
私は、日本人の危機管理の甘さは、日本国憲法に象徴されていると思う。
日本国憲法には、「権利」と「自由」という言葉はたくさん書かれている。それは大変結構なことだが、元来「自由」や「権利」は「責任」と対であるべきだ。それなのに、「責任」という文言は、「自由」「権利」に比べるとわずかしか出てこない。
確かに、日本では何か〝事〟が起こると、多くの人が自分のことを棚に上げて、「他の責任」を追及することに終始する。
それは日本国憲法が象徴しているというのはその通りだと思う。
変化が激しい現代社会のリスクマネジメントでは、的確な意思決定をし、迅速に行動するためには、PDCAを適応させることは難しくなってきている。
そのPDCAを代替するのが、本書で解説する「OODA」だ。
このフレームワークはPDCAと同じように、次の4つのフェーズを回していくことになる。
・観察(Observe)
・状況判断(Orient)
・意思決定(Decide)
・行動(Act)
PDCAは「サイクル」といい、OODAは「サイクル」ではなく「ループ」という。
PDCAは業務や品質を改善するために繰り返し実施するのに対して、OODAは通常、短時間あるいは短期間のうちに意思決定、行動するためである。
OODAも失敗したあとには観察をし直し、状況判断を見直して意思決定、行動することができる。
この意思決定フレームワークを考えたのは、朝鮮戦争を経験したアメリカ空軍パイロットのジョン・ボイド大佐。
OODAは戦場のような変化がきわめて激しいときに適した考え方である。
じつは、民間旅客機のパイロットはOODAという言葉を知らなくても、OODAによる意思決定が身についている。
たとえば、飛行中は目視、機上レーダー、風や温度の変化などを観測、モニターするなど情報収集をし(観察:Observe)、
乱気流に遭遇するかどうかを判断し(状況判断:Orient)、
高度や針路の変更、乗客の座席ベルト着用サインの点灯などを決め(意思決定:Decide)、
その意思決定に従って高度変更、針路変更する(行動:Act)ことで、乱気流などによる乗客・乗員のケガを防止する。
PDCAとOODAはどこに決定的な違いがあるのか。それは次の2点だ。
①出発点がPDCAは「計画」、OODAの「観察・情報収集」である
②ループを完結するのに要する時間の単位がOODAのほうがきわめて短い
PDCAは月単位、場合によっては年単位のスパンで考えるときには有効だが、OODAは場合によっては、「時間単位」「分単位」、ときには「秒単位」で意思決定することもある。
「計画」を立てることすらできない刻一刻と変化する状況下に適しているOODAは、まさにリスクマネジメント・危機管理における究極の意思決定ループなのである。
日本でOODAを浸透させるためには、現場のリーダーに権限を与え、よほどの間違いがなければ現場のリーダーの判断・決断を尊重するシステムづくりが急務だ。
それをせず、旧態依然とした上層部まで議題を上げ、会議で決めていくシステムのままであれば、変化のスピードが速くなっている現代において適切なリスクマネジメント・危機管理など望むべくもないだろう。
つまり、現場を最も理解している現場のリーダーに責任と権限を持たせて、決断させることがますます求められるようになってくるということだ。
一般に言われている危機管理は、ふたつの要素で構成される。
①危機の未然防止
②危機発生時の最悪の事態を防ぐ被害局限対応
そして、最悪の事態を防いだあとに求められるのは、「元の状態、正常な状態への回復」と「再発防止策の検討と対策の実施」。
基本的に「自律性」がないとリスクマネジメントも危機管理もできない。
できたとしても非常に甘いものになってしまう。
自律性とは端的に言えば、「自己責任」「自助努力」のことである。
アメリカでは「OwnRisk(自己責任)」を問う看板や表示をよく目にするように、アメリカ人の「自己責任」に対する意識は高く、リスクマネジメント・危機管理をする習慣が身についているように思える。
物事に対して「自己責任」という意識がなければ、リスクマネジメントも危機管理もできない。
危機管理の基本は、「何を大切にするか」「何を大切にしたいのか」という重要度の選択にある。
