歴史的に見て重要なことである。

しかし選挙権とは、単に権利や政治的権力を意味したわけではない。

共同体における正規の構成員としての資格と、そこで責任ある態度をとる能力まで示すものになったのだ。

ヨーロッパ近代史が生みだした、「責任ある態度」に裏打ちされた「個人」という考えかたを、21世紀の私たちはもう一度見直してみてもよいのではないか。

そんなことをヨーロッパの近代史を学ぶことによって考えさせられた。

2020年9月23日 (水)

イラッとされないビジネスメール/平野友朗

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 再集計の結果、「過去1年間に仕事でメールを受け取り、不快に感じたことがある人が45.06%いる」ということがわかりました。つまり、4割以上もの人が仕事のメールでイラッとしているのです。


ビジネスの重要な部分をメールで行うことが多くなってきた。

私自身、人事労務に関するいろんな相談をメールで受けることが多い。

法的なことを聞かれることも多い。

メールの場合、キチンと記録として後々まで残る。

間違った法解釈をメールで述べると、それが残ってしまうので慎重にならざるを得ない。

これはメールで「何を伝えるか」という内容の問題。

しかし、「どのように伝えるか」という表現方法の問題もある。

調査によるとメールを読んで不快に感じたことのある人が4割を超えるという。

ほとんどは表現方法の問題である。

対面のコミュニケーションでは、こちらの表現がマズくて相手が不快に感じた場合、相手の表情や反応でわかる。

そのため、その場で修正できる。

しかし、メールでは相手の反応はわからない。

そのため、間違った表現を繰り返してしまうことも十分にある。

コミュニケーションで「相手のミスを指摘する」「相手の認識の甘さに気づいてもらう」「方向性の違いを伝える」など、難しいシーンがある。

対面の会話でも気をつかう場面だが、メールならなおさら。

表情やしぐさなどが見えない分、言葉だけがきつく伝わるおそれがある。

本書の最後に正しいメールの表現方法の例が掲載されている。

これは大いに参考になる。

一つひとつ身に付けていきたい。

2020年9月22日 (火)

議論入門/香西秀信

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 定義からの議論は、その性格上、説得力の出所を、議論構造の面から説明することができない。聞き手が、その定義に納得すれば、説得は成功し、納得しなければ、失敗する──こんなトートロジーじみたことしか言えないのである。これは、反論の形態についても同様である。定義からの議論に対する反論とは、要するにその定義を否定すること、これ以外にはありえない。が、これは、その場合場合によって個別に検討されるべきものであって、その方法を類型化して示すことができるような性質のものではない。

本書は、議論の指導を行う教師に、基本的な論法についての情報を与えることをねらいとしている。

そして重要なことは議論の型を持つこと。

その型は次の通り。

①「定義」を使って論ずる

②「類似」を使って論ずる

③「譬え」を使って論ずる

④「比較」を使って論ずる

⑤「因果関係」を使って論ずる

以上の5つある。

読んでみて、確かに型を持つことは重要だと思った。

例えば「定義」について言えば、日常語は言うに及ばず専門語においても、複数の定義が可能である。

これが、「椅子」だの「鉛筆」だの「靴」だのといった語であれば、定義間の差異は無視しても大したことはない。

が、これが「民主主義」とか「資本主義」とか「芸術」などといった語になると、その差異は重大な問題となる。

だからまずは定義をはっきりさせよというのである。

確かにその通りでこれなくして議論しても、それは単なる「感情の応酬」に過ぎない。

現在マスメディアなどで、議論のつもりで「感情の応酬」が繰り広げられている。

ネットなどはそれが甚だしく、もはや議論と呼べるものではない。

もし多くの人がこの本で学べば、それらは「感情のぶつけ合い」から、「議論」に昇華するのではないだろうか。

2020年9月21日 (月)

声/アーナルデュル・インドリダソン

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「突然の声変わりだった」寒いホテルの部屋でかつての指揮者ガブリエル・ヘルマンソンはエーレンデュルに語った。「声が割れたのだ。のどに雄鶏が飛び込んだ、というのがよく使われる表現だ。それも期待された大きなステージで、ソロの歌い出しのときに。それですべてが終わったのだ」

以前、同じ著者の「緑衣の女」を読んで他のミステリーとは違った人間の闇の部分を深くえぐりだすようなストーリーが印象に残ったので、同じ著者の「声」を読んでみた。

クリスマスシーズンで賑わうレイキャヴィクのホテルの地下室で、一人の男が殺された。

ホテルの元ドアマンだったという地味で孤独な男は、サンタクロースの扮装でめった刺しにされていた。

捜査官エーレンデュルは捜査を進めるうちに、被害者の驚愕の過去を知る。

被害者はかつては有名なボーイ・ソプラノでありながら、12歳の時の舞台で、声変わりのために立ち往生をしたという無残な過去が明らかになる。

かつて天使の歌声をもつ美少年として父親に溺愛されていた少年グドロイグル。

虚栄心に駆られて叱咤し続けた父親は失望し、態度をガラリと変える。

また姉との確執もあり、彼は家族を捨てる。

最後に辿り着いたのが、ホテルの地下室に住まい。

ドアマンと雑用をこなすという哀れな境遇。

やがて捜査官エーレンデュルの捜査により彼がゲイであり少年相手の「性交」を目撃され激高した少年の姉に殺されたことが無残な格好で発見された理由だと分かる。

一人の男の栄光、悲劇、転落……そして死。

自らも癒やすことのできない傷をかかえたエーレンデュルが到達した悲しい真実。

長編だが一気に読ませる。

他のミステリーとちょっと違ったテイストがある。

同じ著者の別の本を読みたくなった。

2020年9月20日 (日)

会議後、みんなの行動が加速する議事録の取り方。/珠河二胡

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 本書のテーマは「決まっていないことは議事録係が決めてしまう」ことですが、そもそも「会議で決めるべきことが決まらない」ことが日常茶飯事である日本のビジネス文化には大きな問題があります。

ビジネスにおいて会議は、目標を達成するための手段のひとつだ。

したがって議事録は「ビジネス推進という目標の達成に寄与する」ことを目的として作成する。

つまり、正確性や情報量はもちろん要求されるが、それ以上に「役に立つ」議事録が必要になる。

議事録がビジネス推進にどのように役立のか?

