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2020年10月の31件の記事

2020年10月31日 (土)

完全版 鏡の法則/野口嘉則

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 つまり私たちは、自らの人生に起きていることを見ることによって、自分の心のありようを推察することができ、それによって、自らを変えるためのヒントを探っていけるわけです。

「現実に起きる出来事は一つの結果であり、その原因は心の中にある」という考え方がある。

「私たちの人生の現実は、私たちの心を映し出す鏡である」と考えてもいい。

日ごろ私たちは、鏡を見ることで、「あっ、髪型が崩れている」とか「今日は私、顔色が悪いな」と気づいたりする。

逆に鏡がないと、自分の姿に気づけない。

人生を鏡だと考える。

自分の心の中を映し出す鏡だ。

人生という鏡のおかげで、私たちは自分の心のありように気づき、自分を変えるきっかけをつかむことができる。

「必然の法則」というのがある

それを学ぶと次のようなことがわかる。

じつは、人生で起きるどんな問題も、何か大切なことを気づかせてくれるために起きる。

つまり偶然起きるのではなくて、起こるべくして必然的に起こる。

ということは、自分に解決できない問題はけっして起きないということ。

起きる問題は、すべて自分が解決できるから起きるのであり、前向きに取り組みさえすれば、後で必ず「あの問題が起きてよかった。そのおかげで」と言えるような恩恵をもたらす。

この法則が示すとおり、私たちの人生における現実は、まるで鏡のように、私たちの心を映し出している。

たとえば、心の中で不満ばかり抱いていると、その心を映し出すように、ますます不満を言いたくなるような人生になっていく。

逆に、心の中で感謝することが多いと、その心を映し出すように、さらに感謝したくなるような出来事が起きてきて、感謝にあふれた人生になってくる。

また、心の中で誰かを強く責めつづけて生きていると、自分もまた責められる経験を繰り返すことになる。

他の人の幸せを喜ぶような気持ちで生きていると、自分もまた幸せな出来事に恵まれる。

このように人生においては、自分の心の波長に合った出来事が起きてくる。

そういう意味で、人生は自分の心を映し出す鏡なのだ。

これが「鏡の法則」。

人生で起きるどんな問題も、何か大切なことを気づかせてくれるために起きる。

そして、自分に解決できない問題はけっして起きない。

自分の人生に起きる問題は、自分に解決する力があり、そしてその解決を通してより幸せな人生を築いていけるから起きる。

このように考えることによって自分の身の回りに起こることを肯定的に受け止めることができるのではないだろうか。

また、すべて自分の身の回りに起こる原因は自分の内側にあるというのはその通りだと思う。

2020年10月30日 (金)

「言霊」の力/黒戌仁

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 身近な人間関係から、未来において起こることまで、多くのことは、言葉の力を普段どのように使っているかによるところが大きいのです。「言霊」の力は、まさしく運命をも左右しています。

うまくいく人、運がいい人は、自分の「魂の声」をよく聞き、「言葉の力」を毎日に上手に取り入れている。

言葉の力は想像以上だ。

たとえば、愛のある言葉をかけながら育てた花と、汚い言葉をかけながら育てた花とでは、前者のほうが元気で長持ちするという話をよく聞く。

ビニールハウスで音楽をかけて育てた果物は、甘さが増すという話もある。

そして、古代から日本人が、言葉がもたらすエネルギーを、「言霊」として、非常に神聖視してきたという事実がある。

言葉の力を生かせば、仕事で成功することもできるし、人間関係だってうまくいく。

健康で豊かで、最後までハッピーな人生をエンジョイできる。

必要なのは、思い切って、自分の本当の感情を口にしていく勇気。

「自分らしさ」を言葉にしていくこと。

自分の感じたことを素直に人に伝えた人が、それによって誰かに認められ、愛される。

好きなことをして喜んだり、好きなことを考えたりすることで心が躍るのは、「自分らしさ」をつくっている核心的な部分が活動するから。

自分の発する言葉一つひとつが現在の自分、そして未来を自分をつくっているということではないだろうか。

2020年10月29日 (木)

ディスコルシ「ローマ史」論/ニッコロ・マキァヴェッリ

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 現在や過去の出来事を考えあわせる人にとって、すべての都市や人民の間で見られるように、人びとの欲望や性分は、いつの時代でも同じものだということが、たやすく理解できる。したがって、過去の事情を丹念に検討しようとする人びとにとっては、どんな国家でもその将来に起こりそうなことを予見して、古代の人びとに用いられた打開策を適用するのはたやすいことである。また、ぴったりの先例がなくても、その事件に似たような先例から新手の方策を打ち出すこともできないことではない。

『君主論』にならぶ、マキァヴェッリの著書。

ルネッサンス期、官僚として活躍したマキァヴェッリは、祖国が生き残る方法を模索し続け、古代ローマ史にその答えを求めた。

不利な状況での戦い方、敵対する勢力を効果的に漬す方法、同盟の有利な結び方、新兵器への対処方法、陰謀の防ぎ方と成功のさせ方、そして、最強の国家体制について述べている。

中でも印象に残った言葉は以下の通りだ。

「いったいに人間の行動には必要に迫られてやる場合と、自由な選択の結果による場合がある。そして、その行動が威力を発揮するのは、選択の威力が発揮できない、時と考えられる。」

「その温和な土地柄のために助長される怠惰な風潮については、土地の恵みに慣れきった人びとの心を勤勉にするように、法律の力を借りて規制しなければならない。そのためには、人間を惰弱にし、軍事にたずさわれない腰抜けに変えてしまうほど最高に快適で豊かな地方において、賢明な立法者が、どのような方策を打ち立てたかを学ぶべきであろう。」

「騒動を一番多く引き起こすのは、持てる者の側のように思われる。何かを失いそうだとする恐れが、新たに物を手に入れようとする人びとの抱く欲望と、寸分たがわぬ結果を生み出すからだ。」


「完全無欠で何ひとつ不安がないというようなものは、この世の中にはありえないからである。」

「他人に支配されることに慣れてきた人びとは、どのようにして自分たちだけの力で防いだり攻めたりしたらよいかも知らず、それを知っている君主もいなければ、通暁している人もいないので、たちまち隷属状態に陥って、少し前に背負わされていた重荷よりも、はるかに苛烈な圧政にさらされがちなものである。」

「人民が健全でありさえすれば、どんな騒動や内紛が起こったところで、損なわれるようなことはない。けれども、人民が腐敗していれば、どんなに法律がうまく整備されていたところで、何の足しにもならない。最高権力を持った一人の人物が出て、人民が健全になるように、法律を守らせるよう舵をとらぬ限り脈はない。」

「惰弱な君主でも強力な君主の後を継いだ場合には国家をしばらくは維持することができる、しかし無力な君主が二代続いた場合には国家を維持することはできない。」

「人民というものは、自由を失わずに持ち続けている場合よりも、むしろ自由を取り戻した時のほうが、過激な行動を示すものだ。」

「人間は生まれながらにして虚栄心が強く、他人の成功を妬みがちで、自分の利益追求には飽くことを知らないから、部下の将軍が勝利を博したとなると、その君主の中には猜疑心が芽生えるのは避けられない。しかも、いったん芽生えた君主の不信感は、将軍の思い上がった横柄な言動に刺激されて、高まらざるをえない。」

「人間は、とことんまで陰険になり切ることもできなければ、また、そこぬけに善良になることもできないものである。したがって、大勝利を博した後の将軍は、えてして、軍隊ときっぱり手を切ったり、へりくだって身を処していくことが、どうもできないものである。かといって、自分の行為に尊敬を抱かせる思いきった手段に出ることもためらわれる。したがって、どちらつかずでぐずぐずするうちに、息の根を止められてしまうのである。」

「やむをえず戦いを交えねばならない必要にせまられなくても、人は野心にかられて戦いを挑むものだ。この野心というものは、人の心の中を強く支配しているもので、人が望みのままにどんな高い地位にのぼったところで、決して捨て去れるものではない。」

「平民というのは、自分に関連する事物を概括的に把握しようとするときに誤りを犯しやすいものだが、逆に個々の事柄を体験してそれを知れば、そんな誤りを犯すこともない。」

「なにごとをやる場合にせよ、特に必要に迫られてどうしてもそうせざるをえないような時でも、万事にぬかりのない人物なら、自分から進んでそれをやっているような印象を、いつも人びとに植えつけるものだ。」

「弱い国家は常に優柔不断である、決断に手間どることは常に有害である。」

現代にも通じる、非常に考えさせられる言葉だ。

2020年10月28日 (水)

つい、「気にしすぎ」てしまう人へ/水島広子

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 心が本来もっているしなやかさを解放するためのキーワードは「今」ですから、「今できること」に目を向けることはとても大切なのです。 

「心に余裕を持つ」ことがシンプルである理由は簡単。

それは、私たちにとってもっとも自然な姿が「余裕があること」だから。

「余裕がないとき」は、心がマイナスの感情によってすっぽりと覆われている状態。

この〝フタ〟をはずすだけで、「余裕でいられる心」「何かと気にしない心」は自然と簡単に手に入るもの。

そのコツさえつかんでしまえば、何か落ち込むことがあったときも早く立ち直ることができる。

また、「私は大丈夫!」と余裕を持っていつも通り進んでいくことができる。

人間関係で「気にしすぎ」ないでいられるためのキーワードがある。

それは「ありのままの自分」を基本にする、ということ。

「心が〝衝撃〟を受けただけ」

「ちゃんと〝今〟に視点がおかれている?」

「ありのままで大丈夫」

そう考えると、心に引っかかっていた「気になること」が、スルスルとほどけていく感覚がわかるはず。

そして、私たちは「今」に集中しているときに、もっとも力を発揮できる。

不安を感じたら、「今」に集中する。

「今」、現実的に備えられることをすれば、それで十分。

もっともよい結果に、必ずつながる。

そのときどきの「今」を大切に生きていれば、そのときの自分に合った新しい支え手が、必ず現われる。

「今」に集中するための一つの秘訣は、身体を使うこと。

身体こそが、「感じる」機会をつくってくれる。

強い感情にとらわれてしまったときは、とりあえず身体を動かすというのがよいやり方。

ランニングをする、ウォーキングをする、ヨガをする、ストレッチをするなど、

実際に身体を動かすと、「気持ちいいな」「息が上がってきた」「ああ、今筋肉が伸びている」など、

「今」の感覚だけに焦点を当てることができ、余計な考えが頭から消えていく。

また、呼吸に集中することも「今」に集中するための身体の使い方。

ありのままの自分を受け入れ、「今」に集中すること。

そして身体を動かすこと。

これだけで心に余裕を持つことができるという。

ぜひ実践してゆきたい。

2020年10月27日 (火)