しかし、「赤信号みんなで渡れば怖くない」に潜む心理には、自分の確固たる考えというものがない。
言い換えれば、自分の価値観や重要に思うことよりも、大多数の意見に従うということである。
日本人はものごとの重要度の決め方がおかしくなっている人が多いのである。
危機管理はもともと動物としての人間に備わっている本能である。
しかし、いかに本能であっても、その本能を使わなければ劣化してしまう。
リーダーたるもの危機においては、「何を大切にするか」という「重要度の選択」、「使命感」、「勇気」そして「覚悟」が必要なのである。
長年、イタリアに住み、古代イタリアを中心とした歴史小説を多数執筆している歴史小説家塩野七生氏は著書の中で、理想的なリーダーの資質として、古代ローマの英雄ユリウス・カエサルを引き合いに出しながら次の5つの要素を挙げている。
・知力
・説得力
・肉体的耐久力
・持続する意志
・自己制御
リスクマネジメントや危機管理の能力として求められるのは、いわゆるIQ(Intelligence Quotient:知能指数)ではない。
むしろ、EQ(Emotional Intelligence Quotient:心の知能指数)と密接な関係があるといわれている。
EQは自己や他者の感情を知覚し、また自分の感情をコントロールする知能のことで、「心の豊かさ」「器の大きさ」と言い換えてもいいだろう。
EQを構成する要素には、以下のようなものがある。
①自己認識(自分の役割・使命・置かれた状況・心理状態など)
②自己統制(自己コントロール:Self-Management)
③モチベーション(目的意識・使命感・重要度の把握など)
④共感性(部下や周囲の心理を推し量る・相手の立場を考えるなど)
⑤社会的スキル(コミュニメーションスキルなど)
⑥状況認識・状況判断スキル
⑦意思決定スキル
⑧自律性(自助努力・自己責任)
OODAのループを詳しく述べると次のようになる。
①観察(Observe)──5つの眼で状況を把握する
OODAの最初のOは、オブザーブ(Observe)で、「観察、モニターする、情報収集」という意味である。
「観察」は、このあとに続く、状況判断(Orient)、決定(Decide)、行動(Act)の出発点となるため、OODAの成否を左右するといっていいほど重要なフェーズになる。
②状況判断(Orient)──意思決定をする前に方向性を見出す
オリエント(Orient)は、日本人にとっては聞き覚えがありながら、意味が少しわかりづらい言葉かもしれない。
名詞なら「東洋」という意味になるし、動詞なら「(新しい環境に)適応させる、方向付ける」という意味になる。
入学したばかりの学生を相手に各大学が開催するオリエンテーション(Orientation)も、オリエントに由来するといえば、わかりやすいかもしれない。
つまり、「Orient」は、この先はどうなるか、どのような方向に向かっていくのかの「方向付け」をすることで、具体的には、状況を的確に判断する「状況判断」のことである。
「観察」によって現状を把握したうえで、この先はどうなるかを予測して「状況判断」する方向性を見出すのである。
③決定(Decide)──きっぱりと決める
文字どおり意思決定するフェーズだ。
意思決定は次に挙げることを「きっぱりと決めること」である。
・これから何をするか
・何をしないか
・何をやめるのか
言葉で「きっぱりと決める」と書いてしまうと、いかにも簡単そうに見えるが、日本人は覚悟をもって、何かを決められない人が多い。
④行動(Act)──大胆に実行する
OODAもPDCAも最後は「Act」であるが、PDCAの「Act」は「改善」「見直し」であるのに対して、OODAは意思決定したことを果敢に「行動」することである。
この点において違いがある。
「行動」があって、はじめて結果が生まれる。
OODAにおける「意思決定」は目的実現のために「行動する」のためのものである以上、「意思決定」と「行動」は不可分である。
OODAの第1フェーズは「観察(Observe)」だ。
そのためには観察力を向上させる必要がある。それには自身のアンテナの感度を上げなければならない。