第1に、議事録の内容がわかりやすく整理されたものであることにより、作業を明確に次のステップに進めることができる。

議題が二転三転し、ひとつのテーマについて集中的に議論が行われなかった場合でも、議事録にはそれぞれのテーマに対する結論とともに、その結論に至った理由が明確に書かれている。

それにより、会議の参加者が自分達は会議中にどのような結論に至ったかを理解できなくても、議事録を参照することによって結論を共有できる。

また、明確な結論が共有できたことにより、あとはその結論にしたがって関係者がそれぞれ作業を進めることができる。

更に、明確な結論が共有できたことにより、関係者それぞれの思い込みによる作業の進め方の間違いを予防できる。

第2に、議事録に「結論が出ていない」ことが明記されることで、漏れ・抜けを防ぐことができる。

本来その会議で議論され結論を出す予定であった議題が、何らかの理由で話し合われなかった、もしくは結論が出なかった場合、その事実が議事録に記載される。

それにより、ファシリテーターは当該の議題に結論を出すための措置を講じることができる。

そして、漏れや抜けを予防できることにより、ビジネスのクロージングの確実性を高めることができる。

第3に、議事録に「仮説の結論」を記載することにより、作業を次のステップに進めることができる。

ある議題について明確な結論が出なかった場合でも、議事録係が議論の全体的な流れから「議論が進んでいればそこに至ったと考えられる結論」を推測し、その結論を議事録に記載する。

会議の参加者が議事録のチェック時に違和感を持たなければ、その「仮説の結論」が「実際の結論」となる。

結論が出なかった議題について「誰も不満に思わない」結論を導き出すことにより、作業を進めることができるようになる。

と、このように議事録は様々な面で役に立つ。

良い議事録を作るために必要なのは

「結論を先に明らかにする」こと。

「その会議の成果で重要なものに焦点を当てる」こと。

「誰が何に責任を持っているのかを意識して要素を整理する」こと。

そして議論を通じて実行することに決まった「行動」を記載する。

必要なのは「誰が・何を・いつまでに」の三つを明確にすること。

結局のところ、行動しなければ何も変わらないのだから。

2020年9月19日 (土)

アメリカ史/ジェームズ・ウエスト・デイビッドソン

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 コロンブスは北米を発見した最初のヨーロッパ人ではない。約500年前、紀元1000年頃、レイフ・エリクソンがノース人(バイキング、古代ノルウェー人)の男女数名を連れて、今のカナダのニューファンドランド北端にたどり着いた。そこから彼らがヴィンランドと呼ぶ場所に至った。だが、彼らバイキングの入植はそれを最後につづくことはなく、ヨーロッパでは忘れ去られた。だから、コロンブスの渡航はほんとうに画期的な出来事だったのだ。1492年以降、世界の東半分が西半分と切り離されることはもはやなくなる。

歴史に学ぶことは重要だ。

なぜなら、過去の出来事がわたしたちすべてを作り上げたのだから。

歴史は自分たちは何者で、何を信じ、どんな主義を大切に保持しているかといった数々の物語を紡いでいる。

前に進むには、後ろを振り返ることが必要だ。

ふたつの大きな考えがアメリカ史全体に響き渡り、ともに回転しながら、常に戻ってきている。

自由と平等だ。

このふたつは1782年に初めてアメリカの国璽に刻まれたモットー「多数から成るひとつ」を通じて、まさにこの国そのもののように、たがいに引きあう。

われわれは自由だ、平等だ、ひとつだ。

ふたつの言葉は何度も繰り返され、もはや当たり前のように受け止められている。

だが、「多数から成るひとつ」はまやかしであるように思える。

人類の歴史において、合衆国を取り囲む領土がほんとうにひとつになったことがあるか?

コロンブスはひとつの大陸の端に錨をおろしたが、すでにその地はそれぞれ異なる数百の地元の文化と言語によって分断されていた。

ヨーロッパ人とアフリカ人がそれから3世紀に渡って入ってくることで、その混合の度合いはさらに増した。

わたしたちが現在生きている世界は、建国の時代に活躍した人たちが予想もしなかった危険を確かにはらんでいる。

そしてアメリカの政治体制は発展過程で激しく分離し、密接につながりあった世界からおよそほど遠いものになっているように思える。

この国家は持ちこたえることができるのか?

自由で平等でひとつでいられる新たな諸策を見出すことができるのか?

アメリカは建国時より「多数から成るひとつ」をモットーとし、それを目指すことになるが、まさにこれがこの国の最大の問題となる。

コロンブスが上陸したときからそれぞれ異なる数百のアメリカ先住民の文化が存在した。

そのあと3世紀に渡ってスペイン人、フランス人、イギリス人、オランダ人、スウェーデン人、スコットランド人ほかのヨーロッパ人受け入れる。

さらにはおそらくそれ以上のアフリカ人を受け入れる。

のちにはアイルランドやドイツや東欧や南米や中東からの移民に加えて、中国や日本をはじめとするアジア諸国の人々まで受け入れることになる。

これだけ多様な人々がひしめきあうなかで、「完璧なる国家」を実現するために自由と平等が叫ばれる。

だが、奴隷制度と人種問題が最大の問題として存在し、南北戦争によってこの制度は一応解消されるものの、分離と差別という形でその後も――おそらく現在に至るまで――残されることになる。

さらに同じく南北戦争後に新たな産業システムが形成されたことで合衆国は世界のどの国よりも金と力を手にする。

しかし、国内では各産業界のリーダーたちと労働者たちとの貧富の格差は著しいものとなる。

これも合衆国が求めた「機会の均等」がもたらした結果であると富める者たちは主張する。

さらには「アメリカらしさ」を、「純潔」を求めることによって、国は結合ではなく、分離に向かう。

純潔を維持するのであれば、誰もが同じ考え方をする者たちだけの国にし、それ以外の者たちは締め出せばいい。

それが今のアメリカの「分断」につながっている。

本書を読むことで、どうしてアメリカ国民がドナルド・トランプを第45代大統領に選出したかもおのずとわかる。

これからアメリカはどの道を選び取っていくのだろう。

歴史を学ぶことにより、ますますそのことへの興味がわいてくる。

2020年9月18日 (金)

超スゴイ!文章術/金川顕教

Photo_20200913084301  文章には人の心を動かす力があり、人の心を動かせる文章こそが本当の「いい文章」であるということ。そして、人の心を動かす文章を書くには綺麗な日本語も難しい単語も必要ない。

「共感の時代」と言われる昨今、人の心を動かす文章の重要性は年々増している。

社内のコミュニケーションを見ても、従来のトップダウンのスタイルから、さまざまな意見をぶつけあいながら調和を目指す、双方向の対話力が求められている。

リーダーシップのあり方も、カリスマ型からフォロワーシップ型に変わっている。

こうしたコミュニケーション活動で大きなウェイトを占めるのも、人の心に刺さり、人を動かすことができる文章だ。

いい文章とは、読み手が読みたい文章のこと。

文章は「資産」となり、「富」「成果」を生み出し続ける。

大事なことは自分が読者だったら「続きが読みたくなるか」を意識して、1行目を書くこと。

第1行目の最大の目的は第2行目を読ませること。

第2行目の最大の目的は第3行目以降を読ませること。

そして、文章を書く前に、「誰のために?」「何のために?」を確認する。

1行目で使うときは、明らかに「筆が乗らない」と感じたとき。

「何から書こう」と悩みだしたら、とりあえず「あなたは」と書いてしまう。

するとアイデアがいろいろ湧いてくる。

これは文章を書くことにまだ慣れていない方にはオススメ。

「あなたは」と書いた時点で、意識が勝手に読者に向く。

読者も「自分のために書かれた文章」だと感じる。

「読み手を想像しながら書く」というちょっとした心がけで 文章力は驚くほど向上する。

伝わる文章は美しい文章とは違う。

まず、誰のために書くのかを明確にする。

これだけでも伝わる文章に一歩近づくのではないだろうか。

2020年9月17日 (木)