「人生の勝率」の高め方/土井英司

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 僕は、「流れに逆らうと、運が悪くなる」と思っています。
 時代の波に自分を合わせられるかどうか。合わせられる人は運が良くなると思いますね。時代に逆行したやり方で成功するのは難しいと思う。

人は、うまくいったことの理由を個人の能力、努力、頑張りに求めがちだ。

しかし、実際には、「選択した時点」で、結果の9割は決まっている。

正しいものを「選択する力」があれば、目的がキャリアであろうと、結婚であろうと、商売であろうとうまくいく。

望むものを手に入れたいのなら、「どこで戦うか」の選択が重要になる。

なぜなら、勝負の大半は、何を選んだかで決まってしまうから。

「選択する力」を身につけ、磨き上げることこそ、凡人が結果を出すための最良の方法だ。

ようするに、私たちの人生は、「私はどこにいるか」「誰と付き合うか」「どんな選択肢の中にいるか」で決まってしまうということ。

努力が報われないのは、「選択」が間違っているから。

努力の量や才能の問題ではなくて、ようするに、努力する場所や場面が違う、ということ。

選択において大切なのは、正しさよりも、速さだ。

正しいかわからなくても、ひとまず選択をする。

そして、間違いに気づいたら、やり直せばいい。

何でもいいから試してみて、ダメならすぐにやめる。

グダグダ続けると損が拡大する。

すぐに手を引けば、何をやっても小さな損失でとどまる。

また小さな失敗を繰り返すことによって、選択する力を養うことができる。

人生で成功したければ「選択する力」をつけるべき、というのが本書のメッセージだがその通りだと思う。

2020年10月26日 (月)

敏感な人や内向的な人がラクに生きるヒント/イルセ・サン

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 敏感な人と内向的な人の特徴は似ており、どちらも物事を深く考え、狭く深い人間関係を築き、目立つことが苦手で控えめな言動をする人が多く見受けられます。敏感な人や内向的な人の定義については見解がさまざまですが、敏感な人は、五感から入ってきた刺激や、思考など自分の内側の刺激に対する感受性が高いことが特徴とされています。一方の内向的な人の特徴については、あまり社交的ではないことや関心が社会や他人などの外側の世界よりも、自分の内面や物事の真理などに向かいやすいことが挙げられます。

今の社会のなかでは、控えめで集団の中心から外れて狭く深い人間関係を築こうとする人よりも、多くの人と積極的に関わる外向的な人のほうが評価されやすいのが現実だ。

しかし、実際には、敏感な人や内向的な人の多くは、能力が高く、さまざまな才能を持っている。

物事を深く多角的に考える力や、相手の気持ちを察して気配りできる力があり、想像力が豊かでクリエイティブな才能に恵まれているなど、たくさんある。

たとえば、敏感な人や内向的な人は、新たな可能性や大小さまざまな問題の解決策を思いつくのが上手だ。

ユングによれば、特別に外向的な人の特徴は、外部の物質的な世界、つまり外の世界の人や活動に興味がある。

一方、内向的な人は自分や他の人たちの内面、つまり、体験・思考・夢・願い・空想などに興味があるのが特徴としている。

外の世界に夢中になる代わりに、外の世界で起きていることが自分自身にどんな影響をもたらしているかを感じ取り、外の世界の出来事の意味を見いだそうとするというのである。

大事なことは、内向的な人、外交的な人、それぞれに良い点があり、それを活かす生き方をすることではないだろうか。

2020年10月25日 (日)

自助論/S.スマイルズ

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 人間の優劣は、その人がどれだけ精一杯努力してきたかで決まる。怠け者は、どんな分野にしろ、すぐれた業績を上げることなどとうていできない。骨身を惜しまず学び働く以外に、自分をみがき、知性を向上させ、ビジネスに成功する道はない。

本書のサミュエル・スマイルズによる原著は1857年に出版された。

それはいまから160年以上も前に出版された本である。

この本の原題ともなっている「自助」とは、勤勉に働いて、自分で自分の運命を切り拓くことである。

つまり他人や国に頼らないことである。

外部からの援助は人間を弱くする。

自分で自分を助けようとする精神こそ、その人間をいつまでも励まし、元気づける。

その人のために良かれと思って援助の手を差し伸べても、相手はかえって自立の気持ちを失い、その必要性をも忘れるだろう。

保護や抑制も、度が過ぎると役に立たない無力な人間を生み出すのがオチである。

大切なのは、一生懸命働いて節制に努め、人生の目的をまじめに追究していくことだ。

わずかな時間もムダにせず、コツコツと努力を続ければ、積もり積もって大きな成果に結びつく。

毎日一時間でいいから、無駄に過ごしている時間を何か有益な目的のために向ける。

そうすれば、平凡な能力しかない人間でも必ず学問の一つくらいはマスターできるようになる。

そして、どんな無知な人間でさえ、十年もしないうちに見違えるほど博識な大人物に変わっていくはずだ。

と、このように毎日コツコツ努力を積み重ねることの大切さを繰り返し繰り返し著者は述べている。

時代が変わっても努力の重要性は変わらないのではないだろうか。

2020年10月24日 (土)

「これでいい」と心から思える生き方/野口嘉則

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 自分を確立するというのは、自分を土台から築き上げていくということです。そして、それに取り組んでいく過程で、私たちの内に「生き方の確かな指針」が確立されます。
 この指針が、人生の充実度や満足度を大きく左右するのです。

人間を建物にたとえるならば、まずはしっかりした基礎工事をやりましょうということ。

それをしないまま、上にビルディングを建てようとしても、うまくいかない。

基礎工事をしっかりやること、つまり自我をしっかり確立することによって、個性化も進めていくことができる。

どのような状況においても、自分の気持ちを大切にできるような生き方をすること。

これこそ、本当の幸せを実現する土台になる。

まず自分の気持ちを大切にし、そのうえで相手の期待にも応えることができたら、それはとても嬉しいことだ。

だけど、もしも自分の気持ちを大切にすることが、相手の期待を裏切ることになるとしたら、それは残念なことではあるが、しかたのないことだ。

自分の気持ちを大切にして、自分らしく生きようとしたら、「相手が不機嫌になる」とか「相手が離れていく」といった経験が必ずついてくる。

それを「しかたのないこと」と受け止めることができるかどいうか。

それが重要だ。

周りの人たちはそれぞれの価値観を持っていて、それにもとづいた意見やアドバイスを言ってくる。

仮にこちらがそのとおりに行動したとしても、その結果の責任は取ってくれない。

自分と相手の間に境界線を引くこと。

相手の権利を侵害することなく、自分の要求や意見を率直に表現する態度を、「アサーティブな態度」という。

これは、自分も相手も大切にする建設的な態度であり、また、自分と他者の間に健康的な境界線を引くために必要な態度でもある。

「I did it my way.(私は私の道を生きてきた)」

これは「my wey」歌詞の一節。

自分の人生を振り返ってこう言える生き方をしたいものだ。

2020年10月23日 (金)

人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本/稲田俊輔

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 サイゼリヤにはさまざまな魅力があり、その根幹を私は「おいしすぎないおいしさ」であると考えています。「ちょっと待って、おいしすぎないってことはつまりおいしくないってことなんじゃ!?」と思うかもしれませんが、ちょっと違います。

チェーン店の厳しさというのは常に「チェーン店なんて所詮……」という今だに根強い偏見と戦い続けなければいけないという点にある。

チェーン店で食事するとき、私たちは100点満点のおいしさを期待していない。

そこそこおいしければいい、と思っている。

100点満点のおいしさを求めるのであれば、専門店に行く。

チェーン店は70点でよいのである。

しかし、そこで特長を出し差別化しなければ生き残れない。

今やファミレスのチェーン店でナンバーワンのサイゼリヤ。

そのキャッチは次のようなもの。

具やソースが主張しすぎないシンプルな味付け。

ちょうどいいボリューム感。他の料理と組み合わせたり、

みんなで取り分けたり。気分でお選びいただけます。

1行目の文章がまさにキモ。

ひと口食べてハッとなり「おいしい!」となるにはやはりそこには具やソースなどの味付けでそれなりのインパクトがなければいけない。

しかし、この文章ではサイゼリヤとしてはそもそもそこを目指しているわけではないということがはっきりと宣言されている。

「具やソースが主張しすぎないシンプルな味付け」

この短い文章のなかに、サイゼリヤの戦略が凝縮されているのではないだろうか。

2020年10月22日 (木)

ファナックとインテルの戦略/柴田友厚

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 ファナックはその創業初期にインテルと出会い、1975年にいち早くインテルのMPUを自社のCNC装置へ導入したが、それにより日本の工作機械の競争力を飛躍的に高めて顧客層を大きく拡張した。IBMがパソコンにインテルのMPUを初めて導入したのは1981年だったことを考えると、それがいかに早い先進的取り組みだったのかは容易に想像できるだろう。パソコン産業より、なんと6年も早くMPUを導入したのである。

なぜ、ファナックとインテルなのか。

この二つの企業の組み合わせを奇妙に感じるかもしれない。

かたや、産業用ロボットや工作機械等、ファクトリー・オートメーション業界のリーダー企業であり、かたや、パソコン用のマイクロプロセッサを開発する半導体産業のリーダー企業だ。

確かに、ファナックとインテルは、一見、無縁に思える。だが、これもほとんど知られていない事実なのだが、パソコン産業より6年も早くマイクロプロセッサを導入したのは、実は日本の工作機械産業であり、それを主導したのがファナックだった。