①虫の眼虫のように細かいことまで正確に読み取る〝眼〟。一点集中して、誰も気づかないような小さな事情や微かな変化を読み取る
②鳥の眼鳥のように大空から地上を鳥瞰する〝眼〟。全体を俯瞰し、大局を把握する展望力
③魚の眼魚のように川の流れや潮の流れを読み取る〝眼〟。内部の業務の流れ、政治・経済の流れ、顧客・市場の流れ、技術革新の流れ、メディアの関心の流れや変化を読み取る展開力
④コウモリの眼コウモリのように逆さまに止まって周囲を見る〝眼〟。立場を逆にしたり、モノを逆さにして考える洞察力
⑤心の眼(心眼)目には見えない真実、本質を見抜く
物事を見るときに、100%が「虫の眼」だと木を見て森を見ずになってしまい、「鳥の眼」だけだと細かいところを見逃してしまう。
「魚の目」がなければ、誤った判断をすることになるし、「コウモリの眼」がなければ、ひとりよがりになってしまう。
リスクマネジメント・危機管理において重要なのは眼の使い方だ。
そもそも人間の眼は「見る能力」自体はたいしたことはない。
しかし、人間の眼の素晴らしいところは眼を使い分けられることだ。
物理的な機能だけでなく、「モノの見方」という側面、つまりさまざまな考え方に直結するということである。
得た情報が全体か一部分か、一次情報か二次・三次情報か、誰が出した情報か、いつの情報か、目的実現のために役に立つ情報かどうかをスクリーニング、すなわち、ふるいにかけることである。
そのため、自分の足で情報を集めることが大事になってくる。
だからこそ、「現場」に出向いて、「現物」に直接触れ、「現実」を捉える、いわゆる「三現」の重要性が増している。
情報はいつの時代でもヒューミントといって、人間を媒介とした情報が重要だ。
ひとくちに情報力といっても、それは3種類ある。
①情報収集力
②情報処理力
③情報編集力
「情報収集力」はアンテナの差
情報収集力は、文字どおり情報を集める力のことだが、人によって力量に差が出る最大の要因は「アンテナの感度」である。
この感度の違いによって、収集できる情報の量はもちろんこと、その質も大きく変わってくる。
アンテナの感度は、その人の目的意識、問題意識、危機意識、好奇心、感性などに比例して高感度になったり、まったく何もキャッチできなくなったりする。
つまり、日常的に欲しい情報について意識していなければ、アンテナの感度は上がらず、情報収集力が上がらないということだ。
特に、情報収集がしやすくなった現代だからこそ、三現主義(現物・現場・現実)による一次情報(生の情報)の相対的な重要性が高まっていることは見逃してはならない。
自分の目で見たり、体験した「一次情報」と、自分がある人から聞いた「二次情報」、誰が発信源かはっきりしないような「三次情報」は区別して考えることだ。
二次情報・三次情報には、情報を発信した人・組織の意図が含まれ、バイアスがかかっていることがあるからだ。
人はどうしてもプラスの情報ばかりを知りたがり、マイナスの情報には目を背けたくなるものだ。
しかし、とくにリスクマネジメント・危機管理においてはマイナス情報を大切にすることが大事だ。
組織としては、マイナス情報は速やかに指揮系統の上方に報告するような風土を構築することだ。
そのためには、トップ、リーダーはマイナス情報を知らせてくれた部下に感謝するようでなければならない。
旧日本陸軍の大本営参謀を務め、戦後は第二次臨時行政調査会の委員などを務めた瀬島龍三氏は危機管理の極意をこう表現した。
「悲観的に準備し、楽観的に対処せよ」
リーダーとして危機管理能力を発揮するために求められるのは、危機の未然防止では「細心さ・臆病さ」、危機発生時の被害局限対応では「思い切りの良さ」「大胆さ」だ。
この切り替えが求められる。
一般的な傾向として、日本のリーダーはこの切り替えが不得意で、そのために危機管理に失敗するケースが少なくない。
リーダーの予見力には主に3つの要素がある。
①順調なときにこそ大切な高い問題意識、危機意識
②社会がどの方向(悪化か進化か)に動くかの予兆、傾向を見定める力
③歴史、他社・団体、過去の事例からその予兆を当事者意識で学ぶ力