人生を変えるマインドレコーディング/佐々木誠

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 志は自分と相手の心を震わせる、振動数の高い「温かい言葉」です。心は音叉と一緒です。共感とは共振です。自分の心を震わせるから、相手の心も震えます。理屈だけで考えると、こうしたことは起こりません。

行動するには理由がいる。

その理由になるのが信念だ。

自分を動かすのは「わかっていること」ではない。

「信じていること」。

そして、その信じていることが信念だ。

人間には「わかる」と「信じる」の両方が必要。

「こうすればうまくいく」という理屈は一般化できる。

しかし、「だからこれをやる」という理由は一般化できない。

理由になるのは、自分が心を揺さぶられた特定の体験。

大切なのは、その体験を思いだすこと。

繰り返し思いだすことで、信念は強くなる。

信念を強くすることための手法、それがマインドレコーディングだ。

マインドレコーディングには、次の5つのステップがある。

1「テーマ」を決める…………自分は何に悩み、何を望んでいるのか?

一度、自分の「悩み」と「望み」をできる限り書き出してみるとよい。

その両方を結んでいるものが、自分が取り組むべきテーマ。

そのため、テーマは「お金を稼ぐ」といった動詞ではなく、「お金」のような名詞になる。

2「ヒント」を集める…………いつ、誰の、どんな言動が気になったのか?

ヒントになりそうなものを見つけたら、人物に注目する。

たとえばお金がテーマなら、「お金を稼ぐ方法」ではなく、その方法について話している「お金持ちの言動」をメモする。

信念の根拠は理屈ではなく人間性だ。

ヒントはどこから飛び出してくるかわからない。

心は偶然から、自分のテーマに対する答えを推察できる。

それが心の万能性。

「たまたま目に留まる」「たまたま耳に入る」という偶然は、心からすれば必然だ。

3「エピソード」を思いだす……いつ、どこで、誰と、どんな経験をして、心を揺さぶられたのか?

私たちには「そのほうがいいから」というのは理由にならない。

やせたほうがいいとか、勉強したほうがいいとか、真面目に働いたほうがいいと考えても、「わかってはいるんだけど……」で終わってしまう。

人を動かすのは、自分だけの理由、自分だけのエピソードだ。

一度情熱を感じたくらいでうまくいくほど、人生は甘くない。

失われそうになってはよみがえり、忘れそうになっては思いだす。

それを何度も繰り返して、強くなっていくのが信念であり、人の心。

だからこそ、自分の心が揺さぶられたエピソードを思いだす必要がある。

何を思いだすか、何を覚えているかで、人生が決まる。

4「フレーズ」を作る………どんな言葉が心に浮かんできたのか?

エピソードを思いだしたときに、自分の心に思わず浮かんでくる言葉がフレーズだ。

人生を変えるのはたった一言だ。

それを言えるかどうか、聞けるかどうかだ。

一枚の絵に千の言葉を込められるように、一つの言葉には千の風景を込めることができる。

そういう背景のある言葉だけが人の心を動かす。

5「アウトプット」を話す

変化は会話から始まる。

話す内容と相手が変われば、行動が変わり、人生が変わる。

反対に、いつもと同じ場所で、いつもと同じ相手と、いつもと同じ話をしていたら、変わることはできない。

誰とどんな話をするのか。

変化できるかどうかは、その一点に尽きる。

どれだけ目を動かして勉強し、知識を蓄えても、人生は一ミリも変わらない。

変わるのは、自分が率先して手を動かし、周りの人間が動いたときだけ。

どれだけ人生が変わるかは、どれだけ人間を巻き込めるかにかかっている。

思考は文字にして記録することで、初めてコントロールできるようになる。

その意味でマインドリーディングは効果的な手法ではないだろうか。

 

2020年9月16日 (水)

すぐ「決めつける」バカ、まず「受けとめる」知的な人/安達裕哉

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 この「情報シャットアウト」の正体こそが、「バカ」の本質だ。
 バカは思い込む。
 バカは正しさを検証しない。
 バカは固執し、ほかの可能性を探らない。
 バカは結論に飛びつく。
 バカは偏見を持つ。
 ……ということは、もう1つ重要な事実が明らかになる。それは、人は誰でもバカになりうる、という事実だ。

養老孟子氏の著書「バカの壁」で、

「バカ」というのは「与えられた情報に対する姿勢」の問題である。

 自分が知りたくないことに対しては、自主的に情報を遮断してしまう。

これが「バカの壁」なのだと述べている。

人は、自分の経験や知識の中にないことを聞いたとき、2とおりの反応を示す。

1つは「わからない」。

そして、もう1つは「わかりたくない」である。

ちょっとした言葉の違いくらいかと思いきや、この2つの差は天と地ほどある。

自分の既成概念を優先し、事実を受けとめることができない。これが「わかりたくない人」だ。

よく「話せばわかる」という。

しかし、残念ながら、人間同士は話してもわからないのである。

なぜなら、人間は失礼な人の言うことは、正しくても聞きたくない、と思うからだ。

世の中には、客観的事実にもとづいて自分の考えを変えることのできる人と、客観的事実よりも自分の見えているもののほうが大事な人、2種類の人間が存在している。

少なくとも自分自身は前者の人間になりたいものだ。

自分の成長のためにも。

2020年9月15日 (火)

自己肯定感が高まる最高の方法/常冨泰弘

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 自己肯定感が高いと、ありのままの自分を認め、長所も短所も含めて自分のことを丸ごと好きだと思うことができます。そして、自分は自分のままでOKだと、絶対的な安心感を得られます。
 また、ポジティブなマインドに変わり、やりたいことがどんどん、積極的にできるようになっていきます。