現在の多くの工作機械には、パソコンに組み込まれているのとほぼ同様のマイクロプロセッサが組み込まれており、それによって自動制御されている。

その意味で工作機械産業は、パソコンと比肩しうるハイテク産業であるといっても間違いではない。

この二つの企業が歴史上交差することで、日本の工作機械産業は大きな革新を遂げて競争力を飛躍的に高めた。

当時インテルはDRAM事業からMPU事業への転換を模索しており、様々な試行錯誤を重ねている悩み多い時期だった。

ちょうどその頃、ファナックがMPUを量産機種に大量採用したことが、インテルのMPUへの路線転換を強力に後押しすることになった。

その後インテルは、ファナックとの共同開発で学習した品質管理能力をIBMのパソコン事業に生かし、それ以降、急速にパソコンのコア部品を供給する企業へと変貌することになる。

ファナックもまたMPUを使ったCNC装置の開発に、インテルの強力な技術支援のもとで成功し、その後の成長基盤を確実なものにした。 

本書で見えてきたものは、完成品に付加されることでその価値を高める補完財に着目する意義である。

完成品と補完財は、お互いに足りないものを補いあう関係になっており、両者がそろって初めて価値が高まる。

それは一方が売れると他方も売れる関係であり、いわば目的を共有した運命共同体のようなものだ。

完成品にこだわれば、市場の成長につれて日本にキャッチアップしてくるアジア諸国との直接対決を避けることはできない。

それに対して補完財に着目することで、最終製品を作るアジア諸国が台頭すればするほど、補完財の需要が増加するという、いわば共存共栄の構造を作り出すことができる。

中国地場企業の工作機械の生産高が増えれば増えるほど、補完財としてのCNC装置の需要が増えるのがまさにそれに相当する。

さらに技術進化の観点から考えると、補完財は完成品との間で相互促進的に価値を高めあう共進化サイクルが形成可能である。

それが形成されると完成品メーカーの持つノウハウや潜在ニーズ、あるいは直面する先端的課題などが補完財メーカーに流れ込み、その結果、補完財メーカーの技術優位は持続することになる。

本書で描かれている革新史から見えてくることは、最終完成品でもなく部品でもない第三の道としての補完財へ着目することの意義と可能性である。

人間と同様、産業においても、光が当たり注目を浴びる産業とそうでない地味な産業がある。

本書で描かれている工作機械産業は縁の下の力持ちのような産業で、どちらかといえば後者に属するだろう。

そして、見えないところで、日本のものづくり全体を下から支えてきたのである。

この四半世紀、一貫して世界最大の生産高を誇ってきた産業がある。

それが工作機械産業だ。

日本の工作機械産業は1982年に米国とドイツを抜いて世界一の生産高に躍り出て以来、2008年のリーマンショックまで、なんと27年間にわたって世界一の生産高を守り続けた。

生産される機械や部品の精度は、それを作り出す工作機械の精度によって決まる。

つまり、作られる機械や部品は、それを作り出す工作機械の精度を超えることができない。

これは、工作機械の「母性原理」と呼ばれる。

日本のものづくりの可能性を工作機械に見ることができるのではないだろうか。

2020年10月21日 (水)

日本人は論理的でなくていい/山本尚

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 私はフィーリングの良い人、センスの良い人は科学技術の世界で必ず成功する人だと思っている。幸いなことに、このタイプに相当する日本人は非常に多い。

日本人の民族性は内向型で、感覚型で受け止め、フィーリング型で対処すると言われている。

面白いことに、このタイプを持つ民族は世界で唯一日本人だけだ。

この日本人の民族性は他の国の人たちと全く違う様々な利点を生み出した。

フィーリングはとても大切で、車のエンジンのようなものである。

これがあるから、走ることも歩くこともできる。

しかし闇雲に走っても、危うい。

やはり先を見通したきちんとした地図は必要となる。

科学技術の旅には論理の拠り所になる地図は必須なのである。

エンジンと地図、その二つがあることによって、世界中どこへでも行ける。

例えば、山中伸弥氏は

「自分は日本人だからこの研究(iPS細胞)ができた。アメリカ人ならできなかった。彼らは合理的に考えて絶対に成功するはずがないことには、手を出さない。私はともかく何かあるのではないかと、とことん追求し続け、思わぬ発見に至った」

と言っている。

論理的な理屈はどうであれ、「ここは、こうすべきだ」と感覚とフィーリングで感じる日本人でなければ、できない研究は非常に多い。

科学技術において飛翔した発明発見をするには、論理から離れた思い切った仮説が必要となる。

こうなると論理的なアプローチの得意な民族は、その論理性がかえって障害となるが、幸いなことにこの論理性が日本人にはほとんどない。

このような日本人の特長、もっと生かすべきではないだろうか。

2020年10月20日 (火)

裸の資本論/村西とおる

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 お気に入りの言葉があります。人はまた私のことを「全裸監督」と呼ぶのですが、私はその意味を、服を脱いでAVの監督をする男、との意味だけに受け取っていません。素っ裸の体一つの他に何も必要としない男、裸一つの無一文になっても決して失望せず、不屈の闘志をその心の奥に宿している男、と解釈しています。

村西とおるといえば、AV監督として一世を風靡した人。

貧乏な幼少時代を経験し、「あんな貧乏な暮らしはもう二度としたくない」の思いで必死で働く。

やがてダイヤモンド映像を創業し、時代の寵児に。

しかし、その会社は倒産し、借金50億円を背負うことに。

借り入れ直談判の場で右目から血が噴き出したエピソード。

債権者の一人から「ダムから跳び降りてくれ」と脅された体験。

裁判所から幾度も自己破産を進められるが、決して諦めず、見事に返済を果たす。

「おカネは使えばなくなりますが、めげない心はそうした経験を積み重ねる度にいくらでも大きく、豊かになるのです」という著者の言葉。

壮絶な人生を送った著者だからこそ言える言葉ではないだろうか。

2020年10月19日 (月)

リーダーのためのフィードバックスキル/服部周作

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 突き詰めるところ、フィードバックで大切なのは、信頼、インフルエンス(影響力)、コンテンツ(フィードバックの内容、ひらめき、洞察)、とデリバリー(コミュニケーションの方法やプロセス、フィードバックループ、チームラーニングも含む)だと私は思います。しかしすべてが独立した変数ではなくて、適切に関連している複合的な関数(方程式)になります。

フィードバックとは、いったい何なのか?

一言で言うと、「特定のプロセスや行動による結果に対して、向上を目的とした情報の伝達」

フィードバックスキルは、ビジネスにおける、総決算のスキルの一つとも言える。

できる人ほどフィードバックを欲しがって、もらってはどんどん成長していく。

フィードバックの正解とは、言葉をよくよく選び、そして濁さず薄めず明確に、解釈の余地を与えない具体的なメッセージでなくてはならない。

相手に伝えて、確実に相手の行動に変化が現れることがフィードバックの目的だから。

フィードバックというのは継続的に行うこと。

辻褄が合うように徹底させること。

断片的に捉えたと思われないこと。

そして非常に慎重に行う必要がある。

そのためには、4つのステップを頭に置いて行うとよい。

1.観察をし、ファクトを集める(頻度、スパン、量、どこかに記録しておく)

2.相手の言い分を親身になって聴く(アクティブリスニング)

3.その行動について自分の感情や気持ちを伝える(インパクトを与える)

4.自分だったらこうすると案を出し、正しい行為を伝える(正しい解が難しい場合は質問形式で「一緒に」作っていく)

日本人は、誰かからフィードバックをしてもらうのを嫌がる。

良く思われていたいという思考が強いのと、迷惑をかけているという自責の念と、失敗はダメという教育、トリプルに阻害的要素が浸透しているからだ。

そこがかなり欧米と異なる。

欧米では失敗から学び、さらにそれを良くし、以前の自分より良ければグッドだという哲学がある。

モノづくりに対して日本は類似した哲学があっても、人についてそういう哲学はなぜかない。

フィードバックは怒られているという感覚に近いのかもしれない。

日本人の場合、フィードバックのスキルを身に付けることも大事だが、その前提としてフィードバックを受け売れるマインドをつくりあげることが必要なのかもしれない。

2020年10月18日 (日)

インテリジェンス/小谷賢

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 戦略研究家マイケル・ハワードによると、一九六四年までに生じたほとんどの戦争の勃発は誤った情勢判断によるものとされる。もし為政者が正しい情報を得て情勢判断を下していれば、戦争以外の手段を選んだのかもしれない。

インテリジェンスという観点から歴史を振り返れば、この手の「情報の失敗」は有史以来繰り返されてきたことであり、それは為政者や軍人が情報を扱うことの本質的な難しさを示している。

外交や安全保障分野における「インテリジェンス」とは一体何か。

一般にインテリジェンスは生物の「知識、知能」の意味合いで使われるように、もともとは生物が「認識し、理解するための能力」である。

もし生物にインテリジェンスが備わっていなければ、食物を得ることも天敵から身を守ることもできず、すぐに死んでしまうだろう。

すなわち生命にとってインテリジェンスとは、自らの身の周りの様々な情報を取捨選択するための能力であると理解できる。

国家レベルのインテリジェンスについて言えば、それは「国家の知性」を意味し、情報を選別する能力ということになる。

英語圏ではインテリジェンスに「情報」という意味合いが与えられている。

ウェブスター大辞典には「知性」に続く二番目の定義として、「インテリジェンスとは敵国に関する評価された情報」とある。

今や国際政治や安全保障分野でインテリジェンスと言えば情報を指すが、同じ情報でもインフォメーションは「身の周りに存在するデータや生情報の類」、インテリジェンスは「使うために何らかの判断や評価が加えられた情報」といった意味合いになろう。

ちなみにCIAによる定義は以下の通りである。

最も単純化すれば、インテリジェンスとは我々の世界に関する知識のことであり、アメリカの政策決定者にとって決定や行動の前提となるものである。

イギリスにおいてインテリジェンスは、「間接的に、もしくは秘密裏に得られた特定の情報」の意味を持ち、アメリカのものに比べると情報源に重きを置いている。

本書においては国家が使用するインテリジェンスを「国益のために収集、分析、評価された、外交・安全保障政策における判断のための情報」という意味合いで使用されている。

ここで重要なのは、インテリジェンスが各省庁のためでも、政治家の知識欲を満たすものでもなく、「国益のため」という明確な目的の下で運用されているということなのである。

