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2020年10月 7日 (水)

超約ヨーロッパの歴史/ジョン・ハースト

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 ヨーロッパの文明はきわめて独特である。なぜなら、その文明をそれ以外の世界に強要してきたただひとつの文明だからである。征服と入植によって、あるいは経済の力か知の力によって、そして誰もが欲するモノの存在によって、「押し付け」は達成された。今日では地球上のすべての国が、ヨーロッパ文明から生まれた科学的発見とテクノロジーを用いている。そして科学とはヨーロッパの発明品なのであった。
 ヨーロッパ文明は、その発端において以下の三要素で構成された。 
 一 古代ギリシャ・ローマの文化
 二 ユダヤ教の一風変わった分家であるキリスト教
 三 ローマ帝国に侵入したゲルマン戦士の文化
 ヨーロッパ文明はひとつの混合物である。

著者は2000年以上におよぶ「ヨーロッパ」の歴史を、大胆に要約して、描いている。

結論からいうと著者はヨーロッパがは混合物だという。

ギリシャ人は、「世界はシンプルかつ論理的・数学的である」と考えた。

キリスト教徒は、「世界の本質は悪であり、キリストのみが救うことができる」と考えた。

ゲルマン戦士は、「戦闘は面白いものである」と考えた。

この三つの要素のありえない混合が、ヨーロッパ文明を形成したというのである。

その中で私自身が一番印象に残ったのはナチスが台頭する経緯をしるした部分である。

ドイツは上記ゲルマン戦士の末裔だ。

近代になって、プロイセン、および新生ドイツは、兵士を短期間で動員して素早く動かす物流方法をマスターしていた。

彼らは軍隊の移動手段として列車を利用し、情報の監視や命令の指示に電信を使った。

1870年にプロイセンがフランスに勝利した際には、かけた時間はわずか6か月だった。

次の戦争では、6週間で終わる戦闘計画であった。

ドイツ以外の列強もドイツの例を踏襲し、迅速な動員計画を立てていた。

こうして両陣営とも戦争の準備を整えていた。

誰もが戦争が間もなく始まるであろうことを予測していた。

そして、むしろ戦争を歓迎するかのようにも見えた。

人種主義や適者生存といった新たな思潮が、戦争を正当な国民国家のための資格試験であるかのように見せていた。

そして人々のほとんどは、戦争が始まったとしても、短期ですぐに終わるだろうと考えていた。

列強の中でドイツだけが不安要素だった。

経済力が高まるにつれて、より大きな影響力を求めるようになっていたが、1914年7月には、その軍事指導者たちはヨーロッパの全面戦争で勝利を目指すという賭けに出た。

彼らが飛びついたのはバルカン半島の危機的状態だった。

将来のオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者であった皇太子フランツ・フェルディナント大公が、帝国の最南部にあたるボスニアでセルビア人ナショナリストによって暗殺された。

ボスニアは多くのセルビア人たちの本拠地であり、彼らはオーストリアの支配に対する反乱を企てていた。

セルビアは当初オーストリアの援助を得てトルコからの独立を果たしたが、この頃になるとオーストリアはセルビアを不穏勢力と見なすようになっていた。

オーストリアを脅威と感じるようになったセルビアは、ロシアに保護を求めた。

他方でヒトラーは労働者に職を与え、彼らがより多くの休日を手にし、より快適な住環境で暮らせることを望んだ。

ただし、労働組合の結成は禁じた。

ヒトラーは「国民車」という意味をもつフォルクスワーゲンの生産を計画した。

ただしヒトラーの時代には国民の手に届くものにはならず、代わりに軍隊に提供された。

ヒトラーは、ドイツ国家のための「生存圏」を東に求めた。

そこは、ポーランド人、ウクライナ人、ロシア人など「劣等人種」であるスラヴ人が住む土地だった。

またドイツ国内にいる敵も排除すべきだった。

それは社会主義と共産主義双方のマルクス主義者、そしてとりわけユダヤ人だった。

文明の担い手である「高等人種」を貶めるユダヤ人の世界的陰謀が存在している、とヒトラーは信じ込んでいた。

マルクスはユダヤ人であり、ロシアのボルシェヴィキの指導者たちの中にもユダヤ人がいる。

つまり、ボルシェヴィズムは「ユダヤ人のボルシェヴィズム」になっている。

ヒトラーは、第一次世界大戦の責任はユダヤ人にあると考え、さらに彼らをすべてガス室送りにしてしまえば、彼らから来る苦痛もなくてすむだろう、とすら夢想した。

これらの記述は大戦前夜の部分である。

つまり、国民が悶々とした気分になり、強い指導者の登場を待ち望んでいたという背景からヒトラーが登場したのである。

何かが起こるときには必ず前兆がある。

この辺りは現代にも当てはまり、歴史に学ぶ必要があるのではないだろうか。

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