幸せな人は「自分には価値がある」と感じている。

これを「自己肯定感」という。

自己肯定感が高いと、自分は幸せになっていいと思る。

人は、食べ物、服、装飾品、持ち物、住まい、パートナーなど、あらゆるものを「自己肯定感の高さ」に合わせて選び取っている。

自己肯定感とは、「自分そのもの」や、「自分の価値」を肯定すること。

著者は自己肯定感を高めるためのワークをいくつか紹介している。

例えば、以下のワークを10分位かけてやることをすすめている。

①落ち着ける静かな環境でイスに座り、数回深呼吸し、リラックスする。

②自分の目の前に、こちらを向いて立っている5、6歳のころの自分の姿をイメージする。

何か嫌なことがあったのか、寂しそうにしているところをイメージする。

③その子の気持ちを察してあげる。

その子が何か話しかけてきたら、しっかりと聞いてあげる。

何も言わなかったとしても、その子の気持ちを優しく受け入れてあげる。

④その子が癒されるように、その子がかけてほしいと思っているであろう言葉をかけてあげる。

(例)「○○ちゃん、あなたはそのままで価値があるよ」

(例)「○○ちゃん、お母さんは、あなたのことが大好きよ」

(例)「○○ちゃん、あなたはお母さんにとって大切な存在だよ」

こうした言葉をかけながら、小さな子どもの自分をひざの上に乗せて抱きしめ、優しく背中や頭をなでてあげる。

実際になでるしぐさをする。

⑤もう一度、④と同じように言葉をかける。

そして、言葉を聞いて、その子がうれしそうな顔をしているところをイメージする。

⑥その子が喜んだり安心したりしているのを感じる。

喜んでいるその子を、ゆっくりと自分の胸の中に入れ、温かさや安心感、喜びの感覚が自分の体に広がっていくのを感じる。

ゆっくりと目を開けてワークを終了する。

こういった具合。

自己肯定感は子どもの頃に形成される。

だから、上記のワークを繰り返すことによって「ありのままの自分に価値がある」と感じられるようになるという。

著者が自己肯定感が低かった方を多数カウンセリングしてきて思うことは、まずは、自分の中の「子ども」を癒してあげてほしいということだという。

そうすることで自己肯定感の土台がしっかりとしてくる。

自己肯定感の土台がしっかりしている人は、人のために役に立とうと思う前に、自分のしたいことをする。

それが結果的に周りの人の役に立ってくる。

簡単なワークなので、やってみてもよいのではないだろうか。

2020年9月14日 (月)

海軍乙事件/吉村昭

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 太平洋戦争中、日本海軍の部内で甲事件、乙事件と呼称された事件が起っている。
 甲事件とは、昭和18年4月18日、ラバウルからブーゲンビル島方面へ前線将兵の労をねぎらうために飛行機で赴いた山本五十六大将ほか幕僚が、ブイン北方でアメリカ戦闘機の攻撃をうけて戦死したことをさし、乙事件とは、翌昭和19年3月31日、パラオからダバオへ飛行艇で移動した古賀峯一大将らが悪天候に遭遇、殉職したことを言う。


海軍乙事件とは大東亜戦争中、連合艦隊司令長官 古賀峯一海軍大将が搭乗機の遭難により行方不明となりその後殉職扱いとなった事件。

及び、古賀大将に随伴した参謀長福留繁中将が搭乗機の不時着によりフィリピンゲリラの捕虜となった事件。

この事件の際に福留中将が保持していた日本軍の最重要軍事機密文書がアメリカ軍に渡った。

ところが海軍中枢部は、福留中将一行が原住民に奪われた機密図書について重大な関心をいだかなかった。

それらがゲリラ側からアメリカ側に渡されたようなことはないと判断していた。

そのため連合艦隊司令部の作成したZ作戦計画を変更することはせず、司令部用暗号の切替えもおこなわなかった。

しかし、戦後、連合国情報局のアリソン・インド米陸軍大佐の証言記録によると、機密図書類がゲリラ隊長クッシング中佐から米軍側に渡されたことが明記されている。

機密図書類は、ゲリラの手でセブ島南部に送られ、夜間ひそかに浮上したアメリカ潜水艦に渡された。

そして、それは、オーストラリアのブリスベーンにある陸軍情報部に送られた。

情報部では、それら機密図書の全ページを複写し、さらにマッシュビル大佐指揮下の翻訳者たちが徹夜をつづけて一語も余さず翻訳した。

そして、それらを機密図書とともに海軍情報部へ送りとどけ、情報資料判定官と分析官の手にゆだねられた。

アメリカ海軍は、その機密図書が極めて重要な内容をもつものであることを知り、興奮した。

かれらは冷静に検討し、機密図書殊にZ作戦計画が奪われたことによって日本海軍が作戦計画を変更することを恐れた。

つまりアメリカ海軍は、日本海軍がその計画書通りに作戦を起すことを期待し、その裏をかくことを企てた。

そのためには、連合国側がそれらの図書を入手しなかったように偽装する必要があった。

アメリカ海軍は、そのような結論に達し、潜水艦に書類ケースをのせて飛行艇の不時着した海面に向わせ、故意にそのケースを流した。

日本海軍の潜水艦にそれを発見させて、引揚げさせようとしたのである。

この暗号書および作戦計画の入手は、のちのレイテ湾海戦に重大な役割を演じた。

海軍乙事件によってZ作戦計画の全貌は米軍側に確実に知られ、日本海軍はそれに気づかず計画通り作戦を実施し、多大な損失をこうむった。

この事件が示しているのは、日本とアメリカの情報に対する感度の違いである。

日本がアメリカに負けたのは圧倒的な物量の差だと考えられている。

確かにそれは事実だろう。

しかし、それと同時に情報戦に負けたとも言えるのではないだろうか。

 

2020年9月13日 (日)

「民族」で読み解く世界史/宇山卓栄

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 歴史のなかで民族が生きた社会や環境、文化や伝統の記憶は、否応なく民族の遺伝子に刻まれます。そして、それは民族の血統として後の世代に受け継がれていきます。潜在下に流れ続ける民族の「血の記憶」に対し、抵抗したり、粉飾したり、隠蔽したりすることはできません。民族の「血の記憶」は自然かつ必然的に表出されるものであり、それが民族固有の「雰囲気」となって現われるのです。

「人種」はDNAなどの遺伝学的、生物学的な特徴によって導き出されたカテゴリー。

遺伝学の観点から、過去にさまざまな人種の分類が試みられたが、現在では、コーカソイド、モンゴロイド、ネグロイド、オーストラロイドの4大人種に分類することが一般的になっている。

それに対し「民族」は言語、文化、慣習などの社会的な特徴によって導き出されたカテゴリー。

「人種」が遺伝学上の生物学的な特徴による分類であるのに対し、「民族」は言語、文化、慣習などの社会的な特徴による分類。

例えば、インド・ヨーロッパ語族は「アーリア人」とも呼ばれ、もともと中央アジアを原住地としていた。

「アーリア」というのは「高貴な」という意味。

インド・ヨーロッパ語族は、紀元前2000年ごろから寒冷化を避けて大移動する。

西をめざした多数派は中東からヨーロッパへ、南をめざした少数派はインドへ侵入する。

インド地域に入ったインド・ヨーロッパ語族は現地のアジア系統の民族と混血し、暑い気候によって肌の色が黒くなり、長い歴史のなかで、私たちがイメージするような「インド人」となる。