インテリジェンスの究極の目的は、「相手が隠したがっていることを知り、相手が知りたがっていることを隠す」、すなわち彼我の差を生み出すことなのである。

アメリカ国家情報長官室によると、国家インテリジェンスは以下のような機能を担っているという。

① 敵国に漏洩させることなく、政策決定者に対して有効な判断材料を提供する。

② 潜在的な脅威について警告する。

③ 重要事件の動向に対する情勢判断。

④ 状況の認知、確認。

⑤ 現在の状況に対する長期的な戦略的評価。

⑥ 国家の重要会議の準備、またその保全。

⑦ 海外出張の際の秘密保全。

⑧ 現在進行形の情勢に対する短期的な観測。

⑨ 重要参考人(特にテロ関連)に関する情報の管理。

恐らく世界で最も早くスパイや情報の重要性を見抜いたのは、古代中国の孫子であろう。

中国ではこの時代のスパイは「間」と呼ばれていたが、これは二つ折りにされた封書の間を覗こうとする行為に由来している。

日本でもここからスパイを間諜と呼ぶようになった。

孫子が「用間篇」としてスパイによる情報収集の重要性を説いたことはあまりにも有名だが、孫子がこの分野で卓越していたのは、それまでの占いによる情勢判断ではなく、人智、つまり人による情報収集手段を類型化しながら、その重要性を説いたことである。

孫子は、「聡明な君主やすぐれた将軍が行動を起こして敵に勝ち、人なみはずれた成功を収める理由は、あらかじめ敵情を知ることによってである。あらかじめ知ることは、鬼神のおかげで──祈ったり占ったりする神秘的な方法──できるのではなく、過去のでき事によって類推できるのでもなく、自然界の規律によってためしはかれるのでもない。必ず人──特別な間諜──に頼ってこそ敵の情況が知れるのである」

として、政治家や軍人がそれまでの超自然的な手段に頼ることを退けた。

このような孫子の思想は飛鳥時代には日本にももたらされ、その後日本のインテリジェンスの下敷きとなった。

アメリカで独立戦争が勃発すると、インテリジェンスの類まれなる能力を発揮したのは、後にアメリカ初代大統領となるジョージ・ワシントンであった。

ワシントンは暗号や秘密インクにも関心を示し、それらを活用した。

そしてそのような傾向は彼が初代大統領となってからも変わらず、1792年には連邦予算の12パーセントにあたる100万ドルもの費用が、秘密情報組織用の予算として計上されていた。

これは当時としては法外な金額であった。

太平洋戦線ではアメリカ軍が日本海軍の作戦暗号の解読に成功し、ミッドウェイ作戦での勝利や山本五十六連合艦隊司令長官機撃墜といった戦果を残している。

諜報活動で最も有名な事例が、1942年5月のミッドウェイ海戦であろう。

この時、ハワイで日本海軍の作戦暗号、JN‐25を傍受、解読していたジョセフ・ロシュフォート中佐率いる米海軍暗号解読班は、日本によるミッドウェイ攻略作戦について事前に把握することが出来た。

ミッドウェイ作戦における日本海軍の敗因は多々挙げられるが、米海軍が日本軍のミッドウェイへの攻撃意図を見抜いた時点で、日本側の勝利の見込みは薄くなっていた。

米海軍はこの情報を基に、持てる戦力を全力投入して日本海軍を迎え撃ったのである。

後知恵的ではあるが、アメリカの暗号解読に始まるミッドウェイでの日本海軍の敗北は、その後の戦争の帰趨を決定付けることになった。

暗号研究家デーヴィッド・カーンは、暗号解読が歴史の趨勢を変えた事例として、このミッドウェイとツィンメルマン事件を挙げている。

現代の国際社会ではアメリカですら一国では必要とする情報を収集できていない。

対テロやサイバー、組織犯罪の分野では各国のインテリジェンスは協力し合っており、アメリカを中心とした国際的な情報網が体系化されつつある。

他方、日本は各国の情報機関と形式上連携してはいるが、世界的なインテリジェンス協力の枠組みに参加できていない。

日本にとってこの問題は切実であると考えるべきではないだろうか。

2020年10月17日 (土)

インテリジェンスと保守自由主義/江崎道朗

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 なぜ日本政府の対応が遅れたのでしょうか。
 結論から言えば、中国政府やWHOの発表を信用したからだと思います。
 中国政府はなぜ1月23日、武漢市などを全面封鎖したのか。
 アメリカ政府はなぜ1月31日、中国全土からの外国人入国禁止といった厳しい措置を取ったのか。
 台湾がなぜ中国人渡航を止めたのか。
 その決断の背景に何があったのかについて、日本は、アメリカや台湾からの情報を十分に検討するべきでした。

ソ連に占領されたバルト三国、ポーランドの悲劇とは。

ソ連の戦争責任を問う決議を採択した欧州議会の真意は。

新型コロナ対策が後手後手になったのはなぜか。

トランプ政権はなぜ減税と規制緩和、そして軍拡をするのか。

これらの疑問を解くキーワードがインテリジェンスだ。

日本は対外インテリジェンス機関を持っていない。

このため中国の武漢で何が起こっているのか、独自に情報を収集・分析する力がない日本政府としては、WHOや中国政府の「情報」を鵜呑みにするしかなかった。

そしてそのWHOや中国政府が当初は「大したことはない」と言い張っていた。

これでは「適切な判断」が下せないのも無理はない。

スパイ天国と呼ばれている日本。

今、世界はめまぐるしく動いている。

その中で独自のインテリジェンス機関を持たない日本は、情報弱者になってしまうのではないか。

非常に懸念される。

2020年10月16日 (金)

小さな悟り/枡野俊明

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 あきらめ、つまり「諦念」というのは、じつは「道理を悟る」ことを意味します。その意味では、「人生は思いどおりにはいかない」のも一つの道理なら、「何かをあきらめなければ、何かを得ることはできない」のもまた一つの道理です。この〝小さな悟り〟があれば、気持ちも新たに前に進むことができます。

本書でいう「小さな悟り」とは、絶えず変化する出来事にいちいちとらわれて、あれこれ考え込むことなく、自然な流れのままに行動すること。 

物事はなるようになるという小さな悟りがあれば、考えるまでもなく行動できる。

いまに集中して、やるべきことをやれる。

人生にしても、自分にできることは何かを考え、行動することに意味がある。

そうシンプルに捉えるといい。

「こうしたほうが得かな」「これは損だな」と考えはじめると、損得のために無理をすることになる。

結果、なんのために生きているのかわからなくなり、人生がややこしくなってしまう。

失敗しないように慎重に行動することは大切だが、それが保身になると、自分の成長が止まる。

成功するまで挑戦し、失敗しても「最終的には、この失敗をなかったことにすればよい」と考えるとよい。

減点を上回る加点が得られればよいのである。

あるのは、「一瞬、一瞬を大事する」 というシンプルにして「小さな答え」だけ。

仕事だけではなく、遊ぶときも、食べるときも、人と話すときも、寝るときも、何も考えずにぼーっとしているときも、いつだって、いまやるべき一つのことを大事にすればよい。

そして「周りのみんなのおかげでいい仕事ができる」と感謝すること。

それによって、協力者がいっそう増え、自然と自分の成績も上がっていく。

仕事とは、そういうもの。

一人でできる仕事には限界がありますが、力を貸してくれる人が増えれば増えるほど、仕事をスケールアップさせることができる。

〝おかげさま精神〟でみんなに感謝しながら、チームワークよく仕事をしたほうが、結果的に可能性が無限に広がっていく。

つまり、「小さな悟り」とは、当たり前のことを当たり前にやること。

そこに人生の答えがあると理解すること。

けっして難しいものではない。

しかし、当たり前のことを当たり前にやっている人は意外と少ないのではないだろうか。

2020年10月15日 (木)

リスクを取らないリスク/堀古英司

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「日本の人は、頑張った人にご褒美が与えられるべきであることはよく理解している。実際、世界の標準的なルールもその通りだ。しかし日本の人があまり理解していない、又は理解を避けているもうひとつの世界標準のルールがある。それは、リスクを取った人にもご褒美を与えるという事実だ」。

リスクとは「損失を被る、又は不利な状況に陥る可能性」というのが適切な表現。

例えば、株式に投資すると損失を被る可能性がある。

また、会社に勤めている方が転職するときは、転職前に比べて不利な状況に陥る可能性もある。

こういった場合は「リスクがある」ことになる。

このように不利な状況に陥る可能性を覚悟したうえで、株式に投資したり転職したりするという行動を「リスクを取る」と表現する。

リスクに関する三つのルールがある。

第一に、人間はリスク回避本能を持っている。

第二に、ハイリスク・ハイリターン、ノーリスク・ノーリターン。

第三に、リスクとリターンのバランスは、需要と供給によってかわる。

確かに、人間はリスク回避的だ。

これは日本に限ったことではなく世界中の人がそうだ。

しかし、世界中の人が全くリスクを取らなくなったら、世界経済や人間の生活は大変なことになってしまう。

なぜなら世の中はリスクだらけであり、何らかの主体がある程度のリスクを負うことによって、他の主体が安心して暮らせるような仕組みになっているからだ。

何かを実行に移そうと思えば、必ず想定されるリスクが付きまとう。

重要なことは、リスクを想定することもそうだが、それを実行に移さなかったときに何が起こるかというリスクも想定すること。

実行したときのリスク、実行しなかったときのリスクの両方を分析し、最終的にどちらの選択肢を選ぶべきか判断を下さなければならない。

例えば、2008年のリーマンショック時、日本銀行は何をすべきだったのか?

