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2020年12月21日 (月)

流れをつかむ技術/桜井章一

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 頭でっかちになりすぎて生き方のバランスを崩している現代人にとって、感覚を大切にすることは「よりよい人生」を紡いでいくためにも欠かせない。

人は生きていくなかで、折りに触れて「流れ」というものを意識する。

「いい流れがきた」「今は流れが悪い」と。

はっきりと目で見ることはできないが、自分がひとたび悪い流れの中にいると感じたとき、人は「この流れを変えてやろう」と行動を起こすものである。

勝負の世界も同じ。

言わば「流れ」をつかむことこそが、勝負の運命を決める核心となる。

大きな視点で眺めれば、私たちの生きている世界は自分自身も含めて、すべてが大河のように流れている。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」

これは『方丈記』の中の有名な文章。

まさに万物は大河のごとく、常に流れ、変化し続けている。

「あの人は運がいい」とか「彼は運が悪かった」と言ったときの、この「運」という不確かな存在も、結局は「流れ」をいかに感じたり、読んだりするか、いかに「流れ」を引き寄せたり、変えたりするかにかかっている。

いい勝負ができたか、できなかったか。それを分けたのは、「流れ」に対する捉え方。

流れをつかみ、それにうまく乗ることができれば、後は積極的に何かしなくとも自然と勝ててしまうもの。

土壇場で「悪い流れ」をひっくり返すことで「いい流れ」を引き寄せ、逆転勝利を収めることもある。

何事も力んで求めようとする人は、仕事においても生き方においても流れをつかみ損ね、失敗を重ねていくだろう。

求めながらも、次の瞬間にはそれを忘れたかのように力を抜く。

それこそが、「いい流れ」をつかむ秘訣。

そして、勝つという結果よりも、負けたときの過程にこそ意味を見いだすことができる人が真の強者というもの。

「考えるな、感じろ」と言うときの「考える行為」は、正確には本能や身体的感覚から切り離された思考を指している。

頭ばかり使うのではなく、本能や身体的感覚を大事にしながら、人間本来の生き方をよりよいものへと導いていく思考を、もっと増やしていくべきではないだろうか。

そもそも人間にとって最も重要なのは、「成功すること」ではなく「人間として常に成長していくこと」ではないだろうか。

人間的な成長というと、いかにも足し算のようなイメージがある。

しかし、人は歳を重ねていけば、必ず人間的に成長するというわけではない。

むしろ反対に、人間的に退化していく人のほうが多いかもしれない。

幼少期には純粋だった人も、損得の計算をしたり、駆け引きして相手の目を欺いたりと、大人の論理を身にまとうにつれ、どんどん心が汚れていく。

果ては、心がすべて真っ黒になってしまったような人も大勢いる。

その意味では、世間体やしがらみといった荷物を降ろしていく「引き算」のほうが、人間力を磨く上では大切な作業になってくる。

合理的な理性で判断するのではなく、違和感を覚えるほうを外す。

理性で判断したものよりも、無意識の感覚で判断したもののほうが正しいかもしれない。

実は脳科学の世界では、それを証明するための実験がすでに行われている。

迷ったときは理性をしっかり働かせるのではなく、逆に捨てたほうがよい。

感じたままに動いたほうが選択ミスは少なくなる。

本能に従って生きている人は、人間本来のリズムといったものを自然と身につけているものである。

経過を大切にする――それは「目の前の瞬間瞬間を大切にする」ということだ。

将来のためでも過去のためでもなく、現在のために今、何をすべきか。

過去・未来のどちらにも囚われることなく、目の前の流れをしっかり見極めることに専念する。

つまり常に途中の状態をよくすることに専心し、苦境に耐えることこそが、経過論的な生き方をもたらす。

経過とはすなわち、結果に至るまでの流れと言える。

組織や仲間など全体にとってプラスになることを考え、正しい手順をきちんと踏んでいけば、最終的にはいい結果へとつながるだろう。

人間にとって大事なものは自由だ。

自由がなければ創造性を発揮することなどできない。

多くのものがぎっしりと詰まった状態では、自由に動くことなど不可能だ。

必要以上のもので周りを埋め尽くして自由を失えば、状況に応じて変化する柔軟さもなくしてしまう。

柔軟さが失われれば当然、成長の機会も途絶えるだろう。

常に「空っぽな人でありたい」

空いているからこそ、自由に動ける。

自由に動けるからこそ、自己の能力や発想を飛躍させることもできる。

無意識や感性というものは、言葉ではなかなかうまく説明することができない。

人が自分で意識できる領域を超えているので、理性で捉えることが難しいからである。

そのような「よくわからない」ものと対峙したときに人が取る反応は、おおよそ三つに分けることができる。

一つ目は、「わからないものなんか考えても仕方がない」という態度である。

こうした人たちには、「わかる世界だけがすべてだ」といった現実主義的なところがある。

二つ目は、「理性や知性の力を絶対的なものと信じ、それをちゃんと使えばわからないものなどない」とする立場だ。

このような人たちは、仮に今はわからなくても、科学が進歩すれば、将来的に謎は必ず解明されると信じている。

三つ目は、「この世界には、理性では捉えることができないものが、少なからず存在する」という考え方である。

彼らは「人間が生きていくためには、理性を超えたものこそが大切だ」という考えを持っている。

答えを拙速に出してはいけない。

「わからない」ことは「わからない」ままにしておくことが大事なのだ。

「わからない」ことを「わからない」ままにしておくと、気分が落ち着かないかもしれない。

だが、「わからない」ことは未知の可能性を含んでいるという点で、非常に魅力的なのである。

アスリートがよく口にする言葉で、「ゾーン」というものがある。

ゾーンとは、流れの本筋と言うべきものを捉えたとき、自分がその中心にスッと入り込んで、試合全体を支配するような感覚である。

流れの中心に自らを置くと、感情も感覚もなくなり、集中が極まった無心の境地に至る。

そして、激しく動き変化しているはずの流れが、あたかも静止しているかのように感じられるのである。

身体感覚を大切にし、流れをつかみ、流れに乗る。

理性を絶対化している現代人が失いつつあるものではないだろうか。

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