南へ向かったインド・ヨーロッパ語族は紀元前1500年ごろ、インド先住民ドラヴィダ人を征服する。

彼らは先住民を支配するため、厳しい身分制度を敷く。

これが、有名な「カースト制」の始まり。

と、このように民族の移動が世界の歴史に大きな影響を与えている。

「民族」という視点で世界史を見ると新しい発見があり、面白い。

2020年9月12日 (土)

ザッソウ 結果を出すチームの習慣/倉貫義人

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 アイデアを生み出し、成果を上げて結果を出すために必要なのは、効率化だけを追求するのではなく、気軽に雑談と相談ができるチームでいることこそが重要

ザッソウとは、雑談と相談のこと。

日本の企業ではホウレンソウが大事とよく言われるが、著者はその前にザッソウが必要だいう。

今、企業は働き方改革という言葉に象徴されるように生産性をやっきになっている。

しかし、効率化を追求しすぎたことで、こうした問題が起こっている。

・会話する時間もなくて、チームがギスギスしてきた

・仕事の進め方を見直す機会や改善の気づきが減った

・成果ばかり気になって、助け合いができなくなった

・時間に余裕がないため、部下の相談に乗れていない

・アイデアが出なくなり、新しいことに挑戦していない

・人間関係が希薄になり、チームから活気がなくなった

・お客様からクレームがくるまで問題に気づけない

ザッソウというコンセプトがチームに浸透して習慣化すれば、確実に人間関係は変わる。

かつての日本企業は、仕事をして成果を上げるためだけの場所というよりも、仕事を通じて人間関係を構築する場でもあった。

終身雇用が前提の社会において、人生のうちの長い時間をすごすのであれば和気あいあいとした職場の方が良かったのだ。

それが社会の変化と組織の成熟とともに成果主義の時代へと変わる。

個人ごとの目標管理の制度が定められ、大量生産と分業化が進み、組織はどんどん縦割りになる。

個々人の役割は細分化され、厳密に定義された職務内容や社内規定の中で与えられた仕事に取り組むことが良しとされるようになった。

そのうえ、だんだんと社員旅行や運動会など社員同士が交流する機会も減ってきた。

それを変えるのがザッソウだと著者はいう。


ザッソウを取り入れることで、職場やチームがこんな風に変わる。

・お互いに助け合える信頼関係が構築される

・共通の価値観やカルチャーが醸成される

・メンバーのキャリアや将来への不安に対応できる

・素早いフィードバックで仕事の質と速度が向上する

・マニュアル化されにくい現場の暗黙知が共有される

・新しいアイデアが出てきて、挑戦に前向きになる

・自分たちで判断して、仕事を進められる社員が育つ

チームの仲間がどんな人たちなのか知らなければ、たとえ誰かが困っていても手を差し伸べることはない。

助けるにしてもメリット・デメリットで考えるようになる。

だからザッソウが必要。

ザッソウが浸透することにより、仲間の弱い部分を自分の強みで補い合えるようになる。

結果、より大きな成果を出すことができる。

弱みがあっても自分で補わないといけないなら、チームにいる意味がない。

確かにいまの企業、少し余裕がなくなってきているような気がする。

2020年9月11日 (金)

楽しくなければ成果は出ない/田中マイミ

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 仕事が楽しい、職場が楽しい、働くことが面白すぎて休んでと言われても仕事にのめり込んでしまう。ワーカーホリックというわけではなく、仕事も遊びも関係なく、仕事が遊びになっている人が成果を出すし、圧倒的に伸びていきます。

営業やコミュニケーションの力がもともとあっても、成長せずに成果を残せなかったり、自分の周りから人が離れていったりする人もいる。

逆に、もともと何かが飛び抜けて優れていたわけでなくても、あることをきっかけに成長したり、成果を出したりして、昇進していく人もいる。

その違いは何か。

それは、仕事を本気で「楽しい・面白い」と感じながら働けているかだ。

なぜ、なんでも面白がれる人が強いのか。

それは面白い仕事なんてほとんどないから。

企画書を書いたり、提案書を書いたり、営業をして誰かに物を売ったり……どんな仕事も9割は泥臭くて地味なもの。

つまり、面白い仕事・面白くない仕事があるのではなく、仕事を面白がれる人・面白がれない人がいるだけ。

面白がれる人がいて、はじめて面白い仕事になる。

楽しい、面白いという状態のとき、脳は様々ないい脳内ホルモンが出てくる。

幸せホルモンなどと呼ばれるセロトニンやオキシトシン、アドレナリンなどがたくさん出て、楽しくてしょうがなくなるもの。

それが仕事になっていると成果が出やすくなる。

どうやって面白くない仕事を面白い仕事にするのか。

これが成果がでるかどうかのポイント。

心のマネジメントが大事だということだろう。

2020年9月10日 (木)

弟/石原慎太郎

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 力んでいうつもりはないが、彼が映像にして提供したあれらの日本人たちこそが、戦さに敗れた後のこの国をここまでにしてきたのだと思う。そして弟こそが初めて、映画という華麗な世界を通じて多くの日本人に、自分たち自身がどんな人間なのかを覚らせたのだと思う。

著者の実弟、石原裕次郎について、兄の目でその生い立ちから52歳で逝去するまでを綴っている。

私自身の印象は裕次郎は最後まで裕次郎だったということ。

うまい役者はたくさんいる。

自分の個性を殺し、役になり切ってうまく演じる役者はたくさんいる。

しかし裕次郎はどんな役を演じてもどんな歌を歌っても裕次郎だった。

これは簡単にできるこではない。

裕次郎はその一生の中で意識せずに三度、その時代に応じてある本質的なものを演じた、というより体現してみせた。

最初は台頭してくる消費文明を表象する青春像。

次いで時おいて、その年齢にかなうタフだが思いやりある懐の広い父親のイメージ。

そして最後は、老年というには早かったが、人間誰しもが味合う自らの肉体の凋落と、その向こうに見えてくる死に対して身構え渾身闘うという人間の最後の姿の代行だった。

そして裕次郎はそのどれをも彼らしくさり気なく、だからこそ誰もが共感するように見事に演じきった。

こんな役者は、もう出てこていだろうな。

2020年9月 9日 (水)

社員が成長するシンプルな給与制度のつくり方/大槻幸雄

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 真っ先に対処しなければならないのは、正社員にとって分かりやすい処遇体系を確立することです。人材獲得競争の時代というのは、単に「新たに優秀な人材が獲得できない」だけでなく、わが社で時間をかけて育て上げ、その将来に期待がかかる優秀な社員が社外に流出するリスクの高まる時代でもあるのです。