当時日本銀行が国債をほとんど買わなかった。

つまり「リスクを取らなかったことがリスクだった」という結論は地理的・時間的に比較することによって導くことができる。

第一にアメリカとの比較。

アメリカは中央銀行が債券を購入する量的金融緩和を2008年11月から開始した。

2014年にかけて断続的に実施してきた結果、一時10%に達していたアメリカの失業率は2014年6月には6・1%にまで低下した。

リーマン・ショック後4四半期連続でマイナスだった経済成長率も持ち直し、2013年後半には3%台に回復するに至った。

これに対して日本では2008年、アメリカ同様4四半期連続でマイナスとなった後、2010年終わりから再び3四半期連続でマイナス成長となったり、2012年半ばに2四半期連続でマイナス成長となったり、とプラスとマイナスをさまよう状況が続いた。

早くから積極的な量的金融緩和を実施したアメリカと、量的緩和を躊躇していた日本で大きな差が付いてしまい、「リスクを取らないリスク」が顕在化した。

第二に、2013年3月まで日本銀行の総裁を務め、量的緩和を躊躇していた白川氏と、その後総裁に就任し積極的な量的緩和を実施した黒田氏で、その経済に与える影響は大きな差が付いた。

2012年12月の衆議院選挙で自民党が勝利し、量的緩和に積極的な次期日本銀行総裁に指名されるとの期待から、日経平均株価は2012年11月から2013年末にかけて90%近くも上昇した。

また同時期、外国為替市場でドル・円は80円から105円にまで上昇した。

あれだけ問題だった円高が止まり、そして景気の先行指標である株価が上昇し、結果的に「リスクを取らないことがリスクだった」というのが時間の比較でも明らかとなった。

日本人は極端にリスク回避的だ。

それは労働市場にもあらわれており、アメリカと比較すると明らかだ。

アメリカは就職も退職も自由な国。

逆に雇用するのもクビにするのも、基本的には雇用主の自由。

こうして労働市場に自由が確保されているからこそ、個人は、より自分の実力を発揮できる場所を求められるようになる

会社は、より適材適所を念頭に人材を雇用できるようになる。

ひいてはアメリカ中の人的資源が効率的に配分されることによって経済成長に貢献するという仕組みが成り立っている。

一方日本では憲法において職業選択の自由が保証されているとはいえ、アメリカほど労働市場で自由が確保されているわけではない。

その結果、労働者側からすれば特技を身に付けたり能力を上げたりしたのにそれを生かしきれない。

転職しようにもハードルが高い。

一度会社を辞めるとなかなか仕事が見付からない。

雇用主からしても、ビジネス環境に応じて必要な人材を採用する、柔軟に人材配置を変えていく、ということが効率的に行われていない。

ビジネス環境が日々変わっていく一方で、このように労働市場が非流動的という日本のシステムは、明らかに日本経済にとってマイナスだ。

今は「何もしないことが正解」という時代ではない。

「リスクを取らないリスク」

この言葉、自分に対する戒めとして心に刻んでおきたい。

2020年10月14日 (水)

「仕組み」仕事術/泉正人

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 私の思考の根っこにあるのは、「自由を得ること」です。その自由とは、「時間的な自由」と「金銭的な自由」、そして「選択の自由」です。このうち、この本で取り上げている「仕組み」仕事術は、この3つすべてを獲得するためのメソッドなのです。

「仕組み」とは、一言でいうと「誰がいつ、何度やっても同じ成果が出るシステム」のこと。

人の才能に頼った時点で成果にムラが出る。

「仕組み」づくりをするときは、このことをまず念頭に置くこと。

そしてそのムラを出させないことが大切。

また、「がんばる」「がんばらない」というやる気を問題としている限り、仕事にムラが出てくる。

がんばらなくても、また、だれがやっても一定の成果がでるのが「仕組み」である。

大きく分けて、「仕組み」によって次の5つのメリットが得られる。

①時間が得られる

②ミスがなくなる

③人に仕事をまかせられる

④最少の労力で最大の成果が出せる

⑤自分とチームが成長し続けられる

と、非常に多くのメリットが得られる。

また、この「仕組み思考」の中心となる考え方は何かというと、

①才能に頼らない

②意志に頼らない

③記憶力に頼らない

著者これを、「『仕組み化』3つの黄金ルール」と呼んでいる。

働き方改革が叫ばれている今、「仕組み化」も一つの選択肢になるのではないだろうか。

2020年10月13日 (火)

バッシング論/先崎彰容

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 どうしてこういう社会になってしまったのか。謝罪と反省に明け暮れ、異様に「美しい」社会をつくろうとしているのか。敵をつくりバッシングばかりしているのか。
 あらかじめ、結論をいいます。それは現在の日本社会から「辞書的基底」が失われているから、というのが筆者のだした結論です。

現代社会を、筆者は「辞書的基底を喪失した社会」と定義している。

「辞書的基底」とは、文字どおり辞書のことを思いだしてもらえればよい。

英文を読んでいて分からない単語に出くわすと辞書を引く。

たとえばLIFEと引くと「生活」とある。

何の疑いもなく、英単語の横に日本語の「生活」と書き込んで先を読み進めていく。

この際の信頼を支えているのは、他のどの辞書にも、LIFEの意味は「生活」のはずだと信じられているからで。

出版社が違っていても、同じことが書いてあると信じている。

これが「辞書的基底」のある状態。

しかし現代の情報化社会は、辞書的基底を喪失している状態。

辞書的基底のない社会では、どこまでいっても、精神の安定を得られない人間が溢れる。

新しさを追求することを唯一の基準に生きる限り、古いことはそれだけで価値を喪失する。

「古臭い」と言われることを何より恐れ、商品の濁流に翻弄され、消費すること、すなわち「自分」であることを強いられる。

「新しさ」を価値基準にしている限り、時間の積み重なりに注目する学問、すなわち歴史や道徳、国語といった科目は必然的に軽視されるようになる。

無色透明と化した「自分」の中を、時代の流行が現れては消えていく。

情報があらゆる分野を席巻している現代において、大切なのは、その情報のうちから何が「自分」にとって価値があり、何に価値がないのかを判断する基準の回復、つまり「辞書的基底」の回復だ。

と、著者は述べている。

極端な独善者と自己喪失者の奇妙な同居が、なぜ現在、おこっているのか。

ここまで正反対の人が混在する「極端な社会」に、なぜ、なってしまったのか。

社会全体にいい意味でのグレーゾーン、あいまいさ、精神的余裕がまったくない。

両極端に分裂してしまい、その間から湧きでてくるはずの「ゆたかさ」が失われてしまっている。 

今のような時代だからこそ、人間としての厚みを増し、時代に翻弄されずに判断する基底を、「自分」の中につくりだすことが必要になってくるのではないだろうか。

2020年10月12日 (月)

中世の星の下で/阿部謹也

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 ヨーロッパにおいても人間と人間の関係はモノを媒介にして結ばれているから、モノと人との関係を探ることによって人間と人間の関係の変化を明らかにする道が開かれている。そのような試みをいくつかのモノについて行なってみるとき、日本人のモノとの関係とは一見したところかなり異なっているようにみえる場合がある。

遠くヨーロッパ中世、市井の人びとは何を思い、どのように暮らしていたのだろうか。

私たちはここで、例えば石、星、橋、暦、鐘、あるいは驢馬、狼など、日常生活をとりまく具体的なモノと中世の人々との間にかわされた関係を探ることによって人間と人間の関係の変化を明らかにする道が開かれる。

たとえば石をめぐる伝承など。

古代においては石は地中で成長すると考えられていた。

かつては小さな石であったものが母なる大地から力を得て、大きく成長してゆき、母なる大地がもっていた治癒力をもあわせもつようになると信じられていた。

石のなかに無限の力が隠されているという考えはすでに古代世界以来中・近世にいたるまで広く信じられており、アリストテレスやプルターク、プリニウス、イシドール、アヴィケンナ、アルベルトゥス・マグヌスやベーコン、スピノザなどにも同様な考え方が認められているといわれている。

石のなかでも特に宝石はさまざまな病気に対する治癒力をもつものとみられていた。

ローマ人はこれらの宝石について詳しく伝えており、それによるとダイアモンドは毒物を中和する力をもち、緑柱石は肝臓に効き、エメラルドは痙攣に効果があり、サファイアは水腫、ルビーは風邪にきくという。

また晶洞石は妊婦の早産を防ぐといわれていた。

13世紀以降に投石器が普及してゆき、石と人間の関係も変ってゆく。

投石それ自体はかつて呪術的な行為であったが、投石器が扱う石はただの石にすぎないのである。

17世紀末にイギリスのニューハンプシャーで石を投げる悪魔として伝えられている話も民衆が為政者に対する不満を投石によって示したものと解することができる。

この場合も悪しきものを投石によって封じこめようとする伝統的思考が働いていたと考えられるが、そこに示されているイメージはかなり近代的な投石である。

石をめぐる人と人との関係はこの頃から明瞭に変化してくる。

と、このように石というモノが持つ意味が時代とともに変化してきている。

さらに兄弟団、賎民、ユダヤ人、煙突掃除人などを論じた文章の中に、被差別者に対する暖かい眼差しを感じながら、目に見えない絆で結ばれた人と人との関係を再発見することができる。

ヨーロッパ中世社会の人々の生活を通して、今の日本を考えさせられた。

2020年10月11日 (日)

「きめ方」の論理/佐伯胖

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 意見の多様性、価値観の多様性をできるかぎり容認しながらも、社会全体の「統一意見」を出さねばならないというのは、「社会的決定」のもつ最大のディレンマであろう。

本書は「社会決定理論」ということで、ある集団のなかでの意思決定の方法やその良し悪し、落とし穴などが語られている。

例えばゲーム理論での囚人のディレンマが紹介されている。

これによって明らかになるのは、個人の利益最大化原理は、ときに共倒れ現象を導き、社会全体としての破滅をもたらしかねないということ。

共倒れを避けて共存共栄を保障するには、社会の構成員は互いに話し合い、自らの利益最大化ではなく、共同利益最大化のために必要な行為を選択しなければならない。

そのためには、互いがどのような行為を選択すべきかを計画し、協定を結び、その協定に従って行動することを互いに約束し、その通り履行しなければならない。

たとえ、「だまし打ち」が個人にとってはいかに魅力的であろうとも。

囚人ディレンマの場合には、互いに話し合って実現すべき共存共栄の状態は、ただ一つであり、両プレーヤーにとって自明のものであった。

利害が対立している場合には、本人にとっての利益を最大にするという原則は、共倒れを覚悟しないかぎり成り立ちえないことは明らかであるということである。

つまり、「本人にとって得だ」とか、「本人にとって損だ」という言明だけをたよりに、社会道徳を構成することはできないということである。

社会の構成員が自己の利益計算をいかに合理的に行い、無駄なく、無理なく、誤ることなく行為選択をしても、社会全体が破滅にむかって「総共倒れ」になることから脱出することはできない、ということである。

