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2020年11月 4日 (水)

結局、自分のことしか考えない人たち/サンディ・ホチキス

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 自己愛人間は、何の自覚もなしに境界を侵害する。人の日記や手紙を勝手に読む。浴室や寝室のドアはないも同然だ。衣類や持ち物を無断で〝拝借する〟。会話を盗み聞きする。おせっかいな質問をしたり、聞かれてもいない意見を押しつけたりする。アイデアや手柄を盗む。秘密を守らない。キスやハグを強要する。

本書は自己愛人間について語られている。

自己愛の欲求は「絶えず周囲の承認や称賛を求める」というかたちであらわれる。

だがその根底には、ちょっとした非難にも傷つきやすいという脆さがあり、その脆さゆえ、自己愛の問題を抱えた人間は激しい恥の意識を覚える。

彼らのような人はカリスマ的で魅力的だったかと思うと、次の瞬間には非常に冷淡で計算高く、予測のつかない怒りを爆発させたりする。

彼らはパーソナリティ上の欠陥を抱え、自分をすばらしい特別な人間だと思い込み、自己中心的な行動を見せたり態度を取ったりする。

その病の名を自己愛(ナルシシズム)といい、自己愛の強い傲慢な人間を自己愛人間(ナルシシスト)と呼ぶ。

自己愛(ナルシシズム)は、ギリシャ神話のナルキッソスに由来する言葉である。

若く美しいナルキッソスは、その傲慢なふるまいによって神々の怒りを買い、復讐の女神ネメシスから下された罰によって、自分だけを愛するようになった。

そしてある日、泉の水面に映った自分の姿にうっとりと見とれ、自分への愛に取り憑かれて、やがてやつれてスイセンの花になった。

自己愛は今の時代にはじまったことではない。虚栄心が強くて貪欲で、相手を操ろうとする人間や、慢心して思いやりのない人間はいつの時代にもいた。

ところが厄介なことに、本来は欠陥であるはずのそのパーソナリティ上の特徴が、今の時代には広く世間の承認を得ているのだ。

躍起になって社会を変えようとした人びとは絶望した。

そして、自分がコントロールできる、自分が変えられると思える唯一のもの、つまり「自分自身」に焦点を合わせるようになった。

アメリカ人は、自己の内面へと意識を向けはじめた。

ある意味、「自己に取り憑かれ」はじめたのである。

健全な自己愛とは、自分自身の感情を感じることができ、相手がその時に抱いている感情をも共有できる能力だ。夢見る力を持ち続けながら、現実と幻想とを区別できる能力である。

自信喪失に陥らずに、夢の実現を積極的に追い求められる才能でもある。

健全な自己愛は、真の自尊心の上に成り立つ。

ところが、自己愛人間には真の自尊心が欠けている。

彼らの態度の裏には、よちよち歩きの発達段階から成長していない〝2歳児の姿〟が隠れている。 

彼らはお世辞を使って、相手をいい気分にさせるのがうまい。

だが、その相手が「特別な人間」だという錯覚が消えてしまえば、相手に対する称賛もすぐに消えてしまう。

誰かに特別扱いされ、注目されるという体験は、どんな場合でも酔いしれるような心地よさをもたらす。

ところが、自分を称賛する相手が隠れ型自己愛人間の場合、その心地よさは唐突に終わりをつげる。

歪曲、幻想、隠れ型自己愛人間による相手の勝手な理想化、恥の投げおろし……。

自己愛人間はこれらの手段を駆使して、自分は不充分で、価値のない人間だという感覚を寄せつけまいとする。

自己愛人間が世間に見せる表向きの人格は、たいてい優越感に満ちている。

ところが、その傲慢な仮面の裏に隠れているのは、膨らんだ自尊心でできた脆い風船である。

彼らにとっては、自分が優秀なだけではダメである。

非常に優秀なだけでも、まだ充分ではない。

彼らにとっては、自分が「ほかの人よりも」優れていなければ何の価値もないのだ。

自己愛人間にとって、価値は絶対的なものではない。

つねに誰かや何かと比較して、自分が相対的な尺度で勝っていなければダメなのだ。

自己愛人間にとって、競争は自分の優位を確認する手段である。

彼らはたいてい自分にとって都合のいい、自分が勝てる競争にしか加わらない。

敗北は激しい屈辱をもたらすからだ。

彼らはリスクを負わず、努力もなしに自分が輝ける舞台を選ぶ。

そして成功を収めると、今度は完璧さを追求しようとし、その過程で周囲の承認を要求する。

「自分を褒めてほしい」と要求するのは、実のところ、自分の優位性に自信が持てずに、エネルギーの補給が必要な時である。 

自己愛の根底に潜んでいるのは、現実であれ、想像上であれ、劣等感から生まれた耐えがたい恥の意識を排除したいという欲求である。

自己愛人間は、相手の欠点をいろいろあげつらう。

無意識のうちに相手をおとしめて、自分の優位な立場を回復させるためである。

自分のなかの侮辱の感情に気づいたとしても、彼らは断固としてねたみの感情を否認する。

ねたみを認めれば、自分が相手より劣っていると認めることになるからだ。

自己愛人間は、自分のねたみの感情にも、優越感を持ちたいという欲求にも気づかない。

彼らが感じるのは、ただ独善的な蔑みかもしれない。

そしてそれは、またの名を憎悪ともいう。

彼らにとって「重要なのは自分の気持ちと欲求だけ」であり、「何でも自分の思いどおりになって当然」なのだ。

相互関係や助け合いという発想は、彼らにはない。

なぜなら、周囲は「ただ自分に同意し、自分に従い、自分を褒めちぎり、自分を慰めるために存在する」からだ。

自己愛人間は、特権意識を振りかざす、1、2歳児の幻想の世界に生きているのである。

と、このように自己愛人間について述べられている。

本書を読んでみて、現代は自己愛人間が増えているように感じた。

特に、成功者と呼ばれる人の中に、自己愛人間は多いのではないだろうか。

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