同一労働同一賃金が法制化され、中小企業であっても賃金制度をつくる必要が出てきた。

多くの中小企業の給料は社長が鉛筆ナメナメで決めている。

最初はそれでもよいのだか、続けていくとだんだんバランスが崩れていく。

また、社員から「どうしてこの給料なのか」と問われても説明できない。

しかし、かといって大企業のような賃金制度は複雑すぎて中小企業では機能しないし運用できない。

中小企業には身の丈に合った賃金制度が必要だ。

社員のやる気を阻害し、賃金制度の円滑な運用の妨げになる賃金処遇上の要因は、大きく、4つに分類できる。

第1に、賃金や賞与支給額が期待水準に達しないことに対する不満

第2に、他の社員と比べて自分の賃金処遇が低いことに対する不平

第3に、自分を正当に評価しない会社や上司に対する不信

第4に、将来の賃金処遇が見通せないことに対する不安

これらの不平・不満・不信・不安を解消するためにも「分かりやすい」、「使いやすい」、「長持ちする」賃金制度を作るべきだろう。

2020年9月 8日 (火)

還暦からの底力/出口治明

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 だから大切なのは「人・本・旅」で、たくさんの人に会う、たくさん本を読む、たくさんいろいろな現場へ出かけていき、たくさんの出会いをつくることです。すると、その中から運と適応により、思いがけない世界が広がるかもしれません。

還暦で、ライフネット生命を開業し、古希を迎えた2018年にAPUの学長に就任した著者。

その著者が還暦からの生き方について述べている。

古今東西広く世界を見渡せば、還暦を超えてもなおパワフルに活躍している人はたくさんいる。

たとえば4世紀の中国の僧、法顕は仏教を深く学ぶために399年に長安を旅立ったとき、すでに60歳を超えていた。

砂漠や高地を越える困難な長旅の後、インドで学び、帰国したときには70歳を超えていた。

還暦からの底力を発揮するうえで重要なポイントは、色眼鏡をできるだけ外して、フラットに周囲の物事を見ること。

「数字・ファクト・ロジック」で、エピソードではなくエビデンス(証拠)で世界を見ること。

そうすれば根拠のない不安で心配することはなくなる

また、根拠が明らかな問題は原因が明確なので、打つべき手を打てるようになる。

著者が特に還暦を過ぎて大切なものとしてあげているものが「人・本・旅」だ。

「人・本・旅」の生活を続けていれば、趣味も職場以外の友人もたくさん見つけるチャンスがある。

日本の労働慣行は、人間を全く大事にしていない。

よく老後の孤独が問題になる。

しかし、そのテーマは問題設定自体が間違っていて、日本の歪んだ労働慣行が、働く人を粗末に扱っている問題だと再設定すべき。

その意味からも働き方改革を行い、「人・本・旅」のライフスタイルを定着させることが老後の孤独をなくすことにつながる。

50年前の65歳と現在の65歳では体力や若々しさが大きく異なる。

実際、日本老年学会・日本老年医学会が高齢者の心身の老化現象の出現に関するさまざまなデータを分析したところ、現在の高齢者は10~20年前に比べ老化現象の出現が5~10年遅延する「若返り」現象がみられたという。

この知見に基づき、「75歳以上」が高齢者の新たな定義として提案された。

要するに、いまの75歳が昔の65歳と相撲を取っても負けないというわけだ。

このような医学的、客観的なデータが出されているのなら、素直に受け入れたほうがいいだろう。

還暦からの生き方。

固定概念を捨てて、再構築する必要があるのではないだろうか。

2020年9月 7日 (月)

ファクトフルネス/ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド

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 世界の人口のうち、極度の貧困にある人の割合は、過去20年でどう変わったでしょう?
 A 約2倍になった
 B あまり変わっていない
 C 約半分になった

上記の問題の正解はCだ。

しかし、正解率は平均で7%だったという。

仮に、チンパンジーにABCの三択で選ばせたら、正答率は33%になる。

チンパンジーよりも劣る正答率。

なぜ、一般市民から高学歴の専門家までが、クイズでチンパンジーに負けるのか。

事実は、過去20年のあいだ、極度の貧困にある人の数は半減している。

しかし、-暮らしが良くなるにつれ、悪事や災いに対する監視の目も厳しくなった。

昔に比べたら大きな進歩だ。

しかし監視の目が厳しくなったことで、悪いニュースがより目につくようになり、皮肉なことに「世界は全然進歩していない」と思う人が増えてしまった。

いま起きている悪い出来事に人々の目を絶え間なく惹きつけるのがニュースというものだが、悪い出来事ばかり目にしていれば、誰でも悲観的になる。

加えて、思い出や歴史は美化されやすい。

だからみんな、1年前にも、5年前にも、50年前にも、いま以上に悪い出来事が起きたことを忘れてしまう。

私たちは、次のような先入観を持っていないだろうか。

「世界では戦争、暴力、自然災害、人災、腐敗が絶えず、どんどん物騒になっている。金持ちはより一層金持ちになり、貧乏人はより一層貧乏になり、貧困は増え続ける一方だ。何もしなければ天然資源ももうすぐ尽きてしまう」

少なくとも先進国においてはそれがメディアでよく聞く話だし、人々に染みついた考え方なのではないか。

著者はこれを「ドラマチックすぎる世界の見方」と呼んでいる。

精神衛生上よくないし、そもそも正しくない。

時を重ねるごとに少しずつ、世界は良くなっている。

何もかもが毎年改善するわけではないし、課題は山積みだ。

だが、人類が大いなる進歩を遂げたのは間違いない。

これが、「事実に基づく世界の見方」だ。

人間の脳は、何百万年にもわたる進化の産物だ。

わたしたちの先祖が、少人数で狩猟や採集をするために必要だった本能が、脳には組み込まれている。

差し迫った危険から逃れるために、一瞬で判断を下す本能。

唯一の有効な情報源だった、うわさ話やドラマチックな物語に耳を傾ける本能。

食料不足のときに命綱となる砂糖や脂質を欲する本能。

これらの本能は数千年も前には役立ったかもしれないが、いまは違う。

砂糖や脂質が病みつきになり、肥満が世界で最も大きな健康問題になっている。

大人も子供も甘いものやポテトチップスを避けるようにしたほうがいい。

同じように、瞬時に何かを判断する本能と、ドラマチックな物語を求める本能が、「ドラマチックすぎる世界の見方」と、世界についての誤解を生んでいる。

「恐怖」と「危険」はまったく違う。

恐ろしいと思うことは、リスクがあるように「見える」だけだ。

一方、危険なことには確実にリスクがある。

恐ろしいことに集中しすぎると、骨折り損のくたびれもうけに終わってしまう。

パニックになった新米医師が、核戦争の心配をしすぎるあまり、患者の低体温症に気づかないかもしれない。

地震の心配はしても、下痢で亡くなる数百万人に気づかないかもしれない。

飛行機事故や化学物質の心配はしても、海底が砂漠になっていることに気づかないかもしれない。

コロナに罹患することを恐れるあまり、経済を止めてしまうことの危機に気づかない。

大事なことは「恐ろしいものには、自然と目がいってしまう」ことに気づくこと。

恐怖と危険は違うことに気づくこと。

人は誰しも「身体的な危害」「拘束」「毒」を恐れているが、それがリスクの過大評価につながっている。

恐怖本能を抑えるには、リスクを正しく計算すること。

現代人は情報の洪水にさらされている。

そして、何がファクトなのかがわからなくなっている。

それを解決する方法はあるのか。

何年もの間、事実に基づく世界の見方を教え、目の前の事実を誤認する人を観察し、そこから学んだことを一冊にまとめたのがこの本だ。

何かファクトかわからなくなっている現代人には必読の書だと思う。

2020年9月 6日 (日)