以上が囚人ディレンマから得た明々白々の論理的結論である。

そして本書の主張は何かと言えば、これからの社会決定理論は、「社会の目」をもった人間による意思決定理論として進化させなければならない、ということ。

多様な意見や価値観を持つ集団がどうすれば正しい決定をすることができるのか。

永遠のテーマなのかもしれない。

2020年10月10日 (土)

ネガティブな感情が成功を呼ぶ/ロバートビスワス=ディーナー、トッドカシュダン

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 あらゆる心理状態には、「アダプティブ・アドバンテージ(変化に適応するための優位性)」がある。従ってどれかひとつがよいと決めてそちらをめざすのではなく、さまざまな感情──とりわけ目を背けがちな感情──の有用性を考え、どんな心理状態でもうまく舵を取って生きる能力を身につける方がいい。

一般的にはポジティブ感情は良いものとされ、ネガティブ感情は悪いものとされている。

しかし著者は、人間に与えられた自然な感情をすべて活かせる人、つまりポジティブ感情もネガティブ感情も受け入れて幅広く活用できる人が、もっとも健全であり、人生において成功する可能性が高いという。

私たちが将来どんなことが自分を幸せにするのかを正しく予想できない理由のひとつは、「自分には不快な感情に耐えたり、適応したりする能力がある」ということを見落としているからだ。

私たちは、よいことに関しては、ものすごくいい気分になるだろうと過大に期待し、辛い状況に関しては、それに耐える自分の能力を過小評価する傾向がある。

大事なのは、ポジティブもネガティブも含めた広範囲の心理状態を受け入れる能力を身につけて、人生の出来事に効果的に対応すること。


ある創造性を調べた研究で、ネガティブ感情とポジティブ感情の両方を経験した人たちの出したアイデアは、ずっと幸福だった人たちの出したアイデアより、9パーセントほど創造性において優れていたという。


適応能力というのは、ネガティブ感情に耐えることと、そこからポジティブ感情に移る努力が、バランスよくできることだ。

ネガティブな経験を避けたり、ネガティブ感情を抑制したりすることは、仕事のモチベーション向上にも個人的成長にも役に立たない。

実際、私たちはポジティブとネガティブの両方の感情の間を行き来する。

「ホールネス」を持った人たち、つまりよいことも悪いことも受け入れ、与えられた状況の中で最良の結果を掴む人たちこそが、健康を保ち、仕事でも学問でも成功し、幸福な人生を深く味わうことができる。

著者はこれを、20パーセントのネガティブ優位性と考える。

ホールネスを持つ人とは、約80パーセントの時間はポジティビティを感じ、残りの20パーセントの時間はネガティビティを有益に使える人のことだ。

無論この数字は正確ではなく、絶対的なもののように使ってはいけない。

むしろ、80:20という割合を、ホールネスを理解するための基本と考えればよい。

ポジティブもネガティブも包含する「ホールネス」を持つ人たちは、目標に対してもっと柔軟に行動できる。

事態がよいペースで進展していれば投資を続け、ダメだと判断すれば見切りをつけて別の目標に切り替えるのである。

ホールネスを得る上で大事なことは、ネガティブ感情を避けることではなく、それをネガティブと考えないことである。

ネガティブ感情は気分のいいものではないが、それを拒んでは、生きる上で有益なツールが活用できない。

いつもポジティブなことを探して、ネガティブ感情を消したり、押し殺したり、隠したりしていては、人生という試合に勝利することは難しい。

ネガティブ感情を無理に取り除こうとすると、意に反して、幸福感、生きる意味、気概、好奇心、成熟、叡智、人間的成長なども一緒に損なわれるからだ。

ネガティブな事柄に無感覚になれば、ポジティブな事柄に対しても無感覚になる。

どのネガティブ感情も、「何かがうまく行っていない。すぐ対応する必要がある」と知らせてくれるシグナルである。

怒りやその他のネガティブ感情を、感じるそばから抑え込んでしまうと、それらがなぜ湧いてきたのか、それがどんな行動を促しているのかわからない。

これは非常に重要なことだ。

ポジティブ一辺倒の風潮に違和感を感じている自分としては、本書の主張はすごく腑に落ちる。

2020年10月 9日 (金)

なぜ「つい買ってしまう」のか?/松本健太郎

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 インサイトとは「今までに見た機会がないけれど、『ほら、コレが欲しかっただろ?』と差し出されると、思わず『そうそう! それが欲しかった! 今すぐ買おう!』と言ってしまう商品・サービスのコア」だと考えれば良いでしょう。

本書は、ヒットする商品・サービスが出せなくて困っている人のために、「インサイトに基づく商品・サービス開発」という新しい考え方を提示し、そのための手法に焦点を当てたもの。

「インサイト」とは「人を動かす隠れた心理」と定義される。

「コレが欲しかったでしょう?」と差し出したら、「そうそう!なんで分かったの!?」と言ってもらえる、商品・サービスのコアがインサイトである。

インサイトとは、自分でも言語化できない隠された心理に焦点を当て、「そうそう、そういうこと!」と納得してもらえるような、言語化された価値だと考えれば良い。

消費者に「朝起きてから夜眠るまで、何かお困りのことはありませんか?」と聞いても「うーん、ないですねぇ……」という煮え切らない反応になるはず。

なぜなら、だいたいのニーズは充たされてしまったから。

スティーブ・ジョブズは、雑誌のインタビューで次のように語っている。

「多くの場合、人は形にして見せられるまで、自分は何が欲しいかわからないもの」

つまり「御用聞きによる商品・サービス開発の時代」は終わったと考えてよいのではないだろうか。

2020年10月 8日 (木)

ツキを呼ぶ顔逃がす顔/城本芳弘

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 毎日の鑑定を通して私が常々感ずるのは、人は見かけ以外のなにものでもない、ということです。「人は見かけによらない」とはよく言いますが、人は、やはり、「見かけどおり」。外見や立ち居振る舞いに、その方の人となりがよく現れていると痛感します。

著者の鑑定のよりどころになっている「観相学」は、長い年月を経て多くの観相家の経験と研鑽によって確立されてきたもの。

一般的には「人相」、「手相」として知られているが、顔かたちや色ツヤに限らず、しぐさや挙動までを含めて診断していく、たいへん奥の深いもの。

人の鑑定はハーツで見ることが重要。

額は知能の良否、思考、感情の傾向を見るところ。

額が広く発達し、切れ切れのちぢれたような小ジワがなく、傷やホクロ、アザがない人は、知性が発達しており、学者、芸術家などに多く、学術技芸に長けている。

親や先生、上司、先輩といった人との関係も良好で、目上にかわいがられるタイプ。

公務員や大企業など大きな組織で力を発揮していく。

また、知性が発達しているので専門分野での仕事にも適している。

耳は知能の良否、性格や健康を見る。

耳を正面顔から見て、鼻の位置より下につく、横顔の中心より後ろにつくほど、頭脳が優秀。

耳のふちが厚いほど、健康で財運がある。

眉は知能の良否、寿命、兄弟、身内、血統、財産を見るところ。

眉には、知能の優劣がよく現れる。

眉毛が細くフサフサと毛並みがいい人ほど知能が発達している。

目は顔の中ではもっとも重要で、その人の精神状態を表す心の窓。

形、癖、眼光などを見て判断するが、なかでも眼光が一番重要。

鼻はお金、財産、中年運、知性、名誉、意志の強さ、自尊心、情のあるなしを見るところ。

暖かい地域の人より、寒い地域の人のほうが鼻は高いよう。

口は味覚、食欲、性欲、愛情の濃淡を見るところ。

目の幅を基準にして、大きい口の人は積極的で、やり手、気が強く、生活力がある。

頬は世間、周囲の人、同僚、お客様、家庭、部下、目下の人との関係を見るところ。

頬は栄養の状態を表し、栄養状態のいい人は頬が豊か。

また、頬が豊かな人は愛情豊かでもある。

頬がそげるように肉が落ち込む人は暴飲暴食の傾向があり、さらに目つきが悪いと、犯罪傾向もある。

と、このように各パーツによってさまざまなことをしることができる。

更に、「観相は三質論から始まり、三質論に終わる」とまで言われている。

方法としてはまず額、眉、目、鼻、口……といったパーツごとに分けて観察し、○型(ふっくらタイプ)、□型(がっちりタイプ)、▽型(ほっそりタイプ)の3つに分類する。 

○型要素は、本来、女性の持っている要素で、女性的な特徴を表す。

男性のなかに、どれだけ女性的性格があるのかを判断するのにも有効。

□型要素は、本来、男性の持っている要素で、男性的な特徴を表す。

女性のなかに、どれだけ男性的性格があるのかを判断するのにも有効。

▽型要素は、知能の程度を表す要素で、知性的な人や神経質な人の特徴を表す。

その人の知性や学術技芸の才能を見るのに有効。

また、▽型は子どもや老人の要素も表している。

この分類をだいたい頭にいれておくと、チェックシートを使わなくても、外見や雰囲気、第一印象で、瞬時にタイプを判断できる。

○型(ふっくらタイプ)は明るく陽気でほがらか、どことなく華やかで楽天的、笑顔が印象的な人。

また、ムードメーカーで周囲をいつも楽しくさせてくれる。

好奇心旺盛で人生を楽しく過ごす術をよく知っている。

□型(がっちりタイプ)の一番の特徴は、体を動かすことが好きなこと。

活動家で、怠惰なところがなく、ひとつのところにじっとしていられないタイプ。

艱難辛苦に耐える忍耐力がある。

冷静で現実的に物事を見ることができ、指導力もあるので指揮者、監督などリーダーに最適。

いいと考えたらすぐに実行に移す、行動力に満ちている。

一方、堅物で融通が利かない面もある。

▽型(ほっそりタイプ)は、どちらかというと物静かで知的、上品な印象を与える人。

なかには、ちょっと陰気な感じの人もいる。

小柄もしくは痩せ型が多い。

落ち着いた動作をする。

また、頭の回転が早く、高尚な学問や美的感覚に優れていて、芸術、音楽の素質もある。

趣味が広く、専門的な知識や技術に秀でている。

物事を論理的に考える、理屈っぽいところもあり、空想にふけることがある。

これらのこと、当たっている部分もかなりある。

人を見た目で見抜くことは大事ではないだろうか。

2020年10月 7日 (水)

