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2020年11月15日 (日)

教養としての政治学入門/成蹊大学法学部

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 日中国交正常化で何が合意されたのか。単純にいえば、安保問題と台湾問題をめぐる「不同意の同意」が成立したといえる。外交交渉では、お互いの主張の違いを残したまま合意に至ることが少なくない。いわゆる「暫定協定」と呼ばれるものだ。日中国交正常化は、まさにその言葉がぴったり当てはまる政治決着であった。


いま政治学で何が問題になっているのか?

なぜそれが争点なのか?

本書は政治史・政治理論・国際政治・福祉政治・行政学・地方自治などの専門研究者がわかりやすく論じている。

中でも、日中国交正常化について記してある部分は興味深い。

政治は、相異なる利害が共存する事実を受け入れるところではじめて生起する。

日中国交正常化はたんなる日本と中国との外交関係の復活に留まらない。

交渉がまとまるプロセスには、日米安全保障条約、台湾問題、歴史認識、中国の国内政治や日本の自民党内の政局など様々な要素が関係していた。

そして、国交正常化で取り決められた合意の多くは、今日の日本外交をも規定している。

そして日中の関係は同時にアメリカと中国の関係抜きには語れない。

アメリカと中国の対立が決定的になるのは1950年6月に起こった朝鮮戦争だ。

この戦争に中国が参戦したことによって、朝鮮半島で米中両国は初めて正面から対決した。

この戦争が日本に与えた影響も大きかった。

出撃・兵站基地としての日本の戦略的価値が上がったことから、アメリカを中心とする連合国の間で、占領下にあった日本を早く独立させようという動きが活発になったためである。

こうした流れを受けて、1951年9月、吉田茂政権はサンフランシスコ平和条約ならびに日米安全保障条約を締結し、日本の占領が終わって独立した後も、米軍が日本本土に引き続き駐留することを受け入れた。

吉田茂政権は、この二つの中国のうち、台湾の中華民国を、平和条約を締結する相手に選んだ。

1952年4月に結ばれた日華平和条約は、日中接近を阻止したいアメリカの強い要請によるものだった。

しかし、当然ながら中国側はこの日本の選択に激しく反発した。

中国は日華平和条約の調印直後に、各国にいる中国の外交官に日本との接触を全て禁じる指令を発した。

そして、日華平和条約は不法かつ無効なものであり、日本が中国と外交関係を樹立したければ、まずこの条約を破棄せねばならないと主張した。

かくして、日本は、中華民国との間で条約関係を持ちながら、中華人民共和国とどのように関係を築くかという「二つの中国」問題に直面することになった。

1950年代から60年代にかけての日本の歴代政権は、アメリカを刺激しない範囲で、「政経分離」と呼ばれる中国との間で民間貿易や文化交流だけを進める方針をとった。

そんな中、慎重であった田中首相を国交正常化交渉に踏み切らせたのは、中国側が日本に示した竹入メモと呼ばれるものであった。

竹入メモとは、竹入義勝公明党委員長が周恩来首相と会談し、その内容を記録した覚書のこと。

中国側は日本に大きな譲歩を示した。すなわち、中国は竹入を通じて、

①日米安保には触れず、1969年の佐藤・ニクソン共同声明にも言及しない、

②「賠償請求権」の放棄、

の二点を提示した。

さらに台湾問題についても、共同声明や宣言に盛り込まず、台湾が中国の内政問題であることを承認して、日中両国の共同声明発表後に台北から大使館を撤収すればよいという条件を示した。

さらに周恩来は日本に対する戦争賠償も正式に放棄することを初めて明らかにした。

中国側のメッセージは明確であった。

台湾との実務関係や賠償といった日中交渉の争点となりうるカードを事前に切り、事実上の要求を日本と台湾の外交断絶に絞ることで、日本側に決意を促した。

ただ、日本のアメリカに対する説明は苦しいものがあった。

もともと「台湾条項」の取り扱いは、安保問題と台湾問題が重なり合った部分にある。

そのため、アメリカには台湾の安全保障に日本が関与するという姿勢を示したまま、中国側とは台湾問題をめぐる合意を作り上げなければならなかった。

そこで日本政府が考え出したのは、台湾に関わる日米安保条約は従来の法律的解釈を保ったまま、中国との間でこの問題を政治的に処理するという方針であった。

日本は「法律面」と「政治面」の二つの論理を使い分けることで、日中関係と日米関係の両立を図ろうとした。

日中国交正常化における政治決着の本質は、争点の最終的な解決を棚上げして、両国の異なる意見を表面化させるような行動をとらないという暗黙の合意が成立した点にあろう。

こうした暗黙の合意は、条約や法律ではなく、周恩来の「言必信、行必果(言えば必ず信じ、行なえば必ず果す)」という言葉に示されるように指導者の信頼関係に支えられていた。

両国は相互の見解の相違を認識しながら、国交正常化によって新たな関係に踏み出したのである。

1968年秋に国連アジア極東経済委員会が協力して行なった学術調査で、東シナ海に石油が埋蔵されている可能性が判明した。

そのため、1970年代以降、台湾と中国が相次いで尖閣諸島の領有権を主張するようになった。

今、尖閣周辺で中国の領海侵犯が露骨になってきている。

かつてのあいまいさが後々の火種となっているのは何とも皮肉なものだ。

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