人事屋が書いた経理の本/協和醗酵工業㈱

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 会計とは、一言で言えばフロー(ながれ)とストック(のこり)の関係をつかむことである。

会計は、フローの集合をP/Lとして、ストックの集合をB/Sとしてつかまえる。

B/Sは「バランスシート」の略。

「期末に残っているもの」を集めたもの。

すなわち「期末ののこり」を表わす。

日本では「貸借対照表」とよび、「期末のストック」を表す。

P/Lはプロフィット・アンド・ロス・ステイトメントの略。

「期間中に入ってきたものと、出て行ったもの」を集めたもの。

すなわち「期間中の出入り総計」を表わしている。

日本では損益計算書と呼んでいる。

P/Lがながれ(フロー)を、B/Sがのこり(ストック)を表わしている。

これをもっとつっこんでみると、P/Lは単なる“ながれ”でなく営業活動の1年間の“努力”。

つまり、どれだけの費用を使ってどれだけの収益を上げたかをまとめたもの。

B/Sは単なる“のこり”でなく、その努力の積み重ねでできた企業の“体格”。

つまり、次の営業活動に備える経営基盤と財務体質を期末の一時点でレントゲン写真に撮ったものといえる。

努力の成果で体格ができ、その体格を使って努力し……という具合にリサイクルしている訳である。

そこで問題はこのカネの運用の中身だ。

資産という形で寝ているカネが、営業活動に必要な規模であって、どんどん回転して利益獲得に貢献してくれれば、資金繰りは楽になる。

ところが資産は油断すると、ぜい肉がつきどんどんカネが寝てくる。

ぜい肉質になって膨大な資金が固定化しているのに気づかないと、利益は上がっていても、現金は不足し身動きがとれなくなる。

利益を増やすことと、資産の回転を上げることが資金繰りの戦略になる。

そしてこれはB/S戦略そのものである。

本書は、マネジメント・ゲームの講義マニュアルである。

会計をまったく知らない人にも、様々な視点で経理の基本を学ぶことのできる入門書として最適だ。

企業研修でも使えるのではないだろうか。

2020年9月 5日 (土)

「自分の心」をしっかり守る方法/加藤諦三

Photo_20200830190901 心理的にいえば、自分は価値がある、自分は他人に拒絶される存在ではない、自分は他人に受け入れられる、と感じつつ育った人、あるいはそんなことを意識することさえなく育った人が心理的に健康なのである。

自分の心を守るには、過去から自由になること。

過去から解放されて前へ進む。

それが「生きる」ということである。

生きることは、与えられた困難を一つひとつ乗り越えていくことである。

過去から縁を切ることは、ヤクザの世界から縁を切るよりもたいへんである。

そして本当の自分を知ること。

それは「自らに気づけ」ということでもある。

それは「自らの運命を背負え」ということである。

モグラはワシにはなれない。

魚はカエルにはなれない。

向上心とは、自分のできることの中でがんばることである。

自分のできないことをしようとして、無理するのは向上心ではなく劣等感である。

運命に逆らっても勝ち目はない。

人生最後まで不幸な人は、運命に逆らって生きてきた人である。

大切なことは、自分が自分をよく思えるようになることである。

そのためにはやはり一度、自分は自分のことを悪く感じているという心の底の感じ方を正直に見つめることであろう。

他人が自分のことを悪く思うのが怖いのは、自分が自分のことを否定的に感じているからにすぎない。

もし自分が自分のことを肯定的に感じることができさえすれば、他人が自分のことを悪く思っても、それによって傷つくことはない。

ほんとうに自分がわかってくると、他人は問題でなくなる。

他人によく思われるか悪く思われるかということが、自分にとって重大なことでなくなる。

ほんとうに自分のことがわかってくるということが、自我の確立ということでもある。

自分がわかり相手がわかれば、世の中にそんなにいつも裏切ったの裏切られたのという人間関係のトラブルなどないはずである。

相手が実際にどういう人間であるかも見ずに、また見ようともせず、勝手に自分が相手はこういう人間であると決めてかかって、その自分が勝手につくったイメージでつきあうから、さまざまなトラブルが生じてくる。

人生における絶対の優先事項は「自分自身になること」である。

自分自身である人が求めるものと、自分自身でない人が求めるものとはまったく違う。

「私は強くなろう」としないことである。

ありのままの自分でいようとすることである。

自分を知り、相手を知ること。

人間関係の問題は、ほとんど、これができていないからだといってよいのではないだろうか。

2020年9月 4日 (金)

神(サムシング・グレート)と見えない世界/矢作直樹、村上和雄

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 興味深いデータがあります。今から100年前、科学者の四割が神というものを信じていたそうです。その後100年、人類の科学技術は画期的に進歩しました。科学技術が進むと、神様などと言わなくても科学で理解できるのではないかと思ったわけですが、実はそうではなく、100年経ってもやはり四割くらいの科学者が神を信じているそうです。特にキリスト教国家であるアメリカで顕著だそうですが、ひょっとしたら今アメリカでアンケートを採ると、もっと高い比率かもしれません。

本書は現役医師の矢作氏と遺伝子の世界的権威である科学者村上氏が、科学の限界に触れ、宇宙と生命の神秘について語り合ったもの。

お二人に共通して言えるのは、科学に対する謙虚さである。


科学における一番の難問は、「神は科学で定義できるか」であろう。

今後、世界中の科学者がこの難問に取り組むと思われるが、そもそも人智を超える存在が神であるわけですから、結論から言えばこの難問は解けない。

神は根源的な存在であり「大いなるすべて」である。

宇宙物理学も遺伝子学も生化学も、20世紀はあらゆる科学が急速な進歩を遂げた。

科学者たちが最初に遺伝子の暗号解読を始めた頃は、遺伝子の暗号さえ解読すれば「命の謎」が解けるのではないかと思われていた。

DNAに書かれていないことはできないと思っていた。

ところが、いざ解読してみると、解読可能な部分は2%程度。

残りの98%はわからない。

A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)といった4つの塩基配列は、すべてわかったが、それが本質的に何を意味しているのかわからない。

現在までに解読できた部分は、せいぜい4、5%。

残りの95%は解読不能だ。

配列は読めたけれど、意味がわからない。

科学は日進月歩のスピードで進歩している。

では、この先科学が進歩すれば、人間のすべてがわかるのか?