超約ヨーロッパの歴史/ジョン・ハースト

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 ヨーロッパの文明はきわめて独特である。なぜなら、その文明をそれ以外の世界に強要してきたただひとつの文明だからである。征服と入植によって、あるいは経済の力か知の力によって、そして誰もが欲するモノの存在によって、「押し付け」は達成された。今日では地球上のすべての国が、ヨーロッパ文明から生まれた科学的発見とテクノロジーを用いている。そして科学とはヨーロッパの発明品なのであった。
 ヨーロッパ文明は、その発端において以下の三要素で構成された。 
 一 古代ギリシャ・ローマの文化
 二 ユダヤ教の一風変わった分家であるキリスト教
 三 ローマ帝国に侵入したゲルマン戦士の文化
 ヨーロッパ文明はひとつの混合物である。

著者は2000年以上におよぶ「ヨーロッパ」の歴史を、大胆に要約して、描いている。

結論からいうと著者はヨーロッパがは混合物だという。

ギリシャ人は、「世界はシンプルかつ論理的・数学的である」と考えた。

キリスト教徒は、「世界の本質は悪であり、キリストのみが救うことができる」と考えた。

ゲルマン戦士は、「戦闘は面白いものである」と考えた。

この三つの要素のありえない混合が、ヨーロッパ文明を形成したというのである。

その中で私自身が一番印象に残ったのはナチスが台頭する経緯をしるした部分である。

ドイツは上記ゲルマン戦士の末裔だ。

近代になって、プロイセン、および新生ドイツは、兵士を短期間で動員して素早く動かす物流方法をマスターしていた。

彼らは軍隊の移動手段として列車を利用し、情報の監視や命令の指示に電信を使った。

1870年にプロイセンがフランスに勝利した際には、かけた時間はわずか6か月だった。

次の戦争では、6週間で終わる戦闘計画であった。

ドイツ以外の列強もドイツの例を踏襲し、迅速な動員計画を立てていた。

こうして両陣営とも戦争の準備を整えていた。

誰もが戦争が間もなく始まるであろうことを予測していた。

そして、むしろ戦争を歓迎するかのようにも見えた。

人種主義や適者生存といった新たな思潮が、戦争を正当な国民国家のための資格試験であるかのように見せていた。

そして人々のほとんどは、戦争が始まったとしても、短期ですぐに終わるだろうと考えていた。

列強の中でドイツだけが不安要素だった。

経済力が高まるにつれて、より大きな影響力を求めるようになっていたが、1914年7月には、その軍事指導者たちはヨーロッパの全面戦争で勝利を目指すという賭けに出た。

彼らが飛びついたのはバルカン半島の危機的状態だった。

将来のオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者であった皇太子フランツ・フェルディナント大公が、帝国の最南部にあたるボスニアでセルビア人ナショナリストによって暗殺された。

ボスニアは多くのセルビア人たちの本拠地であり、彼らはオーストリアの支配に対する反乱を企てていた。

セルビアは当初オーストリアの援助を得てトルコからの独立を果たしたが、この頃になるとオーストリアはセルビアを不穏勢力と見なすようになっていた。

オーストリアを脅威と感じるようになったセルビアは、ロシアに保護を求めた。

他方でヒトラーは労働者に職を与え、彼らがより多くの休日を手にし、より快適な住環境で暮らせることを望んだ。

ただし、労働組合の結成は禁じた。

ヒトラーは「国民車」という意味をもつフォルクスワーゲンの生産を計画した。

ただしヒトラーの時代には国民の手に届くものにはならず、代わりに軍隊に提供された。

ヒトラーは、ドイツ国家のための「生存圏」を東に求めた。

そこは、ポーランド人、ウクライナ人、ロシア人など「劣等人種」であるスラヴ人が住む土地だった。

またドイツ国内にいる敵も排除すべきだった。

それは社会主義と共産主義双方のマルクス主義者、そしてとりわけユダヤ人だった。

文明の担い手である「高等人種」を貶めるユダヤ人の世界的陰謀が存在している、とヒトラーは信じ込んでいた。

マルクスはユダヤ人であり、ロシアのボルシェヴィキの指導者たちの中にもユダヤ人がいる。

つまり、ボルシェヴィズムは「ユダヤ人のボルシェヴィズム」になっている。

ヒトラーは、第一次世界大戦の責任はユダヤ人にあると考え、さらに彼らをすべてガス室送りにしてしまえば、彼らから来る苦痛もなくてすむだろう、とすら夢想した。

これらの記述は大戦前夜の部分である。

つまり、国民が悶々とした気分になり、強い指導者の登場を待ち望んでいたという背景からヒトラーが登場したのである。

何かが起こるときには必ず前兆がある。

この辺りは現代にも当てはまり、歴史に学ぶ必要があるのではないだろうか。

2020年10月 6日 (火)

クリティカル・リーディング/福澤一吉

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 クリティカルは日本語では「批判的」と訳されることが多いのですが、日本語の「批判的」には一般に、相手に対して否定的で、攻撃的というような意味が含まれています。対して英語のクリティカル(critical)には、別段、否定的な意味が込められているわけではなく、「いろいろな角度から検討する、前提を揺さぶってみる、他の考えをぶつけてみる」など、肯定的で建設的な意味合いが強い。

クリティカル・リーディングとは、つぎの一連の操作のことを指す。

まず、テキストに含まれる論証部分をその他の部分から切り離し、取り出す。

ひとつひとつの論証において、どれが根拠にあたるのか、どれが主張や結論なのかを見定める。

同時に、そこで使われている根拠の内容がどのような種類かを確かめる。

また、論証の表面に出てこない「隠れた理由(論拠)」も推定する。

これにより、根拠から結論までのプロセスについて検討する。

さらに、テキストで使われている論証自体の評価も行う。

要するに、クリティカルリーディングでは能動的に、書くように読むのである。

それによって、

第1に、著者すら気がついていない新たな視点、観点、仮定、前提に気がつく。

第2に、テキスト全体に使われている論拠の種類の比較ができるようになる。

第3に、世界を把握するための視点を持てるようになる。

こういった効果が得られる。

クリティカル・リーディングの中心的目的はテキストを論理的に分析・吟味し、評価し、さらに、そこから新たな問いや疑問を発信するスキル、すなわち「批判的思考」を身につけること。

論証するということを大ざっぱに言えば、何らかの理由から、何らかの結論を導くこと。

論証とは「何らかの理由を基に、何らかの結論を出すこと」である。

論証の基礎的な形は、「理由、だから、結論」。

「結論。なぜなら、理由」でもかまわない。

このように、論証が行われていることを明確に示すには、順接の接続詞の中で、理由・結論の接続関係を明示するものを使う。

よく使用されるのは、「だから」「したがって」「それゆえ」「なぜなら」「つまり」「結論として」など。

論証における根拠、主張、論拠の三つを区別しておくことが大事。

普段の私たちのやりとりはせいぜい、根拠と主張の組み合わせだけだ。

しかし、より深い話し合いをしていたり、テキストをクリティカルに読む場合などは、この三つを最低限、意識する必要がある。

根拠と論拠は主張の理由として使われるが、根拠が主張を直接的に支えるのに対して、論拠はそれらのつながりを支える点で違っている。

また、根拠、主張、論拠の三つの違いを意識するためには、この三つをつなげる形で覚えておくといい。

たとえば「前田君はアメリカに八年間在住していた(根拠)。

だから、前田君は英語もネイティブ並みだ(主張)。

なぜなら、自分が生まれた国の言葉でなくても、ある土地に一定の間暮らしていれば、その現地の言語を獲得するものだからだ(論拠)」

となる。

「根拠、だから主張、なぜなら論拠」という形式。

狭義の論理的な文章とは「論証をしている文章」を指す。

文で表現されている主張が明確であることが前提で、それぞれの文に含まれる複数の主張間の関係性が接続詞・接続語句により表明されている文章のこと。

文章を書く場合も、この「根拠、主張、論拠」の三つを意識するとよいのかもしれない。

2020年10月 5日 (月)

「ひとり会議」の教科書/山崎拓巳

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 成功している人たちは「ひとり会議」をして、自分がすぐにでも行動に移したくなるような精神状態を、自分のチカラで作り出しているのです。

私たちの脳の仕組みはユニークで、質問を投げかけると動き出し、答えを見つけた瞬間、“インスピレーション”として届けてくれる。

そこでひとり会議は「積極的にテーマを持ち、自分に質問を投げかける」という場を作ることを基本としている。

簡単にいうと、

1.今直面している問題をすべて書き出す。

2.それぞれ「どうなればいいか?」という質問のカタチに変える。

3.それぞれ「どうすればそうなるか?」という質問のカタチに変える。

4.それぞれの答えを「○○する」というToDoのカタチにして、スケジュール帳に書き込む。

たったこれだけのこと

例えば、

1.[問題]忙しくて部屋が片付かない。

2.[どうなればいいか?]

部屋がきれいになればいい。

3.[どうすればそうなるか?]

アイディア1 朝いつもより15分早く起きて掃除する。

アイディア2 部屋にある物の数を減らす。

アイディア3 友だちを家に呼ぶ。

4.[ToDo]のカタチにする

・目覚ましを15分早くしておく。

・次の土曜日に「いらない物を捨てる」という予定を入れる。

・友だちに電話をする。

と、このようになる。

定期的にひとり会議をすることによって、新しい自分の存在を知り、今まで思いもよらなかった可能性を見つけることができる。

ポイントは、自分自身に、「未来を明るくするための質問」をすること。

そしてその答えを、言葉か文字にする。

心の中で答えるのではなく、実際に紙に書いたり、人に話したりすることが大事。

脳は一度、質問を投げかけると、意識の上では、すっかり忘れてしまっても、潜在意識は、ずーっと「質問の答え」を探しつづける。

脳は質問を投げかけることによって動き出す。

そして答えを見つけた瞬間、意識の上にストンと落としてくれる。

ひとり会議はそのような脳の性質をうまく利用したものといえよう。

特に、これらのこと、普段、無意識のうちにやっていることだろうが、それを言語化するということに特長があるのではないだろうか。

2020年10月 4日 (日)

人間観察極めたら悩み消えた/くらはし まやこ

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 違うことに合わせようというのではありません。ただ違うということを理解するのが、とっても重要なのです。

職場における人間関係の問題は多い。

極論すれば職場の問題は半分以上は人間関係に類するものと言って過言ではない。

「あの上司の下では働きたくない」とか、

「あの人と一緒に働きたくない」等々、

取り上げたらきりがない。

逆に言えば、人間関係が良くなれば職場の問題の半分以上は解決するといえる。

では人間関係を良くするために必要なことな何か?