人は順調な状態が続くと、頭では「油断してはいけない」「危機意識を高めておかないといけない」と理解していても、どうしても慢心しやすくなる。
危機の予兆を予見できたら、どうするべきか。まず、その問題を先送りにしないことだ。
問題の解決には多かれ少なかれ時間がかかる。
とくに問題を解決するまでのタイムリミットが明確にある場合は、早めに手を打たなければ、だんだんと打つ手が少なくなってくる。
人間が関与して発生する危機の原因は、努力・工夫によって排除できるものがほとんどである。
その典型的なものは次の3つだ。
・ヒューマンエラー
・コミュニケーションの不具合
・コンプライアンス
「ヒューマンエラー」「コミュニケーションの不具合」「コンプライアンス」対策の要点は、組織内に徹底する風土を構築することだ。
「徹底」を辞書で調べると次のように書いてある。
・行動・態度・思想が中途半端でないこと。
・すみずみまで行きわたること。
著者は「基本・確認行員の5原則」として次の5項目を挙げている。
①基本・確認行為が抜けた場合の怖さを知る・教える
②基本(規定類・手順)について「なぜ?」「何の目的で?」を考えさせて気づかせ、納得させる
③上司・先輩自身が基本・確認を徹底する
④基本・確認行為を徹底している部下や後輩を褒めて評価する
⑤指示は「早くやりなさい」ではなく「確実にやりなさい」
「コミュニケーションの不具合」を防止するには確認会話を徹底することと、悪い情報ほど速やかに上層部に報告することを奨励する風土を構築することだ。
コンピュータ化、自動化が進む時代にあっても、あくまで主役は人間であり、コンピュータ化、自動装置に不具合が生じた場合は慌てずに「基本に立ち返れ(BacktoBasic)」がリスクマネジメントの基本である。
リーダーは決断しなければならない。
特に危機時には、迅速な決断が求められる。
そのときに大切なことは次の3つだ。
①「何を最も大切にするか」という重要度の選択
②「覚悟」できる思い切りのよさ、大胆さ
③「Too Little Too Late」にならないために、日ごろからOODAループの意思決定手法を身につけておくこと
判断は頭の中だけでも完結するが、決断には必ず「行動」が伴う。
危機が迫っているときに、行動が伴わない「判断」をしたところで、危機を回避できるわけがない。
この違いを理解していない人が多いのではないか。
「判断基準」という言葉がある。
この基準には、さまざまなものがあるが、法律や規則、データ、常識などを基準にして判断することになるだろう。
しかし、「決断基準」という言葉はない。
なぜなら決断には基準はないからだ。
そこにあるのは「きっぱり決めること」だけである。
判断基準になるものは、データや法律といった過去につくられたものだが、決断は「これからどうするか」という未知のものになるため、トップやリーダーは、「自分はこうする」「大切にするのはこれだ」と自らの意思で決断しなくてはならない。
判断には「正しい判断」と「間違った判断」があるが、決断には「正しい決断」や「間違った決断」はない。
「行動」と「結果」のみがあるだけだ。
言い換えれば、「決断」は「これからどうするか」を、自分自身の「こうするんだ」「大切にするのはこれだ」という信念やポリシーに従って、肚をくくることだ。
決断には「覚悟」がなければならない。
組織においては職位が上がるほど、「判断」より「決断」を求められる割合が多くなる。
トップの最も重要な役割は「決断」と言ってもいい。
「判断」は優秀な部下に任せてもいい。
しかし、「決断」はリーダーがしなければいけない。
そして自分の決断によって起こることを、すべて受け入れる潔さが必要である。
リーダーにとっての決断力は、価値観、使命感、哲学、人生観、経験知、先を見通す洞察力、本質を見極める「見識」、そして覚悟を持った「胆識」によって磨かれていく。
大切なことは、リーダーは人の評価などは気にせず決断することだ。
評価してくれなくても天が見ている──そう考えて、決断する。
戦前にもOODAループの意思決定と行動をして、多くのユダヤ系難民を救った人がいる。
元外交官の杉原千畝氏だ。
確かに、日本のリーダーに必要なのは胆力に基づく決断力なのかもしれない。