必ずしもそうではない。

なぜなら、ある部分がわかれば、また別の「謎」が出現するからでだ。

なかでも一番よくわからないのが「命」であろう。

アインシュタインがこう言っている。

「宗教抜きの科学は足が不自由も同然であり、科学抜きの宗教は目が不自由も同然である」

この発想が、新しい時代を切り開く考え方となるのではないだろうか。

2020年9月 3日 (木)

執着を手放して「幸せ」になる本/根本裕幸

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 執着とは、一定の「人」や「もの」あるいは「状況」に心がとらわれ、放れようとしない状態を指します。「どうしても放れられない!」といった強い感情を伴わなくても、窮屈さ、自由のなさ、不安や怖れを感じながらも「何かをそのまま」にしているとしたら、あなたはその何かに執着しているかもしれません。

人が抱える悩み、その多くは「執着」という心のゆがみが原因だと著者はいう。

執着は別の言葉で言えば、「わかっちゃいるけどやめられない」というもの。

執着は「ダメなものなんでしょう? じゃあ捨ててしまおう」と、理屈で捨てられるものではない。

執着は諦める必要はない、捨てなくてもかまわない。

手放すことだ。

執着は、私たちから選択肢を奪い、それ以外のものを目に入らなくさせる。

執着が強ければ強いほど、周囲が見えなくなり、その結果、さまざまな問題が生じる。

その1つが、チャンスがどれほど訪れても、取り逃がしてしまうということ。

私たちがよりよい方向に変化したいと望んでいるときに、執着が足を引っ張り、可能性の芽を摘んでしまう。

執着しているのは、「人やもの」に対してではなく、「感情」である。

執着が生じる背後には必ず「強い感情」が存在しており、多くの場合ネガティブだ。

だから、単に人やものを遠ざけても、その感情も同時に手放さなければ、執着は決してなくならない。

何かに執着していることに気づいたら、まずは、その対象に映し出されている感情を見つめることが、とても大事だ。

まず自分がどんな感情に執着しているか、その正体をつかみ、それを手放すことだ。

本書にはその方法が記されている。

実行してみるとよいのではないだろうか。

2020年9月 2日 (水)

吉田松陰「人を動かす天才」の言葉/楠戸義昭

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「自分は今、囚人となって、まさに獄中で死のうとしている。だが、私は志士の節操を心がけよう。溝や谷に落ちて死ぬことを恐れさえしなければ、命がこの牢獄で尽きても、少しも気にすることはない。かえって本望でさえある。このように、志をひとたび立てたからには、人に助けを求めることもなく、世に救いを願うこともない。自信を持ってこの天地を見渡し、過去と未来を見届けよう。何とも愉快なことではないか」

偉大な教育者といえる松陰だが、集ってきた百人近い塾生を教えたのは、わずか2年9カ月という短い期間にすぎない。

しかしそこで育った久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、前原一誠などは明治維新の礎を築くことになる。

どうしてこんな短期間で塾生に決定的な影響を与えることができたのか。

それは松陰が単なる学問を教えるのでなく、生き方を教えたからだろう。

松陰は、学問とは学者になるためにするものではなく、それを実行するためにするのであると教え込んだ。

人間に最も大切なものは〝至誠(真心)〟であり、志を立てることが重要であると教育した。

「読書をせよ。だが学者になってはいけない。勉強は知識を得るためのものであり、人は行動することが第一である」

と語っている。

そして、「議論よりも実行を」が口癖であった。

学問とは、自分を見つめてその本質を知り、変化する時代を着実に読み取って、自分のものとし、自分が社会に対して何ができるか、何をなすべきかを導き出す案内人といえるだろう、という。

そして草莽崛起の人を望んだ。

草莽崛起とは在野から立ち上がるということ。

それを実践したのが高杉晋作であった。

奇兵隊はまさにその象徴だ。 

晋作は松下村塾で足軽、農民、医者の子たちが、藩士の子より往々にして優秀なのを見てきた。

そこで敵の虚をつく奇道を駆使して勝つために、身分を問わず、足軽、町人、僧侶など草莽の人々も参加できる奇兵隊を編成した。

身分の低い人々の力を借りて、当時保守派が握っていた藩政府を尊攘派が奪還し、幕府との四境戦争を勝ち抜く。

晋作の死後も草莽の力を借りて、ついに幕府を倒すことになる。

松陰の生き方であり志が日本を変えたということであろう。

2020年9月 1日 (火)

幸せな人は「お金」と「働く」を知っている/新井和宏

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 マズローはその晩年において、五段階の欲求階層の最上位である「自己実現欲求」のさらに上に、「自己超越(Self-transcend)」という階層があるとしました。この第六階層である「自己超越」は、見返りも求めず、自我を忘れてただ(自我を超えた)目的のみに没頭し、何かの(社会的)課題や使命に貢献したいという状態を指します。「ありがとう」と言われなくても目的のために黙々と行動するレベルともいえるでしょう。

マズローの欲求五段階説は有名だ。

第一階層は「生理的欲求」

人が生きていく上で欠かせない基本的・本能的な欲求のことで、食事をしたい、眠りたい、排泄をしたいといった欲求がこれに当たる。

第二階層は「安全欲求」

事故や暴力などの危険を回避し、安全で安心な暮らしをしたいと感じる欲求のこと。

具体的には、良い健康状態の維持や、快適に暮らすことのできる家、豊かな生活を欲したりする。

第三階層は「社会的欲求」

他者から受け入れられることや、集団に帰属すること、誰かから愛されるといったことを望む欲求のこと。

第四階層は「承認欲求」

他者から認められたい、賞賛されたい、尊敬されたいという欲求のこと。

自分が価値のある存在だと、周りの人から認められることを求めるようになる。

「ありがとう」と言われたいというのもこの「承認欲求」の一つ。

第五階層は「自己実現欲求」

自分の能力や可能性を最大限に発揮して、創造的活動をしたり、自己の成長を図って、自分が考える「あるべき自分像」を求めるようになる。

これがマズローの欲求五段階説である。

ところが、マズローは晩年「自己実現欲求」のさらに上に、「自己超越」という階層があるとしたという。

第六階層である「自己超越」においては、自分のための利己と相手のための利他が一致する。

なぜなら、自分が幸せになるための自己満足が、人の役に立つことという利他になってしまうから。

自分の幸せのために、他者に貢献をする。

主体が自分自身にあるということが重要。

そうなると人は強くなれる。

なぜなら見返りを求めないから。

他人の幸せのためだけに働くのは続かない。

なぜなら、他人の幸せのためだけに働くのは消耗し、疲弊していくから。

やはり、働くことに対して、自分なりの喜びや意味を見出せなければ持続できない。

要は、自分の内側に絶対的な評価軸を持つ必要があるということであろう。

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