それは「人と自分とは違う」ということを理解すること。

私たちは子どもの頃から「自分のされてうれしいことを人にもしてあげなさい」と教わってきた。

しかし、よくよく考えてみると、「自分のされてうれしいこと」が「人がされてうれしい」とは限らない。

なぜなら、人と自分は違うから。

このボタンの掛け違いから人と人とのトラブルが起こる。

本書はそれを理解するために、エニアグラムをすすめている。

エニアグラムは人間を9のタイプに分けている。

しかも同じタイプによっても健全性の違いによって、態度や行動が変わることを教えてくれる。

私もそれを学んでいるが、確かに「人と自分とは違う」ことを理解するには有効だと感じている。

2020年10月 3日 (土)

「権力」を握る人の法則/ジェフリー・フェファー

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 大人気のラジオ・パーソナリティ、スクープことウェス・ニスカーの口癖は言い得て妙である。「今あるニュースが気にくわないなら、じっとしていないで自分で作ったらどうだ」

本書は、「権力闘争や政治的駆け引きといったものは自分のキャリア形成にとってはよいとしても、果たして組織にとってはよいことなのか」という疑問を提示している。

一つの答は、会社は社員一人ひとりのことなど気にかけていないのだから、生き残りたい人や上をめざしたい人は自分で自分の面倒をみなければいけない、というものである。

もう一つの答は、疑問そのものが成り立たない、というものだ。

人の集まるところには必ずヒエラルキーが出現するし、それが期待されてもいる。

したがって、より上の階層をめざす競争が起きるのは避けられない。

三番目の答は、複雑で相互依存性の高い現代の組織では、政治的手腕を備えていることが任務の遂行には欠かせないというもの。

そして四番目の答は、パワーポリティクスを通じた意思決定の方が、ヒエラルキーに基づく意思決定より効果的な場合もあるというものだった。

ひっくるめて言えば、権力や影響力を賢く行使する術をマスターすることはぜひとも必要であるということ。

官民を問わず、また国や地域を問わず、組織には政治的駆け引きや権力闘争がつきものである。

そんなものはなければいいのに、と思う人が多いことだろう。

だが現実はそうではない。

人の集まるところ、権謀術数の類は避けられない。

人間の心理から考えても、そうしたものが近い将来になくなることはなさそうである。

人生は公平でないとか、わが社の文化は不健全だとか、上司が汚い手を使うとか、不満を言っても始まらない。

いまの職場で、あるいは新天地で、状況を変えたいのならば権力を握ることである。

これはリアリティのある事実ではないだろうか。

2020年10月 2日 (金)

ユニクロ対ZARA/齊藤孝浩

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 両ブランドの対象顧客とアプローチの違いを一言で言えば、ユニクロが年齢を問わず、大多数の人が着ることができるベーシックカジュアルウエアを「パーツ(部品)」として提供するのに対して、ZARAは働く女性とその家族やパートナーのためのヨーロピアンモード=トレンドファッションを「スタイル」で提案するブランドであることです。

ユニクロとZARAは、SPAモデルを使って、継続的な改善を重ねるチェーンである点は共通している。

しかし、多くの点で全く対極に位置するブランドだ。

かたや、ベーシックカジュアルで品質/価格の価値を高めたユニクロ。

かたや、トレンドファッションでデザイン/価格の価値を高めたZARA。

コストの安い中国や東南アジアでつくり日本で売って成長したユニクロ。

母国スペインや近隣諸国で生産することにこだわり、世界中に売ることで拡大したZARA。

また、経営者の考え方の違いは、小売業出身の柳井正氏と製造業出身のアマンシオ・オルテガ氏とこちらもはっきり分かれている。

小売業出身のユニクロは、売れるときに売り逃してはならない、需要はあるときに徹底的に刈り取ろうと考える。

そのため、需要の先食いという言葉をものともせず、今日は今日、明日は明日、毎日徹底的に売ろうとする。

たとえば売れる時期に予想以上に忙しかったりすることもよしとされる。

まさに小売業らしい発想と言えるかもしれない。

一方のZARAは製造業出身。

目先の売上も大事だが、それよりも操業の安定とそれによるトータルコストの削減、最終利益の向上を目指す。

無理をしてサプライチェーンに「待ち時間」をつくることでムダに経費がかさんでしまうことを理解している。

なので、計画外に売れすぎることは操業の安定を崩すため、よしとしない。

ユニクロにとってはとにかく在庫を切らさないための物流が重要。

一方、ZARAにとっては一年中安定的な、変わらないリズムをもった物流が重要。

ユニクロは店舗で売り逃しをしない商売人を育て、ZARAは顧客が望む商品の情報を汲み取るマーケッターを育ててきた。

これらが、両ブランドのこれまでの成長の秘訣と言っても過言ではない。

ファーストリテイリングの経営目標は、同社が公式に掲げている通り「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」こと。

そして、世界一のファッションチェーンになること。

柳井正氏率いるファーストリテイリングは常に中長期の高い目標を掲げて、それを実現するために今年、来年、再来年に何をすべきかを具体的に提示し、現場にも考えさせて実行してきた。

一方、ZARAはヨーロッパモードをベースにしたトレンドファッションを手ごろな価格で売ることを実現したグローバルなファッションチェーン。

ZARAは「百貨店クオリティのトレンドファッションを高速回転、低価格で」提供することをコンセプトとしている。

ZARAは、トレンドファッションに興味はありながら、高価なため百貨店では気軽に買えないという女性の、ドレスアップに対する欲求を満たすことを目指している。

ユニクロとZARAが、多くの点で全く対極に位置するブランドでありながら、両社とも世界的な企業に成長したという点は非常に興味深い。

2020年10月 1日 (木)

ゲームにすればうまくいく/深田浩嗣

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「ゲームにする」とは、いいかえれば、「自社の製品やサービスを提供する本来のビジネス活動全体のなかに、ゲームの要素を入れていく」ことです。お客様に自社の魅力を伝える過程そのものを「ゲームにする」ことで、企業は長期的に利益を得られる仕組みを築くことができます。

多くのビジネスパーソンがゲームを活用しようと考え、「ゲームをつくる」ことをはじめている。

しかし、それはゲームの本質ではない。

「ゲームにする」ことで可能になるのは、むしろ「関係性の強化」。

「ゲームをつくる」のではなく「ゲームにする」こと。

それさえ覚えれば、企業と人との間をつなぐ新しい「関係性」のあるべき姿が見えてくる。

例えば、なぜハーレーダビッドソンは縮小する市場で新車販売台数を増やし続けられるのか?

オートバイの国内出荷台数のピークは1982年の約328万台。

そこからオートバイの出荷台数は右肩下がりで、2010年は約38台に減少した。

そのなかで、米国ハーレーダビッドソンの日本法人であるハーレーダビッドソンジャパンは、設立された1989年以降、ハーレーの国内における新車登録台数を2008年まで19年連続で伸ばしている。

なぜハーレーは縮小する市場で新車販売台数を増やし続けられたのか?

一つの理由は、「H.O.G.(ハーレーオーナーズグループ)」

ハーレーダビッドソンのオートバイを購入すると会員となることができる会員組織だ。

現在では世界131か国、100万人以上が会員となっており、世界最大のライダーズグループとなっている。

日本では1995年から「H.O.G.」がスタートし、現在の日本の会員は約4万人。

1969年に公開された米国の映画「イージー・ライダー」のなかで、主人公の男たちはハーレーに乗って気ままに旅をした。

ハーレーの「自由奔放」で「野性的」なイメージはこのころから多くの人に広まったといわれる。

そうしたイメージをそのままに、「H.O.G.」には、ハーレーダビッドソンに乗ることがライフスタイルや生き方そのものとなるようなゲームの要素が随所に見られる。

たとえば、同社の「マイレージプログラム」。

走行距離に応じて、ハーレーダビッドソン、オリジナルのTシャツやバッジなどがもらえる仕掛け。

3000マイル、5000マイル、1万マイル、2万マイル、3万マイル、5万マイル、8万マイルと、達成するごとにもらえるオリジナルグッズがグレードアップしていく。

10万マイルを達成したオーナーは「走りの殿堂」入りとして会報誌やウェブサイトでその栄誉を讃えられる。

オプション部品を買ってガレージにとじこもり「自分だけのハーレー」づくりに励むファンには「カスタムコンテスト」がある。

3か月ごとにWeb投票で入賞車を決めて、その入賞車からさらにチャンピオンを選ぶ「グランドチャンピオンシップ」もある。

入賞した人には愛車の写真を入れたオリジナルのデジタルフォトフレームがもらえるなど、モチベーションを上げる仕組みがたくさんある。

特に注目すべきなのは、ハーレーのたのしみ方として「走る」ことと「カスタマイズする」ことの二つがあり、そのどちらにも対応したプログラムが用意されていること。

それぞれのたのしみ方に対し、さまざまな形で可視化・目標要素が実現されている。

これだけみても利用者がもっとハーレーを好きになれるように、あるいはハーレー好きな人がもっと盛り上がれるように、ゲームの要素が組み込まれている。

ハーレーダビッドソンには、ハーレーに乗ることがライフスタイルや生き方となるほどの「世界観」がつくり込まれている。

創業100年を超える歴史のなかで蓄積されてきた、歴代ハーレーのモデル、それに搭載されてきたエンジンの形状や質感、排気音。オプション部品の組み合わせで無限に広がるカスタムのたのしみ。

店舗のデザインからWebサイト、会報誌、数々のイベントにいたるまで、ハーレーにまつわるあらゆるものが、その確固たる世界観を表現している。

ゲームにすることがいかに大切か?

ハーレーの成功事例をみてもそれは明らかだ。

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