上手な心の守り方/枡野俊明
どんな困難に見舞われても、心配事が山ほどあろうとも、「なんとかなるさ」と笑ってしまえばいいのです。そこから現状を打開する道が開けます。
心を守るための方法はただ一つ。
それは、心を「強く」するのではなく、「柔軟に」すること。
「物事にはすべて完全・完璧はない」、いいかえれば「どこまで行っても、その先に努力の世界が開けている」というのが禅の考え方。
努力に終わりがないのだから、常に努力が不足しているのは当たり前。
何かうまくいかないことがあるから「努力不足」なのではなく、うまくいこうがいくまいが、さらに努力する余地がある、ということ。
その観点に立てば、うまくいかないからと自分の努力不足のせいにして、落ち込むことに意味はないと思えるはず。
「不完全の完全」を目指すことこそが尊い。
自己評価は「加点法」でいく。
すでにプラスの能力があるのなら、その伸びでマイナス分はカバーできる。
いや、マイナス部分で努力するよりも、結果的にプラスが大きくなる。
それが自分を好きになることにつながる。
落ち込むことがあったときも同じ。
「落ち込むのはみっともない」などと思わず、とことん落ち込んでいい。
であればこそ、早く立ち直ることができる。
大事なのは、落ち込まないことではなく、落ち込んでもなるべく早く立ち直ること。
過去の成功や名声にとらわれることを戒める「放下着」という禅語がある。
過ぎ去った物事はすべて、すっぱりうち捨てなさい、という教え。
人間の価値は本来、「時価」ではかられるもの。
常に「いまの仕事ぶり、生き方」で輝くことだ。
地位が上がるにつれて行動力が鈍り、現場から遠ざかる人が増えるが、それでは成長がストップするだけ。
プライドを捨ててこそ、自分の器が大きくなる。
仕事というのはすべからく「世のため人のため」にあるもの。
ここさえ見失わなければ、やがて数字はついてくる。
「いま、できることをやろう」と。
悩みというのは、悩み続けるのがよくない。
なんでもいいですから行動してみれば、たいていは解決へと向かう道筋が見つかるもの。
それに実際問題、「心配事の九割は起こらない」もの。
心配するだけ損なのだ。
心配している間中、心のなかはザワザワして、行動力も奪われる。
先のことを考える目的は、心配することではなく、いまの行動を決めること。
「こうなったら大変だから、いまこれをやっておく」「こう物事が動いていくのが望ましいから、いまこれをやっておく」というふうに、とにかく行動すること。
それによって、心から心配や不安を追い出してしまうのが正しい心配の仕方。
大事なことは「~でなければならない」をやめること。
心を柔軟にすること。
これに尽きるのではないだろうか。
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